2007年11月19日
ホテルの部屋に帰ろうとエレベーターに乗ると7階から
布袋が乗り込んできた。スパイクマンとタケチャンマン
と一緒だった。室内プールで泳いできたのだそうだ。3
人とも泳ぎの後だけに見るからに若々しく顔が艶々して
いる。
「朝からプールで泳ぎ? まるで青春だね」
「ツアーに出れば朝のトレーニングは恒例です。カスヤ
さんはどこへ?」
「いや俺はジジ臭い。サンデーフォークの故井上の墓参
りに行った帰りだ」
8年前の11月22日の月曜日の朝。会社に出社すると
電話がかかってきた。
「サンデーのMです。悲しいお知らせがあります。今朝
社長が亡くなりました」
「社長って、井上だろゥ。井上が死ぬわけがない。今は
万博の招致運動でヨーロッパに行ってるはずだ。それ
ともサンデーには登記上の社長がいるのか、井上の親
父とか」
「いや。井上本人です」
「・・・・・・・・・」
「先ほど亡くなったばかりでこちらはばたばたしていま
す。専務のKからお知らせせよと言付かり連絡しまし
た。遺体は間もなく家にもどると思います。くわしい
ことは後ほどKからあらためて連絡が入ると思います」
電話の向こうでMの嗚咽が聞こえている。井上が亡くな
ったという信じられない連絡が、事実であったのだった。
電話を切って、すべての用件をキャンセルするようGさ
ん(爺さんではない)に指示すると、東京駅から名古屋
に向かう新幹線に飛び乗った。
夕方近くまで井上家に滞在し、弔問に訪れた人々と声を
交わすが、だれもかれも今起こっていることを事実とし
て受け止めるには衝撃が強すぎていた。
陽が落ち辺りが暗くなった頃、井上家をおいとまして同
行のK氏とホテルに戻るが、ホテルに帰って何をすると
いうのだ。とても、夕刊など読んで夕食をとりテレビで
も見て寝る気になんかなれない。K氏(名古屋在住)に、
「これからどうするの?」
と聞くと、K氏も何をしたらいいか分からんという。今
夜は寝られそうもないと言うから、
「井上のボトルを全部飲もう」
と、かって井上に連れて行ってもらった飲み屋・クラブ・
バーを軒並み訪れた。
「あらー。カスヤさんお久しぶり。あら今日は井上社長
とご一緒じゃないんですか?」
「いや井上さんはいない。しばらく彼は来ないと思うか
ら俺が井上さんに成り代わってボトルをあけちまおう
と思ってやってきたよ。井上さんのボトルを出してく
れないか」
井上の死はその翌日か翌々日の中日新聞の死亡欄に記事
として出ることになるが、この時点では街の人々はまだ
誰も知らなかった。
レミーマルタン・カナディアンクラブ・VSOPなどグ
ラスに注がれるとぐっと一気飲みして、全てのボトルを
飲み干したが、いくら飲んでも酔わなかった。酔えなか
った。たださすがに6本も空け終わるとフラフラになっ
て、気絶するように寝た。
井上の墓の前で、同行してくれたサンデーフォークのS
さんとそんな思い出話をし、ホテルに戻ったところで布
袋とエレベーターで鉢合わせ、プールで一泳ぎしたと聞
いたから、つい自分の行動をジジ臭いと言ってしまった
のだが、俺の中で井上はまだ40代の若さのまま、永遠
に静止しているのである。