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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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松茸をなにして
2007年9月27日

朝目が覚めると開け放した窓から入る風が冷たかった。
気温的には涼しかったというべきなのだが、つい2週間
前まで真夏日が続いていたことを思うと、冷たかったと
しか言いようがない。ブルっと身をすくめた瞬間にハク
ション! クシャミが出た。油断すると風邪をひきそう
な季節のかわりめが訪れたのである。この時期、夏の太
陽に焙られ、どの建物にもクーラーの冷気が充満し、極
暑と極寒の狭間で夏を過ごしたこの身の体力は知らず知
らずのうちにごっそりと落ちているから、天高く馬肥ゆ
る秋になったのであれば土の恵みの野菜果物新米を食べ、
海の恵みのたっぷりと脂ののった魚を食べ、気力体力を
養おう。そうそう、作詞家のOK田さんご推薦の松茸の
お吸い物、ではなく松茸のすき焼きなぞ思い切っていっ
てみようか。OK田さんは中国地方広島県の出身で、中
国山地の山では松茸が豊富に採れるという。OK田さん
が娘だった時代、山に住む親戚から秋になると松茸がご
そっと、それこそ山ほど届けられたという。で、OK田
家ではそれを薄くスライスしてすき焼き鍋に入れ、牛肉・
焼き豆腐・しらたきと一緒に煮て食ったそうである。松
茸は鍋に入るだけ山盛りだったという。すき焼きという
ものはそういうものだと思っていたから、東京に出て初
めて、あれっ!? すき焼きって松茸が入ってないの? 
と知った次第であるそうだ。
秋になると東京のOK田家に広島から松茸が届く。
友人知人を集めてOK田家で松茸すき焼きの夕べが催さ
れる。残念ながらお誘いがあるときに東京にいない。
東京にいるときにお誘いがないと今までご相伴にあずか
ったことがない。ご相伴にあずかった幸運なやつに聞け
ば、あんな美味いもの食ったことがないですよと嵩に懸
かっていう。この秋は贅沢に松茸のすき焼きにトライし
て気力体力滋養強壮を計ってみよう。
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by kasuya_senji | 2007-09-27 17:16 | Comments(0)
静に飲むべかりけりというけれど
2007年9月26日

福田内閣が発足した。下町の居酒屋では、この内閣誕生
の前日のいきさつから、一人一説さぞやかしましいこと
と思われるが残念ながら千住街道を下っている閑がなく、
KG増を訪れることができていない。今週末あたりには
髭阪でも誘ってこっそりホッピーでも飲みに行くか。

青山のバーKidが閉店して、また気楽に立ち寄れる場
所が無くなった。今年になって岡崎に行く機会が多くな
り、岡崎では気楽に顔出せる場所を徐々に確保しつつあ
るが、岡崎で生活しているわけではない。そんな折り、
知人にいいバーがあるとバーSを紹介してもらったのだ
が、Sは夜10時にならないと開店しない。遅く開くか
わりに朝までやってますからお気軽にといわれても夜行
性ではない。アートディレクターの短石君は、まだ40
代だというのに、
「朝は6時から起きています、理由はたいしたことでは
 ありません、目が覚めてしまうのです」
と老人の様なことを言っていたが、それほどではなくと
も朝は遅い夜も遅いという生活から、朝は早く夜も早い
生活になってしばらく経つから、夜10時の開店ではい
くらなんでも遅すぎるなあ。土曜日の夜などは、かみさ
んと飯を食った後は、早めにシャワーを浴び、寝床に寝
ころび新聞や本など読みながらウトウトとそのまま寝て
しまうことが多いくらいであるから、そんな日は10時
と云えば深夜である。だいたい、飯を食ってさらにもう
一杯と云う気は実はあまりないのである。願わくば、夕
飯の前の遅い午後の一杯としてバーを利用したいものだ。
チャンドラーの最高傑作「長いお別れ」で作者はテリー・
レノックスに、
「早い時間。オープンしたてのバーが好きなんだ。室内
 の空気は澄んでいて、その日の客のためにグラスもカ
 ウンターもピカピカに磨かれている。そんな時間にそ
 んな場所で飲むのが好きなんだ。遅い時間のバーは煙
 草の煙や人いきれで空気は汚れているし、なによりも
 客が抱えている屈託や絶望や欲望や怒りが渦巻いてい
 るのが嫌なんだ」
と言わせている。マーロウも同感している。わたくしも
この本を読んだ20代の時に同感同感と、それ以来オー
プンしたてのバーで飲むことを良しとしている。この場
合オープンしたてというのは早い夜=遅い午後の時間帯
のことで、オープンしたてといっても10時じゃない。
もう一軒昔からの馴染みのバーがあって、事務所にも近
いし客筋も一部を除いて五月蝿くない人たちばかりでた
いへんよろしいのであるが、ここも夜8時にならないと
オープンしない。もっとはやく開けてくれまへんかと言
ってみるが、
「皆が皆、長いお別れを読んでいるわけじゃないんです
 からね。うちに来る人たちは皆遅いんです」
と言われるとおり、たまに夜も更けて顔だすと一部の五
月蝿い人々にとっつかまり、午前様の2時になっても3
時になっても帰れないことがある。
だから、ついついホテルのバーに出かけることが多い。
夕方、人と待ち合わせるのはホテルのバーで、やはりテ
リーレ・ノックスじゃないけれど早い時間の澄んだ空気
の中で飲むことを良しとした人々にまじり一杯遣るのは
気分がいい。静かなところで飲むと気持ちがいいと知る
のも、そんな時間のそんな場所でのことだ。

今週末は髭阪でも誘って千住街道を下り下町政治談義を
楽しみにKG増でも行くかと書いたが、体調を整えて行
かねばならない。覚悟がいるのだ。と言うのは、KG増
はたしかに午後の遅い時間からオープンして、それはそ
れでテリー・レノックス好みであるのだが、午後4時の
オープンから仕事を終えた労働者諸君がドッと店になだ
れ込み5時にもなれば満員御礼だれも座れませーん、モ
ツを焼く煙で奥が見えませーん、人の話し声がウワ〜ン
としていて小声で注文しても誰にも聞こえませーん、と
いうテリー・レノックスが尻尾をからげて逃げ出しそう
な居酒屋だから、それはそれで体力勝負なのである。ホ
ッピーにも付き合わなければならないので、これまた二
日酔い覚悟の体力勝負なのである。
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by kasuya_senji | 2007-09-26 16:18 | Comments(0)
三河湾あれこれなに
2007年9月25日

母は、ちぎり絵(色のついた和紙を細かくちぎって貼り
つけて描く緻密で色鮮やかな貼り絵:山下清画伯の長岡
の花火もこの手法)のお師匠さんで個展も開いたりして
いるが、お弟子さん達から、先生もお悲しみでしょうが、
また私たちを教えてくださいと言われても、なんだか張
りあいが無くなったようで・・・と和紙をちぎって貼る
こともおっくうそうだったが、どうですか提案がありま
すよ、親父が残した家は今誰も使っていないから軽く改
装して別荘みたいにして、週末はみんなでそこに集まる
ってのはどうですかねえ、嫁に行った妹たちも孫を連れ
て集まる、たまには東京から俺たち家族も集まるっての
はどうですか、そうだ、その家はおふくろの絵のギャラ
リーにするってのもいいじゃないですか、その家用に新
しい絵を描いてもらいたいものだなあと提案すると、誰
も使ってないからといって古い家を処分してしまうのも
どうなんだろうかと思っていたからそりゃいい案だね、
じゃあ私もその家に飾る絵をどれにするか決めなくちゃ
ねと奥から額を引っぱりだし、これかあれかと選び出し
ていた。すこしは元気を取り戻してくれたようだった。
そこに呉服屋のYから、
「カスヤァ。これから三河湾へ行かないかァ」
と電話がきた。
「三河湾? そんなとこ行ってどうするんだ」
「特にどーするってこともないけど、広い海を見ればま
 た気も晴れるんじゃないかなって思ってね」
呉服屋のYはやさしい男であるのだ。そうだね広い海を
見下ろす高台のホテルのテラスでコーヒーでも飲むかと
Yと三河湾までドライブに出た。
三河湾には子供の時に両親に連れられ海水浴や潮干狩り
に行ったきりであると思っていたが、まだ子供たちが小
さかった頃夏休みで岡崎に帰ってきたときに海辺の旅館
に連れて行ったことがあるのを思い出して、たしかM風
荘とかいった名前の旅館だったがあれも高台にあったな、
そこは通るのかと聞くと、とっくにつぶれたとYは云う。
「あそこは経営がなんでね。あの経営者はなにさんとい
 ったかなァ、ずいぶん苦労をしたそうだが、とにかく
 なんだったんだよ。うん。今はどこにいるのかねェ」
岡崎から南に向かう幹線道路は混んでいるからとYが抜
け道を教えてくれ、そこを右、次を左と云われるままに
曲がってるうちにどこを走っているのか分からなくなっ
た。この町はなになに。次の村はどこどことも教えてく
れるが、そんな名前の町が岡崎にあったとは知らなかっ
た。ちいさな橋を渡ると次を左にと云われ入った道は車
は通れるがまちがいなく田んぼや畑のあぜ道で、すれ違
った車は2台ともトラクターだった。
「なんでこんな道を知ってるんだ?」
「昔は三河湾沿いの旅館や温泉場には芸者さんもいて着
 物のお得意さんだったんだよ。あそこは知ってるか?
 有名な旅館だったんだよ昔は。あそこではなにがあっ
 てねェ」
「何があったんだ」
「なにってほらあれだよ展示会だよ。いい着物を持って
 いくとありがとう。これとっといてって心付けなんか
 くれてねェ。昔は景気が良かったんだよ。今はどこに
 もそんなことはないけどね」
「じゃあ商売は上がったりか」
「心付けで商売してる分けじゃないから上がりっきりっ
 てことはないけど、ところでこの饅頭屋は知ってるか?」
「いや知らんなあ。美味いのか?」
「カスヤの大じいさんは確か吉良の人だったよなァ。吉
 良上野介はあれでは嫌われ者だけど」
「忠臣蔵だろ」
「そう。それでは嫌われものだけど、ここではいい殿様
 といわれて今だに人気があって、その吉良の殿様饅頭
 を売ってる店だよ」
「美味いのか?」
「それは知らんなァ。食ったことがないからね」
三河湾へ出てみると薄曇りの日の所為もあって、青き大
海原という感じではなかったが、Yの言うとおり見晴ら
しは素晴らしかった。今ここで海を見下ろしコーヒーを
飲んでいるホテルは、以前は呉服屋のYのお客さんだっ
たTという旅館があった場所で、そのT旅館も時代に乗
れずあっと云う間に倒産し、Yが駆けつけたときは張り
紙ひとつのもぬけのからだったそうで、未だに20万円
の取りそびれがあるというのでコーヒー代は私が払った。
高台のホテルから昔海水浴をした海岸に行こうと車を走
らせた。途中で映画の話になった。
「あの映画は一緒に観たのかなあァ。あれは感動的な映
 画だったよ」
「どの映画の話だ」
「あれだよ。主人公は誰だったかなあ。二枚目俳優だっ
 たねえ。監督があの人で。それであの女がこう言った
 じゃないか。なんとかって。あれはどこの街だっかた
 ねェ。女がそう言うと男がこう答えて、辛そうな顔し
 てたねえ彼女は。悲しい別れのシーンだったねェ。思
 い出に残る映画だったよなァ」
「なんのことかさっぱりわからんぞ」
「カスヤも知ってるはずだよ。確か中学のとき一緒に観
 たよ。覚えてないのか? 忘れっぽくていかんなァカ
 スヤは」
昔の海水浴場は跡形もなく消えていて、今はレジャーラ
ンドと大学のヨット部があるヨットハーバーと三河湾海
産物物産店とアウトレットショッピングセンターになっ
ていた。物産店で焼き大アサリと焼きホタテ貝とマグロ
の串焼きを食って昼飯とした。三河湾産の太刀魚の干物
をお土産に買って三河湾を後にして、呉服屋のYのあれ
やこれやなにやという説明に従って岡崎までもどったド
ライブだったが、Y君語のなにやあれやこれやも何を言
ってるのか想像がつくようになった。三河湾のホテルや
宿はリゾートな感じがしなくいかにも田舎くさく今ひと
つであったが、たしかにYの言う通り気は晴れた。持つ
べきものは良き友である。Yの道の指示が驚くほど的確
だったことにも感心した。
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by kasuya_senji | 2007-09-25 16:10 | Comments(0)
青春時代
2007年9月24日

親父との最後の会話は、
「では東京に帰ります。元気でいてね」
「仕事も忙しんだから、そんなに帰ってこなくてもいい
 よ」
というものだったが、その前に居間で二人で話ていて、
そろそろ帰りますという私に、
「俺には青春時代というものがなかったなあ。お前の青
 春時代とはずいぶんちがうんだろうなあ」
と親父はそう言った。なにか感じるものがあってなにか
言い残したかったのかもしれないとその言葉が頭から離
れない。

さて、私の青春時代はいったいどんな時代であったのだ
ろうか。たまたま今読んでいる町山智浩氏の
「映画の見方が分かる本:洋泉社刊」
に1960年代(私の10代)のアメリカに起こったカ
ウンター・カルチャーについて書かれている文章があり、
それがその時代を理解するに一番分かりやすいのではな
いかと思うので、長くなるが引用させてもらうことにす
る。

1960年代、アメリカにカウンター・カルチャーとい
う文化大革命が起こった。
64年のケネディ大統領の暗殺で、政治家とマフィア、
軍事産業との癒着、CIAやFBIの陰謀などが浮上し、
国民は政府を信用しなくなった。差別され続けていた黒
人達はデモを繰り返して平等を求めたが、警察は無抵抗
の彼等を暴力で弾圧した。ベトナム戦争が始まり、米軍
はナパーム弾で女子共を容赦なく虐殺した。学生達は反
戦デモで抵抗したが、やはり警察に粉砕された。
若者達は結論を出した。「今のアメリカを支配している
ものは全部クソだ」。すなわち、政府、企業、警官、法
律、モラル、キリスト教、家庭、大人。「30歳以上を
信じるな」を合い言葉に若者達の反乱が始まった。髪を
七三に分け、背広にネクタイで社会の歯車になる男、平
凡な専業主婦に納まる女は「スクエアー(堅物)」と呼
ばれ軽蔑された。逆に髪を伸ばして学歴=資本主義から
ドロップ・アウトすることが「ヒップ(カッコいい)」
とされた。ヒッピーになった彼らは、マリファナやLS
D、フリーセックス、それにサイケデリックなロックミ
ュージックで自らを既成の価値観から解放しようとした。
全ての権威に「NO」を突きつけるこの文化的暴動は、
カウンター・カルチャー(対抗文化)と呼ばれた。政治、
ファッション、言葉、音楽、すべての分野にカウンター・
カルチャーは展開し、アメリカ、いや世界中の若者を巻
き込む巨大な渦と化していった。

世界の日本の愛知県の片田舎の町岡崎に住んでいた10
代前半の私たちもその渦に巻き込まれたのである。私の
青春というよりも私たちの青春時代は、そんな時代であ
ったのだ。
では、親父の子供〜青春時代(10代としておこう)は
どんな時代であったのか。

親父が尋常小学校の4年生(11歳)の時に2・26事
件が起こっている。右翼思想家青年将校が天皇の親政に
あこがれ、決起し、時の政府要人である内大臣斉藤実、
大蔵大臣高橋是清、教育総監渡辺錠太郎、首相秘書官松
尾伝蔵を射殺し、その他警備の巡査五名が銃撃を受け即
死した。このテロリズムに日本は震撼し、大正デモクラ
シーは一気に崩壊した。翌昭和12年には、帝国陸軍に
よって廬構橋事件が引き起こされ中国東北部において関
東軍の支配が拡がり、さらに翌々年、親父が高等小学校
2年生=今の中学2年生の昭和14年にソ連・モンゴル
国境付近で、関東軍によるノモンハン事件が勃発。15
年には日独伊三国同盟が結ばれ、ヨーロッパでの開戦に
同盟国として参加することになり、いよいよ16年12
月8日の真珠湾攻撃で日本はアメリカを敵に回しての太
平洋戦争に突入した。高等小学校を卒業していた親父は、
家が貧しかったこともあり旧制中学へとは進まず、海軍
の予科練に志願し兵隊となった。
「若い血潮の予科練の七つボタンは桜に錨」
と謳われた予科練である。今でいう高校1年生の年で、
青年というより少年兵であった。関東のいくつかの基地、
横須賀などで訓練を受けているあいだに、戦況はますま
す悲惨な状況を迎え、沖縄が陥落し、日本の各都市に対
するアメリカ軍の空襲がはじまり、親を残してきている
岡崎も空襲を受け実家は焼け、昭和20年8月6日広島、
8月9日長崎に原子爆弾が投下され、8月15日の終戦
を迎え、ほぼ焼け野原を化した岡崎に帰って来たときは、
二十歳であった。一人で自由な個人として生きていける
時代ではなかった。年老いた自分の両親の面倒を見て、
結婚し子供を産み、ちいさな家を建て増しし、母の父親
と弟たちを引き取り、市の役所の職員として馬車馬のよ
うに働き続けた一生であった。

親と子の過ごした青春時代はなんという違いであろうか。
この違いは、私と私の娘や息子との間に埋めようもない
大きな世代的なギャップがあると言われているが、これ
に比べれば、まったく違わないとしかいいようのないも
のだろう。
「俺には青春時代というものがなかったなあ・・」
というその言葉のむこうに、それでも一生懸命生きた若
かった男としての親父の話を聞いてみたかったが、それ
ももうできないことに淋しさを感じる。
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by kasuya_senji | 2007-09-25 14:40 | Comments(1)
長いお別れ
2007年9月19日

8月のお盆の前に、足を痛めて入院していた母が退院し、
その間一人で暮らしていた親父に笑顔が戻った。親父は
携帯電話を持っていなかったから、母の入院中は一人で
家にいるとなにかと不便だろうから、なにかあればすぐ
連絡できるようにと、簡単ですねェ、簡単ですよと宣伝
しているいわゆる簡単携帯電話というやつを親父のため
に購入し、大きい3つのボタンは1は妹のY子、2はそ
の下の妹のA子、3はおふくろと決め、使い方を親父に
教えた。契約時にauから料金設定はいかがしますかと
聞かれたが、もともと親父は携帯電話なんかいらないよ、
なにかあれば家の電話でかければいいんだからと言って
いたのを、でもね、犬のチッチの散歩に出た途中で転ん
だりしたら困るでしょう、そんな時は携帯があれば便利
だよと持ってもらうことにしたくらいで、携帯があるか
らといってあちこちに電話しまくるなんてことは想定し
ていなかったから、使用頻度の低い一番安い料金で契約
した。料金は親父の口座から引き落とされるが電話の名
義は契約した私である。1ヶ月して電話会社から請求が
来たが9000円にもなっている。なにかの間違いじゃ
ないだろうかと電話会社に問い合わせると、かなり長い
使用時間となっていますと回答が来た。俺は電話なんか
かけないよなんて言ってたくせに、病院にいるおふくろ
にしょっちゅう電話をして長話をしていたようだった。
なんとも仲がいい夫婦なのである。
京都の大文字焼きの送り火を観て、東京への帰りに実家
に立ち寄った。気丈な人で病院では痛いリハビリに泣き
言のひとつも言わなかったおふくろも家に帰ればつい甘
えもでる。親父はどこが痛いんだ、無理をしちゃいかん
よとおふくろを気遣っていたが、その親父が亡くなった。
2007年9月9日。午前8時43分。82年の生涯だ
った。
お盆が終わり東京に帰る私を玄関で見送った親父が、
「仕事も忙しいんだから、そんなに家に帰ってこなくて
 もいいよ。東京のみんなによろしくな」
というのが親父との最後の会話になった。
11日に通夜。12日に告別式とあわただしく過ぎた1
週間だった。親父の思い出は限りなくあるが、ここでは
語り尽くせない。私の仕事の関係からとても多くの方か
ら花をいただきました。役所勤めの真面目一徹な親父も
酒を愛し、煙草をくゆらせ、趣味は、釣り、読書、詩吟、
書道、カメラ、車と多岐にわたっていました。浄土教は
亡くなった日から49日かけて浄土へ行くと教えますが、
今頃はきっと皆様から贈られた花がいっぱい咲いた浄土
への道を好きな車に乗ってのんびりとドライブしている
んじゃないか。浄土では、朝早く起きて釣りをして、ゆ
っくり煙草をふかせ、午後は読書をして昼寝、夕方から
は晩酌を楽しむことでしょう。時には下手の横好きだっ
た詩吟(親父さん失礼!)を唸ってまわりの仏さんたち
を驚かすのかもしれないな。
親父のことだから、俺のことは心配いらんぞ、こっちへ
来るのはゆっくりでいいぞと言うに違いありませんから、
母にはこれから10年も20年も長生きしてもらおうと
思っている。
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by kasuya_senji | 2007-09-19 15:03 | Comments(0)
台風一過海老天3本
2007年9月7日

台風9号が関東地方を直撃した。
昨夜は、娘が帰ると連絡してきた時間はまだ東京の交通
機関が正常に運行していたから、結局迎えには行かなか
った。雨風が強くなっている中を車を運転して帰宅する
と、しばらくして娘も帰ってきた。台風のおかげ(?)
でひさしぶりに夜の早い時間に一家揃っての食事となっ
た。

子どもの頃。台風が来るからと午後の授業が閉鎖になり、
早めに帰宅すると、親父やそのころ同居していた母親の
弟(叔父さん)も仕事を早く切り上げて帰宅してきて、
親父や叔父さんと一緒になって、窓ガラスに×にテープ
を貼ったり、雨戸を打ちつけたり、ガタがきている雨樋
を針金できつく結びつけたり、時には屋根に乗って裏庭
にころがっている適当な大きさの石を瓦が飛ばないよう
屋根に敷き詰めたベニヤ板の重しにしたりした。ベニヤ
板は屋根全部に張るのではなく、大雨が降ると必ず雨漏
りがする箇所があって、そこに敷き詰めた。けっこう雨
風の強い中での作業だった。昨夜の台風も屋根に登って
いた人(たいがい老人です)が屋根からおっこちて大怪
我したとニュースで報じていたが、あの頃も風に煽られ
屋根からころがり落ちた人はいた。現にとなりの小父さ
んはゴロゴロと転がり落ち、腰の骨を打って1ヶ月ほど
寝たきりであったが、新聞もテレビもラジオも取りあげ
てくれなかった。
外が終わると家の中では停電に備えてローソクも必ず用
意した。懐中電灯の電池も使えるかどうかチェックして、
茶の間のテーブルの上にローソク、マッチと並べられた。
そうしているうちにいよいよ雨風が強くなって、雨漏り
の対策はしたものの必ずいつものところから、またあた
らしい別のところからポタンポタンと水が落ちてきてた
ちまちバケツは一杯になった。食事を済ませ茶の間の電
気だけを点け、それぞれが布団に入った夜半からきまっ
て停電となった。全員ごそごそと手探りで置きだし茶の
間のローソクの光を囲むように集まり、古い日本家屋の
おんぼろな家はがたがたと戸鳴りがし、ぎしぎしと軋み、
ゴーゴーという恐ろしい風の音の中でまんじりともせず
朝を迎えた。台風は恐ろしかったけど、こんな夜はなん
だか一家全員のこころがひとつになったようで嫌いでは
なかった。
ある時は、夜中に台風の目の中に入りいきなり風が止ん
だ。しーんとしてさっきまでの大騒ぎが嘘のようである。
外に出るなといわれていたのに、雨戸を空け(退散用に
一カ所だけは外から打ちつけてない雨戸があった)こっ
そり外に出ると月がポッカリ浮かんでいた。夜中に月が
でてたよと言うと、あんな嵐の中で月がでるわけがない、
夢でも見たか寝ぼけていたんだろうといわれ、確かに見
たと言い張って夜中に外に出たことがバレ大目玉をくら
ったこともある。
地震は今でも「中越沖地震」などと名づけられるけど、
太平等戦争後の昭和20年代は、アメリカ占領軍式に
ジェーン台風とか台風に名前がつけられていたそうだ。
その後、アメリカ女名前ではなく、洞爺丸台風とか室戸
台風とか伊勢湾台風とか日本名がつけられることになっ
たのは、吉田茂宰相のサンフランシスコ講話条約以降の
ことなんだろう。しかし「大暴れし被害をもたらすもの」
に女の名前をつけるなんて、アメリカ気象台も男だねー
やまちゃん。
最近は気象庁も台風ごときでは名前もつけないようであ
る。で昨夜の9号は久しぶりの一家団欒(?)をもたら
し、全員でラジオを確認したり(だいたいラジオなんか
最近は誰も使用してません。FM—TのIさんスマヌ。
802のTさん申し訳なし)懐中電灯用意したり、明日
のそれぞれの通勤時間や通学時間を確認したり、ベラン
ダのイスやテーブルを片づけたりと一家全員こころをひ
とつにして、なにかあったら声を掛けあうんだぞとそれ
ぞれ部屋に戻り休んだ。進路の東にあたったので風雨が
凄まじく、東に面している私の部屋の窓はバチバチと雨
が当たる大きな音がして、15階建てのマンションを横
切る風の音がボーボーと唸り、
うるせーなァ寝られやしない・・ 
が、いったん寝つけば白川夜舟。朝目が覚めたときには
台風は東京を去り、日光東照宮の真上辺りを走っていた。
被害はひとつだけ。ベランダの盆栽が倒れ幹が根本から
ぽっきりと折れていた。
丹誠込めて・・・
育てたつもりの盆栽が近所の花屋のおっかあの呪いでい
つのまにか立ち枯れはじめ、そうなればいくら水をやっ
ても栄養剤を与えても元には戻らなく、去年の秋に落ち
た葉は再生せず、見た目に枯れ木の盆栽模様で、盆の中
は夏にはびこる草のほうが勢いがあって野性味満点で、
野草の盆栽と家中で呼ばれていたから、折れてもしゃー
ないな。
地下鉄が運転を開始し駅では通勤通学の利用客で満員だ
ったので、渋谷に通う娘を乗せて送り届け事務所にくる
とエライもんだ、ほとんどのスタッフがいつものように
出勤していた。メールを開くとS英社の東西南北君から、
「ブレードランナー」のハリソン・フォードとうどん屋
のおやじの、
3つくれ。(ハリソン・フォード)
1つで十分ですよ。(うどん屋おやじ)
いや3つくれ。(ハリソン・フォード)
1つで十分ですよ。わかってくださいよ。(おやじ)
というやりとりは、うどんの杯数の事ではなく、なんと
海老天の本数なんだそうです。私もうどんの杯数と信じ
きってましたので、驚きました。
とメールが入っていて、そりゃホントか!? と驚いた。
ブレード・ランナーは何度も何度も観た。異論はおあり
だろうが、
カッコーの巣の上で。
明日に向かって撃て。
冒険者達。
ロング・グッドバイ。
ブレード・ランナー。
は5大青春映画である。始まりから仕舞いまでどのシー
ンも覚えていて見おとす筈がないのだが、東西南北君は、
町山智浩の「ブレード・ランナーの未来世紀」という本
にそう書いてあるという。本屋に勤め本を読むことが仕
事の東西南北君に間違いはないだろうが、さらにもう1
度DVDを観て確かめなければならないだろうとオフィ
ースのDVD棚を捜してみると見あたらない。
どこに置いたのかなー、レーザーディスクで持っていて
DVDは持ってなかったのかなー、と捜すうちにいつま
でたっても見つからないので、捜すのを諦めて「ワンス・
アポンナタイム・イン・アメリカ」を観てしまった。例
の問題のラストシーン、ロバート・デ・ニーロの歪んだ
微笑みがモナリザの微笑みの如く摩訶不思議で、やっぱ
り意味が分からなかった。明日の週末は、ブレード・ラ
ンナーのDVDを捜しにタワーへでもでかけるか。つい
でに本ならなんでも置いてありますという八重洲ブック
センターに立ち寄って「ブレード・ランナーの未来世紀」
も手に入れてみよう。どうやらこの本は、映画について
書かれたもののようだから、アラビアのロレンスのこと
が書いてあったらいいな。
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by kasuya_senji | 2007-09-07 18:55 | Comments(1)
北京ダックに小魚風呂
200年9月4日

いつも空がぼんやりと薄雲っている北京にはめずらしく
晴れ渡った空に夕陽が落ちていく。天安門前を東西に走
る長安通りを西へ向かう我らは、ココロはポール・ニュ
ーマン(カスヤ)、ロバート・レッドフォード(怪人)、
キャサリン・ロス(お銀)である。夕陽に向かって走れ! 
である。北京ダック屋に向かって走っている。

天安門に毛沢東の大肖像が掲げられている。共産党によ
る建国以来約60年。2007年には北京オリンピック
を開催するまでに発展した世界の経済市場の中心21世
紀の中国で毛沢東は、建国の神であるといわれている。
そして、トウ小平(わたくしのPCではトウの文字のフ
ォントがありません)は、若い女性に圧倒的な人気があ
りアイドルであるそうだ。政治家がアイドルなんてちょ
っと不思議な気もするが、建国の父:大柄で偉丈夫な毛
沢東と比べ、小柄で親しみやすそうな庶民的なフェイス
を持つ小柄なトウ先生、豊かになれる者から豊かになれ!
と市場経済社会主義を実践したトウ先生、そのオカゲで
豊かになりルイビトンやシャネルを身につけられるよう
になった女性には、まさにアイドルであろう。
天安門広場を過ぎ、道を南に左に曲がると、右手には人
民大会堂、左手には毛沢東記念館が見える。めさすダッ
ク屋はその南側にある。2ヶ月前に行ったときは、天安
門南側の旧市街地区は再開発の真っ最中で、解体工事現
場の中に小道があり、そこを右に左にと曲がった先の迷
路の奥に店があるようで、
こりゃ今度来るときはたどりつけないだろうな・・
観光ガイド見たってたどりつけないだろうな・・・
と思っていたが、今は新しい道ができ天安門まで行けば、
後は目をつむっても行けそうな感じになっていた。これ
で知る人ぞ知る名店から誰でも行ける店になったわけで、
店には目出度いこっちゃが、これでまた予約が取りにく
くなると思うと、俺には目出度くなかった。だいたい予
約していても、一気に客がたてこむと予約もなにもあっ
たものではなく、中国式現場主義の混乱の極みをみせ、
時間通り飯が食えたことがない店である。怪人はそんな
目に何度もあっているから、空いてる席を見つければ、
予約!何時!何人!何匹!ビール!と叫びながら、店の
従業員が何を言おうと構わずずけずけと席を陣取るので
ある。混みはじめるとその手も使えないので、今回は開
店直後のかなり早い時間に来ている。
前回は6人でダック3匹で食べ残したから、今回は8人
集まるが3匹で十分ではないかと言ったが、怪人はいや
いや4匹でいってもらいます! という。
3匹で十分だよ。
いや4匹です。
3匹で十分だよ。
いや4匹です。
の怪人との押し問答が、リドリー・スコット監督映画の
「ブレードランナー」のうどん屋のおやじとハリソン・
フォードのやりとり、
うどん3杯くれ。(ハリソン・フォード)
1杯で十分ですよ。(うどん屋おやじ)
いや、3杯くれ。(ハリソン・フォード)
1杯で十分ですよ。わかってくださいよ。(おやじ)
の会話に似て可笑しかったが、怪人も現地化したようで、
人を招待してもてなす時には、あまるほど料理は用意す
るのである。
「なあに残ったからといって特に気にすることはありま
 せん、1匹たった900円です。8人で4匹注文して、
 ビール飲んで、勘定はそうですね400元(6000
 円)でしょう」
との怪人の読みどおり、やはりダックは余ってしまった
が、勘定は400元だった。
利群ダック屋に集合したのは、お銀を除くと全員日本人
で、北京でヘアーサロンを経営する大盛りさん、出版社
に勤める琵琶さん、琵琶さんの同僚の寺琵琶さん、外資
系広告代理店に勤務する野田岩さん、北京のライブハウ
スのマネージャーのSM君、怪人、岡崎堂の8人。
大盛りさんは、かって日本の広告代理店D社にいて19
89年4月4日5日の両日東京ドームで行われたBOO
WYの解散コンサート「LAST GIGS」の仕掛け
人のひとりである。COMPLEXの解散コンサートも
彼と組んだ。以来約20年のつき合いである。

「あの当時、人の言うことをまったく聞かない奴がいた。
 音楽の世界ではちったあ名が売れているかしらんが、
 こっちは東京ドームを押さえスポンサーも用意し何も
 かもセッティングしてるのに、それじゃあできないよ、
 俺の言うこと聞かなきゃ何もかもできないよの一点張
 りの生意気な奴で、なんてやつだと思ったが、不思議
 なものだよねえ人の縁というものは。あれから20年
 のつき合いだ。しかもこうして北京でまた一緒に飯食
 ってるんだから」

と、口が悪い大盛りさんは、昔からとても素直で大人し
い俺をつかまえて褒めたり(?)けなしたり懐かしがっ
たり北京ダック食ったりと忙しい。ちなみに大盛りさん
のヘアーサロン(健街SOHO:ソレア)は、今北京で
もっとも女性に人気が高いヘアーサロンである。
琵琶さんは北京に来て約1年ほどで、

「この店(利群)のことは聞いていたんですが、なにし
 ろまだ中国語に不案内で来かたがわからなくって・・
 とにかく一度来てみたかったんです。実は家内がBO
 OWYの大ファンで、あのマネージャーに会えるなら
 是非よろしくお伝えくださいと僕より興奮していまし
 たよ」と琵琶さんが言うと、

「だいたいあの当時この男はナマイキデ・・・」

と大盛りさんが昔話をもちだすのをまあまあまあとビー
ルを注ぎ足し押しとどめ、大手代理店の野田岩君に話題
を移すと宮崎出身だという。

「わかった皆までいいなさんな。俺が田舎を当ててみよ
 う、高鍋じゃないか?」と言うと、
「えッ!!! ナンデ分かったんですかァ、宮崎は知っ
 てても高鍋って知らない人が多いんですけど。いやー。
 北京で高鍋当てられるなんて・・・」

と、こちらの当てずっぽうの豆鉄砲くらった鳩のような
顔をしていた。高鍋は今井美樹さんの出身地でそんな事
で知っているに過ぎないのだが、それでも高鍋の町にあ
る秋月藩御用達の老舗のまんじゅう屋さんとか、鉄骨屋
さんとか古くからある珈琲屋さんとか知っている。そう
いえば宮崎のそのまんま東国原知事が喉に腫瘍が発見さ
れたようで大丈夫かなあ。役者やお笑い芸人は病を隠し
活動することも可能だけど、県民投票によって選ばれた
知事という公的な立場では公的責任を果たすために病気
も公表せねばならない。良性であることを祈る。
話はそれるが今台風9号が東海関東地区にまっしぐらに
向かっている。かってないほどの大型台風で、すでに東
名高速道路:清水〜静岡間が通行止めになっていて、群
馬県では人的被害はでてないものの山崩れで道路が崩壊
している。会社でも帰れる人から帰りなさいと指令が出
て、スタッフもひとりふたりと帰宅していったが、かみ
さんから電話があって、娘の帰宅時に地下鉄が止まって
しまうと家に帰れなくなる、アンタ車で迎えに行ってく
れないかと言っていたから、娘からの電話をまっている
が夕方5時すぎたというのに電話は鳴らない。ニュース
によるとまだ東京の地下鉄は止まっていないようだが、
帰っていいものか、さていったいどーしたもんか。
さて北京の野田岩君のことである。野田岩君は、中学高
校時代を父親の仕事の関係でマレーシアで過ごし、大学
はロスアンゼルス。卒業後、東京で今の会社に勤め、現
在は北京で働いていて、高鍋には今、祖父と祖母がいて、
たまには高鍋に帰る事もあるそうだ。
野田岩君は東京にいたとき怪人と知り合った。でも、た
がいに北京にいることは知らなかったという。
へー。じゃあ、どこで出会ったんだい?

「風呂屋です。おおきな温泉ランドのような施設がある
 んです。銭湯のようなでかい風呂ありジャグジーあり、
 垢擦りも個室マッサージもある総合温泉ランドで、2
 00元の入場料で食堂もあってしかも飯は食い放題で
 すから、地元のじいさんばあさんとーちゃんかーちゃ
 んガキんちょが一家総出で来て一日中遊んでますね。
 日曜日なんか滅茶苦茶混んでましてねえ、そこの食堂
 で会ったんです。怪人さんは温泉のパジャマ着て右手
 にシュウマイ、左手にうどん持ってうろうろ席を捜し
 てたんです。あれッ!? この人知ってるぞォ。誰だ
 っけ??? と10秒くらいあったんですけど、すぐ
 わかって、まさかァと思ったんですが声をかけたんで
 す」
「客はいつ行っても中国人ばかりで、自分のこと知って
 る奴なんか誰もいないと思ってるから、ゆるみきって
 パジャマ着て、さー腹も減ったうどん食おうかナーと
 思ってるところにいきなり声かけられて???・・・
 瞬間誰だかわかんなかったですよ。きっとうどん片手
 に、ココハドコ? アナタハダーレ? てボケた顔し
 てたはずです。それより、風呂入ってる時よりゆるみ
 きってましたから、まあ、言ってみれば裸よりココロ
 は裸状態でしたから オオッー! 野田岩君。こんな
 ところで会うなんて奇遇じゃないか! と再会をびっ
 くりする前に、恥ずかしいとこ見られちゃったようで、
 なんともまあ・・・」こんな奇遇な再会だったようだ。 

ちなみにこの温泉ランドには、古くなった角質を食って
くれる小魚風呂があるそうで、入ると小膝や足の裏や肘
などに小魚がわっと群れてきてツンツクツンツクと角質
を食ってくれる。始めはナンダカ妙な感じがするらしい
が、慣れると気持ちよく肌もツルツルになってたいへん
良いという。怪人も野田岩君も大のお気に入りだそうで、
次回は是非と誘われた。

「気持ち悪くないのかね」

大盛りさんが小魚風呂に反応した。どんな大きさの魚か。
痛くはないのか。風呂の温度は熱いのかぬるいのか。ケ
ツなどに群れてくるのかこないのか。きた場合はどんな
感じなのか。と興味津々であるが、小魚話に手が動いて
いない。
大盛りさん、話はいいですが、ダックが手つかずに残っ
てますよ。みなさーん。はずんだ話はキープしながら手
は休めないでくださーい。薄皮に味噌塗ってキュウリ、
ネギ、ダックをはさんで巻き巻きして食いながらやりま
しょうや。まだ2匹食っただけですよ。ほらほら、3匹
目が運ばれてきました。一気にいきましょう。ビールと
煙草のむとき以外は手と口を休めないでくださーい。食
い尽くしましょうと呼びかけるうちに4匹目が運ばれて
きた。
そのうち、出版社の琵琶さんが岡崎の人であることがわ
かり、奇遇ですねえー。琵琶さんの同僚の寺琵琶さんが
野田岩さんと同じマンションに住んでいることがわかり、
奇遇ですねえー。大盛りさんと野田岩君が、元・現だが
代理店出身で、奇遇ですねー。奇遇話をサカナにしてダ
ックをむしゃむしゃビールをぐびぐびやっているうちに、
SM君がライブハウスに戻る時間がきた。SM君はなん
でSM君かというと、サドマゾ性的嗜好癖がありSM君
というのではない。そういえば、以前西麻布にあったS
Mクラブに行ったとき、最後にローソクをたらして痛め
つけてもらったことがあるけれど、あれは気持ちいいも
んだね。手の指の又にある指圧のツボなどにローソクが
たれるとお灸されてるような効果があり、ありゃいいも
んだと言うと、SM君はそんな趣味はありませんです、
若い頃2人組のバンド組んでいて相方がSMー1,僕が
SMー2という芸名でしたから、今じゃバンドやめまし
たがSMと呼ばれてるんです。という分けで、北海道襟
岬出身のSM君は残念ながらサドマゾではない。鞭も持
ってない。ローソクも持ってない。
北京に行く機会がありましたら是非ライブハウス「MA
O(マオ)」のSM君を訪ねてください。私の紹介で来
ましたと言えば、きっと優しく迎えてくれます。マオの
近所にはいろいろな店があるから美味い食い物屋やナイ
スなバーを教えてくれますよ。40元(600円)払え
ば、若い中国バンドを観ることができますよ。どんな音
楽やっているか知ることもできますよ。北京に訪ねる相
手がいるなんて、しかも北京では珍しいライブハウスの
マネージャーなんて、ちょっと通ですよ皆さんは。
というわけだから、SM君だけは、名を明かしておこう。
SM2さんと言って、読み方は「サムニ」さんです。
SM君の戻る時間を潮時に利群での食事会は終わりなっ
た。店の前で全集合の記念撮影をしながら、同じマンシ
ョンに住んでいると分かった寺琵琶さんと野田岩さんが、
よかったら次回温泉ランドに一緒に行きましょうかと話
している。大盛りさんが、その小魚風呂は女風呂にもあ
って女もその風呂にはいるのかネエ。俺が魚だったら男
のケツかじるのは勘弁してもらいたいなあーとのたまわ
った。御意同意して、これで北京の旅は終了。満月の夜
だった。翌日東京へ。お銀は雲南へ。
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by kasuya_senji | 2007-09-06 15:55 | Comments(0)
おおくまねここぐまねこ
2007年8月31日

昆論飯店で目が覚めると9時半だった。ブレックファー
ストミーティングは9時半からの約束で、あわててシャ
ワーを浴びひげを剃って29階のラウンジに行くと誰も
来ていなかった。コーヒーを注文して、やっとそこで東
京北京間は1時間の時差があり、まだ朝の8時半だった
ことに気がついた。29階からの展望ははるか遠くまで
見下ろすことが出来た。今日も青空が広がる快晴。ホテ
ルの東側に市内では珍しく緑広がる住宅地が広がるが、
それは大使館街とも云うべく地区である。そことホテル
の間に流れる川が昨日入口君が大騒ぎしていた川で、今
朝は誰も泳いでなかった。
約束の時間より早く、お銀が現れた。お銀は吉林省出身
の朝鮮族系中国人で京都の大学に留学していたから日本
語を喋る。昨夜は、用事がありますと一足早く飯もつき
合わずに帰宅したが、怪人によるとありゃ男だな・・・
というので、お銀に昨日は上手くいったのかいと聞くと、
いったのかいかなかったのか要領を得なかった。
怪人から大渋滞で30分ほど遅れると連絡が入った時、
門前君が顔を出した。門前君は千葉県出身、北京の大学
卒業後、日本に戻らず北京で仕事をしている若きナイス
ガイ。お銀と同年代の20代後半で以前は二人とも同じ
職場で働いていた。門前君に犬は元気かいと聞くと、え
え2匹とも元気ですと言うから、また1匹飼ったらしい。
門前君は歌と踊りが上手で、数ヶ月前は上海のテレビ局
のオーディション番組に合格し、決勝大会にまで進んだ
が、最後の50人には残れなかった。一攫千金スーパー
スターになり損ねましたというから、何万人の応募の中
で最後の50人手前までいったのだから立派なもんだ、
ところで和食定食なんかなかなか食う機会がないだろう
と昆論飯店の焼き鮭の朝飯和定食をご馳走した。
門前君、ご飯と焼き鮭を口に入れ、
「うッ! 美味い」
と声を出した。
怪人が現れ4人で和定食を食いながらの企画会議。会議
が終わり、夕方の打ち合わせまで午後はヒマだとパンダ
を見に北京動物園まででかけた。パンダ館に入るとすぐ
パンダが寝ているのが見えた。お銀はパンダパンダと日
本人は騒ぐけど中国ではパンダと言っても誰もわかない
というから、じゃあなんて言えばいいんだ、大熊猫と言
わなきゃわかりませんと言う。でガラス越しに見える大
熊猫を背景に代わる代わる記念撮影をしていると、北京
中影テックの花粉社長から、すいませーん今回は上海に
おりましてご一緒できませんと電話が入った。電話が入
ったといっても鳴ったのは怪人の携帯で、昨日ホテルに
届いてるはずのわたし用の携帯は今朝になっても届いて
いなかった。花粉社長とチベットに同行するはずだった
のに直前でキャンセルしてしまったことを詫びると、頼
まれたチベット仏教音楽CDは怪人さんに渡してありま
すから受けとっておいてくれたしとのこと。ただし何枚
かはウンともスンとも音が出ないものもありますとも言
ってた。
「そうだ花粉君、君はチベットに行くついでの成都でパ
 ンダ園に行ったと聞くが北京動物園のパンダは寝てば
 かりいる、腕枕して仰向けに寝てる奴もいれば、ドテ
 っと両手両足投げ出してうつ伏せになって寝てる奴も
 いる、態度がたいへんよろしくない、成都ではどーだ
 った」
「パンダはもともと食ってるとき以外は寝てばかりいる
 動物で、午前中の3時間くらいしか起きていないと聞
 いたので、私は朝一でパンダ園にいったところ、係員
 がパンダを檻から外に連れだし笹やってましたから間
 近で見ることができました、ええ、むしゃむしゃ笹食
 ってましたよ。千元(16000円)払えばパンダと
 ツーショットの写真が撮れます」
と花粉君は云ってた。食ってる時以外は寝てばかりだな
んて生息地には天敵はいないんだろうか。それともあん
な顔してて熊だからやるときゃ強いんだろうか。ツーシ
ョットで写真撮るパンダはきっと小パンダだろう。小パ
ンダ抱いてのツーショットが1000元とはちと高いが、
花粉君は写真撮ったとは言わなかったが撮ったとみた。
ところで、小パンダは大熊猫とは言わず小熊猫と言うの
かねとお銀に聞くと、知りませんねとそっけない。明日
からの男友達との雲南旅行のことで頭がいっぱいのよう
だ。一般に中国では男は早く結婚する。結婚し家庭を持
てば落ち着いて仕事に精を出すと考えられていて早く結
婚するらしい。お銀の高校の同級生の男は皆すでに結婚
していて独身者は誰もいないらしい。お銀は20代後半
ですでに行き遅れ女になっていると自分でいう。いいの、
わたしは一生結婚しません、ひとりで生きていきますと、
けなげにもあきらめと開き直りが混ざったような言い方
がチャーミングでもあるが、そこは女心、実は密かに有
名な占いの先生に結婚運を占ってもらったところ、20
07年中に結婚できなければ次の機会はは13年後の2
020年になるとのお告げであったようで、2007年
といばあと数ヶ月の賞味期限。赤ちゃんパンダどころで
はないのである。怪人は雲南に行く前に君にふさわしい
男であるか俺が面接してやろうかと持ちかけるが、ここ
で話がこじれちゃかなわないとお銀は逃げ腰で断ってい
た。
熊の檻もライオンやトラ、猿、象の檻も日本の旭山動物
園のように工夫も何もなくただ檻の中に動物がいるのを
見て回るだけというゆるみきった広大な園内をだらだら
と歩いてまわっていると園内を周回する電気自動車が通
りかかった。1時間貸し切り願いたいと申し出て、交渉
成立。後はすいすいと回った。園内には運河も流れてい
て水辺の風景は典型的な中国庭園の景で一見の価値があ
った。最後に運河を一周するモーターボートに乗って北
京動物園は終了。
歩き回って(ほとんど電気自動車に乗っていたが)少々
疲れた。水族館は入場料200元(3000円)も取ら
れたのに、イルカの水槽は清掃中でイルカはどこにもい
なかった。大きなはりぼての鯨が壁からどーんと突き出
てたのに鯨はどこにもいなかった。なにも泳いでいない
とてつもなくデカイ水槽を見物して、あとは金魚と鯉が
うじゃうじゃ泳いでいる水槽を見物しただけで気分も少
々沈みがちだったから、景気つけようぜ! と怪人と綿
アメ買って食ったが、甘いだけで景気はつかなかった。
動物園を出て、おそい昼飯を交通口南大街という場所に
ある「金々愉国餃子館」に餃子を食いに行った。怪人い
うところの庶民的なキタネー店だがいつも超満員の有名
店。「金々・・」と書いたが本当は金という字は山型に
3つ重なった日本語ワードプロセッサーでは変換不可な
中国の金の字で、意味はお金がうじゃうじゃ増えるとい
う目出度い字。これを金々と二つ並べて屋号としている
から、店の名前は「お金がうじゃうじゃ貯まる愉快な国
のギョーザ屋」ということだろう。
で、金が貯まるのは店? それとも客? と店にはいる
と、店にも客にも金が貯まっているような感じはなく、
あまりにも普遍的な庶民の食事風景であったが、餃子は
その金の名に恥じず目出度く美味かった。
トマトと玉子の餃子。豚肉とニガウリの餃子。ネギと羊
肉の餃子。すべて水餃子だが、これは日本では食えない
本場の美味であった。トマトと玉子はよく一緒に使われ
る組み合わせだが、餃子の具とは思いも寄らなかった。
厚めの餃子の皮はつるつるとしてほどよく塩味が効いた
小麦の味がして中の具はジューシーである。皿に20個
ほど山と盛られてでてきたが次から次へ箸が伸びあっと
云う間に無くなった。猫舌で熱いものが苦手であるが冷
めるのを待っていると無くなってしまう。あふあふあふ
とたべた。
食べて、すすめられるままにマッサージ院に行ってきた。
街のマッサージ屋ではなく、按摩で治療する国立の専門
病院である。本来は膝・腰・腕・首などの部位を按摩に
より治療するのだが、健康保険証がなくても診察券がな
くても中国人ではなくても治療を受けることができる。
医師との問診があり、それにより按摩治療でいくか針治
療でいくかが決まるのだそうだが、治療にきたわけじゃ
ない。お銀に仕事で疲れている背中と肩と腰にハリがあ
るんで全身をリラックスさせて欲しいと医師に通訳して
もらった。若いインターンのような先生で日本語は話さ
ず揉まれるままに揉んでもらっていたが膝の裏を押され
ると、ビビビと激痛が走った。
痛いー!!!
と叫ぶと痛いという日本語はわかるらしくリラックスリ
ラックスと英語を言いながらごりごりと痛めつけてくれ
たが、揉んで欲しいところを一言もいわなくても触って
いるだけでココガコッテマンナアーと手でわかるようで、
痛いところに手が届くようにほぐしてくれた。快楽快楽。
身も心も軽くなったわたしは夜の打ち合わせ飯会に備え
ホテルに戻った。まだ陽は高かった。
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by kasuya_senji | 2007-09-03 14:54 | Comments(1)
秋晴れの北京
2007年8月30日

朝起きて、思いっきり伸びをして、ベランダで一服しな
がら新聞を読んでいると、今にもこぼれ落ちそうな空か
ら雨がパラパラと落ちてきた。ベランダのデッキが雨に
濡れみるみるうちに黒い点々でいっぱいになった。新聞
にも丸い雨マークがポツポツポツと染みてきたので、い
そいで部屋に戻ったが、それにしても北京は快晴の秋晴
れだった。
今週。急遽北京に2泊3日ででかけた。北京では到着初
日の午後から現地視察後、食事をはさんで夜遅くまで長
い打ち合わせがあった。二日目はブレックファーストミ
ーティングと夕方から食事をはさんで、また夜遅くまで
ミーティング。三日目はまたブレックファーストミーテ
ィングと都合4回のミーティングに参加したが、仕事の
話はまあいい、仕事の合間にでかけたあちこちの北京話
を書いてみよう。まあ、その方がおもしろい話が多いの
だ。尚、ここに登場する人物は妙な名前(仮名)の人物
たちであるが、実在する人物である。

成田発10時55分日本航空781便に乗り込むと、1
時間の時差のある北京に午後1時50分に到着する。3
時間のフライトである。出発時に30分ほど遅れて出発
したにもかかわらず到着予定の20分前に北京空港につ
いた。遅れていた分を取り戻そうと機長は巻きに巻き上
げたようだ。空港に出迎えに来てくれた怪人の手配する
車で市内のホテルに向かう車中で怪人の仕事が順調であ
るか否か問うと、床の工事をやりなおしてます、コンク
リートの床のところどころにコンセントを配したのです、
そうです使わないときは床であってその上を歩け、使う
ときはプッシュするとパコンと蓋が開く式のコンセント
です、ところが金属の蓋ではなくプラスティックの蓋を
使っていたので、これじゃ踏まれると割れてしまうじゃ
ないかと金属製のものに替えさせました、替えるには周
りのコンクリートを50㎝四方ほどはつって入れ替えな
ければなりません、ところが入れ替えが終わってみれば
蓋が開かないのです、またやり直させたら今度は蓋は開
いた蓋が閉まりません、もう一度やり直せと1回で済む
工事を4回もやる始末で、コンクリはつって埋めて昨日
今日はそれでてんてこまいです、と言うから不謹慎だと
は思ったが、ハハハハハハハハハと大笑いしてしまった。
床だけではなく、外壁は黒、中壁は白と言っておいたの
に外は白、中は黒と反対に塗ってくれちゃって、それも
1000平米の広さだから、一旦バラシたペンキ屋をま
たかき集めての塗り替え工事も同時進行中らしく、とっ
くにできあがってなきゃいけないのにいったいいつにな
ったらできあがるのかもう笑っちゃいますよと怪人はガ
ハハハハハと笑っていた。それでやり直させて、外は黄、
中は赤だったらもうそれでいくしかないねと言うと、そ
のつもりでおりますよと豪快であった。
快晴の青い空が見える北京の高速道路をひた走ってホテ
ルにつくと、怪人の同僚の中国人の入口君が待っていた。
珍しいですよ北京で青い空が見えるなんて、北京市民は
工事塵とスモッグで青い空なんてめったに見られないで
すから、ほらあそこ、川で泳いでいる人が見えるでしょ
う、あの川滅茶苦茶汚いんですよ、汚れきった上に上流
では平気でションベンする人が居るんですよ、そこを泳
いでるんですからよっぽどこの天気で躁になってるにち
がいないですよ、アッ! 潜ってる、汚ねえー!
と大声でさけんでいる入口君のご推薦で今夜の食事はウ
イグル料理。ウイグル自治区はモンゴルの西、チベット
の遙か北にある砂漠地帯で、シルクロードの街。アラビ
ア人とカザフスタン人とイラン人とアフガニスタン人と
モンゴル人と漢民族の異種混血の末裔の人々が住む。料
理は羊肉と野菜が主。果物も豊富で西瓜なぞでかくて大
人の腕で一抱えもある。そこでは葡萄が獲れるからワイ
ンも美味いらしいが、めずらしくベルギーの白ビール:
ヒューガルデンがあったのでそれにした。今夜のお目当
ては店のステージで繰り広げられるウイグルショーであ
る。入口君に料理はまかせ出た物を食ったがどれもこれ
も美味い。毎日食いたいとは決して思わないけどね。薄
緑の岩塩と胡椒を混ぜたような香辛料が小皿に盛られて
いるので羊のすね肉をそれにつけて食ったら美味かった。
美味かったがその香辛料の香りはどこかで嗅いだことが
あると思い出すと、ロンドンのシュパーズブッシュのイ
ンド料理屋の香辛料とワキガが混じった匂いであった。
羊肉食ってサラダ食べてと繰り返すうちに、いよいよウ
イグルショーが始まったと思ったら、いきなりスタイル
抜群の絶世の美女3人組が登場し、手をクネクネ腰をク
ネクネのセクシーダンス。中のひとりが俺を見てウイン
クをした。怪人と入口君も自分を見てウインクをしたと
いっている。君じゃない俺だ。あなたではありません私
ですと言い合っていると、隣のテーブルでも俺だ俺だと
言い張っていた。
竿の長い5線のギターの原型のような弦楽器とおおきな
タンバリンのような打楽器の演奏は、インドのシタール
とタブラの演奏によく似ていた。なんともまあオリエン
タルムードがいっぱいである。歌と踊りと合唱に曲芸も
カンフーダンスも演じられ、いつのまにか客が盛り上が
りに盛り上がってきている。踊り子に誘われドイツ人ら
しき外人の大男がニコニコしながらステージに上がり一
緒に踊っている。最後は、客が全員大皿小皿が片付けら
れたテーブルに上がり踊りまくって、ステージと客席渾
然一体となってショーは終わるらしいが、そこまではつ
きあえない。食事もショーもワキガの匂いも腹一杯だと
店を後にし、怪人と入口君と3人でベッドに入った。
そこは、小振りな中庭のまわりをぐるっと囲んで8つ程
ある部屋にベッドがひとつづつ置いてある「BED」と
云うバーで、ベッドに横になって飲んでも良しテーブル
で飲んでも良し。3軒ほど先にある安いビジネスホテル
に宿泊している白人系旅行客で店は混んでいて、中には
ベッドで仲むつまじく肩肘をついて寝ころび向かい合い、
異境東方の夜を過ごしている外人がいた。
店にはDJがいたので持っていた「BUDHA・BAR」
のコンピレーションCDをかけてもらった。パリのこの
店は中央に黄金の仏陀がデンと居座るウエスト・ミーツ・
イーストの摩訶不思議なレストラン&バーで、たちまち
チベット仏教音楽もどきのアンビエントなサウンドが流
れてきた。空にはポッカリと月が浮かんでいた。名物の
モヒート(これが絶品だった)を飲みながら企画会議を
再開し夜中の3時過ぎにホテルに戻り、初日終了。怪人
と入口君は、これから別の会議があります今日は徹夜で
すと会社に戻っていった。
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by kasuya_senji | 2007-09-01 15:40 | Comments(0)

 
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