団子3兄弟
1月21日の昨日は、東京に大雪が降り、宮崎から戻れなかった。
宮崎のホテルでシャワーを浴び、朝食を食べそろそろチェックア
ウトをするかと身支度を整えている時にかみさんからメールが入
った。送られてきた写真には、家のベランダの椅子やテーブルに
メロンパンくらいの厚さの雪が積もっていた。
宮崎空港に問い合わせると、7時台の朝一便は東京に飛び立った
が、その次の9時台の便は1時間ほど出発が遅れているとのこと。
そして機上予定の12時10分発の東京行き608便は現在は何
もかも未定であるとのこと。
飛ばないかもな、、、、と思いつつ宮崎空港へ向かった。
空港についてみると、もうすこし詳しいことが分かった。
遅れている9時台の便は、遅れているのではなくいったん宮崎空
港を羽田に向け飛び立ったが、羽田の注機スポットが確保できな
いということで途中で引き返してきて現在宮崎空港内で待機中の
状態だった。
そして、搭乗予定の608便は使用機がそもそもまだ羽田から飛
び立つことができず、今後の予定は全く不明で搭乗手続きすら中
止状態であることが分かった。
さて、いかがしたものだろうかと思案したが、半日も空港ロビー
のベンチで飛ぶか飛ばないか分からないものを待ち続けるのも馬
鹿らしい。翌日の608便の予約をし今日のホテルを確保し、さ
っさと宮崎市内へもどった。
ホテルにチェックインすると、どこでどう聞いたものか、Kさん
とMさんから食事でもいかがですかと誘いの電話が入った。
「宮崎に来てもいつも忙しくてゆっくり会える時間も取れやしな
いじゃないですか。今夜はゆっくりできるんでしょう?いや、
めでたいことですな、雪さまさまですな。新年会やりましょう」
と東京へ帰れなかったことを二人ともとても喜んでくれた。
夕方Mさんの紹介の寿司屋に集合し食事会。初めていった店だっ
たが、うまい寿司屋だった。宮城県気仙沼あたりで上がる蟹でミ
ソがいけます。いかがですかとすすめられた蟹がうまかった。
握りも酢飯がほどよくさっぱりしていてネタの味が生きていてう
まかった。酢と甘みのくどい酢飯は口の中でべタつく感じがして
好きではないから、これ又合格。
焼酎は、店で奨められた霧島のお湯割りだったが、Mさんは鹿児
島出身の人らしく、霧島じゃないト別のものをくれんネ。といっ
てなにか別の焼酎を飲んでいた。
Kさんは2才年上でMさんは2才年下だから、この仲の良い3人
は、兄弟でいえば長男がKさんで私が次男。Mさんは末っ子の三
男という関係になる。宮崎弁で末っ子はシャチンボという。舎弟
からの訛りらしい。
この団子3兄弟は寿司屋のあと、繁華街へくりだした。
Kさんに連れていってもらった或る店では、兄弟だというと、
「3人とも全然似てないですよ。ほんとに兄弟なんですか?」
と、店のネエちゃん達に疑わしい目で見られたが、
「あー種ちがいで腹ちがいだがホントだ。この3人が顔あわせる
のは死んだ親父の葬式以来で40年ぶりだ」
「ほんと子供の頃以来ですね兄さんたち。僕は今日は嬉しい!」
とシャチンボが煽りを入れると、心優しいネエさんなどは、いろ
いろなことがあったんですねえ。そんなことがありながら仲がい
いんですねえとしんみり同情さえしてくれた。
それぞれのルックスから職業は、長男は町会議員、次男はポルノ
映画の監督、三男坊はインテリアデザイナーと言ったら、ここで
また疑いの目で見られたが、最後は本気にされたようで、
「ああいう映画に出る女性の気が知れないんですがどうやって出
演を交渉するのですか」
「弟さんがそういう仕事をしていても町会議員は大丈夫なんです
か」
などと聞かれてしまって、この団子3兄弟、ほんとに困った者ど
もだったな。
二人と別れてホテルに戻るとニュースで当日実施されたセンター
試験のことが報道されていた。そうだった!今日は倅が東京で試
験を受けていたんだ。雪は大丈夫だったかなと今さら気をもんで
もどうにもなるものでもないし、初めていった寿司屋で合格続き
だったから倅も合格できるだろうと呑気にかまえ、Mさんから寝
る前にこれ飲んでおきなさいよ兄ちゃん、といって手渡されたク
エン酸を飲んで寝た。