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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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行方不明
2007年4月28日

そういえばあの本はどこにいってしまったのだろう。
親父に見せたら面白がったから、預けるよと預けっぱな
しになっているが、実家に帰ってもそのありかは判然と
しない。
いつだったか、そろそろ返してくれないかといったこと
があるが、どこへ置いたものかなーととぼけられてしま
って、結局そのままになっている。おふくろに聞くと、
きっと返したくないんじゃないのとのことだったから、
すでにあの本は親父のものになってしまっていると考え
たほうが良いのだろうか。

25年ほど前のこと。
コンサートで訪れた大阪の心斎橋のたもとにあった古本
屋でその本は見つけた。なぜかドラムの高橋マコトと一
緒に昼飯に出かけ、南の周防町筋を入った明治軒でオム
ライスと串揚げを食った。この店のオムライスは一度食
べると忘れられないというオムライスで、このオムライ
スを食いに東京からわざわざ心斎橋までやってくる客が
いるといわれるくらいのオムライスである。その名物オ
ムライスを食って、心斎橋筋を長堀橋にむかってブラブ
ラと歩き、コーヒー飲んだりゲーセンによったりして時
間をつぶし、そろそろホテルに戻ろうかとタクシーを拾
いにでたその道の角で古本屋につかまって、ふらふらと
店に入り、その本を見つけた。
その古本屋は今はなくなってしまったけれど、その当時
もいかにも売れそうもない本ばかり置いていて、これじ
ゃ商売にならんやろうと見るからに流行っていない古本
屋だった。まあ、流行っている古本屋なんて神田古書店
街以外では、そうそう見かけたことはないけどね。
で、古本なんてまったく興味がないマコトを外に待たせ、
店のオヤジと、物知り顔でこの本はあれだねオヤジさん、
この本は意外とあーじゃないのかねオヤジさん、などと
オヤジの古書に対する真贋の目を探り入れつつ、すこし
づつその本に近づき、こりゃまたきたない本だねえ、今
時こんな本置いといても商売にならんでしょう。と言う
と、オヤジは、その本は商売にならんでもええですわと
言った。客も入らんような店だからそろそろ店じまいを
しようとも思ってるが、店の本は全部処分してもこの本
だけは手元にのこしますがな。と、こちらの欲しがる様
子はお見通しだぜとばかりのセリフを吐いた。
イカン。負けそうである。それでも、こんな本を買う奴
は俺ぐらいしかいないよ。しかも、汚れているし、隅も
ほころびてるじゃないか。オヤジさんいくらで手に入れ
たか知らんが、まさか、買い手がつかなくてもいいと思
って買ったわけじゃないでしょう。この本を面白がる人
間が何処かにいると信じて買ったんでしょう。店をたた
んだら自分で引き取るなんてことはやめましょう。その
人間がこうして現れたんだから。で、いくらにしてくれ
んの?
あーでもないこーでもないと値段交渉の末、オヤジがこ
んな値段じゃ買値より安いよと半べそをかいたような顔
をするけど、じゃあ売らないとは言わないから、きっと
あの顔は演技だろうと、さらに一押しして3万円で買い
おとした。さて、金を払おうとすると足らないではない
か。外で、まだですかー。もう帰りましょうよとさっき
から叫んでいるマコトから金を借り、待たせたあげくに
借金ですかァ・・と機嫌をそこねたマコトの機嫌をとり
つつ、手に入れた本である。

こんど岡崎に帰ったときにはちゃんと取り返してこよう。
本は、空海が最澄に出した手紙を写本した「風信帳」。
昭和初年の初版本である。体裁は、単行本のようではな
く、お経のように次から次へとひらいていく。
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by kasuya_senji | 2007-04-27 19:41 | Comments(0)
酒解禁
2007年4月27日

このあいだよゥ。風邪ひいちまってよゥ。朝起きたら咽
が痛んでヤンの。咽ちっても咽じゃなく、その下の気管
支が痛いんだよ。咽から肺にかけてな。あんまり痛いん
で肺炎になっちまったかと思ったぐらいだったよ。
で、咳はコンコンでるし、そのうちゴホンゴホンと本格
的になってよゥ。けっこうきつかったっス。こりゃ二日
三日寝込むかなと思ったんだがよう、熱はないんだなこ
れが。熱がないんで頭もぜんぜん痛くなくって、食欲も
ぜんぜんあってなあ。話は変わるけどよゥ。全然とあっ
てが続くとヘンだねェ。本来、全然は否定形の前置詞じ
ゃなかったっけ。違ったっけ? ええ? なに難しいこ
といってるんだってェ? いや、これでもよゥ。最近の
日本語の乱れについてはワシは嘆いておるんじゃよ。な
んてまあ、じいさん言葉使うことはないけどョ。
そうだそうだ風邪の話だった。で、その日は風邪だから
いちおうおとなしくしてたのョ。酒も煙草もやりませー
んってね。咽が痛くても扁桃編じゃないんだから、物を
呑み込むのは苦にならないんだけどよ。いちおうあまり
固い物はくってはならんやろと、うどんを食ったんだよ。
昔、風邪で咽が痛い、物を呑み込むのもしんどいって奴
がいたからよ、だからといってくわないと体力が落ちる
ばかりだぞ、消化が良いうどんをくいたまえ、つるんと
飲みこんじまえばいいんだから。と、うどんをすすめた
らよゥ。その野郎、栄養もつけましょうと天ぷらうどん
をくったのはいいけれど、エビのしっぽが大好きな野郎
で、しっぽくったときに咽にキズがついちまって、オオ
ゴトになったことがあったからよゥ。そんな馬鹿やって
られませーんと素うどんをくったさ。
ホいえばよゥ。うどんといえば鶴屋なくなっちまったな。
ある夕方、うどんでもくうかと店に入ったらよゥ。店の
オヤジと弁護士みてえな奴がなにやら話し込んでてよ。
うどん屋のオヤジがなんでまた弁護士に用事があるんか
い? まさかあの年で離婚でもないだろうが。しかも、
おっかあは、オメエ見たこと無いだろうけどかなりの大
年増だよ。そんな色っぽい話じゃねえだろうがなんだろ
なと思ってたがよゥ。しばらくしたら店が取り壊されて
よゥ。ありゃ、立ち退きの相談だったんだなって後で気
がついたのよ。

あの店は前々から立ち退き話があったサー。あの近くの
工事現場で働いたとき、あの店で昼飯くったことあった
サー。蕎麦はイマイチだったけど飯ものはうまかったサ
ー。カレー丼。カツ丼。たぬき丼をいつもくったサー。
で、工事現場仲間がそろそろ立ち退きだから、ひょっと
したらここでも仕事があるかもなって云ってたサー。
そういえば、ワタシの知り合いのKさんの沖縄の家も立
ち退いたサー。海辺の家なのに前にマンションが建って
海が見えなくなってしまって、どーしてくれるんだーっ
て怒ってたから不動産屋がじゃあ買い戻しますよって話
がついたサー。コリャめでたい話なんだけど、5年もか
かったって云うから、南の国はのんびりサー。あれ? 
ところであんた、ホッピー飲まないのかい? どこか具
合でもわるいんサー?

だ・か・ら。風邪ひいちまってたといったろう。人の話
聞いてないんかお前さんはよゥ。で、そのうち声が出な
くなってきたんだよゥ。低い声は、アーアーってでるん
だけどよう。高い声はひゅーひゅー言っちゃって声にな
らないっちゅうの。おめえも知っての通り、俺はカラオ
ケじゃ界隈で鳴らしたじゃんか。井上陽水なんかもレパ
ートリーでよゥ。そのハイトーンがステキって、俺が歌
えば店のばばあ共が狂喜乱舞の下町の隠れたスーパース
ター。その俺が、森進一しか歌えなくなっちまうんじゃ
ないかと心配になってよう。森進一だけじゃ川内康範大
先生から文句がくるど。またまた、話かわるけどよゥ。
この間、テレビでみたんだけどな。政治家の亀井静がよ
う。ナンデか知らんがレコード吹き込んでたのよ。これ
が、川内大先生の曲でな。亀井ちゃん巷じゃウマイらし
いがプロからみればただのド素人。何回歌っても川内先
生苦虫噛みつぶしたような顔しちゃってよゥ。しまいに
ゃ亀ちゃん「もうこのへんでかんべんしてくださーい」
て泣きが入ってよゥ。90も過ぎて現役だと貫禄ありま
くりだなあー。まあ、俺には川内せんせは月光仮面だけ
どよゥ。ホンダ・ドリーム号。股間もっこしのタイツっ
ちゅうか股引っちゅうか、あのかっこ悪い格好がなんて
かっこよかったんだろーなー。おうおう、少年ジェット
もかっこよかったなあ。仮面ライダーなんて怪獣もんだ
から全然ピンとこないぜ。おお、このフレーズは正しい
前置詞の使い方だったな。

あんた喋りまくってるけど咽は大丈夫なんサー。声がで
ないでない言ってたけど、なーんも問題ないようじゃな
いサー。

ばらしちゃうとよゥ。べらべらべらべらしゃべってるよ
うだけどよ。これは、書いてるだけだからいくらでもい
けるんよ。おい、このことは内緒だぜ。でまあ、医者に
行ったら声帯もイカレチャッテルからしばらくしずかに
してろって言われたんだが、やっとまともに話せるよう
になってきたんよ。でも、しばらく酒も煙草もやってな
かったからョ。今夜から解禁よ。またせたねゲンちゃー
ん。ホッピーくんな!泡盛もくんな!派手にやろうぜィ。
そうだそうだ。トベちゃんのかみさんが手をつないでる
のはどーして? ってアメリカのメディアに聞かれたと
きよゥ。クリントンとヒラリーがいつも手をつないでい
て、それがステキだったからです。でもワタシはいつも
主人の2歩3歩後ろをついていってるつもりですって答
えてたけど、それを聞いたトベちゃん、気持ちはそうか
もしれないが、実際はそうではありませんってポロっと
言ってたのが、気の毒で可笑しかったョ。いつもはボロ
クソだけど、トベちゃんも可愛いとこあるじゃないか。
では、訪米成功を祈念して、ホッピーで乾杯!っと。
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by kasuya_senji | 2007-04-27 15:30 | Comments(0)
本名桃子
2007年4月25日

沖縄から帰って、東京に落ち着く暇なくひさしぶりに岡
崎へ帰った。名鉄東岡崎駅に着くと、姪っ子のM子が車
で迎えにきてくれた。M子は去年結婚したばかりの新婚
さん。
「亭主をほったらかしにして俺なんか迎えにきていいの
 か?まさかお前さん。うまくいってないって悩みを俺
 に相談しようって腹じゃないだろな?」
もしそうであれば、可愛い姪っ子の相談に乗るつもりの
冗談でもあったが、そんなことはなくラブラブだと聞い
て、ご馳走様です。そんな状態はいつまでも続きゃしな
いぞ。こころして人生を送るべし!などとの人生訓は説
教じみてて余計なお節介とみたわたくしは、実家に着き、
ではサヨウナラ、じいちゃんばあちゃんによろしくとい
って帰って行った姪っ子に、お前さんの素敵な亭主によ
ろしくなと愛想のひとつも言ったのであります。

実家に帰ると、犬のチッチがキャンキャン吠えたてなが
ら歓迎してくれた。この犬は10年ほど前にM子の母親
(わたくしの妹)が友人のブリーダーから、売れ残った
んでもらってよとひきとったマルチーズで、トイレの躾
もよく、愛想も良く、近所の猫とも仲良しでとても可愛
い犬だが、うれしがるとキャンキャン騒ぎ立てるのが玉
にキズ。名前は桃子。もらわれて来たとき、まだ生まれ
たての赤ちゃん子犬で白い毛の下の肌がきれいなピンク
色をしてたから桃子と名づけられたが、小ちゃかったか
らチビチビ。それが訛ってチッチと呼ばれ、今では誰も
本名では呼ばない。シャンプーに行くと、糟谷桃子ちゃ
んですねと、そのときに本名は呼ばれるのみである。

こいつをつれて散歩に出た。こいつのボスは親父である
が、今日はわたくしがボスであるから、親父の散歩コー
スとは別の道を行った。勝手が違ってるようで、しきり
にいつもの散歩道に戻りたがるが、まあまあまあとなだ
めすかし、子どもの時分によく学校の仲間と遊んだ公園
まで出かけた。誰もいないと思われたその公園にも犬の
散歩に出ている人がちらほらといて、たまたま見かけた
犬はシェパードであったり、何犬か知らないが大型犬で、
近づくと我が家のチビ犬はあっと云う間に食われてしま
うんじゃないかと思ったが、どの大型犬も躾がよく愛想
がよく、心配するには至らなかった。公園でうんちをし
たから拾ってプラスティック・バッグにつめると、通り
かかった清掃車のおやじさんが「はいー。それもらって
くよ」と車の後ろのゴミ取り入れ口に放り込んでくれた。
翌日もこいつを乗せて本屋まで車で出かけた。新装開店
したばかりの気持ちの良いきれいな本屋で、田舎の書店
にしては品揃えも多く、つい長居したようだ。何冊か買
い入れ、車に戻るとやはりひとりぼっちは心細かったか
帰りは膝の上に上ってきた。運転しずらかったが、甘え
る仕草が可愛くて、頭をなでなでしてやりながら家に帰
った。

親父が入院していて、ボスが居ないチッチは見るからに
なにか淋しげで、いかにもひとりぼっちのような感じだ
った。寝るときは布団にやってきて一緒に寝た。
寝返りをうつとキャン!といって逃げていったが、しば
らくするとまた布団に戻ってきたようで、朝目覚めると
枕元で寝ていた。そうして桃子と2日を過ごし、親父の
代わりのボスをやって、東京に帰るときは、キャンキャ
ンと鳴くものだから、いっそ東京に連れていこうかと思
ったが、それではオフクロがひとりになってしまう。
じゃあまた来るからなと家を出たが、クーンクーンと泣
いてた。東京に帰ってから、おふくろにチッチはどーし
てる?と聞くと、ジイチャンもいないし、お前も帰っち
ゃったから、玄関で誰かが帰って来るのをじっと待って
るよとのことだった。
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by kasuya_senji | 2007-04-26 11:00 | Comments(1)
沖縄紀行ー3
2007年4月20日

14日の土曜日は恩納村(オンナソン)にある「かりゆ
しリゾート・ビーチ&スパ・ホテル」を訪ねることにし
てあった。
同行のK氏は、経済産業省からの、
「音楽におけるインディーズ・シーンをビジネスとして
 発展させていきたい。ついてはライブイベントを企画
 していただけないか」
という依頼に音楽制作者連盟が応え、理事であるK氏を
プロデューサーとして任命し、3年間に渡って開催され
た音楽イベント「インディペンデンスーD」を成功に導
いてきた人である。また同行のO君は事務局の担当スタ
ッフとしてK氏と2人三脚でそのイベントを支えた人で
ある。
インディペンデンスーDは3年間の成果を見て、一旦終
了したが、このイベントに参加した国内のレーベルはも
とより海外のレーベルからも再開を求める声が多く、K
氏は「インディペンデンスーD」を将来は、アメリカ・
フロリダ州オースティンで毎年開催される世界最大のイ
ンディペンデント音楽イベント「サウスバイサウス・ア
ジア版」として発展させることができないものかとの壮
大な思いを強く持っている。その彼の、
「アジアのハブとして、その音楽イベントを沖縄で開催
 することができないか」
というアイデアに基づき、会場視察や音楽や行政の関係
者との会合を持つことも今回の沖縄紀行のもう一つの目
的だった。
それだけではなく、イベントに伴い国外県外から来訪す
る人たちが宿泊するホテルの視察も沖縄紀行の大事な目
的で、今回はエンターテイメントに非常に理解が高い
「かりゆしリゾートホテル」を訪ね、世界一透明度が高
いと云われる海を見下ろすこのホテルで、アロハシャツ
や半ズボンなど履いちゃって、リラックスしながら沖縄
通のK氏おすすめの泡盛を飲みしながら総括したのであ
る。

なぜ、このホテルを知っているかというと、オーナーの
T社長を東京で紹介されたからで、それで、このオーナ
ーがエンターテイメントに理解が高いことを知ったので
あるが、紹介してくれたのは、日本ハムのキャッチャー
だった元プロ野球選手のOさんである。
Oさんはわたくしと同じマンションの住民で、子供が小
学校の同級生であったこと。Oさんの田舎がわたくしと
おなじ岡崎であったこと。男同士で気があったこと。で、
町内の友人として飲み仲間のつき合いである。
Oさんは、日ハム時代毎年キャンプで沖縄の名護を訪れ
沖縄には友人知人が多いが、Oさんが野球選手を引退し、
コーチとなり、フロント入りし、そして野球界から引退
し独自で会社を立ち上げた時も、変わらず応援し支援し
てくれたのが、かりゆしのオーナーのT社長。今回の沖
縄紀行にはOさんも東京から同行してくれていた。かり
ゆしリゾートを訪れた我々をT社長も那覇から駆けつけ
てくれ、かりゆしリゾート自慢のフレンチに招待いただ
き、ソムリエのすすめるワインも素晴らしく、たのしい
夕餉を共にさせていただいた。
Oさんの野球選手時代のエピソード、特に真っ先に駆け
つけたという(バッターに一番近いキャッチャーだから
あたり前であるが)乱闘シーンでの活躍劇はおおいに盛
り上がったが、Oさんの「ポンポンポン」というエピソ
ードは圧巻で、しばらくはT社長、K氏、O君、わたく
しの4人は笑いが止まらず、あまりの可笑しさに腹は痛
いし涙まで出てくる始末だった。紹介当初は、Oさんの
その身体のデカさとかってのプロ野球選手時代の武闘派
のコワモテぶりの風貌に引きに引いていたK氏もいっぺ
んでファンになったようだった。
T社長とOさんにお礼を述べて部屋にもどった我々3人
は、またわたくしの部屋に集まり、K氏は泡盛オンザロ
ック、O君は泡盛水割り(よく飲むね連中は)わたくし
は酒は十分飲んだからミネラルウヲーターで部屋飲みし、
旅の最後の総括をし、沖縄紀行は終了した。風が暖かか
ったから窓を開けて寝た。カーテンが風にゆったりと揺
れ、遠く潮騒の音がした。
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by kasuya_senji | 2007-04-25 15:37 | Comments(0)
沖縄紀行ー2
2007年4月19日

那覇市内には、50人とか100人を収容するちいさな
ライブハウスはある。また、一気に1000人を収容で
きるライブハウスもあったが、そこはライブハウスと云
うよりも、元ディスコであった場所をライブ会場として
も使えるというただだだっ広いだけの場所で、ライブを
やるには適しているとはいえなかった。しかも、照明や
音響設備もなく経費も掛かるので採算性に乏しく、10
00人の客を集められるなら、古い会場だけど那覇市民
会館でコンサートをやる方が経済的には利口である。
しかし、最近の若いバンドは市民会館などの大ホールで
演奏をすることを嫌っている連中が多い。沖縄から出現
した若きスーパーバンド「モンゴル800」も、ライブ
ハウスバンドと自称していて、客席がある県民会館や市
民会館でコンサートをしたがらない。解散してしまった
がイエロー・モンキーもそうだった。ハイスタンダード
もそうだった。若いバンドは、スタンディング・ライブ
で客との一体感を感じるそこにカッコよさを求める傾向
が強い。そんな現状の中、ちゃんとライブができ、30
0人ほどを収容するライブハウスが待ち望まれて久しか
った。4月13日にオープンしたライブハウス「桜坂セ
ントラル」は300人ほど収容できるライブハウスであ
る。
13日当日の5時から行われたレセプション・パーティ
ーには地元の方々が多く参加していた。普通、新装開店
のライブハウスのお披露目会には、レコード会社のディ
レクターやプロダクションのマネージャーやコンサート
イベンターやらが大勢顔を出し、会場は音楽関係者でご
った返すものだが、このパーティーは様子が違っていた。
パーティーに参加した地元の方々というのは、桜坂の町
内会会長さんとか応援をしてくれたオリオンビールの社
長さんとかこのあたり一帯の地面の地権者の方とか、そ
ういった人々である。いわゆる音楽関係者ではなかった。
なぜそういった方々がレセプションに参加しているのか
という理由はN君の説明によると、このようなことであ
った。
まず、ライブハウスの前の道が、混雑する国際通りから
の抜け道になっていて、ひっきりなしに車が通行してい
るが、その道自体は狭い道である。また、ライブハウス
のその先には大きな駐車場もあり車の流れが途切れない。
ご存じのようにライブハウスの終演後は一気に300人
が外にはき出され、ドカドカと出て来きた人でライブハ
ウスの前の道は人だかりで凄いことになる。そしてそこ
は車がひっきりなしに通る狭い道である。
「道に立ち止まらないでくださーい」
「車が通ります。道をあけてくださーい」
と、係員が開演前や終演後のお客さんに大声で叫ぶのは、
渋谷でも下北沢でもライブハウスのお馴染みの光景であ
る。桜坂でも、若者があふれるのは大歓迎だが交通事故
はあってはならない。その対策に協力してくれるのが地
元の人々である。
また、ドアの開け閉めで当然ライブの大音量がもれるこ
ともあるだろう。音がもれたりすれば近所迷惑である。
桜坂があたらしいライヴハウスの開店で、かってのよう
に若者があふれ再発展するのは町内としても大歓迎だが、
いずれにしても町内の自治を壊すことなく保たなければ
ならない。それには町内の自治を担当している人々の協
力が不可欠である。そこで地元の皆様に理解をいただこ
うとその方々を招待し、名士であるオリオンビールの社
長からも「おめでとう」とご挨拶いただき、町内会会長
さんは「桜坂の発展のために皆で協力しよう」と地元の
方々に呼びかけるのであった。

その日は、暑い1日であったのでサービスが効き過ぎて
いてクーラーが唸りを上げてフル回転していたものだか
ら、クーラーの冷気が苦手な僕は会場の中は寒くて長い
こといられなかった。N君自慢のD社のエアコンが僕を
外に押し出したと云うわけだ。寒さで押し出されたのは
僕だけでなく同行のK氏も押しだされてきた。ライブハ
ウスには後でもどることにして、寒さしのぎにとK氏と
連れだって、ディープな桜坂の探検にでることにした。
路地を歩くと「会員制」とプレートがドアにはられたバ
ーが何軒もあったが、それはオカマバーだった。
路地のさらに奥の細路地を行くと、ふいに暗がりからお
ばちゃんが出てきて「にいちゃん。遊んで云ってよ」
と、声をかけてきた。「いやーいいです。又今度来ます
から」と、その場を足早に通り過ぎる自分たちがなんだ
か初心に見えたな。まあ、そんなセリフでおばちゃんに
からかわれもした。
ピンク色にセンターと白で書かれた看板の店は、そのお
ばちゃん達に訊いても、何屋か知れなかった。
路地奥からジミヘンが流れている店があったので、寒さ
がやわらいだ僕らは、冷たいビールでも飲もうとその店
に入った。5坪ほどの暗い店内の照明は赤く、おまけに
妙な感じで布が天上から垂れ下がっていて、壁にはゲバ
ラやジミヘンのポスターがはってあったりと、いかにも
危なそうな雰囲気であったが、ただそうとしか見えなか
っただけで、気の良い優男といえる若者がやっている店
だった。
「いらっしゃーい。あれ?初めてですよね?」
「初めて初めて。大丈夫?冷たいもの飲ましてくれる?」
「イチゲンさんは怖がって入って来れないんですよ。お
 客さん達よく入ってきましたねえ。ハハハハハ」
「いちおう僕たち、桜坂探検隊なんで・・・」
と名乗り、オリオンの冷たいところを一気に咽に流し込
み、聞くともなく訊ねるうちに、その店の家賃は激安の
月3万円であること。夜の10時くらいに店を開け、閉
めるのはたいがい明るくなってからであること。ワタシ
がこんな感じだからオカマバーにまちがえられるけどそ
うじゃないこと。地元や内地から来た映画関係者や役者
や脚本家を目指す若者が客であること。だからどんな酒
も一杯500円であること。マスターの若者はウチナン
チューではなく内地の福岡から来たこと。店はたいがい
客はいないことが多いがなんとか6年やってこられたこ
と。この界隈一帯のこと。
などなど探検隊としては一定の成果はあったようだ。
ライブハウス「桜坂セントラル」にもどり、ライブを観
て、ライブ終了後にN君に招待のお礼を申し上げた。つ
いでに、その暗いジミヘンバーは使えるかも知れないと
探検の成果の一端をお伝えし、ライブハウスを辞して、
昨日の焼酎・泡盛専門バー「高山」を再訪。
森伊蔵や百年の孤独などの値段の高い焼酎も当たり前に
取りそろえてあるが、この店の一番値段の高い酒は20
年ほど前に倒産してしまった那覇の酒造製の泡盛の最後
の一本で、一杯3万円でありますと聞いて目玉が飛び出
てしまった。K氏もO君も「高山」名物卵ごはん(卵ぶ
っかけごはん)を食いながら、目玉を飛び出させていた。
その後、しばらく、K氏とO君と沖縄のM君とわたくし
の4人で、焼酎&泡盛をなめつつ、桜坂セントラルにつ
いて話した。また、明日沖縄市で予定されている会議に
ついての下打ち合わせを真面目にやった。
「高山」を出て、タクシーをつかまえ、わたくしは真面
目にホテルに戻った。K氏と0君とM君の3人は真面目
に繁華街の裏通りに消えていった。
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by kasuya_senji | 2007-04-20 11:15 | Comments(0)
沖縄紀行ー1
2007年4月18日

那覇の国際通りの三越デパートの向かい側が桜坂と言わ
れる一帯で30年ほど前はここが那覇の夜の繁華街であ
った。
ゆるゆると上る坂を縦横無尽に路地は迷路のように張り
巡らされ、そこに映画館、芝居小屋、飲み屋、キャバレ
ー、料理屋、バー、オカマバーが軒を連ね、深夜過ぎれ
ば怪しげなる女が路地奥に出現し、その雰囲気は、下北
沢と新宿西口ションベン横町とゴールデン街を一緒くた
にしたような一帯で、週末ともなれば、行き交う人で肩
が触れあうほどにぎわっていた。
今は夜の繁華街の中心は、国道58号線の西の松山に移
り、桜坂にかってのにぎわいはなく、シャッターが下ろ
されっぱなしの店が連なり、再開発から取り残されたよ
うな一角になっているが、それでも、かってのにぎわい
を懐かしむオールドファンや映画青年、文学青年、ゲイ
達にとってマニアックな一角として残っている。その桜
坂のかっての繁栄の象徴だったのが「キャバレー桜坂」
で、その建物が友人のN氏とO氏の手で、今年4月13
日にライブハウス「桜坂セントラル」としてリニューア
ル・オープンした。
友人のN氏は音楽業界の人ではなく、わたくしの俳句仲
間である。その俳句仲間が沖縄の那覇にライブハウスを
作るなんてナンデ? ホワイ? 
と、その話を聞いたときは驚いたが、N氏の俳句のその
芸風はコスプレ句とかロッ句とかフォー句とかを得意と
する指向性柔軟な男であり、又、アメリカ・ネオコンサ
ーバティブの一員であるとも自称するとおり世間の縦横
表裏に精通している男だから、そのくらいのことはして
もすこしも不思議ではないと納得し、N氏からの「ライ
ブハウス桜坂」のオープンパーティーの招待に有り難く
応じ、沖縄へと旅立った。
N氏から、今後このライブハウスを有効的に使ってもら
える人を紹介いただけないかと要請もあり、K氏とO君
も同行させてもらうことになった。

K氏とO君はオープン当日の13日に沖縄に入るが、当
方は前日の12日に那覇入りした。旅に持っていった本
は、植草甚一の「ハリウッドのことを話そう」と藤沢周
平の「蝉時雨」の2冊。那覇テラス・ホテルの2階のち
いさなガーデンテラスにて午後は読書。植草甚一ものは、
今から40年ほど前のアメリカの映画界の話だから、古
くさくもあるが映画産業黎明期に生きたプロデューサー
や監督の話がおもしろく次から次へと読み進んでしまう。
この調子で読んでいると、今日中にすっかり読み終えて
しまうんじゃないかと心配になったので、「蝉時雨」に
切り替えた。この牧文四郎の青春物語は何度も読んでい
るはずなのに読むたびにあたらしく、夕方までには長編
の半分ほどを読んでしまった。
司馬遼太郎さんは、本を読む時も読むスピードがすさま
じく速かったという。長い間かかって会得した司馬流読
書術だろうが、俺には司馬さんのような速読は到底無理
だなあと思っていたものだが、1年に100冊ペースで
この20年ほど読んでいるうちに、いつの間にか400
ページくらい(かなりぶ厚い)の長編であっても、1日
で読めるくらいのスピードは身についたようだ。速けれ
ばいいというものではないが、昔は本の厚さを見ただけ
で手が出なかった大長編を怖がらなくなったことは確か
である。まして、平易で美しい日本語で書かれた「蝉時
雨」なら今夜中に読み終えてしまうだろうと思ったが、
そんなことをすればますます手持ちの読む本が無くなっ
てしまうので、読書を切り上げサウナで汗を流し、約束
の6時にバーへ出かけ飲んだギムレットは極上だった。
サウナ上がりの直後のジンベースのカクテルは一発で効
きそうなくらい効いたが、あまりの美味さに友人が現れ
る前につい3杯もお代わりしてしまった。
友人のH氏と連れ立ち国際通り脇の小道を入った「やま
ちゃん」でいつものとおり、主のやまちゃん任せで夕食。
どこがどう違うのかよくわからないが確かに違っていて、
ここのチャンプルを1回食うと他では食えない。以前、
那覇を訪ねた時はあいにくの台風で、やまちゃんは店を
開いていなかった。じゃあ、やまちゃん、どこか他の店
を紹介してよと訊ねると「うち以外ないさー」とやまち
ゃん答えたが、訊いたこちらが馬鹿だった。
食事後、繁華街の松山にある焼酎と泡盛が500種類お
いてある「高山」で軽く一杯飲んで、ホテルに帰った。
ベッドで蝉時雨をひらいて続きを読み出したが、あっと
云う間に睡魔が来たりて夢の中へ落とされた。
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by kasuya_senji | 2007-04-19 15:34 | Comments(0)
4月11日の出来事
2007年4月11日

温家宝(ウェンチアパオ)首相が来日。
首都高、一般道も都内の一部で国賓来日に合わせ交通規
制が行われると朝のニュースで言っていた。

ニュースを見ながら朝飯を食う。つい最近福岡に行って
来たのだが、福岡空港で売っていたが買わなかった「焼
きラーメン」が気になっていたところ、近所のスーパー
で見つけ、手に入れた「焼きラーメン」で朝飯とした。
鍋に油をひき、焼き豚、キャベツを入れ軽く炒める。そ
こにラーメンを入れ、水をカップに一杯半加え、1分ほ
ど混ぜ合わせた後、豚骨スープのエキスを加える。水気
がなくなればハイできあがりという簡単なもの。朝から
豚骨味のラーメン。しかも油で炒めるものもいかがか。
とは思ったが食べてみるとたいへんよろしい。最近、福
岡の屋台で流行っていると云ううたい文句どおりの美味
さだった。これは癖になりそう。

ニュースでは、昨日、藤原紀香と陣内智則が入籍したと
報じているが、当の本人達は、誰にも知らせずにあくま
でも個人の極秘の行動であったはずだったらしいが、世
の中に秘密なんて存在しない、特に芸能人に秘密などな
いとばかりに情報は漏れ、加古川市役所にかけつけた報
道陣の多さと野次馬の多さに、誰が漏らしたんやろうと
怒ってみても呆れてみても知られちゃった以上しゃーな
いやんけと、二人とも憮然とした表情で苦笑っていた。

糟谷さまですか?○○のナントカと申します。娘さんの
Uさんはいらっしゃいますか?と電話有り。仕事先から
の電話連絡だったようで、娘は普段家では使わない丁寧
な言葉で話していたなあ。そういえば、会社のT・K女
史が都内某所の育児施設がテレビで紹介されてましたが、
そこで子供をあやしていた女の子はUちゃんでしたよ。
と言っていた。Uもテレビデビューしてしまったか。
なんちゃって・・・

8チャンネルも10チャンネルも、いよいよ地元フェン
ウェイ・パークでのマリナーズ戦の先発に向け大騒ぎに
なっているボストンからの中継をしていた。いよいよ、
マツザカVSイチローの世紀の対決とあって日本からの
報道陣は100人を越えている様子で、あまりの数の多
さに、本来はロッカールームでの取材が許されている大
リーグも、混乱を避けるために日本報道陣はシャット・
アウトされたようだ。

規制が敷かれているのが分かっているのか街を行く車は
少なく、混雑も無く中央区を通り過ぎ、神谷町の交差点
にさしかかる。そこで突然、前にいた街宣車が、
「ガーピー。ガーピー。○×○×○○××△〜×!!」
と凄まじい音量で街宣し始めた。街に向かって宣伝して
いる=街宣なのだが、気に入らないことがあって腹の虫
のいどころが悪くてしょうがなく怒鳴り散らしているよ
うなアナウンスメントだった。スピーカーはガーガーピ
ーピーとハウリングしまくっていた。何を言おうと表現
の自由だが、何を言ってるのかわからないんじゃ意味が
ないだろう。そのときわたくしは、明日からの沖縄での
現地確認の電話をしていたが、これじゃどーにもうるさ
くて話ができない。うるさい!いいかげんにしろ!
とタクシーの中から大声で前を走る街宣車に向かって叫
んだ。もちろん窓は閉め切った中でだがね。

事務所に出るとミツワ自動車から定期点検が済みました
と連絡有り。いくつかに手を入れたようで結構な金額だ
ったが、ティプトロニクスの調整が効いて、メカニック
の言うとおり走りは快調だった。車を引き上げて片町の
ミツワからもどってくる時にも街宣君とすれ違ったが、
相変わらず元気に怒鳴っていた。

H堂のO君が不意の訪問。O君とは葉山の友人宅でのパ
ーティー以来で、スッポンの手先の煮込みを食って、口
の中から爪を出しながら食べた話で盛り上がる。次回は、
軽く海で遊んで、夕方からカクテル・パーティー&野鳥・
野生動物のまたぎ料理で葉山で会いましょうと別れる。
聴いてみてくださいとCDを一枚置いていった。

事務所から沖縄へ再度電話を入れていると沖縄の甥っ子
から電話が入った。明日からの沖縄に行く。飯でも食わ
してやろう。ついでに、しっかり勉強しろ。留年は二度
と繰り返すなよ。と小言のひとつも妹夫婦に替わってた
れてやろうと明日の夕方の都合を聞くと「彼女の誕生日
で都合が悪いんです」とのことだった。

誕生日と言えば、倅君が11日の今日が誕生日である。
今日がどんな日だったか忘れないように1日の出来事を
書き留めておいたが、オメデトウやっと二十歳だね君は。
自分の人生を自分の責任でもってやっていくスタートラ
インに立ったんだね。大人の仲間入りをする君を心から
ウエルカムしよう。
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by kasuya_senji | 2007-04-11 17:37 | Comments(1)
球事始め
2007年4月10日

気の早いもので、開幕から半月しかたっていないこの時
点で、各チームの補強ポイントである「移籍組」の評価
が新聞紙上で発表になった。発表になったといってもプ
ロ野球機構からの正式発表ではなく、たんなる新聞の記
事にしかすぎないが。
松井は運の悪いことに開幕4試合目で足に軽い肉離れを
おこし故障者リストに入ってしまったが、松坂や井川や
岩村、イチロー、城島、田口、井口、大家、大塚、斉藤
などの日本人選手が海のむこうのメジャーリーグで活躍
すれば、スポーツ欄の大半を占めることになる。特に大
金が動いた松坂の移籍は、アメリカでも大騒ぎされてい
る上に、初登板での見事なピッチング、初勝利で日米ス
ポーツ・ジャーナリズムのかっこうのネタになっている。
日本球界忘れてならじ!と盛り上げる意味でこんな特集
になったのだろう。

それによると、「打高投低」。特に目立つのは巨人に移
籍した谷(元オリックス)と小笠原(元日ハム)の2選
手の活躍。野球に興味がない人にひとつお断りしておき
ますが、谷選手とは、あの谷柔ちゃんの旦那さんである。
野球に興味がなくてもそのくらいは知ってるぞ!
そうでしょうなあ。柔ちゃんは柔道の選手というより国
人的な存在であるから、そのくらいは知っていて当たり
前ですか。この谷選手は、丸く愛嬌のある顔立ちで人柄
はとても優しいのであるが、非常に攻撃的なすばらしい
選手である。不幸にも昨シーズンは体調が悪く出番が無
く活躍できなかったが(だから移籍できたのだろう)走
攻守の3拍子に気力までそなえた選手であるから、今は
大リーグファンを自認しているが、いちおう元巨人ファ
ンのわたくしとしては咽から手が出るほど巨人に欲しか
った選手である。
パリーグには、大好きな選手がもう一人いた。日ハムの
小笠原選手である。野武士のような風貌を持つこの選手
は、フルスイングで有名。わたくしは子供の頃、野球を
やっていたがチャンスとなれば、バットをぶんまわし、
その度に「狙ってるんじゃねーぞ!」と相手側からも味
方側からもヤジられたり注意されたりしたが、小笠原選
手のフルスイングを見ていると、わたくしが正しかった
のだと確信する。もっとも、子供の私は技術が伴わなく
ただぶんまわしボテボテのゴロや三振を繰り返していた
のだから、相手のヤジも味方の注意も正しかったといえ
よう。
このフルスイング選手小笠原は、長打も魅力ではあるが
なんといってもアベレージの高さで、イチローの大リー
グ移籍後のパリーグで数度の首位打者に輝いている。
「記憶に残る選手・記録に残る選手」と云う言い方があ
り、例として、前者は長島選手であり、後者は王選手で
あると両者は比較される。谷も小笠原も報道のされ方が
少なかったパリーグの選手であったから、記録派である
と云えるが、これからは、野球場に足を運ぶ子供達の夢
をのせたナイス・クリーン・ヒット&プレーで記憶に残
る活躍をおおいに期待したい。
低のほうの投は、横浜から巨人に移籍した角倉が勝てな
いでいること。巨人から横浜に移籍した工藤が2試合連
続で打ち込まれ、試合をだめにしていること。などなど
があげられている。ヤクルトからオリックスに移籍した
外国人投手のガトームソンもダメ。婦人の出産に立ち会
うためアメリカに戻り開幕から欠場した上に、帰国早々
怪我しちゃって禍福の同時進行でなんともしまりがない。
投手受難の開幕模様となっていると報じている。
ガトームソンは佐藤無線に響きが似ているなあ・・・
なんてことは、どっちでもいいか。

大リーグファンのわたくしとしては巨人の優勝の行方に
ついてはどちらでもよろしいが、まあ、谷が小笠原が頑
張ろうと原が監督やってるようじゃ巨人が中日や阪神の
上を行くことはなかろうと考えている。わたくしのまわ
りでは、ヤンキースを退陣するならば、次期巨人軍監督
は、トーリーをおいてないという意見が圧倒的だ。
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by kasuya_senji | 2007-04-11 12:13 | Comments(0)
植木等さん
2007年4月9日

NHKで故・植木等さんの特番を放送していた。
植木さんは、僕らの年代の者にとって懐かしい人である。
テレビが町の家々に普及しだした昭和30年の初めの頃。
テレビは革命的な存在であった。明治時代のポンチ絵で、
「ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする」と、
ちょんまげを落としザンギリ頭にした元・侍が洋服を着
て、自分で自分の頭を扇子で叩いている風刺絵があった
けれど、まさに20世紀の技術革新・文明開化のアイコ
ンがテレビであった。
田舎の農村に住む親戚の婆さんなんかは、あのちいさな
箱のなかに人が入っていると言っていたし、田舎の町に
住むうちの婆さんなども、「うちのパパは世界一」とい
うアメリカ・ホームドラマを見て、あの外人さんは日本
語が上手いとしきりに感心していた。
プロレス好きの爺さんがテレビにかぶりついていたし、
爺さんと一緒になって力道山を応援していた婆さんが、
フレッド・ブラッシーの噛みつき攻撃の流血にひっくり
返って病院に運び込まれる騒動が日本中でおきていた。
日本とアメリカを結ぶ初めての衛星中継は、ケネディー
大統領の暗殺をリアルに報道していたし、なんと、月か
らの映像もテレビに映し出された。あの有名な「この一
歩はちいさな一歩だが人類にとっては偉大な一歩である」
というアームストロング船長の科白も生中継で見た。夕
方6時半から始まるスポーツニッポン社提供の5分番組
の国際ニュースでビートルズも見た。日本中の人々が夕
方から茶の間のテレビの前に座って夕食というのが一家
団欒の姿であった。そんなテレビ狂乱の時代の申し子が
クレージー・キャッツの植木等だった。
あのころまでは、大人というのは怖い存在で、家の中で
は、親父は「地震、かみなり、火事、親父」とどこの家
庭でも恐れられていた。
巨人の星の星一徹ではないが、気に入らないことがある
と、ちゃぶ台をひっくり返す親父が日本中にいたのであ
るが、どうも、今から考えると、そんな親父の尊厳を半
掛けにしたのが、植木さんではなかったか。いや植木さ
んそのものではなく、植木さんが演じた大人ではなかっ
たろうか。
すいすいすいと歌いながら両手を泳ぐように身体の前で
ひらひらさせ、スキップしながら踊る植木さんを見て、
大人ってこんなんでもいいんだと思った子供は全国に山
といただろう。植木さんの歌や映画は、高度成長時代の
日本にたいする強烈なアンチテーゼであったのだが、子
供にはそんなことはわからない。僕らは、ただ、おもし
ろおかしく既成の大人に反抗するようにチャチャを入れ
ながらテキトーに生きてゆくやりかたをただモノマネっ
ただけだった。不思議なもので、怖さは変わらなかった
ものの、親父を恐れる気持ちだけはすーと無くなってく
るようだった。そのことが今に何に影響しているのかは
分からない。ただ、大人や親父に対する尊厳という気持
ちが半掛けになったことだけは確かなようである。
植木さんはそのことに悩んだのかもしれない。悩まなか
ったのかもしれない。特番ではそこについてはまったく
語られていなかったので、それについては分からない。
仮に悩んではいなかったとしても、植木等という偉大な
存在が否定されるものではない。時代が現している兆候
を見事に演じきった人に出会える機会なんてそうそうあ
るものではないし、競演した誰もが、植木さんの人間性
を絶賛しているのである。
でも、僕にとっては、今の世の中の家庭の中での親父と
しての尊厳の希薄さは、あの時代の植木さんから始まっ
ているのではないかという思いが心の片隅から離れない。
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by kasuya_senji | 2007-04-09 16:32 | Comments(0)
都知事選の日曜日
2007年4月8日

週末に山梨県甲府市まででかけた。
桃と桜とどちらが先に咲くのだろう・・と以前書いたが、
花見よりも桃の節句の方が早いのであるから、桃の花の
方が早いのである。ところが、首都高速を高井戸を抜け、
中央高速に入り、調布〜相模湖〜大月を越え、甲府盆地
の勝沼に入ると桃と桜が揃って咲いていた。以前、箱根
の彫刻の森美術館の副館長をしておられたH氏が言って
いた「東京の桜が終わる頃からは甲府盆地の桃が素晴ら
しいぞ」というのはこのことだったのかと実感した。
桃の花は桃畑の桃で、畑の面積はそうとう広く、桃源郷
という言葉を思い出しながら、愛車Zは快走した。
今井美樹は当夜のライブで、
「甲府に来たのは15年ぶりくらいだと思います。その
 時、最前列に10人ほど揃ってサングラスをかけて座
 っていたお客さんがいて、最後までウンともスンとも
 言わなくて、不思議なところだなあと思いました。で
 も、こうして15年ぶりに訪れてみると、お客さんの
 歓迎が暖かくとてもウレシイです」
とステージから語りかけ、リラックスした表情で歌いき
り、最後はお客さんからスタンディング・オベーション
をいただき、素敵な最終日になった。
5都市、6公演という短いツアーではありましたが、大
成功に終わることができ、この場を借りて、キャスト&
スッタフの皆さん全員に心から感謝します。

公演が終わり、ボイストレーナーのS氏のボルボとつる
んで夜の中央高速を滑走し東京までもどり、二人だけの
ささやかな食事会をした。S氏が指導する区立の少年少
女合唱団の発表会が1週間前に行われたので、その結果
を訊いてみると、
ナンダカ新曲のお披露目会になってしまって・・・
とS氏の意図するものとかけ離れてしまったとのことだ
った。S氏の意図するものとは、そうして頑張った少年
少女合唱団が主役になるべきだということである。
ところが、その発表会用に書き下ろされた新曲の作曲者
や作詞者が主役となるように会全体が進行され、結果、
合唱団はただ新曲を披露するための少年少女に過ぎなか
ったようで、区に貢献をした作家を大事にするという観
点で区のお偉方にはそれでいいんでしょうが子供達には
・・・と気落ちしている様子だった。
そこで、思いあたったアイデアを「仮にこうやればおも
しろいかもしれませんよ」とS氏に伝えると「それはお
もしろいかもしれません、それならば子供達もやる気が
でるでしょう」と喜んでくれ、意気投合し、つい、ビー
ルを1杯余分に飲んでしまった。カルビも一皿余分に食
ってしまった。ウーロン杯も2杯余分に飲んでしまった。

今井美樹ライブも無事終了し、S氏のくったくも解消し
たのだが、日曜日の都知事選にはくったくが抜けきらな
かった。石原陣営でもなく、浅野陣営でもなく、はたま
た他候補の陣営でもないが、つまり誰という候補が自分
の中で確定できていないことにくったくをかかえていた。
娘が選挙権を持つようになり、家で選挙というものにつ
いて家族で会話をした。
選挙権の行使は国民の義務である。
昔、女性は参選権を持たなかったから、政府の女性対策
に女性が参加できないという事があった。昔、イギリス
に移住し、国の経済に教育に医療に治安にも寄与してい
たインド人が参政権がなく蚊帳の外に置かれていた。こ
れではイカンのである。よって、参政権はその国の国民
であるという証である。などとわたくしはブチ上げたが、
A—誰を選んで良いかわからない・・・
B—誰を選ぶとどうなるの?
C—選べないのに投票するってどういうこと?
という3つの問いに答えることができなかった。
わたくしのブチ上げと娘の問いを繋ぐ理論がまるで欠如
しているである。
きっと、立候補した全員も、この問いを持つ若者に理解
できるような答えを持っていないのだろう。そう思うと
くったくが消えて無くなるどころか、ますます大きくな
ってくる。
それから、気になるあのことこのことと屈託の種はひと
つではなく憂鬱な日曜日であったが、自分で解決できな
い屈託をかかえててもしゃーないやんけ。セラビ・・・
ドマーニ、ドマーニと開き直って、午後から、植草甚一
スクラップ・ブック(4)「ハリウッドのことを話そう」
を本箱から引っぱりだし、読んでみると、50年ほど前
に活躍した映画プロデューサーのジェリー・ウオルドの
映画作りにかけた情熱にすっかり感心してしまった。
その主題の追求のしかたと手法にも感心してしまった。
ひょっとして自分が抱えているあのことも、そのウオル
ド式に考えるとすれば、映画のテーマになるのではない
かと夢想が勝手に一人歩きしだし、気がつけば、朝の3
時まであれやこれや考え、とんだ夜更かしとなったが、
とても楽しかった。屈託を抱えた憂鬱な日曜日は、本を
読むにかぎるね。
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by kasuya_senji | 2007-04-09 15:44 | Comments(0)

 
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