2007年4月9日
NHKで故・植木等さんの特番を放送していた。
植木さんは、僕らの年代の者にとって懐かしい人である。
テレビが町の家々に普及しだした昭和30年の初めの頃。
テレビは革命的な存在であった。明治時代のポンチ絵で、
「ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする」と、
ちょんまげを落としザンギリ頭にした元・侍が洋服を着
て、自分で自分の頭を扇子で叩いている風刺絵があった
けれど、まさに20世紀の技術革新・文明開化のアイコ
ンがテレビであった。
田舎の農村に住む親戚の婆さんなんかは、あのちいさな
箱のなかに人が入っていると言っていたし、田舎の町に
住むうちの婆さんなども、「うちのパパは世界一」とい
うアメリカ・ホームドラマを見て、あの外人さんは日本
語が上手いとしきりに感心していた。
プロレス好きの爺さんがテレビにかぶりついていたし、
爺さんと一緒になって力道山を応援していた婆さんが、
フレッド・ブラッシーの噛みつき攻撃の流血にひっくり
返って病院に運び込まれる騒動が日本中でおきていた。
日本とアメリカを結ぶ初めての衛星中継は、ケネディー
大統領の暗殺をリアルに報道していたし、なんと、月か
らの映像もテレビに映し出された。あの有名な「この一
歩はちいさな一歩だが人類にとっては偉大な一歩である」
というアームストロング船長の科白も生中継で見た。夕
方6時半から始まるスポーツニッポン社提供の5分番組
の国際ニュースでビートルズも見た。日本中の人々が夕
方から茶の間のテレビの前に座って夕食というのが一家
団欒の姿であった。そんなテレビ狂乱の時代の申し子が
クレージー・キャッツの植木等だった。
あのころまでは、大人というのは怖い存在で、家の中で
は、親父は「地震、かみなり、火事、親父」とどこの家
庭でも恐れられていた。
巨人の星の星一徹ではないが、気に入らないことがある
と、ちゃぶ台をひっくり返す親父が日本中にいたのであ
るが、どうも、今から考えると、そんな親父の尊厳を半
掛けにしたのが、植木さんではなかったか。いや植木さ
んそのものではなく、植木さんが演じた大人ではなかっ
たろうか。
すいすいすいと歌いながら両手を泳ぐように身体の前で
ひらひらさせ、スキップしながら踊る植木さんを見て、
大人ってこんなんでもいいんだと思った子供は全国に山
といただろう。植木さんの歌や映画は、高度成長時代の
日本にたいする強烈なアンチテーゼであったのだが、子
供にはそんなことはわからない。僕らは、ただ、おもし
ろおかしく既成の大人に反抗するようにチャチャを入れ
ながらテキトーに生きてゆくやりかたをただモノマネっ
ただけだった。不思議なもので、怖さは変わらなかった
ものの、親父を恐れる気持ちだけはすーと無くなってく
るようだった。そのことが今に何に影響しているのかは
分からない。ただ、大人や親父に対する尊厳という気持
ちが半掛けになったことだけは確かなようである。
植木さんはそのことに悩んだのかもしれない。悩まなか
ったのかもしれない。特番ではそこについてはまったく
語られていなかったので、それについては分からない。
仮に悩んではいなかったとしても、植木等という偉大な
存在が否定されるものではない。時代が現している兆候
を見事に演じきった人に出会える機会なんてそうそうあ
るものではないし、競演した誰もが、植木さんの人間性
を絶賛しているのである。
でも、僕にとっては、今の世の中の家庭の中での親父と
しての尊厳の希薄さは、あの時代の植木さんから始まっ
ているのではないかという思いが心の片隅から離れない。