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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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あと2年で・・・
2007年11月29日

6番町のSミュージックで打ち合わせがあり、会議終了後、
そこから越谷に出かけた。カーナビがついていない車で出
かけたからあらかじめ地図でどう行くかは調べてあった。

地図によると・・・
Sミュージックの駐車場を出て右折する。
5番町の交差点を左折する。
市ヶ谷駅前の交差点を左に進み外堀にかかる橋を越えると
外堀道路にでる。
そこを右折する。
と書いてあるから、その地図通り、市ヶ谷を左折、外堀通
りを右折しようとすると、8時〜20時の時間規制で右折
禁止であった。車は左にふられて防衛省の方、つまり行き
たい方角とは反対の方向に曲がらざるを得なかった。
Sミュージックでは、まずご挨拶をさせていただく、人を
紹介いただく、名刺交換をさせていただくという簡素なも
ので、ムツカシイ案件ではなかったから30分もあれば済
むだろうと思っていたが、これが嬉しい見込み違いで話が
弾んでしまった。そして最後に社長を紹介されたが、その
人から、
「カスヤさんとはサンフランシスコでお会いしています。
 布袋さんのプレイステーションのギターゲームの撮影の
 時でした。あの当時はわたしはあの作品の現場担当をや
 っていましたんです。お久しぶりです!」
と言われ、あの作品では私は最後の最後のシーンで悪徳プ
ロデューサーとしてゲームに登場しているのだが、そんな
ことも急に思い出したりして、当時の話に花が咲いて予定
を1時間以上もオーバーしてしまっていた。
時刻は夕方にさしかかり交通渋滞が始まろうとしている。
そんな時に、のっけから車は反対方向に走っているのであ
る。いやいやこんなことじゃ下手をするとリハーサルには
間に合わんかもしれんなあ。環状線美女木を降りて49線
号で南越谷に向かうのだが、あの辺はまったく土地勘がな
いからなあ・・・と、しばらく車を走らせるとUターン禁
止の標識がない大きな交差点にでたから、ここぞとUター
ンしたところ、Uターンしたところにお巡りさんが立って
いて、
「すいませーん。Uターン禁止です」
と車を停められた。
禁止標識ありませんでしたよと言ったが、外堀通りのこの
辺りは全面的にUターン禁止で、その旨の標識は道路上の
車線方向やらのいくつかの標識と一緒にでているんですと
言われ(ということは俺が見落としていたのだ)6000
円の罰金を払うことになった。
そのお巡りさんは若いお巡りさんでいかにも人が良さそう
な人だったから、
「あれじゃ分かりませんよゥ。ちゃんと交差点に出してお
 いてくださいよ。わたしはこの道はほとんど利用してな
 いんですからよく知らないんですよ」
と、クレームは一応つけたものの素直に切符が切られるの
を待った。お巡りさんは、
「えー。市ヶ谷署の○○です。交通違反一件。東京都××
 在住のカイロのか、スイッチのす、屋敷のや、さんです。
 どーぞ」
と無線で本署に問い合わせ身分確認をしている。本署に身
分確認をして指名手配されている人物かどーかも確かめて
いるんだろう。
私は指名手配されてないから、身分確認にびくつくことは
なかったけれど、無線がガーガーピーピーと受信状況が悪
く、
「えー。せん。線路のせん。時代のじ。か・す・や・せ・
 ん・じ。生年月日は・・・・。本籍は・・・。えー。も
 う一度おねがいします」
などとやっているから、それで30分も足止めをくってし
まった。ますます、リハーサルには間に合わんかもしれん
な高速に乗ったら少し急がないとなと思ったが高速は渋滞
であった。しかも、5号線を直進すればいいのに、池袋を
過ぎた辺りで道を間違え6号線に入ってしまい、大回りを
して、とうにリハーサルには間に合わず、越谷に着いたと
きは開演の5分前だった。

しかし、日本の道路標識のわかりにくさには閉口するなあ。
ありゃ。道を知っているやつが作っているから分かりにく
いんである。知らない奴がどうして作るんだと反論もおあ
りだろうが、
「そちらの会社へ伺いたいんですが」
という問い合わせにFAXで送られてくる会社の所在地の
地図などその典型で、その辺りを知っている人が知ってい
るなりに書いた地図で、辺りを知らない人にはよく分かり
ませんと言う地図がなんと多いことか。それと一緒で、交
通標識は要は道を知っている人のための便宜サービスでは
なく、知らない人が何のストレスもなく通行できるための
ものであるべきだと言っているのだ。交通事故を無くすた
めにはそれがマストではないだろうか。

しかし、6000円も痛いけど、4年間無事故無違反でき
て、あと2年でゴールド免許が手にはいるところだったの
に、また一からやり直しとなってしまった。
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by kasuya_senji | 2007-11-29 16:46 | Comments(0)
雑記
2007年11月28日

午後から打ち合わせで渋谷〜青山と出かけ、夕方事務所
にもどると、会社で二組の打ち合わせがおこなわれてい
た。一組は宣伝会議。もう一組は、と書きこむところを
「もうひっとくみは」と入力してしまい、
「猛ヒット組は」と変換されてしまったが、この間違い
は、なにやら縁起がいいんでないカイ、とサッポロ弁で
独りごちた。
もう一組はモバイルチームの開発会議で、旧知のS氏が
来社して会議がおこなわれていたから、
「寒い中、どーもごくろーさまです」
と顔を出すと、全員携帯を手にし、無言でそれを操作し
ながらS氏の説明を聞いていた。客の全員が無言で漫画
を読んでいる漫画喫茶が一時流行ったが、会議のスタイ
ルとしてモバイル喫茶会議的でもあり妙に可笑しかった。
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by kasuya_senji | 2007-11-28 18:08 | Comments(0)
2泊3日の小旅行
2007年11月19日

3連休中の11月25日。26日と東京を離れた。
24日の土曜日は、石川厚生年金会館でおこなわれた
HOTEIのファンキー・パンキーツアーに参加。
午前中の便で小松に着くと旧友のKがにこにこと笑顔で
出迎えてくれた。
「めずらしいなあ・・。たいがいこの季節は飛行機は遅
 れることが多いが、予定より早く着いたんだな。天気
 も上々だし。暖かい日だ。数日前は冬が来たかと思う
 くらい寒かったんだ」
「昨日、野々市の寿司屋に顔だすよと電話すると、随分
 寒くなってますから十分暖かい格好でいらしてくださ
 いと言ってたから、ほら、手袋まで持ってきたが、ま
 ったくいらんね」
「その野々市の寿司屋だがネットで調べると俺の家のす
 ぐ近くだったよ。今日は俺がご馳走するよ」
「すまんな。前回もたしか君に奢ってもらったんだと思
 うけど・・。順番でいえば本来はこちらの番だが」
「いや。お前は俺の親父の葬式にわざわざ東京から来て
 くれたが、お前の親父の葬式には仕事の都合もあって
 俺は岡崎まで行けなかった。お前の親父には生前会っ
 ている。その供養だと思って奢らせてくれ」
野々市のその寿司屋は、私が行ったことのあるどの寿司
屋よりも美味い寿司屋で、東京にあったら今の話題の
「ミシュランガイド東京」で間違いなく☆がつく寿司屋
だろう。行ったことがある寿司屋で☆☆☆に輝いたのは
「すきや橋 次郎」。☆が「久兵衛」。この☆の2つの
差がどこにあるのかは、2店とも連れて行ってもらった
時にわたしはまだ若く、あまりの有名店ということで勝
手にこちらが舞い上がっていて、情けない話だが2店の
ちがいは分からなかった。ただ言えることは2店ともた
しかに美味い寿司屋であったことと高い店であったこと
である。
だが、仮にこの野々市の寿司屋「太平鮨」が東京にあり、
☆がひとつもつかなかったら私はこの「ミシュランガイ
ド東京」を信用することはできないと断言できる。
「いい仕事してますねー」という有名な言葉でお馴染み
のなんでも鑑定団の骨董商の親父であれば、一口食った
瞬間にこの言葉を吐くであろう。
季節の鯖、鰤、蟹、香箱などに舌鼓を打ちつほどに、ひ
ょっとしたら俺は布袋さんのライブに金沢に来たのでは
なく、この鮨を食いに金沢に来たのではないだろうかと
勘違いもした。
連休を利用して東京から金沢に訪れた4人の家族連れの
お客さんも店に顔を出した。
「温泉はまあ、一家で出かける口実で、今回の旅の主題
 はこの店の鮨ですよ」
とカウンターの隣にすわったその客が言うのを聞いて、
さもあらんと思っていたところ、太平鮨のオヤジさんか
ら、なんと私と彼は同じ人からこの店を紹介されたと聞
かされ驚いた。その人の名はミック立川。いやァ世間は
狭いものですねーと名刺交換をしたが、名刺を見ると、
なんと我が社の契約している会計事務所の人で、狭いど
ころかご近所の方であったのだ。

ファンキー・パンキー・ライブは日々進化していて、名
古屋でまた新たな局面をむかえたのだが、金沢ではます
ます進化していた。ライブの途中で思いつくことがあり、
舞台監督の髭坂と、
「この方法を採用すれば布袋の意図がより明確になり、
 またひとつ進化するのでは」
とアイデアをだした。
アンコールが終わり楽屋でシャンパンで乾杯。食事に行
くファンキー・パンキーバンドと会場で別れ、遅い夕食
を片町の路地奥の小さなおでん屋でとったが、おばあさ
ん(大女将)とおかあさん(女将)と娘さんの3人の美
人がやっている店で、この店がまた旅情をかきたててく
れたなあ。金沢に来ることも多いというミック立川に是
非紹介しよう。

翌、25日の日曜日は午前中に岡崎にもどる用事があっ
た。朝6時過ぎの特急しらさぎに乗ったが、まだ夜は明
けてなく西の空にはポッカリと大きな月がかかっていた。
月は沈み行く月ではなく、まだ中空にしっかりと留まり、
夜明け前の金沢を照らしていた。富山から西に向かって
来た列車は、金沢駅あたりで北から南に向かうことにな
るが、どうもまだ列車は日本海に沿って西に向かってい
るような感じがして、進行方向右側の窓の外に浮かぶ月
は北の空にかかっているように思えた。そう思えたから、
あの月は北朝鮮に沈んでいくのかと一瞬思ってしまった。
小松を過ぎ鯖江を過ぎた辺りで茜がかった空から朝日が
顔を出し日の出をむかえた。ちょうど鯖江駅前広場に
「ひので病院」と看板の出た7階建ての小汚い建物があ
ったが、そのときばかりは、その通り! と病院名に納
得してしまった。
日が昇ると暖められたあたり一面の田畑から水蒸気が立
ちはじめ、遠くの村や山端は霧に霞みだし、藤沢周平さ
ん書くところの「霧の朝」という情景になった。モノク
ロームのなかに薄く彩色されたような美しい風景だった。
いったいに北陸地方の農村風景は本当にきれいである。
広く大きく広がった田畑のところどころにこんもりとし
た大きな木が林をなしていて、そこは大きな農家、小さ
な集落、時にその林の中は神社や大きな急勾配の屋根を
持つ浄土真宗の寺だったりする。高度成長の近代化の始
まる前の日本の農村の人の営みの原風景が広がっている
のだ。そして列車が山合いにさしかかると、薄暗い山裾
に鮮やかないくつのも橙色が点在していて、それは柿の
実であった。
しかし藤沢さんと言えば、NHKの藤沢周平ドラマ「風
の果て」はたいへん評判がいいと言われるが、ありゃダ
メだね。佐藤浩市の主人公がイマイチである。いや彼の
役者としての資質を言っているのではない。50代とい
う主人公:家老桑山又左衛門を演じるには佐藤浩市はま
だ実年齢が若すぎるのである。だから結局老け役を演じ
なければならなく、その老けぶりがリアリティーを削い
でいるのである。あの役は、壮年期の三国連太郎でしょ
う。佐藤浩市、未だ親父を越えられずというところか。
陽が高くなる頃米原に到着。もうこの辺りからは美しい
風景も何もありゃしない。米原で新幹線に乗り換え名古
屋へ。名古屋で名鉄線河和行き特急に乗り知多半田駅で
おふくろと待ち合わせ、N施術院で治療をしてもらった
が、矯正した骨盤&背骨・首の骨はまともに真っ直ぐに
なっていると診断された。そう言われると急に身体が軽
くなったような気がするから不思議だが、安心もした。
おふくろも矯正した骨は正常になっているようで、実家
へ帰る車の中ではふたりとも気分は良く、亡くなった親
父のインテリ好きぶりの性格の功罪をイエスであるかノ
ーであるかと話し込んだ。ふたりとも全体としてはイエ
スであるが、その性格ゆえの視野の狭さ(インテリ以外
は認めんぞという頑固さ)に、私はノーでもあったと言
い、それがあの人の素敵なところだったとおふくろはイ
エスと言った。

実家でヨークシャーテリアのチッチと光にみゃーみゃー
と反応する子猫のモグとひと遊びした後、東京へ帰ろう
としたが、3連休の最終日で新幹線の指定席がのぞみも
ひかりもこだまも最終便まで1席もないとわかり、帰る
ことは諦め岡崎で一泊した。
呉服屋のYが日曜日の夜だというのに仕事だというので、
おなじく中学の同級生のSを呼び出し、花崗町の古都寿
司で飯を食った。どういうわけかSと牛の話に終始しな
がら鮨を食った。
ホテルにもどり大浴場にゆっくりつかり早めに寝たが、
お湯で身体があたたまり快眠だったが、見知らぬ変な女
があれやこれやと言っている妙な夢を見た。やけに言葉
遣いが丁寧な女だったな。

この旅は、旧友との再会、鮨とライブとおでんと北陸の
風景を楽しみ、おふくろと一緒に背骨の矯正をし、チッ
チとモグと遊び、牛の話をしたいい旅になった。
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by kasuya_senji | 2007-11-26 18:10 | Comments(0)
ま、わたしが歌うことはないけどね。
2007年11月22日

どちらでもいいのだが、今日はいい夫婦の日(11=
いい。22=ふうふ)らしい。いい夫婦の日というもの
がどちらでもいいと言っているのではない。このゴロ合
わせで「ナントカの日」と決めることが、どーでもいい
ような無邪気な手法だと言ってるのである。こんなゴロ
合わせで決めていいのは、
「6月4日の虫(む=6,し=4)歯予防デー」
くらいなものであろう。これは小学生にとって、とって
も分かりやすい無邪気さがある上に大きな意味がある。
小学生となればすでに乳歯から永久歯に生え替わる時期
で、12才=6年生には全部生えそろっているのだから、
虫歯予防デーと呼びかけて、これからの数10年間とい
うかほぼ一生の間、60になっても70になっても丈夫
な歯を持つことが出来るための習慣=歯磨きを身につけ
させる事はおおいに意味があるのである。
意味があると言えば、結婚記念日でもなければ「夫婦」
を特に意識しないであろう夫婦者に、僕たちは私たちは
夫婦なんだぞと思わせることが可能かもと考えれば、夫
婦の日というのがあっても無意味では無いだろうとも思
えるが、それが子供じみたゴロ合わせで設定されている
ことに人生感などとはほど遠い馬鹿さ加減を感じてしま
うのは俺だけだろうか。

それはそれとして、この「いい夫婦の日」に歌ってみた
い歌はナンデスカというアンケートがあって、学生時代
に吹き荒れた学生運動家世代(団塊の世代)では「神田
川」が選ばれていた。30代40代の夫婦ではドリカム
の「未来予想図」が圧倒的で、20代夫婦ではコブクロ
の「永遠にともに」という歌だった。
このアンケートで私が驚いたのは、20代30代40代
50代60代の夫婦を合わせた総合チャート(チャート
とは言わないんだろうが)では、なんと、なななんと!
美空ひばりの「川の流れのように」だったことである。
この歌は美空ひばりの最後のヒット曲で、この歌があっ
て美空ひばりの永遠性が成立していると考えていた僕は、
なんだか持論が証明されたような感じがして、このアン
ケート結果は、夫婦の日はどちらでもいいとして、おお
いに満足したのである。

「あ〜あ。かわのながれのよーに・・」

ま、わたしが歌うことはないけどね。
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by kasuya_senji | 2007-11-22 17:16 | Comments(0)
岡島の偉業の不思議
2007年11月21日

プロ野獣セ・パ両リーグは今季の表彰選手を発表した。
セリーグのMVPは巨人の小笠原選手。昨年の日本ハム
でのMVPに続く2年連続の受賞となった。セ・パ両リ
ーグでのMVP受賞選手は、江夏豊(広島・日本ハム)
以来2人目である。
パ・リーグのMVPは21才の若きエース、日本ハムの
ダルビッシュ選手が受賞。高校卒業以来3年目での受賞。
新人王はセ・リーグが阪神の上園投手。
パ・リーグは楽天のマー君こと田中投手。
上園投手は武蔵大卒だが、田中投手は駒大苫小牧高校を
今年卒業したばかりで、高卒1年目での受賞は、清原、
松坂以来のことである。
これで、オリンピック予選の星野ジャパンの闘いを残す
ものの一応今年の日本のプロ野球は終了した。

わたしの行き付けの床屋の店主は野球好きである。
椅子に座って髪を整えてもらう間は、たいがい野球談義
となる。この床屋のオヤジ(といってもまだ若いのであ
るが)野球のことをよく知っていて、新聞やテレビで報
道される以外のこともよく知っている。
だれだれとだれだれが銀座のクラブでよく一緒に飲んで
いるとか、ジャイアンツのだれだれは足立区のディーラ
ーで車を買ったとか、車種はなんであるとか、嫁さんが
どこの人だとか、どこで仕入れてくるか知らないがとに
かくいろいろなことを知っていて、江戸時代の昔、床屋
が暇人の時間つぶしの場所で、ゆえに町内の情報が集中
する場所であったころの伝統を守っているようである。
このオヤジの今年の預言が、レッドソックスに行った松
坂の大活躍でなく岡島の活躍であった。理由は、岡島が
投げる瞬間打者の顔やキャッチャーのミットを見ないで
下を向いて投げるクセにあった。
「あの投げ方されちゃバッターは怖いですよ。だって見
 てないんだもの、どこに飛んでくるか一瞬わからない
 でしょうあれじゃ。とりあえず今年は通用するかもし
 れませんよ」
そのとおりになった。岡島はMVPという派手なという
か重要な賞は受賞していないが、それよりも凄いことに
なった。岡島は、セ・リーグ(巨人)で日本一になり、
パ・リーグ(日本ハム)で日本一になり、大リーグで世
界一になった初めての日本人選手である。いや、はじめ
てといったが、今後も含め2度と出ない唯一の選手であ
ろう。
日本人で世界一を経験した選手は、井口(タイガース)
田口(カージナルス)松坂(レッド・ソックス)と岡島
を含め4人いるが、他の3人は、セなりパなりで優勝の
経験を持つが、日本での両リーグでの優勝経験はない。
ヤンキースが来年悲願のワールドチャンピオンになった
としても、松井秀はパ・リーグの経験はない。ドジャー
スがチャンピオンになっても斉藤は日本では横浜でしか
プレーしていない。ダルビッシュが日本国内でセ・リー
グにトレードされる可能性はないし、田中マー君も楽天
は離さないだろう。彼等はFA権を獲得して大リーグ挑
戦という可能性を追求することになるだろうから、それ
を考えると、セ・パ日本一&ワールドシリーズチャンピ
オン選手というのは、限られた環境の中での極限られた
幸運に見舞われなければあり得ない記録である。もちろ
ん、こんな記録は日本でもアメリカでも公式記録にはな
らないのであるが、いちばんカッコイイ
「記録よりも記憶に残る選手」
という称号が岡島に与えられるべきであろうと思う。
しかし、この話題をどこの新聞もテレビも評論家も取り
あげないのが不思議であると床屋のオヤジと話し込んだ。
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by kasuya_senji | 2007-11-21 18:31 | Comments(3)
ダイアモンド婚
2007年11月20日

第2次世界大戦が終了して間もない1947年の11月
20日。ロンドンのウエストミンスター寺院でエリザベ
ス王女とフィリップ公の結婚式がとりおこなわれた。以
来60年。今年2007年11月20日に、この二人は
ダイアモンド婚を向かえ、世界中から祝福を受けた。

第2次世界大戦が終了して間もない1947年の11月
20日。一部の市街地を残して焼け野原になった愛知県
岡崎市の片隅で、糟谷鉄夫と平井美与の結婚式がとりお
こなわれた。鉄夫も美与も23才の若さだった。今年2
007年11月20日に、この二人はダイアモンド婚を
向かえるところであったが、鉄夫は今年の9月9日にこ
の世を去った。60回目の結婚記念日をおふくろはひと
りでむかえることになった。

20日の朝。岡崎のおふくろに
「ひとりぼっちのダイアモンド婚へ」
と薔薇の花束をとどけた。
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by kasuya_senji | 2007-11-21 17:14 | Comments(0)
ジジ臭い朝
2007年11月19日

ホテルの部屋に帰ろうとエレベーターに乗ると7階から
布袋が乗り込んできた。スパイクマンとタケチャンマン
と一緒だった。室内プールで泳いできたのだそうだ。3
人とも泳ぎの後だけに見るからに若々しく顔が艶々して
いる。
「朝からプールで泳ぎ? まるで青春だね」
「ツアーに出れば朝のトレーニングは恒例です。カスヤ
 さんはどこへ?」
「いや俺はジジ臭い。サンデーフォークの故井上の墓参
 りに行った帰りだ」

8年前の11月22日の月曜日の朝。会社に出社すると
電話がかかってきた。
「サンデーのMです。悲しいお知らせがあります。今朝
 社長が亡くなりました」
「社長って、井上だろゥ。井上が死ぬわけがない。今は
 万博の招致運動でヨーロッパに行ってるはずだ。それ
 ともサンデーには登記上の社長がいるのか、井上の親
 父とか」
「いや。井上本人です」
「・・・・・・・・・」
「先ほど亡くなったばかりでこちらはばたばたしていま
 す。専務のKからお知らせせよと言付かり連絡しまし
 た。遺体は間もなく家にもどると思います。くわしい
 ことは後ほどKからあらためて連絡が入ると思います」
電話の向こうでMの嗚咽が聞こえている。井上が亡くな
ったという信じられない連絡が、事実であったのだった。
電話を切って、すべての用件をキャンセルするようGさ
ん(爺さんではない)に指示すると、東京駅から名古屋
に向かう新幹線に飛び乗った。

夕方近くまで井上家に滞在し、弔問に訪れた人々と声を
交わすが、だれもかれも今起こっていることを事実とし
て受け止めるには衝撃が強すぎていた。
陽が落ち辺りが暗くなった頃、井上家をおいとまして同
行のK氏とホテルに戻るが、ホテルに帰って何をすると
いうのだ。とても、夕刊など読んで夕食をとりテレビで
も見て寝る気になんかなれない。K氏(名古屋在住)に、
「これからどうするの?」
と聞くと、K氏も何をしたらいいか分からんという。今
夜は寝られそうもないと言うから、
「井上のボトルを全部飲もう」
と、かって井上に連れて行ってもらった飲み屋・クラブ・
バーを軒並み訪れた。
「あらー。カスヤさんお久しぶり。あら今日は井上社長
 とご一緒じゃないんですか?」
「いや井上さんはいない。しばらく彼は来ないと思うか
 ら俺が井上さんに成り代わってボトルをあけちまおう
 と思ってやってきたよ。井上さんのボトルを出してく
 れないか」
井上の死はその翌日か翌々日の中日新聞の死亡欄に記事
として出ることになるが、この時点では街の人々はまだ
誰も知らなかった。
レミーマルタン・カナディアンクラブ・VSOPなどグ
ラスに注がれるとぐっと一気飲みして、全てのボトルを
飲み干したが、いくら飲んでも酔わなかった。酔えなか
った。たださすがに6本も空け終わるとフラフラになっ
て、気絶するように寝た。

井上の墓の前で、同行してくれたサンデーフォークのS
さんとそんな思い出話をし、ホテルに戻ったところで布
袋とエレベーターで鉢合わせ、プールで一泳ぎしたと聞
いたから、つい自分の行動をジジ臭いと言ってしまった
のだが、俺の中で井上はまだ40代の若さのまま、永遠
に静止しているのである。
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by kasuya_senji | 2007-11-21 16:28 | Comments(0)
207
2007年11月14日

”今年の車”デミオ受賞と新聞に出ていた。
カー・オブ・ジ・イヤーを選んだのは、日本自動車研究者・
ジャーナリスト会議(RJC)で、この記事を読むまでカ
ー・オブ・ジ・イヤーがRJCという機構で選ばれるとは
知らなかった。選考対象車は、昨年の11月から今年10
月末までに日本国内で発売された車で、会員(自動車研究
者やジャーナリスト)の投票によって選ばれるとあるから、
かなり専門的な評価がされたのだろう。
評価によると、今年7月にデミオは5年ぶりの全面改良が
おこなわれ、流線型のデザインを採用し、従来モデルから
100キロの軽量化に成功し低燃費にしたこと。そして1
0月末までの4ヶ月に25000台の販売実績をのこした
車であるらしい。カー・オブ・ジ・イヤーという名誉はな
んとも魅力的であって、きっと今週末、全国のダイハツ販
売店では「デミオ2007年カー・オブ・ジ・イヤー受賞」
の御旗や幟がたはめくことであろうが、かといってこの車
を買おうとは思わない んだが悪しからず。
ついでといってはなんだが、輸入車部門ではフランス車プ
ジョー「207」が受賞したとも発表された。新聞には2
07の受賞理由は書かれていなかったので、私見ながら書
かせていただく。

秋の日本晴れの或る日曜日。車を飛ばして岡崎から東京へ
帰った。あまりの好天気に空は絵に描いたように晴れ、実
際の風景でありながら絵のようであった。絵に描いたよう
にとはよく言ったものだなと日本語の言い回しに感心しな
がら車を走らせた。由比パーキングエリアで昼食を取った。
ここからは、相模湾越しさらに伊豆半島越しに富士が見え
る絶景のポイント。ここでも絵を見てるようであった。桜
海老天うどんを食べ、車に戻ってトップを空けオープンに
して煙草をふかしながら座席から富士を眺めていると前の
駐車スペースに大型トラックが入ってきて、プシュープシ
ューとエアーブレーキの音を鳴らして停止し、青空に映え
る富士がトラックに書かれた「全国直行便○×運送」とい
う看板に消されてしまった。駐車場であるからどーでもい
いのだが、これがため込んだ貯金をはたいてやっと建てた
「富士が見える家」であったとしたら、その家族の悲しみ
は絶望的であるだろう。
由比をたってしばらくすると東名高速道路は沼津を過ぎた
辺りから箱根の山塊を避けるように北上する。御殿場まで
の長い距離をゆるやかな登リ坂が続き、大型トラックなど
は左側の登坂車線を延々と上る。このあたりでは前方にな
んの傷害物もなく富士と真っ正面に対峙するポイントがあ
って、トラックの背中に富士を邪魔されないように一番右
側の追い越し車線を悠々と走っていると、後方から爆音が
聞こえてきたと思う間もなくみるみる近づいてきたのが赤
と黄色の2台のフェラーリ。赤が横浜ナンバー。黄色が練
馬ナンバーだった。もの凄いスピードであっと云う間に私
の車を追い越していった。その走りは間違いなく「NO1 
カー・オブ・ザ・ヒストリー」そのものであったな。ただ、
その後に信じられないものを見た。甲高い爆音を残して走
り去る2台のフェラーリを、1台の赤い小型車がフェラー
リを追い抜くような、覆面パトがいたら間違いなく一発で
免許取り消しになるだろう猛スピードで追いかけていった
のだ。その車はプジョー207。
さすがRJCの会員の皆さんはよくご存じである。小型車
にしてあのスピードを。カー・オブ・ジ・イヤーに輝いた
としても不思議ではないといったらブラックすぎるだろう
か。
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by kasuya_senji | 2007-11-14 15:14 | Comments(2)
酔客
2007年13日

やっと会えた。
親父が夢に出てきたのだ。身近な人や可愛がっていた動
物が死ぬと、数日して夢を見ることがよくあった。遠い
昔のことになるが、まだ学生の頃、小石川の愛知県の学
生寮の屋上から近くの建物が炎上する夢を見た。記憶に
残る色つきの夢はこれが最初だ。火は真っ赤に燃えさか
っていた。夢の中で一緒に屋上にいた同部屋のOの顔が
火にあてられて赤くなっていたことを憶えている。その
屋上にダンがいたのである。ダン、お前どうしてここに
いるんだ? 東京まで来たのか? と聞いてもダンはニ
コニコと尻尾をふってこっちをみていた。
ダンはアイリッシュセッター種の雄犬で産まれてまもな
く親父が家に連れてきた。いかにも高そうな洋犬であっ
たが、只でもらったのか買ってきたのかは親父は言わな
かったので知らない。この犬は猟犬で、獲物を見つける
とポインターがその獲物の居場所一点を見つめ飼い主に
知らせると同様、今すぐにその獲物に向かって飛びだす
ような姿勢をとる。まるで短距離ランナーがスタートの
号砲を待つかのようにである。その姿勢を「セットする」
といって、セッターと呼ばれる中型犬である。ポインタ
ーと違って長毛種でその薄茶色というか濃いブロンドの
毛がきれいな犬だった。なによりも走る姿がアスリート
のようにうつくしい。
家で兄弟に可愛がられていた子犬時代はあっという間に
過ぎ、3年もすると妹やおふくろでは散歩も引っぱられ
てしまい手に負えなくなった。散歩係は中学生のセンジ
君の役割で、学校から帰ると夕方の飯前に連れだし、中
学校の校庭を思いっきり走り回らせた。ボールを遠くに
投げ咥えて戻ってくることを教えた。ボールが投げられ
ると「行け!」という合図がかかるまで跳びたす姿勢を
セットしたまま微動だにしなかった。そうして陽が暮れ
かかる頃まで遊んだ。高校生になってもダンの散歩係は
わたしで、大学に通うために東京へ出てくるとき、これ
から誰が散歩に連れだすのか心配であったが、もうその
ころはダンは老犬になっていて、散歩に連れだしせとせ
がむことはなかった。上京して数年。東京での生活に追
われ田舎のことはいつか忘れがちになった頃、ダンは庭
の隅の犬小屋で静に亡くなった。夢にダンが現れたので、
もしや・・・と思い実家に電話すると
「お前が悲しむだろうから知らせなかったが、そうかい
 ダンが現れたかい。お前が帰ってくるのを待っていた
 んだろうねえ」
とおふくろが言った。

2回目は友人の田口清が亡くなったときだった。田口は
「猫」というバンドのボーカルで、自分が田口と知り合
った時は、バンドは解散して彼はソロアーティストとし
て活動していた。その当時、札幌のSTV放送の日曜日
の朝の公開ラジオ番組があって、売り出し中の松山千春
がパーソナリティーをつとめていて、結構な人気番組だ
った。田口がその番組のゲストで出たときのこと、松山
千春が、
「僕、田口さんの歌が大好きなんです」
と照れくさそうに田口に語りかけていたことを思い出す。
田口は数枚のアルバムを発表したが、その優しい歌声は
80年代の日本の音楽の時流には乗れず、その後ソロ活
動はゆるやかに終息し、レコーディングディレクターと
して働いた。なかなか子供に恵まれなかった田口に待望
の男児が誕生したのはその数年後のことである。忙しく
てなかなか子供と過ごす時間がなかった田口は、休みと
なれば必ず家の近くの公園で子供と遊んだ。子供もだん
だん大きくなり、田口がこぐ自転車の前に括りつけられ
た座席にのって、公演にあるコンクリートで作られた小
山をいっきに下り降りることをキャッキャと喜ぶように
なった。そうして過ごしていたある日悲劇が起きた。小
山を下り降りる自転車がスリップしたのだ。田口はとっ
さにハンドルを離し子供をかかえたかばったままコンク
リートに頭から叩きつけられ、帰らぬ人となった。30
代の若さだった。田口の葬式で、父親を失ったことをわ
からぬちいさな子供が、大勢の弔問客が訪れているのに
父親がいないので必至に田口を捜しているのが憐れだっ
た。そうして1週間ほど過ぎた或る夜。田口が亡くなっ
た公園のベンチに座り
「君のとーさんは君の命を守ってなくなったんだよ」
と幼子と話している夢を見た。その子供はわたしが言っ
ていることを理解していないようであったが、見てるう
ちにだんだんと急に大人びてきて、髭まではやした田口
の顔になった。ありがとうと田口が言ったところで目が
覚めた。

3回目は飼い猫の「カムイ」。
まだ結婚前の独り者のころ。同僚のOの彼女がブリーダ
ーをしていて、客に頼まれ産ませたヒマラヤンが一匹余
った、20万もするのよこの猫は、今だったら5万円で
いいから譲ってあげるわよとそそのかされ、明日は新潟
明後日は山形と地方のコンサート仕事に追われる毎日で
あることも忘れ、その猫のあまりの可愛らしさに買った
猫。当然面倒など見られるわけのなく、当時つき合って
いた彼女(今のかみさん)に、おんぶにだっこで面倒を
見てもらったのだが、この猫が長生きし、子供が大きく
なるまで生きてくれた。わたしがかかわったアーティス
ト暦で云うと、長渕剛からBOOWY、布袋、松井、山
下久美子、花田裕行、ガラパゴスまでに至っている。亡
くなった夜。夜中に目が覚めると、枕元にカムイがちょ
こんと座っていた。
「おーい!みんな起きろォ。カムイが会いに来てくれた
ぞー」
その自分の声で目が覚めたが、長いつき合いに別れを言
いに来てくれたと今でも思っている。

4回目の夢は名古屋のサンデーフォークの創立者の井上
が亡くなった後のことだった。どういう分けかハワイに
遊びに来ていて、真っ黒に日焼けしてホテルのシャワー
ルームに入ろうとすると先客がいて、
「カスヤ、先にシャワー浴びてるよ」
と声をかけ振り返ったのが井上だった。
「お前。この前死んだんじゃないのか? 生きていたの
 か?」
「俺が死ぬわけないだろう。お前と遊びに来てるじゃな
 いか」
朝目が覚めたとき。本当に井上がハワイでまだ生きてい
るような感じがしたものだった。

それからしばらくそういった夢は見なかった。亡き親父
の49日の法要も終わり、会社のGさん(爺さんではな
い)に手伝ってもらい、会葬に来ていただいた方やお花
を送っていただいた方々にお礼状を出す作業をしている
時、Gさんに
「亡くなった人が夢に現れるんだがまだ親父は顔を見せ
 ないなあ・・」
と話していた矢先の昨晩、親父が顔を出してくれたので
ある。どこかのホテルの一室でのんびりしていると廊下
で大騒ぎしている声が聞こえる。なんだろう夜中に。誰
が騒いでいるんだろうとドアを開け廊下を覗くと、真っ
赤な顔をして大酔っぱらいしている親父が、よーといっ
て現れたのである。その顔は晩年の好々爺のそれではな
く若い顔してたなあ。まだ50代の若さだった。機嫌良
く酒飲んで調子よく酔っぱらっていた。
ありゃりゃりゃりゃ。
「夜中にそんな騒いじゃ迷惑かかるよ。飲むなら部屋で
 飲みなよ。何号室だっけ? え? 2300号室?」
と云うやりとりをしたが、まだまだ飲み足らさそうな顔
してたなあ。
死の床に横たわっている親父の顔は、死者だけが保つ独
特の尊厳に満ちていた。その顔が今でも親父を思い出す
度に思い起こされるから、もうすこし威厳ある親父が登
場するかと思っていたが、大酔っぱらいで現れてくれる
なんて、石垣直角の真面目人間でありながら、どこか剽
軽な洒脱を持っていた親父らしかった。
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by kasuya_senji | 2007-11-13 16:42 | Comments(2)
西麻布界隈雑記
2007年11月9日

東京厚生年金会館で行われた
「H〇TEI&THE WANDERERS FUNKY
 PUNKY TOUR」に旧友のマッケンジーMが顔を
出した。
「いいねえ。最高傑作だよこのライブは」
と言われると我が意を得たりとほくそ笑んだ。
「もし、このバンドがあのウッドストックに出演していた
 としたら、CS&Nよりも有名になっていたに違いない
 だろうな」
などと二人で興奮しながら語った。また会おうとマッケンジ
ーMは帰って行った。

翌日の厚生年金会館二日目は、旧友のミックTが顔を出して
くれた。都合があって、コンサート終了後行われたパーティ
ーには参加できなかったが、そのパーティーでミックTが
「あれ? カスヤはいないんだ」
と捜してましたよと布袋からことづけをもらったのでミック
Tに電話を入れると、やはり、
「面白かったよ。最高傑作だね」
とまるでマッケンジーMと口裏を合わせたかのように同じこ
とを言った。

マッケンジーMとミックTは親友とも言える間柄で、
月刊エスクワイヤー誌での彼等の対談:シャングリアは後に
単行本となり、電通や博報堂のクリエイターの間で「バイブ
ル」と呼ばれたものだった。僕もこの本で初めて知った事柄
やお酒があった。この本で箱根の旅館「桜庵」のバーでの対
談があって、しかもバーテンダーにジェットソーダを作らせ
ながらの対談で、僕も人と飲むときはあまり頼まないのだが
一人でいるときには頼んだりもするジェットソーダを、彼等
はまるまるボトル1本飲み干しながらヘロヘロに酔っぱらっ
ての対談だったが、それがまた、滅茶苦茶おもしろくて、僕
は好きなこの酒をこのバーで飲みたくて桜庵のメンバーにな
ったくらいだ。
彼等の間柄は親友と云うべき間柄であるが、わたしの場合は
親友と云うよりも、とても気の合った仲間同士というべきだ
ろう。とにかく彼等の仕事をすると惹きつけられるのだ。彼
等は何のために生きるのかという点でとてもセンスが良いの
である。その二人が「最高傑作だね」と言ってくれるのだか
ら、このライブは或る一線を遙かに越えた魅力をもっている
ということが証明されたのではないかと思っている。

そのマッケンジーMから一枚の招待状が届いた。
我らが友人ミックT=立川直樹の新作本
「父から子に伝える名ロック100」祥伝社新書
の出版記念パーティーを西麻布で行います。遊びにきません
か。というものであった。
この店は布袋のアルバム発売を記念するパーティーをしたこ
とがあるが、さいきんはご無沙汰であったがよく知っている
店である。夕方7時から始まったというのに7時過ぎには店
内は人でごった返していた。マッケンジーMやミックTは今
夜のホストであり主役であるから、3人で長話をすることは
できなかったが、旧知の友人に会うことができた。その一人
が、かって布袋に作品を書いてくれた作詞家のM雪さんで、
M雪さんは顔を合わせるなり僕の服を見て
「よかったかぶってない」
と安心したように笑った。M雪さんと僕は服を買う店が同じ
で、ときに同じ服を着ているときに出くわすことがあったか
らである。「ポイズン」のあの詩に出会ったときは衝撃的だ
ったと話す僕に、あのメロディーを聴いたときの衝撃は今も
忘れませんと答えてくれた。
また別の人とも久しぶりに会えた。C&AのCさんである。
C&Aがまだ福岡でアマチュア活動をしている頃からの長い
つき合いで、その後彼等はヤマハのポプコンで優勝し、以来
四半世紀近くスーパーデュオとして活躍しているのは見事で
ある。忙しそうだねと言うと、来週は上海でコンサートがあ
るんで毎日リハーサルですと言っていた。1997年に彼等
の上海コンサートを観たときにその人気ぶりに驚いたものだ
が、上海でも相変わらず活躍しているようでなによりである。
パーティーはその後、妖艶な娘が登場しクネクネと肢体をく
ねらせ踊ったり、バイオリン弾きが登場しその演奏に拍手喝
采をしたりしている間にミックTと新しい音楽企画をまとめ
あげ、さっそく実行に移ろうと次ぎに合う日を決め、会場を
後にした。
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by kasuya_senji | 2007-11-09 12:30 | Comments(0)

 
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