2011年3月17日
仰げば尊し我が師の恩、、、、
教えの庭にも早幾とせ、、、、
この歌を歌うと泣けた。歌を聞くだけで涙がでた。
この歌が歌われる卒業のシーズンだが慶応大学は卒業式
を取りやめたと聞いた。卒業生から、式に係る経費があ
ればその分を被災地への支援金として欲しいと多くの学
生から申し込みがあってそうなったようだ。
多分、慶応大学といえど就職率は50%程度ではないか
と想像するが(アメリカの多くの名門大学でも就職率は
平均すると30%程度だとの報道に依る、の想像だが)、
自分の目先の心配よりもまずは被災地の人々への思いや
りを先行させるというこの態度は正しい。若者だけに清
々しい思いさえする。
しかし、この歌で思いっきり泣くという経験も人生の節
目として大切な一瞬だとも思うから、大学での式は取り
やめても学生諸君は個人個人でこの歌を歌い
「我が師の恩」
を尊んで欲しい。
ついでに泣きなさい。泣いて心を洗い流しなさい。
泣きたいと言えば、福島原発が危機的な状況に向かいつ
つある。まずは何が起こったか検証すると、
◎2011年3月11日金曜日。地震発生時。
電気系統停止で制御不能になり、核燃料を冷やす水位が
低下。◎2011年3月12日土曜日。午前。
原子炉内で、燃料の露出と溶融(*)がはじまり圧力と
温度が上昇。
◎2011年3月12日土曜日。午後。
蒸発した水素により建屋が吹き飛ぶ。
(*)炉心溶融(メトルダウン)
原子炉に装荷された核燃料が、冷却水の喪失などが原因
で高温となり、燃料自体を溶かしてしまう現象。
最悪の場合、原子炉圧力容器や原子炉建屋といっ
た構造物も破壊し、外部に放射性物質を大量に放出する
恐れもある。
と言うことだから、
建屋が爆発した地震発生の翌日の3月12日の午後には
最悪の状況を迎えたまま発生から1週間が過ぎたのだ。
!!!!!!??????!!!!!
アメリカ政府、フランス政府も日本に滞在する自国民に
全員日本脱出までは下してないが、80㎞圏外への退去
は命じた。さもありなん。
懸命の処置に世界中の目が集まっている。
ドイツベルリンの仲間からもエールメールが届いている
が、その文面からは、彼らの意識が地震による津波がも
たらした大災害への心からの同情と支援から原発事故に
よる放射能汚染への恐怖へと急激に変化しているのが確
実に読み取れる。
がんばれ東京電力!
がんばれ日本の知力!
日本政府・東京電力の仕事如何では21世紀の世界が大
きく変わってしまうだろう。
原発がテロの標的になったとしたら。
対処はどうあるべきか。
人類を救えるのか。まったく無力であるのか。
も、福島原発事故処理で検証されるのだ。
追申
3月11日出張で生まれて初めて仙台を訪れた義弟の安
否が2日間不明だったが、日曜日にいきなり山形に現れ、
翌月曜日無事大阪に帰還した。
「帰ってきました」とメールが入ったから、
土産は買ってこなかったか?と返信すると、
「仙台駅到着15分後に被災。牛タンの看板も見る余裕
なく、避難所二泊三日の旅でした」
と報告メールが返ったから、
被災地の写メールあらばオクレと再返信すれば、
「仙台市内から名取市の避難所に飛び込むように収容さ
れましたが、夕食にひとりに3個の笹カマボコが配ら
れさすが仙台と感心しました。そのひとつを翌日分に
と残し、山形に脱出でした。人々の励まし合う勇気と
元気には出合いましたが悲惨な被災地の映像はありま
せん」
と再々返信が届いた。