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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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週末。
2007年8月26日

24日の金曜日。
午後。打ち合わせをしていると、FT社のIさんから、
今夜原宿ペニーレーンで行われるUNCLEー38のラ
イブに行きませんかと誘いがかかった。数日前、Uー3
8のメンバーから、リハが終わった何か食わせろと電話
がかかってきて西麻布の焼鳥屋で飯を食った。顔を合わ
せたばかりであるから、別に用事でもあればライブには
行かなくてもいいかなと思っていたが、残念ながら金曜
日の夜は空いていた。Uー38のメンバーのボーカルこ
と大野に電話を入れて席を確保してもらった。
いつかも書いたが、このUNCLE—38は、旧知の友
人大野ガロ・常富猫のユニットで、名前のUNCLEは
アメリカのテレビ番組「ナポレオン・ソロ」に登場する
捜査官というかスパイ共の所属するエージェントの名前
で、我々の世代にはなつかしい名前である。このテレビ
番組を知らない人には、トムクルーズ主演「ミッション
・インポッシブル」はこのテレビ番組の映画版であると
言った方がわかりやすいかもしれない。
その後に来る数字の38は、30年も前の頃、常富猫と
糟谷が転がり込むように半ば居候していた大野ガロのア
パートの部屋番号である。つまり、若き頃のなつかしき
番組となつかしき部屋での青春の日々を名前としている
のであるから、このユニットを結成するとき、大野ガロ
や常富猫に自分の持ち歌なぞ演らず、君らが大好きだっ
たあの頃の名曲をたんに懐メロとしてではなく、今でも
光り輝く曲として歌う方がヨロシイのじゃないかと提案
した。この提案は取り入れてくれたようで、トム・ウエ
イツやビートルズの歌を日本語訳詞にし歌ってくれるの
である。勿論、素人のフォーク歌声酒場ではないから、
他人の歌ばかりでなく大野ガロや常富猫のヒット曲など
も聴かせてくれる。去年のライブより女性客が増えてい
たのには感心してしまった。ちょい悪オヤジユニットの
本領発揮というところか。
25日の土曜日。
溜め池某レコード会社のHディレクターの結婚披露宴に
参加する。披露宴が催された西麻布にあるこの有名なフ
レンチレストランの食事の味は名に恥じず絶品であった
が、禁煙であった。1階のロビー奥に喫煙所が設けられ
ていて、世の嫌われ者煙草吸い野郎共は、宴の途中でち
ょいと失礼しますと同席の来賓の方々に断りを入れ一服
するのである。3時間におよぶ披露宴の間にちょこちょ
こと席を抜け出しモクを喫するのは同じ顔ぶれになる。
つい自由に煙草が吸えない愚痴話にもなる。そこで、来
年の1月6日をもって我が東京のタクシーも全車禁煙に
なるが、この条例はタクシー協会に所属する会社のタク
シーにしか適応されないから、ここにいる6人で資金を
出し合って独立系のミニタクシー会社を創って全車喫煙
を売りにして営業したら儲かるんちゃうか? と提案す
ると、皆、私もそのタクシーに乗りたいとおおいに予約
はいただくが、ではわたくしもその会社の設立に一口乗
りましょうという人は誰もいず、煙草吸いの一服する間
の与太話で終わってしまった。
若い二人のハレの日の門出を祝う為に集まった人々は誰
も感じがよい人たちばかりであった。最後に新婦からお
母さんへの手紙が読まれたが、どーもこういうのには弱
い。お母さん、今日まで大切に育ててくれてありがとう
と聞くと、新婦が我が娘に思えてきて、新婦のお母さん
が我がかみさんに思えてきて、ハードボイルドで鳴らし
た岡崎堂もまわりにつられて泣いてしまった。
26日の日曜日。
娘から、今夜ボーイフレンドとお父さんお母さんと一緒
に食事ができないかと連絡があった。おいおいおい。ま
さか昨日の今日じゃないだろうな。かみさんに聞くと、
先週はかみさんの実家のじいちゃんばあちゃんにご馳走
になったから、今週はお父さんにご馳走して欲しいんだ
って、お金がない若いカップルだからたまには美味しい
ものたべさせてあげたらと外堀がひとつづつ埋まってい
くことに特に敏感になっているようには思えなかった。
いやむしろ、このまま仲良しの娘とボーイフレンドがハ
レを日を迎えることをどこか期待しているような感じさ
えある。この男は俺も何度も会っていて、見かけのただ
人の良さそうな今時の若者というよりも、優しさの中に
しっかりと自分を持っているナイスな奴だが、今日じゃ
ない。先週、岡崎で佐伯泰英の「書き下ろし長編時代小
説 居眠り磐音 江戸双紙」という本を読んでみようと
買ったが、どうも馴染まない。話が都合よく回りすぎて
今ひとつである。あたらしい本を買いに出ようと玄関ま
で出たところで、その食事の誘いだったから、
「あかん。今日は俺は出かけるところがある。美味い飯
 食わせてやるから次にしてくれ」
と返事して家を出た。
書店でうろうろしていると、阿川弘之の「南蛮阿房列車」
という本を見つけた。「阿房列車」は内田百聞先生の有
名な本だが、阿川さんも汽車好きで知られていて、阿房
堂南蛮軒とも自称されているようだ。きっとおもしろい
にちがいないと踏んで購入。家に帰って早速読んでみる
と、第1章の「欧州畸人特急」から笑いが止まらぬほど
おもしろいではないか。畸人とは奇人のことであるが、
このヨーロッパの列車旅行には北杜夫と遠藤周作が同乗
していて、その3人の会話が互いに批判的でしかもいか
にも親しそうである。
こんな会話が紹介されていた。
パリに来たついでに特急列車に乗らないかと阿川弘之に
誘われた狐狸庵遠藤周作が、
「汽車に乗る? 何しに乗るんや。変わっとるなあ、お
 前は。北も相当変わっとるけど・・・・、飛行機の中
 で北は突如愛してるゥと叫ぶんだぜ。俺、気味が悪う
 なって,何ですか言うたら、すみません、愛している 
 ゥというのと助けてくれと神様のこの3つは僕の独り
 言ですからどうか気にしないでください、やて。北も
 変わっとるけど、お前は自分が変わってないと信じて
 るとこが変わってる」
傍からマンボウ北杜夫が、
「折角ですが、僕も明日はホテルの部屋で、ウイスキー
 飲みながら1日ごろごろしていたいので失礼します」
それではひとりで行ってくるかと出かける阿川弘之に、
狐狸庵とマンボウは二人して
「それは自由だ。汽車に乗ろうと風船に乗ろうと君の自
 由だが、スペイン国境まで行って夕方パリに戻れるの
 か? 勝手なことばかりするのは夕食を用意して待っ
 てて下さる方達に失礼だぞ」
と送り出すのである。
まあ全編こんな調子で、文人という人種はオモロイもん
やなあと感心してしまった。夕方までひとり部屋で本を
読んで、かみさんと連れだって近所の焼鳥屋で飯を食っ
たが、焼きが甘いというか火の加減が半端で、べとべと
と油っぽい不味い焼き鳥だった。娘はこの店で一緒に食
事をと希望していたとかみさんから聞いたが、その意味
でも次回に回して正解だったかもしれなかった。
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by kasuya_senji | 2007-08-27 14:30 | Comments(0)
大文字五山の送り火
2007年8月27日

観光タクシーのIさんは70を過ぎてもますます元気であ
る。呉服屋のYも、どうみても65くらいにしか見えない
なあ・・と驚いていた。車中でIさんと旧交を温めるよう
に、かって案内していただいたあちこちで遭遇したエピソ
ードをなつかしく語り合ったが、その中に、
「シャチョウはホンマお元気ですなあ」
というのがある。

数年前、鞍馬山に登ったときのこと。ふだんから車にばか
り乗っているツケがたまっていて、鞍馬山の麓の山門から
山頂近くまでケーブルカーに乗り、そこから山頂の本堂ま
で登っただけというのに、それだけで足がバテてしまった。
なにか、もう1歩も動けない感じで本堂の前で一休みした。
あの夏の日に白球を追いかけ日が暮れるまでグランドを走
り回った野球少年の姿はそこにはなかった。
お参りも済んだからこれで山を下ろうかと思ったが、そこ
からわずか登ると、義経が天狗を相手に剣の修行をした奥
の院というところがあると聞いた。ここまで来て義経ゆか
りの伝説の場所を見逃してはならじ、しかもわずかだろう、
と奥の院まで登ったのだが、そのわずかがかなりきついわ
ずかで、本堂からたった200メーターばかりの標高差の
登り道が、登っては下り、下ってはまたさらに登るという
道の連続で、奥の院にたどり着いたときは、バテバテバテ
バテになってしまっていた。伝説の地に来たのは良いけれ
ど、ここから下り登りの連続で本堂まで戻るのもシンドイ
なあと思っていると、奥の院の裏側から登ってくる人たち
がいるのを見た。聞いてみると、その裏道は下り一辺倒だ
という。ありがたい。後は下るだけだとその裏道で山を降
りようとしたのが大間違いであったとは、その時知るよし
もなかった。
下ってみるとその道はもの凄く急な坂道でしかも足下が凸
凹とした木の根道だった。木の根道は湿気を含みツルツル
と滑りやすく、時には道の脇の崖に括りつけられている鉄
の鎖につかまりながら降りなければ転げ落ちてしまうかも
しれないという凄まじい道であった。ここにきてやっと、
かって鞍馬山を下っている途中にどしゃぶりの雨に降られ、
誰がこんなところに連れてきたのよッ! 
俺だって知らなかったんだよッ! 
と怒鳴り合いの夫婦喧嘩をしながら麓まで下りたことがあ
ると友人のイギリス人から聞いた道はこのみちだったのか
と思い至ったが、後の祭りであった。いずれにしてももう
引き返せない。2時間以上(実際はどうであったかは知ら
ないがそう思えた)下り続け、やっと麓の人里の家々が木
々の間からチラリと見えたときは心の真からほっとしたも
のだった。下り降りたところは鞍馬山の反対側の貴船で、
歩いて一山越えてしまったのだ。精も根も尽き果てていた。
山に登ったきり何時間も下りてこないわたくしを鞍馬山の
山門の脇で待っていたIさんは、
いったいどないしたんやろーか。
なんぞ事故でもあったんちゃうかいな。
と心配していたそうで、
貴船につきました、そちらにタクシーを回してくださいと
電話がかかったときは、
山越えはったんかい!?。 無茶しよるなあ・・・
と驚いて、長いこと観光タクシーしてますが、山越えたお
客さんは初めてですよとわたくしの健脚ぶりに大いに感心
し、会う度に、
「シャチョウはほんまお元気ですなあ」
と言ってくれるのですが、実のところは健脚どころではな
い情けない話で、しかも、その日の夜から1週間ほど足が
痛くて歩くこともままならなかったのでございます。あれ
も8月16日の大文字の送り火の日の思い出でだなあ。

夕方。呉服屋のYとホテルで合流。部屋で冷たいビールを
飲みながら点火を待つ。テレビで大文字の送り火が生中継
されるよと東京のかみさんから電話が入った。8時になり、
町の灯りが消え暗くなった京都東山銀閣寺の中空の一角か
ら火の手が上がったと思う間もなく「大」の字が浮かび上
がった。しばらくすると大の字の左に流れる炎のラインの
点火台が崩れ火がこぼれたようで、「大」が「太」という
字になっているように見えた。
ありゃりゃりゃりゃ・・大じゃなく太になってるぜ。
大の横一の右側が崩れて「犬」になるよかましかァ。
とビールを煽っていると、沈火活動が成功したようでまた
大の文字にもどった。
続いて北山に「妙」「法」の火が灯る。どの文字もそうだ
が点火されている脇では僧侶による読経が続くが、ここで
は「南無妙法蓮華経」の法華経が大声量で詠まれているこ
とだろう。坊さんも暑いのにエライこっちゃな。
賀茂川の西北の「船形」が灯りはじめた。宿泊しているホ
テルはちょうどこの船形の真東あたりに位置してい、ホテ
ルの窓のど真ん中に船形が見えるのである。
テレビでは、
「船形が一番おおきく、船のてっぺんから船底まで200
 メートルの長さがあり、今年初めて点火係をつとめる大
 学生の某君の点火!というてっぺんからのかけ声がリハ
 ーサルでは下の船底まで届きませんでした。果たして本
 番は上手くいくのでしょうかァ」
と言っている。大丈夫かいね・・と見ていると、大学生の
某君の声は無事届いたようで一気に船の形に燃え上がった。
やったやったー。えらいぞ某君と拍手をおくりながら、Y
と某君に乾杯。ツマミをつまむ。あられをつまむ。ポテチ
をつまむ。
続いて北山通りの突き当たり金閣寺の辺りから「左大文字」
が灯る。心なしか真っ赤に燃え上がっていた。我々のいる
ホテルからは、嵯峨野広沢の池近くの「鳥居」は見えない。
東山の「大」はすでに消え、「妙」も「法」も「船形」も
消えた。かすかに「左大文字」が消え残らんとするばかり
である。さっきまで、
こんなにちゃんと見るのは初めてだ!
乾杯! 大が太になっちゃったぞ。わっはっはっはっ!
某君えらいぞ乾杯だ! ビール足らないよカスヤ! 
と、大はしゃぎしてたYが、消えゆく火を眺めながら、あ
いつら帰って行っちゃったんだね・・・とつぶやいた。
知恩院に眠る祖父と祖母。一昨年昨年と続けて亡くなった
中学の同級生の山本と馬渕。この6月に交通事故で亡くな
ってしまった若き女性バーテンダーの井場さん。そして、
高校1年生で逝ってしまった友人Kの子息。彼等の御霊は
火の船に乗り鳥居をくぐり浄土へ帰って行ったのである。
また来年会えるじゃないか。
また来ようよ。
そうだね。
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by kasuya_senji | 2007-08-24 16:44 | Comments(1)
高雄、栂尾
2007年8月22日

この日(8月16日)は、日本全国猛暑大会が開催され
ているかのような猛烈な暑さに襲われた日で、岐阜県多
治見市と埼玉県熊谷市で観測史上最高の40・9度が記
録され、それまでの記録:昭和8年に観測された山形市
で観測された40・8度を74年ぶりに更新した。
この日は山形市も猛暑で、かんかん照りの下、女子高生
が、こんなに暑いのはいやですけど記録が破られて残念
です、と汗かきながらテレビのインタビューに答えてい
た。40・8度という日本記録は山形市民には自慢だっ
たことだろうとおかしかった。

神護寺にいた。
高雄も暑かった。京都市内から比べると随分と標高が高
いにもかかわらず気温計は36度を示していた。市内は
38度であったらしい。高雄に登ったからには、神護寺・
西明寺・高山寺の3点セットで行かななりませんなと観
光タクシーのIさんに言われ、まずは神護寺へ。
神護寺のなが〜い階段をすこしだけ迂回して山門をくぐ
り、平安時代の怪僧:道鏡の天皇就任計画を身をもって
防いだ和気清麻呂の廟を右に見て金堂に向かう。この神
護寺は和気家にゆかりが深い寺で、最澄も空海もこの寺
で修行している。本尊は薬師如来(国宝)。空海・最澄
の時代には病院などない。もちろん薬局もない。神に祈
り仏に縋るしかなかったのである。
たとえば孔雀大王という仏が真言密教にいるが、この仏
さんはインドでコブラなどの毒蛇を孔雀が喰らうから、
毒蛇の被害が多かった古代インドで神格化した土俗宗教
の仏さんで、インドで仏教と習合し、唐に伝わり、空海
によって日本に持ち帰られた密教の仏さんのひとりとし
て鎮座ましますが、本来は釈迦の仏教とは縁もゆかりも
ない仏さんである。まあ、それほど人々の病に対する快
癒祈願は強かったということだろう。これは今も昔もか
わらない。
神護寺は薬師如来をご本尊としているから、当時この寺
は、医科薬科専門研究機関としての役割をもっていたの
かもしれない。もちろんこれはただの想像である。
このご本尊薬師如来がまたいいお顔をしている。120
0年の時を超え人の世の見つづけてきたその目のなんと
優しいことか。同行した中学の同級生の呉服屋のYが思
わずナンマンダブ・ナンマンダブと手を合わせる。
「おい君ねえ、ナンマンダブは本願寺の念仏だよ。この
 寺は浄土真宗じゃないよ」
「それじゃなんとお参りすればいいんだ」
「薬師如来だから健康祈願しておきな。腰が痛い。目が
 悪い。血圧が高いといくつも病院掛け持ちしてんだろ」
と二人並んで、あれこれ痛いの痛いの飛んでけーとお参
りした。

西明寺にいた。
この寺は、神護寺の別院というべき寺で、やはり真言宗
の寺。空海の時代からという古い社歴を持つ寺だが、何
度も延焼し現在の伽藍は徳川時代の再建で、平安・鎌倉
期の寺とちがいたたずまいが小振りでやわらかい。尼寺
の様なやわらかみがある。好きな寺のひとつである。さ
っそくお参りをと、本堂に向かうと、
「掃除中。立ち入り禁止」
という札がかかげられていた。高雄の山の上といっても
歩くだけで汗が猛烈に噴き出してくる暑さの中せっかく
ここまで来たのだ。掃除中とは書いてありましたがせめ
て如来のご尊顔を拝したいとお願いでけまへんかと坊さ
んに頼んでみようと本堂の重い障子を開けてみると、中
には誰もいなかった。だからと言って勝手に入り込むの
もイカガカ。深山まで来て行儀の悪いことはしたくない。
罰でも当たったら本末転倒である。しばらく本堂の縁側
に腰をかけ坊さんの帰りを待ったが、戻ってくる気配は
まるでなかった。
そうか。掃除というのは本堂の掃除ではなく山の掃除か
も知れないと気づいた。山寺は山仕事も修行の内である。
この暑いのにごくろーさんなことだと、裏山のどこかで
作務衣を汗で濡らしながら山掃除しているだろう坊さん
の姿を思い浮かべながら西明寺を後にした。山門の前を
流れる渓流で家族連れが、バーベキュー禁止、川遊び禁
止と出された張り紙をものともせず、バーベキューをし
ながら川遊びをしていた。あの川の水冷たそうだなー。
俺もYも裸になって川に飛び込んだらどんなに気持ちよ
いことかと罰当たりな遊びを羨ましがった。

高山寺にいた。
後鳥羽上皇の「日出先照高山之寺」の勅額で知られるこ
の寺を訪ねた目的は「お茶」である。明恵上人は茶祖と
呼ばれ高山寺がある栂尾山は茶の発祥地といわれている。
なぜそう呼ばれるかというと、これまた薬に関係する話
なのだが、鎌倉初期に中国に渡った栄西禅師が「養生の
仙薬、延命の妙術」として茶をもちかえり、これを明恵
上人に贈られ、上人は栂尾に茶畑を開き、宇治に伝えた。
これにより、鎌倉期、室町期以来、栂尾は茶の本園を称
され、その茶は本茶として毎年天皇家に献茶されるとい
う。また現在は、宇治の茶業家により、高山寺の茶畑は
モデル茶畑として維持管理がなされているという。
そのお茶を飲みに来たのである。
お茶は、明恵上人が持住した石水院(国宝)に隣接する
客殿でいただくことができる。前回、このクソ暑いのに
温かい茶なんか飲めるかと無知なるゆえにパスしてしま
ったお茶をいただくことができた。呉服屋のYは呉服屋
らしく京の料亭、茶屋、華道の家々とも取引上の関係が
あったので、道を究めるという観点からではなくたんに
商売上の必要から、少しは茶道を知るらしい。あれやこ
れやとしたり顔で説明してくれたが、寺の方から、
「そんなにかたくるしくしないでもかまいませんよ。お
 好きなように飲んでいただいてけっこうです」
といわれ、ウム・・・と口をつぐみゴクリと飲み干して
いた。夕方近くになってやっと暑さがやわらいできたよ
うだ。石水院の縁側に座り、山を渡る涼しい風に吹かれ
ながら、緑の青々とした山と絵に描いたような白い雲が
ポッカリと浮かぶ空を見上げた。
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by kasuya_senji | 2007-08-23 14:57 | Comments(3)
鮨折り
2007年8月21日

退院して家に戻ったおふくろの顔を見たくて盆休みに実
家に帰った。高齢になってからの骨折は手術をしてもそ
の後がたいへんなようで、リハビリを疎かにすると無事
退院しても歩くことが儘ならず車いすでの生活を強いら
れることも多いようであるが、幸いおふくろはリハビリ
も頑張ったようで、ゆっくりではあったが普通に歩き生
活をしていた。

昔から親父はおふくろの作る飯に文句をつけたことがな
い。戦争経験者だから命があるだけめっけもんだ。ご飯
が食べられるだけで幸せである。と、若かかりし頃は弁
当もおかずは梅干しだけの日の丸弁当一本槍。中学に入
学し弁当を持参して通学する私の弁当に卵焼きなどが入
っていると、男の弁当は梅干しだ、おかずを1品2品な
ど持っていくような奴はろくな奴にならないなどと訓戒
をたれ、そのたびに、まあまあまあ、センジは伸び盛り
だからすこしは栄養のあるものを食べさせないと大きく
なれない、あんたの分も作ってあるから持っていけばと
おふくろに言われても、男は梅干しだ、わしはいらんと
日の丸弁当腰にぶらさげ出かけていった。清貧と質実剛
健を絵に描いたような親父である。
そんな親父だから、今だに夕食にどんな魚が出ようが毎
日おんなじ魚が出てこようが何一つ文句言うことなく黙
々と平らげる。仮におふくろが、御免今日はあると思っ
ていた魚がなくなってしまっていたけど・・といっても、
ご飯とおつけがあればよかと気にすることはない。
実家に帰ってきたんだから、親孝行させてくれ。夕飯は
俺がご馳走するよ。なんでも食いたい物言ってよという
と、出る物を文句言わずに食うことがあたかも哲学のよ
うになってしまっている親父だから、何食いたい? と
質問すると、・・・・・たちまち答えに窮した。
おふくろは、
「病院では、怪我人であって病人ではないのに病人食ば
 かりたべていたから、おいしいお寿司が食べたい!」
と即答するので、古都寿司に出かけ鮨折りを2人前注文
した。カスヤサンのブログを読んだというお客さんが店
を訪ねてきてくれましたよ、市長はブログ読んでないだ
ろうなとも書いてあったから今度市長が来たときに渡し
てあげようとプリントアウトしておきましたよ、という
大将と話し込んでいる内に鮨折りはできあがった。
田舎者の老夫婦のことだから、二人揃って寿司屋にでか
けカウンター席に座り、あれやこれやとお好みで鮨を食
べることなどしたことがない。店構えにびびってしまう
そうだ。
「いつかは古都寿司でおいしいお寿司を食べたいと思っ
 ていたけど、なかなか私たちじゃ入れなくてね。本当
 においしいねえ」
とおふくろは喜んでくれた。
おふくろは食は太い方ではない。3分の2くらい食べて、
後でまた食べようと少し残すので、この時期生ものは時
間が経つと傷むよ、後で食べるのはやめたほうがいいと
言うと、親父は、そうだよおかあさんが腹を壊したりす
ると、面倒見てもらっている俺がたいへんだからとおふ
くろの残した鮨をひょいとつまんで美味そうに平らげた。
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by kasuya_senji | 2007-08-21 15:38 | Comments(1)
ウッドストック
2007年8月20日

1969年8月15日から3日間、ニューヨーク郊外の
べセルの丘に全米から押し寄せた40万人を超える若者
により、文字通りの<解放区>となった。愛と平和と音
楽の祭典:ウッドストックである。

ウッドストック後数年して、この映画が公開されたとき
音楽好きの若者のひとりとして観に行ったが、当時の若
者達は映画を見終わると興奮して、
俺もべセルの丘に行きたかった! とか、
70年代カルチャーからの熱きメッセージだ! とか、
これで世界が変わる! とか、
俺もミュージシャンになるんだ! とか、
日本でも音楽の大イベントをやるぞ! とか叫んだりし
たものだった。同世代の仲間は、まず全員といっていい
ほどウッドストックに影響を受けた連中ばかりであった。
中学からの仲間に音楽好きがいて、彼はこの映画におお
いに刺激を受け、3人組を結成しクロスビー・スティル
ス&ナッシュのコピーバンドを始めたが、それがガロの
前身であった。
横浜に住んでいた父親がアメリカ人母親が日本人という
ハーフの女の子はジャニス・ジョップリンに憧れ、やは
りバンドを組み、70年代になって行われるようになっ
た日比谷野音のロックフェスに登場していたが、その仲
間の後輩のひとりがアンルイスであった。
今は無くなってしまったが夢本舗というちいさな会社が
福岡にあって、その会社は解散発展し今はBEAという
福岡のイベンターになっているが、そもそもは、
「俺たちの手で福岡でウッドストックやったるけん!」 
という叫びから誕生したのであった。初代の代表であっ
た亡きF・マオは、
「いつか何万人の大イベントを平和台球場でやるぞ!」
「博多の連中にジョン・レノンを観せてやりたいけん!」
と春吉橋の片隅のしけた飲み屋で酒を浴びるほど飲んで
叫んでいたものだった。
少なくとも、音楽イベンターやフォーク・ニューミュー
ジック・ロック系の音楽プロダクションは、このウッド
ストックの影響の下で誕生してきたと云っても過言では
ないだろう。
1975年につま恋で開催された日本初の野外大音楽イ
ベント「吉田拓郎・かぐや姫」も、ウッドストックの再
現であった。この日本版ウッドストックとも云える大イ
ベントを成功させたのがユイ音楽工房という会社で、幸
いなことにわたくしが入ったのはこの会社であった。
盆休みに入る前に、この歴史的な音楽イベント・ウッド
ストックが自分の今にどう繋がっているのだろうか、ま
たこれから自分はどこへ行こうとしてるのかと自分に問
いかけるように、あらためてDVDで観た。

驚いたのはステージが木で組まれていたことだった。
客席に設営された照明タワーなども木のやぐらであった。
PAや照明も簡素なものだったが、そういったステージ
上部の重量がかさむ器材はさすがに鉄骨で設営されてい
たが、それを支えているのは巨大なクレーンで、最近の
野外コンサートのステージ構造に慣れた人々の目から見
れば、コンサート会場と云うよりも工事現場である。
インカムも携帯もない時代である。スタッフ間の連絡は
すべて臨設された数台の電話であり、ステージ上のマイ
クである。
「ミスター・ジョン・セバスチャン プリーズ オン 
 ステージ」
とマイクで次の出演者を呼んでいた。それが集まった大
観衆に次の出演者を告げるアナウンスの役目を果たして
いて、これがまたドキュメンタリー的でカッコよかった。
心なしか出演者の誰もが客に媚びていず、まるで歴史の
生き証人が如く音楽を演奏していた。この映画の主題歌
を担当したクロスビー・スティルス&ナッシュが、
「人前で演奏するのが実は今日で2回目なので、僕らは
 すこしナーバスになっている」とステージで言ってい
たから、この時がまだデビュー間もない頃のことだと初
めて知った。また、編集作業と助監督をマーティン・ス
コセッシが担当していたことを知った。後年「タクシー
ドライバー」「ワンス アポンナタイム インアメリカ」
というアメリカ映画史に燦然と輝く映画を創ったあのス
コセッシの無名時代のことであった。スコセッシはザ・
バンドの解散コンサート「ラスト・ワルツ」を監督した
が、彼は音楽が好きなんだなあ・・くらいにしか思って
いなかったが、監督としての出発点がウッドストックに
あったことも初めて知った。

参加した偉大なるミュージシャンを列記しておこう。
リッチ・ヘブンスから始まったコンサートは、
クロスビー・スティルス&ナッシュ
キャンドヒート
ジョーン・バエズ
ザ・フー
シャ・ナ・ナ
ジョー・コッカー&ザ・グレイトバンド
カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ
アーロ・ガスリー
テン・イヤーズ・アフター
ジェファーソン・エアープレイン
ジョン・セバスチャン
サンタナ
スライ&ザ・ファミリーストーン
ジャニス・ジョップリン
そして、ジミー・ヘンドリックスで終了した。

これは数十年前に見たただの夢だったのだろうか。
音楽の大イベントは主催者のものでもなく観客のもので
もなく時代を切り開くものであろう。人気者バンドだけ
を集めて日本各地で行われている最近の商業的な野外コ
ンサートに警鐘を鳴らしている気がしてならないのは俺
だけなんだろうか。
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by kasuya_senji | 2007-08-20 17:52 | Comments(0)
ウルリッヒ・ミューエに捧ぐ
2007年8月10日

書いておこうと思ったのだが、そのことを考えると少し
感傷的な気分にもなってしまうので、またいつか書くこ
ともあろうかと思っていたが、このまま忘れてしまいそ
うなので書くことにした。

ウルリッヒ・ミューエの死のことである。
7月23日の朝日新聞の朝刊の死亡欄に、
<ウルリッヒ・ミューエ氏死亡。7月22日、ドイツ東
 部ザクセン州で胃ガンの為死去。54才。旧東ドイツ
 出身。国家保安省(シュタージュ)の監視下におかれ
 ていたことでも知られ、監視社会を克明に描いた映画
 「善き人のためのソナタ」では、芸術家を監視する主
 人公のシュタージュ職員を演じた。この作品は今年の
 アカデミー賞で外国語映画賞を受賞>と記されていた。

若い頃は映画ばかり観ていた。この話は何度も書いたの
で詳しいことは省くが、10才から18才までの8年間
は、かって岡崎にあったタカラ劇場という映画館で毎週
映画を観ていた。叔父がこの映画館で仕事をしていたの
で、フリーパスで観ることができたのだ。大学に通うた
めに東京に出てきたが、生活費を稼いで自活する貧乏学
生も映画だけは欠かさず観た。欠かさず観たといっても
バイト代が入った時だけに限られたから、朝一で映画館
に入れば最終回までくり返し観ていた。勿論映画館は3
本立て300円の名画座である。
映画代を使うときは、朝、売店で牛乳とあんパンを買っ
て食事は1日それだけだった。胃も歯も丈夫な若い時だ
ったが、いつまでも口の中に食い物があるようにと、い
くら腹が減っていようと牛乳であんパンを喉に流し込む
などという乱暴なことはしなかった。あんパンを1口か
じっては100回くらい噛んでゆっくりと呑み込んだ。
その後で、牛乳をちびちびと飲むのであった。今では水
もジュースも喉の渇きを癒すために飲むが、あの頃は水
分も立派な腹の足しであった。そしてまたあんパンを1
口かじりとあんパン1個食うのに合計1000回くらい
噛んでいたのではなかろうか。いやいや。映画はともか
くも咀嚼しまくるというまったく健康的な食い方をした
ものだった。だから、映画館の思いでは、スクリーンの
中のヒーローやヒロインやロケーションやカメラワーク
の見事さや気の利いたクールな科白だけでなく空腹の思
い出でもある。
黄金の七人という七人組の泥棒を主人公にしたイタリア
映画を観ていると、泥棒仲間にいるひとりの女がロープ
をつたわって下に降りるというシーンがあり、カメラが
その降りてくる女を下から狙っていて、まくれ上がった
スカートの中の見事な肢体とその奥にある白い下着がチ
ラリと見えるという心にくい演出があったが、そのサー
ビスカットはイタリアから遙か遠く離れた東京の新宿小
田急ハルク劇場の闇の中でこの映画を観ていた貧乏学生
に唾をゴクリと飲み込ませたが、ついでに噛んでいた途
中のあんパンも呑み込ませてしまったのである。得した
のか損したのかわからないというのはこういう時だな。
そうだな。1年に100本くらい観ていたかな。飯も食
わずによく観たものだと今さらながら感心するやら呆れ
るやらであります。そんな映画狂いの学生君も、仕事に
就き時間が自由でなくなり、結婚してますます自由でな
くなり、子供が産まれて小遣いも自由を奪われ、いつし
か、観て年に数十本という程度の奴になりさがってしま
ったが、それでもこのウルリッヒ・ミューエ主演の「善
き人のためのソナタ」は自分にとって今年NO1の映画
である。いや、この10年でも間違いなくベスト10に
入るだろう。リバイバル映画では、その主人公を演じた
俳優がすでに死去しているということはよくあるが、同
時代の俳優でしかも同世代の役者が、その人を知ると間
もなくこの世を去るなんて。知るのが遅かったのか。
それとも最後に間に合ったと考えるべきなのか。まだ、
心が決まっていない。
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by kasuya_senji | 2007-08-10 13:29 | Comments(3)
ツケメニスト
2007年8月9日

たかが食い物といえ、つけ麺に良い印象をもたないまま、
このままつけ麺と疎遠になるのもナンダナア。セガレは
美味いつけ麺食いたいと言ってるし、最近は親父の権威
も一頃に比べ低下状態にあるからなあ。ここでひとつ、
「どーだ! この店のつけ麺は美味いだろう!」
とかましてやれば、親父の権威も保てるのではないか。
とお馬鹿なことを考えていたところ、
「つけ麺徹底ガイド誕生!!!」
と!マークが3つもついている小雑誌を見つけたので
手に入れ読んでみた。まず、コピーが凄い。
「もはやラーメンの1ジャンルを超えた!?」
とあります。!マークだけでなく?マークも付け足され、
なにやら東スポの「不倫!?」の見出しの如く、発覚と
疑惑が同時に印象づけられるような「超えた!?」であ
りまして、この小雑誌はチカラ入ってるなあ・・と感心
しながら、本文に入ると、つけ麺屋の紹介の前に対談が
掲載されている。
対談者は、この本の編集者であり執筆者の、きっとつけ
麺食べ歩きの食の専門家であろう井上勝也という人と、
浅草開化楼・負死鳥・カラス氏という人であった。両人
の写真も掲載されていて、井上氏は紺の絹物と思われる
上質な和服を着ているが、負死鳥(不死鳥)カラス氏は
なんと! なんと!? チェインソウ悪魔:ジェーソン
のような黒い皮の覆面を被っているではありませんか。
ありゃりゃりゃりゃ。またけったいな人がいるもんやな
と思ったが、負死鳥カラス氏のプロフィールを見ると、
おおくの名つけ麺店の亭主と信頼関係で結ばれた製麺店
浅草開化楼のカリスマ営業マン兼フリーのプロレスラー
と紹介されていた。もうこうなると漫画よりおもしろい。
でカラス氏が自分でも製麺する浅草開化楼という製麺屋
は、工場がまったく近代化されてなく製麺は若干の機械
は使うがすべては手作り=手打ちで、おなじことなら手
で打った方が機械で打つよりはるかに美味い麺ができる
と、カラス氏は見かけによらず硬派な方であった。しか
も、
「ラーメンの命はスープだが、つけ麺は麺が命だ」
と、きれいさっぱりとつけ麺がなんたるものかを規定さ
れていて、見かけ通りの明確さにも感心してしまった。
この本では、二人をツケメニストと称していたのもプロ
レス的でおもしろかった。
東京71店。埼玉20店。神奈川9店。合計100店が
紹介されているが、この100店どれとして同じ物がな
く、その味の極み百花狼藉とも云えるもので、薄味の中
華そば屋のつけ汁が濃いものだったとか、瀬戸内ラーメ
ン屋のつけ汁が中華風であったとかの柔な感想でもって
つけ麺を美味い不味いと語るのは10年早い!? と、
またまた自分の無知なることを知ったのでありました。
わたくしが居住する下町の片隅にある名店が紹介されて
いて、次の休日には行こうと考えているのだが、実は今
日は昼飯を食いそびれていて、あ〜。腹減ったー。今す
ぐにでも食いてえー。のであります。
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by kasuya_senji | 2007-08-09 16:36 | Comments(1)
喫茶の風
2007年8月7日

しかし。お茶にも飽きたなあ。
毎日の水分の補給はきまってペットボトルのお茶。当た
り前のように冷蔵庫で冷やしたお茶を飲んでいるが、そ
もそも長い日本のお茶の歴史の中で、ペットボトルのお
茶が世に出たのはいつのころだったろうか。

仕事を通じ長く親交を持った亡き半沢パンチョが楽屋で
ペットボトルのお茶を飲んでいるのを見たのがペットボ
トルのお茶を見た最初だった。ペットボトルの水=ミネ
ラルウオーターは当時もちろんあったが、ペットボトル
の水が出回りはじめたのも、それほど遠い昔の話ではな
い。はじめてパリのルーブル美術館を訪れたのが198
6年の夏。BOOWYのベーシスト松井と一緒だった。
カメラは展示室によっては撮影が許可されていないが入
館にさいし持ちこみは禁止されていなかった。ただし、
ペットボトルの水は持ち込みが禁止されていて、ルーブ
ルの入り口受けつけ付近には取りあげられた水のペット
ボトルが山と積み上げられていた。毎日何万回とフラッ
シュを浴び続けることで、絵画彫刻等の作品になんらか
の影響はあるかも知れないが、水をぶっかけられてはた
まらんと水の持ちこみは禁止されていたのだ。
まだこの当時、日本では水はタダ(水道料金を払ってい
るから全くの無料ではないが)という感覚があって、わ
ざわざ金払って水買うかァ と思っていたくらいだから、
わざわざ金払って飲み水を買わなければならないヨーロ
ッパ先進諸国の水道の水の質の悪さに気がついたのはこ
の時だった。あらためて日本の水の良さ、特に水道水の
良さに気がついたのもこのときだった。外国は水が違う
から生水は飲まないようにとも言われていたので、この
真夏のパリの旅も松井と二人せっせと金を払って水を買
って飲んだ。日本にはない習慣に馴染むのもまた旅の面
影を濃くしていた。余談ではあるが、BOOWYのディ
レクターのK氏(現EMIキャピタルレコード社長)の
我々を海外に送り出すときの餞別の言葉はこうだった。

「いいですかカスヤサン。外国で1番大切なのはパスポ
 ートです。2番目に大切なのはお金です。3番目に大
 切なものは・・」
「命でしょう」
「お土産です」

当時のパリの下町のプチホテルでもベルリンのシティー
ホテルでもクーラーなどはなかったから、涼を取るのに
水を飲みまくった。で、飲み水を買いまくったから、日
本に帰ってきてからも、ちょっと海外旅行経験者ぶりっ
こ気分で水はペットボトルのミネラルウオーターを飲ん
でいたが、お茶をペットボトルで飲むゥ? これは信じ
られなかった。真夏のごく暑い時期には冷やした麦茶は
子どもの頃から飲んでいたが、お茶は元来温かいもので、
その温かさのなかに渋みとほのかな甘みがあるのがお茶
で、冷やしたペットボトルのお茶なんて、
味も香りもしないのではないか?
というと、パンチョは、いやこれが美味いのですよ。冷
たくてもちゃーんと苦み渋み甘みがあるんです。これは
伊藤園の発明ですよといって好物の和菓子やまんじゅう
をほくほくと頬張り、美味そうにペットボトルのお茶を
飲むから、すすめられるままに飲んでみるとたしかに美
味く、それからはずーと、パンチョ亡き後の今日に至る
までペットボトルのお茶を飲んでいるが、今朝冷蔵庫の
ドアを開け寝起きに冷たく冷やしたペットボトルのお茶
を飲もうとして、しかし、お茶にも飽きたなあ・・・・
と感じたのだった。

伊藤園がペットボトル入りのお茶を発売して以来、叡山
の僧:道元が禅とともに中国から持ち帰ったといわれる
喫茶の風が革命的に変わり、大人の飲み物であったお茶
が若い消費者にも一気に浸透することとなった。日本茶
だけでなくウーロン茶もジャスミン茶も麦茶も健康五穀
茶もとあらゆるお茶がペットボトルに入れられ売られ、
どこでも買えるようになったが、それでもすこしづつ流
行の波はあるようで、最近はジャスミン茶を置いてある
店が少なくなった。ムスメがジャスミン茶飲みで、休日
など買い物につき合わされるときジャスミン茶が置いて
ある店を見つけ手に入れることが困難で、しかたなくム
スメも、じゃーなんでもいいや、お茶でもいいやとお茶
ですませているが、中国怪人T君からもらった中国土産
のジャスミン茶を煎れて飲ますと、この味のするジャス
ミン茶を買ってきてーと言うが、それは無理だ。
お茶そのものに飽きたのではなく、そろそろ「喫茶の風」
喫茶=ただお茶を飲む、だけではなく煎れたお茶を喫茶
する風を楽しむ時期がきたのかも知れない。

明恵和尚の侍住した京都北山高山寺にちいさな茶畑があ
る。日本最初の茶畑である。前回高山寺を訪れた夏、社
務所の入り口に「お茶○○円」と書いてあって申し込め
ばお茶を飲むことができると聞いたが、ナンデこのくそ
暑いのに温かいお茶なんか飲まなきゃならんのだ、冷た
いペットボトルのお茶があるからいいよと飲まなかった
のは自分の無知なる仕業であった。お茶はその茶畑で摘
んだ茶葉で煎れたお茶であったのだ。あれだけ明恵上人
明恵上人と高山寺まで出かけたのに、和尚が禅を重ね喫
茶の風を確立したその当時とおなじお茶を、冷たい冷た
くないで飲まないで帰ってきてしまったのは、無知なる
仕業であった。
鎌倉時代の人。兼好法師が、無知なる人はわざわざ寺ま
で出かけたのに、その山門の見事さに感心してしまい本
尊を拝まないで帰ったと徒然草に書いているが、わたく
しはその無知なる人であったのだ。今年も盆の時期は京
都で過ごす。亡き祖父さん祖母さんの霊を大文字の送り
火で見送った後、喫茶の風宣言をしにわたくしは高山寺
を訪れようかと思っている。
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by kasuya_senji | 2007-08-07 13:27 | Comments(1)
夏休み
2007年8月6日

1週間の休みは終わった。
チベットのラサでは天候に恵まれ、大気を透かして見る
ような大銀河を目の当たりにして・・・と言いたいとこ
ろだが、チベットには行かなかった。理由は7月末の週
までに済ませなければならなかった契約が8月にずれ込
んだ仕事上の理由と、田舎で足を痛め入院している母親
がチベットに行くと聞いてビックリ仰天してしまい、
ねえあんなところへ行くとなにがあるかわからないよ。
政情が不安定なところだと聞くよ。
韓国の若者が人質になっているというじゃないか。
まだ、インドと戦争状態にあるんだろう。
昨年、お前は腹を壊して入院したけれど、チベットで同
じことがあったらたいへんなことになるよ。
と、心配し大反対したのである。
チベットは政情不安なんてないんだよ。
韓国の若者が行ったのは、アフガニスタンでチベットじ
ゃないんだよ。と何回説明しても、
アフガニスタンの高原を越えると山続きでチベットじゃ
ないかい。あの辺りは三蔵法師の時代から山賊がうよう
よいて今じゃタリバンも隠れてチベットにいるのじゃな
いのかいと、納得しようとしない。
妹も、心配するから分かったからもう行かないよって言
っておきなさいというので、そう答えておいたが、母は
心配そうな顔をいつまでもしていた。
やれやれ。言わなきゃ良かったかな・・・
まあ、行かないと母には言って黙って行ってしまおうと
も思ったが、親父が大分弱ってきている上に自分まで足
の怪我で入院していてさぞ心細いことだろうと母のこと
を思うと嘘をついてまで行く気にならず、直前で延期を
申し入れたのであります。ただし、そのまま夏休みは取
った。

夏休みの間は、久しぶりにテレビ三昧をした。
7月末の参院選で自民党が大敗し、毎日安倍首相の顔を
見ることになった。しけた顔してたね。去年の今頃は、
一昨年の小泉劇場衆院選挙の自民党の圧倒的勝利で最強
の与党が出現し、任期満了をひかえた小泉首相が終戦記
念日に堂々と靖国参拝をし、与党全体がワッショイワッ
ショイと安倍幹事長をかつぎだし、戦後生まれの若き総
裁・首相の誕生の為に永田町の風が流れていたというの
に、あれはいったいなんだったろう。政局とはほんとう
に怖いもんだねえ。あれから1年。首相退陣が叫ばれる
ことになるなんて。1年前。民主党の水戸黄門・ご意見
番こと渡部恒三最高顧問が、
「民主党としては安倍首相を歓迎する。なぜならそのほ
 うが参院選が戦いやすいからだ」
と発言していたが、先見の明があったというべきか。

夏休みの間は大リーグ中継三昧もした。バリー・ボンズ
の755号。A・ロッドの500号。松井の100号と
ホームランの記録がかかった試合だった。しかも、7月
のアメリカンリーグMVPに選ばれた松井の大活躍と投
手陣のふんばりで我がヤンキースが連戦連勝。調子を落
としている8月のレッド・ソックスのもたつきいかんで
はプレーオフ出場の可能性がでてきたのである。昨日ま
でのゲームで、ボンズの記録もでたし、A・ロッドも松
井も記念のホームランを打った。

夏休みの間は本三昧でもあった。
チベットへの道は、母親に言われた三蔵法師のインドへ
の道とは異なるが、どのルートであの時代長安からイン
ドへ行ったのだろうかと興味を持ったので、集英社刊:
中国の英傑シリーズ第6巻「三蔵法師」北海道大学教授:
中野美代子著を読んだ。読み進むうちに、仏教者として
の具法を求める聖職者の顔から、どんどん探検家であり
国情の違いの重なる危険な西方諸国を渡る政治家として
の力をつけていく三蔵法師を見る思いだった。後代に完
成する「西遊記」との関連も詳しく述べられていて、著
者は大学教授であるから、まるで大学で講義を受けてい
るような勉強感もあり、いかにも夏休みの課題的読書で
もあった。
「村田エフェンディー帯土録」という本もおもしろかっ
た。エフェンディーとはトルコ語で、教える人を指す言
葉だから、村田エフェンディーは村田せんせいという語
感である。村田さんは大学の研究員。時は19世紀の末。
日本では明治時代。侍社会から革命を持って近代化に成
功し、欧米列強に屈せず立ち向かう日本の姿は、当時の
アジア・アフリカ・南アメリカの第3等国にはある種あ
こがれの国で、たまたま日本海沖で遭難したトルコ船の
救助に日本政府が尽くしがたい努力をしたことに時のト
ルコ帝王が感謝し、遺跡の発掘に研究員を招待すること
で、考古学での日・土(トルコ)文化交流を計り、若き
村田研究員は選ばれ、研究のためにトルコに滞在したの
である。この本はその滞在日記であるという形で書かれ
ている。
これが悲しい本であった。村田は志半ばにしてトルコを
去らねばならなかったし、同じ下宿に寝泊まりし一緒に
研究をした仲間であるギリシャ人研究員やドイツ人研究
員はトルコに残ったことで、バルカン半島を舞台に勃興
した第1次世界大戦に運命を翻弄され、或る者は革命軍
に走り、或る者は母国軍に従軍し、そして誰も命を落と
していくのである。それを伝えるトルコからの手紙は涙
無しには読めなかった。文章が美しい本であった。外国
物。日本現代物。時代物と読みあさったが、藤沢周平氏
とならぶ、いやそれ以上かも・・と言える美しい日本語
で書かれていた。

夏休みはマッサージ三昧でもあった。
日頃お世話になっている古代タイ式マッサージ屋に通い、
身体の下半身、特に血流の悪いところを丁寧に丹念にも
みほぐしストレッチを重ねた。このマッサージ屋の社長
は元はオートバイ販売店の経営者であったから、大型ス
クーターについていろいろ教えを乞うた。2年前に運転
免許法の改正があり、オートマティック限定免許が普通
車だけでなく2綸にも採用されることになったが、この
社長がオートバイ屋をやっていたころからヤマハなどと
共同で当時の運輸省に改正を陳情していたらしい。普通
免許があれば勿論学科は免除で、かなり取得しやすい免
許のようだから、一度はあきらめた夢、サイドカーでツ
ーリングを、を実現したい。さっそくヤマハ,スズキか
らパンフレットを取り寄せどれにしようかな・・・
サイドカーは茨城に専門店(マッサージ屋の社長情報に
よると、茨城には筑波サーキットがあるから、そういっ
た専門店がある)らしいから、まず免許を取って大型ス
クーターを買って、サイドカーをつけて、秋の紅葉時に
は日光をタンデムといくか。そういえば、日光江戸村の
Y社長から、一度鬼怒川に遊びにきてくださいよと誘わ
れていた。隣のサイドカーに乗るご婦人募集中かな。

夏休みはつけ麺三昧であった。
テレビを見ているとギャル曽根がつけ麺を10人前大食
いしていたが、それがいかにもうまそうだったので、つ
け麺を食おうと家族ででかけた。1軒目の店は、中華そ
ば屋ともいうべきアッサリしたスープが売りのラーメン
屋だが、この店のつけだれがおなじラーメン屋かと思う
くらいコテコテで、味は不味くはないがどうにもいただ
けなかった。
2軒目は、瀬戸内海ラーメンとも云うべき、スープのダ
シに小魚が使われているのが特長のラーメン屋で、店に
入るとプーンとスープのいい香りがして、ついつけ麺で
なくラーメンをたのんでしまった。これは美味かった。
セガレは初志を貫徹し、つけ麺をたのんだのであるが、
どーいうわけか、この店のつけ麺は冷やし中華風のつけ
麺ダレであったようで、甘くて酸っぱくって辛いダシが
イマイチであったとのことだった。
あっさりラーメン屋でコッテリだしがでたり、瀬戸内ラ
ーメン屋で、小魚だしに関係なく中華だしで食わせたり
と、各店舗工夫を凝らしているようだが、奇を照らずも
うすこしその店の特長を生かした真っ当な勝負をしても
らいたいものだなあ。店にはまかせられない。自分で作
ることにしようと言いながら、メンドクサイとコーンフ
レイクスを食っていた。

夏休みの最後の日。
中国中映テックのS総経理から、北京に戻りましたとメ
ールが入った。一緒に行けなかったことは残念ですが、
次回一緒に行くときのロケハンはばっちりやってきまし
たと元気そうなメールだった。チベットにいるS総経理
にチベット仏教音楽のCDをいくつか手に入れてもらえ
ないかとメールをしておいたところ、手に入れてくれた
ようであるが、北京に戻って早速聴いてみたところまっ
たく音が入っていないCDも数枚あるようで、これは彼
の聖地以外の土地では再現不可能であるという神の仕業
ではあるまいかとも付け足してあった。
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by kasuya_senji | 2007-08-06 15:23 | Comments(1)

 
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