2008年7月14日
7月14日はパリ祭。
フランス市民は革命記念日とよんでいる。
22年前の今日はパリにいた。
ベルリンで「サイコパス」のレコーディングを終えますれ
ば1週間の休みをヨーロッパでとりたいと考えます。
ヨーロッパといってもパリとロンドンの二都であります。
いかが希望されるか? と呼びかけたところ、
布袋はロンドン、氷室と高橋と松井はパリでと希望があが
り、布袋の航空券は、
東京〜フランクフルト〜ベルリン〜ロンドン〜東京と取り、
氷室、高橋、松井、糟谷の航空券は、
東京〜パリ〜フランクフルト〜ベルリン〜パリ〜東京と取
った。
JALパックとかJTBとか近畿日本ツーリストなどとい
う大手旅行代理店ではなく、青山の路地裏にある超格安旅
行会社の超格安チケットであったから、1日でも日がズレ
るとあっと云う間に紙くずと化す極めて厳格なチケットだ。
レコーディングが日程通り進行することをこころから願い、
「レコーディング中はよい子にしていますから予定通り進
行しますように」
と富岡八幡宮に願かけて出かけた。が、スタジオが終われ
ばベルリンの悪友に誘われるように毎晩あやしげなるとこ
ろに入り浸っていたのだけれど、神様は見捨てなかったね。
念願叶って予定通り終了し、1週間の休みをそれぞれロン
ドン、パリと別れて過ごすことができた。
氷室、高橋はパリに行くなんらかの理由をもっていたが松
井がパリへ来た理由は、マネージャーとしてバンドの面倒
を見るのも仕事の糟谷がパリを希望していたので、これ幸
いとパリにしたのに過ぎなかったが、ところが、この二人
連れの珍道中がおもしろかったのである。
7月14日の朝、バオオオオオオオオオーンンンンン・・
という爆音を残してジェット戦闘機がホテルの上空を通り
過ぎていき、驚いて目が覚めた。1階下の部屋に寝ていた
松井もなにごとか! と階段を駆け上がり部屋に来た。
二人でベランダから身を乗り出して空を見上げるとまた、
バオオオオオオオオオーンンンンンン・・・
と次の編隊が飛行していった。
5本1組の飛行機雲が空に2組くっきりと残っていた。
シャンゼリゼは戦車の行軍や軍用トラックに乗った軍隊の
パレードが続いた。
祭りと言っても革命記念日なんだと実感したのが、22年
前の今朝のことだった。
そんなことがあったな。しかし、あれから随分経つな。
あのころは一緒だったバンドメンバーも、今はそれぞれの
人生を歩いている。いったい俺はなんだったんだろうかと
ベランダでタバコをくゆらせ邂逅したが、邂逅する俺の隣
でかみさんの部屋の空調の室外機がブンブンと呻り声を上
げて暖かい空気を俺に吹きかけている。その空気があまり
に熱いものだから、ベランダからそうそうに部屋に戻るが
部屋の中も暑い。
そういえば、パリのホテルには空調機などという洒落たも
のはなかったが、空気は乾いていて木陰や部屋の中に入れ
ば暑さはまったく感じなかった。窓をあけて寝れば夜気で
風邪をひきそうなくらいだった。22年前の若かった俺や
バンドメンバーのことも懐かしいが、あの夏の涼しさは懐
かしさに羨ましいさが加わる。
嗚呼。パリの夢。
緯度が高く陽がいつまでも沈まず明るく輝いていたパリ。
英語を使うと英語が分からない振りをされ、何をたのんで
もステーキがでてきたパリ。
部屋掃除のメイドがなにか言うから、フランス語ワカリマ
セーンという意味のフランス語、
「ジュヌ パールンパ フランセ」
と答えたがホテルで唯一英語を喋るスタッフに、あの娘は
ハンガリー人で英語もフランス語も喋れませんぜという。
フランス語もわからんヤツをよく雇っているなあと呆れた
が、毎朝部屋に来るたびにメイドがなにか言うから、こう
なりゃボディーラングレッジだと身振り手振りで話してい
ると、
言葉のわからないオンナを口説いてどーするんですか?
と松井に言われたパリ。
あちこちで物を食ったが、金もなく、ろくでもない不味い
ものばかり食っていて、オペラ座の近くのサッポロラーメ
ン屋のミソラーメンで泣きそうになったパリ。
そういえば、数年前パリを訪れたとき友人のYと一緒だっ
たが、パリ好きパリプロのYが真っ先に俺をつれていった
のがこのミソラーメン屋だったのには笑えた。
そういえば昔の仲間の立原賢三が若い頃パリに遊学してい
たが、彼はどこに住んでどう生活をしていたのかを聞こう
聞こうと思っているうちにあっと言う間に時は過ぎ、立原
は今年の4月に亡くなってしまった。
いろいろなことを思い出した7月14日の朝。
しかし蒸し暑い。冷気大嫌いの冷房病のわたしとしては、
嗚呼、涼しかったパリが懐かしい。