2007年7月26日
昨年上海で中影テックのS総経理と約束したチベット旅
行が近づいてきた。
ちなみに、中国語では社長といわず総経理といいます。
当初この言い方には「経理の親分」的な語感があり違和
感を感じていましたが、大臣の全てを総理=統括する人
を総理大臣と言いますから、日本でも使われている言葉
で特に中国的な漢字の使い方ではないなと今は慣れまし
た。
どこへ出かけるにも荷物はあまり持って行かない。この
仕事に入ったころは、コンサートで九州6日間出張に行
ってこいなどといわれると、日数分の洋服や下着、普段
生活をしている身の回りの物もアレもコレもとカバンに
詰め、またウオークマン、カセットテープも何十本と詰
め込み大荷物で移動したものですが、何年も何十年もや
っていると、旅に必要な最低限の荷物とはこれいかにの
コツもつかんだようで、だんだんと手荷物は少なくなっ
てきた。海外、例えばロンドンなんかに出かけるときも、
必要な物は現地で手に入れればいいと1週間の出張でも、
ショルダーバッグひとつという身軽さでありました。
ところが、今回の旅はそうも云ってられないようである。
三国志でお馴染みの蜀の国の都のひとつである成都から
昆論山脈の北側を西に西にと回り込むように昆論山脈の
入り口であるゴルムドまでバスで移動する。その道のり
は成都から西寧へ(1日目)。西寧から日月山峠を越え
青海湖からチャカへ(2日目)。チャカからまた1日か
けて3日目にやっとゴルムドに到着するのである。なぜ
そんな道を通るのかと云えば、ゴルムドからいきなり標
高5000メーターを超える昆論山脈を越えて行っては
高山病にかかる可能性が高いから、標高2000メート
ルの成都から徐々に徐々に高地に身体を慣らしながら標
高3000メートルのゴルムドにたどり着くのである。
そのゴルムドまでの3日間は夜はホテルに宿泊するが、
1日かけてのバス移動中はすべて青空トイレである。
立ちション君である。こんなときだな。男であって良か
ったなと思うのは。そんなわけだから、必要な物を現地
で手配などという芸当はまったく期待できないのである。
食事も現地現地の中華屋でということだが、段ボールが
混じった中華まんというニュースはガセだったが、まあ、
中国辺境地の砂漠の町の料理がお口に合うかどうかはア
ナタ次第ですということらしいので、念のためレトルト
食品も持っていくことになった。醤油も。マヨネーズも。
胃腸薬も。高山病の症状のひとつである頭痛対策の偏頭
痛薬も。また3000メートル級の高地では動機が激し
くなり易いらしいからと救心も。
もしかしたら、ひょっとしたらですけどホテルにタオル
は無いかもしれませんよ、あってもキレイなタオルじゃ
ないかもしれまへんでと旅行会社が脅すものだからタオ
ルもバスタオルも。風が吹くと砂嵐がきついかもという
のでマスクもと、まあ、大荷物であります。テントだけ
はないがなにやらキャンプに行くようでもあります。水
の補給用にと水筒もいるらしいので遠足的でもあります。
かみさんの母親はいつのころから中国旅行が大好きにな
り、毎年のように上海だ蘇州だ杭州だと出かけているが、
そんな都会に行くときでさえ、なにからなにまで用意し
て持っていくらしい。干した梅干しに砂糖をかけたお菓
子があるとたいへんよろしいわよと忠告をうけたのでそ
れもバッグに詰めた。
さて。昆論山脈の入り口の町:ゴルムドからは一気に5
000メーター級の昆論山脈を越え、鉄道の世界最高地
点を通過し、やっとチベット高原の中心地ラサに到着す
るのであります。
子どもの頃、世界地図を広げ世界の名所旧跡を訪ねる旅
を夢想したものだったが、いま、その一つポタラ宮殿を
訪れることが実現しようとしている。あの長い階段をフ
ラフラしながら上っていく自分が見えるようであります。
昨日、会計士のH君とT君と打ち合わせをしたが、
今週末からチベットですってェ?
仕事ですかァ?
遊びでェ?
いやー。仕事で行けといわれれば行きますけど遊びじゃ
絶対いきませんねェー。
といわれてしまったが、でも、彼等にはわからないのだ。
宇宙を透かしてみるような空の青さを。
夜空に輝く大銀河の渦を。
チベット行きを奨めてくれたS総経理の先輩は、神を見
た思いがしたと語っていたという。ひとつ人生観を変え
て戻ってきます。では、行ってきます。