2010年1月28日
24日の日曜日から
「HOTEI モダンタイムス ロックンロール
パーティー」
が始まって、初日の名古屋に行って来た。
名古屋の日曜日の夜は、行く度に顔をだ寿司屋が休
みで、行く度に顔をだすバー:ISOLAが休みで、
行く度に宿泊するホテルのバーは早めに閉まってし
まうし、名古屋コーチンの絶品のミソ鍋屋も早めに
終わってしまうなどろくなことがないから、ライブ
終了後布袋&バンドの皆さんと楽屋でシャンパンで
お疲れさんとやって新幹線に乗って東京に帰ってき
たが、それにしてもライブがカッコよくて、同乗し
たスタッフと新幹線が東京駅に着くまでの間中ズー
とライブの話をしていた。
ギタリズムVの東京厚生年金会館ライブが終わって、
お客さんに混じって会場を出て新宿駅に向かった某
テレビ局の部長が、
「今日のライブで朝まで酒が飲めるな」
と話ながら帰って行ったファンがいましたよと後日
僕に教えてくれたが、名古屋からの帰りの僕はまっ
たく彼らと同じ気分だったんだ。
ただし、今回のパーティーライブはGVとは味が違
う。まあなんともオシャレな気分になれるライヴで、
ライブタイトルのパーティーとの名づけに感心する。
翌朝、マンションの北側の駐車場脇におおきなテデ
ィーベアの縫いぐるみを両手で抱えている2歳児と
思われるちいさなちいさな女の子がひとりでいた。
そばに誰もいない。
「ママはどこにいるの?」
と声をかけるとあっちと言うばかりで、そのあっち
がどっちかわからない。駐車場の北側の道路は通行
量も少なくない。幼児をひとりしておくには危険だ。
おかあさんが来るまでそばで待つことにした。
「おうちはどこ?」
「・・・・・・・」
「ママはどこ?」
「あっち」
そうかさっき聞いたなこれは・・・。
あまり人見知りしないおんなの児でさいわい泣かれ
はしなかった。しばらく二人で立っていた。この件
に関してわたしは親切心のかたまりであり、組み合
わせもジッチャンと可愛い孫というほほえましい図
でありつつ、双方でなついてないから、見る者によ
ってはヘタをするとわたしはかなり不信な男という
図でもある。朝からまずいなあ・・・早く来ないか
な~と待つこと15分。やっと、むこうの角から若
いおかあさんがキョロキョロあたりを見回しながら
姿をあらわした。おんなの児もよちよちとそちらへ
歩き出した。
お姉チャンを幼稚園バスに乗せて送り出したあと、
同じ幼稚園に通うこどもを持つおかあさん同士で立
ち話に夢中になってこどもが離れたのにも気がつか
なかったようだ。信じられない話だが、しかし、自
分のこどもも忘れるくらいの話っていったいなんだ
ろう。
ハイチのことかな。
日本の教育方針のことかな。
いやいやそうではないかもしれん。
きっと誰かの悪口。これがストレス解消には一番い
いらしいそうだが、まあなにはともあれ、おかあさ
んが登場してよかった。
近所で評判のパン屋で朝飯用のバケットを買って家
に戻ると友人から、憧れた女優の死をしらせるメー
ルが入っっていた。
「惜別」 ジーン・シモンズ。
「スパルタカス」で、カーク・ダグラスの女房役を
演じた。中学生の当時もっとも好きだった女優。作
中、湖で沐浴する場面があり、水面の緩やかな揺れ
に光りが反射し股間のあたりが見えそうで見えない。
もどかしい妄想が中学生の頭をいつまでたっても支
配したもんだ。その時、館内の男客の頭が見える角
度を探って一斉に動いた。ような気がする。
映画音楽「スパルタカスのテーマ」も哀切極まる名
曲。
今は無い秋田市大町1丁目にあった秋田ピカデリー
で70㎜上映された。嗚呼、懐かしい。 Bより。
続いて友人Tからきたメールも惜別の辞だった。
スペンサーシリーズの著者、R・B・パーカー氏が
死去。ベストセラー探偵小説のスペンサーシリーズ
で知られる米作家,ロバート.B.パーカー氏が19日、
マサチューセッツ州ケンブリッジの自宅で死去した。
77歳だった。
死因は明らかにされていない。
ボストン大学の英文学博士号を持つパーカー氏は、
1973年に作家デビュー。
1977年にはスペンサーシリーズ4作目の「約束
の地」で、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞のエド
ガー賞最優秀長編賞を受賞した。
パーカー氏は,1980年代に「私立探偵スペンサー」
としてテレビドラマ化された同シリーズを含め60
を超えるミステリー作品を手掛け、その多くが地元
ボストンを舞台に描かれた。 Tより。
今読みかけている本が一段落したら、またスペンサ
ーシリーズに埋没するとするか。