2006年12月7日
南太平洋のフィージー諸島でクーデターが発生した。
12月7日の新聞の朝刊によると、全権を掌握したバイ
ニマラマ軍司令官は5日、ガラセ首相を解任し、6日、
全島に常事態宣言し、国会を解散し、放送局、新聞社な
どのメディアを傘下に置いた。と報道されている。
あの天国のような牧歌的な南の島で軍部がクーデターを
起こすなんてとても信じられない。島で出会った人々の
笑顔がいまだに記憶に残っている。
なんで?
問題はあったとしても上手く仲良くやってたじゃないか。
あの平和を愛する自然人のような人々がなぜ争っている
のか?
記事には、ここに至った背景が簡略に書かれていたが、
それによると、経済を牛耳るインドからの移民の勢力と
元々の先住民との間の確執によるものらしい。
たしかにインド人はフィージーに多く住んでいる。イギ
リスの植民地であったフィージーに、イギリスは労働力
として同じく植民地であったインドから人を入植させ近
代的経済を起こした。そして、その移民の子は、2代3
代と代を経る事により、フィージー諸島そのものは彼等
の祖先の地となり、今や彼等の故郷である。イギリスが
統治していた時代は、それでも人種間の均衡はかろうじ
て保たれたのであろう。だが、その時代も過ぎ去って半
世紀経つ。
かってイギリスに人種差別されたインド人は、近代経済
に不適な原住民を差別する側に回り、イギリスからの解
放の後は、おなじ差別民同士に被差別民と差別民が同居
するという差別のドミノがのこり、深く人々の精神に潜
行し、現在にいたっているのである。それが確執の根源
的な原因であるとすれば、あまりにも悲しい。
しかも、もともと島に暮らしていた人々は、近代経済に
馴染んでいないというだけで、太古の昔から広い南太平
洋を舞台に活躍した誇り高き南海の勇者である。
それでも、わたくし達がフィージーを訪れた25年程前
は、やっと観光に力を入れだしたという時代で、人々は
あくまでも牧歌的で、天国に一番近い島と呼ばれたタヒ
チと並ぶ南海の楽園であった。
「糟谷。今度結婚することにしたが、新婚旅行はフィー
ジーに行こうと思う。南海の薬園なんかこういう機会
でもないと行けないからなァ。それで早速旅行代理店
に申し込んできたんだが、日本とフィージーには定期
路線がひかれてなくて、チャーター機でしか行けない
と言っている。でなければ、日本からオーストラリア
のシドニーへ飛び、そこからは地元便に乗り換えニュ
ージーランドを経由して島づたいに、まるでバスのよ
うにフィージーまでたどりつく方法らしい。それだと
何時間かかるかわからない。新婚旅行とはいえせいぜ
い休めて1週間だ。そこで相談だがな。ちょうど日航
がチャーター機を飛ばすらしい。あと14名集まれば
飛ばせるらしい。で、何人かは話がついた。あと1人
か2人で申し込める。糟谷。お前もいっしょについて
こないか。フィージーはいいところだぞ。お前等が来
てくれないと俺等夫婦はフィージーには行けないんだ。
たのむ」
とJ先輩から誘われ、ギタリストのI夫妻、作曲家のU
夫妻、G社長、編曲家のS氏、友人のHさんとEさん、
バーテンダーのBと糟谷と新婚夫婦でなんとか13名を
構成し旅行代理店に申しこみをした。ひょんなことから
J先輩の新婚旅行につき合うかたちでフィージーに行く
ことになった。