2008年6月13日
今日6月13日は太宰治の命日。
しかし、わたしは太宰は読んでいない。
中学か高校か忘れたが教科書にのっていた「走れメロス」
しか読んでいない。しかも教科書といえば中島敦の
「山月記」の記憶の方が強い。
司馬遼太郎「街道をゆくシリーズ・津軽への道」で司馬
さんは太宰の故郷を訪ねる。この本を読んでいたとき、
そうだ、俺太宰って読んでないんだよなァと「人間失格」
など数冊を買い込んだのだが、これも読まずに本棚の飾
りになっている。
BOOWYのレコーディングで初めて訪れたベルリンの
ホテルの部屋に、当時の現場マネージャーだったTが持
ち込んできた太宰が数冊ころがっていた。今でこそ何処
にいても、新幹線に乗っても、飛行機に乗っても時間が
あれば本ばかり読んでいるのだが、当時はまだそんなに
本の虫ではなかった。本からよりも現実の社会から学ば
なければならないことに集中をしていて、趣味は? と
聞かれれば、そうですねまず映画ですか、次は音楽です、
あっそれと読書ですと答えていたが、実際は映画と酒と
女であった。
そんな自分であったから、Tが太宰を読んでいたことが
妙にカッコつけたやっちゃナーという印象が残った。
なぜ太宰を読むとカッコつけになるのかは、太宰が津軽
の名士の大金持ちの倅であったこと、身長高く鼻筋が通
った美男子であったこと、麻薬と酒と女に溺れる破滅型
で最後は愛人と自殺をしたこと、また評論家の伊藤整が
「この背徳の人、三回か四回にわたる自殺企画者、自殺
幇助者、嘘の名人、懺悔者、イエスの真似人」
と評したことがそんな印象を抱かせていたのだろうと思
うが、カッコつけの太宰なんて読まないよ俺は、となっ
て今だに読んでいなかったのである。
今では、太宰の実家が旧家の大金持ちであったことや美
男子であったことや酒と麻薬と女に溺れたことや破滅型
であったことや、そして最後に自殺してしまったことな
どは、そんなの俺とはカンケーネーと距離を置いて、た
だ偉大な作家の一人としてその存在を評価することがで
きるようになったのだから、まず、読まなくては評価の
しようがない。
そこで「斜陽」を手にとる。今朝は梅雨の晴れ間のきも
ちいい朝だったからベランダにでて陽をあびながら読ん
だ。
読まれた方は多いだろうからここで何がどうであったか
は語らないが、「斜陽」はヒロインかず子の手記ともい
うべき手法の作品で、日本語のおんな言葉の使い方が異
常に上手い作家だなあ・・と感じながら読んだ。
映画のヒロイン「冒険者たち」のジョアンナ・シムカス、
「あの胸にもういちど」のマリアンヌ・フェイスフルに
僕は恋したように、かっての往年の読者は、太宰が描き
出した女性に恋をしたのだろうと思う。特にこのかず子
は敗戦直後の没落貴族の家庭にある女性(貴種)で、恋
と革命に生きようとするのだから、まあ、戦後という強
烈な時代の変わり目に、「滅び行くものの哀しくも美し
い姿を書いた」(阿部昭:評)のだから、太宰が今に語
られる大流行作家になるのは当然といえるだろう。
それと、東京新聞には文化欄で太宰の特集をしていたが、
サンケイ新聞には太宰のだの字もなかったなあ。39歳
で死んだ太宰の没後60周年にあたる今年と来年は生誕
100年を迎えるというのに記事不扱い。革命に向かう
ヒロインなど書いちゃったから、保守系には嫌われてる
のかもしれんな。