2007年8月10日
書いておこうと思ったのだが、そのことを考えると少し
感傷的な気分にもなってしまうので、またいつか書くこ
ともあろうかと思っていたが、このまま忘れてしまいそ
うなので書くことにした。
ウルリッヒ・ミューエの死のことである。
7月23日の朝日新聞の朝刊の死亡欄に、
<ウルリッヒ・ミューエ氏死亡。7月22日、ドイツ東
部ザクセン州で胃ガンの為死去。54才。旧東ドイツ
出身。国家保安省(シュタージュ)の監視下におかれ
ていたことでも知られ、監視社会を克明に描いた映画
「善き人のためのソナタ」では、芸術家を監視する主
人公のシュタージュ職員を演じた。この作品は今年の
アカデミー賞で外国語映画賞を受賞>と記されていた。
若い頃は映画ばかり観ていた。この話は何度も書いたの
で詳しいことは省くが、10才から18才までの8年間
は、かって岡崎にあったタカラ劇場という映画館で毎週
映画を観ていた。叔父がこの映画館で仕事をしていたの
で、フリーパスで観ることができたのだ。大学に通うた
めに東京に出てきたが、生活費を稼いで自活する貧乏学
生も映画だけは欠かさず観た。欠かさず観たといっても
バイト代が入った時だけに限られたから、朝一で映画館
に入れば最終回までくり返し観ていた。勿論映画館は3
本立て300円の名画座である。
映画代を使うときは、朝、売店で牛乳とあんパンを買っ
て食事は1日それだけだった。胃も歯も丈夫な若い時だ
ったが、いつまでも口の中に食い物があるようにと、い
くら腹が減っていようと牛乳であんパンを喉に流し込む
などという乱暴なことはしなかった。あんパンを1口か
じっては100回くらい噛んでゆっくりと呑み込んだ。
その後で、牛乳をちびちびと飲むのであった。今では水
もジュースも喉の渇きを癒すために飲むが、あの頃は水
分も立派な腹の足しであった。そしてまたあんパンを1
口かじりとあんパン1個食うのに合計1000回くらい
噛んでいたのではなかろうか。いやいや。映画はともか
くも咀嚼しまくるというまったく健康的な食い方をした
ものだった。だから、映画館の思いでは、スクリーンの
中のヒーローやヒロインやロケーションやカメラワーク
の見事さや気の利いたクールな科白だけでなく空腹の思
い出でもある。
黄金の七人という七人組の泥棒を主人公にしたイタリア
映画を観ていると、泥棒仲間にいるひとりの女がロープ
をつたわって下に降りるというシーンがあり、カメラが
その降りてくる女を下から狙っていて、まくれ上がった
スカートの中の見事な肢体とその奥にある白い下着がチ
ラリと見えるという心にくい演出があったが、そのサー
ビスカットはイタリアから遙か遠く離れた東京の新宿小
田急ハルク劇場の闇の中でこの映画を観ていた貧乏学生
に唾をゴクリと飲み込ませたが、ついでに噛んでいた途
中のあんパンも呑み込ませてしまったのである。得した
のか損したのかわからないというのはこういう時だな。
そうだな。1年に100本くらい観ていたかな。飯も食
わずによく観たものだと今さらながら感心するやら呆れ
るやらであります。そんな映画狂いの学生君も、仕事に
就き時間が自由でなくなり、結婚してますます自由でな
くなり、子供が産まれて小遣いも自由を奪われ、いつし
か、観て年に数十本という程度の奴になりさがってしま
ったが、それでもこのウルリッヒ・ミューエ主演の「善
き人のためのソナタ」は自分にとって今年NO1の映画
である。いや、この10年でも間違いなくベスト10に
入るだろう。リバイバル映画では、その主人公を演じた
俳優がすでに死去しているということはよくあるが、同
時代の俳優でしかも同世代の役者が、その人を知ると間
もなくこの世を去るなんて。知るのが遅かったのか。
それとも最後に間に合ったと考えるべきなのか。まだ、
心が決まっていない。