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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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浄土へ
2006年4月28日

長渕剛さんの父上が亡くなり、通夜・告別式に参列しました。
告別式の模様は、27日の一部の朝刊でくわしく報道されていま
したから、知っている方も多いと思いますが、感動的な別れの式
でした。
このブログの糟谷岡崎堂のプロフィールにも書いてあるとおり私
は長渕剛(敬称略)のマネージャーでした。お父さんは晩年は東
京で暮らしましたが、私がお会いした当時は鹿児島市に在住でし
た。柔道5段の○暴担当刑事としてならし、数々の武勇伝の持ち
主でした。初めてお会いしたのはもう30年近くまえの事ですか
ら、ちょうど今の長渕剛と同じくらいの若さでした。
お酒が好きで冗談が好きでとにかく陽気な人でした。
長渕も私も若く、とかく無鉄砲なところがありましたが、そんな
アーティストとマネージャーの二人三脚を兄弟みたいだと言って、
心暖かく見守っていただきました。
よく鹿児島の長渕家におじゃましては飯をくわせてもらったもの
です。センチャン(剛のおかあさんもおとうさんも私のことをセ
ンチャンと呼んでました)は、腹が減ると家に来るなあといって、
あれも食えこれも食えと世話をやいてもらって、なんだか親戚の
家に遊びにいったような感じだった事を懐かしく思い出します。

話はそれますが、
司馬遼太郎さんはオランダ紀行で、不出生の天才画家・レンブラ
ントの「テュルプ博士の解剖学講義」について書いています。
それによれば、トゥルプ教授は高名の医者で、特に解剖ができる
ことが他の医者と一線を画していたようで、それを是非絵にした
いと若き絵描きとして売れ出したレンブラントに依頼しました。
今では信じられないことですが、当時、医者は床屋が兼ねていま
した。刃物でちょっと切ったり貼ったり縫ったりする技術は刃物
をあつかう床屋の仕事でした。今でも床屋の前に、赤と青と白が
くるくるとまわる看板がありますが、あれは動脈と静脈と包帯を
あらわしている当時の医者の看板です。
また、東インド会社の東洋航海の船にも船医が乗っていましたが、
キャプテン・一等航海士・二等航海士・三等航海士の順次の下に
炊飯係がいて船医はその下であったようです。ようするに医者の
身分はそれほど低かったわけで、トゥルプ先生としては、傷の切
った貼ったの手当をする床屋医者ではなく、人体の構造を知って
いる特別な医者であることを世間にアッピールするために、解剖
をしている絵が必要だったのです。
この絵はあまりにも有名ですからいちいち説明はしませんが、死
体が真ん中に横たわり、右に先生が左腕を解剖し、左にはその解
剖講義を見つめる7名の人々が死体を取り囲んでいる、という構
図になっています。後世レンブラントはシェイクス・ピアと並び
称されますが、この画の構図はまさに演劇的であると司馬さんは
言ってます。
ちなみに、この死人の名前は分かっているとも司馬さんは言いま
す。アドリアーン・アドリアスゾーンという罪人で絞首刑に処さ
れた実在の人物です。そして、レンブラントはその死体を、死者
だけがもつ威厳に満ちた表情で描き上げているとレンブラントを
絶賛しています。
あらためてレンブラントの画集を引っ張り出し絵をみてみました。
解剖をしているトゥルプ先生の誇り高き顔。驚きの表情で解剖を
見守る人々の顔。一切の感情から解き放された死者の顔は見事な
までに「威厳」に満ちて描き上げられていました。

東京築地本願寺。
横たわる剛の親父さんは威厳に満ちた顔をしていました。
すべての欲望からすべての喜びからすべての悲しみから、そう
したすべての思い出から解放された威厳に満ちあふれたすばら
しい顔でした。

合掌。
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by kasuya_senji | 2006-04-28 17:36 | Comments(1)
リキさんとの邂逅
2006年4月27日

事務所の手前の細い道で車が立ち往生している。
工事現場からブルドーザーを引き上げるためにブルドーザーを運
搬する大型車両に乗せている作業が工事現場前の道路で続き、片
側通行ではないその狭い道が塞がれ両方向で車が停止していた。
その停止したタクシーの中から、その作業を見ていた。

大型運搬車両に乗せられたブルドーザーの位置が荷台の右側にほ
んのすこしずれている。
あのまま走ったら危ないぞ・・・・
時間は午前11時少し前。こんなところで車が止まってしまい、
ただただメーターが上がるのを待つのかとも思ったが,外はあい
にくの雨がふる空模様。そこで車を降りることなく、運搬作業を
興味深く見ていた。

どう位置を修正するのかと見ていると、荷台に上がったブルドー
ザーは、シャベルの部分を荷台に突き立てるようにしてブルドー
ザー本体を浮かせ気味にし、左へ左へといざるように位置を変え
だした。ひといざりするとシャベル部分を上げる。
まわりをとりまく工事現場作業員から、あと・・・センチと声が
かかると、またシャベル部分を荷台に突き立てまたすこしいざる。
こうした作業を続けた末、ブルドーザーは見事荷台のど真ん中に
鎮座した。

究極のドライバーという言葉は、Fー1レーサーを指す誇称であ
るが、もう一種類あってそれは大型運搬車両の運転手も指すとい
う話を聞いたことがある。その技術・テクニックの高さは、買い
物などで町をうろちょろしているママさん運転手のテクを海抜ゼ
ロメーターとすれば、エベレストの頂上にいたるほどの技術の高
さが要求されるそうだ。
狭い道の両側には住宅が建ち並び、ひとつ間違えれば大惨事にな
りかねない。そんな場所でゆっくりとしかし確実に数センチの単
位で鉄の固まりといっていいブルドーザーをシャベルを使ってコ
ントロールしていた。
ミヒャエル・シューマッハでもこうは行くまい。
「神の手」を見たような気がして、いったいどんな男が操作して
いるのだろうかと思った時、子供のころのことを思い出した。

子供のころ。実家の近くの小高い丘が切り崩され宅地が造成され
た工事現場で、近所の子供達の間で一番の人気者はブルドーザー
の運転手だった。分厚い胸と太くたくましい上腕を持つその若者
は当時のヒーローの力道山似で「リキさん」と呼ばれ、我々の中
で一番の身近なヒーローだった。リキさんは男のなかの男だった。
悪ガキの上級生のにいちゃん達は「リキさん。リキさん」とまと
わりつき、可愛がられ、仕事の合間にブルドーザーの助手席に乗
せてもらい(今時それをやったら一発で免許停止になるだろうが)
その体験を得意満面で年下の我らに語った。
ご幼少の砌であったカスヤのセンチャンは、あまりに子供すぎて
リキさんから相手にされず、にいちゃんどもからその話を聞く度
に「俺も乗りたい!」と身がよじれるように羨ましかった。
工事が終わると「リキさん」は風のように我々の前から姿を消し、
巨人・大鵬・卵焼きの時代に移り、いつしか忘れられた。

作業を終え、ブルドーザーの運転席からひょいと降りてきた男は、
究極のドライバー。男の中の男・リキさんという出で立ち姿では
まったくなかった。どこからみてもさえない身体が小さい太り気
味のおっさんで、右にあと数センチ!と声を掛け合っていた若い
現場作業員に「どーも。どーも。お手数かけました」とひょこひ
ょこと頭を下げ、まるで工事現場の下請けの工務店のオッチャン
のようであった。
おっちゃんは頭を下げ終わると、今度はブルドーザーを背負った
大型車両の運転席にすわると、工事現場作業員の振る赤や白の手
旗とピー!ピー!と吹き鳴らす笛にしたがってゆっくりと立ち去
っていった。気がつくと20分ほどの時間が過ぎていた。
ブルドーザーの運転手(高技術者)はブルドーザーを現場まで自
分で運ぶ大型車両の運転手(高技術者)であったのだ。という考
えてみれば当たり前のことに妙に感心してしまった。
あれは子供のころ見たリキさんの年老いた姿だったのではなかろ
うか?と、有り得もしない空想をめぐらした朝だった。
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by kasuya_senji | 2006-04-27 15:12 | Comments(4)
425
2006年4月25日

一年前の今日。
事務所で布袋と或る人物を待っていた。
或る人物というのは神(じん)さんという人で、ライターであり
編集者。彼は布袋のコンサート会場で限定発売した本「バイブル」
の編集人。その後「バイブル」は出版社の編集者の目の届くとこ
ろとなり非常に好評を博した。会場での限定発売から一般の書店
発売に変えることはできませんかとアイデアが持ち込まれていた。
そのアイデアは出ては消え出てはたち消えていたが、それは布袋
本人の「あくまでも会場に来てライブを共有する人たちのために
書いた本だから」という強い意志が働いていたからだった。
ただ外部からのそういった声にどう答えるかと「バイブル」を書
いた布袋本人と編集者と私の3人で再度確認をするために集まる
ことになっていた。神さんが約束した時間に遅れていた。

遅れてやってきた神さんは遅刻を陳謝すると開口一番こういった。

「今日のJR西日本の尼崎あたりでの脱線事故知っていますか?」
「そういえば、ニュース大騒ぎしてますね」
「俺は午前中から事務所にきてたから知らないけど、それがどう
 かしましたか」
「実は自分の実家があの電車の行き先にあって、今でも実家の者
 は、神戸・大阪へでるときにあの電車を利用しています。誰か
 乗っていたんじゃないかと心配で電話をかけまくったんですが
 誰も電話にでないんで・・・とにかく心配ですいませんその為
 に遅れてしまいました」

布袋と顔を見合わせた。

「なにもないといいですけどねえ」
「来る途中で一人つかまったんですが、今のところ乗り合わせた
 者はいないようなのですけどね・・・」

JR史上空前の大惨事になった脱線事故はおおくの人々の命を奪
った。運賃が安い私鉄と競争するようにJR西日本は売り上げ至
上主義を徹底し、その結果安全がほころびたのである。その結果
多くの尊い人名が奪われ、生き生きと暮らしていた人々の笑顔と
未来と希望は2度と帰らぬものとなった。
国鉄民営化以前は、国鉄の最新の安全設備はまず新幹線に導入さ
れ、その後は東京関東を中心に導入され、毎年の予算にあわせ順
次関西圏・東北圏・九州圏・北海道圏に導入されたことによって、
自動制御装置の安全設備がJR西日本では、JR東海に比べ半分
以下であることも知った。
あくまでも事故を起こした会社側にすべての責任はあることに変
わりはないが、背景に政治・行政的な要因があったことも我々は
見過ごしてはならない。
古くは国鉄民営化。昨年は郵政民営化。
という構造改革路線に反対する意向は無いけれど、小泉から旧守
派!改革阻止派!といわれようとも、民営化ありきの民営化に邁
進してきた昨年の日本の政治のありかたに、政治家ばかりでなく
国家公務員ばかりでなく、日本という国に住む我々が民営化以降
のそれぞれの会社のあり方に真剣に思いを巡らす必要があるので
はないか。

昨年は脱線事故が相次いだ。
幼い子供の命が次々に奪われた。
建築構造疑惑が大打撃を与えた。
不良債権処理が終わり金融機関が体力を持ち直した事による景気
の回復は、株価の上昇というかたちであらわれ、実態のない株価
総額商売のライブドアーは粉飾決算という犯罪を犯した。株価の
上昇が景気をあらわす指数とすれば、この事件で失った東証の信
用はどうやって回復するのだろうか。
どれもこれも不安感・不信感を増すばかりである。
木村建設も調べれば調べるほど犯罪的な会社だったし、姉歯建築
士も取り巻く家庭内事情と仕事環境のなかで被害者を主張してい
たが、法を犯しただけでなく裏でやっていたことは犯罪者だった。
イーホームズも構造疑惑の告発者という正義の味方を演じたが、
何十件にも渡る見落としをしていた会社だった。しかも資格申請
では資本金粉飾をしていた。この会社は国土交通省や県や市の建
築課が行っていた仕事を民間が請け負えるというある種の民営化
政策により仕事をしている会社だった。
ヒューザーの小島にいたってはあんな悪人がいたのかと思った。
自分がしでかしたことが自分で責任をとれない範囲に広がってい
る事を知りながら、分からなきゃいいと考えていた大悪人だった。
ここに登場する人々は誰も自分の利益しか考えなく、施工者と建
築者と購入者の3者が幸せになるという商売の鉄則をまったく無
視したビジネスマンとしてなんの資格もない人々である。
拙者が江戸時代の大岡越前の守であれば、全員市中引き回しの上
獄門ハリツケの刑に処したことだろう。
儂が閻魔大王なら、黙って地獄行きの切符を渡してやるだろう。
官から民へと移行する中で、利益至上主義が横行しつつある歪ん
だ社会を日本人の誰が望んでいるというのだろう。
その歪みのなかで生み出される勝者という名の犯罪者。敗者とい
う名の犯罪者の中で僕らは暮らしているのだ。寒気さえする。
入院し看護婦さんがカワイイなどと言ってる場合じゃないよまっ
たく。責任者でてこい!と叫んだ人生行路さんのような人はもう
いないのか日本には。

昨年の今日の午後に3人で話し合われた「バイブル」については、
その後、紆余曲折を経ながらも「秘密」という単行本で結実した
し、心配されていた神さんの家族も無事であったことがわかった。
なんがかんだあってあれから1年経ったが、今日4月25日とい
う日は忘れがたい1日である。あらためて事故で亡くなった方々
の冥福をお祈りしたい。
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by kasuya_senji | 2006-04-25 14:35 | Comments(0)
更衣(ころもがえ)

2006年4月24日

そろそろ更衣の季節である。
更衣を「日本大歳時記」で調べると、
更衣は宮中では陰暦四月朔日(ついたち)と十月朔日とに衣を
更えるのを例とした。とあるので、奈良・平安時代の昔からの
習慣であることがわかる。万葉集に収められている持統天皇の、

「はるすぎて なつきにけらし しろたえの ころもほすてふ 
あめのかぐやま」

は、夏になり人々(といっても宮中人であったろうが)の衣が
白になり陽に干されているよ。と詠んだ歌で、まさしく今の季
節の歌。

U社のK氏はロンドンのレコード会社勤めのロンドン暮らしを
体験していて、ロンドンで習い覚えたことのひとつとして、
「音楽業界人は黒を着るでした」
と冗談交じりで語ったことがあるが、ロンドンほどではなくと
も、音楽業界人といっても特にロック関係の人々のいでたちは
黒でまとめていることが多い。岡崎堂も夏以外は、時には着物
を着たりするが、日常はほとんど黒づくめのいでたち。
クラブ・ディスコの黒服君とおなじである。
デザイナーズ・ブランドのアパレル関係の人も黒が多い。
ファッションモデルも黒が多い。
ロンドンのハルキンホテルやアムステルダムのブラウンホテル
のスタッフも黒。連中はアルマーニを着ている。
「新・仁義なき戦い」では、阪本監督はやくざの集団に黒い背
広を着させた。東映京都撮影所の衣装係が、やくざ役用の衣装
としてカラフルなド派手な服を用意してきたが、予定調和のよ
うなやくざ映画を描くつもりはないと、やくざに黒のスーツを
着させた。そのかわりというか、やくざ組織に属さない布袋に
は白い服を着させていたなあ。

背広がユニフォームの会社員は冠婚葬祭以外は黒を着ることが
少ないと思われる。ましてや背広を離れた普段着で黒を着るこ
とはまずなさそうなだあ。自宅のマンションの住民の方々と土
日祭日にエレベーターなどで顔を合わせるが、黒を着てるのを
見たことがない。
日本人は、髪と目の色が黒いから黒い服はコーディネイト的に
も似合うはずだとロンドン人に言われ、妙に納得した記憶があ
るが、その意見にしたがって軽くコーディネイトを考えれば、
会社員であろうとなかろうと黒に興味をもっても着合わせても
いいはずなのに。もっとましな格好になると思うのに。クラブ
やディスコの黒服やファッションモデルや音楽業界人などのチ
ャラチャラした人々と一緒にされたくないという思いが会社員
から黒を遠ざけているかな。着る物は女房にまかせっきりです
からという方々も多いように見受けられるから、コーディネイ
トを持ち出すこと自体、無駄かな。他人の女房に言っても詮無
きことである。

それはともかくも、春になって陽の力が強くなり出すこの季節
は、黒から脱皮して白物を基調にした洋服選びになる。夏到来。
海へ山へ高原へ、の旅の予感がことさら白を熱望するのだ。
昨日の日曜日も「消防点検が入ります。リビング・ダイニング
は私がきれいに片付けるから、それぞれの部屋はそれぞれで片
付けなさい。そんなに散らかったままじゃ恥ずかしいでしょう」
とのかみさんの号令一下、娘も倅も普段は散らかり放題の自分
の部屋の片付けに朝から追い立てられているが、小生の部屋は、
ナント!いつも片づいているから、ベランダの植木の手入れを
した後は、秋・冬用の黒づくめの服をクローゼットから取り出
し、クリーニングする物はクリーニング屋へ。そのまま片付け
られる物はまとめて旧宅へと運び、旧宅に保管してある白物を
取り出しクローゼットに運び入れ、衣替えに終始した。
運び入れた物のうち何年も着ていて型が古くなったもの、くた
びれてしまってきている物は処分し、大掃除に忙しい娘や倅に
「出かけてくる。君らはまあがんばりなさいよ」と声ををかけ、
いそいそと青山に今年用の新作の買い物に出かけた。
白のリネンのスーツを1着。サマーセーターを1着。ベルトを
1本。ボーダーシャツを2着。半ズボンを1着。スカーフ2本。
白い靴を1足買ったら財布に金がなくなってしまい、夕方の久
しぶりの家族そろっての夕食は、かみさんに奢ってもらった。
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by kasuya_senji | 2006-04-24 18:44 | Comments(2)
三河弁・岡崎弁
2006年4月21日

数日前、静岡に出かけた。
新幹線を降り北口からタクシーにのり行き先を告げると運転手さん
が、夕方の帰宅ラッシュにはまだ間があるから15分ほどで着くで
しょう。安倍川を渡る橋が片側一車線で、おまけに橋を渡った北側
に土手沿いの道がはしるので橋のたもとが交差点になっていて、信
号待ちやらでラッシュ時にはなお時間がかかります。と応えたが、
その話し方が岡崎弁だった。いや、三河弁だったというべきか。

どこの出身ですかと聞かれ岡崎ですと答えると、あー名古屋ですか
と言う人が多い。そういわれると、まあその辺りになりますと答え
返すが、岡崎と名古屋は違う。どう違うかというと言葉が、方言が
違うのである。名古屋はいわゆる尾張弁で、タモリさんがいうとこ
ろの「みゃーみゃー」で、岡崎は三河弁で「だらー」が多用される。
だらーは同意語で、英語でいうところのイズント・イットである。

あそこで待っていたがいなかったよ。
そうだろう。あいつはいつも場所をまちがえるか遅れる。

を三河弁訳すると、

あっこで待っとたがおーへんじゃん。
ほーだらー。いつもまちがっとるしおくれるでいかんわー。

尾張弁が名古屋を中心に愛知県の西側と岐阜県の南側あたりまでの
領域とすれば、三河弁は愛知県の東半分から遠州静岡市あたりまで
の領域だろうと思う。これは徳川家康の居住範囲一帯の領域とほぼ
重なる。
岡崎の北部の山間の松平村の地元の親分(戦国時代の悪党といわれ
る集団で室町幕府の正式な領主ではなく地元で勝手に武装した反政
府の地主集団)の松平さんが、時に山をくだり南側の平野部に進出
し、領地をかすめとり勢力をのばし、時に敗北すると山に立てこも
る。平野部の悪党は山岳戦は苦手で松平を追い切れない。いわゆる
チェ・ゲバラよろしくのゲリラ戦法で、切ってはかすめとり切って
はかすめとり西三河の農業地帯の中心部であった岡崎を切り取った
ときは、初代松平から6代を経ていた。
8代目竹千代(後の家康)が生まれたときも岡崎松平家の政情は不
安定で、西の尾張の織田家と対抗するため東の遠州今川家を頼み、
同盟の証として幼少の竹千代は今川家の人質として十数年の長きに
わたり浜松城で過ごす。
父親の死により二十歳前に城主として岡崎に戻った家康は、尾張の
織田信長と結び、数々の戦の先鋒隊として信長にこきつかわれ、秀
吉の天下統一で江戸に追いやられた。
家臣・商人を引き連れての江戸の町割り(開発・町造り)では三河
弁が主役だった。今でも山手言葉に「だわー」という三河弁の痕跡
が「あら!雨だわ」とのこっている。
関ヶ原の戦いに勝ち天下を統一し征夷大将軍となった家康は、大阪
夏の陣・冬の陣で豊臣家を滅ぼすと、将軍職を秀康にゆずり、江戸
を払い駿府(静岡)に移り住む。当然、家康直参の家臣団と三河以
来の商人達も移り住み城下町を形成した。三河弁は駿府の言葉とな
り、今に至るのだろう。歴史は今に生きているのである。
と、静岡のタクシーの運転手さんとの会話であらためて感じた。

NHKの朝の連続ドラマ「純情・きらり」は岡崎を舞台としている。
ロケ地は別のところだろうがドラマによく登場する「河の土手」は
実家の前を流れる河の土手であり、八丁味噌屋は岡崎城をはさんだ
西側の隣町である。あのドラマで使われる岡崎弁は、かなり優しく
翻訳されている。実際の岡崎弁は、いずれにせよもっと田舎臭い。
中学の友人である岡崎の田舎もん達が喋るとますます田舎臭い。
まともな岡崎弁でドラマが進行すれば字幕がいるのではないかな。
かみさんは東京生まれの東京育ちだが20年も一緒に住んでいると、
いつの間にか岡崎言葉を解するようで、あのドラマの岡崎弁は田舎
のおじいちゃんの岡崎弁と随分ちがってるようだわ。
と、東京言葉に潜り込んだ三河弁まじりで言うのである。


 
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by kasuya_senji | 2006-04-21 15:55 | Comments(2)
父・母
2006年4月20日

恩人の母君が亡くなり静岡で執り行われた通夜に参列しました。
故人は83才と長寿を全うされましたが、近しい方から聞いた話に
よると最近までお元気でいらしたようで、その死去は突然だったよ
うでした。ご冥福をお祈りします。

実家の父母は健在ですが、両親は同じ年で81才と高齢であります。
二人ともかくしゃくとしていますが、それでも親父は6年前に背中
の静脈が破裂し数ヶ月の入院をしています。
親父は車好きで80を過ぎた今でも、どこへ行くにも自分で車を運
転していきます。母の弟の子供が京都で結婚式を挙げたときも電車
で行くのはめんどくさいと車で岡崎から京都まで遠出をしています。
そんな親父ですから、血管破裂で入院し集中治療室にいるときは痛
み止めの麻薬系の薬も効いていまして、自分が車を運転している幻
覚に漂っていたようで、夜中に、この車は屋根がない(ベッドで寝
てるんですから屋根はありません)と急に大声で叫んだり(オープ
ンカーに乗っていたんでしょうな)駐車したから車を降りるぞとベ
ッドから降りようとして点滴棒を引き倒しガシャーンと大きな音を
集中治療室に鳴り響かせたりと、病院中に迷惑をかけたというエピ
ソードが残ってますが、医者も看護婦も「あれだけ元気があれば間
もなく通常の病棟に移れるでしょう」と母に語ったという。母は他
の患者さんに迷惑をかけて申し訳ないやら医者の言葉が嬉しいやら
と、今となっては元気な親父を前に笑いながら話すのである。

逝くときは二人一緒に逝ければ、残った片親の面倒を見ることもな
く子供達によけいな面倒事をわずらわせることなく、そうしたいも
のだなあ。と田舎の糟谷家では、両親がざっくばらんに語ります。
妹たちも、母はしっかり者だが親父はまじめ一辺倒の石垣直角人間
ですから、年老いてますますまじめに頑固になられても見る面倒が
大変そうだ。とーさん、そしてかーさんの順番がヨロシイと希望し
ますと両親に語り、両親もその方がいいなあなどと夕飯食いながら
会話してるとのこと。変な家族やなーとは思うものの、親に隠れて
の発言ではないところが妙に開放的で、うん、俺もそう思うよ。親
父が逝っちゃってから、いきなり見知らぬ兄弟が現れないだろうね
えとまぜっかえしたところ「ばかもーん。俺がそんなことするか!
それよりもお前はまじめに生活してるんだろうな!そんなことがあ
ったらゆるさんぞ!」とかみさんに成り代わって喝!をいただいて
しまいましたくらい昔気質のまじめ人間であります。
じょーだんだっちゅうに、という冗談が通じません。
ところが、父は以前ほどではないにしろかくしゃくじーさんなので
すが、お袋が三半規管が弱くなってきてたまに目眩がしたりと時に
つらそうであります。妹の娘が耳鼻咽喉科で働いていますので、そ
の病院に通院し治療を受け随分楽になったといっていたから、この
5月の連休は東京糟谷家の孫でも連れて里帰りしようかなと考えて
いる。80をすぎても両親が健在であるという幸福をしばらくは顔
を見せるという親孝行で応えようかなと思っています。
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by kasuya_senji | 2006-04-20 12:47 | Comments(1)
さて、今日は何を食べようか。

2006年4月19日

さて、今日は何を食べようか。

あいかわらず朝はお粥を食べている。お粥は釜炊きではなく、炊
きあがったご飯をたっぷりのお湯で鍋で煮る。友人のマッケンジ
ー森永博志の北京レポートによると中国では健康食としてお粥が
おおいに食べられているということだから、病みあがった元病人
の食ではなく、通常人の健康食としてお粥を食べている。
栄養士から「こんな食べ物を食べなさい」と指導があったので、
出来るだけ塩気の強いハム、ソーセージ、ベーコンは避け、野菜
中心のおかずと一緒の朝粥定食の毎日。
昨日は洋物お粥でコンソメ味のフルーツトマト粥。
今朝は、フカヒレスープのお粥で中華風。

朝はそれでいいのだけれど、昼は外食になるので今のところはう
どん類を中心にせめている。今日の昼飯は「日本五目うどん」。
五目に、筍、椎茸、かしわ、伊達巻き、半切りのゆで卵。それに
ナルトと蒲鉾。サヤエンドウがオマケで丼に浮かんでた。
同じ小麦粉から作られるがラーメンの麺は脂肪分が多いのでうど
んをオススメしますと栄養士の言。
昨日の昼はどーしても鰻ご飯が食べたくて、麻布十番(定休日)
高樹町(これまた定休日)西麻布(駐車場がいっぱい)と軒並み
うなぎ屋にふられまくり、結局は時間もなくなり広尾商店街の洋
食やで、チキンライス・ハンバーグ・目玉焼きランチを食べるこ
とになった。味はうまかったが、あれだけ噛んで噛んで噛みまく
ってからのみこんだのだが、午後は胃がもたれ気味だった。
朝は粥。昼はうどんでしばらくいくとするか。

さて、夕食が問題である。入院中は腹を空っぽにするための禁食
の饑餓状態だったのでテレビ番組で食い物を取り扱っていると食
い入るようにみたものだ。なにもかも美味そうだったが、とくに
これ!と気に入ったものはノートに書き付けておいたが、そのノ
ートをみると書いてある書いてある。

退院したら行きたいところ。
山形市のフレンチレストラン・ダイニングヘイアー。
京都のフレンチレストラン・ブルーマー55.
中華。恵比寿・海苑。銀座・第一楼。
青山のイタリアン・リストランテヒロ。
寿司。久兵衛。金沢・千寿司。博多・河荘。札幌・仲寿
司。鹿児島・野村。
おでんや。円山町・ひで。銀座・やす幸。新宿・お多幸。
焼き肉。青山・牛の蔵。白川通り・おおた。
秋田料理。西麻布・能代。
焼き鳥。西麻布・鳥とも。麻布十番・世良田。
和食。京都・千本通り・万。
洋食。大阪周防町・明治軒。キッチン福田。からす亭。
鰻。麻布・宮川。東新町・いばしょう。
ハーゲンダッツのココナッツアイスクリーム。とか。
富山のホタルイカ・酢みそあえ。とか。
銀座・木村屋の桜アンパン。とか。
山形の玉こんにゃくの煮物。とか。
家の近所の加藤ベーカリーのカレーパン。とか。
明治屋の牛肉の大和煮の缶詰。なども書いてある。
見るにつけ思いつくにつけ手当たり次第ノートに書き込んでいる。
これじゃ足りない。思いつくところはないか。ともメモってる。

で、昨夜は寿司を攻めようと麻布に出かけた。
ビールを一杯飲む内にいい気持ちになってきて(ほんと弱くなっ
たなあ。特に退院後)ヒラメとトリ貝をツマんで、ずけと煮蛤と
トロと穴子と最後に鯛の昆布締めでご帰宅となった。
さて、今夜は何を食べようか。
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by kasuya_senji | 2006-04-19 23:27 | Comments(1)
秘伝書
2006年4月18日

入院していると本を届けに来たかみさんが、シンガポールからき
た武闘家の一族が、亡き父親の遺言で青森に住む師匠を訪ね空手
の秘伝書を受け取りにきて山で遭難したという。

ヒデンショ?なんだそれいったい。
あら知らないの?今週の半ばはその話でもちきりだったわよ。
知るわけないだろう。俺は、このベッドで唸ってたじゃないか。
そーか。新聞も読んでないわよね。
読めるようになったのは、やっと昨日からだ。

で、どうしたんだ。と聞くと、かみさんが詳しく話して聞かせて
くれたが、なにか漫画の話を聞いているようで、つい話の腰を折
って、そんなこと有るわけないじゃないかガセネタだろう。エイ
プリルフールはとっくに終わったぞと口を挟むもんだから、かみ
さん話が前に進まなくて、記事が載っている新聞持ってくるから
自分で読んでみなさいと夕方新聞を持ってきた。

江戸時代の剣豪の免許皆伝の物語ではあるまいに、今時、空手の
秘伝書などない。特に極真空手は世界中に広がっているからすべ
ての技は公開されている。と極真会の師範もいい、空手に詳しい
格闘技の専門家も、神田の古本屋街にいけばそのような口伝書め
いたものは有るかもしれないがといい、実際に神田にはそのよう
な秘伝書口伝書めいた古本が存在しているようで、青森の山奥で
はなく神田を捜せばよかったのにと大笑いした後で語ったと記事
に出ていた。
シンガポールからきた一行は、死んだ格闘家の妻。その子供達。
そしてその一族の10人くらいだそうで、遺言どおり青森には来
もののどこを捜せばいいのやらとうろつくうちに世界遺産にも登
録されている白神山系という表示をみつけ、神という文字がある
からここに違いない。この山に亡き格闘家の父親が神とあがめる
幻の師匠がいるのではないか。是非捜し出しお会いして秘伝書を
いただこうじゃないかと普段着のまま雪山に入り込み遭難したの
だった。
大山増達さんの若き頃の修行時代を描いた漫画「空手バカ一代」
の読み過ぎでもこうはならないと思った。それともシンガポール
あたりでは、いまだ、そのような物語が伝説として残っているの
だろうか。遠い国から遺言を守り一族そろってはるばるやってき
て遭難してしまった人には気の毒だが、日本昔話の極楽とんぼの
話を聞いたような気がした。日本書紀にのっている浦島太郎の話
を聞いたような気がした。

ところが、実際に師匠はいたのである。
その青森在住の武闘家は極真空手ではなく中国拳法の達人で、昔
シェイさんというシンガポールから来た人を確かに教えたことが
ある。彼等が捜している武闘家というのは私に違いないと名乗り
でたのである。しかも、その人は秘伝書を持っていた。テレビの
取材に「これがそうです。ただし、秘伝書ゆえ中を見せるわけに
はいかない」と巻物を見せた。
残念ながら秘伝書は差し上げるわけにはいかないので、その秘伝
書の抜粋の写しの巻物と免許皆伝書をお渡しすることにしましょ
うと、青森で贈呈式が執り行われ、これで一件落着めでたしめで
たし。
と思われたが、一族を引き連れてきた亡き格闘家の妻はあまり嬉
しそうではなかった。なんでも「ある人を捜している。引き続き
日本に残り捜します」とだけ答え、また会場を去っていった。
不思議なシンガポール一族の引き起こした騒動は、狐につままれ
れたような結末となったが、名乗り出た青森の中国拳法の達人と
いう人の立つ瀬はどこにあるのだろうか。
開いた口がふさがらない・・・
振り上げた拳の下ろしようがない・・・
とでもいうしかないだろう。下ろしようのない拳はどうすればい
いいのか?は秘伝書には書いてあるのかないのか。
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by kasuya_senji | 2006-04-18 10:28 | Comments(2)
生活習慣
2006年4月17日

退院の翌々日の4月の14日に友人のバーのオープンパーティー
があった。バーのオーナーのBはこちらの体調を随分心配してく
れて、無理をしなくとも良いが顔だけでもだしてくれるといいな
とメールが入った。
この南青山の日赤通りにオープンするバーについては、店探しと
契約についてはいろいろと骨を折った経緯もあり、もちろん顔を
だした。Bは今日は開店祝いでもあるが快気祝いでもある。いや
目出度いとことさら喜んでくれたのが嬉しくて、つい、長居をし
てしまい、帰宅すると12時を回っていた。
かみさんから、今週退院したばかりなのにまた元の自堕落な生活
に戻ってしまっているようだが、そんなことしてるんじゃ次回は
面倒みないからね!と厳重注意をうけてしまった。

そのオープン記念のパーティーで友人のAさんから「司馬遼太郎・
街道を行く」シリーズのDVDを退院祝いでもらった。
司馬さんの「街道を行く」は単行本で発売されるたびに買い、ほ
ぼ43巻全部を持っているが、司馬さんが亡くなった年に全集が
発売され、それも一式買い入れ、つごう43巻の2セットをもっ
ていることになる。何度読み返したことだろう。読み返すたびに
あたらしく、飽きると云うことはない。
旅に出て、持っていった本を読み終えると旅先で新刊本屋、古本
屋に顔を出し、あれこれと本を捜すのが楽しみのひとつだが、特
に出物にぶち当たらない時は、京都にいれば「街道を行く・嵯峨
野散歩」。仙台にいれば「仙台・石巻」。石垣にいれば「沖縄・
先島への道」。と買い求めるものだから「街道を行く」シリーズ
は、文庫本や新書本をも数に入れれば43巻3セット持っている
ことになるかもしれない。
この本で奈良時代も室町時代も江戸期も明治期もおおいに勉強す
ることができた。樋口の娘が聡明で夏目家の息子の嫁にどうだと
いう話が実際にあったこともこの本で知った。歴史に「もし」は
ないのだが、漱石夏目金之助と樋口一葉が夫婦であったならと考
えると、学校で習った明治の文豪夏目漱石・樋口一葉というただ
の人物名の羅列に、生きている人間が突如登場するようで、この
シリーズは知的欲求の追求と云う観点からみるといくらでも遊べ
る。
話はかわるようだが、鴎外森林太郎も樋口一葉の才能を見抜いて
いた一人のようで、一葉が亡くなったときに葬儀に参列したいと
いう希望は、あまりにも身分の違いに樋口家から丁寧に固辞され、
野辺の送りにも参列叶わず、あれだけは残念な事であったと後日
供述している。「街道を行く」に出会ってからは司馬さんの小説
を読まなくなってしまった。司馬さんも「街道を行く」執筆後は
新しい小説はまったく書いていない。結局、このシリーズがライ
フワークになった。あらためて思うが享年73才とは司馬さんも
若すぎる死だったといえよう。
それはともかく、このDVDがあれば、入院時に退屈しなくても
よかったなあと思った。次回、入院騒ぎがあるとすれば、これだ
けは持っていこうかな。次回があるようじゃのんびり入院とはい
かないか。

この土日は、かみさんに愛想をつかれないよう早寝早起き。脂っ
こくない野菜魚を中心にした食事を取り、酒・煙草はもちろんや
らず健康的に過ごしたが、そういう生活をすると入院時の時間の
習慣がまだ身体に残っているようで、夕食の後、身体を休め横に
なっていると眠気がやってきて、週末の土曜日曜は寝て暮らした。
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by kasuya_senji | 2006-04-17 15:23 | Comments(1)
5泊・6泊・7泊・8泊目(土曜日・日曜日・月曜日・火曜日)
2006年4月16日

土曜の朝もお粥を食った。今日も健康お粥がうまいぞと。
2階にはA棟B棟の病室がありナースステーションもA・Bがあ
る。どういうローテーションで回っているかは知らないが、初日
の夜に担当してくれた看護婦が土曜日の担当だった。顔を見るな
り「2,3日見ない間に元気になりましたねえ」と喜んでくれた。
最後の検査の結果を待たないと安心するわけにはいかないのだが、
99%医者から問題ないだろうと昨日云われ、この日辺りから看
護婦さんをまともに見られるようになった。
へー。若くてカワイイじゃないか・・・
スタイルも大変ヨロシイ。
ヒップから足にかけてのラインがきれいだぞ。
白衣も悪くないじゃんか・・・
こんなに綺麗な娘が一生懸命面倒を見てくれている。うん。入院
も悪くないぞと、のど元過ぎればナントヤラで、ちょい悪オヤジ
の本性発揮でナニカ良からぬ事も想像しちゃったりしながら、ゆ
ったりと持てあますしかないヒマを大iいに持てあまし一日を過ご
す。
かみさんに電話で本を2冊ばかり持ってきてもらって、読書。昼
寝。テレビ。読書。昼寝。と石垣島に居るときとかわらない生活
ぶり。違っていることは煙草も吸いたくないし酒も欲しいと思っ
ていないことか。
テレビでは民主党の代表選の話題で持ちきりである。めずらしく
小沢一郎が笑ってるぞ。似合わねーなー。夕食を終えるといつも
のように眠気が襲ってきて早めに就寝。早寝早起きが習慣となっ
てしまっているようだ。朝までぐっすり。

日曜日の病院は外来もなく検査もなく医師も看護婦も当番制で休
みをとっているから、閑散としている。食事のあとに胃薬と下剤
を服用するから、あいかわらず通じは水っぽく特急状態。この状
態にもいつのまにか馴染んでいる自分を発見する。日曜日の担当
看護婦さんもこれまた可愛いい。イカンイカンろくな事考えない
な。
そこで、取り寄せた車のカタログをながめ「よし!退院したらこ
の車を買って温泉までドライブしよう」遊びをして午後をすごし
た。フェラーリもいいな。このロータスの新車はなんだこりゃ。
まるでレーシングカーじゃないか。これで公道を走れるなんて信
じられんぞ。これからの季節を考えるとクーペじゃなくロードス
ターだな。オープンカーは一度乗るとやみつきになるからなあ。
エンジンは?トルクは?最高スピードは?スペックは?それより
誰と行くんだ?
昨日の看護婦さんかな・・・
いや今日の担当の人も捨てがたい・・・
しかし迷ってしまうな。こういうとき俺って意外と優柔不断で今
までも優柔不断な奴が欲張った結果なにも始まらなかったことが
多かったな。よし昨日か今日かのどちらにするか決めなきゃなら
んなと腕を組み思案していると、なに考え込んでるのよ。とかみ
さんが病室に顔を出した。
いや。いや。いや。君にはこのたびは随分と世話をかけた。退院
したらどこの温泉に連れて行ってやろうかと思案中だ。君の誕生
日に入院騒ぎがあって祝いもなにもしとらんのでな。というと、
じーと顔を見た後で、嘘でしょ。とのたまわれた。

月曜日の朝からは、また点滴にもどった。
ラキソベロンという下剤とムーベンという下剤をのみ腹の中を空
っぽにする。しかし、ムーベンとは名前が直截すぎるのではない
か。漢字で書くと「無便」となるのではないか。ムーベンは2リ
ットルの水にとかしてあり1時間以内に飲み干し、直後に襲って
くる便意によって文字通り腸の中をきれいさっぱりと大掃除をす
る。大腸の中が空っぽにならないと内視鏡で覗けないので余計な
便を腸内から無しにする薬というのでムーベン。

火曜日の内視鏡の検査結果もまったく問題がないと診断された。
モニターに映し出された腸内もきれいな薄ピンク色で、あら!
俺の腹の中は黒いんじゃなくピンク色だったんだとの冗談が先生
に妙にウケてた。先生若いだけに、女子ではないがツボににはま
ると笑い転げた。
会社にナンの問題も無し。皆さんに心配かけたけど今週末から社
会復帰と報告し、翌水曜日に退院し、長年の医者嫌い病院嫌いが、
彼等彼女らの献身的な治療と看護にすっかり医者好き病院好きに
なってしまったという顛末でした。

腸の炎症並びに機能の低下による強力な痛みの原因は細菌性急性
腸炎ということでした。主治医に退院後に特に気をつけることは
ありますかと聞くと、一過性のものなので特に気をつけることは
なにもありません。
ただこの1週間で3日ほどしか食事を取っていないので、はじめ
は柔らかい物をよく噛んで食事をとってくださいというだけのも
のでした。
なにはともあれこれからは体調に留意し、規則正しい生活を心が
け、仕事では面白い企画しかぜったいやらないぞ!と心に誓いま
した。
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by kasuya_senji | 2006-04-16 23:21 | Comments(3)

 
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