2007年3月30日
桜が一気に満開になった東京。
近くの公園では、茣蓙、むしろ、ビニールシートなど敷き、
車座になり、花の下で宴会をやっていました。なかに、ご近
所の外国人一家の宴会もありました。浮かれますなあ洋の東
西を問わずこの時期は。花を愛でについ夜歩きをしたくなる
のが人情ですが、ちょいとお気をつけあそばせ。
若い頃からの友人で、最近はご無沙汰の某の目撃談が流れて
きました。某とOとNとわたくしは共通の友人で、たまたま
Oが深夜、都内の或る町を歩いていたところ、某によく似た
男が前を歩いていて、横町を曲がって、さる邸宅に入ってい
った。あの後ろ姿は某に間違いない。という目撃談です。
この話は、OからNに、Nからわたくしに伝わった話です。
夜の町を涼やかに歩き、さる邸宅に身を潜める某のドンファ
ンぶりがいかにも匂う話ではあるが、わたくしには、その話
の合点がいきませんでした。そこでNに、
「某はともかくも、そもそも、なしてOは、その都内某所を
深夜歩いていたのだろう」と書き送ると、Nからの返事は
こうであった。
その昔、甲州街道沿いの或る町で葉巻方UFOを目撃したと
いう男あり、微に入り細に入り様子を語れど、その友人曰く、
「汝、何故夜中にその町に?」
助平が一件露呈したる何ぞ悲しき・・・。
ということですから、花に浮かれ、夜歩きなどするとひょん
なことから、助平が露呈しかねない春の宵でありましょうか。
くれぐれも、お気をつけあそばせ。
というわけで、夜歩きをしないように「ロング・グッドバイ
」を読み続けることにする。北京から、旅行には不適当なこ
のくそ重い長編を持ちこみ読んでいるとメールが入っていた。
当方、北京のヴィクターズにいますというタイトルだった。
おかげで夜遊びが減っていますとも書き添えてあった。
わたくしは東京で、この村上訳の長編を半分読んだところで、
清水訳の同じ本を読みかえしている。なんでそんな読み方を
しているのかは、自分でも説明がつかない。そうこうしてる
内に、チャンドラーの「大いなる眠り」の続編とも云うべき
作品を、チャンドラーの死後、ロバート・B・パーカーが書
いたという作品も手に入れ、これも読んでいる。なぜまたそ
んな読み方をしているのかも自分では説明がつかないが、た
だ、3つの本を読んでいる内に、私立探偵像だけは浮かび上
がってきたように思える。要するに、時代遅れの男だという
ことだ。夜中に人が泣き叫ぶ声がする。マーロウは何があっ
たんだろうかとその声を聞く。たいがいの男は、窓を閉め、
テレビの音を大きくしその声が訴えているものから遠ざかる。
また別の男は、近くを通りかかったなら、アクセルをふかし
て逃げるように遠ざかることだろう。マーロウはそうではな
い。都会の中で生活する人々が様々な事件に否応なしに巻き
込まれて行くことに無関心ではいられないのだ。そこが、こ
のロング・グッドバイの都会の物語のゆえんなのだ。要する
に時代遅れの男の物語なのである。わたくしも都会の夜に人
を呼ぶ声に耳をかたむけるべく、一人部屋にこもり、この長
編とつき合っているのである。こうしていれば、Oに後ろ姿
を見られることもないのだ。