亡き友に捧ぐ
12月19日に「これからはラジオがおもしろいぞ」と書きま
したが、我が青春のラジオの思い出がひとつ終焉した。
12月12日。浅野啓児逝去。享年56歳。
長渕剛がオールナイトニッポンの2部から1部へ昇格し、曲も
ヒットしだして、コンサートも絶好調になりはじめた頃のオー
ルナイトニッポンの担当ディレクター。
オールナイトニッポン終了後も、長渕の番組を作り続けてくれ、
ディレクターとマネージャーという関係ではなく、年も近かっ
たせいもあり学生時代の友人、のような感覚で彼とは仕事をし
ていた。
いつも、柔らかくはにかみながら駄じゃれまじりで話題を提供
していた。何かしらの妙案を思いつき、それを人に言う前に自
分でニッと笑っていた企画小僧ぶりを思い出す。
いつだったかなあ。今度の打ち合わせは、天気が良ければニッ
ポン放送の近くにある日比谷公園でやらないかと彼が言い出し、
ベンチで彼がニコニコ顔で待っていた。天気がいい日はこんな
風に打ち合わせができるといいねと彼は自分のアイデアを楽し
んでいた。牛乳とアンパンを二人で分け合って食べ打ち合わせ
をしたが、番組の件でモメにモメてしまい、せっかくの野外打
ち合わせは口論の末、物別れになった事があって、それからは、
2度と外でやろうと言い出さなかったなあ。
26日に執り行われた「お別れの会」の発起人には、タモリさ
んや高田文夫さん、吉田拓郎さん、南こうせつさん、TUBE、
THE ALFEEの皆さんが名を列ねた。また、共にラジオの時代を
過ごした数々の音楽事務所の代表者、放送関係者が浅野さんと
のお別れ会に集合した。
代表して弔辞を述べられた人の逸話の中に登場する浅野さんは、
どれもこれも自分が知っている彼で、浅野さんが多くの人の中
に今も生き続けていることを感じたが、献花になり、最初にお
花を捧げた年老いた彼の母が、
「啓ちゃん。なぜあなたは逝ってしまったの、、、」
と遺影に語りかけ泣き崩れた時、末っ子に先立たれた母の悲し
みが会場にあふれ、水を打ったような沈黙が流れ、彼がもうこ
の世にいないことを実感した。