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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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ドイツ人と下ネタ話
2008年3月31日

ドイツ・ベルリンに住むMr・P氏が来日中である。
P氏は、ドイツ西北部バルト海に面した小さな港町生ま
れで、こどもの頃から技術・テクノロジーが好きで、長
じてドイツ最大の電話会社に就職した。その後、会社の
命令で日本支社に勤務すること10年。5年ほど前にベ
ルリンの本社勤務に転じたが、40代の10年間を過ご
した日本をいまでもこよなく愛していて、本国に戻って
からも、年に2度は4週間から5週間の長期休暇をとっ
て日本を訪れている。
1ヶ月に渡る休暇が年に2度もとれるものなのかと不思
議に思うが、そこはドイツと日本の会社の考え方の違い
で、彼の国では昇給はただ単に給料が上がるということ
ではなく、働く時間が少なくなるという方法も合わせて
いくのである。例えば、週40時間働いて10万円の給
与をもらっている人が、翌年には週35時間働いて10
万円をもらうというようにである。つまり時間あたりの
賃金はカロリーアップするという昇給の考え方である。
日本では、そんなこと言わないでくださいよ、わたしは
独り者で時間はありますから土曜日に仕事するのも厭わ
ないですよ、ですから週10万円ではなく12万円くだ
さいよ、という人が多いと思うが、ドイツではプライベ
ートに使える時間が多くなって賃金は変わらなければ昇
給と考えるのである。日本式とドイツ式とどちらがいい
かはさておいて、プライベート=マイライフをいかに充
実した人生を送るかというのが伝統的な考えであるドイ
ツ人からみれば、我が日本人はワーカホリックであろう。
P氏も日本支社の代表を務めていたくらいだから会社で
はそれなりの地位の人間であり給与もそれなりに稼いで
いることだろうから、昇給は年俸は据え置きでも休暇を
おおくもらうという方法をとり、夏のバカンス休暇やク
リスマスホリデーを抱き合わせ上手くやり繰りし、あそ
こをつまんでここにつぎ足してと、1ヶ月にわたる長期
休暇をつくり、日本を訪れるのである。
しかもP氏は独り者である。最初に日本を訪れた時は結
婚していて夫婦で来日したが、日本に来て日本を大好き
になったP氏に比べ、奥方は故郷からはるか離れた東洋
の島国の習慣や食事や町のあり方に馴染めなかった。
結果、奥方は数年もたたずドイツに帰り、その後長い別
々の生活を送り、先年離婚したのでありますから今は独
り者の気軽さで日本を訪れてまいります。
日本に来ても東京に部屋はないので、石垣島に2週間、
京都に2週間、東北の温泉地巡りを10日間などとあち
こちを旅しますから、下手な日本人よりも日本のことを
知っています。
おもしろいことにP氏は、日本に10年居たというのに
日本語は達者ではないという言葉上の不便さを持ちなが
ら、ボディーラングレッジというかマインドラングレッ
ジというのかわかりませんが、それらを駆使して英語や
ドイツ語など喋らない東北の田舎の温泉宿のおかみさん
やお客さんと友達になってしまうという特技をもってい
ます。
またP氏はドイツ人でありながら、ビールが大嫌いで、
サッカーが大嫌いで、ザワークラウト(キャベツの酢漬
け・日本人にとってのお漬け物にあたります)が大嫌い
というドイツ人にあるまじきドイツ人でありますが、遊
び好きでありながら、こどもの頃からの技術・テクノロ
ジー好きなところには、ドイツ人らしい勤勉さはたっぷ
りと持ち合わせているようです。

今回はひさしぶりに東京で過ごすことが長いようで昨日
の日曜日に青山の焼き肉屋で夕飯を食いました。
いちばん喜んだのは、軽く焙ったミノの薄切り&わさび。
ミノがこれほど美味いとは!!!・・・
と驚いていましたから、ではと、ミノを薄切りにしてポ
ン酢に漬けたミノポンも紹介してあげました。焼き肉は
タレ、塩のいずれかで食べることが多いのですが、ミノ
ポンは軽く焙ると、醤油の焦げる香ばしい香りとポン酢
のさっぱりした味が相まって、牛の内臓である胃を食っ
ているというよりも、ミルなどの貝を食べているような
美味さがあります。すこし甘い味がついていますが韓国
のりで巻いてたべると、磯辺焼きのようでもあります。
このミノポンもブラボー! などとドイツ人のくせにイ
タリア語で叫んでおりました。

最近デジタルカメラを買ったこと。
スキューバダイビングはいまでも続けていること。
日本人のガールフレンドとはシリアスにつきあっている
ということ。
できれば、早めにリタイアーして日本に住みたいこと。
スポーツカー好きで、オートマティック車なんか乗りた
くもないとマニュアル一本槍であること。
飲み出すとあまり食わないが、テンプーラ、スーシ、シ
ャブシャーブ、ウナーギ、ソーバ、オッコノミヤーキな
どが大好きであること。
それに比べればドイツ名物のアイスパイン(豚肉の塩ゆ
で)など人間の食い物ではないということ。
などなど話す内に酒は進みつつ夜の帳も降りたようで、
帳が降りれば下ネタ話に洋の東西はない。
わたしが聞いたアマゾンのネタ話。
P氏が聞いたイタリアのネタ話。
わたしが聞いたロンドンのネタ話。
P氏が聞いたスイスのH話。
わたしが聞いたポーランドのケツ話。
P氏が聞いたアフリカの象のセックス話。
まあこれらを如何にセンス良くあまり品下がらないよう
にやるかが腕の見せ所でありまして、言葉を代えれば、
下ネタをいかに上品にやるかが話どころでありまして、
わたしの話はともかくもP氏のネタ話も寓意を含んだと
てもオモシロイ話でありました。なかには酒精分60%
以上のズブロッカを一気飲みしたような強烈なパンチの
ある話もございましたが、ここで書くのははばかられま
すので、残念ですが、ご紹介できませんことお断りして
おきます。
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by kasuya_senji | 2008-03-31 18:16 | Comments(0)
桜と地下墓地
2008年3月28日

先週末。近所の花公園を通りかかったところ、小さな細
い桜の若木に早くも桜が咲いていた。若木の早咲きであ
る。九州の博多の友人、KJサブ氏は、これを称して、
「若木の早勃起たい」と言っていた。
その公園には、数えたことはないけれど何千本と桜の木
があるが、1本だけとても姿形がうつくしい桜の木があ
る。惜しむらくはその木は公園の中程の通路ちかくに生
えていて、公園を散策する人の邪魔になるから木のまわ
りにゴザなど敷いての花見ができないことであるが、酔
客はともするとマナーがよくないものだから、花見の宴
の終わったあとで、お前もいっぱいやってくれなどと残
ったビールなどを桜の木の根本にじゃぶじゃぶと捨てる
赤ら顔の男もいるわけで、そうした木の生長に良くない
ことから解放されているという点では良しとしよう。

桜は、というかソメイヨシノは東京の桜が全国的にみて
も早く咲くようである。今朝通りかかった隅田川のほと
りや千鳥ヶ淵は満開だった。九州から四国から京都から
静岡から東京関東へと桜前線が北上するものだとばかり
思っていたから、これは意外なことだった。
そういえば、数年前のこと。中野裕行監督の映画:SF
ー2の奈良の若草山の撮影現場を陣中見舞いしたとき、
若草山から見下ろす奈良の町が、春のあたたかい空気と
満開の桜にかこまれ眠ったようにぼんやりと霞んでいて、
小野の朝臣の、
「あおによし ならのみやこは さくはなの
         にほえるがごと いまさかりなり」
という和歌を思い出し、まったくそのとおりの風景だな
あ・・・とあきずに何時間も見ていたことがあったが、
あれは東京の桜の満開のそのあとのことだった。
あの時は、たまたまウイークデイでもあったが、奈良を
訪れる観光客も東大寺だ、法隆寺だ、斑鳩の里だと大和
路を移動することに精一杯で、よほどのヒマ人でもなけ
れば山の上にまでのぼって来はしないから、若草山のて
っぺんに人はまばらで、午後のあたたかい春の陽につつ
まれた奈良の都の大俯瞰を心ゆくまで独り占めしたが、
鹿も独占してしまった。
鹿にかまうつもりはなかったのだが、子供のまるで子鹿
のバンビのような鹿が人をおそれることなくちかづいて
くるものだから、つい可愛くおもって売店で鹿煎餅を買
って与えていたところ、森の中からやたら元気がいい若
鹿や子牛じゃないかと思ってしまうようなデカイ雄鹿が
つぎからつぎへとわたしめがけて押し寄せてきて、ぐる
りと回りを鹿にかこまれてしまった。これけっこう怖い
よ。全員があの黒く丸い目でわたしを見てるんだもの。
そして我先にと煎餅に食らいついてきた。危ないっと煎
餅を持つ手を上にあげるとジャンプする奴もいた。わた
しの友達の子鹿のバンビはとうに蹴散らされ、助けを呼
ぼうにも誰もいない若草山のてっぺんで鹿に追い回され
てしまったのだった。連中の走力はわたしよりはるかに
早かった。仕舞いには煎餅を放りだし事なきを得たので
あるが、その夜は京都の祇園のバーでそれがいかに恐ろ
しかったと力説すればするほど大笑いされた。

しかし。若草山の鹿はともかくも、今日の千鳥ヶ淵の桜
は圧巻だった。鉢巻き土手の深い緑に桃色が映え、春爛
漫というのはまさにこのことを言うんだろう。千鳥ヶ淵
の満開の桜とくれば鈴木清順のあの名作「喧嘩エレジー」
だろう。まるでパブロフの犬のように心の中でよだれを
たらしながらわたしはその映画のことを思い出していた。
千鳥ヶ淵は車でとおりかかっただけだから桜はあっと云
う間にとおり過ぎてしまったけど、映画のことだけはし
ばらく頭に残った。
桜は毎年咲くけれど、あの満開の桜の花を俺の一生の記
憶に留めたのは鈴木清順だ・・・・
とか考えていたところ、事務所にきてみればS英社のN
君から、絶版の危機に瀕しているものですとセアドア・
ローザックの「フリッカー、あるいは映画の魔」という
本が贈られてきていた。なんというタイミングの良さ。
本を開けてみれば、第一章は地下墓地(カタコンベ)で、
1950年代のウエスト・ロスアンゼルスにあった地下
墓地と呼ばれた名画座で出会った映画の話から物語はは
じまっている。映画好きにはこたえられない一冊だろう。
桜と地下墓地は一見繋がりようはないけれど、わたしの
中では、こうして繋がっているのである。


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by kasuya_senji | 2008-03-28 12:46 | Comments(2)
向日葵君と山畳さんとアターミの夜
2008年3月27日

伊豆の山を下りおりた。
遠い過日。
「伊豆の山々、月淡く」
と近江敏郎は端正な顔で唄ったけれど、端正ではない僕
は月のあかりの下ではなく、夕暮れの山を下った。
熱海駅前につくと向日葵君に電話を入れた。
「もしもし。向日葵君。ヒマしてるかい」
「向日葵でございます。ところがヒマではないんでして」
「そーか。もうこの時間だから今日の仕事は終わったん
 じゃないかと思って電話したんだがねェ」
「どちらにいらっしゃるんですか? 熱海でしょうか。
 であればすぐにお迎えに上がります」
「向かえに上がらなくてもいいよ。君の会社のビルの1
 階にある本屋にいるから、そこに来てくれればいいよ」
ほどなく向日葵君があらわれたが、仕事をちょいと抜け
だして来たようには見えなかった。すっかり帰り支度を
してあらわれた。
「わたくしどもの仕事は日中は外出していることがおお
 いもんでございますので、いや、あれでございます。
 ご推測のとおり、清算やらの事務仕事をしておりまし
 た」
「推測なんてしてないよ。年度末だから、めちゃくちゃ
 忙しいか、ひょっとしたら一段落ついてヒマしてるん
 じゃないかのどちらかじゃないかとは思っていたがね」
「商売の方は、ご推測のとおり一段落でございます。年
 度末といってももう残すは数日。これから山が動くこ
 とは考えられません。月末の経費の精算でございまし
 たので、シャチョウからお声がかかれば後回しでござ
 いますです。はい」
連れだって駅前にあるビルの地下の焼き鳥居酒屋でかる
く一杯やることになった。山を下る前に温泉に浸かって
きたから身も心もゆるゆるで冷たいビールが美味かった。
肴は地鶏のタタキと焼き物3品。焼き物に手をつけてい
るのは向日葵君にシャチョウと呼ばれる僕だけで、向日
葵君は口にしない。
「君がここがよろしいんじゃないでしょうかと僕を連れ
 てきたが、なぜ君は食べないんだい」
「いや。わたくしは飲むと飲み一本槍でございまして食
 べないんでありまして、どーぞ、シャチョウ、遠慮な
 さらないで召し上がってください」
「遠慮はしないよ。僕のオゴリだからね。それよりビー
 ルもう空いちまったじゃないか」
と向日葵君に2杯目のビールをおかわりした。
向日葵君は車好きである。それもスポーツカー好きであ
る。そしてオープンカー好きである。
「あれでございますよねオープンカーというものは」
「あれじゃわからないよ」
「そうですね。あれではなくなにでございます。雨以外
 はオープンでございますよね」
「トップは傘だからね。雨以外はトップは下ろさない。
 真夏のかんかん照りの渋滞は別だがね」
など車ばなしにビールがすすみ、一杯飲んで東京に帰る
つもりだったが、まだ時間は早い。もうしばらくこのあ
たりを徘徊しようじゃないかと、山畳さんを呼び出す相
談をまとめ、向日葵君に、いい歳をしたばあさんがやっ
ているカウンタースナックを紹介してもらってくれ、店
の片隅にふるい小型テレビがあって、誰かがカラオケ唄
っているようなみせでもいいぜと伝えてくれないか言う
と、
「山畳さんが、であれば、酔いどれ亭という店の前でま
 っていますとのことです。しかし、酔いどれ亭という
 名前はナンでございますねえ・・。清水町にあるとい
 うことですからタクシーで行きましょう」
と、向日葵君と駅前からタクシーに乗り酔いどれ亭に向
かうと、店の前で山畳さんがまっていた。
「どーも。おひさしぶりでございます。シャチョウ」
と山畳さんは言う。
ところで、向日葵君も山畳さんも僕のことをシャチョウ
と呼ぶが、あれはあれだね、フーテンの寅さんの柴又の
実家の団子屋の裏にある印刷工場のオヤジが劇中の登場
人物からあたかも名前のようにシャチョウと呼ばれるの
に似てるね。と書いて、あの映画の登場人物で名前が知
れているのは、寅次郎とさくらとひろしとみつおと寺男
のゲンの5人しかいないのに思いあたった。
レギュラー陣の柴又帝釈天の住職は御前様、おいちゃん、
おばちゃんで、工場の経営者のシャチョウで、いずれも
姓は誰々名は何々と知らない。あの映画の秘密はそこに
もあるのじゃないかとも思ったが、それよりも山畳さん
とはひさしぶりではない、つい先週会ったばかりである。
「先週ではございませんよ。先々週でしたよ」
「そーか。先々週かァ。でも、ひさしぶりというご無沙
 汰ではないですよ」
と話しながら階段をのぼり2階の店にはいると、けっこ
うモダンな店で、ジャズが流れていた。いい歳をしたば
あさんのいる店でございますと山畳さんが言うところの
ママは、はばあさんと呼ぶにはほど遠いきれいなご婦人
で、山畳さんの妹さんの同級生だそうで、こどもの頃か
らの知り合いらしく、こどもの頃からくらべるとたいへ
んな大ばばあになりましたとママさんも山畳さんのばば
あ呼ばわりをなんとも思っていないようで、言われるた
びにケラケラと笑っていた。
いらーしゃーいと遅れて店に入ってきた人は、その昔、
新宿2丁目で鳴らした、紺の着物が男伊達のママ男さん
で、ママとママ男さんがが酔いどれ亭の2枚看板だった。
山畳さんも飲むと食わずに飲みっぱなしの人のようで、
僕もどちらかといえばそうだから、3人でいいちょうし
でグラスが空いた。
ママ男さんはビールをいただきますと言ってビールを飲
んだが、冷やしてない生温かいビールが好きなようで注
ぐたびに小さなグラスの半分が泡になっていた。
酔いどれ亭の近くの旅館の若女将が東京からの常連さん
の大勢のお客さんを連れて店に入ってきて、店がざわつ
きはじめたところで、シャチョウと向日葵君と山畳さん
の3人は河岸をかえもう一軒と川端どおりから一本入っ
た路地奥の店へ。その店もシブイジャズバーといった雰
囲気の店で、山畳さんはさすが地元生まれの地元育ちで
アターミのことは知り尽くしているようである。そこに
いくと向日葵君は熱海人とは云え網代育ちで、しかも車
好きで自分の車で通勤しているようで、酒好きとはいえ
毎日というわけには行かず、飲み屋街から歩いて数分の
ところに住む山畳さんのようには夜の町に精通していな
いようだな。

帰路。新幹線では気持ちよく眠った。伊豆の山の桜が咲
いたとか咲いてないとかなにかの夢を見ていたようで、
目が覚めると山や空や海や桜はなく、蛍光灯の青白い光
りに照らされた無機質な駅の構内に新幹線は停車してい
て、丸顔の大きな子供がそばに立っていた。よく見ると
子供ではなく小太りの若い車掌だった。
新横浜はもう過ぎましたかァ、ここは品川ですか・・
と車掌に聞きながら窓の外を見ると東京駅だった。
東京駅に到着しても寝ているおっさんがいるから丸顔の
子供車掌が起こしてくれたのだった。
「もうついたんだ。早いナー。もうちょっと寝ていたか
 ったなあー」
と起きあがると、
「新幹線ですから早いです。お忘れ物ないように」
と子供車掌が丸顔いっぱいの笑顔で答えた。
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by kasuya_senji | 2008-03-27 18:45 | Comments(0)
賞味期限切れ
2008年3月25日

賞味期限改ざんの食品があまりにも多いのは問題である。
言語同断のミートホープ社の偽牛ミンチ事件から始まり、
子供やおとしよりの好きな伊勢の名物赤福も、その赤福
の営業停止時に同じく伊勢の同じすがたかたちのあんこ
餅のお福も賞味期限の改ざんが表れ、まあ、いったい日
本の食の安全はどーなってるんだろーかと思っている矢
先に、こんどは中国製の毒いり冷凍餃子が登場し、我ら
はいったい何を信用していいのかわかりません今日この
頃であります。

今朝は早く目が覚めた。早くといっても7時半ころです
がね。居間に降りてみると娘はすでに仕事にでかけたよ
うだった。倅は部屋で死んだように眠っていた。テレビ
をつけるがつまらないので、朝飯をつくることにした。
今日はイギリス式でいこう。
まずは湯をわかし、ミルク入りコーヒーを。
イングリッシュマフィンをトースト。
バター。オレンジマーマレードを用意。
フライパンでスクランブルドエッグを。(玉子一つ)
イングリッシュソーセージを2本ボイル。
朝刊を読みながらゆっくりとブレックファーストをとり
ましたところ、バターがなくなった。あたらしいバター
を冷蔵庫からとりだし、念のタメと賞味期限をたしかめ
ると、ありゃりゃりゃりゃ。賞味期限がきれていた。
でもこれはあたらしバターのはずだぞ・・・
と先ほど食ったバターの箱を確かめると、
賞味期限:2008年1月25日
となっていて、朝からもうびっくり。日本の食の安全は
いったいどーなってるんだなどと言ってる場合じゃない。
植木等さんじゃないけれど、お呼びじゃない、お呼びじ
ゃない、こりゃまた失礼しましたーってやつだ俺は。
さいわいというか家族の皆さんはバターはまずつかわな
い。マーガリンである。だから賞味期限が2ヶ月も過ぎ
たバターを食っていたのはわたしだけで、それはそれで
家族に迷惑がかからなかったのはいいことだけど、しか
し、食後10時間ほどたった今も特に腹は不調を訴えて
いない。腹が弱いのが俺の弱点であるのだが、胃は丈夫
なのかいねえ。でも一応、胃薬を飲んでおくことに越し
たことはないなと太田胃散服用。
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by kasuya_senji | 2008-03-25 17:54 | Comments(0)
ブレーキランプに邪魔をされ
2008年3月24日

昨日の日曜日。まあ、あたたかく、昼すこしまわってか
らのんびりとかみさんと食事にでた。なにを食べると決
めていたわけではない。
数週間前のこと。いつも行く中華屋で焼餃子を注文する
と揚餃子が運ばれてきた。
あれ? これたのんでないけど・・・
と首をひねっているとかみさんが、いつも焼餃子か水餃
子なのに今日は揚餃子たのむんだと思ったと言う。
「え? 俺、焼餃子たのまなかったっけ? 揚餃子って
 いったっけ?」
「しっかりしてよもー。呆けてきたんじゃないのォ」 
「呆けたかもしれんなー・・ところであんた誰だっけ?」
「わたしは中山美穂よ」
「うーん。例題がちょっと古いかもしれんな」
こんな会話をしつつ初めて食べた揚餃子が意外なことに
美味かったのだ。
では昼もしばらくすぎた、のんびりと揚餃子、海老蒸シ
ュウマイ、花巻などで飲茶とするかと行きつけの中華屋
へ顔を出すと、日曜日の午後をゆっくりと昼飯ですごそ
うという同好の士で店は満席だった。
そもそもはなにを食べると決めていたわけではないが、
めざした餃子を食い損ねたとなれば、あとは中華しか
頭になかった。いったん中華と決めると、餃子だけでは
なく甘くて酸っぱい(スイート&サワー)酢豚も食いた
くなってきた。

ロンドンのセント・ジョーンズ・ウッドにあった中華屋
では、ロンドンオフィースの相棒のレニー・ザカタクが
スイート&サワー、スイート&サワーと騒いで、いつも
黒酢の酢豚とケチャップに酢を入れて甘酸っぱくしたト
ローリとしたソースというか餡がかけられた芙蓉蟹を食
べたものだった。レニーの甘酸っぱ好きは、スープもス
イート&サワー・スープという念の入りようだった。そ
れにラー油かあれば豆板醤などをいれ、スイート&サワ
ー&ホットスープが奴の定番だった。元来、酸っぱいも
のが苦手な僕も、この店のサワーは手をつけることがで
きた。というか酸っぱいものも甘さと同居していればと
ても美味く食べられるものだと知った。この店の酸っぱ
さと甘さは絶妙なバランスだったのだ。その意味では酸
っぱいものも食べられるようになったのはレニーのお陰
といっていいのだが、ただ、レニーのアロマティック・
ダック好きには閉口した。
レニーにとっては、アロマティック・ダックは言ってみ
れば北京ダックのようなものなんだろうが、この店の料
理人はあいにくというか北京ダックを作ることができな
かった。料理人は、こうしてアロマティック・ダックを
作っていた。ダックに蜂蜜と水溶き砂糖をべたべたと塗
りたくって、それをおおきな中華鍋の煮えたぎった油の
中にドボンといれ高温で揚げまくるのだった。できあが
った揚ダックは、北京ダックとは似ても似つかぬまるま
る一匹ダックの唐揚げという姿をしていたし、味も違え
ば食い方も違った。丸揚げされたダックにナイフをばっ
さばっさと乱暴に入れ、身をこまかくし、スイート&サ
ワー&チリソースをつけて食うのである。あまりの油の
高温さにその身はジューシー気はすっかりなくなってパ
サパサで、なんでこんなもの美味いというんだろう。レ
ニーは、ただ、ソースのスイート&サワー&チリが好き
なだけなんだろうと思う。奴のかみさんは料理自慢だが、
子供時代をインドのボンベイで過ごしたからインド料理
は得意で、インド料理にも甘酸っぱい味付けがあるから、
それだけに、スイート&サワーに御執心とみた。
レニーには、一度チャイナタウンにあるリー・ダイアモ
ンド(金剛飯店)で本物の北京ダック食わせてやるから
止めとけと再三ご注意もうしあげるのだが、皮などネギ
といっしょに食っても美味くないと言い、俺は身が食べ
たいんだと言って、店を訪れるたびにアロマティック・
ダックを注文する。一緒に行くだれもそんなもの食わな
いからおおいに残る。だれも食わないのかい、では、と
残りはお土産にしてもらって、嬉々として帰っていくの
である。
あれを北京ダックだと思っているなんて・・・。
イギリス人はなんでも知っている人が多いが、なんでも
知っていると思っているイギリス人も多いのである。

行きつけの餃子屋にフラれた僕らは、別の中華屋にでか
けることにした。大通りから離れたその中華屋は住宅地
のちいさな道沿いにあるが駐車場はない。コインパーキ
ングに空きはないかととろとろと走っていると、後ろか
ら、
「その品川ナンバーの4WD。止まりなさい」
と覆面パトカーに止められた。
シート・ベルトをついし忘れていた。かみさんが、ほら
いつも言ってるでしょう。近場だからと言っても必ずシ
ート・ベルトしなきゃダメと言っているでしょうと言う。
減点1で1万円の罰金よとも言った。
車を停車させ窓をあけ顔を出し後ろをふり向き、
「どーしましたかァ?。なんかありましたですかァ?」
と聞くと、ブレーキランプの左側が切れているようです
から確かめてくださいと言う。ラッキーにもシートベル
ト付着装は不問だった。なんて親切な覆面パトカーなん
だろうと思ったが、念のため免許証を拝見と言ってから
が長かった。その私服警官は、同乗の相棒とわたしの免
許証を裏返しながらあれやこれやと話し込んだ末、本署
に問い合わせているようである。
「ブレーキランプが切れてるだけで本署に問い合わせで
 すか? まあ、こうやってなにかのひっかかりで思わ
 ぬ事件の解決につながることもありますから、お役目
 ご苦労さんです。そんな調子でこの地域の安全に寄与
 していただきたいものですなあ」
とチクリと皮肉を言っても、
「お顔を拝見すればなんの問題もないことはわかります
 よ。ただまあ、一応念のためですから」
と、動じるようすはなく、本署からの回答を待つ間、免
許証の本籍や現住所をメモなんかしちゃって、結局20
分ほど足止めされ、めざす中華屋についたときには、
「CLOSE」の札がかけられていて店は昼休みに突入
した後だった。すこし味つけの濃さに好みはあるが、そ
れでもこの店の一番の売り物の甘酸っぱい黒酢の酢豚を
食いそびれてしまった日曜の午後だった。
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by kasuya_senji | 2008-03-24 15:44 | Comments(0)
1週間ちがいの誕生日
2008年3月21日

おふくろの誕生日に花を贈るのが1週間遅れた。
というのもおふくろが大正14年の春3月15日生まれで、
親父は同年3月21日の生まれだから、ふたり分をひとま
とめにしてといってはナンだが、その分だけ豪華な花束に
して、例年は3月21日の親父の誕生日に合わせて贈って
いたものだったから、つい遅れてしまったのである。

昨年の9月9日に親父が亡くなり、葬儀、49日の法要も
終わり、親父の残してくれたわずかな財産の分与も終わっ
て、親父の死はそうやってすこしづつ過去になっていきつ
つあるのだが、こういったところにまだ親父の死が完全に
過去になっていないところがあるのだな、まだ親父が生き
ていたころの慣習が終わっていなかったんだなと感じた。

ちなみに、わたしの方が1週間でも年上だから姐さん女房
だからねとおふくろが親父を年下あつかいをすると、親父
は俺の本当の誕生日は2月の21日なんだ、バアチャンと
ジイチャン(親父の両親)が出生届けを出すのが遅れただ
けだ、俺の方が年が上だとムキになって反発したとおふく
ろが笑いながら言っていた。
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by kasuya_senji | 2008-03-24 12:58 | Comments(0)
無事を祈る
2008年3月18日

オリンピックを目前にした中国ではチベットで僧侶の反
乱があって、死傷者何人だ、ダライラマが声明をだした、
人権問題だ、オリンピックのボイコットだ、となにやら
世間が喧しくなっている日曜日の午後、怪人は北京に帰
っていったが、そのころわたしは東名高速で大渋滞には
まっていた。
秦野中井から海老名あたりまでの20㎞が通り過ぎるの
に2時間かかる大渋滞だった。わかりやすくするとして、
時速100㎞で走行したとしよう。東名高速は制限時速
最大80㎞ですから、時速100㎞はあくまでも数字上
のことです。制限時速守っての安全運転をお忘れなく。
でその中井から海老名までの20㎞を時速100㎞で走
行したとしよう。その場合20㎞は12分で通り過ぎる。
それが2時間もかかったということは、時速10㎞で走
っていたのである。歩いた方が早いとは言わないが、町
のジョガーにはすいすいと追い抜かれたことだろう。

愛車Pには火鉢、書、古いレコード・パッンフレットに
絵付けの大皿を載せていた。この大皿は差し渡し40㎝
あり描かれている絵は富士山で、2月に岡崎の古道具屋
で見つけた。骨董は数年前に痲疹にかかったように一度
のめりこんだことがあるが、その後、熱は冷めたままに
なっているからくわしいことは知らないが、あの手の無
名の職人の手による生活道具としての絵付けの大皿は名
所旧跡が描かれることはすくなかったと思う。なぜなら
ば、名所旧跡が描かれているといかにも観光みやげ物に
なってしまうからで、たいていは月に兎とか柳に蛙とか
池に鯉とか鳥に花とかの花鳥風月に主題がとられている。
だから岡崎の古道具屋で富士山の絵付けの大皿を前にし
たときはやはり目についた。手にとってみるとそれなり
に重く皿自体には存在感もあったものの、富士山という
主題がキワモノチックでもあり、もともとは火鉢をさが
しに来たのであってと皿は忘れた。
ところがその皿が忘れられなかったのである。買うつも
りはないが散歩がてらに青山の骨董通りを歩いてみても
藍の絵付けの大皿に富士山は一枚もなかった。理由は先
に述べたとおりであるが、一枚もないことにあらためて
食趣が沸いた。再度、岡崎の古道具屋を訪れるとやはり
だれも買う人などいないようで、店の片隅にほこりをか
ぶったまま置かれていた。念のため、誰の何処の何時の
作品だろうかと訊ねると、
「瀬戸物ですな。作り手はわかりません。時代は高台の
 様子からすると・・・そうだね、明治後期か大正の初
 期ですなあ」
と答えた。ついでに、どのくらい前からこの店にあるん
だねと訊くと、店主は奥をふり返っておかみさんに、
「おーい。これはいつごろから店にあるんだっけなあー」
「知りませんよ。仕入れはあんたじゃないの。しばらく
 前からあそこにあったわよ」
と言われ、さていつだったっけなァと首をかしげるばか
りであったから、こんなの買うのは俺ぐらいしかいない
よと値切りに値切って手に入れた。手に入れてみると、
このいかにもキワモノチックなところが俺に似てなくも
なく、ナンダカ、いいものが手に入ったという気がした。

「カスヤ。皿を飾る木の台は買わんでもいいのか」
と呉服屋のYが言うので、
「こんな皿飾ってどーする。テーブルの上においてビー
 ルのつまみにカッパえびせんぶちまけるとかチーズと
 かキスチョコ盛るとかして使うんだ」
と大皿の使用方法をご披露すると、
「フルーツトマトなら俺も食えるぞ」
と自慢げに言った。
子供の時からのトマト嫌いな呉服屋のYは先日一緒に行
った京都のイタリアレストランで、お前の言う青臭いと
か種のぐじゃぐじゃが嫌だという理由のトマト嫌いは、
このフルーツトマトにはあてはまらんぜ、だめだったら
吐きだせばいいから一度食ってみろと俺にすすめられ何
十年ぶりにトマトを口にしたが、意外にもお気に召した
ようで、これなら食えると大喜びであったが、京都旅行
の単なる旅の思い出にすぎませんよとフルーツトマトを
押しこんでいたのではなかったことがわかった。その日
の夜の飯屋でもおかみさんにフルーツトマトはあるかい
と聞いていたから、この年になってトマトを食えるよう
になった自分がいかにも嬉しげであるんだろう。では、
Yのためにフルーツトマトも盛りつけてやろうじゃない
か。
 
大渋滞していた東名高速道路も海老名をすぎるとやっと
空きだした。渋滞から解放された先頭の車両から、今ま
での遅れを取り戻すかのように次々とぶっ飛ばしはじめ
た。時速150㎞で走行していたのなら時速100㎞は
かなり遅く感じられるが、今までの2時間時速10㎞で
走っていたのである。こんな場合は時速80㎞でもめち
ゃくちゃ早く感じるというのに、よくまああんなスピー
ドでぶっ飛ばせるものだ。怖くはないのかねえ。しかも
とうに陽は落ち道は道路灯に照らし出されているばかり
で、あかるい昼日中に走行するときに比べ、目にはいる
道路状況の情報量は50%以下になっているというのに
である。血気盛んな明日をも恐れぬバカな若者ならいざ
知らず、2時間にも渡ったとろとろ走行で身も気分も疲
れ切っているだろういい歳こいた親父連中が、家族を満
載したファミリーカーでぶっ飛ばし始めたのである。東
名を出て2車線の狭い首都高にはいっても、あいかわら
ず俺以外の車は狂ったようにぶっ飛ばしていた。
事故るなよ。身の程知らずとはいえ好きでぶっ飛ばして
るんだから自分の身は自分で守ってもらえばいいことだ
が事故るなよ。あんたらがぶっ飛ばした先で事故でもや
らかすとこっちはまた渋滞に巻き込まれるはめになるん
だぜ、勘弁してくれよー。と連中の無事とチベット騒動
で混乱の北京に旅立った怪人の無事を祈りながら東京に
もどった。
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by kasuya_senji | 2008-03-18 18:43 | Comments(0)
レコードプレーヤー
2008年3月17日

先月、岡崎の呉服屋のYにあずけた手あぶり火鉢をとり
にいくのと、おふくろの書をいただきに岡崎にもどった。
おふくろは書の先生であり絵の先生であり詩吟の先生で
あるという多芸の人だが、その中では絵が一番評価が高
い。
先生、御伴侶を亡くされお力をお落としでしょうが、我
々生徒一同は、また、昔のように先生に教えていただき
たいと思っています。
とお弟子さんから言われているようだが、この先生の絵
はちぎり絵といって和紙を細かく糸のようにほそくちぎ
り、その一本一本を台紙に貼り付け絵をなしてゆくもの
だから、その作業の細かさは想像を絶する根気がいる。
齢83を過ぎ、さすがにその根気は続かないようで、先
生に絵を描くつもりはもう無いようであることをお弟子
さんは惜しんでいる。
Z念寺の和尚も先生の絵を高く評価されていて是非と懇
願され、先生は1枚の絵を謹呈したが、その絵はZ念寺
の応接間にかかげられている。などと、まあ、絵の評価
が高い。
部屋を模様替えするから、そこに作品を飾りたい。ひと
つ欲しいんだがとおふくろに言うと、それなら好きなも
のを持って行けといってくれたので、今は空き家になっ
ているが、その昔親父とおふくろが建てた古家に置いて
あるその作品を見に行った。
どれがいいのかな・・・
見ている内に絵ではなく書が目についた。1メートル四
方くらいの正方形の台座に張られた和紙に、漢字がくね
くねとのたくったように書かれている書が、なにやら悪
くなさそうだった。
「ところでなんと書いてあるの」
と聞くと、
「わからない」
と言う。
まだ若い頃、書を習いだした直後に書いた書で、お師匠
さんにこれを写しなさいと言われるままに書いたもので、
意味はわからんと言う。書の意味がわからないんじゃし
ょうがないとも思ったが、真紅のクロスが貼られた和室
の2メーター×3メーターの壁空間には、世間の評価の
高い具象画よりも、若書きであったとしてもかすれた墨
で書かれたくねくねした書のほうが風景としてはよいの
ではなかろうかと書をいただいてきたのである。

呉服屋のYの店のすぐ近くの「保奈」でおかみさんの創
作家庭料理を食い、Yの店のすぐとなりのバー「エンジ
ェル・シェアー」にシェーカーマンことオーナー・バー
テンダーの本多君を訪ね一杯飲んだ。Yはバランタイン
の水割り。当方はフランスの薬草種のアブサン。
「保奈」ではおかみさんあいてに町内の世間話をしてい
たYは、「エンジェル・シェアー」でバランタインの水
割りを飲むと、どういうわけかロック音楽に矛先を転じ
た。
初来日をしたレッド・ツエッペリンを観たこと。
ブラッド・スエット&ティアーズも観たこと。
シカゴも観たこと。
ビーチ・ボーイズも観に行ったこと。
ピーター&ゴードンも観たこと。etc。etc。
その会場はすべて大阪フェスティバル・ホールで、Yが
二十歳のころ大阪の呉服屋に丁稚奉公していた時代のこ
とだった。
その話にYのお得意のあれとかこれとかなにとかの代名
詞がいたるところにはさまれるので立て板に水が流れる
ように、とはいかないが、まー語ること語ること。1人
で喋りまくって、それはまるで無人島にいた奴が10年
ぶりに母国語を喋る奴に発見されたかのような一気呵成
ぶりで、こちらも本多君もただ合いの手をいれるばかり
だった。おかげでというか、飲むのを忘れて喋るやつと
飲むヒマもなく話を聞くやつのふたりで勘定は2千円も
しなかった。本多君にすれば、俺たちは一番売り上げ効
率の悪い客になっちまった夜だったな。


翌日、Yのところに手あぶり火鉢をもらい受けにいくと、
糟谷よかったらこれ持っていけ、昨日話してたやつだと
アナログのLP盤を20枚ほどと、ついでにといって、
大阪フェスティバル・ホールでくだんのバンドのライブ
を観たときに買ったというパンフレットまでつけてくれ
た。
こんなんもらっちゃっていいのかァ。
お前の宝物じゃないのかァ。
と言ったが、
「俺が持ってても聴くことがない。宝の持ち腐れだ。
 そうだ。お前の部屋が出来上がったら俺を招待してく
 れ。そこで、Oも呼んで3人で聴こう。それでいい」
と呉服屋らしくレコードとパンフレットを手際よく風呂
敷でくるっとくるんで渡してくれたので、ありがたく頂
戴することにしたから、小型スポーツカーのPに書やら
火鉢やらレコードやらと荷物を満載して東京にもどった。

最近はCDで音楽を聴くというよりもiPodで聴くこ
とが多くなっていた。レコードプレーヤーとレコード針
をそろえて、あの懐かしの音をじっくりと聴くのも興が
あるね。十五夜の月が空にかかっていたら尚よろしい。
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by kasuya_senji | 2008-03-17 17:20 | Comments(0)
大阪バカ
2008年3月14日

先週末は娘は旅行、倅は合宿と子供たちは家にいなく、
かみさんと二人だけの週末だったのだが、あいにくとい
うか、夫婦の会話がなかった。それだけ僕ら夫婦は揉め
事もなく信頼しきっているのだと善意に解釈して、かみ
さんはかみさんの都合で行動して、当方は当方の都合で
となって、当方はやすみにガタガタやることもなしと本
ばかり読んでいた。
手元に買い置いてある本はあらかた読んでしまったから、
古いのを引っぱりだして読んだ。ひとつは藤沢周平物。
もうひとつは司馬遼太郎さんのエッセイ。
「司馬遼太郎が考えたことー1」。
これ一冊しか持っていないが、
1−は1953年〜1961年。とあって、40年に渡
る創作活動のかたわら書き残したエッセイを、年代を追
って収録した集大成シリーズの第一巻で、新聞記者時代
から直木賞を受賞する前後までのエッセイで、司馬遼太
郎30代後半の日に「考えたこと」である。
このなかに「大阪バカ」という昭和35年1月の文章が
ある。大坂人・司馬遼太郎の書く大阪バカ話で、ここで
言うバカは=無神経さとなっている。以下は引用。

「一つのテーブルに、四つのシートがある喫茶店でのこ
 とだ。
 恋人なり友人同士が、その二つに座を占めたところで、
 空いている他の二つのイスにはたれもすわらない。ち
 ょうど領海権のように、かれらに一種の準優先権がみ
 とめられているようである。
 もっとも、国法や自治体の条例で保護されている権利
 ではないから、ずけりとすわりこむ人物があらわれた
 場合には、何人も退去を要求することはできない。
 ところが、大阪では、おうおう、平然とそのシートに
 すわりこむオッサンがあらわれる。コーヒーを注文す
 る。ひとりでは退屈だから、なんとなくラジオでもき
 くような気安さで、むかいの恋人同士の会話に身を入
 れてきいていたりする。やりきれないような無神経さ
 である」

画が浮かぶようで、思わず笑ってしまった。浮かぶ画は
吉本新喜劇であり、オッサンは舞台にいる間寛平であり
池乃めだかである。それに続いてこう書いてある。

「旅行の機会の多い人なら、なんどか実見されたに相違
 ない。車内の空気をひとりじめにしている大阪の観光
 団の喧騒さだ」

これも私は実見している。おじいさん。おばあさん。お
とん。おかん。こましゃくれた小娘の5人組が新大阪か
ら東京まで2時間半やすむことなく喋りに喋っていたの
にでくわしたことがある。東京デズニーランドへ連れて
行ってもらう小娘のはしゃぎようは、まあ、可愛いとし
ても、信じられないのはおじんとおとんでビールの勢い
にまかせ、本来はこれこれあまりはしゃぎなさんなと注
意をもうしあげるどころか子供に負けじと大声で喋って
いた。その声に合いの手をいれるおばんが、ワタシのは
なしもきーてーなァとさらに負けじと大声を張り上げて
いた。さすがに乗客のだれかが車掌にご注進したようで、
お静かにと警告が入り、いっとき静まったが、東京近く
になり、右手に見えたレインボウブリッジに娘がトーキ
ョートーキョーと大声を張り上げたのが引き金となって、
おじんがほれあのビル! 見てみい高いナー! という
と他の全員が声を揃えてトーキョートーキョーの大合唱。
でもこれは家族連れだったから司馬さんの実見よりはマ
シではあった。司馬さんは、続いてこう書く。

「夏ならば、その何割かは乗車数分後でズボンをぬぎす
 ててしまっている。(さすがこれは今はないでしょう。
 糟谷注)酒をのむ。サカズキをほうぼうにまわして、
 酒盛りをする。しまいには卑猥な歌もうたったりする。
 三味線を持ち込んでいる一団さえわたしはみた。(三
 味線も今はないでしょう。あくまでも昭和35年のこ
 とです。糟谷注)。べつに国法にふれるわけでもない
 からかまわないようなものだが、車内には他の乗客も
 いる。彼等の神経や感情はまるで無視されているので
 ある。
 金、はろーたるねん歌おうと飲もうと俺の勝手やない
 かというのであろう。車内の空気まで買いとったわけ
 ではないはずだが、タダの共有物ならスワリドクとい
 う私議になっているのである。さきの喫茶店の例と、
 精神においてはかわらない」

これは、大阪人の司馬さんが大阪バカ=無神経さにあき
れているのだが、ただ、単純に悪感情をエッセイでご披
露しているわけではない。大阪では江戸時代からの封建
的節度のなさからこうなってしまっているのだと結論づ
け、その社会的感覚の奇妙さは一種のバカというほかな
いが、自分もそのバカの家にうまれバカの土地で育った
者として、大阪者の野放図な精神が封建社会のなかでど
う反応するかを書いて(小説を書いて)みたいと言って
いるエッセイである。
この辺の機微で、「まぼろしの大阪」の著者の坪内さん
の大阪入れ込みに、大阪育ちの矢沢永一さんが、
そんなんとちゃいますねん・・・
と言っていたのだろう。
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by kasuya_senji | 2008-03-14 15:23 | Comments(1)
頭痛薬
2008年3月13日

藤沢周平さんの「よろずや平四郎活人剣」を読んでいて
おや? と思った箇所があった。
その前に、このよろずやの平四郎が生きた時代は、8代
将軍吉宗の孫である白川藩主・松平定信が、60人も子
供を生んだオットセイ将軍と言われる11代将軍・徳川
家斉の将軍補佐となり老中首座(総理大臣)として寛政
の改革を断行した時代で、西暦で言うなら1800年の
ころ。今から約200年すこし前のころである。
松平白川候の前の老中は田沼意次で、この田村政権は重
商主義により経済は発展させたものの奢侈がはびこり賄
賂が飛び交った時代で、その反動として松平白川は寛政
の改革の名の下に極端な緊縮財政倹約と風紀取締と思想
統制を敢行し、遊興地は閉鎖され町は死んだようになり、
蘭学者は投獄され、大奥は締めつけられるなど庶民にも
知識人にも江戸城内にもたいへん嫌われた時代で、狂歌
に、
「白川の清きに魚の住みかねて濁る田沼の水ぞ恋しき」
と歌われたことは後生に生きる我々も知っている。白川
松平はその後失脚するが、その後の老中松平信明も水野
忠邦も同じように倹約令を発令し、となりの清国では西
欧列強が中国を蝕むように侵略の対象にし始めていると
いうのに、世界の潮流からかけ離れた時代遅れの農地本
位主義で幕府執政は日本を支配していた。この反動が数
10年後のペリー来航後のすさまじいエネルギーとなっ
て武士階級による革命・明治維新となっていくのである。

そんな生きるに窮屈な時代に平四郎はよろずやというし
がない商売をしているが、庶民ではない。武家である。
千石の旗本神名家の四男坊の冷や飯食いで、裏店に一人
暮らしをし、よろず揉め事仲裁つかまつると看板をかか
げ、景気が底を打ったように停滞している町のあちこち
でおこる訴訟事にもならないようなちいさな揉め事・喧
嘩仲裁・浮気の処理・恋の架け橋役・裏社会からの脅し
の処理などを請け負って、西に東に駆け回り解決し、口
銭を稼ぎその日暮らしをしているという若き浪人である。
そのよろず揉め事相談の間に、老中水野忠邦の虎狼、妖
怪といわれた南町奉行・鳥井曜蔵と幕府目付である平四
郎の兄神名監物との政争にも狩り出されていくという筋
書きで、藤沢さんはこの時代がどういう時代であったの
かを庶民の側から、また政治の側から語るのである。
また仙台藩浪人・北見十蔵、肥後藩浪人・明石半太夫と
の友情。その3人の共通の夢、道場開きはいかに。そし
て若き頃ゆえあって引き裂かれた許嫁早苗との恋の成就
の行く末はいかにと要素がバームクーヘンのように幾重
にも積み重なり、練りに練られた藤沢さん40代後半の
絶頂期の傑作である。
病との闘いという不幸な青年期をもった藤沢さんがやっ
とハッピーエンドを書き出す時期にもあたり、もう一つ
の傑作「用心棒日月抄」とほぼ同時期に並行して書かれ
た作品でもある。

おや? と思ったのは平四郎が家出した道楽息子を家に
連れ戻して欲しい、ついてはその息子と一緒に暮らして
いる素性のしれない女子と別れさせて1人で戻るように
説得してほしいと、裕福な商家の旦那から頼まれる話に
出てくる会話である。女子に会った平四郎は戻ってきて
旦那にこう言う。
「いちどその娘に会うべきですな。とてもいい女子です
 ぞ。こう申してはナンだがあんたの息子にはもったい
 ないくらいの女子だ」
それに答えて旦那はこう言う。
「つまりミイラ取りがミイラになったわけですな」と。
おや? と思ったのはここである。この時代にミイラな
どという物が日本に知られていたのかァ?・・・
この話の次の話では、平四郎は、或る女から子供共々引
き取ってもいいからうちですみこみで働かないか? と
持ちかけられる男との間を取り持つ。
「悪い話じゃない。おぬしにその気がないのなら、わし
 がかわりにすみこんでもいいと思うぐらいだが、わし
 はお呼びじゃない」
と、藤沢さんは平四郎にシャボン玉ホリデーの植木等の
有名なセリフを吐かせる。
は、はーん。この物語が書かれるのが昭和45年当時だ
からクレージー・キャッツ全盛期。藤沢さんはエッセイ
で、なぜ時代小説を書くかということについて、
「時代小説は文体がござるなどといかにもふるい。自分
 でも今時ござるでもあるまいと思うが・・」と語って
いるが、同時に、
「それでも人の感情、人情というものは時代が変われど
 そう簡単に変わるものではないと思う。しかも江戸時
 代後半ならば、たかだか200年くらいしか経ってい
 ない。現代に生きる者と共通点はいくらでもあるので
 はないか」
とも語っているので、は、はーん、こういった会話に現
代のエッセンスをすーと入れることによって、古い時代
を今に生き生きと蘇らせているのではないかと思ったの
である。

ところが調べてみて驚いた。ナント江戸時代にミイラは
知られていたのである。エジプトの王朝のファラオのツ
タンカーメンのという世界史的な知られたかではなく、
(さらに驚くことに)薬として知られていたのだ。長崎
から輸入される唐物(西洋物)にミイラ(盗掘された物
だろう)があり、死体を固め保存するときに使用された
アスファルトが頭痛の特効薬として用いられていたのだ
った。ミイラが知られていたことにも驚いたが、高価な
唐物頭痛薬として処方されていたことにも驚いた。
しかし、アスファルトは頭痛に効いたのかネエ・・・
しかし、このことは藤沢さんはご存じだったのだろうか。
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by kasuya_senji | 2008-03-13 14:53 | Comments(0)

 
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