2007年4月6日
ついに無謀な試みに手を出してしまった。
村上春樹訳のチャンドラーの「ロング・グッドバイ」と
清水俊二訳の「長いお別れ」を交互に読み比べ、両方と
も読み終え、清水版のあとがきも、村上版の村上春樹自
身の書いたあとがきも読み終え、とうとうと云うかつい
にと云うか、「ロング・グッドバイ」の原書を読み始め
てしまったのだ。
わたくしは英語は少々話す。酒が入れば英語でジョーク
のひとつやふたつはかます。相手にジョークの寓意が伝
わらなくても、この人はイギリス人のくせしてセンスは
イマイチなんだろうかと疑ってかかるほど、厚顔無恥で
ある。ドイツ人の英語の話だからあまりあてにならない
が、そのドイツ人は「カスヤは酒が入ると英語が上手い
ね」とドイツ訛りの英語で褒めてくれるのである。
ところが、読み書きは・・・・・まったく苦手である。
ロンドンの友人から来る英語メールも短いのはなんとか
読むが、長いのになると、見ただけでギブアップする。
隣のデスクに座っているT・Kさんに「よろしく!」と
訳をおねがいするのである。その、わたくしが英語で物
語を読もうというのだから、無謀でありましょう。
そうではあっても、わたくしの手元には、清水訳と村上
訳という強い味方がいる。しかも、この2冊は時間をか
け交互に読み比べただけではなく、この2週間で2回づ
つ読んで、すっかりとはいかないが、おおかたのあらす
じとキモの科白は頭に入っている。英語の読み書きは無
免許運転的ではあるが、あたかも、清水・村上という教
官を隣に乗ってもらって教習所内の敷地を運転する如し
である。そう考えたわたくしはさっそく原書をにらみな
がら片わらに村上訳・清水訳をひらきながら、かかんに
挑戦を始めたのである。
へーそうか。清水さんはこう訳したか。
なるほどねえ。村上さんは翻訳家ではなく小説家である
から、こう捉え、そう表現したか。などなど等々。いち
いちおもしろい。まるで図書館に通う学生の如しである。
ひとつ、難点があるとすれば、読むのに時間がやたらか
かることである。わたくしは会社で仕事をし、また音楽
業界団体の仕事もしなければならない。家に帰れば一家
の長として、ゴミを捨てに行かなければならないし、子
供に悩みがあれば聞かなければならない。かみさんの小
言も聞かなければならない。英語本など唸りながら読ん
でいる没頭しているヒマはないのである。無謀というの
はそのことで、仕事が滞ったら、「ロング・グッドバイ」
を原書で読んでいたからだと云われるんだろう。家庭が
上手くいかなくなったら、「ロング・グッドバイ」を原
書で読んでいたからだと云われるんだろう。
ということは・・・・
諸悪の根源は「ロング・グッドバイ」の原書となるので
はないか。と、無謀ついでに勝手な理屈をデッチ上げ、
チャンドラーの作品の存在そのものをスケープ・ゴード
に仕立て上げ、せっせと唸りながらマーロウと過ごして
いるのである。あんなに唸ってなにが楽しいんだろうと
陰口をたたかれながらも面白がって格闘しているのであ
る。
ひとつ告白すると、俺だったらこう訳すのになあ・・・
ぐらいまで踏み込めるかと思っていたが、いやはやチャ
ンドラーの文体が独特すぎて、難解でもあり、読めば読
むほど、清水・村上両氏の偉業に感服するばかりであり
ます。