2010年8月24日
煙草をやめて持て余すことになった時間を珈琲に使いだ
して半年以上が経つ。昔から珈琲は好きで、宮益坂にあ
った珈琲専門店BUNは渋谷で人と待ち合わせる時の店
で、店のオリジナル、タラコのトースト・コッドロート
ーストは絶品でした。英国へ行くことになって、英国名
物のフィッシュ&チップスに使われる白身のフィッシュ
はタラで、英語でタラはコッドローと云うんだとイギリ
ス人に教えられたとき、それは知ってると答えたが、そ
もそもは、BUNのトーストで知ったものでした。
この店は道玄坂にもあり、百軒町や恋文横町へ出かける
ときはこちらのBUNだった。と思ったが記憶が違って
いた。彼女と待ち合わせるときは宮益坂で大学の同級生
など男との待ち合わせは道玄坂だった。きっと連中と出
かけた麻雀荘や飲み屋やレコード店が道玄坂の方が多か
ったからだと思う。そのうえ、道玄坂近くには丸山町の
連れ込みホテル街があり、彼女に、
「そんな下心はありません」
と証明するには近寄らない方がよかったのである。した
がって彼女とそういった出来事に向かうことはなかった
がそれが良かったのかそうでなかったのか、今となれば
惜しくもあり、どちらでも良しでもある。
学生街の喫茶店という歌が大ヒットしていた時代のこと
で、学生や会社員の男達は誰でもいきつけの喫茶店のひ
とつやふたつは持っているもので、またそれが世の大人
の男というものでもあった。それは学生街にある名曲喫
茶だったり、盛り場にあるジャズ喫茶だったり、軽井沢
にある珈琲専門店茜屋だったり、原宿のレオンだったり、
熱海の渚だったり、通天閣の路地の角のオバチャンがや
っているモーニングにゆで卵が2ついてくるマリリンだ
ったり、岡﨑の阿蘭若だったりと人それぞれだったが、
とにかく、男が高校を卒業し親離れして一人の男子とし
て世に出れば、珈琲で人と出会う場所を決めることにな
っているようで、それから、酒で人と出会う自分の場所
を決めてゆくという順番みたいなものがあった。
珈琲屋には、コーヒーが収穫できるコーヒーベルトとい
われる赤道を挟んだ緯度南北20度の地帯の人文地理に
くわしいマスターがいて、
「栗鼠の糞という珈琲を知ってるかい?」
とスマトラ島の山奥の珈琲畑とその所有者のオランダ国
の女王と東インド会社との関係を蘊蓄してくれ、その話
は高校で習う世界史の授業より遥かに人間の歴史だった
り、
「やっぱりミンガスだな」
と、モダンジャズの歴史で一番重要な役割を果たしたプ
レイヤーはチャーリー・ミンガスで、その「直立猿人」
はなんと言っても最高峰でもし無人島に1枚だけ持って
行けるアルバムを選べといわれればこれしかない! と
いつも言っていたとおり、どんな理由があったか知らな
いが失踪するように新宿から姿を消したその後にそのレ
コードだけなくなっていたジャズ喫茶のマスターや、
「あんた。女にはだまされちゃいけないよ。こわいから
気をつけるんだよ」
と誰であれ店に入ってきた若い男にはいつもそう声をか
けていたママがいた浅草の喫茶店などがあった。
女の怖さを知ることになるのはそれから何年も後のこと
だったし、直立猿人がそれほど素晴らしいアルバムであ
ると心から知るようになるのはほんの数年前のことだし、
中南米・東南アジア・アフリカの歴史を理解できるよう
になったのもやはり最近のことで、長い間かかって知る
人生のたいせつな物を教えてくれた親切な人々がいた時
代に生きたことをいまさらながら良かったと思う。
今の日本はどんな国でしょうか? と問われれば、
そういう親切な人々がいなくなってしまった国ですと答
えるのだが、それはそれとして、珈琲のことであります。
若い頃から珈琲が好きでしたといっても、キリマンジャ
ロもブルーマウンテンもモカもマンダリンもどう違うか
わからない。それはポルシェとフェラーリほど違うのか、
コスモ石油とゼネラル石油のハイオクの違いという近似
値のものなのかもわからない。右も左もわからないから
と数種類の豆を挽いてもらって毎日飲み分けていた。
無くなればいちいちまた買いに行くというのも面倒だと
それぞれ200㌘ずつ挽いてもらって飲んでいた。とこ
ろが、密閉容器に入れ冷蔵庫で保管しても3週間もする
ととたんに香りが無くなった。どんなに厳重に保管して
も挽いた後は長く保たないのである。それではと焙煎し
た珈琲豆を買ってきて自分で挽いて飲むようにすると、
あんた、まあ、これが香り高く美味いじゃありませんか。
で、ブルーマウンテン(岡﨑の呉服屋のYは、えーとあ
の高い山で獲れたやつと注文してダンケ=岡﨑に古くか
らある珈琲専門店のママに笑われてた)とハワイアンコ
ナを買ってきて、やはり冷暗所で保管して取りだしては
挽いて飲んでいたら、次に、珈琲は焙煎したら3日以内
に挽いて飲まなければイケマセンという人が現れた。
スピーカーの事で聞くことがあって元IRC2スタジオ
のマネージャーに電話した際マネージャーに珈琲のこと
を聞いてみると、この人は新潟の出身の人で、新米も精
米しては保ちません、実家から送ってくる米は食べる分
だけ精米しますと言ってたから、やはり、飲む分だけ焙
煎して、それを挽いて飲むのが筋だろうと納得した。筋
はそれで通るのだが、生豆と焙煎機はどこで手に入れれ
ばいいのだろう。
名古屋に出かけたとき、俳句会系仲間であるの尾張堂さ
んに相談してみると、
「いつも行くクリーニング屋の隣に珈琲豆の卸屋があり
ましたなァ。クリーニング屋に珈琲屋の電話番号聞い
てみましょう」
と電話をかけてくれた。クリーニング屋のオヤジは、
「隣に電話かけたことがありませんので番号は知りませ
んのでちょいと聞いてきますわ」
と隣に一走りしてくれた。
その珈琲問屋ダイア珈琲店で焙煎機と生の豆が手に入り、
ご主人から焙煎方法も伝授してもらうことができたのだ
から、先ほど親切な人々が日本中からいなくなったと書
いたが訂正します。名古屋にはそういう人々がおりまし
たです。
今朝はMGの馴らし運転をし、ブルーマウンテンを18
分ほど煎って、冷まし(これがミソであります)、ミル
でガリガリと手挽き、究極の一杯を飲んで、会社に来た。
挽き立ての珈琲からは豆を煎った独特のいい香りがする。
暑い夏は続いているが、珈琲は格段と美味くなった。