2008年5月17日
下町の太陽は空に輝く・・・
と倍賞千恵子の歌声にのって、夕暮れなずむ東京を総武線
が隅田川に架かる鉄橋を両国へと向かう。電車が渡る先は
ちいさな工場が立ち並ぶ下町。松竹映画・山田洋次監督作
品「下町の太陽」の冒頭シーンである。
この映画がどんな物語か細かいことは忘れてしまったが、
この冒頭シーンだけは忘れずに残っていて、東京下町とい
うと川と橋がいつも連想されるのである。
この下町を愛した男が死んだ。男は愛知県出身で高校を卒
業後パリへと旅立ち、数年間をパリで過ごした。日本にも
どりジャズクラブを経営し、その後、わたしと時をおなじ
くして音楽業界にはいり、業界にこの人有りといわれるお
おきな活躍をし、五十数年余の人生を終えた。
パリ帰りならではのオシャレでシックでグルメな奴で、出
会ったときは互いにまだ二十歳を過ぎたばかりのころだっ
たが、なんとも大人の男に見えたものだった。
そいつが下町好きで、両国駅の近くにある日本で最初のチ
ャン小料理屋「川崎」は彼に教えられた。鰻屋も河豚屋も
野鳥料理屋もさくら鍋屋もしし鍋屋も彼に教えられた。
鶯谷の警察署の裏にある「コロ」も彼に連れて行ってもら
った。
コロは昭和30年初期のころ開店した、マスターと奥さん
のふたりでやっていたバーで、僕が彼に連れられ通い出し
たのが30年ほど前のことで、開店25年たったころだっ
たと思うが、値段は開店当時の昭和30年初期当時とさほ
どかわっていないと思われる値段で酒を売っていた。たし
かウイスキーの水割りが200円か300円だった。ただ
し、そのウイスキーはトリスと角瓶の2種類のみ。一度聞
いたことがあったが酒の種類は開店当時とほとんど同じで、
今時はめずらしいハイボールやジンフィーズなどがカクテ
ルで、言えば作ってくれたが、ウヲッカトニックなどはメ
ニューにはなかった。もちろんギムレットもダイキリもな
かった。さすが値段は一度だけ上げましたと言っていたよ
うな気がするが、それでも300円だった。
この店で飲むときはいつもトリスか角瓶を水割りで飲んだ。
バランタインの17年とかジャックダニエルとかはありま
せんかねえ、モルトウイスキーのグレンフェディックはな
いの? えー置いてないのォ。などと趣味の悪い会話は俺
も彼もしなかった。この2種類のウイスキーしか置いてな
いバーで飲むことを楽しんだ。
ある時、11時になって閉店となり勘定をして店をでたと
ころ急な雨がドシャ振ってきた。ぼたぼたと音を立て地面
に落ちた雨がはね返っていた。あいにく店には傘は一本し
かなかった。表通りの1本裏通りのこととて、通りかかる
タクシーもいない。結局30分ほどたってやっと1台のタ
クシーを拾うことができたが、その間、奥さんが傘をさし
かけて拾えるまでずーとつき合ってくれた。
「いい店はいつか無くなる・・・」
と彼は予言のように言っていたけれど、数年後、奥さんが
病気で亡くなり、コロはひっそりと店を閉じた。
彼との思いではたくさんあるけれど、エピーソードとして
はこの店のことが一番印象深い。
愛したものはみんな消えてく・・・
コロがなくなったことと彼が亡くなったことが同じことの
ように感じられてならない。