1988年12月24日の渋谷公会堂で解散を宣言した
BOOWYは、翌1989年4月4日・5日の東京ドー
ムのLAST・GIGSの氷室のあの有名な
「おれ達は伝説にはならねえぞ」
という言葉を残しその活動に終止符を打ったが、布袋は
解散直後から制作に没頭し、世の「何故? 解散」に答
えを出すかのようにギタリズム宣言*をし、ソロアルバ
ムのデモテープを完成させ、6月末、いよいよレコーデ
ィングのためロンドンのアビーロードスタジオに旅立っ
た。
1985年の春。BOOWYがハンザトンスタジオレコ
ーディングでベルリンを訪れたとき、テーゲル空港で僕
たち一行を待っていたのはレコーディングの全てをコー
ディネイトしたクマ原田氏で、それが彼との初めての出
会いで、彼とはその時以来変わらぬ親交を深め今日に至
るのだが、布袋のソロアルバム「ギタリズム」の完成も
クマ原田氏のコーディネートに依るところが多い。
そのコーディネイトの第一番目はもちろんアビーロード
スタジオとのディールだが、その前に、アビーロードか
ら歩いて5分の所に宿舎を借りてくれたことがとても大
きかった。
アラベラコートという名のその建物は、その名が示すよ
うにアラビア人の大金持ちが所有するコートハウスで、
アビーロードに交差するマルボロプレースにあった。
◎3ベッドルーム(シングル、ダブル、ツイン)
◎リビング(60平米ほど)
◎キッチン(システムキッチンと巨大な食器棚、冷蔵庫)
◎2バスルーム(来客用と住居人用)
の150平米はあろうかという広さで、1ヶ月の賃料は
50万円だったかと記憶している。
この値段は、一行10名がホテル住まいをすれば安い宿
でも1日10万円は必要で、レコーディングが60日に
も及べば600万円もかかるのだから、この広い2部屋
が2ヶ月で200万で借りられたのは特別に格安だった
のである。
もちろんこのコートハウスの正規料金はホテルとあまり
変わらない金額だったが、通常は客は長くても家族で2
週間ほどの滞在で、僕たちのように60日間・約2ヶ月・
2部屋をレンタルするというのはかなり大口の顧客で、
そこんところヨロシク!とクマ氏がオーナーを突きに突
いてくれ計算高いアラビア人から格安ディールを確得し
てくれたのだった。
実をいうと、宿泊予算が400万円安く済んだことで、
アビーロードスタジオが借りられる算段がついたのだか
ら、まず、このアラベラコートが決まったのがホントに
大きいことだった。
6階のルーム31に、布袋、糟谷、マネージャー、カメ
ラマン、アートディレクターの5人が居住。
隣のルーム30にはドイツ人エンジニア夫婦、ミュージ
シャン2名、レコード会社ディレクターの5名が居住。
はじめてチェックインした日からレコーディングが完成
するまでの2ヶ月間、毎晩、ルーム30、31は大パー
ティー会場と化し、イギリスのエンジニア、ピアニスト、
シンガー、ドイツのカメラマン、イタリアの雑誌記者、
日本からのマスコミ、編集者、画家、モデルなど様々な
国の様々な職業の人達の梁山泊「多摩リバー」となって、
20世紀の晩年という時代の大騒乱のなか、BOOWY
の解散という衝撃を超えギタリズムー1は芸術作品とし
て完成していった。時間と空間と人種の壁を超えた一大
クロスオーバー・ロックンロールアルバムが完成したの
である。あらためて参加した全てのミュージシャン、特
にホッピー神山と藤井猛の両名には感謝申し上げます。
あなたたちの才能もまた恐るべきものでした。感謝。
*ギタリズム宣言
GUITARHYTHM CONCEPT 1988
そろそろ90年代R&Rの幕開けというべくR&Rを提
示していかなくてはならない時期が来た。
そもそもにR&R国籍は無くイギリス、アメリカ問わず、
ビル・ヘイリー(元祖R&R!)、リトル・リチャード、
チャック・ベリー、ジーン・ビンセント、エディ・コク
ラン、ボ・ディドリー、プレスリー、ビートルズ、スト
ーンズ〜 時代はながれて、T・REX、ルー・リード、
デヴィッド・ボウイー、イギー・ポップ〜セックス・ピ
ストルズ etc、、、。
ジグジグ・スパトニックによる90年代へのアプローチ
はくしくも失敗に終わったが、常に刺激を求めるビート・
フリークたちの関心は、生易しいメロウなR&Rでは満
足できなくなっている。
パンク・ムーブメントの果たした役割は計り知れない程
偉大なものだったが、大きくわけてビート派とメロディ
派に極端に別れすぎて、今やシーケンスの反復を利用し
たドナ・サマー!?が切開いた”ディスコ・ミュージック”
とほとんど変わらないあり様だ。
ロックという言葉の持つ意味が個人の解釈に委ねられた
今、逆にインパクトを持ち国内のみならず海外にもアピ
ールし得るR&Rが、これから作っていく<GUITA
RHYTHM>の基本になっていく。
テーマは『スピード』『リフレイン』『メロディー』
『コンピューター』『パンク』
の5つに集約することができる。わかりやすく言えばセ
ックス・ピストルズのギタリストとジグジグ・スパトニ
ックのリズム体をバックにエディ・コクランがビートル
ズの歌を赤いスーツを着て歌う事だ。
布袋寅泰
アビーロード近辺のイタリアンレストラン「フォンタナ・
アモローサ」はとっくの昔に閉店していた。
その向かいのインド人のスーパーも無くなっていた。
あの店のソーセージは不味かった。毎日牛乳やパンを買
いに行くもんだから、そのうち、教えた日本語でオハヨ
ー、アリガトー、サヨナーラくらいは喋るようになった。
角のアイリッシュパブも無くなっていたが、アラベラコ
ートだけは、昔と変わらぬ姿で健在で、その建物を見て
いると、僕の人生であの時代は二度と還らないが、まる
で青春時代に戻ったような気がした。
☆☆☆
アラベラコート。建物の最上階の左側の2部屋を借りた。

左ルーム30。右ルーム31。

アビーロードクロッシングのすど。

アビーロードスタジオ。一般客はこの角度からスタジオを見る。

スタジオ前庭のクマ原田氏&すど。

岡崎堂&すど。

いよいよアビーロード内にご案内します。

スタジオ2前の廊下。
このスタジオ2でビートルズ「アビーロード」は撮影
された。写真左側の赤いライトが入り口

スタジオ2。調整室が階上にある昔ながらの作りになっている。
そこから見るスタジオ。スタジオへは右の階段で下りてゆきます。

ビートルズの音を吸ったマイクロフォン。
ビートルズの音を吸った吸音板はもうなかった。

ビートルズファンでもなんでもないすどが
スタジオに入るなり感極まって涙ぐんだ。

スタジオマネージャーのコレッタ&クマ&すど

コレッタ&センジ

<エピソード7 最終回に続く>。