2010年1月8日
年明けて、昨年患ったおめめの検診にでかけた。
目の中を先生が覗きこむようにと瞳孔の開く目薬を点眼
されているから、目を開けていると眩しくてしかたない。
サングラスをし、目をつむって待合室で呼ばれる順番を
まっている。
タカハシマリコさーん
スズキシゲルさーん
マツイヒデキさーん
カトーコーイチさーん
オザワイチローさーん
なにやら知っている人の名前が呼ばれている。歌手から
ギタリストから大リーガーから政治家までいて、世の中
には同姓同名の人がよほど多いと知れると感心している
と、
コイケフミコさーん
と呼ばれた人がいた。この名前はなつかしい。中学の同
級生だ。小池文子で「ブンコ」と呼ばれていた。いやー。
ひさしぶりにブンコの名前をここで聞くことになるとは
と眩しいをがまんして待合室にいる小池さんを目で追う
と、けっこうなおばあちゃんだった。もちろん岡崎の同
級生のブンコが東京の下町の眼科にいようとは思っては
いないが、あんな、おばあちゃんは想定外だった。でも
あれだぞ。俺は人を見てあんなばあちゃんと勝手に言っ
てるが、他人はわたしを見てジイサンと思っとるかもし
れんと席を立ちトイレに入って鏡を見れば、なかなかの
ハンサムボーイじゃないか。しかも若々しいぞ。と眩し
くてよく見えないのをいいことに勝手に思ってみたりし
た。
しかし。名前はまだ呼ばれない。
しかし。目の検査の話はいいが昨年末に書きかけになっ
たままの神戸旅行の続きはいったいどうなったんだろう。
病院に入ってブログがしばらく更新されてなくても、退
院してしばらくぶりにブログが復活しても、読みに来て
いる人の数が減りも増えもしないことに唖然としたり、
気が楽になったりしてみたが、だからといって「この続
きは次回」と書いたままにしておいて、しかも年を越し
てしまってはいかがなものか? すこしだけ書いておき
ます。
旅行2日目にははやくもかみさんと離ればなれになった。
わたしは仕事へ。かみさんは友人宅へ。
かみさんがいなくなってひとりぼっちになったような気
がしたが、気楽になったことも確かだった。
彼女たちは旧居留地界隈を買い物したり100種類もの
お茶が飲めるティーハウスで喫茶したりウインドウショ
ッピングしたりと散策を楽しんだようだ。
こっちは旧居留地のブランドショップ街も元町の商店街
も北野の異人館も六甲のハーブ園にもとんと縁がなく、
会場内でリハーサルだ、打ち合わせだ、本番だ、値段交
渉だとまあ地味な神戸だったが、意外な楽しみにでくわ
すことができた。
宿泊しているホテルの部屋が海側でなく山側で、部屋か
ら六甲の山並みの下に東西に長い神戸市街が見える。朝
起きてホテルで朝食をとり、仕事にでるまでの間に、秋
のはじめのころから読み始め、まだ読み終わっていない
「坂の上の雲」を読んだ。
単行本の4巻の満州平野の大会戦で騎兵旅団を指揮する
秋山好古について書かれたくだりで、源平の戦いの義経
の鵯越えの騎兵戦法が引用されていた。
今の神戸の市街地は六甲の山と瀬戸内海にはさまれてま
ことに狭く東西に長いが12世紀もそうで、ここを舞台
に源平の戦いの火ぶたは切って落とされた。東から攻め
るは源氏。守る平家の戦隊は長く延び、源氏軍と対峙す
る先頭は今の西宮あたりにあり後陣は神戸市の西のはず
れにあった。平家軍は全軍東を向いている。義経は数十
騎を連れただけで夜半ひそかに京を抜けだし丹波に入り、
山越えで六甲の西のはずれの鵯の坂の上に出、そこから
一気に山を下り平家軍の尻尾に殴り込みをかけた。天か
ら騎馬と武者が降ってきたような大騒ぎになった。無理
もなかろう。ちゃんちゃんばらばらと長槍を突き出し白
刃を振りかざし、ビュンビュンと呻りを上げて弓から放
たれた矢が空を飛び落ちてくる中で戦っているのは遙か
先頭集団である。後陣部隊は武装していても戦争状態に
はない。しかも鵯の山の坂といってもほぼ絶壁に近い壁
を騎馬武者が駆け下り殴り込んできたのである。平家軍
は混乱に混乱を極め敗走し、屋島、壇ノ浦と敗走に敗走
を重ね、1192年:源氏によるイイクニツクル鎌倉幕
府が成立するのである。世界史的に見てもこの義経の騎
兵戦法はジンギスハンの騎兵による大遠征と比べてもな
んら遜色はないと作家司馬遼太郎は書くのである。
その義経の下り降りた鵯の絶壁の坂がホテルの窓から見
えるのである。年の為にフロントに電話をして場所を確
かめると、やはり部屋から見える西の絶壁がそうだとい
う。本を読んでいると時にそういう偶然にも似た場面に
出くわすが、今回は偶然にしても出来すぎていた。読書
の楽しみはこういうところにあるのです。ということで
神戸は楽しかった。かみさんも友人と過ごした神戸がス
テキだったようでした。