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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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泣く男
2007年1月30日

朝、6時過ぎに目が覚めると腹が減っていた。
あるある大辞典ではしょうかいされなかった大ねばねば
スパをと思って台所に降りるとスパゲッティーの買い置
きがなかった。あれだけ毎日のように納豆&ねばねばス
パを食べ尽くせばスパゲッティーも無くなるわな。
ベーコンエッグで朝飯を食い、部屋に戻って新聞を読む。

○政治欄の安倍と小沢の党首討論はおもしろくもなんと
もなし。共に身のうちにカネにまつわる問題を抱えてい
ては、美しき国も生活維新も上滑り感がぬぐえません。

○スポーツ欄もセリエAカターニャの森本がデビュー戦
で初ゴールをあげた記事は昨日の夕刊で読んだ。
イタリア人にはモリモトと言う日本名が言いにくく「マ
レモート(津波)」と呼ばれているといかにもスポーツ
欄の記事であったが、これも昨日読んだことだ。
シャラポア来日という記事と写真も、だからどーした?
コートに立ってないシャラポアなんて・・・
居酒屋店長のゲンちゃんやバーのマスターのBに言わせ
れば、
テニスウエアー着てないシャラポアなんて・・・

○文化欄に、作家の宮城谷昌光さんが、初めて「風は山
河なり」という日本の歴史小説を書き上げたという記事
にはちょっと気をひかれた。
宮城谷さんは同郷の隣の市の蒲浦出身の人で、そこには
なんとなく親しみを感じているが、作家としては中国の
歴史小説の専門家で、登場人物の名前が漢字で黒々とし
ていてそのうち誰が誰だったかがわかりにくくてナンカ
読みにくいと今まで思っていたが、今度は読んでみよう。
そこから宮城谷さんに入れば、中国物も読めるようにな
るだろう。気に入れば膨大な作品群を楽しめることにな
るのかな。あとはおもしろい記事は見あたらない。と新
聞を読み終えた。

新聞を読み終えても8時前で、家を出るまでにまだ時間
がある。時間があるついでに、つい、藤沢周平さんの
「海坂藩大全」を手に取った。この本は最近刊行された
もので、藤沢さん書くところの架空の北国の小藩・海坂
藩(藤沢さんの故郷である旧庄内藩がモデル)を舞台に
した短編小説21作が集成されたもので、ファンにすれ
ば待望の愛蔵版といえるもの。で、読み始めたところ、
ほとんどの単行本を持ち、全集まで持っているというの
に未だ読んでない作品があることに気がついた。気がつ
いたので、未読の作品だけを拠って読み始めると、いき
なり悲しい物語に遭遇した。
「けいが泣く」という小説のけいという娘が、奉公先の
若き主人の失態をとりかえすべく奮闘する姿がけなげで
いじらしく、わたくしは朝から泣いてしまったのだ。
次の短編も、自分を捨てた母親を憎んでいた主人公が、
ばばさまから当時の秘せられていた話を聞いてみれば、
自分を産み落とした直後に家を去らざるを得なかった母
の運命のなんとふしあわせなことか。ばばさまと母が手
をとりあって泣いたというくだりでは、本を読んでいる
わたくしも一緒にもらい泣いてしまったのであります。
朝からおいおいと泣いてしまったのであります。

その次の話は、ナニヤラ滑稽感がただよう作品で、腹の
底の方で笑いが動くのを感じた。まあ、軟硬とりまぜつ
つ泣かせつつ笑わせつつの編集で、藤沢周平ここにあり
が原点といえど、文藝春秋社の編集の見事さに感心した
のでござる。泣いてる場合じゃないぞと仕事に出た次第
でござる。
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by kasuya_senji | 2007-01-31 11:05 | Comments(0)
またぎ料理はまたにすっぽんぽん
2007年1月29日

27日から28日にかけての土・日は友人の家に招かれ葉
山に行って来た。

26日の夜は雨が降っていた。西の方では天気が崩れてい
ますという天気予報もでていたが、朝起きると気持ちよく
晴れ渡っていた。これなら彼の家の真ん前に横たわる相模
湾越しに夕景の富士山がおがめることだろう

糟谷様へ。
私は今、出張中ですが金曜日には葉山にもどります。午後
3時ころに葉山マリーナまで来て貰えれば、家は隣ですか
らむかえにいきます。お楽しみにしていただいていた葉山
の「またぎ(猟師)料理屋」は、昨年などは1週間前に予
約すればいつでも席がとれたのですが、最近、特に冬場と
いうこともありますが人気が沸騰してるようでして、店の
無愛想なオヤジに「1週間後?満席だねえ。あまいよ」
などとけんもほろろでしたから、イノシシ&野鳥料理はま
たの機会をお待ち下さい。かわりに鎌倉のスッポン屋を用
意し皆様をお待ちしております。

と友人が北京からメールをよこしていた。なんでも、北京
のホテルのネットワークの環境が劣悪なようで、なにとぞ
このメールが無事届きますように。とも書き添えてあった。

晴れて陽が暖かそうだったから、車のトップを明けオープ
ンカーで湾岸道路〜横浜横須賀道路〜逗葉道路を通り、葉
山で降りてマリーナに向かう。
この道は、かってわたくしがウインド・サーファーであっ
たころ通い慣れた道で、道のひとつひとつ、角を曲がるた
びにあらわれる景色の数々、海沿いのせまい生活道路、木
々の一本一本にいたるまですべてが懐かしかった。ところ
が、目をつむってもどこでも行けると思っていた道を間違
えてしまった。
葉山のご用邸にぶつかり、その3叉路を右に曲がると葉山
マリーナだったのに、かってウインドサーフィンを楽しん
でいた秋谷海岸の方向へと左に曲がってしまった。長者ガ
崎まで行ったときにさすがに、ありゃーこれは反対方向だ
ったなと気がついた。
かって勤めていた会社が、その先の佐島の手前の小高い丘
にある一軒家を海の家として借り上げていて、夏の間はそ
の家に雑魚寝で寝泊まりし、ボードとウインドを担ぎ丘を
下った海岸がウインド場で、そこの海岸でボードに乗って
は転び、ボードが動いてはバランスを崩し、しこたま海水
を飲んで、そうして1日中海で遊びウインドサーフィンを
おぼえたものだった。
そこまで行ってみよう。今日は天気がよくて風がある。
きっと若きころのわたくしのような若者が冬場をものとも
せずにウインドを楽しんでいることだろう。
車を停め、ビッグ・ウエンズデイの伝説のサーファー・ロ
ペスになったかのような気分でしばらく海であそぶサーフ
ァーを眺めた。
眺めながら、村上春樹の「東京奇譚」に出てくる伝説の片
足のサーファーの話を思い出した。ハワイの海で息子を亡
くした当時は若かった母親も今では俺と同じくらいの年に
なっているのだろう。彼女は今でも毎日海を見ているのだ
ろうか。

煙草を3本ほどくゆらせ車に戻り、Uターンしてマリーナ
へ到着。友人と友人の犬の出迎えをうけ、彼の家に上がり
込んだのは葉山に着いてから1時間ほどたっていた。
続々と人が集まりずいぶん遅くなっての新年会が始まった。
風が強い日だったが湿気も強く海上がうすくガスっていて
富士山は見ることができなかったが、日が沈む直前にシル
エットで浮かび上がった富士山はアンバーに染まる大空に
墨絵のような美しさだった。
家でビールやワインをご馳走になり、鎌倉に行くまえに葉
山マリーナに立ち寄った。2階の雑貨屋のようなカバン屋
の主人と友人が知り合いで紹介してもらったが、その主人
の作ったキャメル色のドクター・バッグがいたく気に入り
分けてもらったが、
友人の紹介じゃあねえ・・
となんと値段は定価の6割ほどだった。
あれでやっていけるんですかねえ・・
と友人も首をかしげていたなあ。

実は初めてなんですという人も交えスッポンを堪能した。
生き血をジンジャーエールで割った飲み物が出たときは、
まずはあなたから。いやいやそちらからお先に。
などと、皆わーわーきゃーきゃー言って飲んでたなあ。
しばらくおくと血がグラスの中で凝固しちゃいますよ。
早めに飲んでくださーい。
と、店の女将さんに言われ、ギョーコォ?そらかなわねえ
とあわてて飲む男性もいたが、ああいうときは女性陣は意
外と度胸があるね。
気持ち悪いけど意外にオイシイわなどと飲み干していた。
オレンジジュースで割ってもオイシイですよと女将から聞
くと今度はそれでいこうかしらと、いやこれは2度と結構
でございますなあという男どもに比べ逞しすぎますわ。
スッポンの手の煮物が出た。とろとろとした柔らかい身を
噛みほぐすと手の爪が小骨のように口に残り、それをはき
出して食うのだが、美味美味。ゼラチンというかコラーゲ
ンというか絶品であった。臭みはまったくなし。
コラーゲンと聞いて、これまた女性陣は遠慮無く手を頬張
っていたぞ。

ガラパゴス諸島のリクガメが絶滅の危機に瀕したのはひと
えにその身の美味さであったといわれるが、キャプテン・
クックご一行様は、とんでもなく美味い物にありついてい
たんだな。手足などは我先にと奪い合って食ったと想像す
る。彼等はキツ目のラムをあおっていたことだったろう。
中にはジンをあおった奴もいたことだろうと、日本酒をや
め焼酎をオンザロックで遣りはじめたところ、さすが雑炊
には適さなかったが、スッポンの肉は益々美味く、隣に座
った仲間の小鉢に中に手がつけられていないスッポンの手
を見つけ、わたしはアレですからどーぞどーぞとすすめら
れるままに手にかぶりつき小骨をはきだし焼酎をあおった。
山の恵みである「またぎ料理」は次回に回ったが、海に生
きた航海士どもに思いを馳せた食事会になりました。

翌日はまた気持ちよく晴れていたのでオープンにして帰っ
たが、帰る途中も釜利谷のジャンクションで道を間違えて
しまい朝比奈あたりをあっちへうろうろこっちへうろうろ
と彷徨いながらのドライブもまた心地よかった。
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by kasuya_senji | 2007-01-29 14:39 | Comments(0)
食事会
2007年1月27日

26日の夜、港区の静かな住宅地の中にある友人が経営
するレストランで、ニューヨークから来たミュージシャ
ンとロンドンから来たミュージシャンを迎えて、布袋と
数人のスタッフをまじえ食事をした。

ニューヨークから来た2人はドラマーとベーシスト。
ブラックガイである。1週間前のブライアンに引き続き、
今年は始まってそうそう英語で会話が続く。
ドラマーは、テラーロもしくはテラーノ(たしかそんな
名前だった)という事だから、勝手に「寺尾」と覚えた。
大巨漢で、ニックネームはタンクと食事中に聞いたから、
聞いた後からは、テラーロでもなくテラーオでもなく、
あとはタンク一本槍。ドレッドヘアーの優しい目をした
ニューヨーカー。性格も優しそうに静かな声で話す。

もう一人。ベーシストはルーベン。彼はわたくしの隣に
座ったから食事中話す機会はおおかった。
ニューヨーク在住ということだから、きっとヤンキース
ファンなんだろうかと言うと、ルーベンはヤンキースも
そうだが、ボストン・レッドソックスのファンでもある
と云う。
カリブ海のマルティニークの出身で、ハイスクールを卒
業して、ボストンにあるバークリー音楽学院(この音楽
学校は全米1の有名校で日本で云えば東京芸術大学に相
当するだろうか)に入学し、卒業後、しばらくボストン
で音楽活動をしていたから。がレッドソックスファンで
もある理由だった。マツーイ。マツザーカ。イガーワと
しばらく野球談義が続いた。
ルーベンは何度も日本に来ているようで日本食は大好き
で、手元がおぼつかないタンクに比べると箸もじょうず
に使うことができる。テンプーラ。スーシもいいけれど、
一番好きな日本食はイールドン。あれが食える欧米系外
国人に出会ったことがなかったから鰻丼には驚いたね。

もう一人は、キーボードプレイヤー、サイモン。彼は元
IRc2ロンドンのミュージシャンで、布袋ともわれわ
れとも親友といえる旧知の仲。10数年ほど前に当時つ
き合っていたオペラ歌手のガールフレンドを連れて日本
に来た。時は7月の末。さっそく我々は屋形船をしこみ、
隅田川大花火大会見物と洒落込んだ。その日のために用
意した会社のロゴマーク入りの我が社特性の浴衣を着て
全員で花火を楽しんだが、サイモンはその時、船縁に彼
女とならんで腰を下ろし、大音響とともに打ち上げられ
る真夏の夜空の光の競演の中、彼女にプロポーズした。
その時の写真はまだ残っている。その後結婚。彼女との
間に2人の子供を授かり現在はロンドンではなくオック
スフォード在住。自転車マニアでオックスフォードから
自転車を畳んで担いで汽車にのってパディントン駅まで
来て、そこからロンドン市内へはどこでも自転車で行く。
サイモン。オックスフォードまでは自転車で何時間かか
るんだい?といつも言われる度に、今日中に帰れればね
といなしてる。
クラッシック畑出身でキーボードだけでなく、作曲も手
がける。ジャミロクワイのストリングスは彼の仕事。
ギタリズム当時から布袋作品のロンドン録音のオーケス
トラはサイモンが仕事をしている。

酒もシャンパンからワインへとすすみ宴もたけなわにな
ったころ、ロンドン仕込みのジョークをサイモンにお願
いすると、気が利いたやつを披露してくれたから、それ
ではお返しにと、習い覚えたロンドンジョークをかませ
てみたが悲しいことに英語があまりにも下手くそであっ
たからして、わたくしのジョークは全くウケなかったの
でありました。
それさえも酒のつまみになったようで、気持ちよく食事
会を終えることができましたのは、ひとえに、かのミュ
ージシャン達の心の優しさでありました。
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by kasuya_senji | 2007-01-29 14:30 | Comments(1)
ね〜ばね〜ば&つるつる
2007年1月26日

ねばねばという名前の食べ物がある。
芽昆布とおくらと山芋が混ざったやつで、ちいさな透明
なケースに入っていて、ケースを傾けるとゆっくりと下
方に移動していく。いかにも、ねばねばである。

あるある大辞典でうそがばれ、このまま放送は終了しそ
うであるが、テレビ番組で「美味い」と有名食レポータ
ーが叫ぼうと、あのようすじゃ美味いものなど食ったこ
となどなかろうにと思われるオネエチャンレポーターが
「プリプリして歯ごたえがすごーい。こんな新鮮な蛸食
 べたことありませーん」と驚こうが、わたくしは一向
に信用しておらぬのであるから、ウソつこうが一切関知
しておりませんが、云えるものがあるとすれば、納豆に
謝れよの一言でしょうか。

こういうわたくしも納豆に謝らなければなりません。
だいたいスパゲッティーに納豆かけて食う奴の気がしれ
んて。本格的なイタリアンレストランで納豆スパなど食
ったことがない。第一メニューにないよそんなもん。
それなのに、たいがいの町のスパゲッティー屋では人気
メニューにはかならず納豆がランクインしていて、なん
でもかんでも混ぜりゃいいってもんじゃござんせんよ。
と納豆は大好きであるのに納豆がけのスパゲッティーは
大嫌いであった。
ところが過日、家の冷蔵庫に普通の卵よりも一回り小さ
い卵が入っているのをみつけ、ナンダイ?と聞くと烏骨
鶏の卵であって、通常の5倍の値段であるが栄養バラン
スが素晴らしいらしい。これがかの有名な烏骨鶏の卵か。
ひとつしかないけど食べてもいいか?と聞くとどーぞと
いうから、どう食べようかと考え、納豆&きざみネギ&
卵まぜまぜでそのままそれを食らうことにすると決める
と、なんと目の前に先ほど茹で上がったばかりのスパゲ
ッティーがあるではないか。茹で上がったばかりとは云
え今ではなく先ほどであるから、いまひとつツルツル感
に欠けるのは明らかであるから、スパゲッティーをざっ
と熱湯で湯通しして、それに先ほどの納豆&きざみネギ
&烏骨鶏の卵まぜまぜをぶっかけて、物は試しと食って
みたところ、みたところ、つるつるねばねばとしてたい
へんよろしいではないか!。
こ、こんな美味いもん食ったことないかも!
と思わず叫んでしまって、ナポリで食した生トマトを手
でぎゅっとつぶし塩胡椒を少々まぜ、スパゲッティーに
ぶっかけただけの究極のナポリタンと双璧をなす美味さ
であった。
わたくしは、その場で納豆にゴメンねと謝り。そんなも
のよく食うねえ?と常日頃小馬鹿にしたように言ってい
たかみさんにも、ゴメンねと謝ったのでありました。

それ以来、納豆スパにやみつきになってしまったわたく
しは、今朝はスパゲッティーをアルデンテで茹で、納豆
&きざみネギ&烏骨鶏の卵まぜまぜに、さらにかのねば
ねば(芽昆布&おくら&山いも)をまぜ、スパゲッティー
にぶっかけ、大ね〜ばね〜ば大会の朝飯としたところ、
よし!明日も食うぞ!と思わず叫ぶ超弩級の美味さであ
りました。

そんなに美味いならワタシも食うサ。
おーらイバラギだから納豆は本場でよゥ。
おいおい、君らは話に混ざってこなくていいんだよ。
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by kasuya_senji | 2007-01-26 17:01 | Comments(1)
映画とラーメン
2007年1月25日

アル・ゴアのドキュメンタリー映画「不都合な真実」を
観た。この映画は米国で異例のヒットを記録し、今年度
アメリカ・アカデミー賞ドキュメンタリー部門で有力候
補となっている。
環境問題に取り組んでいるK氏から、アメリカではこの
映画を観ましたか?というのが日常会話と化しています。
地球温暖化について、CO2の急増大による気温の上昇
がもたらす異常気象現象が、豊富なデータと映像により
わかりやすく説明されていますよと言われた通りだった。
わたくしは元来ドキュメンタリー映画は大好きですが、
ドキュメンタリーマニアでなくとも十分に面白い映画で
ある上に、正確な知識も得ることができ、かつ、自分は
これからどうしていくべきかというテーマも与えてくれ
ることでしょう。

今朝の朝日新聞の文化総合欄に、
「ゴア氏の語る迫力の温暖化」という見出しで、国際ジ
ャーナリストの小西克哉さんのこの映画の評が掲載され
ていた。わたくしが語るより遙かに深い知識をもって書
かれていますから興味がある方は是非読んでみてくださ
い。ただし、あまりにも映画評過ぎて、自分はどうすれ
ばいいのかという哲学的命題は、読み手にゆだねられて
いますから、読んで判断をするのではなく、映画を観て
自分で判断をしてください。そこんとこ、ヨロシク。

これからの地球かァ・・俺はどーするんだろーなー。
と考えながら映画館を出ると留守電が入っていた。
かみさんからだった。
用件は、わたくしたち夫婦が気に入って通っていたラー
麺屋の主人が亡くなったという話だった。
この店は夫婦二人でやっていて、年齢はわたくしたち夫
婦とほぼ同年であったように思う。ご亭主は50を前に
早期定年退職をして、それから料理学校に通い麺作りを
勉強した。
勉強の合間には全国の有名店を訪ね、食べ歩きをかさね
そうしてやっと自分の作る味にたどり着いたときには3
年が過ぎていた。すこし時間がかかりすぎてしまいまし
たけどやっと開店することができましたと、真新しいカ
ウンターの向こうで笑いながら言っていたのは3年ほど
前の開店直後のころだったと思う。
ご主人と奥さんと揃いのエプロンをかけ、カウンターの
中で言葉静に互いを気遣うように働く夫婦の姿が好まし
かった。仲良さそうだったなあ。
薄味でありながらコクがあって店で打つ麺に独特のコシ
があり、上海にある「呉越人家」のすっきりした薄味の
上海ラーメンにそっくりな味だった。店でつくる自家製
のメンマは太くて柔らかくてラーメンの添え物というよ
りも主役を張ってたなあ。かみさんは必ず半熟の煮卵と
メンマのトッピングの塩ラーメンだった。
醤油味のラーメンは、札幌「すみれ」の濃いめの味にと
どめをさすとしているわたくしも、この店の薄目の醤油
味は大いに気に入っていた。
たまたま、すぐ近くにEという有名ラーメン店の支店が
あって、そこはいつも満員で行列ができていた。その有
名店の味が好きではないわたくしたち夫婦は、まだ開店
直後の常連客のいないこの店の常連となってせっせと通
った。たまたま客が一杯で入れないときに遭遇したとき
は嬉々として店の外で並んだものだった。開店から4年
目を迎え、やっと商売も軌道に乗ってきたように見えた。

正月を過ぎてしばらくたったある夕方のこと。あのラー
メンを食おうと出かけたが店が閉まっていた。おかしい
なァ。今日は定休日じゃないのにナンデやってないんだ
ろう。食べたかったがやってないんじゃしかたないね。
と引き返したが、かみさんからの留守電によると、
「昨年末にご主人が脳溢血で倒れ、そのまま帰らぬ人に
 なったので店はやめたということを聞いた。ショック
 で泪が出てしょうがないの」
という留守電だった。

地球の命。人の命。かけがえのないものの命にふれた1
日となった。映画の後、人に会う約束があり食事をして
帰宅した。
かみさんに、
「俺たちはがんばって生きような!」
と声をかけたところ、
「アナタは殺されたって死なないんじゃないの」
と食らわしてくれたので、感傷的なショックからは立ち
直ったようだったな。かみさんにそう励まされれば(?)
俺も長生きできそうだなと、妙に勇気づけられた1日で
もありました。
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by kasuya_senji | 2007-01-25 18:17 | Comments(1)
風狂の日々
2007年1月24日

角川ソフィア文庫から発行されている中島誠之助さんの
著書「骨董屋からくさ主人」を読んでいて、あの狂おし
かった骨董狂いの日々を思い出した。

岡崎堂という号は、「本好きな男が、読み集めた数々の
本を整理整頓して店に並べ、訪れる客と趣味や人生や旅
などを語る場所としての古本屋の屋号」ということにな
っておりますが、もともとは、骨董狂いの日々に「骨董
好きの男が、買い集めた数々の骨董を・・・」と名付け
た屋号でありました。
なにがきっかけで骨董狂いが始まったのか。
陽が輝くようにまぶしかった10代。混迷の20代。充
実の30代が過ぎ、あっと云う間に不惑と言われる40
代を迎えたが、いつまでも迷い続けている自分がいまし
た。
そんなころ、或る人からこんな事をききました。
茶器の名品と言われるものの中には、韓国から生活道具
として渡ってきたものが、ある日利休の目にとまり、そ
れが信長に献上され、秀吉に引き継がれ、また秀吉から
家康に下賜され、現在は徳川美術館で保管されていると
いうものがある。つまり、本物に触れることができるの
は、限られた選ばれたごく少数の人間でしかない。真の
骨董という物はそういう運命をたどるものだと。
そう聞き、どうせ生まれ落ちてきたからには、一生の間
に一度でいいから、永遠の命を持つ茶器を手にし、また、
その真価がわかる人へ受け渡す役割を演じてみたいもの
だと思っちゃたのです。また、不惑の年といわれる40
を迎えても未だ迷い続けている自分には、モノを見る力
を養うことが必要ではないか。その目を養うためには、
真贋を見分ける目が必要とされる骨董の世界に入るのも
手ではないか・・・と、ひょいっと骨董の世界に入って
しまったのであります。で、目は養えたのかというと、
答えを先に言っておきますがだめでした。

骨董市に出かけ骨董屋に出かけ、買い集めた物が家の戸
棚に、桃山だ、江戸初期だ、高麗だ、李氏朝鮮だ、三島
だと数は増える一方でありました。置く場所にも困り始
めたころ、近くに来たから顔をだしたよと旧友が訪ねて
きました。元はマネージャーであった彼は、今は骨董屋
になっているという。もともと若いころから骨董好きで
骨董屋になりたかったが骨董ではなかなか飯が食えない
から、資金稼ぎに音楽仕事をしていたんだと云う。
音楽屋が骨董屋になったことには驚いたが、ちょうどよ
いと早速お宝を見てもらったところ、ただ一言、

「みんな偽物だなあ」
「これなんかどうだい。なんでも韓国の慶州の寺からの
 出物らしい。慶州は日本で言えば京都みたいなとこで、
 あそこには仏教寺院が多いと云うからなあ」
「幾らで買った?」
「数万円だ。どうだい、この象牙がくすんで飴色に変色
 してるとこなんざ、いい景色じゃないか」
「その当時の象牙ものなら桁がひとつちがうよ。飴色の
 景色と言うけどよく見てみな。ただ汚いだけじゃない
 か。薬かけるとこういう色になるんだよ」
「あれは?」
「あれもダメ」
「これは?」
「これもダメ」
「桃山は?」
「桃山の湯飲みィ?こんなもの瀬戸や知多にはゴロゴロ
 してるよ。せいぜい昭和初期だな。お前、変形が味と
 言ったよなあ。ただのできそこないだよ。いったいい
 くらで買ったんだァ」
「・・・・・・・・・」
「本物がひとつあるなあ。この割れた茶わんのかけら」
「カケラダケデスカァ・・・」
と、狂おしい日々は突然に終わりを告げたのでありした。

ということですから、50を迎えても不惑には至らず、
大惑の毎日であります。
先日、小説家の小池真利子さんから、若いころは年をく
えば、何事かが分かるだろうと思っていましたが、どう
もそうではなく、ますます分からないことが多くなって
きます。でも、それが、面白いのかもしれませんね。
と、お便りをいただいたが、まさにその通りであります。


PS:参考までに、この本は、
1−風狂な人々
2−片雲の風に誘われて
3−座右の小品
4−修行の道すじ
5−目利き儲からず
の5章からなっていて、若きころの町田町蔵さんが飲み
屋で働いていたという大阪のジャンジャン横町の骨董屋
のオヤジの話がでてきたり、読み物としてはまことに面
白い本であります。手を出さずに風狂の骨董の世界をか
いま見ることができます。
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by kasuya_senji | 2007-01-25 13:33 | Comments(0)
誕生日の夜の下町の歌声酒場
2007年1月23日

そういえばよゥ。世論調査でよゥ。トベ内閣の支持率が
ガクンと落っこっちゃってよゥ。やることなすことわか
りにくくてよゥ。ひょっとすると長くねーかもしんねえ
なァ。去年の今頃はポスト戸泉競争で、戸泉の腹はトベ
ちゃんじゃねえの。なんたって官房長官でしかも政界の
プリンス。古い体質の自民党をぶっ壊した改革路線の戸
泉に次ぐ1番手。ルックスもいいし若さも抜群って言わ
れてよゥ。いつかいつかと立候補宣言の日がとりざたさ
れてたよなァ。
1月の国会中に林派のヌクダが海外に行ってアメリカで
ヨイショ。ヨーロッパでヨイショってやってよゥ。
ありゃ、次回はワタシでよろしくっていう挨拶まわりじ
ゃねーのォ。こりゃ林派が二つに割れるんじゃないの。
ナンダカ面白くなりそうだぞ、なんて期待したけどよゥ。
帰って来るなり、派閥のドンの林になんか言われたかと
思う間もなく、立候補しませーんって逃げちゃってよゥ。
それからは、夏場だって言うのに雪崩につぐ雪崩がおき
てよゥ猫もシャクシのトベちゃんトベちゃんの大合唱。
トベちゃんイエース、オッケーよって。
政界あげて、政界っていっても自民党だけどよゥ、全員
でトベちゃん担ぎ上げて、わっしょいわっしょいの御輿
に乗っかったまんま、怒濤の勢いで総理になっちまって
なァ。なったとたんに中国・韓国行って株上がりっぱな
しだったこと思うと、ナンデコーナルノ?
って萩本欽ちゃんも言うんじゃねーのォ。そういえば、
欽ちゃん野球部もあれ以来いまいち元気ねーなァ。
お〜い。ゲンちゃん。ゲンちゃーん。ゲンちゃんってば
よゥ。ホッピーくんな。なにィ?今年はじめてでござい
ましてあけましておめでとうございますゥ。古いこと言
ってんじゃねえよ。もう23日だぜ。ホいえばよゥ。今
日は岡崎堂さんちの娘さんの誕生日だったなあ。ついで
にお祝いだ。ホッピーでお祝いだ。ホッピー2杯くんな。

ワタシね。正月クニに帰ったサ。出雲の工事あれば寒く
ても出雲行きたかったけど、工事なくなってしまったか
ら正月はクニに帰ったサ。姪っ子がエイサーやってるか
ら正月の初エイサーの練習を見に来いって言われて出か
けたサ。その練習場で東京から来た人に会ったサ。
なんでも、去年までは、霞ヶ関で仕事してた人で、トベ
ちゃんは短そうだって言ってたサ。ポツンと言ってたサ。
戸泉みたいに2回も落っこちて、3度目の正直でやっと
総理になった人とは、権力を守るという気迫がじぇんじ
ぇん足んないって言ってたサ。

オメェ。じぇんじぇんって長崎弁かよォ。どこの言葉使
ってんのかはっきりしろよ。でもよゥ。長崎っていえば
よゥ。五島列島出身の知り合いがいるけどよゥ。ありゃ
いいところだってなァ。あの小さな島に教会がゴマンと
あるんだってなァ。隠れキリシタンっちゅうやつよ。
おらそこんとこあたり詳しくねーから、天草四郎でした
っけ?って聞いたら、あれは島原で・・・と、
いろいろ違いを教えてくれたけどよゥ。そんときはフン
フンって聞いてたけど、立派に忘れてしまったサ。おら
自慢じゃねえが記憶力はよくないっサ。ありゃ?
おめえの口癖が移っちまったじゃねーか。
で、五島列島でもホッピーは飲まさせていただけますか?
あるんだったら行ってみたいもんですって聞いたらよゥ。
随分前に島を離れちゃってるからわかりませーんって。
ほんでなァ。おら又べつの人から、ビールにコーラ混ぜ
るとこれまた美味いって聞いたからよゥ。
そういったシャレたものは島にはありましたか?
ってきいたらよゥ。その人がいたころは島にコカコーラ
もなかったんだってよ。教会はあってもな。で、その人、
今だに五島列島弁が抜けてないんだけどよゥ。コカコー
ラは東京でおぼえたので、訛りましぇーんって言ってた
けどな。まあ、そんなことはどっちでもいいわ。
トベは見てるとよゥ。なんか、林や参院のドンの赤木の
言いなりじゃねえのかァ。郵政造反組もどさないと参院
選で負けるぞ!負けたら仕舞いだぞって脅されてよゥ。
あんな怒濤の勢いだったっていうのに、いったん総理の
椅子に座っちまうといきなりの保身でよゥ。結局言いな
りになっちまったように見えたわな。
あん時に、わたくしが総理です。戻す戻さないは、わた
しが決断しますっ。て売られた喧嘩を戸泉みたいに買っ
ちまえばよゥ。大向こうを唸らせて拍手喝采。旧い自民
党を改革してるぞって。まあ、わしらも認めてやったん
だがなァ。
あれ以来、ツキが落ちたようにやることなすことケチの
つきまくりのオケラ街道まっしぐらじゃねえかァ。
ゲーンちゃーんホッピー2杯くーんないかァ。

身体検査ってあるサ。大臣にするために、ゼニやカネで
汚いことやってないか、オンナ囲ってないか、どっかの
業者と癒着してないかって、身上調査することを永田町
じゃ身体検査ってよぶらしいサ。
トベは担がれた御輿に乗ったままで総理の椅子に座って
しまったから、いっそ担いだ奴しか見えなかったサ。
そこしか見てないから、あとで問題でまくりサ。で、出
た問題のありかたと対処のしかたがまるで昔の自民党サ。
昔の自民党はなつかしくないサ。昔をなつかしむには唄
がいちばんサ。
一銭二銭のはがきーさえー、千里万里を〜かけめ〜ぐー
る〜。同じコザ市に住みな〜がら〜〜〜

ぬしさん〜ぬしさんと呼んだ〜とて〜ェっか。おいおい
つられて唄っちまったよ。いい唄だねこの唄は。ええ?。
ホ言えばよゥ。この唄は、葉書は何処までも行くケドよ、
おなじ町に住むワタシはアナタに何故会えないの?
っていうところの女心が切ないねェ。おらあ自慢じゃね
えが帽子かぶって髭はやしてエイジレスだけどよゥ。
オンナにそんな惚れられたことはねえよ。ねえけどよゥ。
ねえだけによゥオンナにそう言って惚れられてみてえよ。
でもよゥ。逆に考えるとこれは郵便局の葉書のキャンペ
ーンソングじゃねえのかァ。遠くても近くてもアナタの
気持ちは葉書でお伝えできますよ。安いですよ。ってな。
鉄道唱歌ってあったケドよゥ。この歌は、郵政省唱歌だ
ったかもしれんて・・カっカっカ

と、戸泉さんがぶっ壊してしまった郵政省唱歌を肩をく
み、箸でホッピーのコップをチンチキチンとたたきなが
ら歌い始めたこの二人に、回りの全員が加わって、
ぬしさん〜、ぬしさ〜んの大合唱となり、始めは苦い顔
して見ていた自称ブルース歌手の店長のゲンちゃんまで
加わわっちゃって、回りの住民の迷惑顧みず、下町の居
酒屋は歌声酒場と化し、夜は更けていくのでありました。
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by kasuya_senji | 2007-01-24 11:36 | Comments(2)
再会を約束して

2007年1月22日

ギタリスト3人の怒濤のライブセッションが終わって、
なんだかほっとしたような、しかし、終わってみれば、
この時期に3人が集まることができたということが奇跡
のように感じられ、心にポッカリと穴が空いたような感
じでもあります。
何人かに観に来ないかと誘った。観に来れた人は大満足
であったろう。どうしても都合がつきにくくてね、と言
う人に対しては、まあ、そちらの仕事も大事だから無理
しなくてもいいよと答えておいたが、何故、無理を言っ
てでも強く誘わなかったのだろうか・・と悔やんでいる。

ブライアンとは、今日のことは永遠に記憶にとどめよう。
そして近々、東京またはアメリカまたはヨーロッパのど
こかの街で会いましょう。と、再会を約束して別れた。
チャーさんは、このライブのあとはギタリストの石田さ
んとのユニット「BOHO」のライブツアーにでること
になっている。どこかの町に訪ねます。また、ゆっくり
酒でも飲みましょう。と別れた。
布袋には、お疲れさまと声をかけ、冷たい雨が降る夜の
第3京浜をゆっくりと東京に向け帰った。
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by kasuya_senji | 2007-01-23 12:30 | Comments(0)
にい〜〜し〜。
2007年1月18日

大相撲初場所も11日目を終え、いよいよ朝青龍の連覇
が視野に入ってきた。視野に入ってきたとは云っても場
所前の下馬評は圧倒的に朝青龍。年末にモンゴルに帰郷
し風邪もひいたことによる場所前の稽古不足などが、稽
古もしないでいつまでも綱はってられませんよ、強いか
らといって稽古もしないでは力士の見本足るべき横綱と
してイカガなんですかという態度についての苦言が主で、
次世代をになう白鳳や琴欧州がとってかわる場所になる
だろうとは誰も言ってなかった。誰も思っていなかった。
初半の3日目に突貫小僧の出島のクソ力に土俵のそとに
追い出されたが、11日目を終わって星ひとつリードし
ているのであれば、もう決まったも同然だろう。土俵に
は怪我がつきものだから、勝負は下駄をはくまでわから
ないものだから、残り4日の取り組みに波乱は無いとも
いえないが、波乱の期待の一番手の白鳳が横綱に「思い
どおりの相撲だった」と高笑いされての完敗では、新聞
の相撲欄をみてもおもしろくもなんともなし。と、新聞
を捨てかけて或る記事が目についた。

呼び出しさんの記事で、
38才の安治川部屋の安喜夫(あきお)さんが、呼び出
し生活20周年を迎えたという話である。安喜夫さんは、
15才のとき180センチ100キロの体格を認められ
上京。2年と1場所まわしをつけたが、怪我で引退した。
その後、各界への思いを断ちがたく呼び出しさんとなっ
た。土俵の裏方は力士を目立たせるために小柄な体格が
好まれる。呼び出しさんもそうであるから、ずいぶん肩
身の狭い思いもしたようだが、8年前に十両格になり、
十両格になると番付にも載る。「呼び出しは安喜夫」と
場内放送もされる。定年は65才だそうで、生涯をかけ
た仕事にしたいと張り切っている。
という記事だった。

体が大きい分だけ肩身が狭いという話も面白いが、大き
い分だけに声もよく響くのではあるまいか。随分前の話
になるが、呼び出しさんの声を間近で聞いたことがある。
両親が岡崎から東京に車で遊びに来たのだから、年寄り
とはいえまだまだ元気いっぱいだったころの正月のこと。
どこか見物したいところはあるかと聞くと、「特にない。
お前の元気な姿や孫達の顔が見られればそれでよい」と
言う。とは言うものの、せっかく東京に来たんだからと
両国の相撲部屋の見学に連れて行った。相撲部屋はそこ
に誰か知り合いがいなくとも、予約なんかしなくても誰
でも「おはようございます」と声をかけ部屋に上がって、
朝の稽古を見物することができるのである。
その話を聞いたときには、へーそうなんだと驚いたもの
だったが、ようするに国技である相撲はファンにそうや
って門戸をひらいていくことが決められているのであっ
た。
その相撲部屋を選んだのはたんに国技館に近いという理
由だったが、幕内力士に水戸泉がいた。塩をめいっぱい
ブチまくことで人気があったあの水戸泉である。番付表
には虫眼鏡でみなければ見えないような小さな字で載っ
ている若い力士のぶつかり稽古のあとに登場した水戸泉
のでかかったこと。苦しくて音を上げてしまいがちな若
い力士を竹刀でバンバンぶっ叩いていた。俺だったらあ
ばらの2本や3本折れて、即救急車で運ばれるだろうと
思うくらいのド迫力だった。
そうして稽古が終わるころに、振れ太鼓の音とともに呼
び出しさんが部屋に入ってきた。力士全員が土俵を空け
ると、呼び出しさんが土俵中央に進み出て、力士全員が
土俵の回りをとりかこんだ。
どうやら明日は初場所の初日で、呼び出しさんは明日の
取り組みを読み上げる習わしのようだった。
序の口、序二段、幕下はその部屋の力士の取り組みを呼
び上げ、十両からは結びの一番まで全取り組みを呼び上
げる。部屋の力士の対戦には力士全員が拍手した。水戸
泉の対戦の呼び上げの時は、拍手だけでなく歓声もあが
った。
「ミトイズ〜ミ〜には〜アケボ〜〜ノ〜」
などと呼び上げるのであるが、その声の美声だったこと。
そしてのその声は大きく、腹の底から響き渡る声だった。
親父もお袋も、いい声だねえと感心しきりだったなあ。
元力士。安喜夫さんには、将来千秋楽結びの1番を呼び
出す日がくることを願いたいものである。
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by kasuya_senji | 2007-01-19 17:52 | Comments(0)
そうだ!関西へ行こうー3
2007年1月17日

そいうえば、土曜日に自宅をでる間際にかみさんとトラ
ぶった。フウフゲンカは犬も食わないというとおり理由
はあまりにもたわいない。まるで子供同士のこぜりあい
である。京都から大阪に向かう新幹線のなかで、昨日は
家に連絡しなかったな・・・
と思い出したが、まっいいか。
ついでに、古今亭志ん生の、
「団子屋の夫婦喧嘩は犬も食い」
という川柳を思い出したが、まっいいかと思う間もなく、
シンオーサカー。終点シンオーサカー。と大阪についた。

昨夜、タクシーで川端通りを下りホテルに向かっている
時に、急に或ることを思い出した。或ることというのは
小学校の修学旅行の時のことである。
市内観光を終え、旅館で食事をして、クラスの仲間と一
緒に風呂に入り、恒例のマクラ投げで大騒ぎし、決まり
事のように担任の先生に叱られて怒鳴られて、大人しく
全員が寝静まった夜中のことだった。
ゴトゴトゴトゴトという物音で目が覚めた。しばらくす
るとまたゴトゴトゴトゴトという音が聞こえる。
なにごとだろうと窓を開け外を見ると、旅館の前の道路
を4両編成ほどの電車が走っていくのがみえた。
夜中に電車が走っていたのを旅館から見た、というだけ
の記憶で、その場所がどこであったかはまったく憶えて
いない。しかも、友達は全員眠りこけていて真夜中の電
車は誰も見ていない。
今となっては、夢を見たのだろうか・・・
とも思えるくらいのかすかな記憶である。
たぶん、修学旅行以来の金閣寺だったので、記憶のドコ
カが刺激されて、普段は忘れ去ってしまっている小学生
のころのことがフッと思い浮かんできたのだろうと思う。
思い浮かんだついでに聞いてみた。

「ちょいとお聞きしますが運転手さん。あまりに昔のこ
 となので自分でもあてにならないのですが、以前この
 道沿いに、修学旅行客を泊める旅館がありませんでし
 たか?」
「ありましたよ。富士屋旅館というて修学旅行専門の旅
 館がありました。お客さん知ってはりますのでっか?」
「そこかどうかは分からないんですが、昔修学旅行で来
 た時に泊まった旅館がこのあたりかなーとね。それと
 この川端通りに電車が走ってませんでしかねえ。旅館
 の部屋から電車見た気がするんですけど・・」
「走ってましたわ。随分前のことになりまっせェ。京阪
 が走ってました。今は、この道の地下を走ってますけ
 ど以前は、路面を走ってましたわ」
「さっき、旅館がありましたといいましたよねえ。今は
 ないんですか?」
「今はおまへん。4年ほど前ですか。廃業されたようで
 すわ。ナンデか詳しいことはよう知りまへのですがね」

旅館の名前は富士屋旅館であったかどうかは記憶にない。
でも、運転手さんの話をつなぎあわすと、修学旅行=路
面電車=富士屋旅館であった可能性は大いにありうる。
4年ほど前の廃業ということだから21世紀の初頭まで
存在したのである。そんなことを知ったからといって今
更なんになるのかとも思うが、あまり有名すぎて避けて
いた金閣寺にもうすこし早くでかけていれば、旅館は改
修されて当時の姿は残っていなかったのであろうが、小
学生の時の自分の記憶に会えたのかもしれないと悔やん
だ。

そんなことを楽屋でボンヤリと考えていると関係者の人
々が入れ替わり立ち替わり楽屋を訪れてくれ、新年のご
挨拶がとびかった。
布袋、チャーさんに続きブライアンが会場入りした。
3本のギターが会場に鳴り響いた。
開場しまーす。と舞台監督の江坂のふれがでた。
開演10分前でーす。と江坂の声が響きわたった。
スタッフは全員配置に着き、ミュージシャンはステージ
裏に集合した。
開演を告げるアナウンスが響き、客電が落ちてゆく。
いよいよ。開幕である。
今夜は思いっきり音楽を楽しみたい。
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by kasuya_senji | 2007-01-17 14:31 | Comments(1)

 
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