12月25日
まずは、メリークリスマス。
子供の頃夢見た未来の時代=21世紀が始まって世界は
混迷の時代に突入してしまった。始まった当初はあまり
感じなかったが今ははっきりと感じる。人類の英知では
この混迷は救えないのかも知れないと今は感じている。
僕たちはそういう時代に生きているのだ。
爺さんの時代は明治期で、日本は世界の孤島のようであ
り、江戸時代からの価値観を持ちつつ、その価値観の崩
壊を見つつ、文明の吸収、殖産に励んだ時代で、個人の
自由や夢などに生きていける時代ではなかった。爺さん
は来るべき未来を長男に託した。
ところが、親父の時代はまさに戦争に突入していった時
代で、親父は高等小学校を卒業すると名古屋の工場に就
職したが、海軍に憧れ予科練生となって国のために死ぬ
ことを願いとしたが、二十歳を迎えた昭和20年8月に
終戦を迎えそれは叶わず、敗戦の貧困の中で結婚し子供
を得、80を超えるまで元気に生きひ孫まで恵まれたが、
青春時代はなかったと死の直前に語った。
青少年期に音楽に目覚め、受験勉強の傍らビートルズや
ローリングストーンズ、マイルスデビスを聴きまくるわ
たしに、親父は小言はいいながら時にはビンタを食らわ
せながら、より良き未来に生きろと願いを込めてくれた。
そして銑司少年は昭和を生き延び平成を生き延び、音楽
を愛し、芸術を愛し、ベルリンに出かけ、ロンドンに出
かけ、ニューヨークにもカリブ海にもフランスにもイタ
リア、スイス、デンマーク、アイスランド、アイルラン
ド、韓国、中国にも出かけた。祖父や親父が見ることも
できなかった世界を見ることができた。
女性に出会い家庭を持ち、1男1女に恵まれ、才能ある
ミュージシャンと出会い、会社を設立し、友人にも恵ま
れ、なんとか今日を生き延び、祖父や親父が見ることも
夢見ることもできなかった人生を歩くことができたが、
親父がわたしに託したより良き未来に生きることを自分
の子供達に託せるのだろうかと、今年はいろいろ考えさ
せられた1年だった。
便利であるべき情報の大進化が混迷に拍車をかけ、物事
をより複雑にしている。少なくとも子供の時代にこんな
未来は夢見なかった。近過去からみた近未来はせめてド
最悪でもブレードランナーだった。あの物語は世界核戦
争の後の2019年のロスアンゼルスが舞台だが、なに
がド最悪がせめてかというと、それでも人間は生き延び
ていたのだあの映画では。実際には核の火薬庫の大爆発
があれば、生態系が壊滅するのである。ミジンコかゴキ
ブリでなければ生きていくことはできないだろう。
数百万年という人類の時代が終わろうとしているのじゃ
ないかと時に思う。
デジタルと拝金主義が旧約聖書のバベルの塔ではないか
と、時に思う。
だが、神が救世としてこの世につかわしたイエス・キリ
ストはもう2度と現れないのである。
だからといって、鬱々とした時代に鬱々と生きてもなに
も生まれない。
拝金よりもはるかに大事な物を捜す旅に僕たちは旅立ち
ましょうや。
その旅は、愛する人々と生きるという自分の夢を未来に
求め、明るく生きると言う旅になるのでしょう。
来るべき2009年はそんな1年にしたいものである。
とにかく、今年はお疲れ様でした。
みなさんも良い年をお迎え下さい。
聖なる夜に。
糟谷岡崎堂。