exciteブログ ExciteホームExcite Musicトップサイトマップ
プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
リンク
以前の記事
2013年 08月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
最新のコメント
http://vimax..
by obat pembesar penis at 23:53
http://vimax..
by obat pembesar penis at 12:50
Hi I am so e..
by moncler co at 08:41
Can you tell..
by vegan uggs uk at 22:20
Right here i..
by cheap ugg at 05:46
Hello I am s..
by ray ban av at 22:50
Howdy I am s..
by parajumper at 05:08
ピアノ買取センター ~ピ..
by ピアノ買取 at 05:12
販売商品 精力剤分野:..
by 神奇山精丸 at 15:39
媚薬:http://ww..
by 媚薬 販売 at 12:41
最新のトラックバック
ギタリズムは止まらない。..
from POP-ID通信。
the who 武道館
from こういちの日記
the who 武道館
from あややの日記
the who 武道館
from 気になるニュースについてブログ
豚足のための豚足が作る豚..
from ユニオンスクエアの窯 ☆ ニ..
大皿焼けました*
from ユニオンスクエアの窯 ☆ ニ..
拝啓*糟谷様
from ユニオンスクエアの窯 ☆ ニ..
豚足の器のご紹介です*
from ユニオンスクエアの窯 ☆ ニ..
東海道五十三次にハッとし..
from ユニオンスクエアの窯 ☆ ニ..
豚足の器*2作目☆
from ユニオンスクエアの窯 ☆ ニ..
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
<   2006年 05月 ( 22 )   > この月の画像一覧
お散歩も三日坊主で仕舞いなり
2006年5月31日

読もうと思って買ったのだが、読まないままになっている本があ
る。いくつもある。誰だっけか、本は読むために買うものではな
く所有するためにあるのだ。と言っていた人がいた。
その人の意見というか考え方には、本読みとしてまったく同調で
きるものではないが、持ったまんま読んでない本がいくらでもあ
るというのでは、やってることは、その人となんら変わらないの
ではないかと思い、本棚をつらつらとながめてみた。
つらつらみれば、あるある。あるある大辞典といっていいほどあ
る。その中の何冊かを抜き出して手元につみあげ、さて、ナンデ
この本を買ったのだろうと考え込む。

「斗南藩の歴史」という本は、青森の書店で買ったもの。
幕末に京都守護職に任じられた会津藩主・松平保容は、幕府瓦解
後、明治維新軍に朝敵とされ、会津を追われ青森の下北半島の東
端の地・斗南に領地替えを命ぜられ、移った。
この地は、本来1万人くらいの人々が住んでいた下北半島の最北
の辺地である。藩主・保容は「ついてこなくともよい」と家臣団
に命じたけれど、誰一人殿様を見捨てる者はなく、20数万人が
移り住んだ。田地畑はないに等しく、草や木を食いながら極寒の
地で明治を生き延び藩主と運命を共有したのである。
この本を青森の書店でみつけたとき、こんな本は青森でしか売っ
てないだろうな。誰も買わないだろうな。きっと買うのは俺だけ
だろうなと思いながら買った。
読み始めると、歴史が黒々としていた。まずは幕末の薩長に対す
る恨みはらさでおくものかという角度から本は始まり、それに続
いて膨大な資料が延々と続き、これは、斗南藩の研究者のための
参考資料本であって、素人の知の欲求という観点からの読み物で
はないことが分かった。そのまま本棚に鎮座したまま。所有本に
格上げ決定的となった。

こんな調子で、沖縄へ行けば、沖縄関連の本。
犬山城へいけば、犬山城の本。市の教育委員会編集物かな。
札幌に行けば、仙台にいけば、金沢に行けば、どこに行っても俺
しか買わないんだろうと思う本ばかり買っていた時期があったか
ら、結局、随分たくさんの本が、あたかも所有することに意義が
あるが如く、本棚に眠っている。

俳句の本は何冊も買い込んで読んだが、アタカモ所有本の中には
川柳の本もある。時事川柳というものを作りだしたというか定着
させたのは、銭形平次捕物帖で有名な野村胡堂で、野村胡堂が報
知新聞社文化部に勤めていたときに新聞紙上で時事川柳を募集し
掲載したところ、読者の評判をとり連載企画となったと「胡堂百
話」に書いていたな。

ちなみに川柳を辞典でひいてみると、
「十七字の短詞。季語・切れ字などの制約がない口語詩として江
 戸中期ころから流行った。人情、世相、風俗などを風刺し、軽
 みをもって滑稽を描く」とある。

初恋という題では、
「初恋や灯籠に寄する顔と顔」が俳句で(灯籠が季語:初秋)
「初恋の頃の袂の五十銭」が川柳。

俳句も川柳も短詞というブ・ン・ガ・クの追求であるが、川柳の
方は、例えは適切であるかないかわからんが、きっとバーナード・
ショウのような皮肉屋の目線が必要だとおもわれる。
中央公論社刊・田辺聖子著
「道頓堀の雨に別れて以来なり」
<川柳作家・岸本水府とその時代>という本が手元にある。
よしこれを読んで川柳でも勉強しようかと買った本だが、買った
っきり埃かぶったまま本棚で眠っていた。
町田康さん式に言えば、いわゆるところの所有本である。
たまたま或る人から、田辺聖子さんという名をひさしぶりに聞い
た。ちょうどよい機会だ。これを読もうと引っぱり出し、読み始
めるといかにも面白く、昨夜は夜更かししてしまった。
今朝も、早く起きて「ニッポン・ドイツ戦」を観たあと、続きを
読んで、結局、脚力強化の朝の散歩をスッポカシてしまった。

「晴れの日に 散歩を休む いくじなし」
[PR]
by kasuya_senji | 2006-05-31 17:44 | Comments(4)
話芸いろいろ
2006年5月30日

自分で喋りながら笑う人がいる。
自分で喋って自分で笑うんかい。とも思うが、たいがいこういう
人の話は、そこまで面白くない話であっても、聞いている方がそ
の笑い声に癒されてしまうから、会話上手と云えるのではないか。
座談の名人と云われる人もこの手が多い。

B氏も、この手。
G氏も、この手。
T氏も、この手。
I氏も、この手。
BやらGやらTやらIやらでは、誰のことかわかりませんが、
全員、コ・ワ・モ・テのくせに話に愛嬌がある人々である。
町田康氏も、この手の人で、

「・・・・ですか。ってね」
「ってねってナンデスカ」
「いや。ってねって言うと、なんか客観的に自分を見てるような
 気がしちゃったりして。ははははは」

などという会話が想像の中で進行する。
自虐的な自己分析の結果として諧謔性がうまれるって事かな。
女性にモテるんだろうなァ、この手の人は。
そこにいくと俺はそういう芸を持っていない。
面白い話は面白く喋ってしまうから、客(飲みに行こうとこちら
が誘えば、誘ったこちらは亭主で誘われた友人は客)が大笑いす
れば、それでよし。
面白いと思って喋った話が客にウケなければ、それでよし。
などと古武士のような気分構えだから、座談の名手的な人々とは、
その場のモテかたに開きがあって、ツボにはまらなかった人々か
らは、ツマンナイ奴と思われているのだろう。

俺がこうなったのは、これはいったい誰の責任だ。
人の所為にして責任を逃れるつもりはないけれど、あえて言わせ
てもらうと、あえて実名を出して言わせてもらうと、鉄夫の所為
である。
鉄夫って誰じゃ?鉄夫は俺の親父である。
鉄っちゃんは、まあ、石垣直角を絵に描いたような堅物親父。
親父になる以前から、つまり、独身時代の青年の頃からその堅物
ぶりは有名であったそうで、堅物人生80年になろうとしている
年期が入った堅物で、子供の頃、はははは、などと笑っていると、
「男がへらへら笑うもんじゃない!」とどやしつけられた。
お笑いタレントさんとういか芸人さんがテレビで、
「王選手が寿司屋にいきました。寿司屋の親父がある薬をだした
 ら、王選手は逃げていきました。その薬はなんでしょう」
「太田胃散です、(王退散です)」
などと頭の体操的なことをやっていても、
「くだらん!センジお前はああいう男になってはいかんぞ!」
とどやしつけられた。
で、この親父。笑いに鈍感なのかというと決してそうではなく、
話に込められた寓意や真理などには非常に敏感な親父で、イソッ
プ物語を読め!とすすめるのである。
水に映った肉を咥えている自分の顔を見て、肉ほしさにワン!
と吠え、肉を水に落としてしまった欲張りのおバカな犬の話に、
つい笑ってしまうと、
「バカタレ!笑ってる場合じゃない」
とどやしつけられた。
確かにこの話は笑っている場合じゃないのである。
倅が小さかった頃の事。焼き肉やで肘をついて食事をするから、
「これこれ。肘つきながら食事しちゃイカンよ」
と注意したところ、倅は素直な子だから、
「はーい」
と答えて、咥えていた肉を半ズボンの足の上に落とした。
「あちちちち・・・」
「お前!イソップ物語知らんのか!犬の話だと思ったら大まちが
 いだぞ!」
そんなことがあったから、確かに笑っている場合じゃないのであ
る。

太平洋戦争末期。学生であった親父は、外国文学に通じた友人か
らシェイクスピアーを読めとすすめられ、友人から貸してもらっ
た「ハムレット」を抱えながら歩いていると、巡査から何を持っ
ているのだ。と職務質問され、
「シュエイクスピアーです」と答えると、
「セックスアピールだと!このご時世に不謹慎な奴だ」
と警察にしょっ引かれたという。
この話にも、不謹慎に大笑いしたが、やはり、
「ばかもーん!笑ってる場合じゃない」
とどやしつけられた。

そんな訳でありまして、1つの喜劇の中に込められた悲劇性を嗅
ぎ分ける訓練は、ばかもん!バカモン!とどやしつけられながら
積んだのですが、自分の話に、はははははと自ら軽く笑いながら
場を明るくするという芸は身につかなかったのであります。

それでも、鉄夫は円朝の人情話が好きだといっていた。子供には
人情話などおもしろくもなんともなかったが、今になって、時に
落語より人情話が好きになってきたのは、あの親父にしてこの子
ありかと、感謝するしだいでもあります。
[PR]
by kasuya_senji | 2006-05-30 12:59 | Comments(1)
朝の散歩
2006年5月29日

階段を片足でケンケンと登ってみたが、1・2・3段上がったと
ころでバランスを崩してよろけた。持ち前の反射神経の良さを発
揮して(?)手すりにすがり、あやうく難は逃れたが、手すりが
なければ、スッ転んで階段を転がり落ちていたかもしれんて。
それにしても脚力のいとやんごとなき事に気落ちした。気落ちし
ていても、脚力は戻るものではない。策をこうじる必要があろう。

今年の八月のお盆は、大文字の送り火を見るために京都のホテル
をすでに予約している。
京都へ行ったならば、大文字の送り火だけではなく、鞍馬山にも
上ろう。明恵上人を訪ね高山寺にも参拝しよう。南無阿弥陀仏の
声明の里・大原も訪れよう。
嵯峨の豆腐屋も。嵐山の二軒茶屋も。と上りまわり歩き回る予定
だから、脚力を発揮しなければならない。
以前に行ったときでさえ、上りまわり歩きまわりにいとやんごと
なきお御足は悲鳴をあげ、京都後、1週間は使い物にならなかっ
た始末であったから、あれから数年経った今は、あれよりもやん
ごとなさ加減は増しているのだろうから、まずは脚力強化の第一
歩として「朝の散歩」をすることにした。
散歩で脚力の強化になるのかァ?と申し立てる御仁もいらっしゃ
ると思えるが、いきなり走り込んでは危険であることは世間の相
場。雨さえ降らなければナイスなこの時節。まずは、お散歩から
スタートしたい。そして散歩後にスクワットを30回。脚力強化
の旅のはじまりはじまり。

6時に起床。6時半にお粥で朝食。今日の朝粥は、桜エビのお粥。
昨日の日曜日。かみさんの買い物にアッシー君として使われまし
て大きなスーパーへでかけましたところ、桜エビが「旬だ!旬だ
!」と売られていた。このエビは、どういうわけかこの時期に駿
河湾でしか獲れない小エビで、刺しみにして良し。かき揚げにし
て良しの食材。さっそく購入。
湯がいた桜エビをお粥に放り込むとお米の白に桜エビのピンクが
映えて見た目にも美味げ。(ナニナニげ、という言い方は群馬弁)。
ピンクついでに、鮭のほぐし身と博多よし留の明太子を少々加え、
ヒマラヤのピンクの岩塩サハーラで味を調える。
猫舌だから、はじめは小さなスプーンにすくい上げフーフーと息
をふきかけて冷ましながらすこしづつ、最後はぐちゃぐちゃにか
き混ぜ一気に食ったところ、美味であった。
食事を終え、鍋を洗い、新聞を読んで、散歩にでた。
朝の8時頃だから、駅に向かう人々とすれちがいながら歩く。
誰も彼も急ぎ足で駅に向かっている。のんびり歩いているのは俺
だけだ。散歩も或る一定の早さで歩かないとエネルギーが消費さ
れない。ヒップアップにも効果がないと云うから、たるみ始めて
きたいとやんごとなきケツの肉を引き締めるが如く、早足で歩き
出すと、あっという間に入院していた病院の前にでた。
先週の火曜日。退院1ヶ月後の検診に出かけると、予約してあっ
たにもかかわらず1時間ほど待たされた。外来の人々は9時の予
約であっても8時頃には病院に行き、その日の順番を早めに確保
するのだそうだと聞いたから、今朝はどのくらいの人が8時過ぎ
には来ているのだろうかと中に入って覗いてみると、なんとまあ!
すでに100人くらいが待合いに座っていた。
外来さんは、たいがいはお年寄りが多く、朝は早く起きるから、
皆さん早めに行って待っているのだとかみさんから聞いたとおり
だったな。来月は早めに行くことにしよう。自慢じゃないがこっ
ちも朝は早いぞと。

病院を通り過ぎしばらく行くとお寺があった。信者の方だろうか。
境内の掃除をしている人が4人いた。みんなおばあちゃんだった。
「オハヨウゴザイマス」と挨拶をされたから、
「オハヨウゴザイマス。朝からゴクローサマデス」
と挨拶を返し境内に入ってみた。
真言宗のお寺で、境内に「弘法大師1200年記念」の石碑が建
っていた。その隣には「弘法大師1150年記念」の石碑も建っ
ていた。
本尊は、阿弥陀如来だったかな。真言宗のお寺の本尊は大日如来
が多いのだが、この寺は違っていたから、根来寺の開祖・カクバ
ン和尚の新義真言宗の系列なんだろう。本尊の仏様は「行基・作」
と伝えられているとあった。
りっぱな鐘楼がある。鐘が鎮座する台上から下へ向かって袴をは
いたように末広がっている「腰袴」という建築様式で、天保何年
かの建立。区の重要文化財に指定されていると立て看板にかいて
ある。
年月をへて痛みが激しくなり昭和になって改修されたときに地面
を掘り返してみると、地下に鐘楼の強度を増すための構造が加え
られていることが発見されたという。構造強度不信問題で日本中
が揺れている現代。昔の日本人は偉かったね。
ちなみにこの建立の大工の名前は分かっている。彦田助左右衛門
という名前だそうだが、江戸時代、大工は名字は持たないから、
たぶん彦田村の助さんだったのだろう。
寺の名前は忘れてしまった。昇厳寺とか出てたような気がするが、
まあ、散歩の途中だからどっちでもよろしい。
寺の隣の天祖神社を通り過ぎ、そのまた隣のパン屋によって昼飯
用にとこの店のオススメのクリームパンを買おうとして金を持っ
てこなかったことに気づき、家にもどったら1時間が経っていた。
出勤時間がせまってきたので、スクワットは抜いてしまった。

明日は、また、コースをかえて散歩で脚力増強。時間厳守で元気
に出勤。商売繁盛といきたいものだと、ここまで書いて寺や神社
に賽銭を投げるのを忘れていたことに気がついた。
[PR]
by kasuya_senji | 2006-05-29 17:27 | Comments(3)
お初と金三郎と私たち夫婦
2006年5月27日

埼玉スーパーアリーナで行われた会場関係者との打ち合わせに参
加する。午後に渋谷で別の打ち合わせがあり、打ち合わせ後、原
宿駅から山手線に乗り、新宿で埼京線に乗り換え大宮まで行った。

原宿駅から電車に乗ったのは、10年ぶりくらいになるかな。
アルバイト人生の楽学生(楽学生という言葉はないが、大学生が
勉強もしないで、ただアルバイトで日銭を稼いで暮らしていただ
けで、苦学を強いられたわけではないので、楽学生)に終わりが
来て、当時原宿にあった音楽事務所に勤めはじめたころは、毎日
原宿駅で電車を乗り降りしたから、電車からおりてきた25・6
才の若者が階段をトントントンと駆け上がり足早に通り過ぎるの
を見て、当時の自分が歩いているような錯覚も憶えた。

今回は、切符が買えた。
表参道駅から綾瀬に行ったときは、千代田線で1本なのに、なぜ
か切符の買い方がわからず、偶然通りかかった知人におしえても
らってやっと切符を買うことができた。
むかし名鉄岡崎駅で切符が買えずうろうろしているおばあちゃん
を見かけたことがあった。いくら地下鉄の路線が新設され切符の
買い方が複雑になったとはいえ、いくら普段は車を使っているか
らといえ、今じゃあのばあさんと同じである。
布袋も地下鉄には乗らないが、或る時、地下鉄の切符を買おうと
してさっぱり分からなかったといっていたから、使用頻度の問題
であってボケの問題ではなかろうと二人力なく笑ったことがある。

新宿で埼京線に乗り大宮に行くまで車内で、三遊亭円朝・作の人
情話「心中時雨傘」を読んだ。この話は筋よりも場面場面がおも
しろく、との司馬さん評があって、冒頭、根津権現の祭りの宵宮
(よみや)が出てくる。幕末の実話だというから、江戸末期の神
社の露天や小屋がけの興業などがいきいきと書かれている。
そこで、知り合った「お初」と「金三郎」の恋物語の心中話で、
悲しくて美しくて二人のこの世のさだめが切なくて、電車の中で
読みながら、目頭に涙がたまった。
その電車に乗り合わせた学生諸君。先頭車両のその先頭の席に座
り泣きべそ書いたような顔で本を読んでいた妙なおっさんは、何
を隠そうこの俺だ。若き学生諸君。君たちもいつか円朝の人情話
に涙する大人になることを切に希望するぞ。

スーパーアリーナの打ち合わせも終わり、帰りは京浜東北線で東
京駅まででた。駅前の八重洲ブックセンターに寄る。8階の古典
文学のコーナーで、あらたに円朝の人情話。古今亭志ん生の本を
2冊。井上ひさしの戯曲「志ん生と円生」。立川談志の「昭和の
歌謡曲」を買って、銀座にでる。
銀座4丁目の交差点の服部時計店のまえで、女性がひとりで何か
にむかって喋っていた。ナニヤッテンダローと近づくとテレビの
街頭インタビューに答えていた。むかっていたのはカメラとマイ
クだった。

「今度のスーパーアリーナの布袋さんに何を期待しますか?」
「そうですねえ。私としては最高のショウを期待します!」

ぐらいな事聞かんかい!
ぐらいな事答えんかい!
と雑沓のなかで妄想をふくらませつつ山野楽器へ。
リップ・スライムのアルバムを2枚。ミニアルバムを1枚買って、
木村屋総本店で桜アンパンを3コ買って、事務所に電話を入れ用
事をすませ、気持ちよく晴れ上がった暮れなずむ夕方の銀座をブ
ラブラした。

人情話に心を洗われた今日は、たまにはかみさんと仲良く夕飯で
も食おうかと帰宅したところ、友達と久しぶりの夕食会があると
いう。ひとりで食事してから帰ってこいという。では。近所では
めずらしく気がきいたアジアンフード飯屋があるから、そこで飯
食ってくるというと、連中もそこに行くのだという。
絶対顔ださないでね!とにらみを利かされたので、しかたなく千
歳で買った「すみれ」の醤油ラーメンを自分でつくって食った。
円朝の書いた人情話の夫婦もんとは、風情がちがってしまったな。
[PR]
by kasuya_senji | 2006-05-27 17:23 | Comments(0)
カラオケと四角い猫とおっかさん
2006年5月26日

スナックでカラオケを歌っている夢を見た。

子供の頃から、よく夢を見る子だったが、特に憶えている夢が2つ
あって、1つは教室で同級生と喧嘩した日の夜に夢で喧嘩の第2ラ
ウンドが始まり、相手を突き飛ばしたらデカイ相手に上からのしか
かられ下敷きになったままうんうんと唸っている夢。
親父が、絵が描きたいなら黒板を買ってやろう。いちいち画用紙に
書いていたら紙代がもったいないと、大きな画板ほどの黒板を買っ
てくれたのが嬉しくて、遠足の時に枕元にリュックサックをおいて
寝るように、その黒板を枕元のタンスに立てかけて寝ていた。
喧嘩の夢で、寝ながら大暴れしたようで、目が覚めると黒板の下敷
きになっていた。
2つ目は、町の洋画館で恐竜映画を観た夜に、恐竜に襲われた映画
の主人公のように恐竜と戦っている夢で、ただ映画とちがっていた
のは、恐竜が怖くて怖くて、戦っているのではなく逃げ回っている
のであった。目が覚めても恐竜があらわれるようで朝まで一睡もで
きなかった。

子供の頃ばかりでなく、大人になった今でも、その日にあった出来
事を夢見る。
カラオケの夢を見たのはカラオケで大盛り上がったという話を聞い
たからだ。数人でカラオケボックスで飲んで歌って盛り上がったと
いうだけの話であるが、歌うときに或る企画があり、その企画とは、
カラオケに出かけた中の一人が筋肉を鍛えるパッドを持っていて、
参加者はそれを腹にセットして歌うこととしたらしい。
パッドは20秒間ビリビリビリと作動し10秒間停止する。作動と
停止を5分程間繰り返えし、腹なら腹筋。足なら大腿筋とパッドを
はり付けた場所の筋肉を刺激し鍛えるというしろもので、それをセ
ットして歌うと、例えば「君が代」なら、
「きーみーがーあーよーはー・・ギャオーー」と歌うことになり、
「ロンリー・ワイルド」なら、
「おー前はーロンリー・・・ギャオーーーー」と歌うことになり、
1年分笑いましたよと聞いた。いかにも楽しそうであった。

さて、その夜のカラオケの夢は、見知らぬスナックで、客はたくさ
んいたが見知った顔はなく、どうやら一人で行って一人で歌ってい
る。何の歌を唄ったか憶えてないが、客は誰も彼もわいわいがやが
やと喋っていて誰も聴いてない。どーせ自分でもよく知らない歌を
唄ってるのだからと口先だけで軽く唄って席に座ると、隣の席の客
が歌に心がこもってないと天童よしみのおっかさんのようなことを
言う。
天童よしみのおっかさん話は俺のすきな話の1つで、デビューした
天童よしみが、売れなくなって地元の大阪へもどってきて、またデ
ビュー前のようなスナック廻りの流しの歌手にもどった。おっかさ
んと二人三脚で流すが、誰も客がいないスナックでも唄った。
人の前で唄わないと心がこもらず歌は荒れるものである。
だんだん天童よしみの歌が荒れてきた。
おっかさが叱咤する。心を込めて歌わんかいと。
でも誰も聴いてへんやないか。と天童よしみが口答えしたとき、
「バカタレ!誰もいてへんでも神様が聴いてるやないか」
とおっかさんは言ったという。
隣の見知らぬ客に心がこもってないと天童よしみのおっかさんのよ
うなことを言われても、俺は天童よしみじゃないし、どー答えてい
いものやらグズグズしているうちに目が覚めた。
お仲間の連中が心を込めて唄ったかは知らないが、ビリビリビリに
耐えつつ力を込めて唄ったことは確かで、その中の一人はあまり力
が入りすぎて翌日は声がガラガラに枯れていて、そんな事がおもし
ろかったから、カラオケの夢を見たんだろう。

実際にあったことを夢に見たといえば、
向田邦子さんの珠玉の短編「父の詫び状」に、飼っていた猫が四角
くなった夢を見たと書いている。新しく飼った猫が前からいた猫と
折り合いが悪く、慣れるまで四角いペット用の箱の中に入れていた
とき、ちょうどテレビで四角い蛙の話があって、それで向田さんは
四角い猫の夢を見たようだ。
四角い蛙というのがおもしろくてなんのことかというと、
大道香具師(やし)が前日から蛙をちいさい四角い箱に押し込んで
置くと、蛙は四角くなってしまうそうで、香具師はそれをおもしろ
おかしい口上とともに売りつけるが、買った人が家へ帰ったときに
は蛙はもとにもどってしまう。この話には笑ったが、気持ちの中に
なにか笑いきれないものが残っていて夢をみたのだろうと書いてい
た。この短編は、この後、向田さんが若かったころの父の思い出と
なり、最後に父から来た手紙の一節で終わるが、ほんとに良くでき
た短編である。そういえば、最近向田邦子さんが忘れられているが
淋しいことだね。

カラオケで大笑いした話を聞いてカラオケで歌ってる夢を見たが、
いつかその話が珠玉の短編の一挿話に決して発展しないところが、
天才向田と凡才岡崎堂のちがいであろう。せめて天童よしみさん
のおっかさんの紹介に留まるのみである。
[PR]
by kasuya_senji | 2006-05-26 14:22 | Comments(1)
ワールドカップ
2006年5月25日

ワールドカップが近づいている。
テレビもラジオも新聞も連日ワールドカップのニュースを報じて
いる。福島の日本代表の合宿所には2万人を超すファンが訪れた。

「ナカタさ〜ん」
「イナモトさ〜ん」
「マキさ〜ん。きゃ!こっち向いた。カワイイ〜」
「きゃっきゃ。きゃっきゃ」

という光景を見るにつけ、アイドルもスポーツ選手も同じ取り扱
いでヤになっちゃうんだけどねー。なんとかしてくれないかなあ。
でも。高校時代からサッカーが好きで、よく実業団戦などをテレ
ビ観戦していたが、サッカーというスポーツの人気も一部のもの
で、マイナーもいいとこで、天皇杯以外の試合などは観客席も淋
しいものだったから、試合ではなく合宿に2万人も集まったと聞
くと、あの当時から比べればサッカーというスポーツの人気ぶり
に隔世の感がある。
ひとえにサッカー協会の川淵キャプテンのリーダーシップによる
ものだろう。つい先日、川淵さんがテレビのインタビューに答え
「50年後は日本代表を世界一にする」と言っていたが、あの人
の凄さは、常に50年100年先を見ていることだと思う。川淵
さんが、ワーキャーも許すと言えば、ワーキャーもいったんは許
すとするか。

ところで、東京新聞にワールドカップ関連の面白いニュースがで
ていた。

<模擬W杯・日本快進撃!>
ドイツのベルリンで市内の小学生のチームが、W杯に出場する3
2ヵ国を名乗り、W杯と同じ組み合わせで戦うサーカー大会を行
い、日本が一次リーグF組を首位で突破する好調な出だしを見せ
たという。くじ引きで担当国が決められ、日本役はタウヌス小学
校で、クロアチア役には負けたもののブラジル役とオーストラリ
ア役には勝利。同校の生徒は日の丸を打ち振り「ヤーパン・フォ
ア(日本行け!)」と叫んで応援。出場したニコス・ビオレッテ
ィー君は「このまま決勝まで行くよ。日本も頑張ってね」とエー
ルを送ってくれたようで、この話は楽しい。
ドイツも面白い事をやるね。日本でもこういった楽しい企画がで
きるようにならないとな。川淵さん頼んまっせ!
ヨーロッパに、
「世界で一番薄い本が2冊ある。それはなにか?」
「イギリスの料理本とドイツのジョーク本」
というドイツ人のきまじめさを皮肉ったジョークがあるが、今回
の模擬W杯企画を知れば、さらに薄い本が1冊あって、それは、
「日本のおもしろ企画本」となるのではないか。

前回のW杯は、鹿島スタジアムの「イタリー・クロアチア戦」を
観戦することができた。待望のチケットが手に入り、盛り上がっ
て前日から潮来の旅館に泊まり込み、当日は朝から潮来の水郷巡
りで船遊びをし、いよいよ夕方からW杯の予選を観たが、その時
の印象は、クロアチアは強い!という事だった。
あのイタリーの誇る世界的なポイントゲッター、ビエリ、トッテ
ィー、デル・ピエーロをディフェンスが押さえ込み、攻撃陣はカ
テナシオ(鍵をかける)と云われるイタリーの鉄壁の守備をこじ
開け、1−0でクロアチアは勝利した。そしてイタリーは予選で
姿を消すことになった。2002年ワールドカップ3大番狂わせ。
フランス、アルゼンチン、イタリーの予選リーグ敗退の1つを目
の前でみたのだ。
2006年ワールド・カップF組は、他の組に比べれば戦いやす
いといわれるが、クロアチアに分けるのはブラジルと分けるのと
同じくらいの厳しい1戦になると思う。

ベルリンの日本役のタウヌス小学校もクロアチア役に負けたとい
う。なんだか、本戦のクロアチア戦の前途に雲がかかったような
気になるが、タウヌス校にならって、日本代表も決勝リーグ進出!
を果たしてもらいたい。いよいよ、あと二十日。運命のオースト
ラリア戦がキックオフ。
[PR]
by kasuya_senji | 2006-05-25 11:37 | Comments(1)
大正解
2006年5月24日

千歳空港で、布袋ツアー一行と待ち合わせ。
こちらの方が30分ほど早く着いたので、待ち合わせというより
お出迎えをさせてもらった。待っている間にドラッグストアーで
胃薬を買う。ソルマックを買う。今夜開かれる全員集合しての
「ジンギスカン・パーティー」に備えて1本飲む。

しかし、煙草吸いには生きにくい時代になった。千歳空港のスモ
ーキングエリアはかなり狭く和室の3畳ほどの小ささ。 煙草吸い
は、その狭いエリアに閉じこめられてしまうのだ。堀江君ではな
いが独房状態である。その中で5人も6人もが一斉に煙草を吸う
から狭い独房はたちまち煙とモクの匂いが充満し、さすが愛煙家
を自称しているこちらも「今日も元気だ煙草がウマイ」などとい
う気分にはなれない。紫煙をくゆらすという風景ではない。
せめて空港建物の出入り口の外にスモーキング場所を作ってくれ
ないかなあ。吸わない人に迷惑をかけるつもりはないけれど、吸
う権利と吸わない権利を比べれば、権利に大小があるんじゃない
の?社会の有害者としてあつかってるんじゃないの?
「バカの壁」の養老先生が、同じことを言ってたぞ!

と1人憤慨しながら煙草を吸い終えると、布袋を先頭にツアー一
行が到着した。寒さ対策万全の当方の格好を見て、着すぎじゃな
いのかなあと布袋は思ったようだが、後で、今日の札幌は寒いで
すねえ。その格好で正解ですねと云った。札幌に向かう車中で、
短パンポロシャツで震え上がった話をしたら大笑いしていた。

ホテルにチェックインし、バーで布袋とシャンパンで一杯やって
会場に向かった。全員がそろい、布袋から札幌入れてあと4本!
みんな盛り上がっていきましょうと一声有って、ビールで乾杯。
生のラム肉と野菜が運ばれ、ジンギスカンパーティが始まる。
テーブルの向かいに座っていたドラムのシュウ君とジューケンを
交えたブログ談義が始まった。
シュウ君のブログもジューケンのブログもかなり面白い。
特にシュウ君のブログは、思いついたことをただ書きなぐったよ
うな印象があるが、文章に起承転結があり、その乱暴なやさぐれ
かげんに愛嬌がある。色気があるというとホメ過ぎだが、シュウ
という男がちゃんとでている。
ジューケンのブログは、いっけん強面の兄さん風にみえるジュー
ケンはホント優しい男で、その文章に人柄がでている。
シュウのジューケンのブログ評が面白かった。ジューケンはアイ
ドルだからブログもそんな感じと評していたな。
ジューケンのブログには毎日コメントが50も60も書き込まれ
ているから、シュウや岡崎堂に比べれば、確かにアイドル。
まあ、3人で互いのブログを褒めあって、気分良くジンギスカン
を食った。何人かが集まって食事をするときのルールは和気藹々
と機嫌良くである。そして、そのルールを守るマナーがあって初
めて楽しいひとときになるのである。

食事を終えると雨がふっていた。スタッフの若手は半袖すがたで、
う〜さびーと震えていた。岡崎堂はレインコートを着て雨の中を
平気でタクシー乗り場に向かった。
[PR]
by kasuya_senji | 2006-05-24 12:19 | Comments(6)
サーファーのように天気を確認して出かけよう
2006年5月22日

低気圧が朝鮮半島の北にあり高気圧が太平洋上にあって、日本列
島を前線が横切っている。低気圧と高気圧の隙間に向かって南か
らしめったあたたかい空気がながれこみ、日本列島の真ん中を貫
くような山脈にぶつかり、湿気を払ったあたたかい空気は日本海
側に流れフェーン現象をおこし、日本海側の各地では、今日は3
0度をこえる真夏日になるようだ。太平洋側の各地は、その残さ
れた湿気で曇りの天気である。

渋谷・代々木公園あたりの様子が中継され、東京は現在17度。
午後になって気温が上がり26度くらいになるでしょう。
朝の天気予報でそういっていた。
26度になれば裸でいられます。とも天気予報士がいっていた。
裸でいられます。という予報士の言葉にスタジオの女性アナウン
サーが妙に反応し、一瞬恥ずかしそうな表情をしたのを俺は見逃
さなかったぞ。昨夜は何があったんだい?

で、今日は札幌に出かけるが、札幌の最高気温は17度というか
ら、今の東京と同じ気温。さて、17度の気温とはどのくらいの
ものかとベランダにでると、盆栽のもみじに新しい葉がではじめ
ているではないか。このもみじがつけるべき新緑の葉ではなく、
緑に赤みがかかっているおかしなものだが、いずれにせよ花屋の
呪縛から解放されたようだ。オメデトウゴザイマスともみじに声
をかけ水をかけ、イスにすわってベランダで朝の一服をきめこん
でいると、風が肌涼しい。
最高気温が17度ということなら、今夜の札幌はかなり冷え込む
と見た。この季節の薄手のジャケットだけでは寒いかもしらんと
バッグにセーターを詰めこむ。薄手ではあるがレインコートもク
ローゼットから取りだす。なんせ、風邪ひいても面倒は見ないと
かみさんに宣言されている身であるゆえ、寒さ対策をして札幌に
でかけることにする。

いつだったか忘れてしまったが、5月晴れのすがすがしく気持ち
良く暖かい日。そのお天気に、初夏がきたーと妙にはしゃいでし
まってポロシャツに短パンという格好で札幌に出かけたことがあ
ったが、昼間の内は札幌もあたたかくそれでもよかったが、夜に
なっていきなり冷え込んだ。
ワインを飲んでも焼酎のお湯割りを飲んでも寒さはとまらず、ブ
ルブルと震える始末で、むき出しになった足には鳥肌がたってい
た。最後は知り合いの店に行って、その店の従業員のはく黒の長
ズボンをかりて寒さを凌いだ。そのズボンはずいぶん大きなもの
で、ぶかぶかズボンをベルトで締め上げずり落ちるのを止め、裾
は折り曲げまくりあげていると云うみっともないものだったが、
それでやっと寒さを凌いだ。この季節といえど札幌の夜はあなど
れないのである。

余談になるが、あなどれないと云えば、ロンドンもあなどれない。
アメリカの文豪。マーク・トゥエインの、
「一番寒かった冬は1936年のサンフランシスコの夏」という
有名な言葉が残っているが、1991年の夏のロンドンも寒かっ
た。コベント・ガーデンの「ザンジ・バー」に吉川晃司と出かけ
たが、雨模様のその日は夜になって冬のような寒さになった。
吉川も岡崎堂も夏の格好である。そりゃそうだ。夏・8月なんだ
から。あまりの寒さに、レスタースクエアーの古着屋で革ジャン
を買った。夏に革ジャンを買うとは思わなかったと晃司と震え上
がりながら、コベント・ガーデンを歩き「ザンジ・バー」に向か
った思い出がある。あん時は大風邪をひいた。

いずれにせよ。風邪をひいても面倒は見てもらえない。
面倒はともかくも、41本のツアーのいよいよ大終盤戦である。
埼玉スーパー・アリーナのファイナルに向かってカウント・ダウ
ンが始まっている。風邪などひいてスタッフやキャストに迷惑を
かけるなどは言語道断。寒さ対策万全にして、これから札幌へ向
かう。季節外れの雪がちらついてもいいようにホカロンも持って
いくか。なにを馬鹿なことをというそこのアナタ。マーク・トゥ
エインも俺も天気では痛い目に遭っているのだ。
[PR]
by kasuya_senji | 2006-05-22 12:33 | Comments(1)
了以と漱石とエノケンと岡崎堂
2006年5月20日

京都嵐山の渡月橋の下を流れる保津川は、急峻な保津川下りで有
名だが、もともとこの川は岩がごろごろとしていて、水運として
は使えなかった。
江戸時代の初期に、京都の士・角倉了以が幕府に願い出て許しを
得、岩を取りのぞき、京都西北部の山から材木などを運べる川に
した。

司馬遼太郎の「京都・嵯峨散歩」にそのことがでていて、江戸時
代初期の川工事はどうやったのかも書いてあった。
水の表面に顔を出している大岩は、岩の上で火を燃やし熱で暖め、
その上に組まれたやぐらからぶっとい鉄の棒をどすーんと落とし
岩を砕いたそうだ。河原にある岩も同じ方法で砕いた。水の中に
ある岩は、ただただ鉄棒を落としまくり砕いたそうだ。
現代でも、何年もかかるだろう大工事が、一個人で生涯をかけ続
けられたと知り、驚きを通り越し感動さえ覚えた。
現代に生きる私としては一様にせちがらくなっているから、つい
工事費はいくらかかったんだろうかと計算してしまう。山で切り
出される杉の木が良質で、建材として京都・大阪で高く売れるか
らといって、かかった経費と時間を考えれば木をいくら売っても
取り戻せるものではあるまい。
いくら角倉家にありあまる身代があったとしても、その行為は一
生をかけて身上をつぶしたにすぎないと言ってしまえば云えるで
あるから、角倉了以は、個人の商売の打算ではなく、山に住み山
に暮らし山仕事に従事する人々の100年先200年先のために
生涯を終えたのだろう。感動するのはここのところで、最近こう
いった話が好きになってきた。

角倉了以から約280年の後。
夏目漱石もこの保津川を舟に乗り下ったが、漱石は川下りした舟
がまた上流にもどるさまを書き残している。船頭と船子が舟の舳
先にくくりつけた縄をおもいっきり前傾しながら引っぱり河原づ
たいに上流に運び上げると書いている。
角倉了以から280年経ったとはいえ明治中期でも舟自体は動力
を持たない。小型エンジンの発明を待たなければならないのだ。
それまでは、下った舟は了以の時代と同じく人の手で引っ張りあ
げられていた。
エンジンが発明されたのは、イギリスでスティーブン・ワットに
よる蒸気機関の発明が最初だと思うが、その後石油を原料にする
エンジンが発明され小型化したのはいつの頃だろうか。
そのあたりのことは知識がなくよくわからないが、角倉了以から
は余程最近のことではないか。

このあいだ「エノケン、笠置のお染久松」という映画をDVD
で観た。大阪の裕福な商家のいとはんと丁稚の恋物語である。
この恋物語は歌舞伎の演目にもなっている有名な話だが、映画は
昭和の中期・当時人気絶頂だったエノケンと歌えるアイドル女優
笠置しずこの共演でミュージカル仕立てになっていて、現代の感
覚で言えば、まどろっこしく、台詞も映画の売り物である歌うシ
ーンにいたるまでのつなぎの役割以外なく、稀代の喜劇役者・榎
本健一も特に感心するような演技でもなく、早く終わんないかな
ーと思いながらみ観ているという退屈なものであったが、野崎参
りのシーンでいとはんのお染が乗る舟をエノケンと数名の丁稚が
舳先に縄を結びつけ河原づたいに淀川を上流に引っぱっていく画
が映っていた。オヤヤまだ人力かいと思った。漱石の時代から大
正、昭和と時は経たが、遊興などに使われる小舟などは、まだ人
力が使われていたということが、この映画で分かる。

角倉了以から約400年後の昨年の今頃のこと。
嵐山の保津川の河原に座り行き交う舟をながめていた。
今は材木を運ぶ水運の役目を終えた保津川は観光客をのせた川下
りの舟だけが行き交う。川下りを終えた舟は観光客をおろすと小
型エンジンを作動させ自力でゆっくりと川を遡って行った。
[PR]
by kasuya_senji | 2006-05-20 19:38 | Comments(0)
千両役者
2006年5月19日

相撲が面白い。                     
新大関白鵬の気力一つで場所がもりあがっている。

白鵬は、場所前の稽古で負傷し右耳を化膿させ傷口からはいった
菌が帯状疱疹を引き起こして、序盤戦から白鵬の右顔面は腫れ上
がっている。しかも昨年の場所でひねった足首の捻挫も、この梅
雨のような長雨で痛みがぶり返してきている。という状態で土俵
にあがっている。

1996年の9月。イギリスのマンチェスターで開催される音楽
イベントに出かける直前に右の肩胛骨の内側にちくちくと痛みを
感じた。ちくちくと云っても針で突かれたような痛みではなく、
どこか背中にコリがあり、そのポイントが痛いなあ的な感じだっ
たから、マッサージに通いコリをほぐしてもらったが、痛みはし
くしくちりちりと続き、取れなかった。
家で出かけるために着替えをしていたら、かみさんが背中を見て
発疹ができているという。

「帯状疱疹ができてるみたい」
「タイジョウホウシン?なんだそりゃ」
「菌が体内に入り神経につくと感染する病気でかなり痛いわよ」
「ちりちりと痛いが痛みはそんなでもないけど・・」
「弟がなったことがあるから知ってるけど、その発疹同じよ。す
 ぐ病院に行ってみてもらったら」

皮膚科にいくと、近所の老医師が、

「あー。タイジョウホウシンだね。飲み薬はこれ。塗り薬はこれ。
 直るのに2週間ほどかかるね。年食えば食うほど痛みがきつく
 なるんだよねこれは。お幾つでしたっけ。あー。私にくらべれ
 ばまだ若いじゃないですか。まー。あまり痛かったら、また来
 てみてください。はい。おだいじに。次の方どーぞ」

感染した場所は、右半身の胸のあたりで下着が触れても痛い。一
番きつかったのは寝るときで、左側を下にして横向きなって寝る
が、眠ってしまって無意識に寝返りをうち右側が布団にあたると
痛みで飛び上がった。
毎晩そんな状態で、そのうち寝不足で食欲もおち体力もおち、菌
はますます活発になり、いよいよ花開いたように痛みは全開とな
って私をくるしめた。
マンチェスター行きはあきらめ、休みをもらい自宅で静養してい
ると、10日ほど過ぎてやっと発疹が消え始め治まってきた。
医者の言ったとおり2週間で跡形もなく痛みも発疹も消えて完治
したが、右胸の乳首の神経に感染したスポットは最後の最後完治
直前まで猛烈な痛みをともなってしぶとく残った。乳首には神経
が集中しているから、他の場所に比べ100倍ほど痛かった。
神経は身体中に張り巡らされてるから、帯状疱疹は身体中のどこ
にでも起こりうる。知人の一人は、男の下半身のだいじな場所で
発疹したらしく、あのあたりも神経の集中度はすごいから、その
痛みは死ぬより辛かったと聞いた。

帯状疱疹は極痛をともなう。
白鵬はその状態で相撲を取っているのである。右の顔面腫れ上が
らせ「ハッケヨイ」のかけ声で頭から相手にぶつかっていく。
老医師の云うところを信じれば、白鵬は俺より若いから痛みは俺
の時よりはひどくないのかもしれないが、ただ下着が触れても飛
び上がるほど痛いのに、頭からガチンコ!腫れてる顔面ガーン!
礼に始まり礼に終わるとは云え相撲は格闘技である。
相手の右手が不自由であれば、そこを突く。
足に故障がありサポーターなど巻いていれば、そこを突いてくだ
さいと言わんばかりであるから、昔の相撲取りはどこが痛くても、
まったく痛くない振りをして相撲を取ったものだ。
ところが、左肘を故障している大関千代大海はでっかいサポータ
ーぐるぐる巻きにして土俵に上がり、左腕をきめられてずるずる
と土俵を割る無様な姿をテレビでさらしている。
そのダラシナサを見るにつけ、大相撲ファンは、白鳳にかって土
俵を沸かせた名力士たちの面影を見るのだ。満身創痍。激痛に耐
え相撲に邁進する白鵬ひとりで大相撲を背負っている。
白鳳・杷瑠都の大活躍と、まるで国際異種格闘技の体をなしてき
た大相撲も、相撲道を極めるかのような力士によってファンは沸
くのである。大相撲夏場所。千秋楽まであと3日。新大関・白鵬
から目が離せない。
[PR]
by kasuya_senji | 2006-05-19 18:04 | Comments(1)

 
Copyright ©1997-2007 Excite Japan Co.,Ltd. All Rights Reserved.
免責事項
- ヘルプ - エキサイトをスタートページに | BB.excite | Woman.excite | エキサイト ホーム