2010年4月5日
4月3日の土曜日はおふくろを見舞おうとサクラ咲く岡
崎へ。見舞いと云っても80歳を半ばにして頭も意識も
健常そのものだから、元気なおふくろに会いに行くとい
うことである。
東京駅からひかり号にのり、豊橋から名鉄特別特急で東
岡崎へ。先頭車両がパノラマカーの指定席になっていて、
わたしはいつも350円の特別料金を払ってパノラマカ
ーにのる。線路の上を電車が滑るように走り景色が前へ
後へ走り去るこのパースペクティブ感はまさに3D映画
館。これで350円は安いのだ。そんな展望席は子供向
けサービスであると思っているのか、2両目の通常車両
の指定席に乗っている人達がいるのが信じられない。
わたしはこどものころから名鉄特急のパノラマカーが大
好きだった。小学校4年の社会科の教科書に日本の鉄道
・国鉄の話が載っていて、特急の運転手の
「名古屋から併走する名鉄特急の速さにはとてもかなわ
ない」
という話にとても誇らしさを感じたものだった。その誇
るべく名鉄特急が赤い車両のパノラマカーで、その誇ら
しさというのは郷土の誇りといったものだったのかもし
れない。
東岡崎で黒いスーツの呉服屋のYの出迎えをうける。ひ
かり号を降りた豊橋駅のホームに黒服の男が5人にいて、
新幹線から降り立った黒服3人組を、おつかれさまです!
と出迎えていた光景を見たばかりだったので呉服屋のY
の黒服がおかしかった。
へい! Y君よう。今日は週末の土曜日だぜ。黒服はな
いんじゃないかい?
と思ったわたしも黒のスーツだった。
ようお元気?
しばらくだったねえ?
昼にしようじゃないか?
と町中はずれにある蕎麦屋「みやかわ」へ。「みかわや」
ではありません。この店はDDRの安藤さんに教えても
らった老舗の蕎麦屋ではなく近ごろ開かれた新規の店。
「あたらしい店なんですね」
と若いおかみさんに聞くと、
「東京でそば打ちを修行した主人が、都会ではなく田舎
で店を開きたいというので、わたしの実家を改築して
はじめました」という。
都会で育ち都会で修行した若者が田舎で自分の店を開く
というのは、きれいな水と空気と新鮮な素材を求めての
ことだろうが、世の中の価値観が大きく変わろうとして
いるのだろう。しかし、東京ではなく田舎の岡崎のその
また町の外れというか人通りもまったくない村のはずれ
で店を開こうなんて並大抵の度胸ではない。まさに修行
したその腕に自信があってこそのことだと思うので、で
はお手並み拝見させてもらおうじゃないか。通常のそば
と殻をつけたまま挽いた黒みがかったそばをセットにし
た2色そばを食う。香りがぷんぷんとしてなんとまあそ
れはそれは美味いそばでありました。
いやはや麻布のお亀の倅はここで修行せにゃならんな。
とりあえず岡崎に帰ったときに、そばに不自由すること
はなくなったし、そば好きの大野君にわしらが田舎にも
こんなにうまいそば屋があるぜと自慢できるというもの
だ。
そば屋からその田舎道をどんどん山に登ると岡崎総合グ
ランドがあり美術館がある。そこで近代の日本美人画の
特別展を観賞。鏑木清方、竹下夢二など明治大正昭和の
画家による肉筆の美人画は、あの時代のミスユニバース
日本代表を見ているような気分があった。しかし、鏑木
せんせいの描く女性のモデルは皆おなじ人のようで、そ
の顔立ちは知り合いのH嬢にそっくりであった。
絵に描かれた美人達はみな着姿。
この帯のモダンさはどうだ!
金と茶の市松じゃないか!
このちらりと覗く襦袢の柄はなんて派手なんだろう。
この着物は実際にモデルが着ていたのかそれとも画家の
想像の産物なのか。しかし、買うとすれば当時いくらで
現代ならいったいいくらするのかねえ。
などと画の中に息づく美人のみならず着物や襦袢や帯の
値踏みも忘れずに観賞した。次回はYと一緒に和服で観
賞したいものだ。そうすりゃ絵の中と外がぐっと近づく
にちがいない。
美術館をでて町に戻りいつもの珈琲屋へ。
実家に帰りおふくろさんに挨拶をした後は興南高校と日
大三高の選抜高校野球決勝戦を観戦。最後はあれだけミ
スをしなかった日大三高がミスにより負けたのが印象的
だったが、沖縄県の高校が優勝したことはなんだか嬉し
かった。さすがに高校生だけに優勝インタビューで
「普天間基地県外移籍!」
などとは叫ぶものではないから、おかだっちもはとやま
っちも安心したのではないか。
夜は岡崎公園の満開の夜桜見物。
岡崎城、堀、川の土手に桜が満開だった。城の南を流れ
る菅生川は天然の大濠ともいうべき防御上の要点だが、
その河原では夏は花火大会が開催され、春は花見客の為
にというか客を目当てに屋台がずらりと並べられ、市民
の憩いの場所となっている。
屋台の通りは100メートルも続くだろうが、地元には
すでに香具師はいなく、京都大阪静岡、遠くは広島福島
からも出張ってくる。喜多方ラーメン屋、広島風お好み
焼き、富士宮焼きそばなどがそうだろう。めずらしいと
ころでは京都からやってきた焼き栗屋。その名も「京都
式圧力釜焼き栗・おくり」などというのもあった。
にいちゃん2人で忙しく、釜で栗を焼き、試食させ、売
っているが京都弁をつこうてた。写真撮らせてくれない
かと携帯でパチリ。照れたようないい顔をしてくれた。
夜に火が灯った屋台の晴れやかさの中にある淋しさはい
ったいなんだろう。祭りから祭りへと人混みを求めて移
動し一期一会で出会い別れてゆく流浪の民の末裔の人々
の醸し出す哀しさからくるものなのだろうか。さすがに
現代の岡崎公園には、おおいたちと書かれたかんばんに
釣られてテントに入れば大きな板にべっとりと血がつい
ていたり親の因果が子に報いと手の指がくっついた牛娘
の見せ物があったりはなく、テントの中で空中ブランコ
が揺れ巨大な鉄編みの中をモーターバイクが大回転する
木下大サーカスなどの興業もなく、それらすべては昔の
夢と化してしまったけれど、子どもの頃からそういった
興業に生きる人々はいつもどこか遠くの世界から町へや
って来てまた遠くへ去っていっくのだった。その印象は
影絵のようであり、もの悲しく、祭りの真っ最中にも祭
りの後の淋しさが漂っていた。
公園の満開の桜の下を鈴木清順の「喧嘩エレジー」を思
い浮かべながら歩いた。
京都式圧力栗焼き釜で焼いた栗を買ってニューグランド
ホテルのバーに顔をだし土産だよと渡すと、
「お知らせがあります。来週から名古屋のバーで働くこ
とになりました」
とバーテンダーのケンちゃんがいう。親父が亡くなる前
からこのホテルのバーに通ったが、バーテンダーと別れ
るのはこれで3人目である。
1人目はイバちゃんで彼女は30代の若さでこの世を去
った。バーテンダーという仕事をやりたくて女でもでき
ると認められたくてロンドンやスコットランドまで修行
に行き、やっと岡崎ニューグランドホテルのバーにイバ
ありとその存在を知られてきたある夏の日、彼氏に会い
に大阪まで車を飛ばし事故死してしまった。
2番目はイバちゃんの弟子のアンドー。彼女は学生バー
テンダーだったから去年卒業して岡崎を離れた。そして
イバちゃんの最後の弟子のケンちゃんもこのバーを去る
という。これでこのバーの知り合いは誰もいなくなって
しまうのだ。みんな、桜が散るように去っていくんだな
と思った。