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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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闇の傀儡師
2006年2月28日

藤沢周平著「闇の傀儡師」をあらためて読み直している。
あらためて読み直してみて、この本がいったいいつ頃書かれたも
のだろうかと興味がわき調べてみた。

この物語は、昭和53年8月17日号より54年8月16日まで
週刊文春で1年間連載され、昭和55年7月15日に文藝春秋社
より刊行されている。書き始めた時、藤沢周平は51才で初版本
が刊行された時は53才であった。
多くの藤沢ファンが承知のように、昭和48年に「暗殺の年輪」
で直木賞を獲り、その翌年の昭和49年に勤めていた日本食品経
済社を退社し、プロの作家として自立したのだが、このとき藤沢
周平はすでに47才だった。
藤沢周平は山形師範学校を卒業し、故郷の山形県湯田村の湯田中
学の教師となったが、2年後に結核を発病し、教師を辞め、世話
をする人があって、東京都東村山町にある病院に入院、数度の手
術を繰り返し、当時は不治の病といわれた結核は完治し命は救わ
れたが、闘病生活は6年におよび、退院したとき、藤沢さんはす
でに30才をこえていた。

元結核患者であるということで希望した教師への復帰は許されず、
日本食品経済社に入社し、食肉ハムソーセージの業界新聞の編集
者となりやっと生活は安定するが、そのころ結婚し藤沢さんを支
えた妻が長女を出産した昭和38年に癌を発病し28才の若さで
死亡する。藤沢周平36才のこと。
ハムソーセージ業界紙の記者であり編集者である藤沢さんの書く
初期の小説がハッピーエンドではなく、どれもこれも暗いもので
あったのは、こういった人生を通過してきたことによる。
46才にして直木賞作家になるまでのこの間約10年。
そして、やっと初期の暗い悲しい結末の小説から脱却し始めるの
が、50才を目前に控えたころの作品「神谷玄次郎捕物控」あた
りからで、用心棒シリーズもこの時に書かれ始めている。
その後、藤沢周平は平成8年の正月。68才で亡くなるまで書き
に書いた。日本人として心の中にいつまでも忘れられない作品の
数々は偉業としか言いようがない。本棚にある「藤沢周平全集」
をかって私は、音楽業界紙で紹介し「本棚の中の宝物」と書いた
が「蝉しぐれ」の主人公牧文四郎は私の青春物語でもある。

調べてみると、「闇の傀儡師」は51才の時の著書だから円熟期
に入った藤沢作品であったことが分かった。この作品をはじめて
読んだ時に、悪漢無頼小説(ピカレスク)風なところが少し気に
なって、好きな作品群からはひとつ遠ざけていたが、あらためて
読んで、その筆の精緻なことに驚きを隠せない。
徳川将軍家。老中。公儀隠密。柳生流。幕府転覆を願う謎の集団・
八獄党。亡き妻の妹都留との恋物語。妻を死に追いやった叔父へ
の復讐。家を離れ浪人となり糊口をしのぐ手段としての絵描きの
仕事を通じて語られる浮世絵の世界。どうやら、この作品は用心
棒シリーズよりも細は微を穿ち微は細をきわめているようであり、
主人公の鶴谷源次郎は、用心棒の青江又一郎でもあり、蝉時雨の
牧文四郎でもあり、活人剣の平四郎でもあり、そして、どの主人
公にも負けることのない魅力的な青年剣士であった。

696ページという大長編を、今週から始まる滋賀〜宮崎〜鹿児
島コンサートツアーに持ち歩き、何度でも読み返し「闇の傀儡師」
の跋扈する権力と謎に満ちたサスペンスの恋物語の世界に浸ろう。
旅の楽しみここに極まるでござる。
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by kasuya_senji | 2006-02-28 17:35 | Comments(1)
ドロップアウト禁止
2006年2月24日

今朝は久しぶりに倅と一緒に飯を食った。
大学入試は先週末にすべて終わり、しかも1校は合格している。
合格したからといって、必要なことを必要なだけ、聞かれた事を
聞かれただけ答えるという生活態度は相変わらずだが、まあ、な
んとも開放的な顔をしていた。

高校では体育会系柔道部に在籍していたから、頭はつるつる坊主
のスキンヘッドの精悍な面構えで、筋トレと称して今でも毎日腹
筋背筋上腕筋握力のトレーニングを欠かさない。リビングでテレ
ビ映画を観ながら筋トレをやるので、そこらあたりにダンベルや
らゴムチューブやらが散乱している。

体育会系柔道一直線の倅が「彫刻をやりたい」と言い出したとき
は正直言っておおいにとまどった。
高校では国語・社会科系にはあまり興味がないので、どちらかと
いえば理数科系志望かな、、、と息子から聞いた時、
数3なんかやるわけね。
数3なんかさっぱり分からんぞ俺は。
俺は高校入学時から、国立大学文科系と決めてかかってたから理
科は生物を受験選択科目とし、記号や計算が必要な化学・物理は
サヨウナラ。
数学は2−Bまでで数ー3は勉強する必要も無し。
と、高校の授業をたんなる大学予備塾としか考えていないタコな
高校生で、先生方も生徒の将来の人生を示唆するというよりも、
田舎高校とはいえ一応進学校だから一人でも多く有名大学へ進学
してほしい。と、考えている先生がほとんどで、選択した生物で
87点取ってさえいれば物理で15点しかとれなくても

「君は物理のおもしろさを知らないんだね。地球は宇宙の一部だ
 から地球上で物理的に起こり得るすべての現象を解明すること
 ができれば、スナハチそれは宇宙を解明することになるんだよ
 糟谷君。もっと物理を勉強せいヤ!」

などと教え叱ってくれる先生は一人もいなかった。
糟谷、、あーあの物理ができない生徒ね、、困ったもんだね。あ
の出来の悪さは、、、くらいしか先生も認識してなった。

まあ自分のことはあまりにも古い話であるからそれくらいにして、
倅君は、たまたま国語・社会科に興味がないと云うだけで、よく
理数科系に進もうとするもんだな。と呆れるやら同情するやらし
ていたが、「文」でも「理」でもない「彫刻」と言われた時には、
まさしく「想定外」で、そりゃまたどう考えりゃいいんだ儂は。
エライコッチャナというのが正直な感想だった。

まず。芸術・造形・美術大学に彫刻科があるのは知っているが、
彫刻をやるのに大学に行く必要があるのか無いのかが全く分から
ない。知り合いの備前焼の陶芸家は陶芸家であった父親の元で子
供の頃から修行をし、今では無形文化財(人間国宝)一歩手前の
陶芸作家であるが、大学には行ってない。
高村光雲ものちに美術学校の先生にはなったが、行ってない。
イサム野口はいかがだったろうか。
ミケランジェロも大学には行ってない。
大学受験はともかくも、その後彫刻家で飯は食えるんかいな??
芸術と金銭を比べるとことは、いかがなもんか。とは分かってい
ながら、親としてはいつまでも倅の面倒を見るものではなく一日
も早く大人として自主独立してくれる事を願うものだから、飯食
える食えないのそのあたりは気にもなる。

そこで、知人の京都造形芸術大学のN教授に教えを請うた。
彫刻という立体的な造形をしっかり勉強することによって、都市
工学的関知から、これからの未来の町・都市造りに必ず必要な人
材がそこから出てくることでしょう。そういった意味でとても重
要な研究であると思います。とN教授から教えられ、納得した。
では、4月からは頑張って勉強してもらおうじゃないか。
青春も謳歌して、可愛い彼女を見つけてもいいぞ。
ただし。親父(拙者でござる)のように大学に入った瞬間ドロッ
プアウトするなどと云うことは、無しにしていただきたいもので
ござる。
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by kasuya_senji | 2006-02-24 18:07 | Comments(1)
スポーツ新聞
2006年2月23日

少し前。
フィリッピンのギネス男とギネス女が結婚したそうだ。
ギネス男は、ムカデ1000匹と暮らしてる男。どんなことであ
れ世界一を記録してるのがギネスブックだから、あなたがムカデ
1200匹と暮らしていれば申請してみると良いだろう。ギネス
男になれるかもしれない。かもしれないとは云ったが、どのよう
に申請してどんな審査があるのかは知らないが、1000匹でギ
ネスならば1200匹ではまちがいなくギネス。

女ギネスさんは、毒蛇200匹と暮らしている女。
貴女が毒蛇300匹と暮らしていれば貴女もギネス女になれます。
この二人、フィリッピンのテレビ番組に出演した折りに知り合っ
て交際がはじまりめでたく結婚とあいなったそうでござるが、通
常、ムカデ男に女は寄りつかず毒蛇女には男は寄りつかないもの
でありますゆえ、「一目会ったその日から恋の花咲くこともある」
との西川きよし師匠の雄叫びで始まった、あの幻のテレビ番組
「フィーリングカップル5対5」よろしく、まさしくムカデ男と
毒蛇女にとってテレビ番組での出会いは、人には全くワカリ得な
い人生を共有していた二人の運命的な出会いとも云うべきものだ
ったのだろう。

結婚式の司会を西川きよし師匠がやったら面白かったろうなあ。
「フィーリングカップル」に出演しカップルになり交際が始まっ
て結婚したフィーリング夫婦も幾組もいたことと思うが、このギ
ネス夫婦までの運命の出会いはなかっただろうから、ここはひと
つきよし師匠の「一目会ったその日から、、、」の雄叫びでジャ
ジャジャジャーン・ジャジャジャジャーンと結婚行進曲鳴り響き
ムカデ新郎毒蛇新婦のご登場と願いたいモンだった。

ムカデと毒蛇がとりもつ縁があるとはこの記事を見るまで思いも
つかなかったが、フィリッピンで行われた実際の結婚式では嬉し
さのあまり新郎はムカデを口にくわえて登場し、その写真が新聞
に掲載されていた。もちろんスポーツ新聞で読朝毎紙ではない。
こういった記事の取り上げ方がいかにもスポーツ新聞的。

競馬競艇競輪釣りをやらないからスポーツ新聞を読む楽しみはほ
とんどなく、まず購読することはないが、スポーツ紙はあれはあ
れで面白く考えられた紙面構成になっている。
1面にはイチローがオリックスの紅白戦に出場、清原・中村とプ
レイしたとか、3面には巨人の上原がワールド・クラッシック・
ベースボールの出場をにらみ例年になく早い仕上がりであるとか、
4面には怒ったような朝青龍のマワシ姿や、5面にはKー1の武
蔵があーでこーで。6面にはプロレスの蝶野があーでこーで。と
格闘技系の記事が載っているが、7.8.9.10、11,12、
13,14面の4枚は、競馬競輪競艇釣りなどの記事面で、競馬
競輪がお好きなS君はその真ん中の4枚が必要なだけであるから、
スポーツ面と裏表紙側の芸能記事社会記事エッチ記事を一読みし
た後は、その部分が載っている3枚を捨ててしまう。そして中の
4枚だけを折りたたんで一日持ち歩き、時に取り出しながめつつ
週末の競馬競輪のギャンブルデータブックとするのであるそうだ。
読者を決め込んでいるスポーツ新聞だから出来る紙面構成なので
ある。

といわれても競馬競艇競輪釣りに興味を持っていない私は、その
紙面構成には感心はするものの購買はほとんどしない事は変わり
ない。でも、たまたま誰かが買ってきて楽屋に置きっぱなしにな
っているスポーツ紙をながめていると、読朝毎紙には掲載される
ことのないムカデ男と毒蛇女の結婚記事が載っていたりするもの
だから、時にはコンビニで買ってみたりもするのである。
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by kasuya_senji | 2006-02-23 15:04 | Comments(2)
串カツともつ鍋
2006年2月21日

大阪通天閣あたりの串カツ屋でコンサート2日目の成功を祝って
食事をしたいので手配をねがえないかとキョードー大阪の吉田君
に申し入れると、あきません。あの辺りは夜9時も過ぎると店は
開いてません。特に日曜日の今日は無理ですわ。と北の新地にあ
る小綺麗な串カツ屋で飯を食うことになった。

昔行ったことがあるバラックのような安普請のソース2度づけ禁
止の串カツ屋の平べったい牛串カツ屋にいきたかったな。小綺麗
なこの店は味はたいへんよろしいが、店が小綺麗な分だけ大阪に
いる気分がしない。これなら、東京の青山や赤坂銀座あたりで食
ってるのとさほと変わらないなあ。
西成のあの店は、たしか、牛串カツ1本100円もしなかったと
思うが、この小綺麗な店は36種類の串カツがあり、店にまかせ
ると、1本づつ36種類が次々にでてくる仕掛けになっていて、
適時、腹と相談の上ヨロシカロウというところでSTOPをすれ
ばよい。というのでまかせることにしてビールで乾杯。
おまかせで、エビ、タマネギ、レンコン、牛、豚、鳥など出てく
るもの出てくるものどれもこれも美味いが、いったい一本いくら
なんだろう、、、
西成の店の2倍はするんじゃないか、、、
と吉田君に言うと、よろしいじゃありませんか。北の新地と西成
とで値段を比べたら、そらあきませんわ。今日は、最高のライブ
を観せていただいたお礼ですから、シャチョウは勘定を気にする
ことはありませんと吉田君からのゴチ宣言がでたところに、オン
ザラインの大楽君が合流してビールで乾杯の後に酒は焼酎に移り、
いったいどうしてこの3人はここで飲み食いしてるんだ?ホワイ?
コンサートのお祝いじゃないですか。
いやいや。そういうことではない。
そもそもなぜこの仕事に入り、そしてこの仕事に入った時はこの
3人で仕事をするという関係になかった者同士。いったい、どう
いう流れが我々の身に起こり、流れ流れて、ここで飲んでいるの
であろう。どの職業にも云えることだと思うが、特にこの我々の
業界は離合集散が激しい。いったいなぜこの3人?ホワイ?

吉田君はあーでこーで。大楽君はあーでこーで。そいでもって拙
者はあーでこーで。なるほどそういった分けでこの3人はここで
飲んでいるのでござるなといったあたりで腹がいっぱいになって
串カツSTOPをかけた。かけたところ、今揚げてるものが2本
づつありますからと腹いっぱいになってから新たに2本食うこと
になって串カツ屋の食事会は終了。大阪の串カツを堪能+2本。

話は変わって東京の下町の大阪屋。
門前仲町の深川不動の門前町の横町にある大阪屋。
大正時代に始めましたという古い歴史を持つもつ鍋屋で、あたり
一帯はいかにも古くさい下町の風景の横町であるが、この店は数
年前に店内を軽く新装して、小綺麗なもつ鍋屋。店は一間間口の
小さな造りで10人も入れない。
もつ鍋屋といったが、10年ほど前にいきなり東京の繁華街に出
現し、その後さっぱり人気がなくなり、そしてまた復活の兆しを
みせている「水炊きの博多風もつ鍋屋」ではない。
いわゆる「どて鍋」で、鍋のふちのを土手に見立てそこに赤みそ
を貼り付けスープは水と酒とみりん。それに軽く砂糖を入れ甘さ
をだし、とことこと煮るうちにみそが溶け酒とみりんと砂糖とこ
てこてと混ざり合う。そこに、湯通ししたもつを串刺しにして放
り込む。甘いみそ味の柔らかいもつが鍋でくつくつと煮えている
のを前に、3本ちょうだいといって冷たい生ビールを飲む。でて
きた串もつに赤唐辛子をぱらぱらふりかけて熱々を食う。今度は
4本ちょうだいとビールをお代わりする。熱々を食う。
店の外では、何人かが待ってるようだ。
頃合の良いところで勘定をして店を出る。
串もつは、たしか1本120円で、西成の串カツ屋とほぼ同じ。
10本食って生ビール2杯お代わりして、一人2000円くらい
だった。あんな美味いもの食って2000円だなんて。食い物が
安くて美味いのが大阪の下町だが、東京の下町も負けてないな。
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by kasuya_senji | 2006-02-21 16:10 | Comments(2)
楽屋のシャンパン
2006年2月19日
                       
昨夜は、布袋&ミュージシャンとの食事会の後、ライブに来てく
れた辰吉丈一郎さんの奥さんのるみさんとその友人とスタッフ数
名と一緒にバーで軽く一杯飲んでホテルにもどった。

朝起きるとメールが入っていた。
どこにいるのよ。とかみさんからだった。
ここ2ヶ月間以上大阪フェス大阪フェスと大阪フェスの初日に照
準を合わせてきたものですから、私にとっては大阪フェスティバ
ルホールで幕が開くのはあまりに当たり前すぎる事で、いつの間
にかかみさんも知ってるものだと大いなる勘違いをし、明日から
2日間出張。ツアーの初日。とは伝えたが、どこへ行くかは伝え
忘れてしまっていた。

腹が減っていたので、かみさんに謝りメールを入れホテルのレス
トランで町田康著「正直じゃいけん」を読みながらの朝食。
初日の大阪は縁起もので、と着物を着ていったのでレストランで
食事をしていた隣のテーブルの外国人グループの方々にジロジロ
見られた。イギリス人かと思ったら別で何語かわからない言葉を
話していた。フランス語でもないドイツ語でもないイタリア語で
もなくスペインポルトガル語でもなく聞いたことがない言葉だっ
たので、勝手にアルメニア人かなときめて食事にとりかかる。
イギリス人かと思ったのは、中の男のひとりがイギリスの有名な
サッカー選手に似ていたからそう思ってしまっただけのことで特
にそれが違っていたからといって私にはなんの関係もないことだ
から、卵、ソーセージ、ヨーグルト、トマトジュース、ポテトを
バイキングで取り分けて町田作品に没頭した。
しかし。しかし。町田康恐るべし。面白すぎる。この人の本を読
んでいると、こうしてチマチマと文章を書いている自分の才能の
無さをイヤと言うほど知らされまったくイヤになるが、天才町田
康と自分を比べてどーするんだという神の声も聞こえてくるよう
で、人の才能は羨むものでなく享受するものだと合点して町田作
品に没頭してると、ボーイがそろそろ朝食の時間が終了します。
お料理はこれで最後になりますがよろしいでしょうかというから、
お粥を掬いに立ち上がると、テーブルの上に食べ尽くした皿が山
盛りになっている隣のたぶんアルメニアの方々も一斉に立ち上が
り最後のミールを取りにかかったのには、食欲旺盛やねえとただ
ただ感心した。ヨーグルトがなくなったとボーイに手で言ってた
からブルガリア人であったかもしれない。ブルガリア人であるの
なら、大阪場所の琴欧州を観に来たのかもしれない。

昼過ぎまでホテルの部屋で後白川院の今様(当時の流行歌謡のこ
と。それまでは天皇が主となっての勅撰集の和歌集はあったが、
天皇または院政を牽いてからの上皇が、庶民の歌の今様を編集し
たのはこの「梁塵秘抄」が初めてのことだった)と「正直じゃい
けん」を交互に読み、その後フェスティバルホールに向かう。
会場で辰吉さんに会った。昨夜はるみさんを遅くまで引き留めて
しまってすいません言うと、かみさんはホントにおもしろかった
と喜んで帰ってきましたよ。面倒見ていただいてありがとうござ
いました。とのことだった。辰吉さんは昨日はトレーニングで会
場にこれなかったので、今日観ます。大阪人の坂本監督も今日観
ます。

2日目は初日に増して最高のライブだったと思った。
ステージを降りてきた布袋とミュージシャンとシャンパンで乾杯
し、オツカレサマ!と楽屋にもどり、帰る支度をし始めていると、
ツアーマネージャーのスパイクが「糟谷さんいますかー」と声を
上げて楽屋に飛び込んできた。
布袋さんが社長を呼んで欲しいと言ってます。
なんだろう。なにかあるのか?いやわかりません。とにかく社長
を呼んで欲しいそうです、と言われ楽屋を訪ねると布袋がシャン
パングラスを片手にニコニコと笑顔で待っていた。
今日は最高の気分です。二人だけで乾杯をしたかったのでと言っ
た。プロデューサー冥利に尽きるとはこの瞬間だ。
二人で飲み交わしたシャンパンが最高に美味い夜だった。
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by kasuya_senji | 2006-02-19 23:51 | Comments(4)
大阪フェスティバルホール
2006年2月18日

本を忘れてしまった。
新幹線で大阪へ行くのに読み物が手元にないなんて考えられない。
東京駅で弁当を買いお茶を買い煙草を買い新聞を買いキオスクの
棚をみるといくつかの文庫本が並べられ売られている。
財団法人JR東海生涯学習財団が発行した「見果てぬ夢」—平安
京を生きた巨人たち。と言う本が目に入ったので購入。

巨人たちは、在原業平、平清盛、後白河院、後鳥羽院の4人。
在原業平は、伊勢物語を取り上げて、
平清盛は、平家物語を取り上げて、
後白河院は、今様を取り上げて、
後鳥羽院は、新古今和歌集を取り上げて説明する。という形式で
本は構成されていて、文学的観点から武家台頭の時代を生きた4
人を今に蘇らせている手法に感心する。
歴史や文学の研究者ならいざしらず、生涯学習というのはこうや
って勉強するんだな。とさらに感心。
そういえば、早稲田大学の聴講生になって3年ほどたつが、ここ
最近は受講してないなあ、、、
一度授業を欠席すると、あとはずるずると行かなくなるのは初め
からわかっていたから、スケデュールをなんとかやりくりして早
稲田に通っていたが、どうしても都合がつかない出張が2週連続
でつづき、そのあとはやっぱり行かなくなってしまったなあ、、、
と考えているうちに大阪駅に到着。
改札口をでて、地下にある本屋で町田康氏の「正直じゃいけん」
を購入、フェスティバルホールに向かう。

初日の楽屋は緊張感があってたまらなくいいねえ。
舞監の江坂と照明の佐々木さんと打ち合わせ。ゲネプロから若干
の手直しがあった。ゲネプロの映像を見た布袋から提案があった
そうで、センターピンの使いどころの変更と曲による照明の明暗
のメリハリがポイントだったが、デジタルライトへの指令データ
のやり直しという大げさなものではなく、指摘ポイントはすべて
人力でおこなえるものなので「リハには片づきます」との事だっ
た。
鹿児島にいる美樹さんからメールが入ってきた。今井美樹さんは
昨年の10月にヘルニアの手術をし、ツアーの日程が変更になり、
その結果、今井ツアーの最終日とホテイツアーの初日が重なって
しまっていた。
メールには、ここまでこれたことに感謝しつつ、今日のステージ
で歌う曲に愛おしさを込め今宵を楽しみます。大阪の初日が成功
しますよう。とあった。

開演5分前です!と江坂の声が響き渡った。
では、楽しんでください!と布袋の言葉に送られ客席へ。
開演直前になって会場はホテイホテイホテイのお客さんの大合唱
が始まっている。
ホテイホテイホテイの大合唱鳴りやまず、ウオーウオーウオー歓
喜の雄叫びさらに鳴りやまず、場内騒然とした中、客電が落ち、
ドーベルマン以来足かけ2年ぶりのホールツアーコンサートが始
まり布袋がステージに立った。
鳥肌が立つ瞬間だった。初日の幕開けだけは何年やっていても変
わらない緊張と感動がある。この緊張感がステージに生きる者に
とって「たまらない!」と誰もが言う。

大歓声の渦の中コンサートは終了した。
まことにリラックスした大人のロックコンサートだった。
お客さんにはたまらなかったろうな。
ステージを降りてきた布袋とシャンパンで乾杯。
スタッフと握手を交わし楽屋に戻ると美樹さんから、最終公演終
了しましたとシャンパングラスを片手にニコニコとミュージシャ
ンと一緒の集合写真が添付されたメールが届いた。
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by kasuya_senji | 2006-02-18 23:55 | Comments(1)
ゲネプロ終了
2006年2月17日

会場でサウンドチェックに続き、リハーサルが午後4時に終了。
6時からの本番さながらのゲネプロの始まるまでに2時間ほど
時間がある。

舞監もPAも楽器も照明も最後の調整に追い込みをかけている。
布袋の楽屋では衣装合わせが行われている。
バンド楽屋ではヘヤーメイクが行われている。
ツアー制作スタッフは、明後日の大阪フスティバルホールへ向
けての移動時間の最終確認と担当スタッフのシフトの確認。
今後の一般発売チケットの打ち合わせ。
機材のバラシとトラックへの積み込みのシュミレーションはト
ランポチーム。
東芝EMI制作陣は、録音の確認。映像収録の確認。
東芝EMI宣伝部は、大阪のマスコミ招待者の確認。
ステージ、楽屋、廊下で人がゴチャゴチャと動き回り、点呼点
検確認と大忙しのさなかに、舞監の江坂の、
「ゲネが終了すると即ダメダシに入るから、飯食えるスタッフ
 は今のうちに食事を済ませるように!」
とふれがまわり、この間隙をぬって食事をすませるスタッフ達。
ケータリングスタッフからトレイに、みそ汁、山盛りご飯、白
身魚の西京焼き、豚の角煮、湯葉の昆布巻き、エリンギの芥子
炒め、おしんこを乗せてもらい入れ替わり立ち替わり楽屋で飯
をかき込んでいる。

衣装合わせが済んだ布袋と楽屋で談笑し、あと30分後にはゲ
ネがスタートする5時半頃、携帯が鳴った。
かみさんからだった。
「亮太が大学に合格した」という連絡だった。
生まれたときから息子を知っている布袋に報告すると、自分の
ことのように喜んでくれた。

ゲネが無事終了。
問題があれば、会場に残って江坂と照明の佐々木さんと何らか
の打ち合わせが必要かと思っていたが、なんの問題もなかった。
「ゲネはいつもぴりぴりしてるものですが、こんなにリラック
 スしたゲネも初めてですよ」と言うプロモーターのオンザラ
インの大楽君の言葉をあとに、布袋を乗せた車と一緒に会場を
でたが、高速が空いていたので布袋車をあっという間に置き去
りにし、倅の顔見たさに少しばかりスピードアップして家に帰
った。
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by kasuya_senji | 2006-02-17 14:12 | Comments(9)
最終リハーサル
2006年2月16日

ツアーを目前に控え最終リハーサルが行われている。
昨日は、照明のテクニカルリハーサルが行われ、デザイナー・プ
ランナー・オペレーターである佐々木さんの指示で、照明チーム
が細かいところを手直し、繰り返し繰り返しチェックするという
丁寧な作業が一日中続いた。外はまるで初夏のような暖かい日だ
った。

今日は午後から布袋&バンドメンバーが会場入りし、本番同様の
リハーサルが行われる。コンサート会場を借り切ってのこういっ
たリハーサルが行われるようになったのは、いつの頃のことか。
僕が長渕のマネージャーだった頃は、行ってなかった。
BOOWYのころもやってなかった。
1988年の東京ドームのLASTGIGSも舞台照明プランと
曲は同時進行しながらも、本番で初めて一緒になるという一発勝
負のスタイルだった。
布袋の最初のソロのギタリズムの代々木体育館でのライブもゲネ
プロは行われていない。
あの当時は、歌舞伎や芝居やミュージカルなどは舞台を使っての
最終リハーサルが行われていたが、それは、同じ会場での長期公
演であるからで、我々のコンサートのような1会場1会場、都市
と町を移り変えて全国で行うというスタイルでは、考えられなか
った。
たぶん、あの当時ゲネプロを行っていたのは、大きな会場で像が
登場するというサーカスと合体したような大がかりな演出でライ
ブを行っていたユーミンくらいじゃないかと思う。

「レコードが売れまくり、印税を税金で持って行かれるくらいな
 ら、コンサートに経費をたっぷりかける。いや、うらやましい
 ことだ」

と、レコードの売り上げもコンサートに掛ける経費も十分にある
御同業者を、人ごとのように、ただうらやましがっていただけだ
った。

布袋の最初のソロプロジェクト・ギタリズムー1が終わり、コン
プレックスのレコーディングのミックスでロンドンに行った時、
スイスコテッジの日本料理屋「わかば」でピンクフロイドのデイ
ビッド・ギルモアを紹介された。
デイビッドが店のすぐ近くのハムステッドに住んでいて「わかば」
の常連で、我々と同じく店にとってご贔屓のお客であった事と、
その時デイビッドと一緒に食事をしていた客が、我々のイギリス
人の友人と古い友達であったことから紹介された。
その時に、ピンクフロイドは世界ツアーをするときは、カナダの
ある町の飛行場の格納庫を貸し切り、そこにステージを組み立て、
舞台・照明・演奏・演出を同時進行でリハーサルを繰り返し、最
後にそのライブの模様を何台ものカメラでビデオ収録し、完成し
たその映像を世界各国のプロモーターに送り、2年後の×月○日
から世界ツアーを行うと発表する、とデイビッドから聞いたのだ。

「コンサートが2年前に完成している!、、、
 同じ仕事をやっているとはとても思えないなあ、、、
 今までは、ただユーミンをうらやましがっているだけだったが
 会場に来てくれるお客さんのために、すべてを用意して届ける
 ことがこれからの大いなる目標だなあ、、、
 もう一度、コンサートにかかる経費の見直しをしなけりゃなあ。
 デイビッドの娘さんが、どういう訳かギタリズムー1を持って
 いて、彼女はホテイのファンなんだよと言ってくれたなあ、、、
 いつかデイビッドが我々のコンサートを観に来る日が来た時に
 けっこうやるじゃないか、と言われたいもんだなあ、、、」

よそのことは知らないが、我々がコンサートのリハーサルにゲネ
プロを取り入れたのは、コンプレックスからだった。楽器機材も
PA機材もあの当時からは格段に進化したが、一番進化したのは
照明機材だろう。昔は照明も当たり前のようにアナログで、照明
のオペレーターが、照明卓のフェーダーやボタンをエイヤ!と押
しながら光をコントロールしていたが、今はデジタルのムービン
グライトが主流で、データーを打ち込み、実際に舞台に上がった
演奏者の動きにあわせて光の世界を作るのだから、ゲネプロは必
須になった。ちなみに、昨年のゼップツアーは、デジタル照明を
一切使わないというコンセプトだったから、ゲネプロは行われて
いない。
ここまで書いて、気がつくともう正午を回った。
最終リハーサルに出かける時間が来たようだ。
それでは、皆さんとは今週末の大阪フェスティバルホールから始
まる全国ツアーの会場でお会いしたいと思います。

出かけようとしたら、キョードー北陸の後藤社長から「秘密」読
みました。涙が止まりませんでした。と嬉しい電話が入った。
では、ゲネプロに行ってきまーす。
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by kasuya_senji | 2006-02-16 13:26 | Comments(7)
バレンタインデー
2006年2月14日

今日はバレンタインデー。
この日は、クリスチャンであれば恋人同士贈り物を贈りあう。

「ALWAYS3丁目の夕日」という映画で、懐かしき昭和の風景が
描かれていたが、昭和30年代まで遡らなくとも昭和の風景はあ
った。クリスマスとバレンタインデーである。

一昔前の12月24日は、夕方過ぎて新宿駅の構内を酔っぱらっ
ちゃったオヤジサラリーマンが紙で作った赤や青や緑の三角のと
んがり帽子かぶってクリスマスケーキ片手にぶら下げ、ジングル
べージングルべーと唄いながら千鳥足で歩いてるのを見たものだ。
友人のイギリス人が東京の繁華街を歩いて、ナンデ日本人はクリ
スマスに外で酒飲んで大騒ぎをするんだい。ホワイ?
と不思議がっていたが、さすがに、最近はそんな風景を見なくな
ったなあ。見なくなってみると昭和の風景として懐かしさも感じ
てしまうのは、なんとなくおかしみがある。

同じく昭和の風景として、バレンタインデーのチョコレートの贈
り物があった。恋人同士の贈り物=スイートとの連想から、頭の
いい製菓会社の宣伝マンや代理店の企画プランナーが思いつき、
始めたことと思うが、友人のイギリス人は、バレンタインデー=
チョコレート?ホワイ?と言っていた。
青春真っ直中の恋人同士は別として、こちらには、最近はバレン
タインデーにチョコレートが送られてくることもなくなった。
チョコレートが欲しいよう、ということではないが、1個もない
のは、ホワイ?だな。誰も俺を愛してないのかい?

今日の午後、外での打ち合わせの帰り、タクシーに乗った。
乗り合わせたタクシーの運転手さんもチョコレートを貰ったこと
がないという。ところで、あの占い一夫多妻オヤジはチョコレー
トを貰っていたのか?とタクシーの運転手さんとどうでもいい話
になった。

「婚姻届けは常に一人だから、戸籍上は一夫多妻じゃないけど、
 貰ったんですかねえチョコレート。どっちでもいいけど私には」
「全員から貰うか、誰からも貰わないかのどちらかでしょう」
「あれだけ女がいるとややこしいよねえ私には」
「あいつ吐きましたよ。運転手さん」
「えー。チョコレート食って?」
「違いますよ。あんな生活をしているのは金を貢がせることと性
 欲を満たすことだって警察で吐いたんですよ」
「11人いたんですよね。ひとり15万円稼いでくるとすると、
 、、、月165万になりますね。タクシー運転手じゃ考えられ
 ないですよ私には」
「だとすれば、年収は、、、、1980万になるなあ」
「高額所得者じゃないですか、あのオッサン。私とエライ違いだ」
「それだけ金がありゃチョコレートくらい貰えたかもね」
「お客さん。チョコレートは精力剤でしたっけ?」
「どうかなあー。でも、豆類は体内でマグネシウムを作り出すに
 は必須のものだから体力増強にはいいかもですよ。あッ。ここ
 でけっこうです。そのバス停の先で」
「1860円になります。お忘れ物ないように」
「1個くらい届いて欲しいもんだね。縁起もんでいいから」
「ハハハハハ。またよろしくお願いします」

事務所に顔を出したら、チョコが2つ届いていた。
まだ、昭和の風景も義理も人情も残っていたぞと。
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by kasuya_senji | 2006-02-14 17:59 | Comments(2)
湯島天神
2006年2月12日

苗場から帰ってくると、かみさんが「時間があるなら今から湯島
天神にいこう」といいます。大学受験で悪銭苦闘している息子を
側面フォローしようとの心づもりです。

「あんなものは当の本人が行かなくちゃゴリヤクはないんじゃな
 いの?」
「でも、聞いてみたら本人じゃなくてもいいんだって」

そういえば何年か前の冬場、梅を詠もうと湯島天神で行なった句
会の時、名古屋のサンデーフォークのSが、願掛け願掛けと句会
そっちのけで必死にお参りしてたなあ。あとでSから、さすが湯
島天神はゴリヤクがありました。息子が合格しました、と言って
たから、、、当人でなくてもいいか、、、

「だから、湯島天神にいきましょう!」

と二人で湯島に出かけた。

ちょうど天神さんでは「梅祭り」が開催されていて、人々が境内
にあふれていた。人も訪れない淋しい神社はゴリヤクが少なそう
であるから、神主さんに「受験成功祈願」をお願いした。
ご祈祷料は、3千円5千円1万円3万円とありますがいかがいた
しましょうと言われたので、ここでケチっては受かるものも受か
らないと5千円!を奮発した。たいがいは、お賽銭箱に小銭を投
げ入れて「・・・・・」どーぞよろしくだから、5千円は大枚で
あるのだ。

祈祷が終わって、かみさんが絵馬に「どこどこ大学合格祈念」と
書いて絵馬を飾る棚に結びつけているのを眺めながら、湯島天神
は芝居になった「婦人系図」の舞台でもあったなあ。お蔦と力の
恋物語はこの天神様の境内であったなあ、、、、と思っていると
「恋みくじ」というお神籤があったので、つい買ってひいてみた。

第三十三番「大吉」。
恋の歌は、
「愛すればますます深いよろこびに変わることなく結ばれた恋」
愛情運は、
「真実の愛を知った二人です。もう別れられません」

落語「火炎太鼓」の甚兵衛さんは道具屋さんで、仕入が下手な上
に商売が下手だと、しっかり者の女房にいつも尻を叩かれている。

「あんた、この間このタンスはいいものじゃないかと客が言った
 時、なんて答えたの?ええ、うちに6年も置いてますからいい
 物ですよって。6年も売れない物でございますと客に言ってる
 のと同じだよ。バカだねえ、、大家さんが来た時もこの火鉢は
 いいねえというからって、あんた売っちゃったじゃない。あれ
 からうちに火鉢がなくなったよ。寒いからって大家さんのうち
 にあんたあたりに行くから、大家さん言ってたよ。なんだか火
 鉢と一緒に甚兵衛さんまで買っちゃったようだって。この太鼓
 もどうせ売れないんだろうけど、さっさと売ってきなさい!」

と、家を追い出されるように、太鼓をかついで売り先に行く。

「ほんとにナンだねあの女は。ああいうのはずうずうしいから一
 生家(うち)にいるよ」と、甚兵衛さん客を笑わせますが、

甚兵衛さんも「もう別れられません」の口だろう。となれば、
俺も甚兵衛さんかいな。で、かみさんに見せると、

「えー。真実の愛なんか知らないわよー。当たってないんじゃな
 いの」
「おいおい。この天神様でゴリヤクゴリヤクと願掛けたんだろう。
 菅原道真公に失礼じゃないの。浮気は凶運を招きますとも書い
 てあるぞ」
「あったり前じゃない!。それより学問はなんて書いてあるの?」
「えー。学問は集中力が身につけば必勝まちがいないとある」
「うーん。あの子は集中力に欠けるところがあるからなあ、、、
 よし!家に帰ったら集中しなさい!と注意しようっと」
「あんまり力むなよ。たかがお神籤なんだから」

あーでもないこーでもないと会話の末、境内にでていたせんべい
屋のできたてせんべいと、蒸かしたての酒饅頭を買って、車の中
でかみさんはせんべいをバリバリと、こちらは饅頭をホクホクと
食いながら家に帰った。お茶が欲しかったなあ、、、、

「次は濃い目のお茶がこわい」とサゲた落語「饅頭こわい」の話
に妙にリアリティーを感じた湯島天神だった。
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by kasuya_senji | 2006-02-12 23:44 | Comments(1)

 
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