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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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2008年1月30日

中国では旧正月の春節を前に北京の街がざわついている。
旧正月に、出稼ぎに来た都市・工業地帯から故郷へ帰る
労働者諸君の民族大移動が始まろうとしているのだ。
1月の20日過ぎのことだ。英国系大手代理店北京事務
所勤務の野田岩君からすすめられた「フカヒレとアワビ」
の専門店に行くためにホテルから車に乗った。その店は、
街の中心部の高層ビルが立ち並ぶオフィース街を東へ少
し離れた辺りにある。オフィース街を通り抜け、昔から
の商店街に入った通りの一角に人だかりができていた。
「ありゃなんだろう。随分人が並んでるぞ」
車はゆっくりとその行列の脇を通り過ぎるが、いつまで
たっても行列は尽きない。その行列の先端は、まるでラ
イブハウスがそこにあるかのような感じで人でごった返
していた。
「ライブハウスじゃないだろうねェ」
「まさか。あれは日本でいうところの緑の窓口です。駅
 以外にも汽車のチケットをあつかう代理店があって、
 春節に故郷へ帰る切符を買う行列ですよ。まあ先端の
 人たちは殺気だってますよ。歩いていてそこに出くわ
 してもナンダロウと覗きに近寄らない方がいいですよ」
「覗いたから危険だってことはないだろう?」
「旧正月には何億という民が、香港から雲南省へ、上海
 から吉林省へ、重慶からウイグルへ、北京から四川省
 へと大移動します。何億人ですよ。日本の総人口の数
 倍にあたります。かといって、正月特別列車が大増便
 されるわけではないですから、希望のチケットを取る
 のがこれまた大問題でしてね、正月休暇の日程がきま
 った人たちが仕事が終わると我先にと切符売り場に押
 しかけるんですから、まあ先端の人たちは殺気だって
 ますよ。歩いていてそこに出くわしたとしても、ナン
 ジャロカイナなどと気軽な気持ちでのぞき込んだりし
 たら、並べ! こらァ横から入るな! このアーバー
 ウー! って怒鳴られますよ」
「アーバーウーってなんだい?」
 「バカヤロー! って意味です」
「これはいいことを聞いた。へー。中国語で馬鹿はアー
 バーウーって言うんだ」
「へんなことを教えてしまいました。絶対使っちゃダメ
 ですよ。忘れてください。日本語で馬鹿! とか英語
 でシット! とかドイツ語でシャイゼ! とか言って
 も、連中はまず日本語も英語もドイツ語も分かりませ
 んから、なんの問題もありません。いくら使っても無
 問題です。無問題は糟谷さんもご存じですよね。メイ
 ウエンティーと言います。でもアーバーウーなどと使
 ったら喧嘩になりますからね。有問題です。ユーウエ
 ンティーです。これは覚えておいてください」
「問題有りは、ユーウエンティーと言うのは知ってるよ。
 上海で教えてもらったからね。問題なしのメイウエン
 ティーは構いませんよというだけでなく、どういたし
 ましてと言うユーアーウエルカムという語感も含んだ
 言い言葉とも知ったが、有問題は単にモンダイガアリ
 マスというだけではなく、モンダイ有りだぞコノヤロ
 ー!って語感を含んだ言葉だから、まあ、あまり使わ
 ないようにとも教えてもらったよ。でね、上海でタク
 シーに乗った時、タクシーの運転手が何度も道を間違
 えて、行きたいところに行けなくて随分遠回りしたこ
 とがあったんだ。ホテルのコンシエルジェで仏光寺と
 紙に書いてもらって、これを見せれば運転手なら誰だ
 って連れて行きますという。しかも帰りは花園飯店ホ
 テルで誰だって知っている。そりゃ簡単だと、通訳君
 の同行をことわって冒険旅行気分で自分たちだけで出
 かけたんだがいつまで経っても目的地に着かない。運
 転手がもぐりなのか上海を知らない日本人相手に料金
 稼ぎの遠回りをしているのかは不明なんだ。だってそ
 の運転手が本当に知らなくてスイマセンという恐縮し
 た態度だったからね。まあ、それでもやっと目的地に
 着くと、運転手がしきりに何か言うんだ。何言ってる
 のかは分からないんだが、その態度からしてスイマセ
 ンスイマセンと謝っているんだろうと思ったから、メ
 イウエンティーと答えてやったら、本当にアリガトウ
 ゴザイマースって顔したんだよ。ところが同行のマサ
 山田がね、この男は俺の先輩の名物男なんだがね、ま
 あ、その名物ぶりは若干有問題でもあるんだが、わざ
 と知らないフリして遠回りでタクシー代稼いだ男にメ
 イウエンティーはないんじゃないか、そんなお人好し
 ぶりではいささか有問題ですなーと俺に言ったわけよ。
 覚えたての中国語でユーウエンティーと言ったわけよ。
 そうしたら運転手が自分に言われたと勘違いして、一
 瞬その場に緊張感が走ったことを覚えてるから、有問
 題は使わないよ」
「違います。使ってはいけないのはアーバーウーです」
「そんなに何回もアーバーウーって言われたら、もう覚
 えてしまったよ」
てなこと車の中で話しているとフカヒレ屋についた。
メニューには、大きめの鍋からフカヒレが半分ほど飛び
出しているフカヒレ大盤振る舞いでありますという写真
が載っていて、いよいよ北京一と言われるフカヒレ料理
に期待は嫌がおうでも盛り上がったが、出てきたものは、
鍋の中にはトローリとしたスープはたっぷりと大盤振る
舞いされていたが、フカヒレは小さく鍋の底に沈んでい
るばかりであった。同行の入口君も怪人も、
「こりゃー写真に偽りありだなー。しかもこの値段。ス
 ープ飲みに来たんじゃないんだぞー!」
と口々に叫んだが、さすが両人とも紳士である。有問題
もアーバーユーも口にしなかった。
そんなフカヒレ屋にも見るべきものはあった。我々を給
仕してくれた服務員(係)の女性のなんと美しかったこ
とか。この服務員の可愛さや美しさをどう感じるかは、
入口・怪人組は私と趣を異にしていたが、でるところは
出る、ひっこむところは引っ込むという素晴らしいプロ
ポーションの歩くチャイナドレス。見え隠れする目が痛
いような白い足。わたしは春節の民族大移動のこともフ
カヒレのこともとっくに忘れ、頭の中では勝手な妄想が
渦巻き上がるという大馬鹿者(ダーアーバーウー)状態
であったのでございます。
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by kasuya_senji | 2008-01-31 16:42 | Comments(1)
ピンチヒッター
平成20年1月29日

昨日、経理室から回ってきた書類にサインしたが、日付に
平成20年1月28日と書きこむ欄があって、
「平成20年!!!?」
とつい声を上げてしまった。声を上げ、平成になってもう
20年も経つのか・・・早い・・・早すぎるものだ・・・
と云う表情で、書類を持ってきた経理部長の顔を見ると、
そうですよ早いものですと目で頷いた。

僕は昭和の生まれで、長じて昭和天皇が崩御され、時の自
民党幹事長であった故小渕恵三議員がテレビで「平成」と
墨で書かれた半紙をかかげ、年号が変わりました、明日か
らは平成となりますと発表したが、そのころはロンドンで
仕事をする機会が多く、英国では年月日は西暦で、平成と
年号が変わった当時は、ナインティーンエイティエイト。
買い物に行って、値段はワンハンドレッドエイティーファ
イブポンドなどといわれると、頭の中で185と直し、ポ
ンドは約200円だから日本円にすると3万7千円かァ、
などと頭の中は「英語を日本語に変換」ばまりしていた。
当時の僕は30代で、今と比べれば若造としか云いようの
ない若者ではあったが、それでも30代から英語をマスタ
ーすることは容易ではなく、寝ても覚めても、
アイハフトゥースピークイングリッシュで、
馴染みのない平成という年号に関わり合っているヒマはな
く、それからは年号は西暦でしか認識したことがない。
その時のことを昨日のことのように鮮明に覚えていて平成
20年と言われると、エー! もう20年も経ったのかー。
と驚いてしまったのです。

昨日は、時のスピードに一瞬クラッとしたがなんとか立ち
直り、空き時間が見つかったからブログのエントリーをし
たが、結局、思い返せばこの20年間の自身の知的欲求の
追求の旅の中途半端ぶりさばかりが頭をよぎり、
「中途半端大賞をくれ」! 
などと叫んでしまったのであります。
書店をうろつき回ると妙なものに出くわす。怪人田中の怪
企画に魂を奪われ、大陸へ通い出してそろそろ北京も馴染
みの場所になってきた。僕が知る北京はつい最近の北京だ
が古くから北京中国に馴染んだ人に小泉武夫さんという人
がいる。この小泉さんとは一面識もないが書店で呼ばれた
のである。
なんぞオモロイ物ナイヤロカ・・・
と書店をうろついていると「中国怪食紀行」という表題の
黄色い表紙が目に飛び込んできた。著者は小泉武夫とある。
また、我が輩は「冒険する舌である」とサブタイトルが書
かれていて、表紙の写真は子羊の頭そのものが入ったスー
プであった。僕は好き嫌いがなくなんでも食べるが、さす
がに世で言う下手物には手を出したことはない。いったい
この下手物趣味の小泉氏というのは誰なんだろう。奥付と
読むと、福島県の酒造家に生まれ、東京大学を卒業し、東
京農業大学教授、(財)日本発酵機構余呉研究所所長を勤
めていらして、専攻は醸造学、発酵学とある。
造り酒屋の家の息子が長じて醸造学・発酵学の日本の権威
になるなんてたいへんよろしいことではないか。なにやら
この小泉家はめでたくもあるではないか。
阿川弘之さんの「食味風云録」のなかで、醤油屋(キッコ
ーマン)に勤めている友人の醸造発酵に関する話から、蚊
の目玉、リスの糞、ひじきの2度食いに発展する話はこの
著書の中で出色のエピソードだった。なんであれ、醸造・
発酵の観点からの食べ物の話はおもしろかろうと、あたか
も小泉さんに書店で呼ばれるが如くこの本を買ったのであ
る。
冒険する舌をもった怪食家の小泉さんが経験するもっとも
臭い話が笑える。これは表題とは違い中国の食べ物ではな
く、韓国の奇妙な食べ物である。
韓国全羅南道、朝鮮半島の南端の木甫(モッポ)という港
町は世界一のエイ食いの町で、尻尾の長さを足せば1メー
トルくらいになる大型エイを生のまま甕に入れら密閉して
2週間くらい放置する。つまり、腐らすのである。そして
いよいよ、臭い物の蓋があけられ強烈な臭気を持った腐り
エイが登場するのである。人の口に入るために。
甕の中で何があったかは醸造発酵の権威である小泉さんに
説明いただこう。
「甕に入れられたエイは自己消化=体内に内臓している酵
 素が自らの体成分を分解すると同時に、エイの体表に付
 着していた多種類の微生物のうち、アルカリ性に強いも
 のだけが生育して発酵を起こす。そういうことが行われ
 ると、なんとエイの体から激烈に猛烈にアンモニアが発
 生する」
2週間発酵・腐敗したエイ(韓国語でホン・オ)の食べ方
は3つあるらしい。しかし、日本ではアンモニアは体にと
って危険な成分とされ、その痕跡の存在も食品衛生法で禁
止されているのですから韓国のホン・エ食いはそれだけで
凄さまじいのですが、この腐ったエイの食い方は、
1−生で食べる。
2−煮て食べる。
3−蒸して食べる。
小泉教授はこの3種類の食べ方を木甫にある最も有名なエ
イ料理専門店「金メダル食堂」で体験する。
●生で食べる=いやはやすごいものすごい。想像を絶する
 アンモニア臭に頭がくらくらする。しかも噛んでいると
 口の中に熱いカイロを含んだように熱を発する。
●煮て食べる=臭いはグワーンとさらに増す。顔を殴られ
 ているような臭気。夏の日にくみ取り式の便所の便壺に
 たまった糞尿に顔をくっつけてものを食っているようで
 ある。
●蒸して食べる=十分に蒸し熱したホン・オならば、これ
 を口に入れて深呼吸すれば100人中98人は気絶寸前。
 のこり2人は死亡寸前に陥るだろう。
というのが、小泉教授の体験談である。
ちなみに、このホン・オは非常に高価な物で3種類をコー
スで食べるとなれば、最高価格では一人前30万円もする
のだそうだ。

年明けに訪れたソウルで韓国人実業家の社長と食事を共に
したが、恐る恐るこのホン・オの事を訊ねると、
「あんなに臭くて高い食べ物は世界にないでしょう。でも
 慣れるとあんなに美味いものはありません。そうですか。
 ホン・オに興味をお持ちの日本人がいるとは知りません
 でした。次回韓国に来られるときは是非ご招待しますよ」
「あれは木甫(モッポ)で食べられるものなんでしょう。
 私が韓国に来ることがあるとしたらソウルなんですよ」 
「ソウルでも食べられる食堂があります。ご安心下さい」
と実業家社長は言いにっこりと笑い、私と握手すると乾杯!
と焼酎を一気に飲み干し友情を証していただいたが、安心
などできるものではない。

さいわいにして次回のソウル行きはまだ未定である。行く
となればこの社長に内緒でお忍び韓国旅行となるか。でも
それは無理だろうな。その社長との共同プロジェクトであ
るのだから。だいたいそもそも怪人田中の提案がこのプロ
ジェクトの始まりである。怪人には怪食が似合うというも
のだ。次のソウルでは、若き頃阪神タイガースのプロテス
トを受けたことがある怪人田中に
「ピンチヒッター怪人!」
とアナウンスして、彼に気絶と死亡寸前のアンモニアの世
界を堪能してもらおうと密かに決めている。
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by kasuya_senji | 2008-01-29 17:04 | Comments(0)
中途半端大賞は誰に?
2008年1月28日

去年もいろいろな本を読んだ。
何月ころのことだったのか・・・・
記憶が定かではない病に身も心も冒されてしまっている
わたしには、夏前のことだったと思うんですがねえ・・
としか言いようがないが、キリスト教関係、特に人間イ
エス・キリスト(ユダヤ人)その人や、初期キリスト教
がローマ帝国やユダヤ教からの迫害の中、誰によってオ
リエントの土地からどう西欧社会に布教されていったの
かにつよく興味をおぼえ、その関連本を読みあさった日
々もあったが、それは元はと言えば、キリスト教神学で
あるスコラ哲学が確立された中世以降は「異端」として
葬り去られた数々の預言書を守り抜く一派が死の結束を
持つ結社として地下に潜りつつも、数百年を経た今日も
現存していて、ごく近年になってそれが秘密のベールを
少しづつ脱ぎだしてきたことに刺激され、初期キリスト
教は現在のキリスト教とどうつながっているのか、また
はどうつながっていないのか? に興味をかきたてられ
たからであった。
それを調べるのは困難を極めた。20冊ほど読んだあた
りで(それもやたら時間がかかったのですが)それでも
20冊ほど読み終えたあたりで、興味というちいさな懐
中電灯で照らしてもとても照らし出されるものではない
と知り(しりを変換したら尻とでました)、これは塩野
ななみさんの大著書「ローマ人の物語全15巻」を書き
起こすよりもはるかにたいへんなことだぞ、興味などと
いうささいなことで知りうるものではござらんと気付き、
しだいに尻すぼみになり、入り口は開けてみたもののウ
ロウロと歩き回っただけで退散という中途半端なものに
なった次第でした。
これはひとえに自分という人間が中途半端であることに
根があります。どうも長い読書生活を振り返ってみると、
どれもこれも興味にまかせた手当たり次第の乱読である
と思う。数千冊はあろうかという私の書棚を見て人は感
心をするけれど、あれを見れば自分がいかに中途半端な
人間であるかを証明しているかのようで、ただただ春秋
の淵に佇むばかりであります。
などといいながら、昨日も今日も明日も書店をうろつき
周り、なにかエエモンナイヤロカと探し回るのは、さら
にあらたな中途半端度を高めているとしか云いようのな
いものではあるが、仮に「読書中途半端大賞」などとい
う賞があれば、受賞間違いなしではないだろうか、そこ
までいけばひょっとしてたいしたもんやないやろかと自
己弁護するていたらくな無反省な日々でございます。
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by kasuya_senji | 2008-01-28 18:08 | Comments(0)
新年のごあいさつ
2008年1月14日

映画「鬼が来た!」。
 チャン・ウェン監督作品。
2000年カンヌ国際映画祭グランプリ受賞。
主演:チャン・ウェン。香川照之。
原題は「鬼子来了」。
宣伝コピーは、
「これが戦争と人間の真実。カンヌを喝采で包み込んだ、
 衝撃と感動のヒューマン・ドラマ大作」
を観た。

怪人Tが北京に行きだしたのが数年前のこと。この男は
感性が鋭く、自分の家を建てたときには、建築家に、
「デザインと機能がぶつかったときはデザインを重視し
 てくれ」
とだけ注文をつけたというエピソードの持ち主である。
怪人Tは北京に乗り込む前に、数十本の中国映画を観た
という。つまり、現代の中国を代表する映画作家の感性
をチェックしまくったということであろう。
その中で、傑作だったのが「鬼が来た」という映画でし
たと言っていた。怪人Tが悪いと言う物はまちがいなく
良くない。良いと言う物すべてが必ずしも私にとって良
い物であるとは限らない。なぜならそこには怪人Tの趣
向が強く存在するからであるが、いずれにせよ怪人Tが
良いといった物は要チェックである。ということでさっ
そくDVDを手に入れ観た。

この物語は、第二次世界大戦末期の中国華北地方の寒村
を舞台としている。
映画は、麻袋にくるまれた二人の人間を村人があずかる
ところから始まる。村の男が夜中に村の女とセックスを
しているといきなり戸を叩かれる。誰だと聞くと「私だ」
と答える。「私? 誰だろう・・」と、とまどっている
と早くあけろ! と脅され戸をすこしだけあけるといき
なり拳銃がつきつけられ「目をつぶれ」と言われ、目を
つぶらされたまま
「これをあずかれ。またとりに来る。それまで生かして
 おけ。死なせたら村人全員を殺す」
と、「私」と名乗る何者かは去っていく。
画面には額に突きつけられた拳銃に目をつぶった村の男
の顔が大写しになるばかりで、「私」と名乗る何者かが
観ているわたしにも何者であるかまったくわからない。
誰がなんのために二人の人間をあずけたのか、という疑
問を映画の中の村の人々と観客は共有しながら物語は進
行する。主題である戦争と人間の真実が、まるで推理小
説映画のような手法で描き出されていくのである。この
視点はまことに秀逸としかいいようがない。
映画の中味を喋ることは禁止行為であるが、面白い場面
があったから紹介しておきます。
麻袋にくるまれた二人のひとりは日本兵(香川照之)。
もうひとりは日本軍ではたらく中国人通訳。
日本兵香川は中国語が喋れない。香川はなんで自分がこ
こに監禁されているのかわからない。通訳に聞かせても
村人も答えられない。香川は捕虜になったのなら俺は潔
く死ぬ! それが日本兵の掟だ! おめおめと生きて帰
れるか! 死なせろ! と叫ぶが、村人は死なれてはか
なわない。生かしておかないと全員殺されるからだ。
どーなってるんだ! と香川はいらつきまくる。香川は
(セリフは日本語である)チンコロ! などと中国人を
おもいきり差別用語で呼ぶ。バカヤローとも叫ぶ。中国
人通訳に、
「おい、中国人が一番いやがる言葉はなにだ。俺に教え
 ろ。俺が直接思いっきり奴らを侮辱してやる。そうす
 れば奴らは怒って俺を殺すだろう」
と中国語を教えてもらい、村人全員を集め教わった中国
語で大声で罵倒する。通訳がおしえた言葉はこうだった。
「新年あけましておめでとうございます! おじいさん、
 おばあさん、私はあなたの孫です!」
これを聞いた村人は、この日本兵はなんていいやつなん
だとニコニコと喜ぶのである。
映画では、突然やってきて災いをもたらす「私」なる者
が誰であったのかは最後まで明かされない。「私」は、
誰か他人でもあり、自分自身でもあり、世の中でもあり、
現実でもあり、過去でもあり、未来でもあるかも知れな
い・・・と示唆している。
怪人Tのお奨め通り傑作であった。監督チャン・ウェン
の才能おそるべしである。勝手な感想を言えば、北野ブ
ルーとヨーロッパで持ち上げられている北野武など彼に
遙かに及ばないだろうと思う。しかも、主演俳優として
もチャン・ウェンは迫真の演技力を身につけている。こ
の点でも北野武を遙かに凌駕している。点と線という松
本清張のドラマ観ましたかァ。大根役者そのものだった
じゃないですかタケちゃんマンは。

余談ですが、
この映画の香川君とおなじでわたしも通訳がいないと北
京では役に立たない。でもそろそろ街にも慣れてきたこ
とだから、せめて簡単な中国語を覚えてひとりでホテル
に帰るぐらいなことはしてみたいと中国語を覚えること
にした。覚えると云っても学校や教室に通う時間はない。
仮に時間があっても、これはなんですか? とかあの建
物はなんですか? などという言葉を教えてもらうつも
りはない。なぜならそれを覚えて使ってみて万が一通用
してしまって中国人がそれに答えてくれたとしても、わ
たしには何を言っているのかサッパリ分からないのだか
ら、私は質問言葉を覚えるつもりはありません。私が相
手に何かして欲しい時に使えるオーダー言葉を覚えれば
用は足りるのであります。
チューという言葉がある。これは、お願いします的な言
葉で、何処かに行きたいときに使える。北京は中国語で
ベイジンと言う。空港は中国語では機場と書いてジイチ
ャンと読む。
北京空港に行ってくださいは、
「チュウ ベイジン ジイチャン」と言えばヨロシイ。
ホテルにチュウ。空港にチュウ。お銀の家にチュウであ
ります。お銀にチュウすれば、ボーイフレンドに怒られ
てしまうから、家にチュウであります。
また、ホテルや飯屋や飲み屋で何か注文するときやガラ
クタ市で店の親父など人を呼ぶときなどは、係の人! 
的な意味で服務員と言えばばヨロシイ。言い方はフゥー
イェンであります。フゥーイェンと呼べば来てくれます
から、ビールもたのめるし、メニューを見て餃子もたの
めるしホテルのポーターであれば何も言わなくても指さ
すだけで荷物も持ってくれるのであります。
とりあえずこの2つは覚えました。このペースで3年も
すれば20くらいは覚えることだろう。20もあれば、
随分使い道がありそうだな。
春節(中国の旧暦の正月で2月の2週目あたり)も近い
ことだから、香川君のように新年の挨拶を覚えるものテ
かもしれんな。もちろん香川君のように怒鳴りながら言
いませんが。
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by kasuya_senji | 2008-01-25 18:46 | Comments(0)
ガラクタ市散歩
2008年1月23日

1月の初旬に韓国ソウルを訪れた時、ソウルは雪だった。
2000年2月14日。映画サムライ・フィクションの
韓国の公開に合わせ、初めて訪れたソウルは快晴だった
が身を切るような極寒で、歩いているだけでつま先から
冷えが駆け上がってきた。
「シベリアと陸続きだからな・・・」
「土は熱伝導率がとても悪く、いったん冷えると少々日
 が照ってもいつまでも温まらないんです」
などと通訳のYJさんと会話し、足の痛さをこらえなが
ら歩いたものだったが、そのときいくら寒くてもソウル
では雪はめったに降らないと聞いた。
今回、金浦空港に向かえに出てくれたキム君も、ソウル
で雪なんてホントに珍しいデスと言っているから、ソウ
ルに同行した、O氏、KM氏、T氏と誰が「雪男」なん
だろうと話し合ったものだった。私じゃないですよとい
うのがそれぞれの主張だった。

その1週間後の1月の17日。北京空港に降り立ってみ
れば北京は雪だった。降雨量が少なく乾燥した北京も冬
になれば雪も珍しいことではないが、それも10年も前
まではのことで、温暖化の影響なのかここ数年はめった
に雪は降らないという。北京で顔を合わせたのはソウル
でも一緒だったT氏。
「こりゃ。カスヤさんが雪男ですね」
と自分のことはさておきT氏は言う。
野外でのコンサートやイベントで雨に祟られることのお
おい日本では「雨男」という言い方がある。
「誰々の夏のイベントは大雨でした」
「スタッフにAがいなかったか?」
「いたと思います」
「あいつは雨男だからなあ。百発百中必ず雨が降る」
などという伝説の男がいるが、乾燥気候の北京では、そ
う言った迷惑をかけてしまうという意味での雨男という
言い方はないのかもしれない。故宮の南に天壇公園があ
り、北に地壇公園があるが、その公園は皇帝が即位した
ときに、天命を受けての即位であると宣言をする場所で
ある。そして即位した皇帝が天に祈りを捧げるために使
われる場所でもあるから、農作物の豊穣の祈祷=乾燥地
帯に雨を降らせるという雨乞いの儀式もここで行われた
と想像する。であれば雨男という男がいるとすれば、そ
れは一般人ではなく皇帝であったろう。そんな北京であ
るから、雪男と言われても北京人には雪を連れてきた男
ではなく、想像するのはヒマラヤのイエティーなんだろ
う。お銀は
「なんでカスヤさんが雪男なんですかァ・・?」
と寒さ対策で着ぶくれたわたしをじろじろと眺め言った。
22日に日本に帰国すると翌日は東京も雪になった。北
京では、いや俺じゃないよT君かもしれんよ雪男は、と
言っておいたが、これで雪男は私であることが判明した。

さて、建国門街に面したフランス系ホテル・ソフィテル
の16階の部屋の窓から建国門街を見下ろす。天安門広
場につながるこの大通りは片側4車線の外側にグリーン
ベルトがついていて、そのまた外側に2車線の車道があ
るという合計6車線の広い道路である。車はゆっくりと
進んでいく。右に左に車は車線を変え広い道路を進むが
方向指示器をださずに車線を変える車の方が圧倒的にお
おい。グリーンベルトにはバス停がある。地下鉄の整備
がすすんでいない北京では庶民の足といえばバスで、バ
スは次から次へと運行している。朝夕の大ラッシュアワ
ーの渋滞は北京名物と言われるくらいの想像を絶する大
渋滞であるが、渋滞していないときはこの大通りを車は
気持ちよさそうにスイスイと流れている。道路に関する
都市計画は日本より遙かに進んでいるといえるだろう。
都市のど真ん中を中心に6車線の環状道路が整備されて
いる街なんて日本ではみたことがないのだから。しかも、
この6車線の環状線は故宮を中心に2環、3環、4環と
3本あり、どの道も一般道とは立体交差し、一般道へは
側道を利用して出入りする仕組みになっているから信号
はひとつもなく、まるで高速道路のようである。
ちなみに、どこの国にもスピード狂はいるもので、1周
約40キロの2環の一周記録が13分(平均時速185
キロ)で、まだその記録は破られていないそうである。
くわしいことは不明だが、その名誉ある2環13分野郎
の車はフェラーリやポルシェではなく、どこにでもある
普通の乗用車だったと言われている。

今回の在北京は、木曜日、金曜日、土曜日に打ち合わせ
が集中し、日曜日はオフで月曜日は予備日となっていて
後半はゆっくりすることができた。怪人Tは、万里の長
城を見ずば男とは言えないと毛沢東も言ってますから、
万里の長城まで足をのばしましょうと進めるが、この寒
い最中に山の上まで行って寒風にさらされるのはかなわ
ない、いや寒風どころではないだろう、この様子じゃ山
は吹雪となっているかもしれんと丁寧にご遠慮もうしあ
げると、それではと市内の西の方にあるガラクタ市場に
連れて行ってくれた。
寺の境内にその市場はあり、あちこちにガラクタが並べ
られている。東京の下町・富岡八幡宮では毎月の隔週の
日曜日に骨董市が開かれていて、市の様子は此の地彼の
地問わず同じようなものであるが、ちがうのは店を開い
ている人々にまるでやる気がないことである。だいたい
品揃えがあまりにもガラクタすぎてまともな物などひと
つもない。古い時計ではなく壊れた腕時計。どこでこん
なもん拾ってきたんだとおぼしきホウロウの汚い洗面器。
誇りで溝が埋まってしまっている古いレコード。たぶん
この店主の家の子供が小さい頃に使ったのだろうと思わ
れる絵日記帳。
まあ、気を入れて売るものなどありませーん、10円で
売れればめっけもんでーすってな顔で店番をしている。
それでも店番をしているのならまだましなのである。陶
器を売っている店先では、店主が隣のガラクタ店の親父
と縁台を広げ中国将棋に夢中になっていて、
「これはいくらなんだい?」
と聞いても、声をかけるな邪魔せんといてくれといわん
ばかりの顔つきでこちらを見るばかりで、この欠けた茶
わんがいくらするのかいつまでたってもわからない。店
の中では一番目立つところにさも高そうに鎮座させてい
るから、きっと、
「そうでんなァ、これは唐代のものでやんしてね。欠け
 ているとはいえまともであれば40万円はくだらない。
 欲しけりゃ5千円で分けてやるよ」
などと言うだろうなと思った通り、将棋のひと勝負がつ
くとどうやら勝ったようで、ヒャオー!などと奇声を発
し万歳をしながら茶わんを手に持つ私に近づいてきた店
主は、
「これは高いよ。なにしろ唐代の茶わんだからな、俺は
 売りたくないんだよ、宝物だからね、ま、5千円なら
 売ってもいいがな」
と思った通りのことを言った。
唐代の骨董品を欲しい分けじゃないんだよオッサン。
この欠けたところが煙草の置き口になりそうだから灰皿
として使ったらおもしろかろうと思ったまでよ、5千円
じゃ買わない、出せて50円だね、それでも高いくらい
だと言うと、親父は私の手から茶わんをひったくっても
との場所に置き戻した。
たいがいこういったガラクタ屋は、いらないと言うと、
じゃあいくらなら買うんだねとしつこく後を追いかけて
くるものなのだが、この親父だけでなくどの店の親父も
女店主も言い値で買わないとわかればそれっきりという
やる気の無さであった。定価でしか売らないというガラ
クタ市を初めて見た。
しかし割れた茶わんのちいさな欠片が段ボール一箱15
0円で売られていたが、いったい誰が買うんだろうか。
いやその前に商品として成立すると思っているんだろう
か。そんなゴミのような物ばかりがならんでいるガラク
タ市だった。
だがこのガラクタ市には驚くことに見るべき物があった
のである。こわれた拳銃や錆び付いた銃弾やソ連製の小
型バズーカ砲のような銃器(もちろんすべて壊れている)、
戦闘用のヘルメットなど、ようするに軍の放出品をあつ
かっている店先に、中国解放軍のパイロットの皮のユニ
フォームが売られていた。見るからにぶ厚そうなその革
のパンツはいかにも温かそうで、粉雪の舞う−5度の北
京の屋外の市場に立って風にさらされているわたしにと
っていかにも魅力的だった。高いことを言うんだろーな
と思ったが、いくらだと聞くと8千円と言うではないか。
8千円は高くないかもしれない・・・。
安くするなら買てみようじゃないかとお銀を交渉役にし
て2千円と言わせると6千円!と値を下げるではないか。
やっとやる気のある奴に出会い、値段交渉で物を手に入
れるという本来のガラクタ市気分が面白くなって値切り
倒して3千円で買った。
お銀はなんでこんな物を3千円もだして買うんだという
顔をしていたが、ホテルに帰って履いてみると店の兄ち
ゃんのいうとおりぴったりのサイズで、しかもちょっと
カッコイイではないか。
高度数千メーターの上空を飛行する戦闘機には冷暖房な
ど完備されていないだろうからパイロット服は寒さに耐
えられる物でなくてはならない。この革パンツは耐寒性
抜群でホカロンを10個入れてもこれほど温かくはない
だろうと思われるほど温かった。これ10枚買っていっ
て東京でひとつ5万円で売っても売れるかもしれません
ぜという声が聞こえるようであった。





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by kasuya_senji | 2008-01-23 20:43 | Comments(0)
徳島の橋のたもとで
2008年1月16日

大川奘一郎カメラマンが亡くなった。享年60歳の若す
ぎる死だった。大川さんは、吉田拓郎、南こうせつ、伊
勢正三、イルカ、ふきのとう、浜田省吾等、1970年
代に台頭したフォーク・ロック・ニューミュージックの
多くのミュージシャンを撮り続けてきた。
なかでもデビュー時から撮りつづけてもらった長渕剛は、
彼の写真はすべて大川さんが撮った写真だといっても過
言ではないくらいだろう。そういう縁で、長渕剛さんが
代表発起人となって1月16日の今日の午後。お別れの
会が催された。

お別れの会場では、多くの懐かしき友人先輩諸氏と会う
ことができた。誰も彼も大川さんの早すぎる死に心を痛
めていた。わたしはミュージシャンではないから大川さ
んの被写体ではない。したがってお別れの言葉を述べら
れたミュージシャン達の、朝早い撮影だったから機嫌が
悪くてごめんなさい、二人で海にでかけたがその時大川
さんが撮ってくれた写真がいちばん自分らしい自分だっ
た、この写真は今でも大事にとってありますといった邂
逅はない。あるのはコンサートで日本全国にでかけたマ
ネージャーとカメラマンの旅の思い出である。
昔日。未だ若かったわたしは徳島で酔っぱらい、飲み屋
街でデロデロに酔っぱらった女を拾った。徳島は知らな
い町である。行くあてもなく歩き、この女と橋を渡ると
橋のたもとで大川さんが喧嘩をしていた。何を言ってる
のかわからなかったが、あの温厚な大川さんが大声を出
して相手を平手打ちにしている。わたしは大川さんとそ
の相手の間に割って入り、
「大川さん。あなたが平手打ちしている相手は電信柱で
 すよ」
と言った。ウーン? エー? とこちらを見た大川さん
の目はどんよりと澱み定まらず、酒量が限界を超えて酒
精があふれ出したようなデロデロに酔っぱらったデロリ
ンマンであった。
「カスヤ。止めるな。こいつは俺にぶつかってもスイマ
 センとも言わないんだ。こらしめてやるー」
とまた電柱をパチンパチンと平手打った。
これ以降。大川さんは酔っぱらうと電柱と喧嘩すると言
われるようになった。

お別れの会の最後に出棺となった。長渕さんは会葬者全
員に、棺の蓋にみなさんのメッセージを書いてあげてく
ださいと言った。わたしは、
「大川さん。また徳島のあの橋のたもとで会いましょう」
と書いた。それを読んだ志保美悦子さんが、徳島ってな
んのことですか? と聞くから、先述の逸話を説明した
のですが、あの橋のたもとに行けば、未だ若かった自分
と大川さんに会えるような気がしたのです。



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by kasuya_senji | 2008-01-16 17:53 | Comments(3)
成人おめでとう
2008年1月15日

成人する倅へ。
成人式おめでとう。
10代にも悩みがあったことだろう。でもその悩みという
ものは、大いなるものではあっても指を折って数えてみれ
ば片手で足りてしまうかもしれない。
二十歳になれば20代の悩みが生まれるものである。この
20代の悩みは、30に成ったときに大いなる勘違いであ
った事に気づくものではあるが、いずれにせよ片手ではす
まない。そうだな両の手の指を折って数えなければならな
いだろう。それでも足らないかもしれない。今までは悩み
でしかなかった人生の進路は実際のものになり、同僚や上
司や部下や相手方との関係のなかで数々に膨れあがるもの
だから、10代の5つの悩みはあっという間に10倍にな
るかも知れない。恋に恋していた青年は、男と女の人間関
係の中で翻弄され嫉妬し傷つきながら人として成長してい
くことだろう。おおいに悩みたまえ。そのなかで何が本質
であるかを見極める力を養いたまえ。今日からは一人の大
人としての道が始まるのである。そのことを祝福しよう。

思えば、
君は小学校に入った夏休みに遊びまくって2学期が始まっ
た時には学校がどこにあるか忘れてしまっていたね。
初めて連れて行ったもらった箱根の冨士屋ホテルで、現金
の懸からないコインのスロットマシンをやり、一発でスリ
ー7の大当たりをだしたね。
まだ泳げなくて温水プールで溺れたね。あの時は、おかあ
さんが服を着たまま飛び込んで君は息を吹き返したという
わけだ。
足し算の試験で、どう足したらいいのかわからなくて0点
をとったから、足し方を教えたらあっというまに100点
をとったのはいいけれど、翌日の試験でまた0点をとって
頭をひねっていたから、どれどれと答案用紙をみれば引き
算なのにどれここれも足していたね。つまり質問の意味を
考えない間違いだったんだ。もちろん君の名誉のために言
うけど「問い」をよく読んで回答しなさいと教えた翌日の
試験は100点だった。
ワタミ(和民)という飯屋が町にあって、国語の試験で、
「漁民」のよみがなは? という問題で、ウオタミとふり
がなをふって×だったね。なんで×なんだろうと俺も一瞬
考えちゃったけど、これはウオタミじゃなくぎょみんだっ
たね。小学校で居酒屋の名前の問題は出やしないのだ。
昨年末に東京のおばあちゃんの家を訪れたとき、ずいぶん
と年下のいとこから
「オジサン」
と呼ばれて、
「オジサン?!!!。俺がァ??」
と驚いていたが、このいとこは4才になったばかりで、つ
いこの前まではよちよち歩き回っていたに過ぎない赤ん坊
のような子供で、
「まあこの子から見れば二十歳になったばかりの自分とは
 云え・・オジサンかもな・・」
と腹の底で笑いがコトリと音を立ててわきあがったような
照れ笑いをしていたね。
おじさんと言われたことは初めてだ・・・
と今までになかった自分を発見したような顔だったぜ。
オバサンと呼ばれることに慣れきってしまった君のおかあ
さん(わたしのかみさん)からおもしろがられてたね。

成人式の夜は、中学や高校の仲間とおおいに飲んだくれ、
ぶったおれるまで飲んだようですなあ。一晩中トイレにこ
もり、便器をかかえゲーゲーやっていたようだが、二日酔
いは直ったのかい。そうだね。二十歳を過ぎればオジサン
と呼ばれたり、普段は座る物にすぎなかった便器がかかえ
るものでもあると知るものなんだろう。
この話のなにが目出度いかは不明だが、ま、大人になると
いうことは、すこしばかり痛い思いの集積の上にあるとい
うことを知るのだろう。頑張りなさい。おめでとう。



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by kasuya_senji | 2008-01-15 16:35 | Comments(1)
ラッキーカラー
2008年1月9日

ことしの初ブログを”幸せの黄色い新幹線”とエントリ
ーしたら、自称俳句仲間(ここ数年俳句会の集まりもな
く、たまにあつまっても飲んでばかりで句作をしていな
いので仲間内の自称であります)の酔狂亭さんから、
「大兄の日記”幸せの黄色い新幹線”を読んでいて、偶
 然僕もおおみそかにネットスプラウトのコラムに”幸
 せの黄色いリボン・ヘルム”というタイトルで書いて
 おりました」
とメールが来た。偶然でしょうが今年のラッキーカラー
は黄色でしょうかとも書き添えられていた。
ラッキーカラーなど意識したこともないが、友人とのつ
きあいもこう長年のつきあいとなると、ただただ偶然な
どということはなく、あくまでも必然の出会い頭だろう
から、今年のラッキーカラーは黄色と言うことにする。

カラーと言えば、昨年のこと。照明家のSSK巨匠と打
ち合わせをしていた時、いきなり巨匠がパンツの話をも
ちだされた。巨匠はわたくしより先輩でありますがボケ
ている人ではない。たぶんなにかの色(照明家だから)
に関する話がきっかけとなってそんな話をもちだされた
と思うが、残念なことにこちらはボケているからなにが
きっかけでそんな話がはじまったのかは憶えていない。
印象としてはいきなりパンツの色の話をもちだされたの
である。
「いや。パンツの色は肌の色に近い方がよろしい」
「いったいどういう分けですか」
「医者が言うんだよ。理由までは追いつめなかったけど
 黒や紺などの色ではなく、肌色もしくは白がいいらし
 い。健康によろしいらしい」
「赤はどーですか? なんでも藤原紀香は勝負パンツは
 赤だと聞いてますが」
「直に聞いたのかい?」
「直なわきゃありませんよ。テレビで言ってました」
「テレビで藤原紀香のパンツの色の話をするんですか?
 日本はまったく平和ボケしてますな」
「で、それはともかく白色パンツですか巨匠は」
「いや。今日はそうじゃない。でもこの色だ」
・・・とするから、まあまあと押しとどめ、また話は仕
事話にもどって、このパンツ何色物語はこれで終了とな
ったが、その話が頭に残っていてあたらしいパンツを買
いに行った時、定番の黒は避けできるだけ薄めの色で揃
えたが、それで健康がどうなったのかは何も起こらなか
った。

でもまあ一旦今年のラッキーカラーは黄色だと決めたの
であれば、いつ招集されるかわからないが今年の初句会
は、不忍亭さん、駒込亭さん、酔狂さん、尾張さん、宮
崎亭さんの全員に、句会は黄色のパンツ着用と呼びかけ、
発句のお題は、
「幸せの黄色・・・」とし、
「しあわせの きいろいパンツ はつひので」
などとわけのわからない句ではじめるのもよかろう。
それに続いて、
「ミッキーは 赤いパンツの 年男」
などと、いつになく句が発展することがあれば、ラッキ
ーカラーであることまちがいないかもしれない。
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by kasuya_senji | 2008-01-09 14:54 | Comments(0)
幸せの黄色い新幹線
2008年1月7日

年末年始はゆっくりとのんびりと過ごしました。
年末はめずらしく大掃除などしました。掃除がめずらし
いと言ったのは、丸3年前のクリスマスイブに引っ越し
た新居でまだまだきれいであったこと。また月毎に「大」
とまではいかないが、掃除は清掃業者に来てもらって行
っていることで原則的に家は掃除が行き届いているから
です。
ではナンデ? 大掃除をしたのかホワイ?
というと、自室の模様替えをしたからであります。ソフ
ァーを動かし、箪笥を移動し、積み上げられていた本を
収納する本箱を買ってすっきりとさせましたので、つい
でといってはナンですが、洗剤で畳を拭きフローリング
の床を拭き清め、窓ガラスをピカピカにし大掃除をし清
らかな年末となりました。
ソファーと箪笥の位置変えは、この二つはそれなりに重
い物ですから、一人でやろうとすると、
ヨイショ! っと持ち上げた時に、
腰がギックリ!! アイタタタタ・・・・
となる危険性がありますから倅に手伝わせようと、昨夜
は出かけたまま友人宅に泊まった倅の帰りを待っていま
したが、なかなか帰ってきません。朝早く起き、物を片
付け、空いたスペース、窓ガラスなどを拭き上げたとい
うのに倅が帰ってこないのでいつまでたっても中途半端
なままで部屋は片付きません。部屋が片付いていないの
で居場所がありません。ベランダで煙草を吸い新聞を読
み本を読み待っていても帰ってきません。こりゃー待っ
てられないなと部屋に戻り、重いソファーを腰に力を入
れず手だけに力を入れ恐るおそるすこしづつ動かすと少
しづつ動いていきます。そんな調子でソファーも箪笥も
一人で移動させ結局は全部一人でやりました。慎重にや
りましたから、
ヨイショ! ギックリ!! アイタタタ・・・
という目には遭わなかったけど、腰にどんよりと負担感
はありありと残りました。これで腰でも痛め年末年始は
寝て暮らすような目にあうことになるのなら只ではおか
んぞ倅君。お年玉なぞ1円もやらんぞ、と自業自得の末
の逆恨みとは自分でもわかっていましたが、一晩寝ると
その負担感も消えたので、倅にはお年玉はやりました。
もちろん姉ちゃんにもあげました。
紅白歌合戦は見ませんでした。始めちょっと見たのです
がツマラナカッタからです。他局の格闘技のダイナマイ
トもボビー・オロゴンとボブ・サップの試合のあまりの
ツマラナサに呆れかえって・・・
こんなものを見て1年が終わるのはタエラレナイとテレ
ビのスイッチオフでとっとと寝床に入って、除夜の鐘も
白川夜舟で去年は遠くなりにけりとなりました。おかげ
で早起きができ元日の朝は初日の出を拝むことができま
した。

年明けは自宅で寝正月。腰は痛くないのに結局は寝正月。
不思議なもので寝ても寝ても寝られます。餅食って寝て、
本読んで寝て、朝寝して昼寝しても夜は早く寝られます。
おかげで早起きができ、三が日は東京は天気が良かった
から、初詣の変わりに毎朝日の出を拝みました。
2日は箱根駅伝往路を見て、3日は復路をラジオで聞き
ながら車で岡崎に帰りました。翌日の4日は呉服屋のY
が幹事となって、岡崎市立甲山中学3年7組の同級会で
す。亡くなったKとMの写真を借りてきて、この二人も
写真参加しました。
集まった顔ぶれは、
担任のK先生。(80才なのに矍鑠としておられた)
自営業のO。
歌手のO。
自営業のK。
岡崎堂。
ヨットマンのS。
コンサルタントのF。
呉服屋のY。
以上男7名。どういう訳かサラリーマンは一人もなし。
主婦のA。
主婦のK。
主婦のS。
主婦のS。
主婦のS。
以上女性5名。全員主婦。先生を入れて写真参加入れて
総勢15名。久しぶりに会った面々は初めのうちこそ、
互いの変わりように驚き、互いの変わらなさぶりにもっ
と驚き、
「いやー。何年ぶりかねえ。お元気そうで。ところで今
 はどんな仕事で。どちらにお住まいで」
などと大人の会話をしてましたが、それでは乾杯! と
なって酒が入ってしばらくすると、
「イヤー。お前は中学の時とまったく変わらんなー」
「カスヤもあの頃とまったく一緒やナイカー」
「カスヤ君。私と授業中に話し込んでいたら、先生に、
 カスヤー! ぺちゃくちゃ喋るな! 男は三日に一言
 喋ればいいんだーって叱られたの憶えてるゥ」
「憶えてるよォ。俺はそれを守っていたら、社会にでて、
 仕事で音楽マネージャーなんか務まらなかったよ。あ
 れだけは守らなくてよかったな。ねェ。先生」
「ワシはそんなこと言った覚えはないぞー」
と先生はおとぼけかまされていましたが、皆、元の中学
生にもどってあーでもないこーでもあったとまあ昔話に
花が咲きまくりでございましたなあー。ほんとにたのし
い一晩でした。
「こうなりゃ来年もやるか!」
と誰が言うともなく声がかかると、呉服屋のYが、
「ちょっと待ってよ。誰が幹事やるのォ。まさか俺じゃ
 ないだろねえ」
というから、その場で、中学は卒業して何十年も経った
けど今日は3年7組のホームルームだと、全員で呉服屋
のYを「永世幹事」と決めました。先生にも承認された
以上やるしかないのだ。そういう役割なのだYは。 
そうして昔の仲間と会って、実家のおふくろに会って、
ゆっくりと時間は流れて行き、お天気にも恵まれまこと
にのんびりとした正月でした。

岡崎にいるとき。新聞に「イエロー新幹線」の記事が載
っていた。全身黄色に塗られているこの新幹線は、線路
や電気系統パンタグラフなどの異常を調べる検査用の新
幹線で、客が乗るものではない。必要がないから時刻表
にも載っていなく、したがって運行は非公開であり幻の
新幹線と言われていて、鉄道ファンの鉄ちゃんの間では
「見ると幸せになれる」と言われている新幹線であると
記事に書いてあったが、実は今日7日、午後2時前に東
京駅の近くを通りかかったとき、その黄色の新幹線が走
っているのを見た。というわけで今年は春から縁起がい
いようだ。良い1年になりそうであります。
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by kasuya_senji | 2008-01-07 20:12 | Comments(0)

 
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