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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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メリークリスマス!
2007年12月25日

北京とハワイ島からメリークリスマスと写真が届いた。
とても素敵な写真なので両友人にお断りして掲載させ
てもらうことにする。

北京からは、高層ビルに囲まれた尚8(という名の場所)
の夜景。尚8は天安門の前を走る長安通りを東にいった
ところにある開発地区で、北京には珍しく高層ビルが建
ち並ぶ。真ん中に写っている工場は、中国政府が建国の
記念的建物(1949年の中華人民共和国成立後、ソビ
エト連邦からの資金を導入し建てられた工場で、中華人
民共和国の歴史的な意味を持っている)として、開発に
あたり、この建物は解体せず文化芸術関連事業に限って
使用するという許可を出している。その工場をとりまく
風景である。ブレード・ランナー的であります。

e0074827_16451192.jpg

(撮影:怪人田中)


ハワイからは、とても珍しい夜の虹の写真。
ハワイ島にかかった月光に光る夜の虹。
ナイト・レインボウまたの名をムーン・ボウと呼んでい
るそうです。またメリークリスマスはハワイ語で、
メレカリキマカ! と言うそうです。
撮影者のMAXはハワイ島の海、空、星、宇宙のナチュ
ラルガイド。ハワイ島に彼を訪ねれば、人が根源的に持
つ自由について語ってくれる。星々の物語りは圧巻。

e0074827_1647281.jpg

(撮影:MAX前森)

では、皆さんにとって来る年が輝かしいものであります
ように。2007年はこれで終了します。
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by kasuya_senji | 2007-12-25 16:45 | Comments(1)
クリスマス
2007年12月24日

メリークリスマス。
近ごろは娘も息子も20才をこえて大人になってきたの
で、我が家のクリスマス風景は昔とは違ってきた。子供
が小さかったころのクリスマスは懐かしいものではある
が、自分のことを考えても高校生になってからは、
「小中学生じゃあるまいし・・・」
と家族といるよりも仲間といる方を選んでいたんだから、
我が家のクリスマス風景が以前と変わってきたことに特
別な感慨があるというものではない。
ただ、今年は父親を亡くした。したがって喪中である。
例年であれば、正月朔日の初詣はともかくも三が日には、
えー! 俺友達と行って来たからもういいんじゃないー、
という倅を引き連れ、
えー! 私も行くのォ、彼氏と行って来たんだよー、
という娘を引き連れ、お前達が生まれたときの宮参りは
この神社で、それからは家族の幸せ、無病息災をお願い
している神様なんだぞと言い&お年玉で釣って、無理矢
理一家総出で富岡八幡宮に行くのを一応の恒例としてい
たのであるが、喪中である。一家総出の初詣などはあり
はしないのである。へたをすると今年の年末年始は何も
ない冬になりかねない。せめて今年の冬の家族の思い出
にと、いつもは何が欲しいと聞いてそれぞれの欲しい物
を買ってクリスマスプレゼントとしていたが、今年は例
年とは企画を変えて、子供達が小さかった頃のように、
「わたしが送ってあげたい物」
を贈ることにした。
大学で合気道修行中の倅君はスキンヘッドである。
北風があたれば寒かろうと毛糸の帽子を。
朝早くから夜おそくまで仕事をしている娘さんには身体
を冷やしてはいけないよとマフラーを。
倅君はピッタシカンカンであったが、娘さんは首に何か
が巻き付くとくすぐったくて仕方ない、タートルネック
のセーターも着ないくらいだからマフラーはしないのだ
と贈った後で聞かされたが、幸い贈ったマフラーは巾広
であったから、膝掛けとしてつかいますー、すごく暖た
かいですーとのことだった。かみさんには黒のセーター
と赤のチェックのスカートを。よく似合ってた。
居間に皆が集まりプレゼントを開いて、なにーこれ? 
とわいのわいのとやる様は、ここ最近の我が家のクリス
マス風景とは違ったものになったのである。

二階の部屋に飾ってある、犬を抱いて笑っている親父の
写真に、あんたのおかげで初詣は行けなくなったがいい
クリスマスになったよと報告した。
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by kasuya_senji | 2007-12-25 16:07 | Comments(0)
鉄道本続々
2007年12月20日

男性のマニアックな趣味という印象が強かった「鉄道」
のファンが女性にも広がり、読みやすい書籍や雑誌の出
版が相次いでいると新聞記事にでていた。

こう書いてある。
「JR時刻表」などを出版する交通新聞社は今月1日、
女性のための鉄道エッセー・ガイド「鉄子の部屋」を出
版した。
この本の内容は、男性鉄道ファンのような、貨物列車の
横腹に黄色くかかれている「ト・ハ・ヨ」という記号は
なになにであるとか、この車両はいつどこの会社で作ら
れ△△鉄道会社によって何年に採用されたものであると
いうような知識を競うのではなく、気楽に楽しむ方法を
紹介するもので、現地で見たもの、食べたもの、面白か
ったものが書かれている。
同社では車内から見た風景を中心に編集した本も刊行さ
れている。ここでも、女性は鉄道そのものよりも付加価
値を楽しむ人がおおいので、きれいな風景や駅弁・郷土
料理などの味覚情報は積極的に掲載したという。
こういった女性鉄道本の先駆けに、昨年の11月に発売
された「女子と鉄道」という本があり、エッセイストの
酒井順子さんが・・・
と書きこんだところで、電話ですと言われ出ると、今年
の2月まで我が社にいたSジュンコさんから、
「お元気ですか。新しい仕事場がきまりましたので連絡
 しました。在職中はおせわになりました。皆様にもよ
 ろしくお伝え下さい。では良い年を」
との電話だった。ジュンコさんは、我が社を離れあたら
しい会社へ移ったものの、その会社の事業が縮小される
ことになり、結局半年ほどで職を失うことになったが、
やっと仕事場が決まりました言う声が弾んでいたのが嬉
しい電話だった。
順子さんと書いたところでジュンコさんから電話なんて、
妙な偶然もあるものだが、余談はさておき酒井順子さん
の本のことである。酒井順子さんが「小説宝石」に連載
したエッセーの反響が大きく、それがまとめられ「女子
と鉄道」というタイトルで出版された本で、これまでに
1万5千部を売り上げているらしい。内容は各地の鉄道
の情景や鉄道系グルメから電車にはつきものの痴漢の考
察に至るまでの多岐にわたるという。この痴漢の考察が
いかにも女性の鉄道ファンらしくて、目のつけ処がシャ
ープだ。しかし。この本のタイトルの「女子と鉄道」の
”女子”はなんと読むのだろうか。
じょし? =教科書的。小中校的。
おんなのこ? =おんなは可愛い的。
おなご? =時代物的。
最近はごぶさたのござるのH氏に聞けばきっとこう言う
んだろうな。
「キャピキャピー。おんなのこーと読むでござる」と。
拙者は、おなごと読むがいかがだろうか。

鉄道本続々という記事タイトルに「鉄子ちゃん、増殖中」
とサブタイトルがつけられているが、なぜ女性の鉄道フ
ァンを「鉄子」さんと言うのかは、この記事では書かれ
ていない。担当記者が知らないのか、知っているが、こ
の記事の主題は「鉄子」さんと言う名にあるのではない
から触れていないか、のどちらかではなかろうかと思う。
鉄道マニアは英訳すると「レールウエイ マニア」だが、
英語の「レールウエイ マニア」という言葉は、鉄道フ
ァンをさす言葉ではない。19世紀、鉄道によって流通
大革命が起こった時、株の投機の対象になったのが鉄道
会社で、勝ち残った鉄道会社の株は急沸し一攫千金の億
万長者を生んだが、つぶれた鉄道会社に投機した株主は
無一文となり破産する者が続出したという狂乱の鉄道株
バブルのことを経済関係用語で「レールウエイ マニア」
と呼ぶのだそうで、そこへいくと日本の鉄道ファンは、
マニア的であれ、貨物車両の「ト・ハ・ヨ」が何である
か、車両がいかがしたか、製造会社はどこであるかなど
と知識を得、時刻表片手に電車・汽車に乗って楽しむば
かりといういたって気楽なもので、破産などというオソ
ロシイ事とは無縁であるから「鉄道マニア」などとは呼
ばず、気楽に「鉄ちゃん」と呼んでいるらしいから、そ
の女性版で「鉄子」さんなのである。余計なことですが、
一言申し上げておきます。
では、明日からの3連休ゆっくりお休み下さい。
メリークリスマス。
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by kasuya_senji | 2007-12-21 14:55 | Comments(1)
日韓文化関係新時代
2007年12月20日

昨日。韓国で大統領選挙があり、最大野党ハンナラ党の
李明博氏(イ・ミョンバク)が、与党系の大統合民主新
党の鄭東泳氏(チョン・ドンヨン)に圧倒的大差をつけ
圧勝した。李氏は経済界出身の初の大統領で、金大中
(キム・デジュン)政権以降、10年ぶりに保守政権が
誕生することになった。李大統領は日本統治時代の大阪
で生まれた在日韓国人であるということから、今朝のテ
レビのワイドショウでは、
「この家が李大統領の生まれた家ですー。とても小さな
 家ですー」
とリポーターが叫んでいた。貧しい暮らしから立身出世
し夢を実現した男としての李新大統領の原点を伝えてい
るつもりだろうが、余計なお世話で李氏にはいい迷惑じ
ゃないかとも思えたな。

あれから5年も経つのか・・・
5年前の韓国の大統領選挙の時(2002年)は、韓国
が日本に対し文化の解放(この解放は段階的に行われた
が、平たく言えばそれ以前は日本語の音楽は韓国では禁
止されていた)をした直後のことで、新政権が文化の解
放政策をどう進めるのかということで、日本の音楽関係
者の間で大統領選の行方はとても大きな関心事であった。
そしてその当時、韓国のテレビ局からインタビューをし
たいとの申し入れが私にあった。それは、私が日本の音
楽業界を代表する人間であるからではなく、布袋の主演
した中野裕行監督作品「サムライ・フィクション:SF」
が韓国で公開されヒットし、その映画音楽はすべてが布
袋によるギター演奏曲であり、先述した「日本語の音楽
の禁止」事項には該当しないという韓国EMIの判断で、
韓国でサウンドトラックが発売されることになり、スタ
ッフプロモーションにでかけたソウルで知り合ったテレ
ビプロデューサーがいて、その彼から依頼がきたのであ
る。
もちろん、はじめは断った。新聞や音楽誌のインタビュ
ーに答えたことはあるが、テレビに出たことは今だかっ
てないからだ。すでに日本まで来ていたテレビプロデュ
ーサーは、別の取材はすべて終え、このインタビューだ
けが未収録です、明後日帰国するが自分はテレビ局の人
間であり、日本の音楽関係者の誰も知らない、知ってい
るのはソウルの下町の飲み屋で熱く語りながら焼酎の一
気飲みをし友人となったアナタだけだ、なんとか答えて
くれませんかといかにも困ったように懇願するし、音楽
業界団体・音制連の事務局に、いかがしたものだろうか、
誰か適材な人を紹介願えないかと問い合わせると、文化
の解放おおいに結構じゃありませんか、これからは日韓
の音楽関係者によって新しい未来を共同でつくりましょ
うとブチ上げてくれませんかなどと言う。
しかたない。友人の頼みでもある。では、5分間であれ
ばインタビューを了解します。私の答えは決まっていま
す。今後は両国で協力し音楽文化の交流をしたいという
ことですよ。それを言うだけですよ。それでよろしいで
すねとシブイ面を韓国のテレビに曝すことになった。
5分のインタビューだから、5分であっという間に終わ
った。インタビューが終わり、オフレコのような感じで
世間話になった。韓国では文化の解放で一気に日本の音
楽が韓国になだれ込んでくるという心配を多くの人がし
ていますが、それについてはどう考えますかと訊くので、
いやもしかするとこの解放によって韓国の文化が日本に
入ってくる可能性も高い、なぜなら、韓国はまだ違法コ
ピーの問題も解決してなく行きにくい面もある、その点
日本では著作権はほぼ完全に守られている、それに韓国
の音楽マーケットはまだまだ未成熟であり受け入れ体制
を考えるとありなだれ込みにくいと思う。日本という大
きなマーケットを確保するのはむしろ韓国の方ではない
か、この解放は韓国にとっておおいに有意義だろうと答
えたが、この間、テープとカメラは回りっぱなしになっ
ていたようで、互いに協力してがんばりましょうなどと
言う型通りの答えよりもこちらの方がおもしろいと、そ
の話がオンエアーされた。正月特番でである。

その直後、NHKで「冬のソナタ」が放送され大好評を
はくし、ペ・ヨンジュの来日で韓流ブームが一気に大爆
発した。くしくもわたしの考えがあたってしまったのだ。
そして音楽の方と言えば、そのころからCDで音楽を楽
しむと言う方法から、配信で音楽を手に入れ楽しむと言
う方法に世界的に変化しだし、特に未成熟な韓国音楽マ
ーケットでは、既成の音楽業界の配信への変化に対して
耐える力があまりに弱く、あっという間にレコードビジ
ネスはシュリンクしてしまった。かっては、4000万
人の人口に対し、CDの売り上げ総枚数は数百万枚はあ
ったのに、あっという間に100万枚以下に落ち込んで
しまったのだ。或る意味で壊滅的な打撃であった。
東方神起に代表される韓国のスターは日本で大活躍をし
ているが、日本の音楽は行きようにも行き場がなくなっ
てしまったのである。マーケットとしての可能性が無く
なると誰もなかなか韓国に目が向かなくなるのも道理で、
かく言うこのわたしもあれからのここ数年間は正直韓国
に目が向いていなかった。
昨日の大統領選のニュースを見て、あれからもう5年も
経つのかと思う。5年前の予言が大当たり(?)してし
まったことにちょっぴり苦さを覚えながら、さて保守系
政権の誕生である。親日家とも聞く。そして日韓の過去
の歴史は歴史として互いに未来をつくろうと大統領は提
案しているようである。さてこれからの日韓文化関係は
どう発展していくのだろうか。我々にとって来る未来は
どういったものであろうか。
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by kasuya_senji | 2007-12-20 16:41 | Comments(0)
海老天4つ
2007年12月19日

今年の8月頃、1970年代から80年代にかけて公開
された映画(ハリウッド大資本主義ではなく監督の作品
主義の時代)の映画をあらためて観てみようとDVDを
買い集めたことがあった。いくつかは手に入ったがいく
つかはすでに廃盤扱い(厳密には廃盤ではないが新しい
注文には応えてくれない状態)で、店に在庫があれば手
に入るが、どの店も、人気商品ですからあいにく在庫は
ありませんのとのことで手に入らないものもあった。
人気商品が供給されないなんて、なんて不思議なんだと
思ったが、その代表作が「ブレード・ランナー」だった。
六本木のツタヤでは、
「年末に特別版がリリースされるようなことも聞いてま
 すが、問い合わせても、そういう予定もあるかもしれ
 ないという返事しかもらえないのです」
と店員が言っていたから、年末特別版販売商戦に供えて
通常版の供給は控えているんだろう。人気作品が手に入
らないのは、こういった理由なんだなと知って、新しい
情報が入るまで待つことにしたが、いつしかそれも忘れ
ていた昨日、S社のN氏から
「もう手に入れたのであれば返却願いますが」
とのメモつきで「ブレード・ランナー特別版」が届いた。 

以前、この映画で日本人にはお馴染みというかあまりに
も有名なシーン。ハリソン・フォード扮するブレード・
ランナー(反逆したアンドロイド・レプリカントの始末
屋・特殊殺人刑事)デッカードが、核戦争の後、酸性雨
が降りしきる2019年のロスアンゼルスのダウンタウ
ンでうどんを食うシーンの事を書いた。
シーンを再現する。字幕無しのオリジナルで再現する。

「いらっしゃい」うどん屋のおやじ。
「Four」デッカード。
「ふたつで十分ですよ」おやじ。
「No。Four。Two&Two」とデッカード。
「わかってくださいよ。ふたつで十分ですよ」おやじ。

うどん屋のおやじは日本人という設定で、日本人が演っ
ているんだろうが、監督リドリー・スコットはおやじに
日本語で喋らせる。もの凄い人並みと店でごった返した
闇市のようなダウンタウンには易占いのように机をだし
で商売する生物学者のような中国人もいて、デッカード
とは中国語で喋るし、蛇売りの男はハッサンという名の
中近東人でアラブ語で喋っている。渾然いったいとなっ
たカオスの近未来社会である。
日本語で喋るから日本人には有名なシーンであるのだが、
さてわたしは、わたしだけでなくほとんどの日本人が、
このシーンはデッカードがうどんを4杯頼んだと思って
いたから、この映画について書いたブログでそう書いた。
映画狂の元青山のキッドのBもうどんだと言っていた。
ところが、それを読んだS社のN氏から、
「4つくれ。2つで十分ですよのやりとりは、あれはう
 どんではなく海老天のことです」
とメールが入って吃驚した。
ストーリーとはまったく無関係ないわば状況描写の1シ
ーンに過ぎないのだが「ブレード・ランナー」のすべて、
セリフに至るまでのすべて、セットデザインのすべてを
調べ上げ知り尽くしていると自負していた「自称ブレー
ド・ランナーマニア」のわたしにはおおいなるショック
であった。しかも日本語のシーンである。
海老天だっけェ?・・・
N氏は、映画評論家の町山智浩さんの本にもそう書いて
ありますというので、それを手に入れて読むと、うどん
ではなく海老天だと書いてある。では、自分の目で確か
めたろやないか! とDVDを買い求めに走ったところ、
手に入らなかったとはすでに書いた。

昨日、夕方の打ち合わせが住んだ後で、事務所でDVD
を観た。たしかにうどんのことではなかった。
まず。先述のやり取りのあとにデッカードのこういうセ
リフがあった。

「And noodle」=それと、うどん。

やはりうどんではなかった。ではN氏&町山氏いうとこ
ろの海老天であるかどうかは、残念ながらわからなかっ
た。なぜなら、おやじから丼を受けとったデッカードが
箸を使ってうどんを食うシーンで、手元が映っていない
のである。町山さんの本によれば、このシーンは世界の
支配構造が現在(1970年代)とまったく違ってしま
った未来の世界で、世界民族雑多渾然一体状態のロスの
ダウンタウンを表現するためのシーンであって、海老天
などはべつにどっちでもよいので、セリフとシーンの映
像がずれてしまっているのだろうと推量していたが、た
ぶんそんなとこだろう。でも映っていないのだから確か
めようがない。
では、4つとはなにか?
いずれにせようどんと一緒に食う(乗せる)サムシング
であろう。駅前にある立ち食いソバ屋でうどんに乗せて
食えるトッピング物として、油揚げ、生卵、コロッケ、
ウインナー、さつま揚げ、かき揚げ、海老天などがある。
なると巻きは頼まなくてもついているからこれじゃない。
そこで外人の好きなものと考えると、チャップリンは日
本が大好きで日本食が大好きで、日本に来る度にこんな
美味いものはないと海老天を食いまくったそうである。
チャップリンは第2次大戦後アメリカに吹き荒れた赤狩
り(マッカーシー上院議員の提唱:ヤルタ会談で英・米・
仏・露・中の連合軍5ヵ国によって戦争勝利後の世界統
治が決められたが、戦後の共産主義国家の脅威に対して
アメリカでは一時的に極端な反共産主義・保守反動運動
が起こった。レッド・パージと言われるもので赤狩りと
呼ばれた)その赤狩りによって、昔から一貫して「人間
の愛」を描き続けたチャップリンは、人道主義者=反保
守の代表的人物と見なされ、追放されるようにアメリカ
を去り故国イギリスに帰って行った。イギリス人の映画
監督のリドリー・スコットは偉大なチャップリンの経歴
やそんな天ぷら好きの逸話も当然知っていたのだろう。
そこで、デッカードに海老天を、2つで十分ですよとお
やじに言わせながら「4つだ!」と注文させたのではな
いか。見えなかったがやはり海老天であったと結論し、
DVDのお礼と共にN氏に報告した。

余談ですが、このダウンタウンにはゴルフ用品屋もあっ
て「ゴルフ用品」という日本語のネオンサインの看板が
ちらっと登場していたが、コの濁点と用の真ん中の縦棒
が抜けて「コルフ月品」となっていましたことも発見。
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by kasuya_senji | 2007-12-19 16:25 | Comments(0)
同級会
2007年12月18日

昨夜、友人のOから電話があって、来年の正月4日に行
われる中学の同級会への参加確認があったがまだ予定が
はっきりしていないから返事はしていないと言う。
Oは昔から正月は忙しい。新年会をいくつもかかえてい
て時にかけ持ちもする。同級会があるからと以前からの
新年の行事を断るわけにはいかんとは思うが、たしか、
前に食事をしたときは、4日は空いていると言っていた
はずだ。
「空いてるはずじゃなかったのか?」
「いや、空いてるんだが、これからなにか入るかも知れ
 んので、行けるとは返事はしていないんだ」
「君ねえ・・。俺等の仲間内で一番優秀だったKとMが
 一昨年昨年と立て続けに亡くなったから、その供養も
 兼ねて彼等の思いで話でもして皆で集まろうと企画さ
 れたじゃなかったのか?同級会は。幹事でもないのに
 葉書を出して参加を呼びかけている呉服屋のYの身に
 なってみろよ。空いてるにもかかわらずなにか入るか
 も知れんと、まるで入るか入らないかわからんものを
 優先するようなことではイカンのではないかァ」
「よし、わかった。正月4日は田舎に帰ることにする」
そんな会話をして家に帰ると、かみさんがどんな話だっ
たかまるで思い出せないがお祖父ちゃん(親父)の夢を
みたと言っていた。同級会・田舎・親父の話が3つ重な
って昨晩は、同級生・田舎・親父の夢を見た。

呉服屋のYに夕飯を食おうと誘うと、いや家で食うから
いいと断る。じゃあ、俺たちは帰るからなとYに声をか
け、帰る方向が一緒だからとOと二人連れで家にもどる
途中で親父とおふくろに会った。晩年は毛沢東よろしく
きれいに禿げ上がった親父ではなく髪が黒々としていた。
おふくろも若々しかった。ひさしぶりでしょうとOを紹
介すると活躍してるねえと親父もおふくろも喜んでいた。
もどった実家は知らない家だったが、これが新しい家だ
という。下町にありがちな隣と隣接して軒を並べている
ような家だったが、古いが木造の3階建ての京都のしも
たや風の立派な日本家屋だった。隣家はなにやら派手な
感じの造りで、聞くとデーブ・スペクターのテレビ事務
所だという。我が家の2階にはデーブさんの家から上が
るんだよ。上でつながってるんだとおふくろが言うから、
ごめんなさいましと声をかけて上がりこもうとすると、
デーブさんは不在だったが事務所に煙草を咥えて仕事を
している女性がいて、それが中学の同級生のS女史で、
あいついつから煙草吸い出したんだと思って事務所を見
わたすとどの顔も事務員は同級生だった。
妹が顔を出し早く来いというから上がっていくと、中も
立派な家で、いったいいつからこの家に住んでいるんだ
と訊くと、親父が亡くなってからだという。さっき親父
に会ったばかりなのにもう親父は亡くなってしまったの
か。親父がいなくてどうやってこの家を買ったんだと訊
くと買ったんじゃなく借りているとおふくろは言う。い
くらで借りているんだと言うと月70万円だというから、
70万円—!!!! そんな馬鹿な!!!
と驚いたところで目が覚めた。

しかし、子供の頃からその日あった事を夢に見るクセは
いつまでたっても直らないものだなあ。
しかし、値段は高すぎるけど立派な家だったな。家の周
りはまるで京都の何処かみたいで岡崎では見たことがな
いような風景だった。
Oとの同級会話の電話のついででYや同級生の連中が夢
でコンニチハはわかるけど、デーブスペクターが登場す
るとは思いもよらなかった。不在で会えなかったことは、
残念ではないけれど。
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by kasuya_senji | 2007-12-18 12:44 | Comments(0)
風誘う花よりも尚我はまた春の名残をいかんとやせむ
2007年12月17日

すでに12月に入り17日も経つ。ナザレのマリアであ
れば臨月で、1週間後の出産予定日を直前にひかえジョ
セフとともに産まれくる新しい命を今か今かと待ちわび
ている頃である。

先週の末、腹具合が今ひとつでウン快調ではなく、ウン
特急までのスピード感はないが、下り急行列車であった。
大流行のノロ(ノロとは言うが、その動きは超特急であ
ります)ではないが、グルグルと鳴る腹を抱えて仕事場
に顔をだして、この企画は○○である、何故ならばと言
いかけて、失礼しますとトイレに赴く、会議にもどって、
あらためて何故ならばと言いかけたところで再度失礼し
ますとトイレに駆け込むようでは全体の志気にかかわる
と14日の金曜日を休んで土曜日曜と3日間、家で休養
につとめた。かみさんにノロじゃなければこれが効くか
もとすすめられ飲んだ「赤玉・腹薬」が効いて、体調は
めでたくウン快調に回復したが、金曜日の12月14日、
この日が赤穂浪士の討ち入りの日だったなと思い出した。
今年の9月に亡くなった親父がおふくろを連れて東京に
来たのはもう随分前のことになる。何年前のことだった
かははっきりとは思い出せないが、我が家の子供(孫)
がまだ小学生の頃のことで、しかも親父が元気で車を飛
ばして東京までやってきたことを考えると10年ほども
前のことになるか。東京まで来て、ただわたしやかみさ
んや孫の顔を見ただけでは土産話にならんではないかと
皇居見物にでも行こうかと誘うと、
「いや。俺は家康は嫌いだからあいつが住んでいた江戸
 城には行きたくない」
と言う。親父に言わせると家康は天下をとるために岡崎
衆をこき使いながら、一旦天下を獲ってしまうと田舎も
んでは天下を治める技量がないと岡崎衆を冷遇したと腹
を立てていて家康が嫌いなのだそうだ。なにもこれは親
父の感想ではなく、徳川家臣の大久保彦左衛門が三河物
語(日記)にそう書いているのである。もちろんこの物
語は大久保家門外不出とされたが、徳川時代も下り、い
つしか世に出て人の知るところとなり、現代では出版も
されているが、親父は後生、講談や映画などで魚屋の一
心太助を子分にし世情にも通じ、将軍のご意見番などと
脚本された老公彦左衛門の心意気を自分に重ねていたの
だろうと思う。
じゃあ、どこか行きたいところはないのかいと聞くと、
「泉岳寺に行きたい」
というので、親父とおふくろを連れて泉岳寺にお参りし
たことがある。訪れた時期は討ち入りの日の師走の1日
ではなく陽が弱々しい2月の寒い日であったが、泉岳寺
の境内の左手の一段高くなった場所にある四十七士の墓
は、ステージで使うスモークマシンでも焚いているのか
と思うほど線香の煙でもくもくと煙っていた。四十七人
分の線香がそれぞれの墓の前で一斉に焚かれていたので
ある。
四十七士の人気は今だにもの凄いものだなあ・・
と親父とおふくろと感心したものだった。そして内匠頭
亡き後、髪を下ろしひっそりと世を生きた奥方・遙泉院
の手植えの紅白の梅が、その死後泉岳寺に移され、可憐
な花を咲かせていたものだった。
そんなことも思いだし、藤沢周平著「用心棒日月抄」を
手にした。この物語は江戸時代の元禄期を時代背景とし
て書かれた物語で、藩の秘中の秘、藩主の毒殺計画を漏
れ聞いてしまったことで消されようとされ、返り討ちを
したものの脱藩をし江戸に逃れ浪人となり、国元からの
討手の目を逃れつつも糊口を養うために、口入れ屋(職
業斡旋どころ)相模屋から用心棒という仕事をもらいつ
つ、ひとり江戸下町に暮らす青江又八郎の青春物語で、
仕事を斡旋する(小説の筋を展開する)相模屋の吉蔵を
狂言回しとして、縦軸に国元に帰藩が叶うまでの用心棒
稼業の数々、横軸に国に置き去りにしてしまった許嫁・
由亀との恋、同僚用心棒・細谷源太夫との友情、元禄期
当時の江戸の下町の長屋に暮らす人々の人情が書かれて
いる不朽の名作長編小説であるが、縦軸に、元禄14年
3月14日の浅野内匠頭の刃傷松の廊下事件から始まり
元禄15年12月14日の赤穂浪士の討ち入りまでの日
々が並行して書かれ、もう一つの忠臣蔵・忠臣蔵外伝と
も言うべき性格を持った小説である。この日12月14
日に読むのにこんなふさわしい物語はないと読み始めた
のであります。
また、師範学校を卒業し、故郷の山形県湯田村の中学校
の教師になったものの健康診断で結核と診断され、退職
し10年に渡る永い闘病生活を強いられた藤沢さんは、
死病を克服し退院したものの教師に復帰することは叶わ
なかった。縁も何もない東京での仕事を世話をする人の
すすめで上京し食肉業界新聞社につとめ記者として編集
者として生活を送ることになるのであるが、闘病中に知
り合い結婚した妻が子供を産んでまもなく癌に冒され早
死する。そういった人生の背景を持った藤沢さんの書く
初期作品はどれもこれも暗かった。武士は死して物語は
終わり、庶民は人生を転落して終わったのである。
小説家として遅いスタートを切った藤沢さん自身が、い
つかハッピーエンドが書けるようになるだろうと思いを
馳せて10年後、藤沢さん40代の後半になって転機が
訪れた。明るい物語が書けるようになったのである。
その記念すべき作品のひとつがこの「用心棒日月抄」で
ある。ついでながら「平四郎活人剣」も同時期の作品で
ある。ライフル銃ぶっ飛ばし人を殺害後、自殺し、何故? 
に永遠に口を閉ざしてしまう男。親殺し、子殺し。食の
安全への詐欺。また、国防・防衛という国家の最大重要
任務に就きながら、一私企業の利に荷担するエリート官
僚。いったいこの国は明るい未来に向かおうとしている
のだろうか。この物語「用心棒日月抄」の主人公達は、
誰も彼も世の中の枠からはみ出さざるを得なかった人々
であるが、その生き方のなんと倫理観と正義感に満ちあ
ふれていることか。 その意味でもこの本は勇気を与え
てくれた。何度読んでも初めて読んだように新鮮な輝き
を持っていて、かみさんのすすめてくれた赤玉腹薬同様、
ウン急行でお疲れモードの私を元気にしてくれたのであ
る。
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by kasuya_senji | 2007-12-17 16:08 | Comments(0)
弁論大会
2007年12月13日

12月7日。北京。快晴。
昔むかし大昔。まだ中学生の時、友人の兄貴が大学生で
留学を終え日本というか岡崎に戻ってきた。当時の岡崎
には海外生活をした人物などまずいなく、英語を喋れる
人などは天皇陛下よりすごいかもしれんなどとささやき
あったものだった。この辺の感想が子供とはいえ時代が
かっていたもので、今思い出しても笑えるが、中学の英
語の先生に、
「先生は英語は喋れるんですかァ?」
と聞いたところ、
「喋れるわけないだろう。外人と話したこともない」
と言って英語を教えていたくらいだから、帰国子女の珍
しさは田舎町ではエイリアン的でもあったのだ。
外国ってどんなところかと聞きたくて、その弟である同
級生の家を何度も訪ね、話を聞かせてもらった。その兄
さんは色白で美男子で背がすらりと高く、尚洒脱でその
家族にとっては自慢の兄貴で、我々にはあこがれの先輩
だった。
何を話してもらったかはもう憶えていないが、実家に手
紙をせっせと書いたという話は記憶している。毎日手紙
をだしたという。そんなに書くことがあったんですか?
と聞いたときに、そこのお母さんが、
「それがあんた。毎日手紙が届くのはいいけれど、ウン
 快調としかかいてありませんでしたよ」
と言った。
「毎日ウンコが快調にでてるってことは、海外で生活し
 ていても健康だということだろ」
とその兄さんは言って笑った。

北京3日目。ウン快調である。
先月、怪人から北京メールが届いたが、そこには、
「当方、腹具合超特急。しかし、しかし、中国の薬は心
 配ですので飲んでおりません。下るがママの毎日です」
と書かれていた。当方はすこぶるウン快調である。寒い
北京はどこにいっても暖房は完備しているから部屋に入
ればたいへん暖かいが、このホテルのバスルームは広く
て清潔でたいへん気持ちがよいのだが暖房が入ってなく
て、ウン快調時に下半身が縮み上がるには閉口した。
午前中は、日中文化交流企画で11月にユーミンが出演
し開催されたコンサートの会場になった人民大会堂を見
学。見学と言っても中には入れないので外から見ただけ
ですが。
ついでにナショナル・グランド・シアターと英訳される
から、国立大劇場とも訳すのだろうか、巨大な玉子を連
想させる、通称エッグ・シェルという大劇場を視察。視
察と言っても、中を見学するには私的訪問では許可され
なく、公的な立場が必要とのこと。私は音楽制作者連盟
(文化庁認可団体)の理事長を今年の6月まで拝命して
いたが、その後は全ての公的役務から解放され、今は全
くの私人である。入る資格を持たないのであるが、家具
屋の友人の後輩から、大劇場に納めた家具の点検日にあ
たりますので、家具屋の一員ということで中に入れるよ
う手配しましたと、ナイスな機転を利かせてもらったの
だが、誰が来るのかは知らされないが急遽政府のエライ
さんが劇場を訪れることになったというので、家具の点
検は後日になり、結局国立大劇場も外から眺めるだけで
あった。

午後になって東京からKMさん。Oさん。Sさん。Kさ
んが北京着。夕方まで、わいのわいのあれやこれやなん
だかんだとけんけんがくがくの大会議をやって、ではカ
スヤさんご指名の「利群北京ダック屋」にて夕食ですと
怪人から声がかかり、行きがけの車中でもなんだかんだ
わいのわいのと喋り続けて北京ダックを3匹たべた。こ
の店東京に出店してくれないかなあ。まるまる1匹60
元(900円)というわけにはいかんだろうが、4倍の
値段を取っても、あっと云う間に行列のできる店になる
こと間違い無しなんだがなあ。
北京ダックを食うのに手と口を動かし続けたから、企画
会議は一旦中断されたが、続きを再開すると河岸を変え
「LAN」に出かけた。広い店内の片隅でバンドが演奏
していて、店内はかなりウルサイのであるが、
怪人の主張。
岡崎堂の主張。
KMさんの主張。
Oさんの主張。
Sさんの主張。
Kさんの主張。
入口君の主張。
それぞれの主張を「大声で主張する」にはウルサイ店は
うってつけなのである。
「わたしの考えはこうでありますー!」
と大声で述べれば、静かな店で、
「わたしはこう考えますがねえ・・・」
などと尋常に語るよりも尚説得力が増すというものだ。
だいたい静かな店では、女性も口説けないと達人は言う。
「君が好きなんだよー!」
と大声でいうところに宣言と熱意があるというもんだと
達人は言うのである。けだし名言であろう。
翌朝、起きたときにかすかに声が枯れていた・・ほどの
会議と言うよりも弁論大会が開催され、最後には全員の
意志一致をみて、今回の北京訪問の目的のすべては終わ
った。

北京から帰って数日後、K君から北京で出会えたことの
数々にたいへん興味をもったこと、誘っていただき感謝
いたしますと我々にメールが届いた。
以下は、それに答えた怪人からの返信である。

「中国は、だから面白いのですが、魔物の棲む地です。
 当方はふたつ肝に刻んでいます。
 1)意志と哲学
 2)さらに高い仕事品質
 まず「意志と哲学」。
 ない人はたいていあらぬ方角に散っていきます。 今の
 中国には、日本と違って「道」がやたらたくさんあり
 ます。どの道 でも妙な中国人が手招きしている。こっ
 ちにバラ色の未来あるよ、てな ことです。柔な日本人
 は迷い込んで出られなくなります。志とぶれない 軸な
 しでは危険だということです。たいへんです」
 次に「高い仕事品質」。
 中国には、自国では通用しない外国人がたくさ んいま
 す。90%の外国人がそうではないか。日本では仕事の
 ない クリエイターなども中国でなら誤魔化しがきく。
 しかし、それは二重の罪 です。自分に対する詐欺罪。
 中国の人々への侮辱罪。だから、日本にい るときより
 さらに高いレベルで仕事をすること。たいへんです」

と、素晴らしい言葉を贈ってくれた。
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by kasuya_senji | 2007-12-13 16:37 | Comments(0)
自由な個人
2007年12月12日

12月6日。快晴。

昨夜、北京在住若者集団&怪人・お銀とギターバーで別
れ、K君と歩いてホテルに帰り、明日は起きられたら8
時に1階のダイニングルームで朝飯を、お粥でも食おう、
ではおやすみと声をかけて寝たが、急遽北京行きが決ま
り、今やっている仕事の整理をほぼ徹夜で片付け、成田
を発ち北京に来、初めての北京で夜遅くまで人人人を紹
介されたのだから、そーとー疲れもたまっていることだ
ろう、無理に起こすことはない寝かせておいてやれと友
人Kに代わって親心を出し、一人で階下のダイニングへ
降り、こじんまりと小綺麗なダイニングのテーブルに着
く。
どのテーブルの上にも灰皿が置かれている。中国北京で
は嫌煙されていないようである。といっても席に着いて
朝食をとっている誰も煙草なぞ吸っていない。見習って、
恒例の起きがけの一服は遠慮することにした。
ナイスなホテルだが、期待したお粥は、米粥でなく穀物
粥でしかも粥というよりも重湯に近いもので、味も薄か
った。軽く醤油をかけ食べたが、なんだかしゃばしゃば
したスープをすすっているようで好みではなかった。
朝飯客はドイツ語を喋っている男2人組。中国語を話す
女3人連れ。韓国語で会話する男女4人組とさまざまだ
ったが、一人でいるのは俺だけで、別に一人だからとい
ってどーってことはないけれど、話し相手がいないから、
ドイツ人や中国人や韓国人に日本人は(俺は誰とも喋っ
ていないのだから、他の客に日本人とは思われないんだ
がね)日本人は行儀が悪いなあと思われるのは承知の上
で、本を読みながら飯を食った。これをやるとかみさん
に叱られるが、一人旅のよいところはこの辺にあるかな。
佐藤雅美さんの、兇状持ちの医者・順啓の逃避旅の話を
読んでいると、江戸時代の旅の経路やパスポートともい
うべき手形を持ち合わせていない場合の地元の有力者を
訪ねての一宿一飯の義理のあり方や、まして兇状持ちで
あるからお上の目をどう避けて旅を続けたかなどと云う
話が丁寧に書かれていて、もし俺がパスポートもなく免
許もなく車で物を北京から重慶まで運ぶ仕事をするとし
たら、中国では各省毎にしか運搬ライセンスが許可され
ていないから省を跨ぐ度に検問がある、いったいどの経
路で重慶まで行くことになるのだろうか、事ある毎に金
で解決できるのが中国だといろいろなところで聞くけれ
ど、一旦簡単な方法で困難を解決してしまうとあとはそ
れ以外の方法を見つけられなくなるのが常だから、さて、
どーしたもんやろか、などと読みながら考えながら食い
ながら読んでいると、怪人との約束の時間になっていた。
他の客はとっくに引き上げダイニングには俺しか残って
いなかった。

ヨーグルト餡巻きを買おうと店に行くと、12時から開
店と貼り紙がしてあって店は開いていなかったから、土
産は無しの手ぶらでミス・Jに会いに出かけた。J女史
はスイス人であるが結婚した旦那さんが日本人で神戸に
住んでいて日本語を話す。今回J女史は来年行われる北
京オリンピックの関連イベント・芸術フェスティバルに
ついての打ち合わせで北京に来ていて、2週間ほど前に
東京の我が事務所を訪ねてきた折り、同時期に互いに北
京にいる予定だとわかり、そのフェスティバルの話を聞
かせてもらおうと会う約束をしたのだ。彼女もこれから
の中国におおいに期待するところがあると数年前から北
京・上海をたびたび訪れているから、あれやこれやたい
へん面白い話を聞かせてもらった。スイス語、ドイツ語、
フランス語、英語、日本語と五カ国語をあやつるJ女史
も、チュウゴクゴハ ムツカシイデス ワカリマセーン
と言っていた。北京にすでに1週間ほどいて中国の友人
知人仕事関係者と会食で毎日中華料理を食べていて飽き
ているようで、
「カスヤサンとアエルナラ カツドンをタベサセテモラ
 エルンジャナイカとキタイシマシタ」
と言っていたが、入口君・怪人と北京を知り尽くした友
人を持っているが、さすがにカツドンは食ったことがな
い。その話に京都留学経験者のお銀は、
「カツ丼なつかしいですゥ」
と同調し、おなご共はカツ丼で意志一致したようでもあ
ったな。

ホテル近辺に戻り、ヨーグルト餡巻きを購入し、電通・
電通テックの友人を表敬訪問。手土産をばらまき歓迎さ
れる。
怪人の紹介で建築設計士と会う。
その後、電通テックのS総経理ときのこ鍋やで合流。
20種類ほどのきのこを注文。しゃぶしゃぶのように食
べる。きのこを煮立てるスープは烏骨鶏の出汁。きのこ
をつけて食べるタレは醤油、ナンプラー、にんにくごま
油、胡麻ダレ、胡麻にんにく、ポン酢の6種類で、ナン
プラーにパクチーをぶち込んでタレとして食すと、わた
しにはこれが一番の美味であった。
だいたい北京という街は清朝(満州族)の首都で広州と
か杭州とか四川とかの古くからある漢民族の街に比べる
と歴史は浅く、料理もそれらの地方に比べると成熟して
いない。この店もそういった清朝時代の食の特長を持つ
店で、鳥で煮出した出汁にきのこを入れ、しゃぶしゃぶ
のように食べるという簡単な手法の料理であるが、その
きのこの種類の多いこと。100種類はあるんじゃない
かな。なかには真っ赤な、毒きのこォ? と思わせるよ
うなものもあったが、きのこなんてどれも同じような味
じゃないかと思っていたが、タレの多種もあってたいへ
ん美味かったし、カロリーほぼゼロの食物だから健康に
もたいへんよろしい。腹一杯食って美味くてカロリーゼ
ロ。北京に行かれるご婦人方で、脂っこくてカロリーの
高い中華料理は毎日食べたくはないわとおっしゃる方に
は、是非きのこ鍋をお奨めします。
かるく乾燥させた細長いきのこでチベットの高山で採集
されるものは1本ウン千円と馬鹿高い値がつくものもあ
るらしいが、滋養強壮きのこの冬虫夏草も試してみた。
きのこは木の子と名がしめすように木とおなじ土の栄養
素をとって生えているが、この冬虫夏草は、
「冬には虫だが夏には草」
という意味のきのこで、冬に死んだ昆虫に菌糸が付着し、
その体液を栄養分とし昆虫から生える世にも珍しいきの
こである。婦人病に特効的な効果があるらしく、以前、
作家の吉本ばななさんからも、とてもよいですよと聞い
たことがある。値段からしてきのこというよりも漢方薬
なのである。虫大嫌いのK君もこれなら大丈夫ですと食
っていたが、味は美味くもなんともないものだった。


店でS総経理と事務所に戻って一仕事するという怪人と
お銀と別れ、入口君に連れられ「LAN」という天安門
東にあるバーへ出かけた。「LAN」はランさんという
女性が経営しているバーだが、その店は6000平米と
いう途方もない大きさを持つバーだった。6000平米
といわれてもその大きさはピンとこないだろうが、ツボ
数で言うと約1820坪、畳でいうと約3600畳。も
しあなたが10畳の部屋に住んでいるとしたら、360
部屋分にあたるといえば、その途方も無さが理解できる
だろう。そのバーを造る総経費は60億円にも上るとい
う。それを聞いたときの反応は誰しも、
「60億ゥ!? 酒や食べ物を出すだけで、どうやって
 その資金を回収するの?」
というもので、いったいどう計算が成り立つものか何が
なんだかまったくわけがわからない。冥土のみやげに1
度行ってみようじゃないかと入口君に先導されK君と3
人で訪れたのである。
店でウヲッカソーダを注文すると、ウヲッカが薄まると
いけませんからとウヲッカにソーダを少々注いだだけの
オンザロックのようなものが出てきた。これじゃ不味く
て飲めないとやり直させたが、まあ、バーテンダーも酒
を知っているわけではなさそうだった。
グロウというラテン語からグロテスクという言葉が生ま
れたが、この言葉は初めは装飾表現過剰な美術芸術を表
す言葉として使われ、いつしかシンプルという言葉の対
極にあるもの全般を指す言葉になったが、店内はまさに
グロウ・絢爛豪華一点張りで、店内の様子を説明しろと
いわれても私にはその筆力を持ち合わせていません。
客は外国人(酒の値段は日本、アメリカ、ヨーロッパと
変わらない。勿論中国じゃ高い)と金持ちの中国人でド
デカイ店内は客でいっぱいだった。
ランさんは噂によると12000平米のさらに巨大なバ
ーを120億円かけて上海に計画中だとか。そこまでや
ったら、流行るからと言っても、もう誰もこの店を真似
する輩は現れないと見た。しかし、13億人もいると、
とてつもない人物が現れるものである。社会主義の国だ
から個人の自由は国是ではないが、自由な個人はゴロゴ
ロいると見た。あまりの度肝を抜く大馬鹿さ加減に、こ
んなもん北京でしか見られないと3日3晩通い詰めたの
でありました。
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by kasuya_senji | 2007-12-13 14:49 | Comments(0)
北国の春
2007年12月11日

12月8日。関西国際空港へ到着し、外に出ると、
「暖ったけー」
が第一声だった。飛び立った北京は−2度。着いた大阪
は10度だったから、ほんまぬくく感じたでー。タクシ
ーの運転手さんに、あたたかいですねえ大阪はと言うと、
大阪は瀬戸内気候でっさかい冬もあったかいもんですわ、
とゆうとった。

12月5日、9時35分発のJAL683便で成田を発
ち、飛行時間約4時間、1時間の時差のある北京に着い
たのが現地時間の午後12時45分。寒いですよ、もも
ひき、てぶくろ、ホカロンなど寒さ対策を忘れずにと言
われていた北京は、−2度でたしかに寒かったが空は青
く陽も高く希なる好天気だった。だいたい北京では青い
空など拝める日は少ないのだ。極端に乾燥した気候の土
地だから雨に降られることはまずないが、いつもどんよ
りと、曇っているのかスモッグでかすんでいるのか建築
ラッシュの後塵がまいあがっているのか、見上げる空は
ボーとかすんでいて風でも強く吹かなければ青空など拝
めないのだが、珍しいことにこの日は風もなく穏やかに
晴れ渡っていた。空港に熱烈歓迎という赤の垂れ幕がか
かっていたが、まったくその通りの歓迎ぶりともいえる
好天気の良き日であった。ついでに、北京に滞在した4
日間はずーとこんな好天気であった。
だからといって、ももひきがいらなかったかというとそ
うでもなく、陽は落ちれば外気は−3度にもなり−4度
にもなり、下半身を寒さから守ってくれたのである。同
行のK君はまだ20代だというのに、助言をしっかり守
って下履きを履いてきていて、わたしのももひきはこん
なももひきですとホテルで互いに見せ合ったが、K君の
それは、あきらかに「ももひき」とわかるももひきであ
った。ちなみに当方はスポーツタイツともいうべきもの
でK君のそれよりも若干オシャレであったな。ももひき
にオシャレがあるとは今までは知らなかったことだった。

空港で怪人とお銀の出迎えをうけ一路「古巷20号」と
いうホテルの名前とは思えないホテルに向かう。車中で
同行のK君を怪人に紹介する。お銀にも紹介する。
K君は友人の息子でわたしとは文字通り親と子ほど年が
離れている青年である。
K君の親父はKというが、わたしがこの音楽業界へ拾わ
れるように入った音楽事務所の同僚である。同僚とは言
ったが、年が同じだけで業界暦はあきらかにKが先輩で、
入社当時はよく面倒を見てもらったものだった。Kは私
よりも早く結婚し息子が産まれた。その息子がKに連れ
られ事務所に来て、よちよちと机のまわりを歩き回って
いたことを憶えているが、Kの息子の記憶はそこまでで、
その男の子が長じて、オーストラリアに留学し、日本に
もどってきて音響専門学校で勉強し、今はレコーディン
グエンジニアーをしているとは風の噂では聞いていたが、
まさか一緒に仕事をするように成るかも知れないとは思
いもしなかった。
過日Kを訪ね、北京で立ち上げるプロジェクトに信用で
きるやる気のある若い人材が必要だ、誰か紹介してくれ
ないだろうかと頼んだところ、
「俺のセガレではいかがだろうか。彼には自分の一度の
 人生だから、視野を広く持て、それには日本だけでは
 なく世界中を見てこい。これからの21世紀は世界は
 アジア・中国を中心に回ることだろうと常々言ってあ
 るから、そのプロジェクトはセガレは興味があるはず
 だ」
とあらためて紹介され、会ってみたところKの良いとこ
ろを全部受け継いだような好青年で、なによりもいい瞳
をしていた。(しかし、親はなくとも子は育つと昔の人
は良いことを言いましたなあ。俺のセガレも思うままに
生きてもらうとするか)。
で、K君に会った瞬間、心の中ではその場で「採用!」
としたが、まずK君に現地北京を見さす必要があると同
行したのである。

古巷20号は天安門・故宮の北の昔ながらの市街地の路
地の奥にある、いってみればプチホテルで、怪人Tの目
に叶っただけあってまことに居心地がよかった。このホ
テルのある路地は、最近ブルータスが取材し雑誌で紹介
したと言われるが、昔ながらの北京という都会の下町の
風景が残っていて旅情があふれていた。ホテルで今回の
スケデュールの確認をした後に、お銀が、ホテルの前に
ある乳製品を売っている小さな店で買うことができるヨ
ーグルトの餡巻きが絶品だから食ってみなさいと勧める。
ヨーグルトの餡巻きィ!??
どろどろのヨーグルトにどうやって餡を巻くんだィ?
いったいどんなもんじゃいそれは。
なにィ? 食ってみればわかるゥ。
そこまで言うなら食ってみようじゃないかと買ってきて
食ったところ、!!!!!!!!。
とびっくりマーク<!>が8つついてもまだ足りない美
味さじゃないか!
ヨーグルトをチーズケーキのように柔らかく固まらせて
いて、そこにこし餡をのせ巻いたもので、輪切りにした
ロールケーキのような形をしていて、そのヨーグルトも
あんもなんとも上品な味がする。
北京名物か? と聞くと、お銀の知っている限りこの店
でしか売ってないという。北京人だから知っているとい
うものではないという。
北京のライブハウス「MAO」のスタッフと夕方ホテル
の近くの店で打ち合わせしたが、菓子を食べてもらうと
美味い美味いと絶賛だったが、この菓子は誰も知らなか
ったし、北京の某広告宣伝会社に勤務し、じゃんすーと
いうペンネームで「じゃんす的北京好日子」というサイ
トを展開しているM氏も、北京には数年いますがこんな
美味しいお菓子があったんですねえと感心された。
じゃんすーさんは、1977年生まれの30才で、北京
にいる同じ年の日本人の若者のパーソナル&オピニオン
リーダーとも言うべき人で、そんな彼に北京の隠れたる
名品を紹介することができるなんて、ちょっと鼻が高か
った。お銀やるじゃないかと、ときに恋に悩み仕事が留
守がちになりそうな瞬間もあるお銀もこの時ばかりは株
は上がった。ホテルの目の前に店はあるから毎日買って
食った。打ち合わせというときには必ず買って土産にし、
北京人の誰にでも美味い!とウケた。怪人などはお銀に、
「店中の餡巻き買い占めてこい!」
と命じる始末であったな。

我らが北京の総経理役の入口君が都合があり初日は合流
できないとのことだったので、怪人、お銀、K君、じゃ
んすーさん、じゃんすーさんの友人で小龍さんという音
楽マネージャーと一緒に雲南料理屋で夕食。お銀が我々
に内緒でこの夏、どこかの色男と雲南へ旅をしたという
情報は入っていたから、雲南では何食ったんかいな?と
関西弁で聞いた。お銀は京都の大学に留学していたから、
日本語といっても喋るのは関西訛りの日本語だからそれ
でいいのである。
「虫の料理がありました」
「虫食べるんですかァ!???」
とK君が反応した。K君の世の中で一番嫌いな物が虫で、
虫を見るだけで皮膚に粟を生じるらしいのだ。
「どんな虫があったんだ? まさか羽根はついてなかっ
 たんだろうな?」
と怪人は聞く。
「中にはついてるものもありました。足もついてるもの
 もありましたよ」
「どんな味がした?」
と岡崎堂は聞く。K君は耳を塞いでいる。
「食べてないですよ。気味悪くて。でも、日本で言うと
 ころの佃煮みたいなものでした」
「日本でも長野に行けばイナゴの佃煮はあるからなあ。
 よし! お銀。この店に虫料理があるか訊いてみたろ
 やないか!」
と岡崎堂と怪人は同時に言った。
ギャー!と言うK君の悲鳴が聞こえたが、店の答えは、
「まことに残念ですが今日はありません」
ということで、野菜や炒めたこんにゃくや鶏肉料理、玉
子料理を注文したが、どの料理にもパクチーや唐辛子が
たっぷり使われ辛くもありベトナム料理風で、通常の北
京の中華料理とはひと味もふた味もちがう特別な料理だ
ったが、虫話のあとでは、ナンダカ・・・普通の料理を
食っている感じがしたのは面白味があった。

その後、日本の某大手代理店D社の北京支社に勤務する
さざれ石さんという女性が参加し、怪人と私以外は全員
30才くらいという若者集団を連れて、ホテル近くの通
称ギターバーへ河岸を変えた。
ちいさなスナックのようなそのバーではギターを弾く二
人組がいて、サイモン&ガーファンクルのヒット曲やビ
ートルズの曲を演奏していたが、我々一行を日本人と見
るやすかさず谷村新司の「昴」をやりだした。じゃあ、
ついでにと千昌夫の「北国の春」をリクエストする。こ
の歌知ってるかねえと同行若者集団に聞くと、お父さん
がカラオケで唄いますとか曲名は聞いたことはあるんで
すが歌は知りませんとか言っていたが、演奏が始まると
隣のテーブルに座っていた中国人の客が大声で唄いだし
たのには、まあ驚いた。その声の朗々としていること。
ありゃ学校の音楽の声楽の先生かねえと我ら一行が話し
ているうちに、演奏曲はイタリア民謡に変わったが、そ
の客はまるでオペラを歌うように喉を開いたまま、
「オ〜ソレミ〜ヨ〜」
と今度は立って唄いだした。唄い終わると、もちろん我
々は拍手喝采をして、日中文化交流につとめたものであ
りました。
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by kasuya_senji | 2007-12-11 17:52 | Comments(0)

 
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