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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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汽車の窓から手を振れば
2006年6月29日

あまりにも有名なので、行ったことがないにもかかわらずよく知っ
ているという場所がある。エジプトのピラミッド&スフィンクス。
ナイアガラの滝。ヨーロッパとオリエントを分けるボスポラス海峡。
グランドキャニオン。ロンドンのトラファルガー広場。パリのエッ
フェル塔。ノートルダム寺院。などがこれにあたる。
長じて、グランドキャニオン、トラファルガー広場。エッフル塔に
は行くことができたが、不思議なもので初めて来たという気がしな
かった。鶴岡八幡宮もそうだった。

鶴岡八幡宮も歴史的なあまりにも有名な神社であり、その風景は中
学や高校の社会の教科書でおなじみで、静御前が義経の為に舞った
舞殿やその奥の拝殿につづく階段の脇の大銀杏の木。海から八幡宮
にまっすぐむかう若宮大路からの眺めは簡単に絵にかけるくらいし
っている。だから、先日鶴ヶ岡八幡宮に行ったときも、初めて来た
気がしない初めて来た場所だと思いこんでいた。
あの有名な鎌倉の大仏さんは、鶴ヶ岡八幡宮の裏の山の中腹に鎮座
していると思っていたが、大仏はまた別のところにあると聞いて、
ますます知ってるつもりの来たことがない場所だったなあと思って
いた。

ところが、平日にもかかわらず参拝客は大勢いたが、その中にあき
らかに修学旅行の中学生だろうという一群がいて、それを見て、
俺も中学の修学旅行で来たことがあった!と思い出した。
思い出したといっても大仏の場所が定かではないくらいだから、
あざやかに記憶が蘇ったわけではないが、確かにこの拝殿につづ
く階段の脇の大銀杏を下から見上げていた中学生のカスヤ君がいた。
さて、誰と一緒に見上げたのか。YかOかSかAか誰だったのだろ
うか。それともK先生だったろうか。そのかすかな記憶のフィード
バックはまるで一瞬のデ・ジャブのようだった。

ただし。修学旅行の思いでは別のところにある。
岡崎駅から国鉄に乗り東京へ着いた岡崎市立甲山中学校の一行は、
後楽園ちかくの旅館に1泊した。当時、叔父さんさんが埼玉の熊谷
にいて旅館を訪ねてくれた。東京に知り合いがいるなんて岡崎の田
舎の中学生にとってはもの珍しい事で、玄関に現れた叔父を見物に
同級生が一緒についてきた。
皇居二重橋の前で記念撮影をして国会議事堂を訪ね赤絨毯を歩いた。
その後、バスで鎌倉・鶴ヶ岡八幡宮に寄り銀杏の木を見上げ、伊豆
箱根にむかった。箱根はどこに泊まったか思い出せない。富士の麓
の白糸の滝を訪れたのは憶えている。昼食でカレーライスを食べた。
見晴らしのよいレストランだったので、ターンパイクの頂上の八観
山のレストランだったんじゃないかな。
たぶん三島あたりから国鉄にのり帰途についたが、このころの僕は
乗り物酔いがひどくバスの中や汽車の中ではすみやかに酔い、修学
旅行の移動中はずーと気分がすぐれなかった。
三島から汽車が富士川にさしかかるころ、後ろの席からカスヤーと
呼ばれ振り向くとYが窓から顔を出して名前を呼んでいたので、こ
ちらも窓を開け顔を出し後ろを振り向き手を振り大声で「よー!」
と答えた瞬間かぶっていた学生帽が風に飛んでいってしまった。
あれほど窓から顔を出すなと注意したのになんてことをしたんだ!
と先生に叱られしょんぼりとしている内に酔いが始まり気持ちが悪
くなってきた。がまんすればするほど気分はすぐれず、あくびをし
たり生唾をなんども飲み込み吐き気をこらえていたが、そんな様子
を仲間が気の毒がってジュースをくれた。これを飲んだのがいけな
かった。いきなり酸っぱいものが胃の中で大暴れしたと思ったらの
ど元まで駆け上がった来た。揺れる車内でよろけながらトイレに駆
け込んだ。消化の進んだカレーライスの真っ黄色のゲロ君だった。
口をすすぎ席に戻りおとなしくしている内に吐き気は消え失せ眠り
こんだ。まわりががやがやとうるさくなって目が覚めると岡崎駅だ
った。市内の籠田公園に再集合し解散したが、今回の修学旅行は事
故もなく病気になった者もなく全員無事で帰られてたいへんすばら
しい修学旅行であったが残念なことが1つあった。危険だから汽車
の窓から顔を出すなと注意をしたにもかかわらず顔を出し学生帽を
飛ばされた生徒がいた。学生帽をかぶっていない生徒が一人いるが、
それが誰であるかみればわかるだろうと訓辞があって解散となった
が、全員俺をみていた。そいつは乗りもの酔い後の青ざめた顔をし
ていたが、叱られて青い顔をしているようにも見えただろう。

「ママー ドュユーリメンバーミー。
 母さん。僕のあの帽子。どこにいったんでしょうかねえ・・・」
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by kasuya_senji | 2006-06-30 14:16 | Comments(2)
鎌倉散歩
2006年6月28日

仲間に誘われ、鎌倉へ出かけた。
東京駅から、横須賀線にのって約1時間の旅。
東京駅で横須賀線の乗り場を確かめて、地下2階のプラットホーム
へ下りたが、乗り込む予定の列車の行き先が「逗子」となっている。
車で鎌倉へ行くのは、横浜横須賀道路の朝比奈ICで下り、県道2
04号金沢鎌倉線を鎌倉方面にいくが、かって、私がウインドーサ
ーファーだった時代は、森戸海岸あたりの海がショバで、ごくたま
に鎌倉の材木座へ出張る時は、逗子を経由して行ったものだったか
ら、どうも鎌倉は逗子の先にあるという印象が残っていた。
逗子行きの電車にのると鎌倉の手前で止まってしまうんじゃないか
と誤解した私は、通りがかった駅員に聞いてみた。
「鎌倉に行くんですが逗子行きでいいんでしょうか」
その駅員は、困った顔をしながら、お待ちくださいと手にもった鞄
の中から時刻表をとりだした。
「大丈夫です。横須賀線のこの電車は鎌倉に停車します。その後逗
 子が最終地となります。東海道本線であれば、○○時××分発に
 乗り大船で横須賀線に乗り換えてください。私は実は総武線の車
 掌でして、同じJRでも横須賀線は詳しくないものですから」
と、親切であり正直でもあった。

気分は旅だったが、海が見えるわけでもなく車窓そのものは特にお
もしろ味があるわけではなかったから、神田界隈の古書店街につい
て書かれた本に没頭しながら鎌倉に向かった。
岩波書店の創立者・岩波茂雄や人類学の学術出版社である岡書院の
創立者・岡茂雄について書かれていて、おもしろかったのは、二人
とも本というのは壊れやすいものだという認識が共通していて、新
刊する本ができあがると床にたたきつけて丈夫さ加減をたしかめた
というアクションも同じだったらしい。
岩波書店は哲学書の出版社として世に登場し、その後小説の出版も
はじめる。当初は夏目漱石や森鴎外や幸田露伴という明治期の文豪
の本を出版するが、大正期になり新進気鋭の芥川龍之介や谷崎潤一
郎の作品も発売された。と書かれたあたりまで読んだところで、
「次は、かまくらーかまくらー」と鎌倉についた。
待ち合わせの約束時間よりも1時間もはやく到着したので、小町通
りをぶらぶらと鶴ヶ岡八幡宮方面にむかって歩くと「純手打ちそば・
なかむら庵」というそば屋が目についた。腹がへっていた。店構え
はただ古くどこの町にもあるようなそば屋だったから、あそこは混
んでないだろう。さっとそばをたぐるにはちょうどいいだろうなと
店に入って驚いた。ほぼ満席。たまたまカウンター席が1席空いて
いたからそこに座ったが、座ってみてまた驚いた。カウンターの中
に職人が店のオヤジを頭に5人ほどいるではないか。こりゃどうみ
ても大将と弟子という関係で修行の場所のようでもある。
オヤジは天ぷらを揚げながら若い職人にあれこれと指示をだしてい
た。壁側に置かれた天ぷら鍋の前に陣取り、店には背を向けている
にもかかわらず、
「何テーブルのお客さんのざるが1枚おくれてるぞ。順番を間違え
 るな。たのしみに来ていただいてるんだから」
と店内をお見通しているようだった。
はいおまちどおさまでしたとだされたもりそばの美味かったこと。
黒みがかった田舎そば風で、ツルッと呑み込まずに噛んで食べると
そばの香りが美味かったなあ。
また小町通りにもどり、先に歩くと木犀堂という古書店があった。
「神童」谷崎潤一郎・著というずいぶん古い本をみつけた。さっき
電車の中で谷崎が云々というのを読んだばかりだったので自然に手
に取った。
奥付を見ると、
大正十一年六月十日印刷。
大正十一年六月十五日発行。
発行所・金星堂。
定価・金五十銭。
と、あり谷崎潤一郎「神童」の初版本だった。
永い生命を持つ本と、すぐ読み捨てられる書物との差別はハッキリ
判る。と云われるが、手に取ったこの本は85年に近い年月を生き
ていた。大きさは今の文庫本ほどの大きさだが、文庫本よりも表紙
の紙はしっかりしている。この本も印刷上がった時には床にたたき
つけられたのだろう。3500円の値がついていて、発行時の70
00倍の値段になっていたが、迷わず買った。

鶴ヶ岡八幡宮・社務所前で仲間と待ち合わせ、あちこち見て歩き、
天気もよく暑かったから、最後に皆でかき氷を食べて夕方鎌倉を後
にしたが、鶴ヶ岡八幡宮に来るのは中学の修学旅行以来だった事に
気がついた。
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by kasuya_senji | 2006-06-28 18:25 | Comments(0)
旅の思いで

2006年6月26日

さて、昨日のブログのゴミおじさんのその後です。
ゴミを脇に抱えたまま公園のベンチに座り、阿川弘之さんの「食味
風々録」を読んでいると、さっきとは違うことが気になりだした。
図書館の出入り口の外に足拭き用のマットが置いてあるが、このマ
ットが金属のパイプで四角に組まれたものでそれなりの厚みがある。
そのパイプの片方がすこし浮き上がっていて、ちいさな子供が出入
りする時に足をひっかけてつまずいている。見ているとおかあさん
の後にちょこちょことついて行った幼稚園にも行っていないような
子供が足ふきマットにつまずいて転んだ。転んで泣いた。おかあさ
んがあわてて戻り抱き起こしたが、その時出入り口の自動ドアーが
閉まりかけ、おかあさんの立派なお尻にドンッ!とぶつかってまた
開いた。
危ないなあ・・・
もっと薄いマットにするか、出入り口にマットとおなじおおきさの
凹みを入れ埋め込み式にしないと、いつか大ではないが小事故がお
こるのではないか。それよりも、さっきから見ている限り、その足
ふきマットで靴裏を拭いてから図書館の中に入る人はだれもいない。
だったら置かなきゃイインジャナイノ。子供が転ぶこともないのだ
から。おかあさんのお尻にアザがつくこともないんだから。と思う。

ロンドンでは、たいがいの建物の入り口に足ふき用のマットが置か
れているが、特に公共的な場所(ホテルとか美術館とか)では誰も
がそこで立ち止まり、靴の裏をシャッシャッと拭いて行く。ロンド
ンなどは公園など以外の市街地は石で出来ていると云って過言では
なく、靴の裏に泥がつくことはまず考えられないが、そのような人
々の誰もが足ふきを利用している。こりゃ、彼の地と此の地ではず
いぶんマナーの有り無しが違うものだな。足ふきマットを置けばイ
イッテモンジャナイゾと小さく憤慨しつつ妙に英国を感心している
と、やっと娘が図書館からでてきた。
俺の顔を見て「なんでそんなにゴミ持ってんの?」と聞いた。

本があると紹介された別の図書館は車で10分ほどの所にあった。
無事、本を手に入れて家に帰ろうとすると、あそこに寄りたいここ
にも寄りたいと散々引き回された後にで、2時に、どこどこ駅で友
達と待ち合わせしているからそこまで連れてってくれという。
N君のコンサートがあるのだそうだ。
N君は、ナ行の名前のアーティストで、別に娘がその人のことをN
君と呼ぼうが、Nさんと呼ぼうが私にはいっこうにカマワナイのだ
が、娘のこの「N君」という言い方には、友達とまではいかなくて
もちょっとした知り合いという気分の感じがある。

話は8年前にさかのぼるが、娘が中学にあがった夏休みのこと。
かみさんの両親の北海道の実家で営まれた盆の法要に倅がおばあち
ゃんに連れられ初北海道旅行に出かけたので、残された我ら3人ど
こに行こうかと相談し、涼しそうな東北に遊びに行くことにした。
仙台のGIPの社長Bに電話をかけ、明日から仙台〜中尊寺の2泊
3日の旅行に出かけたい。ついては宿の手配を頼みたい。盆でどこ
もいっぱいだろうが何とかしてくれないかと頼むと、その日の内に、
何とかしましたと連絡がきた。
翌日の夕方。夕飯を食いましょうとBに指定された仙台の店に出向
くと、なんとそこは「牛タン屋」だった。
仙台に初めて行った若かった頃は美味い美味いと牛タンも食ったが、
その後、東京でも美味い牛タンを食える店はできたし、ロンドンで
もベルリンでも美味い牛タンを食った。いくら仙台の名物が牛タン
だからといっても、あの薄くて固い牛タンはもう食いたくないなあ
と思ったが、仙台に来たなら牛タン食わないとイケマセン。何回も
食べているカスヤさんはともかくも奥さんも娘さんも初めてであれ
ば是非とBがしつこく奨める。娘が食べてみたいというので食いた
くない俺も牛肉が苦手なかみさんもBのオススメの牛タン定食を食
った。
東京で観たいコンサートがあってチケットが売り切れになってる時
は、このおじさんに頼んであげよう。おじさんはコンサートをやっ
ている人だからと娘にBを紹介した。

「誰のファンなの?」
「・・・・Nさんです」
「Nかあ。今Nは仙台にいるよ。会社のスタジオでインタビューを
 やっている。ちょうど今頃は食事してる時間だから一緒に行こう。
 会わせてあげよう。会社はすぐ隣だから」
「ホント!ほんとにいいの?おとうさん」
「仕事中に邪魔してはダメだな。Bさんそれはなしにしてもらおう」

ダイジョウブ。ダイジョウブ。今電話したらどうぞっていってたよ。
と云うBに連れられて娘はNさんと会う事ができた。Nさんは、か
わいらしい中学生のファンにお兄さんのように接してくれ優しかっ
た。その日からNさんからN君になった。
東北旅行は、その後中尊寺から宮沢賢治のふるさとをまわる楽しい
旅だったが、娘はN君のことしか憶えていないと今でも言っている。
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by kasuya_senji | 2006-06-28 18:24 | Comments(2)
図書館でゴミとおじさん

2006年6月25日

娘が捜したい本があるからと区立図書館につきあわされた。
幼稚園での研修で、夏らしい「ソフトクリーム」が話に登場する童
話を捜すのだそうだ。
その区立図書館は設立が新しい。新しいだけになんでもかんでも本
を捜すにはコンピューターで検索できるようになっていて、小さな
子供連れのおかあさんが受付カウンターにあるコンピューターに向
かい検索していた。検索ソフトは子供にもわかりやすくできている
ようで、字もおおきく使いやすそうだった。
検索してみると、どうも娘の捜している童話はこの図書館にはない
ようで、娘とさほど年は変わらないと見える若い図書館の女性職員
が親切に相談にのってくれ、同じ区の他の図書館に「この種の本が
あるか」と問い合わせをしてくれているのを見て、「外で待ってる
からね」と娘に声をかけ、図書館の敷地内にある小さな公園にでた。

梅雨時ではあったが、さいわいの曇り空で公園では小さな男の子が
サッカーボールを蹴ったり、女の子が数人で鬼ごっこなどしてキャ
ッキャキャッキャと遊んでいた。ベンチに腰かけ本をとりだしたが、
本は読まずしばらく子供達の遊ぶ姿をみていると、妙な格好をした
大きな句碑が建っているのに気がついた。
2メーター×3メーターほどの大きさの石の台座にアンパンを上か
ら押しつぶしたような横に長めの丸みがかった黒御影石でできた句
碑が鎮座しているが、どういう分けか台座も句碑も透明なビニール
でぴったりと覆われている。その格好は未だ完成していない句碑の
ようにも見えた。その句碑には「知は力なり。○○区長」と言葉が
石に刻まれていて、日付をみると一昨年の完成だった。
なんのためにビニールで覆われているかがわからない。
近所の子供用の公園にある句碑がペンキで落書きされたことがあっ
たから、悪戯防止ではないかとは思ったが、それにしても不格好だ
った。
子供達はどうらや近所の家の子供のようで、しばらく遊ぶと或る組
は帰り、またしばらくすると別の子供達があらわれる。
新しくできた図書館の新しい公園であるからきれいな公園ではある
が、そうして遊んで行く子供達がのこしていくゴミがあちらにひと
つこちらにふたつと落ちている。
「こらーァ。ゴミを捨ててはイカンゼヨ!」
といきなり知らない子供達を叱るわけにもいかないので、遊ぶ子供
の目の前でわざとゴミを拾って片付けにかかった。かなり年長では
あるが、ボーイスカウト活動である。ボーイスカウトなど知らない
子供達はゴミ拾い屋のおじさんと見たのだろう。キャッキャキャッ
キャと遊んでいた女の子も遊ぶのを止めてひと固まりになりこちら
を見ている。
拾い出すと、さして広くない公園の植栽の陰やらにジュースの紙パ
ックやお菓子の袋やら結構いっぱいあって、捨てられていたコンビ
ニの袋3つが一杯になった。
さて、ゴミを拾い終えゴミを捨てようとまわりを見渡すが、どうい
うわけかゴミ箱が置かれていない。
なんでゴミ箱が置かれていないんだろう。
仕方がないので、図書館の手洗いにはあるだろうと中にはいるが、
そこにもゴミ箱は置かれてなかった。
ゴミ箱などは燃えるものが捨てられていて、どこかの誰かが悪戯し
て火でもつけられたら大変なことになる。よってゴミは自分で持ち
帰るべし!よってゴミ箱の設置は無し!ということだろうかな。
であれば、ゴミは持ち帰んなさいという表示があってよさそうなも
のだがそれはなかった。

「知は力なり」と云う知の殿堂であるべき図書館は、本さえ置いて
おけばよろしいというものでもなかろう。そこに集う老若男女に人
としてこうあるべきと云うことも含め教えていかなければ片手落ち
ではないか。箱物行政の限界が露呈してるなあ。そしてそこを利用
する大人達がそれを教えていないという家庭のマナーも向上させな
いとな・・などと考えにふけったが、考えにふけっているその格好
は、誰が見てもゴミをかたわらに置いてベンチに座り、ヒマを持て
あましているヘンなおじさんのようだったなあ。
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by kasuya_senji | 2006-06-26 16:26 | Comments(3)
池水は・・・・
2006年6月23日

中田と南の島へ出かけ、ふたりで仲良く日焼けしてる夢をみてる場
合じゃなかったなあ。

日本代表ドルトムントに死す。日焼け仲間の中田君がいつまでもピ
ッチに寝ころんでいた姿が印象的だった。ブラジルの選手と交換し
た黄色いユニフォームで顔を覆って泣いていた。その場面は、試合
が終わった喧噪と夢が破れた静寂がスタジオを支配し、オーレオレ
オレオレという陽気な叫びはもはやなく、激情を鼓舞するアイーダ
の主題歌も聞こえず、俺の頭の中ではスタンリー・キューブリック
作・「時計仕掛けのオレンジ」のワーグナーの「葬送行進曲」が鳴
っていた。

話はそれるようだが、子供の頃家に親父の本箱があった。今から思
えばちいさな本箱だが、近所の家では本箱を持っている親父などい
なかったから、いかにも若かった頃の親父は文学青年風だった。
その本箱には「坂口安吾全集」があった。
その本箱には小田実の「なんでもみてやろう」があった。
夏目漱石の「坊っちゃん」があった。
河出書房の「日本文学全集」があった。
島崎藤村の「夜明け前」。
太宰の「斜陽」。
カフカの「変身」。
スタンダールの「赤と黒」。
ドストエフ・スキーの「罪と罰」などがあった。
子供だったから、どれもこれも読みやすい本ではなかったが、小田
実の「なんでもみてやろう」はその後、海外へ出たいという欲求の
原点になった。
伊藤左千夫の「野菊の墓」もその親父本箱から読んだ。
九十九里の大海原の小さな村の淡き恋の物語に幼き胸を痛めたもの
だった。まだ、恋のなんたるかも知らない頃のこと。
伊藤左千夫は、その後特に親しんだ作家ではなかったが、

「池水は濁りににごり藤なみの影もうつらず雨ふりしきる」

という短歌は心にのこっていた。
この歌は、伊藤左千夫がちょうどこの梅雨時の亀戸天神に出かけた
ときに詠んだ写生の句であるが、その後、太宰治が小説で、先の見
えない自分の人生の胸中をこの歌を引用し表現した。そして、玉川
上水で自殺した太宰の遺書の中に、この歌が残されていたことで、
写生の句から人生の夢敗れた男の心情をあらわす意味を持つ歌とな
った。

中田の心境は、この歌で表現することができるのではないか・・・
明るくなった朝の空を見上げ、私は中田の為にこの歌を口ずさんだ。
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by kasuya_senji | 2006-06-23 16:31 | Comments(2)
訳の分からない・・・

2006年6月22日

昨夜は早く帰った。理由は特にない。
家に早く帰るのに理由が必要だ、というのが本来はおかしいんだけ
どね。でも、家に早めに帰ったら、かみさんから「なんで?」と聞
かれたから、どうやら我が家では、亭主が早く帰るに理由がいると
いう訳の分からない習慣がある。現に「特にない」といったら不思
議そうな顔してたもの。

「飯食いに行こう。腹ぺこだ」
「今かるく食べたばかりなのよ。でもつきあってやろうか」
「お前、ダイエットダイエットと口を開けば行ってるくせに夕飯の
 ハシゴはいかがかァ」
「じゃ。ひとりで行ってくれば」
「まあ、そう言わずつきあえよ」

と訳の分からない会話をかわし飯に出た。
玄関を出たところで帰宅した娘とばったり。

「飯食いに行くぞ」
「食べてきたの」
「どこで」
「そこの焼鳥屋」
「いいからつきあえよ」
「いやよ。2回も食べたら太るもん」
「でもな。お前のカーチャンはな・・」
「わたしもやっぱりやめようかな」
「まあまあまあ」

と訳の分からない会話で飯に出た。
飯食い終わって自宅のリビングで弾む会話もなく家族団らん。
会話が弾まないのに家族団らんという訳の分からない境地にいたる
には並大抵ではないよ。禅の境地に達したかと分けの分からない感
慨にふける。

その夜は、真っ昼間のクロアチアとの決戦後インタビューに答えて
いた中田の真っ赤に日焼けした顔が妙に印象的だったからだと思う
が、どこか南の島で、中田と一緒に真っ黒に日焼けしているという
訳の分からない夢を見た。
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by kasuya_senji | 2006-06-23 12:19 | Comments(1)
散歩談義
2006年6月21日

午前中。
打ち合わせがありIRc2スタジオへ。
ブッキングマネージャーのSと今後の予定について打ち合わせ。
その後、スタジオの入っているビルのOオーナーの部屋に顔を出す。
最近景気はどーですか、などと四方山話をする。

このオーナーは苦労人で、もともとは食堂を経営していたが、どー
も雨の日は客が来ない。と毎年梅雨時になると悩んだ。天候に左右
されない商売はないものだろうかと悩んでいた。
ちょうどその頃の日本は高度成長期にさしかかっていた。国鉄の輸
送だけに頼っている時代は終わりつつある。車社会の到来で物流革
命が訪れるのではないかと確信し、一念発起して食堂のオヤジから
倉庫を借りて物を保管し、その物を運ぶ運送業に転身した。
転身当時は、おおきな借金を抱え、さていつまでもつかとという営
業状態であったが、時代を捉えたオヤジの目は正しかった。
下町に借りた倉庫にひっきりなしに車が出入りするようになった。
商売が順調に回りだしたのである。
ところが。回れば回ったであらたな問題が起きてきた。
下町の狭い道路の奥にある倉庫に頻繁に車が出入りする。昼夜かま
わず出入りする。地域住民から苦情の嵐が寄せられ始めた。
苦情が寄せられても需要を満たすためには、配送を続けなければな
らない。いや、地域住民とのまさつがありますから夜中の配送はご
勘弁をなどと申し入れれば、あっという間に運送業者を変えられて
しまい倒産する。まだまだ、大型車両などの設備投資にかかった金
額は返しきれていない。
そうこうしてるうちに住民との摩擦がますます大きくなり、その地
域で商売を続けることが不可能であると決定的になったところで、
都から代替え地の斡旋があり、またまた銀行に相談をし、2回目の
一念発起の末、現在の土地に倉庫ビルを建てた。
ちょうどそんな頃にOさんと知り合った。
倉庫のワンフロアーを貸して貰えないだろうか。
レコーディングスタジオを造りたいんです。
との申し入れに、若い人と一緒に仕事をするのは楽しいことだ。と、
すぐ快諾をもらい、以来大家と店子の関係でつきあっている。
困ったことがあると相談に行く。とにかく困っているのなら相談に
きなさいと言ってくれる。自分も苦労したから人の苦労は見過ごす
わけにはイカン。とまことに人情家である。その上に経営観念がき
わだって素晴らしいから、教えてもらえる事がおおく、特に用事が
なくともスタジオに行くたびに「こんにちは」と顔をだす。

今日は、いかに健康が大事であるかと「歩きなさい」と指南いただ
いた。毎朝散歩してますよと答え、二人で散歩コースに何があって、
どのくらい時間をかけているかなど話し込んだ。
オヤジさんは「自称芸術には無縁の人」だから、そっち方面の話を
聞くのが好きで、永井荷風の「墨東奇譚」によると当時の浅草はこ
んな様子だったらしいですよ。とか。
司馬遼太郎さんの家の隣が今は司馬遼太郎記念館になっていて、そ
のあたりを散歩して近所の肉屋でコロッケを買い、肉屋のおかみさ
んから生前の司馬さんが行っていた喫茶店を教えてもらった。とか。
京都御池下る木屋町の高瀬川沿いの町並みはこんな感じでして、川
沿いのフランス料理屋によくいくんですが、森鴎外の小説「高瀬舟」
に書いてある風景が今も残っていますよ。とか。
時間をわすれて話し込んだようだ今日は。Oさんの部屋を出るとO
さんのお客さんが二人ほど待たされていた。
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by kasuya_senji | 2006-06-21 15:41 | Comments(0)
父の日

2006年6月20日

6月18日は父の日。
かみさんの実家の父は、夏用の帽子がいいな。軽くて涼しそうな帽
子。といっていたので、デパートの帽子売り場で薄い藍色の夏用の
ハットを見つけプレゼントとした。
岡崎の実家の父は、作務衣がいいなあ。といっていたので、同じデ
パートにある呉服屋で作務衣をみつくろいプレゼントとした。
配送を頼んで、家に帰ると、娘と倅から「父の日」のプレゼントが
用意されていた。

おとうさんへ。
いつまでも優しいおとうさんでいてください。
と、書かれた手紙に添えて、シュークリームが2個。

嬉しくて笑いながら食べた。
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by kasuya_senji | 2006-06-20 16:27 | Comments(1)
キャピキャピ
2006年6月19日

先週の金曜日。
仕事を終え、ひさしぶりに顔を出した原宿の店で、I医師と顔を
合わせた。アメリカの或る都市でおこなわれた医学学会に参加し
て昨日帰国したばかりだというが、若いだけに時差ボケもなさそ
うで元気印だった。I医師ともひさしぶりだったので、あれやこ
れや話す内につい夜更かしが過ぎてしまった。翌日の土曜日は、
寝過ごしてマンションの管理組合の理事会に遅刻してしまった。

理事会での役割は、町内会担当だから、今年の夏に近隣の公園で
行われる夏祭りの手伝い掛かりを拝命した。夏祭りの当日の迷子
係とか屋台の模擬店係とか催し物や盆踊りの進行係に一役かって
もらえればとのことだった。
まあ、舞台の企画・進行などは本職といえば本職だが、町内会の
夏祭りまで本職で出張るつもりはない。仮に催し物や盆踊りの進
行の手伝いなどやるハメになったら、舞監の江坂にバイトで手伝
わせるか、とも考えているが、さて、今から、8月末の江坂を押
さえておいた方がいいかな・・・と考えていると、議題は「構造
問題」に移った。マンションやホテルの耐震構造疑惑がわき起こ
った昨年来の課題で、さて、当マンションは基準をクリアーして
いる耐震構造マンションか?が住民の重要関心事である。
なにしろ、当マンションの構造計算の検査会社がイーホームズで
あったから、イーホームズから、再計算をしましたところまった
く問題有りませんでしたと社判に代表者印を捺印した書類を全戸
に配布したが、誰も信用していない。
その後、管理組合の要請を受け、施工建築主が第3者設計事務所
に再検査をさせて問題なしとの検査報告が提出されたが、施工業
者からの依頼では公平性をかくのではないか。ここは管理組合独
自の調査が必要であろう。との声が出たあたりで、昨年の役員は
任期を満了し、この問題は、今年度の新役員に検討課題として持
ち越されていた。
検査、検査と検査を積み重ねても数字では実感がないだろう。
ここは、エックス線をつかっての建物の主要部の実地検証が必要
だ。それには、経費がいくらかかるか。
検査費用が500万を超える金額になった場合。各戸あたり一律
5万円の負担となるが、住民総会で承認されるか否か。
などと話し合ったがなかなか結論はでず、引き続き7月の理事会
で再度検討しましょう。となったところで理事会は終了。

理事会を終え、14階の自宅にもどると、我が家のリビングに女
子大生が10人ほど大集合していた!?!?!
娘の学校の同級生のようである。ワイワイキャッキャとビデオを
見ながら大騒ぎしている。

「おじゃましてまーす。この前のオーストラリア研修旅行のビデ
 オをみんなで見ていまーす。おとーさんも一緒にごらんになっ
 てはいかがですかー」

とお誘いを受けた。
いやいや私は結構ですと、すごすごと逃げるように自室に閉じこ
もるのもいかにもオッサン的でイカンのではないか。ここはひと
つ物わかりのいいナイスな父親を演じるべきであろう。
では遠慮なくと一団の端っこに混じったが、若い娘共に囲まれ、
なんか気が散ってしまってゆっくりビデオを見ていられない。
高校とちがうから、全員同じ年ではなく、娘よりあきらかに年か
さの大人びた学生もいる。化粧気のない子供っぽいすっぴん娘も
いれば、とても化粧の上手な子もいる。色っぽい子もいる。めち
ゃくちゃスタイルのよい子もいる。こんなに綺麗な娘どもに囲ま
れてしまって(嬉しいくせに)居心地がよろしくない。
或る場面では、何がおかしいのかいっせいに笑う。
或る場面では、10人がいっせいに喋りだす。
喋りだすとビデオそっちのけでしばらく喋りっぱなす。
家中に花が咲き乱れたかのようだった。
笑う。喋る。笑う。喋るして、2時間ほどするとビデオは終わり、

「おじゃましましたー」と一気に全員いなくなった。
「これから全員で深川まででかけ研修旅行の打ち上げをやるから
 でかける」と娘も一緒にでていった。
「おいおいおいおい!君ら。お酒も飲むのか?」
「二十歳過ぎてますから、大人です。心配しないでくださーい」

と全員で声をそろえ出て行った。怒濤のような2時間だった。
しぶい理事会と華やかなビデオ大会の2本立ての土曜日だった。
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by kasuya_senji | 2006-06-19 17:35 | Comments(0)
まことに現代は
2006年6月16日

福井日銀総裁の村上ファンドへの出資問題は驚いたな。
在野にある時の事とは云え、日本の金融政策の根幹をなすべき日銀
の総裁が、結果的ではあるとしても代表者(村上氏)が逮捕された
ファンドの出資者であったことは、アメリカならば大スキャンダル
で即刻辞任か解任であることを考えると、福井氏が任務をまっとう
したいと続投宣言をしたり、小泉さんが、いやこの際小泉と呼び捨
てにさせてもらおう、小泉が任命責任者であるにもかかわらず説明
はついたとコメントを出したり、安部さんが、いやこの際も安部と
呼び捨てにさせてもらおう、安部が政府コメントとして続投を容認
したりと、ありゃ、まったく感覚がマヒしてるな。時期総裁選挙の
ことしか考えていないんじゃないかァ。政権も末期になると末期的
な症状が噴出しますな。

と、物知り顔の横町の大家のようなことをいってますが、権力闘争
というものは、まことに複雑なバランスの上になりたつもののよう
で、その様は奇々怪々でありまして、下々の者共には、よくわから
ないことばかりであります。それには、知識も考える力も必要だか
ら、のほほんと過ごさないでいきたいところでもある。

ただし、政治的課題はムツカシイものでもある。いい例がある。
今年、フランスのドビルパン首相の新政策に若い学生諸君が大反対
して、デモが次々と発生して、フランス全土で大騒動になり、最終
的にドビルパン首相が騒動の原因をつくった事を謝罪し提案を撤回
するという事件があったことは記憶に新しいが、この事件も政治の
難しさを考えさせられた。
もともと、近年のフランスでは、日本も同様に大学を卒業した若者
が就職をせず、定職をもたず、プータローもどきの状態にいる人口
が増加していた。
原因はいくつもあり単純ではないが、ざっと云えば、資本主義の成
熟の中で、国を富ませ国民を富ませるという共通利益理念が失われ、
金権主義の下で企業利益や株主利益が正義となり、仕事に従事する
人々の幸福や人間性は、その正義の前では語られなくなってきた。
いわゆるところの勝ち組と負け組の格差が甚だしく広がった社会が
到来し、現象として企業に役立たない熟年労働者がリストラされ、
若者の就業の機会も減少し、特にフランス国民ではあるが移民の末
裔の若者への就業差別が特徴的に拡大した。
このままでは、若者を救えない。フランス企業にフランスの若者を
採用させる機会を拡大させよう。と、首相であるドビルパンが打ち
出した政策が、
「とにかく企業は若者を採用しなさい。ただし、一旦採用してみて
 問題があるまたは能力がないと企業が判断すれば、採用2年以内
 であれば企業側から解雇通告をすることができる。とにかく採用
 しなさい」
というものであった。
この「ただし・・・」以下に若者が大反発をした。我々の人権は守
られていないと大反発をした。各地で街頭デモが起こり規制する警
官との間で押し合いもみ合いが暴動騒ぎに発展し、若者はますます
反権力行動をとり、そこに政府与党ドビルパン首相に敵対する野党
勢力がこの暴動を政局と捉えデモを支援し各種労働運動が加わり、
日頃圧迫をされている差別移民の一部のゴロツキ共が車は壊す火を
放つという暴徒と化し、あっという間にフランス全土をゆるがす大
問題となった。
ドビルパンは、若者救済法案を廃案にし政治的敗北を宣言し大騒動
はやっと沈静化した。そして、若者の就業機会は失われたまま金権
主義の正義のはびこる社会は依然として存在し続けている。
フランスは自分の力でなにも変えることができなかったのである。

まことに政治はムツカシイ。現代はあまりに複雑すぎて、我々の知
力では手遅れではないのだろうかとも思った。
若者がデモなどしない。政府の政策にいちいち暴動などおこさない。
というのが日本社会であるが、それ以外は、フランスも日本もまっ
たく同様の社会課題を抱えているのではないだろうか。でも日本の
若者は、こういった事にほとんど反応しないね。
気にならないのかなあ・・と不思議に思うのは俺だけじゃないはず
だと思うがなあ。
現代の若者にとり、少なくとも20年の後は、若者も40才を過ぎ
た大人になっていて、社会そのもののど真ん中にいることだろう。
その時にどういう社会であればよいのであるのかなどは、彼等自身
の問題であるはずなのに、いっこうに政治的課題に目を向ける気は
ないらしい。
流行だけを追っかけ、その日その日だけの享楽を追い求めるだけの
お気楽さ。そこまで気楽に生きていけない連中は、社会から疎外さ
れ自己中心的にただ悩み、ネットで仲間を見つけたかのように自殺
をしていく。
この社会は若者を見殺しにしているのじゃないだろうとの思いを抱
いているのは俺だけじゃないと思うがなあ・・・・
見殺しにされている当の本人(若い衆)達は、なんと思ってるんだ
ろう・・・のほほんさ加減だけが目につくなあ・・・
なにもかも享受できる社会に生きていると怒りなどは忘れてしまう
のかなあ。でも、フランスの若者の怒りも変える事ができなかった
事を考えると、どこにも答えがない行き止まりの社会に生きている
ような気がする。せめて、倅や娘の生きる未来のためにしてやれる
ことはなんだろうか。のほほんとぼんやりしてる場合じゃないな。
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by kasuya_senji | 2006-06-19 10:59 | Comments(1)

 
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