2006年12月11日
いざ。フィージーへ。
早朝。羽田からチャーター機は飛んだ。
季節はいつのころだったのかまったく記憶がもどらない。
いずれにせよ日本とは季節が逆転する南太平洋フィージ
ー諸島で真っ黒に日焼けしたから、日本は冬場のことだ
ったのかもしれない。
いや。あのあたりは南海の楽園で1年中太陽はサンサン
と降りそそぐのかもしれないので、春だったかもしれな
いし、秋だったのかもしれないが、忘れてしまっている。
ただし、担当の旅行会社の添乗員がヤな感じのおとこで、
なんだいまったくゥ、ちゃらちゃらしやがってよゥ、と
いう印象の若造ふたり組であったことは憶えている。
3時間後。グアムで給油の為に途中下車。
旅行に行く直前に観たアメリカ映画で、おとこがトイレ
で大をしているところを襲われてぼこぼこにされ金を奪
われる。やられた奴がパンツずり上げながら、待てー!
と後を追っかける姿が無様で思わず笑ったが、映画の中
のトイレはドアがなく、箱に仕切られただけのオープン
便座だった。そういえば、パルプ・フィクションのジョ
ン・トラボルタも、鼻歌交じりで脱糞してるところを殺
られたな。
グアムの空港内の施設は、エアーポートというよりも空
軍の施設のようなシンプルさで、さすがにオープン脱糞
スタイルではなくトイレにドアはあったが、その大きさ
は普通の半分ほどの、便座に腰かけるとちょうど目の前
が外から遮蔽されているというもので、ずり降ろしたズ
ボンとパンツが足下にかたまっているのが外からみえて、
ドアをノックする必要がないものだった。スカスカして
なんだか落ち着かなかったが、トイレで沈思黙考・考え
る人にとっては、ノックで邪魔されないのは幸いとも云
えようか。
9時間後。ナンディー国際空港着。
日本からまるまる4時間ほどかかって、フィージー着。
湿気が多くむんむんとした夜だった。町のホテルで1泊。
この日は寝るだけ。新婚夫婦には意味のある1泊だが、
追っかけ連にはただ寝るだけの夜。
翌日は、バスで海岸線のバンガロースタイルのホテルに
移る。特に観光をする訳でもなくただ食って寝て散歩し
て本を読んで過ごす。来ただけで、まだ旅は始まってい
ない感じの1日。時差はないからその分は楽だった。
その翌日。
島に渡ってアイランドホテルに移る。島そのものがホテ
ルの所有地で、このあたりからやっと南海の楽園的な出
来事が始まった。
部屋の前がそのままビーチで同室のBとひがな海で遊ん
だ。沖の環状の珊瑚礁にかこまれたしずかな遠浅の海で、
小岩の陰に熱帯魚がうようよいた。部屋にあったおおき
な水差しを金魚鉢にみたて魚を追った。手でつかもうと
しても捕まらない。竿も針も糸もない我々は、頭をひね
ってバスタオルで魚をつかまえることにした。
足で魚を追い立て小岩のかげに追い込む。この小岩は珊
瑚礁のかけらみたいなもので穴がぼこぼこと空いていて、
ちいさな魚はその穴に逃げ込むので、追い込んだ後で一
人がその岩をヨイショ!っと持ち上げると、その穴から
水がこぼれ落ちる。こざかなもこぼれ落ちる。もう一人
が素早くバスタオルでこぼれ落ちる魚を受け生け捕る。
獲れたさかなは水差しに入れ、金魚鉢とするのである。
小岩を持ち上げるのはきつい仕事なので、岩係とバスタ
オル係を交代でやる。午後一杯、こざかな獲りに興じて
部屋に戻ると、隣の部屋の住人がベランダ越しに声をか
けてきた。
「ナニ、ヤッテマシタ?」
「さかなとってました」
「ドーヤッテ、トリマシタカ?」
というので、Bとふたりでジェスチャーで重い岩を持ち
上げる振りをして、こぼれ落ちるさかなをバスタオルで
受けるんだ、と身振り手振りで説明すると、その恰好が
余程可笑しかったらしく、隣の老夫婦は腹をかかえて笑
った。Bは今でも英語音痴なのだが、わたくしは学生時
代からカタコトの英語は喋った。
真っ黒に日焼けしたアジア系の男が二人で一心不乱にさ
かなを獲っている様子が、遠くから見ると現地の子供が
漁をしているように見えたらしい。
「シマノコダトオモッテマシタ。トナリノヘヤノカンコ
ウキャクダッタノデスネー」
とまた笑った。
カナダから来た老夫婦でリタイアの後、南太平洋の島々
を渡り歩く旅をしていて、どのくらいになりますか?と
聞くと、カナダを出てそろそろ1年になりますと言う。
アナタタチハ?と聞くから、1週間くらいでもどります
と答えると、エー!コンナラクエンニ、イッシュウカン
シカイナインデスカア。と呆れたような顔をしていたな。
そのころフィージーでは、日本ではとっくにリバイバル
作品となっていたブルース・リー主演の「燃えよドラゴ
ン」が封切られたばかりで、島中の若者が、カラテに熱
中していて大ブームになっていた。
このホテルにはブラック・マリン・バーという桟橋のよ
うに海に突き出したバーが有名で、われわれは毎晩その
バーで飲んだくれていた。Bは浴衣を着て飲んでいた。
アレハダレダ?とバーテンダーに聞かれたから、戯れに
あの方はカラテマスターであると答えると、翌日から、
われわれは、ホテルのスタッフからカラテマスターと呼
ばれ始め、尊敬の目でもって見られるようになった。
バーで機嫌良く飲んでいると、噂を聞きつけた島の若者
が、オテアワセネガイタイと他流試合を申し込んで来る
者もいた。
「糟谷。お前が俺をカラテマスターなどといい加減なこ
とを言うからこんなことになる。マスターは試合はし
ない。どーしてもと言うなら自分が相手になろうと答
えろ」
とBは言う。ナンで俺が試合をしなけりゃならんのだ。
しかしBの言うとおり元をつくったのは俺だ。しかたな
いので「燃えよドラゴン」の1シーンを再現し、断った。
映画では、マスターのブルース・リーに若者が教えを乞
うシーンがある。
若者が問う。空手とはなんぞやと。
マスターは、空を指さす。
若者が空を見上げ、ナンノコトヤラと首をかしげると、
マスターは若者の頭を軽くぴしゃりとたたき、
「ウエイ トゥ ザ ムーン(月に至る道である)」
と答えるのであるから、わたくしはこれをやった。
ホホー!カラテトハ、ツキニイタルミチへの修行であっ
たのか。ホ言えばよゥ。ブルース・リーも映画でそう言
ってたぞォ。
と、ますますカラテマスターの名声はホテル中に響き渡
ったのであった。