人気ブログランキング | 話題のタグを見る
exciteブログ ExciteホームExcite Musicトップサイトマップ
プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
リンク
以前の記事
2013年 08月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
最新のコメント
http://vimax..
by obat pembesar penis at 23:53
http://vimax..
by obat pembesar penis at 12:50
Hi I am so e..
by moncler co at 08:41
Can you tell..
by vegan uggs uk at 22:20
Right here i..
by cheap ugg at 05:46
Hello I am s..
by ray ban av at 22:50
Howdy I am s..
by parajumper at 05:08
ピアノ買取センター ~ピ..
by ピアノ買取 at 05:12
販売商品 精力剤分野:..
by 神奇山精丸 at 15:39
媚薬:http://ww..
by 媚薬 販売 at 12:41
最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
ベトナム滞在記−2
2009年4月16日

明日に続くと15日のブログに書きながら、ホテイツア
ーのリハーサルスタジオに入りっぱなしで、下書きはし
たもののまとまらず滞在記ー2が数日遅れてしまった。

スーツに着替え、ホテルで待っていると大型バスが迎え
にきた。今夜、コンサートに出演するバンドのメンバー
&ご一行様とバスでコンサート会場まででかける。
街の中心部では交通量はますます多くなった。信号で停
車しているバイクの数は半端じゃなく、青信号にかわる
とオートバイレースのように次から次に飛び出して行く。
その姿はまるで巨大な長い龍のごとくであった。自転車
に乗っている人はさほど多くない。車は多いと云っても
まだ数はしれている。北京や上海ではひっきりなしに市
バスが客を乗せて走るが、この市では交通のインフラは
まだ手が着きかねているようでバスの便はあまり良くな
い。車を買うことができない人全員がバイクで市内を走
っているような感じだった。
南のホーチミン市ではバイクがハノイの10倍は走って
ます。そのバイクが鳴らすクラクションの音で市内は夜
まで1日中大騒音大会になっています。それに比べりゃ、
ハノイは静かですよとも聞いたが、その声はクラクショ
ンの音でよく聞き取れなかった。

バスはバホーンーーーバホンンンンーーーとクラクショ
ンを鳴らし、直進する車やバイクを牽制しながら右左折
をくり返し会場についた。
大きな広場に野外ステージが組まれていた。昼過ぎに降
った雨と強い風でステージ上にある屋根代わりのテント
が吹き飛んだようで会場回りはドタバタしていたが、そ
の様自体は遠目にはのんびりとしたものだった。
野外ステージ脇にあるおおきな建物に入ってみる。そこ
には日本ベトナム文化交流のブースがでていて、京都大
学、立命館大学、秋田大学、静岡大学などのブースもあ
ったが、時間が遅かったようで誰もいなく、これ等の大
学はここでなにをしているのでしょうということは聞け
ずじまいだった。今回の文化交流イベント・さくら祭り
には日本政府、外務省、国際交流基金、県、大学やおお
くの企業が参加し、ブースを出し、日本を紹介し、野外
会場でおこなわれるイベントには日本のバンド ジプシ
ークイーンが出演し、原宿と町田のよさこい連もおおい
に会場を盛り上げるのである。ブース会場に各県を紹介
するポスターがずらーと並べて展示されていたが、地面
すれすれのローアングルから今まさに通り過ぎようとす
る永平寺の托鉢僧の一群を足下から撮った福井県のポス
ターが動的で迫力満点で一番エネルギーがあった。ポス
ターは福井県が最優秀でアートディレクターはよほどの
感性を持つとみた。我が故郷愛知県は名古屋城、織田信
長、豊臣秀吉、徳川家康をコラージュしたポップなでき
あがりになっていて、次点だという評価で立川氏と一致
した。京都などのポスターも悪くはないが、名所旧跡紹
介以上には感じられなかった。京都など最大の売りなん
だからと考えればもったいないことだ。奈良県のポスタ
ーはおきまりの大仏さんがどーんと鎮座していたが、こ
れをみてベトナムの人は奈良に行きたいと思うかは、は
たして疑問だった。
日本祭りだから日本好きのベトナム人も多く集まってき
ている。特に日本が好きということでなくても、野外会
場で売られるたこ焼き、焼きそば、日本の菓子などを売
るテントには人だかりがしていた。浴衣を着たベトナム
娘さんもいる。足元を見ればハイヒールだった。親子連
れ。友達連れ。恋人連れ。ヒマそうなオヤジ。ものめず
らしげな婆さん連れ。言ってみれば、大きな村祭りとい
う規模と趣向ではあるが、それでもこんなに大勢の人々
が日本桜祭りに集まっていることにちょっと驚いた。
へー。俺たち日本のことをこうして紹介してくれている
んだと交流会の人たちの地道な努力には頭が下がった。
感謝もした。
ジプシークイーンのライブの最後にベトナムの国民的歌
姫ミーリンがゲストで登場し、2曲歌い、おおいに会場
が盛り上がりコンサートは終了。
会場をでる人混みに揉まれるように、ミーリンと連れだ
って立川氏とわたしの3人は会場をあとにしたが、
ナンデ? ミーリンが日本人と歩いてるの?? 
と不思議そうな顔で見られた。周りを囲んで取り巻くと
いういうようでなく、遠巻きに輪をなしてこちらの行く
方向に輪が動いていった。
近くのホテルの宴会場で開かれた日本桜祭りのレセプシ
ョン・パーティで関係者に挨拶をすませると、ミーリン
が食事をしましょうと誘ってくれ、トンキンと云う名の
ベトナムレストランに連れて行ってくれた。ミ—リンは
立川氏の美食家ぶりはよくご存じで、ハノイのベトナム
料理屋のトンキンでもオーダーは立川氏にまかせていた。
ハノイビール。白ワイン。赤ワイン。蓮の花と茎のサラ
ダ。春巻き。フォアグラ。鶏肉の揚げ物を注文した。立
川レコメンドはどれもこれも美味いものばかりだった。
しかも量が適切というところが見事に的を得ている。持
つべき者は美食家の友人である。
ベトナム料理を初めて食べたのはベルリンだった。コリ
アンダーの青臭い草いきれにも似た香りに当惑した。調
味料の魚醤:ニョクマムの魚の腐敗したような匂いにも
閉口した。ニョクマムは今は日本でもナンプラーと呼ば
れ、ちょっとしたスーパーでどこでも手に入るようにな
ったが、あの美味さは初めてベトナム料理を食べた当時
は理解できなかった。ただ、生春巻きの美味さに驚いた
わたしはことある毎にベルリンの友人達を誘ってベトナ
ム料理屋に通った。そして通い慣れると草というよりか
すかな土の香りすらするところが苦手だったコリアンダ
ーにも慣れ、ニョクマムにいたってはなくてはならない
調味料になった。今回のハノイではトンキンの蓮の花と
茎のサラダにも好みで追加してふりかけた。
トンキンはかってのアメリカ人貿易商の3階建ての旧宅
を改造してレストランとしているが、我々が陣取ったテ
ーブルは屋内ではなくタイルが張られた庭に用意された
席で、亜熱帯の甘い夜のほの暗さを照らす頭上の小さな
ライトがほの明るく灯りとても心地良かったせいだろう、
初対面だったが国民的歌姫のミーリンとはうちとけて話
すことができた。
音楽のこと。仕事のこと。家庭のこと。子供の教育のこ
と。ハノイのこと。サイゴンのこと。あれやこれや。
とても気さくな国民的歌姫だった。彼女もわたしにここ
ろをゆるしてくれたのだろうと思うが、わたしはすっか
り彼女のファンになってしまった。ウオッフォンと咳払
いをして話を変えるが、エンジニアーのG・H氏の2歳
になる娘はおとなの男性が苦手で知らない人に出会うと
いつもこわがるが、どうやらわたしは平気らしい。おぼ
えたての言葉でカスヤさーんと寄ってくる。姪の1歳の
娘は這ったり歩いたりと可愛い盛りだ。この子もおとな
の男性が苦手というが、わたしには抱かれてニコニコ笑
っている。気持ちの純粋な人にはわたしがわかるのだと
つけ加えさせていただこう。ミーリンも純粋な心を持っ
た音楽の天才なのである。

ホテルに戻ると、遠く聞こえる交通渋滞の喧騒を断ち切
るように窓を閉め、また本を読んだ。ベッドに寝ころび、
まくら元のベッドライトのスイッチを入れるが点かない。
あれ? 電球の球切れかな?
2度3度スイッチを入れ電球を外したり差し込んだりし
たが、点かない。フロントに電話を入れそのことを告げ
ると、若いスタッフがコンコンとドアをノックして部屋
に顔を出した。このダーリンというホテルの従業員は誰
も若く、働き者である。このスタッフは時にフロントの
チェックイン・チェックアウト係であり、ホテルの前に
バスが着き、客がぞろぞろとおりてくれば荷物を運ぶド
アマンとなり、電球が切れれば夜中であろうとなかろう
と営繕係と化すのである。
営繕係がスタンドライトの球をいじっているように見え
たが、ライトのコードをたぐっていくとコンセントに差
し込まれていないことがわかった。一件落着と思ったが
ところがそうではなかった。そもそもコンセントの差し
口がなかったのだ。コードの先をぷらぷらと手で回しな
がら営繕係はこちらを見つめ首をすくめた。その表情は、
「旦那。これがベトナムでござんしてね」
と言っているようだった。
シェンエンシェンエンと言うから、英語でいうところの
オーマイガッド、イタリア語でいうところのマンマミー
ア、つまり、どーにもなんねえっすとベトナム語で言っ
てるのかと思ったが、よく聞くとそうではなく、千円は
(シェンエン)ベトナムではいくらですか? と聞いて
いるのだとわかった。
千円ねえ。1円が167ドンだから、167×1000
=ワンハンドレッド シックスティーセブンタウザンド、
167000ドンだと答えてやると、いかにも嬉しそう
な顔をしたから、今日の午後にチェックインした日本人
客に10人分まとめてとポーター代として1000円チ
ップをもらったのかもしれんな。働く者に幸多かれと祈
った。
ニューヨークセントラルパーク・アベニューにあるプラ
ザホテルのかってのオーナーがお忍びで1日ドアマンを
やり、このホテルで一番儲かるのはドアマンだといった
いう有名なエピソードがあるが、こちらはいくら祈って
もチップはもらえずライトもつかないのだから、おやす
みと営繕係に告げ、そうそうに寝た。はるな愛が酔っぱ
らって床に寝ころんでいる夢を見た。  (後日に続く)
by kasuya_senji | 2009-04-20 13:18 | Comments(0)
<< ベトナム紀行−3 ベトナム滞在記−1 >>

 
Copyright ©1997-2007 Excite Japan Co.,Ltd. All Rights Reserved.
免責事項
- ヘルプ - エキサイトをスタートページに | BB.excite | Woman.excite | エキサイト ホーム