2010年1月15日
ハイチの大地震。凄まじいものだったようで、昨日の東
京新聞の夕刊に1面に掲載された写真では、丘をおおい
つくす住宅のそのほとんどが地滑りにあったように倒壊
し町が壊滅していた。
世界最貧国のひとつであるハイチでは産業が乏しく人々
は仕事を求め都会に集まるが、職にあぶれた人々は町外
れに建てられたバラックのような家々に建て増し建て増
しされた複雑に入り組んだ住居群が丘の上まで続いて貧
民丘街を形成する。掲載された写真はそのひと丘が倒壊
壊滅している写真だが、しかし、そのような丘は首都ポ
ルトーフランスにはいくつもあるのだ。
ハイチ政府の発表によると死者は10万人とされたが、
それは倒れた住宅に住んでいたと思われる人口をそのま
ま当てた数字であると言うくらい、なにもかも推測でし
か状況を把握できていないようだ。
地震の規模に比べて死者の予想数が大きいのは、最貧国
ゆえに建築基準法が耐震構造に則っていないことや貧民
地区ではバラック・オン・バラックと建物はただ積み上
げられているだけにすぎないことが理由としてある。
また、最貧国にありがちに政情は不安定で政府軍・反政
府ゲリラとの間での闘争が常態化していて、それが各国
からの経済支援を困難にし、最貧国の経済は更に悪化に
悪化を重ね、救急体制、医療施設が極度に不足している
という現実もある。
政情を安定化させる為に国連が事務所を構え100人以
上をスタッフを送り込み平和維持活動の監視下において
いたが、そのスタッフの100人ほどが亡くなったので
はと報じられていた。
そんな暗い気持ちになっていたところへイギリスはロン
ドンから知人が訪ねてきた。知人と言ったが正確には元
IRC2ロンドン事務所のスタッフのVさんである。1
990年代の10年間、世紀末のロンドンでこのオフィ
ースを拠点に我々はイギリス人と日英混成チームをつく
り大活躍をしたのだが、大活躍といってもそのエリアは
アート、ミュージックなどクリエイティブな方面に限ら
れ、金儲けとは一線を画すものであったから、ミュージ
ックシーンやミュージックそのものがビジネスの一形態
として位置づけられてしまった21世紀の今日はそのオ
フィースは役割を終え数年前に解散したのであるが、よ
うするに、そのいちばんおもしろかった時代を一緒に駆
け抜けたスタッフが東京に来たと訪ねてくれたのである。
さて、久しぶりの英会話はどんなもんじゃろう。
錆びついてるんじゃないかなァ、、、
と思っていたが全然問題なかった。すらすらべらべらと
はいかないが、そんなのはロンドンにいた頃からそうだ
ったから相手も先刻ご承知で、ゆっくりゆっくり噛みし
めるようなスピードで会話はすすんだ。もちろん錆びつ
いた部分はあったが、Vさんの今の仕事のパートナーの
Aさんがイギリス人のくせに(くせにとは失礼な言い方
だがこの際は褒め言葉)日本語がぺらぺらで、聞いてみ
れば交換留学生で岐阜の高校に留学し、いったん英国に
帰ってのち、今度は英語の先生として浜松の学校で教え
ていたというキャリアの持ち主で、日本語がお上手なの
は当たり前という人でしたから、錆びた部分はその人が
ピカピカに磨いてくれるようでもあり会話はなにもかも
スムーズにすすみ、大いに笑い大いに懐かしみナイスな
時間を過ごすことができたので、さき程までの暗い気持
ちはいつしかどこかへ飛んでいってしまったようである。
ちなみにVさんもAさんもとてもすてきな美人でありま
す。