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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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2005年12月27日
事務所仕舞い

一年を振り返るのは、自分なりの10大ニュースなどを取り上げ
るのが、一番分かりやすいが、10を選択し、またいちいち理由
を書き上げるのもコトなので、時系列で1年を振り返ってみる。

昨年のクリスマスイブに引っ越しました。
なんでか知りませんが、この日に引っ越しすると家庭の要である
かみさんと新居との相性がまことによろしいというのがかみさん
の理由。だから去年は段ボールの山に囲まれた新居でイブもクリ
スマスもあったもんじゃなかった。
東京ガスに申し込みを忘れていて、シャワーを浴びようとして水
が飛び出してきて大騒ぎのてん末もあった。

2月にはひさしぶりにロンドンへ。レコーディングは無事終了し
たが、帰る時のヒースロー空港で、パスポートに押されたインチ
ョン空港(韓国)の入国許可の記録を、係員が、なんと、ピョン
ヤン空港(北朝鮮)の入国記録と勘違いし、足留めになった。
最後は勘違いした係員が「アイムべーリーソーリー」と無事出国
したが、この話が後日ロンドンの仲間に伝わり「ヘイ!ロックン
ロール!」と大笑わらいされたな。

春3月。インディペンデンスデイというイベントで「デフテック」
を初めて見たが、このピップホップグループはCDが売れそうだ!
と直感。そのとおり売れに売れたが、残念なことはうちの所属で
はなかった。

愛知万博。布袋&シンフォニーライブ。今年のライブの最高傑作
のひとつだった。俺はともかくミュージシャンは寒さで手がかじ
かんでしまいめちゃくちゃ大変だったとのこと。寒冷地手当を要
求されるという一幕も今はなつかしい。

5月の連休には、埼玉県の本庄へ出かけ盆栽を購入する。枝振り
のよいもみじで秋の紅葉を楽しみにしたが、素人ゆえ手入れをお
こたり、葉は赤くはなったが、枯れてんのか紅葉してるのか分か
らなかった。

6月。布袋モンスタードライブパーティーのリハが始まり、7月
から怒濤のゼップツアーに突入。このライブはほとんどが土曜日
日曜日に行われたから、約1月半ほど一日も休みが取れなかった。
はやくもクーラー病(冷気大の苦手)がはじまり、夏バテ気味の
日々だった。

8月に入り、埼玉スーパーアリーナの布袋ビッグパーティーの準
備に追われる毎日の隙間をみつけ、盆は京都で大文字の送り火を
観る。ホテルに来年分も予約してきたが、はたして来年は日程調
整可能か否か。このあたりからブログがスタートした。はたして
いつまで続くものか。ま、一年は続くとは分かってるんだけどね。

9月。小泉劇場総選挙。亀井静香も野田聖子も自民党からいなく
なってしまうなんて思いもしなかったなあ。数カ月前に野田聖子
議員のインタビューに立ち会ったとき「初めての女子総理大臣に
なるかもしれない野田聖子と覚えておいて下さい」と言ってたの
がはるか昔のようだ。政局という言葉がはじめて実感できた選挙
だった。

10月。免許を取って1年になる娘に警察から無事故無違反の優
良ドライバー証が届く。無事故無違反なのは、ほぼぺーパードラ
イバーだからであって、決して優良ではない。かみさんの友人の
E子さんは、20年間のペーパードライバーで、警察から免許証
のゴールドカードをもらっているが、まったく運転はできない。
いや、恐ろしいことだ。

11月。今井美樹ツアーが始まる。腰を痛め一時はどうなるかと
思った。今年の振り替え日程が来年まで続くが、最高に美しいラ
イブをとどけるのが、待ち遠しい。冬の日本の各地の食材を堪能
する旅としたいな。

12月。布袋のベスト盤。最高傑作が売れ行き絶好調。
来年のツアー企画を、予算面も含め考えるのは大変だけど、この
大変さが、また、楽しみな年末年始となりますか。

大地震や自然災害や電車脱線事故や構造偽造問題やら幼児殺害事
件やら、胸を痛めたり怒りをおぼえたりいろいろあったが、振り
返れば、個人的にもビジネス的にも今年はいい年であった。
今日で事務所仕舞い。片づけの手伝い候補の須藤がいないから、
オフィースの大掃除は来年にまわすとして、ゆく年来る年をゆっ
くりと過ごしたい。

最後に、冬の句を紹介しておきます。来年の干支の犬が詠み込ま
れているのが微笑ましい。

「むく犬はどこに目ありや枇杷の花」 中村草田男

では、冬休みに入ります。
皆さんにとって来る年が良い年でありますよう。

岡崎堂
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by kasuya_senji | 2005-12-27 17:34 | Comments(2)
2005年12月26日
亡き友に捧ぐ

12月19日に「これからはラジオがおもしろいぞ」と書きま
したが、我が青春のラジオの思い出がひとつ終焉した。

12月12日。浅野啓児逝去。享年56歳。
長渕剛がオールナイトニッポンの2部から1部へ昇格し、曲も
ヒットしだして、コンサートも絶好調になりはじめた頃のオー
ルナイトニッポンの担当ディレクター。
オールナイトニッポン終了後も、長渕の番組を作り続けてくれ、
ディレクターとマネージャーという関係ではなく、年も近かっ
たせいもあり学生時代の友人、のような感覚で彼とは仕事をし
ていた。
いつも、柔らかくはにかみながら駄じゃれまじりで話題を提供
していた。何かしらの妙案を思いつき、それを人に言う前に自
分でニッと笑っていた企画小僧ぶりを思い出す。

いつだったかなあ。今度の打ち合わせは、天気が良ければニッ
ポン放送の近くにある日比谷公園でやらないかと彼が言い出し、
ベンチで彼がニコニコ顔で待っていた。天気がいい日はこんな
風に打ち合わせができるといいねと彼は自分のアイデアを楽し
んでいた。牛乳とアンパンを二人で分け合って食べ打ち合わせ
をしたが、番組の件でモメにモメてしまい、せっかくの野外打
ち合わせは口論の末、物別れになった事があって、それからは、
2度と外でやろうと言い出さなかったなあ。

26日に執り行われた「お別れの会」の発起人には、タモリさ
んや高田文夫さん、吉田拓郎さん、南こうせつさん、TUBE、
THE ALFEEの皆さんが名を列ねた。また、共にラジオの時代を
過ごした数々の音楽事務所の代表者、放送関係者が浅野さんと
のお別れ会に集合した。
代表して弔辞を述べられた人の逸話の中に登場する浅野さんは、
どれもこれも自分が知っている彼で、浅野さんが多くの人の中
に今も生き続けていることを感じたが、献花になり、最初にお
花を捧げた年老いた彼の母が、

「啓ちゃん。なぜあなたは逝ってしまったの、、、」

と遺影に語りかけ泣き崩れた時、末っ子に先立たれた母の悲し
みが会場にあふれ、水を打ったような沈黙が流れ、彼がもうこ
の世にいないことを実感した。
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by kasuya_senji | 2005-12-27 14:55 | Comments(3)
2005年12月25日
クリスマスあたりの日々

コメントに日祝祭日はブログはお休みなんですねと書き込みをい
ただきましたが、そうなんです。家にはPCの環境があるのです
が、あくまでも家族ユースで、主に子供たちのマシンでありまし
て仕事を離れた私はいっさいさわっていません。旅にもノートブ
ックも持ち歩かないので、休み日だけでなく事務所を離れるとブ
ログはやりません。あとで、メモや記憶をたよりに数日分をアッ
プするという書き方です。今年は、28日から冬休みに入ります
ので、年末年始、岡崎堂は開店休業状態に入ります。

今日もクリスマスあたりの数日分の書き込みとなります。
22日の寒波到来の風の冷たい夜。溜池の某レコード会社のN専
務と1年間の互いの仕事に感謝して、西麻布の外れにある寿司屋
で二人だけの忘年会。
初めて行く店だったが、以前よく通っていた寿司屋が立ち退いて
別の場所に移り、その跡地に立てられた小振りなビルの2階にあ
る寿司屋で、そのあたりは土地勘がありすぐわかった。開店1年
ほどの新装の店で、N専務が推薦どおりのいい店だった。
つまみと肴と寿司に合わせてビールと日本酒と2種類のワインで
年忘れ。
客のほとんどが男連れ女連れで、男二人でいたのは我々だけだっ
た。年の瀬の寒い夜にナイスなカップルが素敵な夜を過ごそうと
顔を出した小粋な隠れ家のような寿司屋のカウンターの真ん中に
いかにも不良そうな大人がデン!と居座っていたという図柄だっ
たな。
N専務とは俳句仲間だが、その夜は句は詠まずクラブへはしごし
てダーツで遊ぶ。N専務はダーツがお得意のようだったが、その
日は岡崎堂の1人勝ち。1回目は480点を出し、店のオンナど
もに大受けをし、調子に乗っての2回目は500点を超える成績
で、あまり真剣に投げたから、後日、腕の内側の筋肉が痛かった。
なにごともど真ん中でいきましょうと来年の飛躍を約束してN専
務と別れた。

24日のクリスマス・イブは、友人の子供のクリスマスプレゼン
トを買いにデズニーランド・イクスピアリへ。クリスマス商品は
もう置いてありませんと云われたが、いいものが見つかって配送
手配をした。
ティム・バートンの『ナイトメアービフォークリスマス』の骸骨
のサンタクロースを発見して、家庭用にと手に入れる。これは娘
にウケタな。かみさんとイクスピアリでランチ。敵はサラダラン
チに当方はカルボナーラ。近所のスパゲッティー屋のカルボナー
ラよりうまかった。だいたい近所にはろくなスパゲッティー屋が
ないが、そんなことは、まあ、いいか。行かなきゃいいんだから。

25日のクリスマスは、娘の来年の成人式用の髪飾りを買いに、
午後、日本橋三越へ。
成人式に髪に飾るべく当の本人は「クリスマスだものー」とボー
イフレンドと朝からどこかへ出かけてしまい、本人不在のまま、
あれがいい、これはどうかなと目星をつける。
ついでといってはナンだが、かみさんが欲しがっていた靴を見つ
けたのでプレゼント。
ついでといってはナンだが、自分用のコートも自分でプレゼント。
三越9階に「麻布十番満点星レストラン」があったので、ここの
名物のオムライスで遅めのランチをしないかと誘い店に入るが、
かみさんはロールキャベツランチ。当方はビーフシチューランチ
と、長く一緒にいると、どうも一筋縄ではいかなくなるようだ。

三越を出て、裏手にまわり下山事件のライカビルをさがしたが見
つからなかった。表通りに出ると「島根物産館」があったので中
に入ってみると、焼いた小鰺が入り口近くで売られていて店中が
焼き魚の匂いで充満していて、乾物屋さんの軒先のようであった。
正月の雑煮のダシによかろうとはおもったが、なんだかクリスマ
スの買い物ではなさそうな気がして、焼き小鰺は買わなかった。

クリスマス、年末の買い物客で三越の駐車場は50分待ちだった
が、裏通りのその横のそのまた裏の小道にナイスなパーキングを
発見。これは使い勝手がありそうだ。
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by kasuya_senji | 2005-12-25 23:41 | Comments(1)
2005年12月22日
年末年始本

巨人軍のオーナーであり読売新聞の最高責任者であるナベツネこ
と渡邊恒雄氏のことを毛嫌いしていた。いつもホテルで誰かと夕
食をしていて、テレビなどで報道される渡邊氏は、酒の勢いも借
りての暴言三昧のエラソウナ権力者親爺そのもので、プロ野球を
だめにしているのは、このオッサンの所為じゃないか!諸悪の根
源ではないか!と毛嫌いしていた。

ところが最近、渡邊氏に対する評価に変化が現れてきた。
毎朝、読売新聞を読んでいると、読売新聞の政治欄が他の新聞よ
りもかなり充実しているのは、やはり、渡辺氏が政治部の敏腕記
者だったことに由来するのだろうと思い当たったのだ。
また、他誌にくらべ、読売新聞が圧倒的な販売部数を誇っている
のは、強引な販売戦略ゆえではあろうが、それでも、読者に支え
られていることの証明であり、紙面で他誌の追従をゆるしていな
いのだろうと、思い当たったのだ。
評価に変化が現れてきたといっても、好きになっちゃったという
ことではない。ただ、テレビなどで見るあの態度ゆえ大嫌い!と
一方的に毛嫌いをしてていいものだろうか。渡邊恒男と云う男が
いったいどういう人物であるかを知る必要があるのではないか。
と、変化してきたのである。知った上で、好き嫌いは個人の自由
であろう。

そこで、調べてみると『渡辺恒雄回想録』という本が出版されて
いて、戦後日本政治史の裏面というコピーも書かれていた。別に
政治の裏面そのものには興味はないが、渡邊氏は、政治記者の現
場を通じて裏も表も見てきたのだから、ついでといってはナンだ
が、面白い話が満載されているかもしれないと、早速買いに出か
けたが、そこの書店では在庫がなかった。
書店の女主人に、そんな本ありましたかねえ、という顔をされた。
渡邊本は後回しにするとして、年末正月用本として、数冊買い込
んだ。

『天皇と東大』立花隆著:文芸春秋社刊。
帯のコピーは、ブログで勝手に引用していいのかなあ、でも帯は
宣伝文句であるので、本の宣伝として軽く引用させていただく。
「日本人はいまこそ近代史を学び直すときなのである。大日本帝
国はなぜ、どのようにして死んだのか。そこがわからないと日本
の未来も見えてこない」(著者)
東大もある意味で近代史の象徴であろう。天皇と東大を軸にし近
代を語るという視点が凄い!さすが立花隆。分厚い上下刊2冊だ
が、冬休みを利用して読みごたえがありそうだぞ。

『私の百人一首』愛蔵版:白州正子著:新潮社刊。
白州さんが、愛蔵していた京都の骨董屋で買い求めた江戸時代の
百人一首のカルタが写真で掲載されていて、一首目から百首まで、
詠み人 と時代背景と詠まれた歌を解説している。
一首目の天智天皇の歌。

「秋の田のかりほの庵のとまをあらみ
 わがころも手は露にぬれつつ」

秋のたわわに実った黄金の稲穂の田園風景をわしづかみにし、時
の権力者がたかだかに歌い上げたような雄大な印象だが、この歌
は、稔った稲が鳥や獣に食べられないよう小屋をつくって管理し
ているが、とまで葺いた屋根がこわれて雨漏りがして服が濡れて
しまった、私も泣いているよ、という意味の「労働歌」で、天皇
のお歌ではない。藤原定家の編集によるものであろう、という解
説からすでにおもしろい。
しかも百人一首。正月っぽくて、まことによろしい。

近代歴史本に文化系本。これに、戦後政治史の渡邊本が加われば、
冬休みは退屈しなくてすみそうだ。
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by kasuya_senji | 2005-12-22 16:56 | Comments(3)
2005年12月21日
100年の計

11月の後半から忙しくなり、ここにきてかなり調子がよくなっ
てきましたよ。景気がいいのはよろしいですねえ.
と,タクシーの運転手さんが言う。

携帯電話が鳴って、ラジオの収録についての確認をしたのを聞い
て、お客さんは芸能関係の方ですか?と聞かれた。そうですよと
は答えなかったが、これをきっかけに目的地につくまで運転手さ
んと話し込んだ。
運転手さんの「ラジオ」のオの部分が強く「らじオ」と発音され
るのを聞いて、鹿児島の人かなと思ったら鹿児島出身ですと答え
た。「テレビ」も「てれビ」と最後尾が強い。

明治政府が、全国に学校を建て国語教育をはじめた。
それまで士族は「藩校」で、それ以外の身分の子弟は「寺小屋」
で勉強をしていた。くわしくは知らないが「師のたまわく、、」
と先生に随唱し、書道などで文字をならっていたのだろうと思う
が、江戸時代には統一の日本語はなく、話し言葉書き言葉として
日本語が成立するのは、明治期の国語教育からである。

それでも、僕が子供の頃でさえ、学校では「さいたさいたさくら
がさいた」と教わるが、日常は、じぶんはだれやんけ(あなたは
誰ですか)とか、すんずめえを飼っている(雀を飼ってます)と
か、よかにせどんじゃ(いい男ですね)とか、日本中で方言をし
ゃべっていたが、その明治期の国語教育が100年以上を経て、
そして文明の利器であるラジオやテレビにのり、ますます標準語
が全国にいきわたり、いまでは全国どこへ行っても若い人の中に
方言をしゃべる人を見つけるのが困難なほど、標準日本語がいき
わたったというべきか。

「文章は、社会が成立して(日本でいうと明治維新があたらしい
 社会を成立させて)100年もたつと、たれが書いても似かよ
 ったものになる」らしい。

鹿児島出身の運転手さんは標準語をしゃべるが、イントネーショ
ンは鹿児島弁そのもので、地方言葉の痕跡をのこしているが、二
十歳になる息子さんはまったくの標準語をしゃべり、親父の訛り
ののこる言葉を田舎臭いと感じているようで、鹿児島弁も私の世
代で終わりですと言っていた。
鹿児島というか薩摩の仮想敵国は江戸の徳川幕府で、藩内のよう
すを探りに忍びくる草といわれる幕府の間者対策のため、江戸期
は徹底的に地方言葉を残しきり、よそ者の侵入を防いだ。
3代に渡って薩摩に忍び住み、完璧な薩摩弁をしゃべる草も最後
は言葉で発見されたという。その鹿児島弁が、今やこうである。


日本中から方言が消えつつあるなあ。
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by kasuya_senji | 2005-12-21 15:09 | Comments(1)
2005年12月20日
フィールド・オブ・ドリーム

アメリカのスポーツイラストレイテッド紙は、思い出に残る今年
の名場面を六つ選んだ。大リーグ、アストロズの右腕、ロジャー・
クレメンスの物語は、その一つだ。
との書き出しでトム・ベルドウイッチの記事を掲載したのが読売
新聞の今日の朝刊。

9月半ば、アメリカンリーグの我がヤンキースだけでなく、ナシ
ョナルリーグ中部地区も熾烈なペナントレース争いをしていた。
マーリンズはアストロズに1ゲーム半差をつけていた。
負けることが許されない両者の直接対決に、アストロズのエース、
ロジャー・クレメンスが予定どおり先発するか確証が持てなかっ
た。なぜなら母ベスさんが亡くなってから15時間しかたってい
なかったからだ。9歳の時父を亡くしたクレメンスにとって大リ
ーグの22年間の活躍は、いつも母に勝利を捧げてきた。
だが、クレメンスはマウンドに上がった。
孤独感を漂わせていた。

最初は、いつものスピードもなくコントロールも定まらなく、自
分を見失っていた。初回でマーリンズはすでに1点を入れ、クレ
メンスは塁上にランナーを背負っていた。もし次のバッターに外
野を抜かれるヒットを打たれれば0ー3となり、マーリンズはア
ストロズの攻撃の前にゲームを決めてしまいそうだった。
なぜなら、クレメンスの登板する試合のアストロズの平均得点は
2点以下だったからだ。
そして、クレメンスは集中し打者を打ち取り、7回まで投げ続け、
スコアーは3—1とアストロズがリードしてクレメンスは降板し
た。

母が亡くなる直前に見舞ったクレメンスにベスさんは言った。

「次の登板の時、チームは10点取ってくれるよ」
クレメンスは母の言葉に笑った。

だが、アストロズは7回8回に大量得点を取って、ゲームは10
ー2で勝利し、ワイルドカード争いをものにし、プレーオフに進
出した。

試合終了直後、ベスさんの生前の姿が球場の電光掲示板の大画面
に映し出され、クレメンスの愛称にちなんでエルトン・ジョンの
「ロケットマン」が流れ、両チームの選手はたちどまり帽子を取
ったという。


記事は最後にクレメンス自身について触れている。

クレメンスはクラブハウスに一人でいた。母の姿を見ると涙があ
ふれた。「母が美しくてうれしかった。母は僕の強さの源だった」
母を失って最初の夜、彼はその力が体の中に残っていることを証
明した。と結ばれている。

フィールドオブドリーム。
43歳の今も153キロを超えるスピードボールを正確無比にコ
ンロトールするロジャー・クレメンス。はたして来シーズンは現
役を続行するだろうか。すでに引退宣言を2度し2度ひるがえっ
てプレーしたのは病床の母に勝利を捧げることであったのだろう。

僕はいつまでも彼の勇姿を見続けたいが、彼がフィールドから立
ち去る決断をしたとしても、おしみない拍手を送るつもりだ。
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by kasuya_senji | 2005-12-20 17:31 | Comments(1)
2005年12月19日
ラジオがおもしろい

車でラジオを聴いていた。
J—WAVEではみうらじゅんがゲストとして出演して、テーマ
は今年の総決算で、今年流行ったものを取り上げ講評していた。
これが、おもしろかった。

パーソナリティー。
「今年は男の眼鏡が流行ったそうです。眼鏡をかけている男はか
 っこいいとネットで評判になり、なんでも本まで出版されたよ
 うですが、これはいかがでしょう」

みうらさん。
「私は、ローガンズです。まあ、ガンズと云われてますけどね。
 エンキーンですよ。この眼鏡をかけている男どもは近眼でしょ
 う?まだまだですね。男はローガンズで一人前。このブームは
 遅いですよ。採用できません」

パーソナリティー。
「では、今年のニュースはなんですか?」

みうらさん。
「アキバのモエブーム。電車男で主人公がエルメスに心引かれて
 電車男じゃなくなっちゃいますが、マニアならエルメスをマニ
 アに引き込むべきですよ。だいたいマニアなんて途中でやめち
 ゃいけません。あれじゃマニアの風下にも置けない。コスプレ
 も、やったらいつまでもやらなくちゃ。マニアもロッケンロー
 ルも一時(いっとき)であれば誰でもできます。まだやってる!
 が肝心。若者にいいたい!キープオンですよ人生は。60才の
 ロッケンロール。いいじゃないですか」

「二つ目は、お笑い芸人レーザーラモンでしょう。あの叫びはフ
 ォーなのかフーなのか。悩むとこですが、最近レーザーラモン
 の写真集がでたからもう買わざるをえないですよ。そしたらそ
 の本にはレーザーラモンがあの格好してる写真にフーと書いて
 ありました。でも、どう聞いてもフォーだから、来年はそこん
 ところはっきりしてほしいところだな。それで続くかどうかわ
 かるね」

「三つ目は、、、、」

と言いたい放題語りたい放題でおもしろくてしょうがなかった。
自分の意見をはっきりいう人はおもしろいね。
例年は蟹の「シオマネキ」が流行る!と予言もしてた。

俺は乱視のガンズかいと思いながら、交通渋滞を聞くためにN
HKラジオに変えると作詞家の岡田富美子さんがゲスト出演し
ていた。岡田さんはぼくとつと語るが、あれだけの名作ヒット
曲を持ちながら自慢げではなく、この曲が詩を書かせてくれた
んですと謙虚で、しかも話の最後にご自分を軽く落とすという
センスがあって、まことに好ましい。またラジオで聴くと柔ら
かくていい声をしている。

パーソナリティー。
「『寿司食いねえ』はとても面白い詩でした。あのガリガリガリ
 ガリガリガリという詩がリズムに乗ってて最高でした」
岡田さん。
「あの曲は、寿司商組合から表彰されたんですよ。でも表彰され
 たのはワタクシではなく『シブがき隊』でしたけど、、、」


この仕事に入って一番最初に出かけた現場はいつもラジオだった。
想像力をかき立てられる、という意味ではラジオは喚起的である。
テレビもネットも良いけれど、あの楽しかったラジオの時代がも
う一度来そうだな。
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by kasuya_senji | 2005-12-19 23:07 | Comments(1)
2005年12月18日
金婚式

かみさんの両親の金婚式がとり行われ参加しました。

義父は80歳。義母は76歳。二人とも老いてますます元気で、
若々しい。義母は、最近詩吟を習っています。

「75も過ぎ80に近付くと、声がなかなか出なくなるとお師匠
 さんに言われてますので、声が元気なうちの今日の記念に一節
 吟じてみたいとおもいます」

と義母の詩吟から会は始まり、義弟の子供たちがまだ小さいから金
婚式の割烹料理の食事会にもあきるだろうとビンゴ大会があったり
と形式ぶることもなく和気あいあいの金婚式だった。

私は、この日のために買ったデジカメで撮影係です。
デジカメはマニュアル読むのがめんどくさいなあ、、
使い慣れた一眼レフの方が使いやすいだろうなあ、、
とおもっていたのですが、デジカメは「写るんです」ほど使いやす
かったのには驚いた。あまり使いやすかったので100枚ほど写真
を撮ってしまった。
あたらしいオモチャを手に入れたので、これから正月にかけての
冬休みは、日本の暮れの市場や寺や正月の神社や人々の風景を社
会派デジカメ小僧として、遊んでみよう。

寒波襲来で今年一番の寒さだったが、ハレの日にふさわしく空は
晴れ渡り、親子孫3代一同にあつまりほのぼのと心暖たたまった
家族の日曜日だった。皆があつまった時に暖かい。家族の暖かさ
とはこういうことなんだろうな。
自然災害は避けられないとしても、名誉や権欲や政治的な正義に
よって引き起こされる戦争で、人々が引き裂かれまたある人々は
死亡し家族が崩壊していく世の中を絶対誰も望んでいない。欲望
がもたらす結果は人間にとってろくなものがないと断言できる。
文明で生きているのではない。
人を愛し音楽を愛し芸術を愛する文化で生きているのだ我々は。
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by kasuya_senji | 2005-12-18 23:21 | Comments(4)
2005年12月17日
冬の京都日帰り

12月16日。金曜日の朝。
8時30分に家を出なければならない。
その日の午後に京都オークラホテルで執り行われる「龍村元氏を
送る会」に参列するためである。龍村元さんは、江戸時代から続
く京都西陣の老舗の織物屋の何代目かの当主で、その帯や反物は
創作芸術と云われ芸術家でもあった。自分との関係は、故人は、
知人であり音楽制作者連盟の顧問弁護士である龍村全弁護士の父
上という関係です。

我が家では、8時過ぎから30分ほどは娘がシャワールームを占
領する時間帯。その前の7時台は倅が使用。娘の後は私の使用時
間帯と家を出る時間によって暗黙の取り決めがある。
倅と娘の時間帯の隙間をねらってシャワーを使おうとしたが、目
の前で娘にシャワールームに飛び込まれてしまった。
結局、自宅を出るのが20分ほど遅れ、新幹線に遅れた。

関ヶ原付近は一面の雪景色だった。
名古屋を過ぎしばらく下ると新幹線の左手の平野のむこうに黒々
と屏風のように立ち上がっている鈴鹿山系がみえてくる。この山
並は滋賀県と岐阜県の県境あたりでいよいよ新幹線にせまりきて、
右手に見える伊吹山との巾は関ヶ原をはさんで狭いところでは2
キロほどしかなくなる。
日本海側から来た冷たい北風は琵琶湖上空をぬけこの山と山の隙
間を東に吹きぬける。
太平洋側からきた水分を含んだ南風は、濃尾平野を鈴鹿山系に沿
うように北上し関ヶ原付近に至る。この北風と南風がぶつかり大
雪をもたらすのだろう。岐阜県の西南部のこの地方が豪雪地帯に
なっているのは、この地形によるのもだと思う。

冬場ともなれば、このあたりで新幹線はいつも徐行運転をしてい
るが、16日は一面の雪景色とは云え通常スピードで関ヶ原を通
り抜けていった。乗り遅れの上に徐行されてはお別れの会に間に
合わなくなるかも、、、は杞憂におわった。

琵琶湖を通り東山トンネルをぬけると京都にはめずらしく暖かい
冬の日だった。京都オークラホテルの会場に展示されていたお父
さんの遺作品の帯や反物を拝見すると、それは見事なものだった。
龍村先生に弔辞を述べ、会場を辞し、龍村家ゆかりの西陣の「鳥
岩楼」まで足をのばし、親子丼で昼食。
親子丼好きな方は京都へ出かけた折り是非一度食べてみて下さい。
京都の一流のフレンチレストランのシェフもすすめています。
タクシーに「西陣・鳥岩楼」といえば誰でもつれてってくれます。
もし、どこでっか?と言われたら、そいつはモグリでっせ。

西陣から河原町二条にでて松栄堂で「のきば」「清風」の2種類
の線香を買い求めイノダコーヒー本店に寄りミルクコーヒーでフ
ルーツサンドを食べた。このフルーツサンドが絶品で、ケーキが
まだ今日のように手軽に食べられなかった昭和初期にイノダで考
案されたサンドイッチ形式のフルーツショートケーキと考えて下
さい。生クリームがたっぷりはさまれてます。
イノダでは、ビフカツも名物で、今回は親子丼あとだったので食
べなかったが、京都に逗留するときの昼飯は散歩がてらのイノダ
本店と決めていて、ビフカツの後にデザートとしてフルーツサン
ドをたのみます。
イノダでお客さんの話す京都弁を後にし京都駅へ。
持ってでかけた「藤沢周平」本が市井もので、悲しく切ない話が
おおく、お別れの会に出かける今日の気分では、すこし読み進み
にくかったから、京都駅で旅のお供の定番の司馬遼太郎の「街道
を行く」シリーズの文庫本を購入。
『吉備の道』の毛利元成の話が興味深く、携帯の電池も切れてし
まったので、誰に邪魔されることなく本に没頭し東京へもどった。
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by kasuya_senji | 2005-12-17 23:12 | Comments(0)
2005年12月15日
忠臣蔵

1996年の9月に文芸春秋社から出版された司馬遼太郎著
『この国のかたち・六』に、日本の近世封建社会のことが書
かれていて、例題として、幕末の長州藩のことが出てくる。

「長州藩士」といういい方そのものが法人的で、たれも「毛
利大膳太夫家来」とは名乗りません。これが、そのかみの元
禄忠臣蔵のなかで「浅野内匠頭家来大石内蔵助」と名乗った
時代から見れば、幕藩体制の組織感覚が、その間に質的変化
したことをおもわせます。(司馬遼太郎)

と、そこに忠臣蔵にふれている。そして、仇討ちに参加した
侍身分でない者(四十七士には加えられていない)の、その
後の話に展開し、元禄と幕末の封建社会の違いが具体的に述
べられるのですが、それは、司馬さんの本を読んでください。

その「浅野内匠頭家来大石内蔵助」によって仇討ちがなされ
たのが、約300年以上前の今日の未明のこと。折しも雪が
降り続き、その出来事を舞台劇のように劇的に印象づけてい
る。
僕の父方の祖父の出身地は、仇打たれた吉良上野介の領地で
あった三州吉良で、歌舞伎や芝居では悪役の吉良上野介も大
名としての素顔は、民政家で領地民にはとても良い殿様でだ
れもが殿様を慕ったという。ちなみに京都から東は三河あた
りまで、殿は様ではなくトノサンとさん呼ばわりされる。
今ではどうか知らないが、祖父が生きていた昭和20年代の
末頃までは、忠臣蔵は芝居であろうと映画であろうと愛知県
幡豆郡吉良町では、かからなかったそうだ。

親父が上京したおりに、「どこか見物したいところがあれば
つれていくよ。皇居なんかどうだい」と聞くと、泉岳寺に行
ってみたいという。あの話は嫌ってたんじゃなかったのかと
いうと「あれは親父の(祖父)の話だ。俺は、天下を盗って
から岡崎衆をそまつにした家康が嫌いだ。そんな奴が住んで
いた江戸城なんかは見たくもない」と忠臣蔵より古い話を持
ち出しよったが、理由は明快であったので、親父とお袋をつ
れて泉岳寺に詣でたことがある。

討ち入りの季節ではなかったが、訪れる人の手によって四十
七士の墓は四十七士分の線香がもくもくと焚かれていて、ス
テージで使うスモークマシンよりも煙がもうもうとしていた。
四十七士の墓地は泉岳寺の山門を入って左の高台にあるが、
なにやらそちらの方面で火事がでているが如きであった。
そういえば、討ち入りの衣装が当時の火事装束であったこと
も線香の煙から連想してしまった。

「風さそふ花よりもなお我はまた春の名残をいかにとやせん」

の浅野内匠頭の辞世の句碑の前でたたずんでいた両親の姿が
思い出される。

内匠頭切腹の後、髪を下ろし尼となってひっそりと生きた揺
泉院(内匠頭奥方)が自宅の庭で大切に育てた梅の木が、揺
泉院亡き後、泉岳寺境内に移された。その梅の古木に白と赤
の梅の花が咲いていたから、訪れたのは、浅野内匠頭が世を
去った季節と同じ早春のころだったように思う。
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by kasuya_senji | 2005-12-15 14:40 | Comments(0)

 
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