2008年9月11日
昨日、家に帰り着く前に、もうすぐ帰るよとかみさんに
電話すると、娘から仕事が終わったので夕食を一緒に食
べようと連絡があり、これから駅前で待ち合わせだとい
う。一緒にどうかと言われたが、そんなに腹はすいてな
かった。飯よりも本屋に立ち寄ることにした。
今川のことについて知りたかった。今川というのは戦国
期の三河から遠江、駿河を領地にしていた大名家の名前
だが、江戸時代には「教科書」をさす言葉になった。今
川義元は領民への施政もよかったらしく「人はこうであ
るべし」と書き起こし、領内の教育につとめたという。
その本が時代を経て徳川の世に寺子屋の教科書として使
われ、今川といえば「教科書」のことになったという。
徳川時代には女子への教育・しつけ・心構えを教える本
もつくられ、女今川とよばれ、
「今川で茹でた女は灰汁が抜け」 柳多留
などという川柳も残っている。
ここまでは知っていたが、もうすこし「今川」の内容を
知る手立てはないか、戦国時代は子弟に何を教えていた
のかと本屋に寄った。
その駅前の本屋は、その4分の1はコミック売り場。4
分の1は実用書・学習書。4分の1は雑誌・月刊誌。4
分の1は文庫と新刊本が置いてあるが、専門書はほとん
ど置いていない。青森の本屋に行くと片隅に「青森県史」
「斗南藩の歴史」とかの青森県の歴史に関する本が置い
てあったりする。鹿児島の本屋には「島津藩史」「西郷
隆盛」などが置かれているが、東京の下町の駅前の本屋
で地元に関するものであれなんであれ専門書が置かれて
いるのを見るのは、まれである。まれではあるが、一応
念のためと捜してみたがやっぱり見つからなかった。数
年前まで町に2軒ほどあった古書店は、いつのまにかひ
っそりと店を閉めてしまっている。こりゃ、神田に行く
か、今川さんの本家の静岡の書店へでも行かないと無理
かなと本屋を出たところで後から、
「かすやさーん」
と声をかけられた。この町で俺を知っている人なんてい
るのか? しかも女性? とふり返るとかみさんだった。
どうやら娘と駅前のこの本屋で待ち合わせをするらしい。
娘を待つかみさんと別れて家に帰ると倅がいた。居間の
ソファーに寝っ転がってテレビを見ながら携帯でメール
をしていた。俺の顔を見てあわてて飛び起きた。
「おかえり」
「飯は食ったか」
「まだだけど、かあさんがねえちゃんと食事するから帰
りになんか買ってきてくれるって」
「そうそう。カツオが大人になったぞ。ワカメもだ。ワ
カメは宮沢りえ」
「知ってるよ」
「え? もうテレビでコマーシャル見たのか? 今日か
らやるんだってなァ」
「コマーシャル見てないけど、テレビの番組で紹介して
たから、それを見た」
「なんで4人が集まったか知ってるか?」
「法事でしょう」
「そうなんだ。でなァ。法事ってことは波平さんとか舟
さんとかが死んじゃったんだなあ。コマーシャルでも
きつい話だな」
「もっと古い人の法事みたいよ。漫画にはでてないけど
カツオたちのおじいさんとか、そんな感じ」
<だが、この4人がどう登場するかというと、4人は法
事で久しぶりに再会したという設定であるらしい。法事
ということは、波平さん、または舟かあさん、もしくは
二人とも亡くなっているのである。世相 には無関係の脳
天気一家だとは書いたが、せめて、漫画 のなかだけは、
ご両親はご健在でいらして欲しいとも思った>
と昨日書いたが、よくよく考えてみればチョコレートの
宣伝である。波平さんや舟さんを殺してしまっては世の
反感を買う。買ってもらいたいのは商品である。そんな
わけはないなと、早合点を反省しつつ波平さんや舟さん
の無事に妙に安心した。
しかし。町でかすやさーんと俺に声をかけるかみさんや、
大学3年生の息子との男同士の会話がカツオやワカメの
ことだったりと、我が家も世の世相からかなりかけ離れ
たサザエさん一家といわねばならんなとベランダにでて
一服すると、吹いてくる風はもう秋だった。