2011年3月25日
知人のバーテンダーが今月の20日誕生日だったらしい。
バーへ出かければウイスキーのハイボールを頼む折りに
でも、
「誕生日おめでとう」
と声をかければすむんだが酒を飲まなくなってしまった
からもうでかけない。声のかけようが無いからメールで
おめでとうと送ると、
「わたしの誕生日は人に忘れられるためにある」
とシュルリアリズム宣言のような返信が来た。
バーテンダーはコーヒー仲間でもあるから小型焙煎器を
プレゼントしてやろうと浅草カッパ橋商店街ユニオンへ
向かおうと上野駅に降りると通路の壁に、
というシュルリアリズム展のポスターが貼られていた。
よく見ると駅の構内には美術展のポスターがあちこちに
貼られている。さすが上野。芸術の森である。他の駅で
はこうならない。
上野の国立博物館の4月は「写楽」だと。
活動期間9ヶ月。作品140点を残し忽然と姿を消した
謎の絵師。写楽だと。
しかし「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」のデカ顔がB倍の
ポスターとなってドン! と目の前に現れると迫力があ
りすぎます。写楽の本物はどのくらいの大きさなのか。
たぶん、小さな絵だと想像する。
一度本物を拝みたいものだがその前にゴッホだ。
東京、福岡と見落として4月10日までの名古屋を見落
とすといよいよアムスに行くことになるぞ!
とAにメールすると「超行きたいが動きとれず」の返信。
単独行動するか、、、だが、その前にコーヒー機具だ。
上野駅からタクシーに乗り2メーターほどで西浅草かっ
ぱ橋商店街。そのど真ん中にユニオンはあった。かっぱ
橋商店街を歩きながら、
「この商店街から一本入った路地に浅草では珍しくカウ
ンターバーあってジャズが流れていて、女を誘ってよ
く飲みに出かけたものです。
あの店はどこにありましたんでしたっけ?
数年前から飲まなくなって当時のことは遠い昔のこと
のようです。コーヒー機具を捜しに来たんですがそん
なこと思いだしました」
と地元のYに仁義を切ってメールを入れたが返信はなか
った。そのバーを紹介してくれたTは浅草生まれではな
かったが、
「いい物はすぐになくなってしまうんだ」
と上野、鶯谷、浅草、両国、森下と下町の隠れた名店を
次から次へと教えてくれたが、そのTも3年前に亡くな
ってしまった。すぐ無くなるものは物だけではない。
人も金もだ。
「酸味がきいたブレンドを作りたいのです。どの豆を中
心にしたらいいですか?」
ユニオンの店主からブレンドの仕方について教えてもら
います。
「酸味が好きならブレンドではなくケニア一本でやった
らどうです。酸味を追求するならブレンドしないほう
がいいです」
そこでケニア・モカを1㎏買って焙煎器とそえて誕生日
プレゼントにすることにし、買い物終了。
上野駅に戻ると昼時で腹が空いた。
ところが、駅構内はベックスコーヒーとかハードロック
カフェとかパンのアンデルセンとかフルーツパーラーと
かカタカナの店ばかり。安手の青山三丁目みたいでちっ
とも上野らしくない。
俺は駅の地下通路に駅前食堂と書かれた薄汚れた暖簾が
かかっている店で鯖ミソ定食を食いたいんだよ!
と叫んでもそんな店は今はどこにもありません。
今は、入る列車も故郷の香りは乗せていないのです。
初めて仙台に行った時のこと。たまたま同じ事務所のバ
ンドと電車で乗り合わせたが、そのバンドのマネージャ
ーのK先輩がジリジリジリ、、、と発車のベルが響く中、
フェンダーのギターアンプを担ぎ階段を駆け上がって乗
りこむ姿を見た。マネージャーってアンプ担いで走らな
きゃならないんだと思ったものでした。
東北仙台は愛知県で青少年期をすごし、東京でやっと仕
事をし始めたわたしにはあまりにも遠い町。でも行って
みるとそこは杜の都、美しい町で定禅寺通りの裏に10
坪ほどのちいさな店で初めて食った海鞘があまりにも美
味しくて、店の亭主もおかみさんも丁寧な東北訛りがち
ゃんと残っていて、みちのくと言う言葉におおいなる旅
情を感じたものでした。
その香りを東北本線が上野駅まで運んできたのです。
乗ってきた列車が上野駅に着いたあの日から
「くじけちゃならない人生がはじまった」
という歌があったが、安手の青山三丁目になってしまっ
た上野駅にはもう故郷の香りはありませんでした。