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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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引っ越し騒ぎ
2007年2月26日

友人の某が引っ越しをすると聞いたのは、たしか数ヶ月
前のことだったように思う。

どこへ引っ越す?今は都内でもすこし不便なところにい
るからな。今度はもっと便が良い都心に住むんだろう?
なに?不便ではないィ?。いやいや。君の居るところは
不便なところではないことは分かっているよ。至極便利
なところだろう。肉屋もあれば八百屋もあるし魚屋、電
気屋、パン屋、そば屋、焼き肉屋、ちいさなレストラン
もある。本屋もある。寺もある。町内会の集会所もある
だろう。え?集会所はつかわないって?。
そうだね。ひとりもんには町内のつき合いはないからね。
俺なんか町内会の役員やらされちゃって夏祭りだ、餅つ
きだと妙なとこで忙しいよ。ま、それも任期は1年だか
らこの春で終わりだけどね。他の人は長いよ。町内のお
年寄りの名誉職みたいなもんだからね。
それはともかく君んちは駅も近いんだよね。自転車でど
こでもいけるんだよね。坂もあるが緑も多い。落ち着い
た町だよね。それはわかっているよ。
俺が不便だといってるのはね。仕事が遅くなったり深酒
して12時過ぎてしまうと電車が終わってしまってタク
シーで帰らなきゃならなくなる。タクシー代も馬鹿にな
らないからね。もちろん終電車までにきりあげればなん
の問題もないことだがね。そう言ったって大人のつき合
いってものがあるだろう。つぎの仕事で世話になる人が
セッティングしてくれてる飲み会で、電車がなくなるか
らハイさようなら。これで失礼します。とはいかないこ
ともあるだろう。だからね。都心の青山・原宿・六本木
とはいわないが、今よりももうすこし近いところに引っ
越したらいいんじゃないの?。タクシー代も安いよ。
独り者で気楽なんだからさ。近くになれば俺も顔を出さ
せてもらうよ。若かったころは君の家に入り浸りだった
な。懐かしいね。君が越して以来訪ねたことがない。
だって遠いもの。で、次の場所は。どこだい?。
エー!。同じマンションの隣の部屋???・・・・・
聞き間違いじゃないだろうね。
さっき都内って言わなかったっけ?
あーそう。トナイの部屋じゃなくてトナリの部屋・・
じゃあ。引っ越さなくても同じじゃないか。かなり広い
のかい隣の部屋は?。ほぼ同じ?じゃあ引っ越さなくて
も変わらないじゃないか。それでも引っ越ししたいって?
もう長いこと住んでしまったから荷物もこの際整理した
いって?。そーだろうね。君らが訪ね来るには不便だけ
ど俺には便利なところだって?。そーなんだろうね。
トナリの部屋に引っ越すなんて初めて聞いたけど、まあ、
住めば都というからね。では、どーぞお好きに。

と話したのは確か去年の11月ころで、引っ越しは年内
をメドだというから、もうとっくに引っ越しは終わって
いるのかと思ったら、まだ終わってないという。
トナリの部屋だから引っ越し屋を頼むのは馬鹿げてると
考え、いるものいらないものと仕分け、片付け、段ボー
ルにひとつふたつとまとまるとトナリの部屋に運ぶが、
一人でやっているのでなかなか思うように進まない。
打ち合わせもあり仕事もありで、これまた思うように進
まない。結局、約束した引っ越しの期限が過ぎ、多少な
らかまいませんよと言ってくれた大家も、あまりの遅さ
に次の店子は決められず、部屋代は払ってもらいますよ。
それならよーござんすよ。となって、ここ2ヶ月は2部
屋分の家賃を払っているんだと云うから、アキレタネ。
引っ越し屋を頼んでいたら、支払った家賃の半分ですん
だだろうに。このままじゃまずいと、一昨年の我が家の
引っ越しで重宝した便利屋さんをつかまえ事情を説明す
ると、それはもったいないと開口一番。いつまでですか?
今月中ですね。なんとかしましょうと、やっと2月28
日に引っ越しが終わるメドがついたというわけです。
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by kasuya_senji | 2007-02-26 18:53 | Comments(0)
すごがばばあさん
2007年2月25日

法の涙という本を知ってるか?
その中にこういう話があるといってBは語りだした。

両親が交通事故で亡くなり、高校生の兄と幼い弟が残された。
兄は高校を卒業すると働きにでて、親代わりに弟の面倒をみ
た。ある時、弟の学費等が必要だったがこの時ばかりは会社
は前借りをさせてくれなかった。兄は再度、事務所に頼みに
行くが誰もいなかった。そこで悲劇が起きた。金ほしさにつ
い事務所内を物色中、出納係の老人と出会い、揉めたはずみ
で老人が倒れ打ちどころが悪く死亡した。
強盗致死は無期懲役か死刑である。裁判官は情状酌量のうえ
懲役18年を求刑し、兄は服役した。
その後、刑務所の兄は模範囚として過ごす。弟には1ヶ月に
1度手紙をだした。どう暮らしているか。学業はどうか。
これからどう進むかと。幸い弟は、支援してくれる人が現れ、
一流大学を学校を卒業し大企業に就職した。将来を嘱望され
ているようである。それだけが兄の生き甲斐だった。
ある時、弟から刑務所所長に手紙が来た。それにはこう書か
れていた。
「兄とは縁を切ったつもりでいます。兄からの手紙には大変
 迷惑している。今度結婚するので、もう手紙はよこさない
 でほしいと兄に伝えてください」と。
所長は兄に話をした。兄はこういった。
「弟のいうことは当然です。もっと早く気がつくべきでした。
 今日から他人になりますが、弟の幸せを心から祈ります」。
所長は、無宗教であるが、この時ばかりは神の赦しを心から
・・・・・・グシュン・グシュン・・・
とBは最後のところで話を止め、だめなんだよ。この話をす
るたびに俺は泣いちゃうんだよ・・・とテレ隠しに笑いなが
らティッシュペーパーを取り出すと、目頭をこすった。

この本は、札幌高検検事長から参議院議員になった佐藤道夫
氏が週刊朝日に連載したエッセイがまとめられ、
「検事調書の余白:法の涙」(朝日新聞社刊)
のタイトルで出版されたもの。週刊誌に連載されたエッセイ
なので一話一話は短く端的にまとめられている。悲しくて涙
なしには読めない話も数々あったが、笑える話もある。

「おばあさん。泥棒に勝つ」という話はこうだった。
泥棒の行商人の話である。農家の働き手が田や畑にでかけた
後にひとり残って留守番をしているばあさんがいる家を狙う。
農家はどういうわけか財産などを銀行に預けるということを
しなく、現金などは自宅に隠し持っていることが多いらしく、
そこを狙うのである。村では売っていないような高価なもの
を見せいろいろ説明しながら世間話をする。ひとりで家にい
て退屈しているばあさんは話し相手ができたとよろこぶ。
そのうちばあさんがお茶を出したり菓子を出してくれるよう
にまでうち解けると、行商人はお返しにと座敷にあがりこみ、
肩を揉んだりする。肩を揉まれたばあさんは気持ちよさそう
に寝入ってしまうことが多いらしい。そのすきに泥棒は奥に
入り込む。いくら上手に隠したようでもプロにかかればナニ
がどこにあるのかお見通しで、現金などを拝借するのである。
ただし、すぐ気がつかれるような額は取らないのがコツだそ
うで、たしか仏壇の奥にしまった封筒に30万入れてあった
と思ったが、28万だっかかねえ・・・
という少額をいただくのである。
ひと仕事した泥棒は座敷にもどり、ばあさんを起こし、ねん
ごろに別れを惜しんで退散する。外に出た泥棒は口笛を吹き
ながら歩いているが、そのころばあさんも鼻歌を口ずさんで
いる。その首には真珠のネックレスが光っているのである。
寝たふりをして泥棒が奥に消えると、のっそりと起きだし、
宝石のひとつをばあさんは拝借するのである。
この寝たふりばあさんは常習犯だそうで、うまいこと言いく
るめ息子夫婦がばあさんから宝石を取りあげ、村に1軒しか
ない旅館に行商人を訪ね、汗ふきふき謝りながら返すのだそ
うだ。その時に行商人が己の非を悔いて、取った金を返した
かどうかについては書かれていない。
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by kasuya_senji | 2007-02-26 15:29 | Comments(0)
ハーイ。コンバンワ。
2007年2月23日

S社のN氏と食事。場所は隅田川を渡った両国にほどち
かい緑町にある軍鶏鍋の「かど家」。
この店は作家・池波正太郎が通った店で、鬼平犯科帳に
登場する「五鉄」という軍鶏鍋屋のモデルになった店。
たしか「五鉄」には、おまさという小股の切れ上がった
元盗賊のおんなが平蔵の手下として働いている店じゃな
かったかな。
創業・文久二年・五代目・鳥料理・みどり・かど家。
とあるから江戸時代から150年近くつづく老舗である。
軍鶏は闘争心が強く強靱な身体を持ちその体はひきしま
り、肉に独特のうまみがあるとされる。
店の創業当時である江戸期は、にわとりは卵を産むとい
うのが役割の家禽で、食用の鳥肉といえば、たいがいは
ツグミ、スズメ、鴨、雉などの野鳥肉だった。
藤沢周平の書く海坂藩の藩士も非番の日などは食料自給、
体力増強の意味もふくめ川釣りや鳥刺しを奨励されてい
て、休みとなれば釣り竿や鳥竿片手にせっせと川や野や
山に向かう武士の姿が描かれている。
今ではあまり見かけなくなったが、子供のころは、岡崎
の町の公設市場にあった乾物や佃煮をあつかう店先には、
串に刺したどじょうの蒲焼きやらスズメの焼き鳥などが
売れていたものだった。
軍鶏は家禽というよりも庭先で飼われてはいたが野性味
が強く滋養強壮の食として重宝されもし、また高価でも
あったが、鬼平犯科帳の「五鉄」はいつも客で賑わって
いる店だから、この「かど家」も当時から武家庶民から
愛されていたのであろう。
ただし、軍鶏の肉はやはり固いものですから、今は軍鶏
と地鶏なを掛けあわせた柔らかい肉を使用していますと
のことだった。うま味があり歯ごたえもあり野性味もあ
る軍鶏鍋の美味かったこと。生肉もイケルがつくねが抜
群で、つくね好きのわたくしには極楽でございました。
鍋をさらった後のふーふーアツアツの雑炊もこれまた結
構でござんした。今回は2階の座敷部屋だったが、次回
は是非とも池波さん御用達だった1階の庭に面した部屋
にあがりたいものである。いずれにしても「善き店の軍
鶏鍋」を紹介いただいたNさんに感謝です。

軍鶏鍋をつついているときにNさんから本を1冊いただ
いた。この前、忠臣蔵本をさがしているが見つからない
と書いたのを覚えていてくれ、贈ってくれた本が、
小林信彦・著「裏表忠臣蔵」(新潮社刊)。書店名が凄
い。娯楽時代小説専門古書店「海坂書房」である。
海坂と名のる以上、よほどの藤沢周平好きの店主と見た。
Nさんの主題はそこでもあったのだ。Nさんエライ。
家に帰り、寝る前にこの本をペラペラとめくり数十ペー
ジほど読む進んだところでいい感じに眠気がきて本を枕
元にもどし、読書灯を消し寝入ったが、最近は妙な技を
身につけたようだ。夢に浅野内匠頭がでてきた。吉良上
野の介もでてきた。あくまでも傍観者の位置でしかない
ので誰が浅野で誰が吉良から分からなかったが、松の廊
下でいざこざと数人が揉めているのを庭から眺めている
夢だった。寝しなに読んだ本の夢をみたのはこれが初め
てではない。今までも数回あったことはあった。ただし
本を読みながら寝てしまうことも多いから、それが果た
して夢なのか現であったのかがはっきりしなかったのだ
が、今回は本を置き、枕元の灯りを消し、隣の部屋の住
民のかみさんに一足お先に寝させていただきまーす、と
声をかけて寝ているから、はっきりと夢である。

これはいい技を身につけたものだ。
プレーボーイ誌のグラビアなんか寝る前に読んじゃうと、
ハーイ。センジ。コンナカッコウデイイカシラ。OK?。
なんて、ご登場を願えるものではないのだろうか。
間違ってもプロレスマガジンは読まないでおこう。
プロレスファンでもなんでもないが、かってうちの会社
にいたスタッフがアメリカのプロレス関係の仕事をして
いて、毎月会報ともいうべき雑誌を送ってくれるのだ。
アメリカン・プロレスラーはヒーロー・悪役のキャラが
はっきりしている上に、ヘビーメタルバンド・ミュージ
シャンのような派手さがあって笑えるので、何も読むも
のがないときは寝ころんでペラペラとめくるのである。
カモーン。センジ。ファイトイッパーツ。OK?
と男に登場してもらっても困るのでプロレスマガジンの
寝る前読書は禁止行為としよう。
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by kasuya_senji | 2007-02-23 20:04 | Comments(0)
田舎の町から天空の町へ
2007年2月22日

中国は今旧正月で、あけましておめでとうございますは、
「新年快楽」シンネンカイルー!と言います。
とハワイマウイ島から便りが届いた。

昨年から某大手代理店の北京の中国支社長に就任したS
さんからの便りである。日本の本社よりはるかに少ない
人数であの広大な中国マーケットを取りしきるのだから
苦労は並大抵ではないだろう。しかも、中国国営の映画
会社との合弁会社でもあるから、従業員の大半は中国人
であり、彼の国と我が国との風習のちがいもあり、たま
たま上海でSさんと会ったときなどは面倒見が良い彼を
頼って部下から仕事についての相談ごとで携帯が鳴りっ
ぱなしだった。優しい笑顔の向こうに強靱な精神力を持
つ彼ゆえに務まっているのだろうが、それはそれで心労
もたまるのだろう。
ひさしぶりにゆっくりするために早めに休みをもらって
海を眺めながら命の洗濯をしています。とマウイ島から
便りが届いたのである。
ついでに、今年の夏に計画しているチベット高原列車の
旅について、とても人気が高いようで、そろそろ予約が
必要かもしれませんと書き添えてあった。
2年ほど前に開通した路線で、北京からチベットのラサ
まで車中で2泊か3泊の長距離列車の旅で標高差は50
00メートルにも及ぶ天空への旅である。
Sさんの先輩が昨年体験した。白く陽に輝くヒマラヤの
山々の背後に広がる黒みがかったあの青い空。神に一番
近いところにいる思いがした。人生観が変わったよ。と
のたまわれたそうで、いやがおうにも期待感が高揚する。

子供のころは世界地図を見るのが好きで、ヒマさえあれ
ば地図を開き、オリンポスの丘。クノッソス。エジプト。
ピラミッド。スフィンクス。サハラ砂漠。ケープタウン。
カサブランカ。ケニア高原。キリマンジャロ。
コートジボアール。バクダット。死海。イエルサレム。
サウジアラビア。ボスポラス海峡。ジブラルタル海峡。
ケルン。スコットランド。コッドウエル。
ニューイングランド。ナイアガラ瀑布。ロッキー山脈。
イエローストーン。マッキンレイ。キーウエスト。
カリブ。ハバナ。インカ。アマゾン。イグアスの滝。
ナスカ高原。リオデジャネイロ。喜望峰。タヒチ。
ハワイ。ミクロネシアの島々。トラック諸島。ボンベイ。
アンコールワット。カブール高原。ハイバル峠。
タシュケント。ゴビ砂漠。タクラマカン砂漠。敦煌。
西安。万里の長城。ヒマラヤ。ラポタ。チベット。ラサ。
etc、etc・・・
いつの日か訪れる日がくることを夢想し飽きずに眺めた
もので、愛知県岡崎のちいさな町の片隅で子供の僕は地
図で世界と繋がっていた。
おかげで中学生になって社会科で地理を教わるようにな
るとその成績はすこぶる優秀であったというオマケもつ
いた。長じて、夢想したところを訪れることができたの
はほんの数カ所にしかすぎないが、その夢は心の片隅に
いつも消えずにいる。その夢のひとつがこの夏に叶うの
かも知れないと思うと、いやがおうでも期待は高まるの
である。

聞くところによると、車中の食堂車の飯は期待するほど
のものではなさそうだということだから、そうだなあー
カップヌードルはマストだな。梅干しも持っていこうじ
ゃないか。いちおうインスタント塩焼きそばも手に入れ
ておこう。
赤坂のふぐ屋のオヤジは毎年2ヶ月ほど海外旅行に行く
が、かならず日本食の非常食をバッグに詰めて出かける。
一昔前の非常食は乾パンなどが定番で、あんなに固いも
のは食えたものじゃない。特に歯の悪い年寄りには食い
物とは云えない。ところが最近はどんどん良くなってき
ていて、非常に美味いものがたくさんある。非常食とい
ってもバカにできませんよ。日本飯が食えないところに
出かけるときは便利ですよ。と、言ってたからリストを
つくってもらっておこう。そうそう薬も忘れれはイカン。
さらに聞くところによると、ラサの町のトイレの事情は
極悪なようだから、ひとつ紙おむつも持っていくか。
そこまではいいんじゃないか。いや。俺は昨年腹痛で入
院したときに、ベッドの上で3日間寝たっきりの点滴暮
らしをしたが、点滴には栄養源も入っているが腸をきれ
いにするための下剤も入っていて、用心のためといって
看護婦に紙おむつをはかされた。はじめのうちこそ妙な
感じだったが、慣れるとあれはあれで気楽でここちよか
ったぞ。念のため持っていくか。看護婦がはかすからこ
こちよかったんじゃないですかァ。では看護婦も持って
いくか。などと邪心を抱きつつ無邪気に心待ちにしてい
るのである。
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by kasuya_senji | 2007-02-23 12:37 | Comments(1)
善き人のためのソナタ
2007年2月21日

南青山のキッドのBが2回同じことを言った。
1回目は、1週間ほど前のこと。

「善き人のためのソナタ」というドイツ映画がすばらしか
ったよ。今年のアカデミーの外国映画賞にノミネートされ
ている作品だ。東西冷戦終了間近の東ドイツの話で、たん
たんとした心理劇のような趣の中で役者の感情を抑えた演
技が見事だったな。糟谷は、ちょうどそのころベルリンに
行ってたんじゃないのか?あのころの東ベルリンはどーだ
ったんだ。行ったことがあるんじゃないのか?。
いずれにしてもオススメだよ。絶対観ればいい。
その話がきっかけとなって、初めていったベルリンの思い
出に話が盛り上がったが、つい飲み過ぎて、翌朝目覚めた
ときは、昨夜はおおいに盛り上がったが一体ナンの話で盛
り上がったのかは忘却の彼方であった。
なんだったっけかなあ・・・頭をぼりぼり掻きながらのそ
のそと起きだし、シャワーを浴び、家を出るころにはその
こと自体も置き忘れたように忘れてしまった。

2回目はつい先日のこと。Bに用事があってバーを訪ねる
と早い時間でもあって客は誰もいなかった。ボーカルこと
大野君と昨年亡くなった中学の同級生のKの墓参りに岡崎
に帰ろうと決めていたのに、双方ナカナカ時間があわず今
もって帰る日が決まっていなかった。ぐずぐずしてるとい
つまでも決まりそうもない。その日程を決めようと大野君
に電話をかけると世田谷にいるが飯を食ってないから今晩
飯でもどーだと言う。どこにいる?なに?キッドか・・・
まあいいや。隣の牛の蔵で飯でも食おう。じゃあキッドに
行くよと電話が切れた。
大野君が来るが、キッドかァ・・と云ってたぞとBに言う
と、実は先日大野君と大もめに揉めたというではないか。
もうしばらくは顔出さないと云って帰ったんだと言うから、
なんで揉めたんだと聞くと、
「それが・・・揉めたことは憶えているんだがナンで揉め
 たかは忘れちゃったんだよ。ヘヘヘ・・」
と、苦笑いしながら頭をぼりぼり掻いている。
よくあるよなそー云うこと。俺はナニナニ。Bはこれこれ
と忘れちゃったこと話をサカナにビールを飲んでいると、
「女には男が浮気をしたことについての記憶とその時の自
 分の感情に時効はない。女は二度と忘れないものだ。
 よって、今の二人がナンボ平和であっても俺たち男は、
 これからの人生を償いの気持ちで生きないとイカン」
とBが云うから、
「女には忘却の彼方という言葉は存在しないか。うん。
 肝に銘じるべきだな。でも、もう手遅れではないか?」
「いやいや。忘却の彼方に押しやられることのない女の記
 憶を呼び覚まさないためには、償いのココロだ」
と明言するから、では新しい我らの人生に乾杯。このこと
は忘れないようにしようと云うと、Bがまさかあれは忘れ
てはいないだろうなァと自分は大野君と揉めたネタを忘れ
てしまっていることを棚に上げたように言う。
なんの話だ。ドイツ映画だよ。となって1週間前にナニで
盛り上がったかを思いだした。今朝はその映画を観てきた。

小さな劇場だから朝一といっても油断するな。とにかく早
めにチケットを買うことが肝心だぞとBに云われていたと
おり、開演30分前に劇場に着いたというのに切符売り場
には行列ができていた。列の中には若い人もいたが、その
ほとんどが50代60代の人々だったことに驚いた。
最近公開される映画は、若い青少年の男女の恋の物語的な
ものがおおく、また、ハリウッド巨大資本のアクション&
アドベンチャーものが多く、映画全盛期に青春時代を過ご
した年季の入った方々にはそういった作品にはココロを牽
かれないものだ。なにしろ不朽の名作と云われる「エデン
の東」やら「ひまわり」などという作品を感受性の一番強
いころに観てしまっているからなあ。それだけに、こうい
ったシブイ(この言い方も死語だけど)映画を見抜く力は
有りと見た。
隣に座ったかってのお嬢様3人組もおしゃれをして朝から
映画を観にきていた。開高健と吉行淳之介が対談で酔っぱ
らいながら大年増の定義をしていたが、まあ、そういった
妙齢のご婦人方に挟まれて映画を観た。
映画は1984年の東ベルリンから始まる。84年と云え
ばわたくしが初めて西ベルリンを訪れた時期とほぼ重なる。
レコーディングの休みの日にはベルリンで知り合いになっ
た人達にあちこち連れて行ってもらったが、時にはチェッ
クポイント・チャーリーというアメリカ軍が管理する検問
所を通って東ベルリンも訪れた。わたくしたちは素通りす
る観光客として社会主義政権下の東ベルリンの街を嬉々と
して歩き回り、食料品屋にパンを求めて押し黙って並ぶ市
民の姿を遠くからながめたが、東西冷戦下の緊張感という
ものは感じなかったし、そんな知識もなかった。あのころ、
東ドイツがこのような政治状況下で思想管制がひかれてい
たのかということをこの映画で初めて知った。

Bの云うとおり「善き人のためのソナタ」はすばらしい映
画だった。忘れることのできない記憶の中に生きた人々が
しっとりと描かれていた。償いの人生を再スタートする俺
たちには忘れられない映画となった。
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by kasuya_senji | 2007-02-21 16:08 | Comments(1)
春の雨の日の悩み
2007年2月20日

朝から会議があって、昼過ぎにデスクにもどりメールの
チェック。相変わらず入ってくるメールの半分以上が違
法サイトからの甘〜いお誘いメールである。
○写真だけのクラブです。
○男女の絆。
○貴方に会えませんか。などはおとなしい。
●淫乱そっくりさん。
●拷問診察室美少女クリニック。
●ハメハメ痴漢電車。
などと放っておけばどこまでもエスカレートする。
朝一番でやる仕事はなんですか?と問われれば、違法H
メールの削除から1日が始まると答えても間違いではな
いのが腹立たしい。削除済みメールが1週間で1000
件も溜まっていくのだからタマリマセンなあ。
社長室のGさん(爺さんではない)は、会社のPCに送
られてくるメールは、いついかなる時でもチェックでき
るよう携帯にも転送されるようにセットしているから、
昼だろうが夜中だろうがエロサイトからのメールが山と
入ってくるのだそうで、これは一種の公害です!と憤慨
しております。
そしてこういった事を書くと、どこでどう調べるものか、
エロサイトとか淫乱××などという言葉に反応してブロ
グにどっとトラックバックやコメントの書き込みが増え
るのも、その仕事熱心振りに呆れかえりますよ。

そういう便利なシステムを考案できるアタマがあれば、
もっと他のことに知恵を使えばいいのに。もったいない
話だとぶつくさ言いながら、迷惑メールを削除し終わっ
て新聞を手にとると、麻生外務大臣が国会衆院第一委員
会で答弁している写真が載っていた。アメリカ下院に提
出された「慰安婦問題をめぐる対日批難決議案」に不快
感を示している写真であった。
その顔が、若々しく誰かによく似ていた。
誰だっけ?・・・・
そうだ!スピードワゴンの井戸田さんだ。
見れば見るほどそっくりである。4本のテレビ番組のレ
ギュラーを持ちスポーツ新聞にも連載のコラムを持って
いる売れっ子である。女優の安達祐実さんと結婚したス
ピードワゴンの井戸田さんといえばお分かりか。
と、ここまで書いて、どうして俺はスピードワゴンの彼
を、「井戸田さん」とさんづけしているのだろうかと思
った。
答えは簡単で、人を簡単に呼び捨てにするのはイカガか
と思っているからである。必ずしもではないが、たいが
い司馬遼太郎さんとか藤沢周平さんと「さんづけ」で呼
んでいる。それが礼儀でもあるとの思いでそうしている
のだが、果たして、その呼び方と云うか書き方は正しい
のであろうか。

例題として2つの言い方を並べてみる。
(1)レコード協会の○○会長はこう語った。
(2)レコード協会の会長の○○さんはこう語った。

(1)は客観的事実としての○○会長であり、(2)は
まるで○○さんが自分の知り合いのようである。
小泉首相とは誰でも言うが、小泉さんと言ったらなんら
か小泉首相の関係者でもありそうである。
郵政民営化解散などというバカなことは止めなさいと口
説いた森喜朗は「小泉さんが言うことを聞いてくれない」
と記者団に語ったが、この「さん」付けは同じ派閥に属
した政治的朋友という関係性の近さならではのことだろ
う。

ひょっとしたら、呼び捨てにするのは礼儀としてイカガ
かという考えはあるものの、俺は司馬遼太郎や藤沢周平
の知り合いで居たかったという気持ちがあって、司馬さ
んとか藤沢さんとか言っていたのではないだろうかとの
思いは否定できないのである。
丁寧な言葉を使うのは大変よろしいことで、できるだけ
乱暴な口をきくのはよそうと決めているが、すでにその
名前がただの個人の固有名詞であることを超えて社会的
な普通名詞にまで昇華している人々の呼び方については、
再考する必要がありそうだな。

麻生さんの写真は井戸田さんにそっくりだったよ。
麻生と井戸田はそっくりだ。

上は知り合いでもないのに勝手に知り合いチックだし。
下はエラソウな不遜な態度が見え隠れする。
いやいや。日本語はこういうところがムツカシイ。
この点に、我々の使っている日本語という言葉に、深く
掘り下げ悩みたいところだが、その点、なにも悩まずい
きなり「ハメハメ自由よ」と妙に的確な表現でメールが
送られてくるとネットワークの恩恵がこれでいいのだろ
うかと又悩んでしまうのである。

PS。
Gさん(爺さんではない)は、だいたい、去年、博多に
ついてのブログでソープランドと書いた瞬間からそっち
系の書き込みが増えたんですと言ってましたが、英語で
くるお誘いメールはなんに反応しているんだろう。
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by kasuya_senji | 2007-02-20 16:40 | Comments(0)
職人人生
2007年2月18日

仕事と云えるものかどうかはいささか疑わしいものである
が、わたくしの初めての仕事はペンキ屋であった。小学校
の5年生の夏だった。

実家の3軒ほど隣にペンキ屋があって、数人の職人を使い
仕事をしていた。わたくしの田舎の愛知県岡崎には、かっ
て繊維業界はなやかなりしころには紡績工場もあり、その
下請けの個人経営の工場もあり、また、トヨタ自動車の下
請けのベアリング工場や電気部品工場もありと工場がいく
つもあった。
盆休みは、それらの工場の稼働が止まる。その時期を利用
して、工場から柱や工体の鉄骨の塗り替えの受注があり、
盆休みはペンキ屋のかき入れ時だった。
盆休みは、ほとんどの工場が同じ時期だから、かってその
ペンキ屋で職人をしていて、今は独立して親方と呼ばれて
いる人もかき集められ、また、全国を歩いて仕事をしてい
る流しと呼ばれるフリーのペンキ職人もかき集められ、人
々が海へ山へと行楽に出かける盆休みの時期には、そのペ
ンキ屋に15人くらいの職人が集まり、通いの職人以外は
泊まり込み、朝から晩までワッショイ・ワッショイのかけ
声が町内中に響き渡るほど多忙を極めていた。
工場の塗り替えは何年かに1回で毎年行われるわけではな
いが、それでもこの時期は注文をさばききれないほど大小
も含めいくつかの工場から注文がきて、途中まで塗り替え
たところで盆休みが終わり工場は再稼働するが間に合って
ない、というクレームも必ず数件あった。
夏の時期は学校も休みで、学校からも注文がくる。学校か
らの注文は、校舎の土台のコンクリート部分にあるちいさ
な通風口にはまっている鉄の桟の塗り換えといった仕事で
とてもそんな現場に職人をまわす余裕などない。
そんな仕事は、ペンキ屋の中学生の長男とわたくしと同い
年の小学生の兄弟が、自転車の荷台にペンキや刷毛やペン
キを溶かすシンナーを乗せ現場に行き、塗り替えをやらさ
れていた。

友達とプールで遊んで家に帰ると、おふくろがペンキ屋さ
んのがお前にたのみたいことがあると言ってるから行って
こいと云う。行ってみると、近くの中学校の通風口の塗り
替えをやるのだが、Yちゃん(同級生)が風邪をひいて寝
込んじゃってるから明日から3日間くらい手伝ってくれな
いか。あんまり渡せないけど小遣いは出してあげる。おか
あさんには話して了解を得てるから頼むよと云う。
小学生がバイトして先生に叱られないかと思ったが、同級
生のYちゃんは家の仕事の手伝いをしてエライと先生が云
ってたし、わたくしの実家がそのころ駄菓子屋をやってい
て、欲しいお菓子は家にあるものを食えと云われ小遣いと
いうものをもらったことがなかったので、コヅカイという
フレーズが新鮮で、母親がいいと言っているならと引き受
けることにした。
ペンキ屋の長男の中学生のKちゃんに云われるとおりに通
風口にペタペタと黄色のペンキを塗った。はじめのうちこ
そ通風口の外側のコンクリートにペンキをつけてしまった
りしたが、そのうちにコツを覚えてペンキを外にこぼさな
くなり、ペタペタペタペタと要領よくやった。黄色だけで
ほかの色はなかったが、なんだか図画の時間のようでもあ
り、器物に落書きをしているようでもあり、やっているう
ちに楽しくなってきた。仕事をしているというよりペンキ
塗って遊んでいるようだった。しかも、塗るとはっきりと
きれいである。上手いねえなんて云われ得意になって塗っ
た。
次の日は、Kちゃんは工場の現場に連れだされたようで、
一人でやってくれといわれ、3日かかったが中学校の通風
口を全部塗り上げた。その時の小遣いは何に使ったかは憶
えていないが、よほどペンキ屋の大将に気に入られたよう
で、よほど自分でもペンキ塗りが気に入ったようで、高校
を卒業するまでの7年間。毎年夏休みにはペンキ屋で仕事
をした。
あの頃は、中学を卒業すると高校に行かず就職をする子供
もいた時代で、子供のような男の子が働いていても別に不
思議なことではなかった。中学生になると工場の鉄筋の工
体によじ登っては、鉄筋を塗るようになった。今では見つ
かれば不法児童就業などと新聞ネタになるのだろう。
高校生になると1人前に年期が入ってきて、たいがいの事
はできるようになった。明日の現場の職人さんの人数の手
配やら、新築の家の床のニスなども任されて塗るようにな
った。
大学に行くのかい。もったいないねえ。腕一本でいくらで
も稼げるぞ。いっそペンキ屋をやらないかィ。
と大将に言われたものだった。まさか、ペンキ屋の跡取り
ならいざしらず、たまたま小遣い稼ぎでやっていたにすぎ
なかったから高校を卒業すると大学へ通うために上京した。

その後、時代は変わり、あれだけたくさんあった工場は、
いくつかはなくなり、いくつかは別の町に移っていき、
建物自体の工法や修繕の方法も大きく変わり、かって盛況
だった盆休みのペンキの塗り替えは需要がなくなり、流し
という日本中を渡り歩く職人も世の中から姿を消し、その
ペンキ屋も大将が亡くなった後、廃業したという。
でもたまに、あのままペンキ職人になっていたらどんな人
生を送ることになったのだろうかと思い出すときがある。
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by kasuya_senji | 2007-02-20 12:16 | Comments(3)
餅と不信心
2007年2月16日

京都に行ったおり、是非訪ねてみたいと思いながら、
時間の都合がつかず断念したところがある。
大徳寺である。京における臨済禅の大本山だが、臨済禅
の大本山は、京都には大徳寺のほか、建仁寺。南禅寺。
東福寺。天竜寺。妙心寺がある。
それぞれの大本山については、司馬遼太郎さんの「街道
をゆく・大徳寺散歩」が分かりやすくおもしろいので、
以下孫引きする。

建仁寺。
鎌倉二代将軍源頼家の発願寺で、鎌倉末から室町にかけ
て建仁寺僧で中国にいく者がおおく、国際大学の感があ
った。今の祇園町のそのほとんどが元はこの寺の領地で、
京都人は、けんねんじと言わずケンネジさんと呼ぶ。

南禅寺。
その山門が芝居の石川五右衛門の舞台で有名。
「絶景かな絶景かなー」の見えを五右衛門はこの山門の
上で切る。この寺は総長を山内からえらばず全国的な規
模でひろくもとめたことにより、鎌倉から室町にかけ名
僧知識を多く排出した。

東福寺。
公家の保護をうけた禅寺である。それゆえ「東福寺の伽
藍づら」といわれたように、建造物がすばらしくりっぱ
である。豊臣秀頼に寄進された三つの橋廊があり、その
庭園の景観は見事なものである。

天竜寺。
足利尊氏が後醍醐天皇のご冥福を祈るために建てられた
寺で、室町幕府の官立の寺で、「天竜寺の武家づら」と
よばれたらしい。室町幕府の中国との天竜寺船による貿
易で得た金で建立がまかなわれたゆえ、天竜寺と名づけ
られた。

妙心寺。
宇田野の花園にある。14世紀の花園天皇によって建て
られた一寺がはじまり。戦国武将にこの寺に帰依する者
が多く、臨済宗にはめずらしく全国に末寺があり花園大
学を経営している。このためかどうか妙心寺は、「そろ
ばんづら」と呼ばれる。

大徳寺。
これらの寺と比べ、大徳寺の特長は大燈国師以来のきび
しい禅風をまもるべく、できるだけ世塵から超越してい
るところにある。ただ、東山・桃山時代以来、茶を通じ
てわずかに俗権とかかわりを持ち、千利休以来、茶道の
本山としても知られ、「大徳寺の茶づら」と呼ばれた。

さすが、こういった知識は、産経新聞大阪本社の文化部
の京都担当者として、京都大学の一部屋を与えられ、各
寺を取材しまくった元新聞記者司馬遼太郎の面目躍如で
ある。

あぶり餅屋の今宮神社も大徳寺とおなじ紫野にある。
わたくしは、司馬さんのこの本をポケットに入れ大徳寺
を訪ねるべく紫野まで足をのばしたのだが、小腹がすい
てしまってよゥ、ついとなりの今宮さんのあぶり餅屋の
行列に並び、30分も並び、きなこがまぶされた焼きた
てのあぶり餅をトローリと溶かした甘い西京味噌につけ
て2人前も食べているうちに、大徳寺の拝観時間がすぎ
てしまったのである。
しかし、西京味噌のあの濃い甘味は、味噌というよりも
練乳によく似ている。苺の上にかけても美味いんとちゃ
うやろか。
さて、大徳寺の拝観といっても、そのほとんどの庵や院
は創建当時のきびしい禅風の確立のために、門外からの
訪問者を拒絶している。ただこのときはなにかの記念で
あったのか、拝観拒絶の「真珠庵」が一般公開されてい
て、それをめざして紫野まででかけたというのに、焼い
た餅の甘い香りに誘われて、訪れる機会をなくしてしま
ったのだ。

十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんは
名所旧跡神社仏閣などをたずねて京まで珍道中を繰りひ
ろげるが、そこかしこの旅籠の飯盛り女とのいざこざや
遊里の女とのあれこれ話が入り交じり、二人のまるで信
心深くない態度はまことにはなはだしい。まあ、遊里は
ともかくも、わたくしも餅にさそわれ非公開の真珠庵を
見おとすなんて、弥次喜多となんらかわらない。
余談ですが、この弥次喜多はホモセクシャルの二人組だ
ったこと知ってましたか?知るわけないよねェ。
だってこの本については学校で習ったが、そこまでは教
えてくれなかったからねえ。ひょっとしたら先生も知ら
なかったりして。まあ学校で習うことはどんなに難しい
ことでも、あくまで基本だから、世の中は実践で覚える
しかないな。
と、大徳寺まで足をのばしたというのに、弥次さん喜多
さんかいわたくしは。これもまた珍道中というべきだろ
うか。
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by kasuya_senji | 2007-02-16 12:38 | Comments(1)
ゴヨウケンヲドーゾ・・ピー。
2007年2月15日

今日は携帯をどこかに置き忘れる心配はない。
なぜなら、携帯を家に置いてきてしまったからだ。
ひさしぶりに携帯を身につけないで朝から或る事務所で
打ち合わせをした。そこから同じ建物の中ではあるが又
別の部屋で打ち合わせをした。携帯が鳴らない。なにか
なにものにも縛られていない自由な感じがするのはなぜ
だろう。わたくしに用件のある人はそれはそれでいるも
ので、1回2回くらいは鳴ってはいるのだろうが鳴って
いるのは無人のわたくしの部屋で鳴っているのである。

タダイマデンワニデルコトガデキマセン。ゴヨウノア
ルカタハ、ピーットイウハッシンオンノアトニ、ゴヨウ
ケンヲオハナシクダサイ・・ピー。

と勝手に携帯が受け答えていることだろう。ご苦労さん
です。えらいやっちゃなとは思うが、携帯をどこかに置
き忘れた場合に、自分の携帯に電話をかけ、ある信号な
り番号なりをプッシュプッシュと指令すれば、

ダタイマデンワニデルコトガデキマセン。ナゼナラデン
ワノモチヌシガケイタイヲオキワスレテイルカラデス。
アトデカクニンイタシマスノデ、ゴヨウノアルカタハ、
ピーットイウハッシンオンノアトニ、ゴヨウケンヲオハ
ナシクダサ・・ピー。

というメッセージがいとも簡単に流れるというサービス
を電話会社は開発したら良かろうに。そうなれば携帯
はもっとえらいやっちゃ。
携帯が1億台を超えて普及している。赤ん坊以外は老い
も若きも誰も携帯を持っている勘定になる。
クセのひどい奴ひどくない奴と忘れ癖の程度に濃淡はあ
るだろうが、1億台もあれば仮に1%としても携帯の忘
れ物は1日あたり100万台にも上ると予想される。
もうそろそろ、こんなサービスが開発されて欲しいとこ
ろである。
電話会社のあたらしいサービス提供競争はあくまでも使
用料の増加を計っているに過ぎない。携帯持たないのは
日本人じゃないねと云っても過言ではないほど日本人は
携帯を持っているのだから、持っている人に対するリス
クマネージメントのあり方にも配慮すべきじゃないの。
と、携帯を忘れた自由人は思うのである。

PS:自由人くんへ。
   我が社の携帯電話好きのMさんから、そういった
   サービスはすでに始まっている。と聞かされたぞ。
   人生幸路師匠のようにボヤいてばかりいないで、
   使い方を勉強せんかい。とご注告があった事を追
   加しておきます。すんまへん。すんまへんってか。
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by kasuya_senji | 2007-02-15 14:50 | Comments(0)
梅一輪二輪
2007年2月14日

本箱の前を行ったり来たりしながら或る本を捜している。
高さ2メーター。横幅6メートルの本箱には約1200冊
の本が並べられているがそれでも収まりきらない。収まり
きらない本は、並べられた本の前にさらに横積みにして置
いてあるので、後ろに並べられた本の背表紙が隠れてしま
っていて、時に、簡単に本を捜すことができない。整理整
頓のための本箱の機能を果たしていないのではないか。
ただの大きな本の物置と化しているのではないか。
その上にまた、本箱に横積みされても尚収まりきらない本
は、デスクの上、ソファーの隅、テーブルの上、サイドボ
ードの上などにも山と積まれていて、捜査をさらにややこ
しくしているのである。

本の捜査をあきらめて新聞を手にすると桃の花が満開とい
う記事と写真が目についた。
桃の花はこの時期だっけ?
確か桜の花の前後だったはずだよなあ。
かって箱根の彫刻の森美術館の副館長を務めたHさんの田
舎が山梨で、桜見物するより桃見物の方がすばらしいぞ。
勝浦の先の見わたす限りの桃畑がピンク色に染まるのを見
れば、古代中国の人が名づけた桃源郷、まあ言ってみれば
ヘブンだな、それをこの目で見ることができる。案内して
やるから一度見に来い。と言われたことがあった。確か桜
の前のような後のようなことを言ってた記憶があるが・・
いずれにしても2月ではない。とよく読むとハウスの中で
育てられた桃の木で、この暖冬で梅より一足早く満開だと
いう。確かにHさんのご高説どおり、桃の花はピンクに咲
きみだれハウスの中はミニ桃源郷で、一緒に写っている子
供たちの嬉しそうな表情から嬌声まで聞こえてくるようだ
った。

そうだ。そうだ。何を捜して本箱の前をうろうろしていた
かというと、忠臣蔵関係の本を捜していたのである。ただ
し忠臣蔵といっても大石内蔵助や四十七士のことではない。
浅野内匠頭の妻の瑶泉院のことである。梅のことである。
瑶泉院。
名は阿久里(あぐり)。夫の死後、落飾して瑶泉院と称し
た。赤穂浪士が吉良を討ち取って幕命により切腹したのち、
夫の菩提を弔い13年後の正徳4年、浅野家下屋敷で死去。
享年41才の若さであった。
捜している本には、もう少し彼女のことが詳しく書かれて
いたが、本が見つからないのでこのあたりにしておく。

葬られたのは夫内匠頭と同じく江戸高輪泉岳寺であるが、
泉岳寺には、瑶泉院が愛した手植えの梅の木が浅野家下屋
敷から移植されている。そして300年の時を経てなお現
存している。この小さな梅の古木は2本あり、毎年春にな
ると可憐な紅梅白梅を今でも咲かせるのである。泉岳寺に
は討ち入りの12月14日ではなく、いつもこの梅の花が
咲く時期に行くことにしている。

内匠頭の辞世の句。

風さそふ花よりもなお我はまた春の名残をいかにとやせん。

この歌に寄りそうが如く春の名残を惜しむよう咲く梅の花
を見に行くのである。
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by kasuya_senji | 2007-02-14 18:50 | Comments(0)

 
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