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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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オペラ「リゴレット」
2006年9月28日

生まれて初めてオペラを観劇した。
オペラなんて難しくてとてもとても。しかも良い席はた
いがい5万円もするという高いものだからとてもとても。
と勝手に遠慮させてもらっていた。

「ローマ歌劇場・日本公演」の案内状が届いたのが今年
の春過ぎのこと。いよいよ「トスカ」と「リゴレット」
が日本で上演されるらしい。だからといって触手は動か
なかったが、案内状をよく見ると、友人のKが中心とな
って招聘したとなっているではないか。Kは元いた会社
の先輩で、あの31年前のつま恋コンサートの運営制作
責任者である。総額十数億円にも上らんとする興業をよ
く仕掛けたもんだと妙なところで感心し、彼の手がける
初オペラ興業は是非成功してもらいたいもんだとご祝儀
で「リゴレット」のチケットを購入したのである。
さて。どんな格好で観に行けばよいのか。まさかタキシ
ード着用ってことはないだろう。とりあえずジーンズ・
革のパンツにセーターという荒っぽい格好は避けてスー
ツでビシッとキメることにするが、その前にストーリー
はどーなっているかを下調べして出かけましたところ、
ナント!滅茶苦茶おもしろいではないか!
筋書きは下調べで知っている。しかも舞台下手上手のモ
ニターにて歌詞が和訳されるから初めての者でもなんの
ストレスもなく楽しめる。私はリゴレットの娘ジルダを
演じたエバ・メイのソプラノにやられてしまった。その
声楽は凄まじく、オーケストラピットにて演奏する楽団
のバイオリンとのユニゾンでは、すっげー!バイオリン
より上手い!と心から感心してしまった。
リゴレット役のバリトン・レナード・ブルソンとの掛け
合いでは、楽団の奏でるひとつの演奏にまったく違う2
つのメロディーで同時に歌い、最後にはハモとなりユニ
ゾンとなって高らかに高らかに歌いあげ、演奏はフォル
テからいよいよフォルテシモとなり二つの声と演奏が会
場を揺るがす大音量と響き、ダダダダーン!と終わると
同時に暗転。暗くなった瞬間、一拍間をおいて怒濤の拍
手の嵐。ウオーというどよめきさえ聞こえた。
Mさんの奥さんは初観劇の時、どこのスピーカーから音
が出てたの?とMさんに聞いたというが、すべて生音で
ある。交響楽団より大声で歌う人を始めて観た。
歌い上げではない悲しみのシーンでは、あの独特のオペ
ラの声がピアノシモになり歌の最後にナポリ民謡などで
お馴染みの小節回しがサクッと入るところが妙に艶っぽ
くて可愛らしい。
しかもたいがいの演目の時代設定は200年ほど前の事
件なので、恋愛悲劇ものとは云え人情味たっぷりの芝居
で、なんだかわかりやすかったなあ。ひょっとして明治
座でかかる新派なんかより分かりやすいんではないだろ
うか。

歌舞伎、狂言に続いてはオペラ観劇も加わった。ただし、
値が張るから財布と要相談であるが。
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by kasuya_senji | 2006-09-28 16:27 | Comments(1)
ペニーレーンでバーボンを。家でシュークリームを。
2006年9月27日

まだつま恋にいる。
拓郎の1曲目は「ペニーレーンでバーボンを」。
同行したBは、その歌に歌われたあの伝説の原宿ぺニー
レーンのマネージャーで通称BOSS。このブログでは
Bと登場する。
「来て良かったなァ」
「おお」
と短い言葉を交わした。
天気が良く日焼けしそうなくらい暑い。そろそろ冷たい
ビールでもと思ったがドリンク売り場は長蛇の列。客席
の一番後ろの丘に仮設されたスタンド席のその一番後ろ
の高いところに陣取り見下ろせば会場全体が手に取るよ
うに見える。
「あれじゃ。30分並んでも買えないなあ・・」とB。
誰かいないかなあ・・・と回りを見わたすと、
「Iがいるよ。Iが」とB。
おーい!とIを呼びつけると、お久しぶりですと云うか
ら挨拶はいいからと2千円を渡しビール買ってきてくれ
んかと言いつけると、はたして40分後にビールを大事
そうに手で抱え戻ってきた。良き後輩は持つもんだ。

どこの社会でもそうだが初めて出あった時の上下関係が
死ぬまで続くもので、そういう意味でステージ裏にしつ
らえられた関係者テントになど顔を出すとお茶持ってこ
い、煙草買ってこいなどと小間使いをさせられそうだっ
たから、飯と用足し以外はテントには近づかず客席での
んびりと鑑賞した。陽が落ちて急に寒くなり出したころ。
山本コータローさんがやってきた。
「飲み屋で唄え!なんて云われると岬めぐり唄いますよ」
「嬉しいねえ。それはありがとう」
「でも。コータローの岬めぐりとナンカちがうんだなァ」
「それは俺も同じ。もう何十年も唄っているから当初の
 歌い方と違ってきていて昔通りには唄えないから、こ
 の前、大学の同級生と飲んでカラオケやったら78点
 だったよ。やんなっちゃうよ。」
「誰だったけかなあ。都はるみさんか石川さゆりさんか
 はたまた天童よしみさんだっけか。スタッフとカラオ
 ケやったら、やっぱり歌い方が何年もの間に変化しち
 ゃっていて、どーしても90点がでなかったってテレ
 ビで言ってたよ」
「大御所にしてそーか。じゃあ俺も大御所だな」
ハハハハハ・・とバカ笑っていると中島みゆき嬢が登場。
会場全体をどよめかせる落陽で大花火大会となり大円団。
バスで静岡のホテルに戻りOB会の打ち上げに参加して、
翌日、家に帰ってくると、
「誕生日おめでとう」のカードに添えて、娘と倅からの
恒例(?)の誕生日プレゼントのシュークリームが2つ。
かみさんとひとつずつ分け合って食べた。
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by kasuya_senji | 2006-09-28 16:23 | Comments(0)
つま恋


2006年9月26日

静岡には朝9時過ぎに到着した。家を出たのが6時ころ
だったから東京静岡間の約200キロを平均時速70キ
ロでの約3時間と少しのドライブだった。まあ、のんび
りと走ったが途中由比で東名が相模湾の海岸線に沿って
走るところで一旦休憩した。大海原の向こう前方遠くに
は陸と空が薄い黒の濃淡で画き分けられた墨絵のような
伊豆半島が横たわりその左手の空高く雲の上に富士山頂
が黒く見えていた。海好きのBは今年初めて海を見たよ
とちょっと興奮気味。そこから静岡までの70キロ程の
距離を幌を明けてオープンで走った。昔の車に比べて最
近の車は走行時の風の巻き込みの不快感がなく快適快適。
静岡の駅前に「ユイOB様」と画かれた観光バスが2台
止まっていて、31年前のつま恋コンサートの当事者達
がぞくぞく集合しはじめた。なつかしき人々のオンパレ
ードである。中には25年振りの邂逅という人もいる。
わいのわいのがやがやがやがやと2台のバスに分乗し、
出演者も観客も日本で一番平均年齢の高い人々が集合し
ているつま恋へ向かう。団塊の世代を中心に日本全国か
らこれだけの大人が静岡のつま恋に集まっているという
様は壮大だったな。

拓郎もかぐや姫も観客も、あれから31年。さまざまな
事があったと思う。31年前のつま恋のラストソング
「人間なんて」を客席で絶叫しながら歌った或る若者は、
その後、就職し結婚し転勤し企業戦士として働きに働か
され家のローンの支払いに追われ人の波にもまれ流され
出世街道からはおきざりにされたまま気がつけばいつし
か定年を迎えるという年齢になっている。いったい俺の
人生はなんだったのだろうか?の答えを確認するような
気持ちで開演を待っているのではないか。成功した人生
を送れた者も挫折の中で今日に至る人もそれぞれの中に
幸せと不幸せを抱えたまま「これでよかったんだ」と自
分自身に言い聞かせるような思いをもって今日のこの日
を待っていたんだろう。
ステージに登場した拓郎はそんな人々にこう語りかけた。
「みんな丸くなったね。丸くなってよかったね」と。
ガチガチゴツゴツしていた若き日の野望と欲望が入り交
じったあの日の不格好だった自分が今やっと大人になれ
たんだ。大人になれてよかったね。過ごした時は無駄で
はなかったんだね。と。
この一言ですべての観客の思いを代弁したのだと思った。
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by kasuya_senji | 2006-09-26 17:33 | Comments(0)
往路
2006年9月25日

明日はつま恋に行くという9月22日の金曜日の夜は知
人の結婚式の披露パーティーに参加した。テーブルで隣
合わせた建築家のUさんとその後連れだって飲みに出か
け、つい深酒をしてしまった。
母と娘が大ママと小ママで二人でやっているカウンター
だけの小さなスナックで(小さなスナックという言い方
が70年代フォークソングっぽくていいでしょ)Uさん
がビールをと言った時に小ママの携帯が鳴った。話し終
わって俺が焼酎の水割りと頼んだところで小ママの携帯
がまた鳴って、また話しこんでいるのを見て大ママが、
あんた!トランシーバー切っときなさいよ。お客さんに
しつれいでしょう。と携帯をトランシーバと言い間違え
たのをきっかけにトランシーバーごっこで飲んだ。
(コンバットごっこと言ってもいいかも)
「ツマミはなにかないのかィ。つまみは。ドーゾ」
「すいません。ちょうどきれちゃったの。ドーゾ」
「ばかもーん!つまみきらすなよ。ドーゾ」
「それよりKさん(俺のこと)何か歌ってよ。ドーゾ」
「つまみもない。酒ももたもたしてるようなサービスの
 悪い店で機嫌良く歌えるか!ドーゾ」
てな感じで、つい深酒。

翌朝は5時に起きたがまだ酒が残っているような感じだ
ったから水シャワーを浴びたら寒くてブルッとふるえが
きたが身体はシャキッと目が覚めた。
車で青山3丁目のBを迎えに行って静岡までドライブ。
台風が関東直撃か?との予報は見事にはずれてナイスな
ドライブ日和となった。この様子じゃナイスなコンサー
ト日和となるだろう。Bがアメリカじゃ走行でドリフト
という言葉はないのかな?と言っている。映画の話であ
る。日本を舞台にしたスピード競争映画でアメリカから
やってきたスピード狂がドリフト走行を知らないという
エピソードがあるらしく、映画の中でアメリカの若者が
どこかの海岸あたりでドリフト走行を猛練習する。岸壁
で釣りをしてる人がその音を聞き「カウンターあてるの
が遅いよ」とポソッと呟くシーンが妙に笑えたらしい。
最後のシーンでは、駐車場の出口に向かう螺旋状になっ
ている通路で猛スピードでのドリフト走行の競争の俯瞰
の画が強力にカッコよかったらしいが、最後に「この映
画はプロのドライバーの運転で撮影されてます。決して
マネしないでください」とテロップが出るが、誰もマネ
なんかできやしないよ。とBは笑っていた。そんな話あ
んな話をしているうちに静岡到着。
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by kasuya_senji | 2006-09-26 15:24 | Comments(0)
1975年+31年

2006年9月25日

先週の土曜の9月23日。
つま恋でおこなわれた「吉田拓郎かぐや姫コンサート・
インつま恋」に参加した。
1975年8月2日夕方より3日早朝。当時、人気絶頂
だった吉田拓郎と解散した直後のかぐや姫の2組のアー
ティストは静岡県掛川市のつま恋でオールナイト公演を
開催した。この12時間に及ぶオールナイトライブには
7万人(警察発表)の音楽ファンが集結し、この日をも
って日本音楽史上に巨大野外イベントライブの幕が切っ
て落とされた。と言われる伝説のライブの再現である。

私は、当時は学生だった。大学に8年間も在籍しながら
その日暮らしのバイトに追われる日々の連続で、学校に
も通えず、残された時間の中で(明大は8年間しか在籍
できない)単位をとることは不可能と卒業はとっくにあ
きらめ、ただただ来年の学年終了の2月をもって放校さ
れるのを待つばかりの行き先の見えない学生で、今をと
きめく吉田拓郎やかぐや姫は天と地ほどかけ離れた存在
だった。当然。このつま恋のオールナイト公演は自分に
はまるで無関係。日本初の巨大イベントという同世代の
若者の興奮ともまったく無関係だった。

ところが、つま恋が終わった2週間後の事。突然かぐや
姫のメンバーだった山田パンダさんから電話があった。
中学の同級生のOとパンダさんの奥さんが仲良しで、O
に連れられ彼女とは3度ほど一緒に飲んだことがあった。
つま恋後、マネージャーを捜していたパンダさんに、
「カスヤっておもしろい奴がいるから会ってみたら。そ
いつバイト先で女にふられたらしいんだけど、そのふら
れ話がおかしくてあんなに笑ったことないくらい笑った。
もしかしたら使えるかもよ。学生だけどどこにも行くと
ころがないって言ってたから、マネージャーやらしてみ
たら。ダメだったらまた捜せばいいじゃない」
と、ふられ話でパンダさんの奥さんの御推薦に預かり、
パンダさんが電話をかけてきたのである。
この1本の電話で、行き先の見えなかった学生がこの音
楽業界に転がり込むように入ることになり、紆余曲折の
くり返しの連続ではあったが今日にいたるのであるから
世の中どこでどうなるものかわかったものじゃない。女
にはふられてみるもんだ。
そういう意味では、つま恋コンサートが開催された19
75年という年は日本の音楽史上特筆される年であるが、
同時に自分の人生にも特筆すべき年だった。

そしてあれから31年という月日が流れ、「拓郎・かぐ
や姫コンサート・インつま恋」に今回は関係者として参
加することができたのである。
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by kasuya_senji | 2006-09-25 15:28 | Comments(2)
愛したものは、みんな消えてく。
愛したものは、みんな消えてく。
(布袋作詞:アップ・サイド・ダウン。より)

2006年9月21日

記憶の中で今も生き続けているけど、もうなくなってし
まったもののひとつにカリブ海。モンセラット島にあっ
たエアー・スタジオ・モンセラットがある。このスタジ
オはビートルズのプロデューサーだったジョージ・マー
ティンが所有していたスタジオで、スタジオエリアには、
プールもありバーもダイニングもあり、夕暮れ時にオー
プンテラスのバーから眺める景色がなんとも開放的だっ
た。バーテンダーの名前はデズモンド。島には仕事が少
なく彼の家族はとっくにイギリスに移住していたが、デ
ズだけは生まれた島・モンセラットに残っていた。なぜ
家族と一緒にイギリスに行かなかったんだい?という質
問には、だって寒いもんと明確だった。デズモンドのつ
くるピナカラーダが世界最高の1品だった。畑でとれる
パイナップルを切りミキサーに放り込む。ココナッツに
穴を開けミルクといわれるジュース流し込む。氷をひと
かけふたかけ入れミキサーでシェイクし、冷やした大き
めのグラスに注ぎ、ラムを混ぜステアーする。このラム
が地元の工場で作られるラムで、すこし甘みがきつく荒
っぽい洗練されっていないラムだったが、パイナップル
&ココナッツジュースとの相性が絶品で何杯でも飲めた。

このバーで、ジョージ・マーティンと二人で酒を飲んだ
ことは、生涯最高の思い出となった。
「センジ。君はなぜこの仕事を選らんだの」
「ジョージ。あなたに憧れてこの仕事を選びました」
こんな会話をしながら、サージェント・ペイパーのレコ
ーディングの時のジョンやポールのエピソードをおだや
かな口調で話してくれた。
キッチンのチーフシェフはカリブ海一帯では知らぬ人が
いない有名シェフのキング・ジョージ。大男だった。
羊のリブステーキとバカっ辛い緑色したペパーミント・
ソースが絶品だった。この緑のソースは初めて口にした
ときはあまりの辛さに飛び上がったが、次からはどの料
理にもかけずにはいられないという魔法のソースだった。
キング・ジョージはエアー・モンセラットでレコーディ
ングしたローリング・ストーンズのお気に入りで、ツア
ーシェフとして世界ツアーに同行している。島にはスト
ーンズの逸話がどこにも転がっていた。君の席はキース
のお気に入りの席だったよ。ミックはいつもここ。とか。
或る年の夏。島を襲った巨大ハリケーンでスタジオは壊
滅した。傷心のジョージ・マーティンはスタジオを再興
しなかったが、エアー・モンセラットは僕の心の中で今
も生きつづけている。
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by kasuya_senji | 2006-09-22 17:44 | Comments(1)
ロンドン太郎

2006年9月20日

コンプレックスというユニットのレコーディングで訪れ
たロンドンは夏だった。朝はさわやかに晴れ渡っていた
レコーディングの休日の或る日。吉川晃司と街に出た。
あてにならないのがロンドンの天気で、午後曇ったり晴
れたりしたが夕方になって雲行きがあやしくなったと思
ったら、雨になった。飯を食うところは決めていなかっ
たが、飯前に寄って一杯やるバーはコベント・ガーデン
のザンジ・バーと決めていた。かってローリング・スト
ーンズの連中が毎晩仲間と飲み集い狂乱の日々を過ごし
たザンジ・バーはメンバーしか店に入ることができなか
った。メンバーになるには、メンバーの定数に空きが出
なければなることはできない。おまけに、メンバーの順
番待ちが100人ほどいて、申し込んでも自分の番が来
るのはいつになるか分からない。という敷居の高い名物
バーがザンジ・バーで当時の最新のクリエーター達のた
まり場。たまたま、そのオーナーとメイダー・ベルのタ
イ飯屋で知り合いになって、日本人のメンバーはかって
も今もいたことがないからウエルカムだと100人を飛
ばして新メンバーに加えてもらえるという幸運が舞い降
り、メンバー記念にと晃司を連れて飲みに行ったのだ。

シャンパンで乾杯し機嫌良く店を出ると大雨で、気温は
ググッと冷え込みまるで真冬のようになった。朝はすこ
ぶる機嫌の良い夏の日だったから、晃司もこちらもジー
パンに薄手の上物。寒さに震え上がった。飯を食うどこ
ろではない。ずぶ濡れになりながらコベント・ガーデン
の古着屋で革ジャンを買った。革ジャンを着ても濡れた
身体はブルブルといつまでも寒さに震えた。シャンパン
の酔いはとっくに醒めていた。どこか洒落たレストラン
でナイスなロンドン美人との出会いをなどと期待してい
たがそれどころじゃない。ほうほうの体で「南天」と書
かれた赤い提灯がぶら下がっている焼鳥屋を見つけ飛び
込んだ。店では演歌がかかっていた。
南天のオヤジと女将は長い間フランスで過ごし、後、ロ
ンドンに渡り焼鳥屋を開業した日本人夫婦。当時、ロン
ドンには、企業が接待で使う高級日本レストランはあち
こちにあったが専門店はなかった。今でこそジャパニー
ズフードはスシ、テンプーラ・ヘルシーと市民権を得て
いるが南天は早すぎたのだろう。今という時を待つ前に
いつの間にか店は姿を消してしまった。ザンジ・バーも
昔日の栄光は消えた。ちょっとロンドン浦島太郎気分。
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by kasuya_senji | 2006-09-20 18:06 | Comments(2)
誤作動
2006年9月19日

沖縄、九州に甚大な被害をもたらした台風13号は日本
海に抜け温帯低気圧と化したが、その後も南から日本列
島に吹き込んできた湿った空気は関東までの南太平洋側
に局地的な大雨をもたらし、北陸地方にはフェーン現象
を引き起こした。夏休みも暑かったけど今日の方が暑い。
と富山の小学生が街頭インタビューに答えていたが、そ
の富山の温度は36度だった。ヒエ〜!
東京も風が強く吹いた18日の深夜。非常ベルが鳴って
いた。ジリジリジリジリと遠いその音はいつまでも鳴っ
ていた。火災報知器か?火事だとしたら危ないなァと家
から下をのぞき込むと北、東、南側には火災が起きてい
る様子はないが、ウ〜ウ〜ウ〜とサイレンを鳴らして消
防車が数台西へ向かって行くのが見えた。部屋の反対側
のベランダにまわると隣の奥隣のそのまた奥隣のマンシ
ョンに消防車が集合している。Z—マンションだった。
Z—マンションには町会の会長のIさん。夏祭りの世話
人のSさんが居る。大丈夫やろかいな。野次馬としか思
われないだろうが駆けつけた方がいいんじゃないかと心
配もしてみた。ところが消防署員が路上を行き来してい
るのは見えるが火の手はない。そのうちに消防車も引き
上げていった。単なる小火(ぼや)で済んだか。報知器
の異常か。それとも誤報か。何事もなくよかったが、昔
出くわした火事を思い出した。
学生時代の春休み。清水寺下の友人の下宿に居ずわり京
都をぶらついていた或る日の晩。路地奥の家から火の手
が上がった。消防車も入れない細い路地の奥の家でアッ
という間に全焼した。下宿から飛び出すと法被をきた地
元の町の消防団員に「どこへ行く。手伝え!」と大声で
怒鳴られバケツリレー要員として消火作業に加わったが、
凄まじい勢いで燃えさかる火は上昇気流となりさらにそ
こに風が巻き起こり火の手はますます勢いを増すその様
はこの世の物と思えない怖ろしいものだった。鎮火した
ときはススで顔中真っ黒だったが、顔中火傷したんじゃ
ないかと思ったくらいその火の熱さは今でも憶えている。

その事を思い出して火事騒ぎが終わってもしばらく寝付
けなかった。居間で話声が聞こえた。会話と思ったのは
テレビの声で、セガレはニンテンドーゲーム。ムスメは
メール。かみさんは茹で栗をスプーンでほじっていると
いう平和な景色が広がっていた。
あのマンション古いからいつも報知器が誤作動するんで
すって。だからみんな慣れっこになっていて報知器が鳴
っても誰も慌てないんですって。だから自警の消防団が
結成されていて連絡網は凄いんですって。私ものぞいた
けど電気もついていない部屋多かったでしょう。誤作動
だーって連絡が入ったから起き出す人も少なかったのよ
きっと。と、その悠然たる態度に頼もしさを感じたけど、
火事の恐ろしさを知る俺だけは毎回飛び起きようと思っ
た。しかし、家のどこに何が置いてあるのか知らない私
としては、飛び出したら抱えていたのはマクラだったと
いうマンガになるのだろうな。
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by kasuya_senji | 2006-09-19 16:04 | Comments(3)
温故便水
2006年9月15日

今日は敬老の日じゃなかったっけ。
いつだったか、祝日が日曜日に重なると休日の数が少な
くなるという論理で、祝日が毎年のカレンダーに従って
前後するようになった。日頃忙しく働き回り休む間もな
い国民にはありがたい配慮だが、「今日は何の日」とい
う祝日設定の意味のポイントは不明確になった気がする。
意味が不明確では、祝すべき日が只の休みとしか感じら
れなくなるかもしれないではないか。昔は実家では玄関
に日の丸を掲げ、おばあちゃんが奥の部屋に着飾って座
り、子供も孫も「おめでとうございます」などと挨拶を
したものだったが、今じゃそんな習慣は日本中どこにも
なくなってしまったな。日本中でただ一軒、我が家では
無理矢理それをやろうかとしても、子供だけでなく俺ま
でが只の休みとしか感じてないんだから、できっこない。
敬老といえば、温故知新か。温故といえば、最近面白い
昔話を聞いた。Sは若い頃は乱暴者で歌舞伎町をシマに
大いに顔を売っていた。どこかの組員ではなかったから
今でいうインディペンデント。淀橋留置場には再三世話
になったが、痴漢などで放り込まれる奴はバカにされて
肩身がせまかったらしい。(植草はこれにあたる)。

そこにいくと、とSは言う。俺なんかはたいがい喧嘩大
立ち回りで血だらけで担ぎ込まれたから同居者にも一目
置かれていたな。慣れなかったことは、四畳半に6人が
一部屋だから大便。便所は部屋の隅にあって小便は気に
ならんが大便は回りに人が居るところでやる。仕切りな
どない。どういうわけか水を流すレバーはなく、用を済
ませると房の外の一段高いところに座っている監視員に
「何房。便水おねがいします」と声をかけると水がジャ
ー。夜中、人が寝ている枕元で糞しやがってクサイだけ
でも勘弁ならんのに、その後で大声で便水と叫ぶ。寝ち
ゃあいられないと痴漢野郎なんかはとことんイジメられ
るらしい。慣れてる奴は、チェックのシャツで入ってく
ると云う。房の中で用便用にシロとピンクの紙が支給さ
れるが、その紙を唾で固めて小さい固まりをつくりチェ
ックのシャツで囲碁をやる。房を出て、縄で繋がれて淀
橋署〜原宿署などまわり地裁に護送される時の車内の会
話はほとんど飯の話で、淀橋では今朝はひじきにこんに
ゃく。原宿ではソーセージに目玉焼きだったと話し合う
らしい。敬老の日。ゆえに温故といったが話はただの昔
話になってしまったようだ。でもオモロかったでしょう。
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by kasuya_senji | 2006-09-15 16:52 | Comments(1)
同じ釜の飯を食った友
2006年9月14日

子供の頃。実家にはいつも犬が飼われていた。
幼稚園に近所のチーちゃんとお手てをつないで通っていた頃
は犬はいなかった。ちなみにチーちゃんは健康優良児で表彰
された身体の立派な幼稚園児で当方は栄養失調かィと云われ
るほどの小さな園児だったので、姉さんに手を引かれてイヤ
イヤついていく弟のような通園風景だったことを憶えている。
小学校に通うようになって気がつくと、オヤジがどこからか
犬をもらってきてスピッツが飼われだした。名前はシロ。
この子犬はキャンキャンと誰彼なく吠え回り、家の子供の俺
らにも妹達にも吠え回りうるさくてしかたなかった。オヤジ
は良い番犬だと言っていたが、盗まれるものなど家には1つ
もなかった。
このシロの飯は、みそ汁ぶっかけご飯。八丁味噌の本場であ
る岡崎で育ったから子供の頃から赤だしみそ汁好きで、炊き
たてのご飯に出来たてのみそ汁ぶっかけご飯は好物で、よく
シロを見ながら、俺と同じ物食ってる・・イヤまてよ俺が犬
と同じ物食ってるのかァと思ったものだった。
シロが死んで、しばらく犬はいなかったが、妹が近くに捨て
られていたブチ猫を拾ってきた。オヤジは猫を飼うことに反
対したが、子供達がどうしても・・というからシブシブ飼う

ことを許したけど、猫を可愛がりすぎてそれを巡っての兄弟
げんかが続くとオヤジはさっさと猫を追い出したと思ったら、
今度はどこでどう話をつけたものか、アイリッシュ・セッタ
ーの子犬を貰ってきて、つけた名前はダン。そのころテレビ
で放映されていた「宇宙家族ロビンソン」にでてくる若者の
名前を拝借したのだ。ダンも飯はみそ汁ぶっかけご飯。
ダンが来たころには中学生になっていたから、夕方の散歩は
私の役割で、この犬は猟犬で賢くシロがとてもできなかった
棒切れを遠くに投げると一気に走って咥えて戻ってきてご主
人様である私の前に座るという芸当をなんなくやった。そう
して中学生とダンは夕方のひとときを走り回って腹を空かせ、
仲良くぶっかけご飯を食った。ダンは長生きした。高校を卒
業して東京の大学生になって田舎を離れてもまだ元気に生き
ていた。ダンが元気が無くなってきたから今度の夏休みはバ
イトしなくてもいいから田舎に帰っておいでとオフクロに言
われたが、ふところがもとなくてその夏は東京に居続けた。
ある日、初めて総天然色の夢を見た。住んでいた学生寮の近
くで火事が起こり屋上から真っ赤に燃える火を見ていた時に
ダンが屋上にいた。どーしたんだと声をかけて目が覚めた。
翌日、オフクロからダンが死んだよと電話が入った。
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by kasuya_senji | 2006-09-14 12:58 | Comments(1)

 
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