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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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宮さんと美与さん
2008年4月30日

クラブ博多「祇園」という店が清水町にある。
クラブといってもジャズバーである。この店は40年前
に開店した。ということは今年が2008年だから、
2008年—40年=1968年の昭和43年のことで、
ニューヨーク郊外で開催された世界初の巨大野外音楽イ
ベント・ウッド・ストックの1年前のことだった。
オーナーマスターは福岡から観光旅行隆盛の熱海に流れ
てきた人で、熱海の旅館街の真ん中にジャズバーなどと
看板をあげても町ゆく人々は、温泉に浸かり旅館で用意
される食事をとったあとでどてらなど着込み、そこの路
地裏にあるストリップ小屋などひやかしながら歓楽地で
の一夜のアバンチュールを求め一杯機嫌で歩く観光酔客
だから、「JAZZ・BAR」などと看板かかげても誰
も店に入ってこないだろう、福岡出身ならいっそ博多と
名づけクラブと看板かかげたら間違って入ってくる客も
いようかと、半分洒落で名づけて、以来40年営業して
おりますとマスターは言う。
マスターはこの町の隆盛衰枯を見続けてきた。普段は寡
黙で注文ににこにこ応えながら女性連れの客の恋路を邪
魔しないようにというマナーで仕事をしているが、その
日はたまたま客は僕らだけだった。僕ら=つまり女連れ
ではない色気のイの字もなく恋路のコの字もない客だっ
たし、以前Y畳店の社長に一度連れてきてもらったから
マスターは僕の顔をおぼえていて、カウンターをはさん
で話がはずんだ。
マスターがなにが残念かというと、お宮の松が海岸線に
あって、尾崎紅葉が書いた「金色夜叉」の風景がそのま
ま残っていたのに、松の海岸側を埋め立てて駐車場を作
り道路を造ってしまい、風情もなにもなくなっってしま
った事だという。
そんな話を聞いた翌日におふくろが妹に連れられて熱海
に来た。おふくろはわたし独りで旅行するんじゃ申し訳
ないからと昨年亡くなった親父の写真をカバンに入れて
持ってきたが、熱海に行くならついでにと昔の写真も持
ってきた。
その、昔の写真というのがお宮の松の前で撮った記念写
真で、おふくろが21歳の時のまだ親父と結婚する前の
娘時代の写真だった。我が家の娘と同じ年のおふくろが
写っていた。
へえー、若いじゃん、きれいだったんだねえー。
どうやって親父と知り合ったの?
見合い結婚でしょう?
だれの紹介だったの?
たがいに何処が気に入ったの?
えー! 結婚すると決まってから親父の親父、つまり祖
父さんに、家の息子は立派だが嫁はイマイチだと言われ
て落ち込んだのォ! そりゃ、たしかに親父の若い頃の
写真を見るとなかなかのハンサムボーイだけど、おふく
ろも負けてないよ。
などと親父とおふくろの結婚当時の話をあらためて聞か
せてもらった。おふくろも若い娘のように恥ずかしがっ
たり、時に親父を思い出し涙ぐんだりしながらいろいろ
なことを話してくれた。

あらためてお宮の松の前の記念写真をみると、職場の課
長さんを囲んで若い娘さん達が5人ほど写っているその
足下の右側は海岸である。宮が貫一に蹴っ飛ばされた海
岸である。
熱海は明治期に勃興した大金持ちと財閥と文豪達に愛さ
れて発展した町である。金貸しの小宮山に見初められた
宮に絶望した貫一が、金の亡者の金色の夜叉になって、
今月今夜いや来年の今月今夜、いや今月今夜のこの月を
一生俺の涙で曇らせてみせると言い放つ舞台は、熱海で
こそふさわしいのである。そこに尾崎紅葉の明治という
時代=当時の現代を見る鋭い目線があるといえるのであ
る。
幸いにして21歳のわかい美与さんはお宮の松の前で貫
一に蹴っ飛ばされることなく、旅行が終わり岡崎に帰る
と世話をする親戚の人から鉄夫というハンサムな男を紹
介され、結婚し、子供を産み=わたしと妹のことです、
孫にも恵まれ、ひ孫にも恵まれ、つつがなく80余年と
いう人生を歩いてきた。今回は写真を撮る時間がなかっ
たけれど、次回は60年ぶりのお宮の松の前で美与さん
の記念撮影をしなくちゃと思っている。
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by kasuya_senji | 2008-04-30 13:37 | Comments(0)
自転車と初日と石原君
2008年4月25日

「あぶない!」
とかみさんが私の腕を引っぱった脇をお母さんが子供を
乗せた自転車が通り過ぎていった。
「だめじゃない。自転車の邪魔をしては」
と言っている。
「邪魔してんのは自転車じゃないのか? ここは歩道だ
 よ。自転車は車道では弱者だけど歩道では歩行者に対
 して強者だぜ。気をつけるのは自転車のほうじゃない
 のかい。イギリスじゃ自転車は歩道を通行してはいけ
 ないんだぞ」
イギリスは知らないけど、こんなに車が通っている車道
を子供を乗せて走れっていうの? と幼かった娘と倅を
自転車の前うしろに乗せて、幼稚園の送り迎えから買い
物からどこにでも出かけたかみさんは、子供を乗せたマ
マチャリの味方である。であるから、ママチャリの通行
を邪魔している私が悪い! と叱りつけるのである。

しかし、自転車はもともとは歩道を通行してはいけない
のだ。仮にやむなく通行するときは、強者として弱者で
ある歩行者の邪魔をしないように通行するのが本来であ
る。イギリスは車道の隅に自転車レーンが設置されてい
て、自転車はそこを通行する。そのような道では自転車
は歩道に入るときには降りて歩いて引いていくのである。
また、歩道の一部に自転車専用レーンが設置されている
こともおおく、その場合も歩行者用スペースにはみ出し
て通行することは禁止されている。そうやって強者が弱
者を保護すると言うことが徹底的に義務づけられている。
日本ではなかなかそうはいかない。まさか子供を乗せた
ママチャリが、猛スピードで通り過ぎるトラックやダン
プなどが走る環7を通行するわけにはいかんだろう。か
といって、歩道に自転車レーンが作られているわけでは
ない。
自民党の道路族は日本の発展には道路道路と口をそろえ
て大合唱するけれど、人が住み暮らす地域での正しい道
路のあるべき姿をこれっぽっちも整備しようとしていな
いことには呆れかえるばかりである。だから、かみさん
のように、歩道を歩くときは自転車の邪魔にならないよ
うに歩くべしとの善意な勘違いも生まれるというのだろ
う。

4月26日の土曜日。明日だ。市原市民会館で今井美樹
コンサートツアーは幕を開けるが、先日、会場でのリハ
ーサルで市原市を訪れて感心してしまった。五井駅前の
通り沿いにあるMホテルに交差する大きな道路、かって
片側2車線づつの4車線あった大きな道路が、片側1車
線の2車線道路になり、削ったそれぞれの1車線にガー
ドレールを設置し自転車専用レーンにしていたのである。
子供を乗せたママチャリも通学の生徒も咥えタバコのお
っちゃんも割烹着を着たおばちゃんもゆったりとすいす
いと自転車は走っていた。
サイクリング・サイクリング・ヤッホー・ヤッホー
とばかりに走っていた。やるもんだねえ市原市は。
そんな地方都市でツアーの初日を迎えられるのは気分が
いいというものである。
惜しむらくは、その自転車専用レーンはそのあたりの道
路の一部でしかなかったことだが、これを手始めにして
市内全域で実施される日もこよう。地方の活力はこうい
うところにあるべきである。道路特定財源がこういう使
われかたするんなら、ガソリンが25円上がってもいい
よ俺は。
石原都知事も金融政策に失敗し、都民の支払った税金の
400億を使うなどはちゃめちゃなことをしているけど、
市原市を見習いなさい。その400億の金でママチャリ
と幼い子供の命を救いなさい。石原さんもお年をめして、
耳が遠くなって民の声が聞こえなくなってきてるんだろ
うな。
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by kasuya_senji | 2008-04-25 15:48 | Comments(1)
墓参り
2008年4月23日

4月26日から始まる今井美樹ツアーの最終リハーサル
が続くこの1週間。もちろん仕事はこれだけではなくリ
ハーサルの合間を別の打ち合わせに使い、打ち合わせの
合間をもってリハーサルスタジオに顔を出すので、オフ
ィースで1時間ごとのミーティングとは異なり、移動か
ら移動へとナニカと忙しい。

その忙しさのそのまた合間をぬってパンチョの墓参りに
行って来た。毎回そうしているのだが、ツアーが始まる
たびに「成功に力を貸してください」と祈念するのであ
る。舞台監督の江坂と一緒にでかけた。
「もう8年にもなるんですねえ」
「7回忌はとうに過ぎ、今度は13回忌か・・」
水で墓を掃除し線香を焚き、
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」
と10回唱える。
唱え方は、
「ナンマイダ、ナンマイダ」
と4回唱え、また4回唱え、9回目は、
「ナムアミダブツ」
と唱え、10回目は
「ナンマイダ」
と10唱する。
これは、浄土宗の唱え方である。パンチョ半沢の家は浄
土宗だからこれでいいのだ。
パンチョの墓のとなりにサッカーボールが奉ってある墓
があった。江坂が触って
「石でできてます」
と言った。個人はサッカー好きな人だったんだろう。
江坂が言うには、その昔、ボーリングが流行っていた頃、
ボーリングの球をサッカーボールのように塗装していた
人がいて、その人がボーリング場をでて帰るときに持っ
ていたボーリングの球をうっかり落としてしまった。玉
は坂道をころがり下りる。坂下からあるいて来る人がい
るから、その人は「おーい」と声をかけたところ、下か
らあるいてくる人が「OK」と手を振って合図して、サ
ッカーボールよろしくキックして、バコーン。
「えー! それでどうした?」
「複雑骨折したようです」

翌日は、三田にある浄土寺で今井美樹さんのお父さんの
故今井喬雄さんの7回忌に参列した。法要が済み墓参り
をして線香を炊き、また南無阿弥陀仏を10唱する。
この寺は都内の寺らしく墓地そのものはさして広くない
が、お墓の形がすっきりとした良いかたちをしている。
「最近お墓はこのような形になっているのですか?」
「いいえ。このお寺の独自の形であります」
寺の方とこんな会話をしながらまわりを見ると、音楽好
きな人だったんだろう、バイオリンの形をしているお墓
もあった。若くして亡くなった或るミュージシャンの墓
はハートの形をしていた。布袋の娘がおとうさんに教わ
りながらお参りをしている。そうか。この娘がまだお腹
にいたときなんだっけな喬雄さん(お祖父ちゃん)が亡
くなったのは。時の早さと命のリンケージをしみじみと
感じた。
青空の広がる晴天の下、香が薫る連日の墓参りとなった
が、清々しい気持ちで今井美樹ツアーを向かえることに
なれたのは、気持ちがよかった。オフィースに戻りジャ
クソン・ブラウンの「レイト フォー ザ スカイ」を
聴いた。









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by kasuya_senji | 2008-04-23 13:53 | Comments(0)
シカゴパス
2008年4月21日

昨日の日曜日。国際フォーラムで行われたシカゴを観に
行ってきた。シカゴが来る! と知ったのは、シカゴの
チケットを売り出した後のことで、東京有楽町の国際フ
ォーラムでの2Daysは完売となっていた。
中学高校とブラスバンドでトランペットを吹いていたか
ら、シカゴが登場したときのことは昨日のことのように
覚えている。その音の迫力のもの凄さを昨日のことのよ
うに覚えている。
シカゴのリーダー、ロバート・ラムが布袋の音楽が好き
で、コンサートの客入れ時に布袋の曲をかけていて、日
本に行くなら是非布袋に会いたいと、ロバートさんの知
人から知人へとその話が海を越え日本に伝わり、その伝
わった最後の知人が布袋の知人だったという偶然的必然
で、ロバートさんと布袋が繋がり、日本公演最終日に出
演するという展開に発展したようだ。
チケットは完売だったが、出演者の関係者ということで
楽屋パスを貰えることになり、舞台袖からシカゴを観る
ことができたのである。

高校の同級の平尾が軽音楽部の部長を自称して、ジャズ
とも云えずロックとも云えず軽めの音楽をバンドを結成
して受験勉強もしないで練習をしていたが、下手なバン
ドでいつまでたっても正式な部に昇格できず、したがっ
て部活用の部屋もあたえられず活動費の支援もなく、金
曜日となればたいがいはどこかの教室にあつまり、机を
かたづけドラム・ベース・ギター・ギターの4人でちゃ
んちゃかやりながら、ときに廊下をとおりかかる生徒か
ら「うるせー!」と怒鳴られながら練習をしていたが、
これでは埒があかない、どうせ一流大学には入れない、
もちろん音楽で飯をくうのは夢のまた夢、俺たちの青春
はどーなるんだと悩んだ平尾から、
「今流行のブラスロックをやろうと思う。お前はトラン
 ペットが吹けるからバンドに参加しないか」
と誘われた。
当時、中学時代は上手い上手いとほめられもしたが高校
に入ると練習にも熱が入らず、好きだったサックスの女
子学生が転校していなくなるとますます熱は冷え、おま
けに下級生に驚くほど上手いトランペットがいて、4人
いるラッパチームで俺は上級生とはいえ3番手で、これ
じゃやる気はおこりませんとブラスバンドの部活に熱は
冷え切っていたから、この話に即乗った。
「BSTじゃなくチェイスじゃなくシカゴの長い夜やる
 なら参加してもいいぜ」
と話に乗った。
早速翌日、下校時間で誰もいなくなった教室で練習を開
始したが、譜面もなく、覚えているのはバーパパーとい
う曲の出だしの頭の1フレーズのみで、いつまでたって
も曲にもならなかった。
「シガゴは難しいからやめよう。いままで練習してきた
 セルジオメンデスやるから糟谷はコンガを叩け」
と平尾が言い出し、生まれて初めてのコンガをコンポコ
コンポコと叩いてみたもののおもしろくもなんともなく、
日本の田舎の高校生シカゴは1日で沙汰やみになり、つ
いでにブラスバンドもやめてしまったなどと楽屋で布袋
と話しながら出番を待った。

アンコールで布袋が登場した瞬間、お客さんの大半はあ
っけにとられていたようだったが、キル・ビルのテーマ
曲「バトル」が始まりブラスセクションが火を噴いた瞬
間、会場がウヲー! ともワオー! ともつかない大歓
声につつまれ、ラスト曲の「長い夜」のギターソロでは
まるで、布袋はシカゴの一員のようだった。いや、それ
以上の存在だった。鳥肌を立てながら袖から舞台を見続
けたこの感動はいつのころ以来だったろうか。
ライブ終了後、楽屋廊下で最後にホテイからロバート・
ラムを紹介してもらうというオマケもついた。
その後、ホテイと食事に出かけイタリアンでシャンパン、
ワインを楽しんだナイスな日曜日だった。

用意されたパスには、「SENJI KASUYA」と
ネームがプリントされている。この前、岡崎の呉服屋の
Yから随分昔のシカゴ日本公演のパンフレットをもらっ
たから、このパスはYにプレゼントしてやろうと思って
いる。
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by kasuya_senji | 2008-04-21 13:57 | Comments(0)
くいだおれと駅前旅館
2008年4月18日

大阪の心斎橋にあるくいだおれが店終いすると報じられ、
ときにあの阪神タイガースのユニフォームを着ていたく
いだおれ人形君を譲ってもらえないかと各方面から申し
こみが殺到しているとの話がまだあたらしい内に、今度
は東京の上野駅前の古くからあるレストラン・ビルがな
くなるというニュースが新聞にでた。
どちらも 味のデパートとして庶民に親しまれ、日本の戦
後復興高度成長期の昭和30年代の象徴であり、これ
でまた昭和という時代の大きな火のひとつが消えること
になった。

たまたま「駅前旅館」という本を読んでいた。
舞台は昭和30年代初頭、東京は上野駅前の団体旅館。
子供のころから女中部屋で寝起きし、長じて番頭に納ま
った主人公・生野次平が語る宿屋稼業の舞台裏。業界
の符牒にはじまり、お国による客の性質の違い、呼びこ
みの手練手管・・・。美人おかみの飲み屋にあつまる番
頭仲間の奇妙な生態や、修学旅行生らがまきおこす珍
騒動を交えつつ、時代の波に飲み込まれていく老舗旅
館の番頭たちの哀歓を描いた井伏鱒二さんの傑作ユ
ーモア小説である。

作家、河上徹太郎氏は、
元来井伏氏の小説は、この種の古風な小市民生活の裏に
ある情実や人情を小憎らしいほど鮮明に描き出す所に無
類の味があるのだが、この鮮明さはいわゆるリアリズム
によるものではなく、いわば現実の急所を擽ってキャッ
といってとび上がらせるような手口のうまさがある。
と評していたが、さすが河上先生、井伏作品を図星でと
らえている。また、井伏作品に登場する「多甚古村」の
駐在巡査、「本日休診」の町医者、「駅前旅館」の番頭
のような人種は、職掌上民衆生活の裏面へたち入るもの
故、作者は彼等の「職権を濫用」して自分の目的を達し
たと言うべきであるが、その時、普通の作家なら、これ
らの人種を主人公にし、その目を通して民衆をみること
になるのだが、井伏氏はこれらの存在そのものをひっく
るめて戯画化し、も一つ深い次元で民衆生活を描くので、
描写はさらに完璧になる、とも言う。河上先生、慧眼お
そるべしである。

駅前旅館の番頭の次平はもちろんだが、副主人公とも云
うべき、アルバイトの旅行社員の「万年さん」や同じ駅
前のホテルの番頭の高沢という男もみごとに描かれてい
て、とくに高沢は口からでまかせに芝居気たっぷりなお
喋りをするという鮮やかさをもっていて、その鮮やかさ
が主人公の次平より一段冴えて描かれているので、次平
が尚一層次平らしくみえるという引き立て役をつとめて
いる。
河上先生は、この高沢が喋りだすと、私は井伏鱒二御当
人と酒を置いて歓談しているときのようないい気持ちに
なるのであるとも書いているが、わたしもまったく同感
で、高沢が喋りだすと、おもろいおっさんやなー井伏さ
んはとしか思えないのである。

尚、この消えゆく駅前旅館を舞台にした小説は昭和31
年に新潮に発表された作品で、巷では上野の味のデパー
ト、大阪のくいだおれが登場し、民衆の歓喜をかってい
たころのことであった。
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by kasuya_senji | 2008-04-18 12:45 | Comments(0)
弥次喜多道中
2008年4月14日

4月11日の午後。用事があって岡崎の実家へ帰る。
翌日の土曜日は帰路伊豆山に立ち寄る予定。伊豆山には
東京からは何度も車で行ったが、岡崎から、つまり西か
ら伊豆半島の根本を山越えして入るのは経験がない。
貴婦人(Z)のナビに伊豆山をセットする。土曜日の朝、
おふくろさんに見送られ実家を出発。一路伊豆山に向か
うが、その前に岡崎のことを。

岡崎には写真を取りにいった。
伊豆山の某居には小学三年生のかすやせんじ君が書いた
「月あかり」
という書が額装して床の間に掛けてある。
小学三年生から五年生までの2年間、町内の集会所で開
かれていた習字学校に通っていた。この月あかりはその
ころ実施された愛知県の小学生習字大会で「推薦」とい
う賞をもらった。推薦は金賞、銀賞、銅賞とは別の特別
賞で、三賞にはもれたが今後の可能性がおおいにあると
審査員から御推薦をいただいたという賞である。
この書は、子供の時分をすごした岡崎の中町の坂の上に
あった家に両親が掛け軸にして誇らしげに随分長い間か
けられていた。
推薦を受けた小学生のかすや君の書は、当初は栴檀は双
葉より香ったもののその後さして進展はなく、正座して
しずかに半紙に向かうという精神修行的な側面をもつ習
字学校に耐えられなくなり、野球や隣町のガキ共とのい
ざこざにそっせんして現をぬかすようになった五年生の
頃、そんなに通うのが嫌なら授業料が無駄であるとおふ
くろに一喝され退学してしまうことになるから、推薦を
いただいた審査員諸氏のめがねに叶うことはなかったの
であるが、今回岡崎には、その頃の写真が残っていない
か、できれば親父と一緒に写っている写真があればその
書のとなりに飾ってみたいとさがしにいったのである。

さて、翌土曜日の朝。曇り空のぼんやりとしたはっきり
しない天気の中一路伊豆山へ。表題の弥次喜多道中の弥
次はナビで喜多はわたし。ナビは女性言葉で語るから弥
次子というべきかもしれないがね。
実家を出て弥次のいう
「案内を開始します。なお道路状況にしたがって通行し
 てください。次の信号を右に曲がります」
の声で車を走らせたが、ご注文の司馬遼太郎全集と藤沢
周平全集が届きましたので伊豆山にお届けします、なお
清算は現金でと本屋に言われていたことを思い出したが
あいにく現金が不足していた。弥次に従わず左に曲がっ
て銀行に立ち寄った。弥次はすかさず案内を再開する。
「案内を開始します。次を右にその次を左に・・・現地
 到着時間は午後1時20分です」
と指示に従って東名高速に入り、豊橋〜牧ノ原〜浜松を
順調に過ぎる。静岡の手前で弥次が、
「この先10㎞。通行止めです。左に曲がってください」
という。喜多は
「エー! 通行止めェ? 下道を走るのかいな。時間が
 いくらかかるかわからんなあ」
高速道路上の表示を見てもこの先道路工事で車線規制が
あるとは出てても通行止めとはでていない。
「おい。弥次君よゥ。案内がまちがってないかァ」
「この先通行止めです。指示に従って左に曲がってくだ
 さい。現地到着時間は午後1時20分です」
「おいおい。到着時間がさっきとかわってないじゃんか。
 通行止めは間違いじゃないのかね。おい。なんか言っ
 たらどーなんだァ」
静岡の手前で東名は右ルート左ルートと2つに別れる。
その手前で、左ルート工事中・通行止め、右ルート車線
規制中と表示がでていて、どの車も右ルートを走行して
ゆく。左ルート通行止め地点を通過するときも、
「この先、通行止めです。左に曲がってください」
とまだ言っているから、
「君ねえ。左には行けないのだよ。しっかりしろよ!」
と弥次に話しかけると、すかさず、
「・・・・しばらく道なりに行ってください」
と案内したまま、あとは黙ったままになった。
「あんたよゥ。弥次君よゥ。あんたはナビなんだぜ。間
 違ってもらっちゃ困るが、黙ってもらっても尚困るん
 だよ。しっかり頼むぜ。俺は沼津からは知らない道走
るんだぜ」
と話しかけるがウンともスンとも言わない。黙テン決め
込んでるかのように完黙が続いた。
静岡を過ぎ由比を過ぎると道路脇の表示版に沼津何㎞御
殿場何㎞という文字が見えだすが、弥次君、相変わらず
の黙テン状態。
「おい。さっきの間違いは忘れるから機嫌直せよ。あと
 5㎞で沼津の出口だぞ」
と言うといきなり喋ったかと思ったら
「この先10㎞。渋滞中です」
と弥次が言う。
「バカかお前は。沼津まで5㎞だぞ。10㎞先のことは
ソンナノ関係ネエのオッパッピーじゃねえか。もういい」
この時点で喜多ことわたくしは完全に弥次を信用しなく
なりました。いずれにせよ、沼津〜三島〜函南〜笹尻と
ぬければ、あとは一気の山下りで熱海の海岸にぶつかる。
ええい!ままよ。標識たよりに自力で行くまでだ! と
ナビをOFFろうと思ったが、あいにく終了の仕方を知
らなかった。
沼津を下りると弥次がまたさかんに喋りだした。この先
100M信号右だ、次を左だ、しばらく真っ直ぐだと相
手にされてないことを知らぬかのように、
「勝手に喋ってろ。世が世なら貴様はOFFだぞ。俺が
 機械の操作を知らないから喋っていられるんだぞ」
と言っても、右だ左だと喋り続けている。もちろん道路
標識とおなじことだったから従った。
あれえ? 急に混み始めたなあ・・・
さっきまで順調だったのに・・:・
これじゃ何時着くかわからんなあ・・・
と思った瞬間、
「この先、渋滞です。目的地到着時間は午後1時20分
 です」
と弥次が言った。
そこではじめて、弥次が静岡手前の右ルート左ルートは
ミスったものの、岡崎を出発したときから東名高速道路
後のこの国道、県道の渋滞を察知して到着時間を予測し
ていたことに気がついた。
「えらいやっちゃないかお前は」
褒められたからというわけではないが、弥次は三島の市
街地にはいると裏道・抜け道・近道を教えに教えまくっ
て、函南を越え、伊豆山に到着したのは弥次の予測通り
の午後1時20分だった。
「ごくろーさんだった。いや、一時は疑って悪かったな。
 お前がいなかったら今頃伊豆半島の根本の山道で迷い
 まくっていたところだったよ」
「目的地に到着しました。これで案内を終了します」
と愛想もなにもなかったが、引き際もあっさりとしてき
れいだった。

独りでの知らない道のロングドライブはナビを相手に弥
次喜多道中をすることをオススメします。助かるし話し
相手に不足しません。でも、たまに間違えることもある
かもと、道路標識はしっかり自力でも認識することも忘
れずに。
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by kasuya_senji | 2008-04-14 14:12 | Comments(1)
イマジンとおばあさん
2008年4月10日

事務所の片隅に小野ヨーコさんからの感謝状が額に入れら
れて置いてある。この感謝状は、私なり私の会社に宛てら
れたものではない。
1980年12月8日。ニューヨークのダコタ・アパート
前で一人の狂信的ファンに射殺されたジョン・レノンの死
にヨーコ・オノへ送られた世界中からの哀悼の意に、
「感謝をこめて」と
1981年1月11日世界の5大新聞、
ニューヨーク・タイムズ(米)
ロスアンゼルスタイムズ(米)
タイムス(英)
フィガロ(仏)
朝日新聞(日)
にヨーコ・オノから寄稿された手記である。
手記は新聞の全段をつかって掲載されている。新聞とおな
じ大きさの額を注文し額装して27年間手元においていて、
毎年、12月8日はジョン・レノンのCDを聴き、1月8
日はこの記事を読みかえす。
なぜ、事務所の壁に掛けてなく置いてあるかというのは、
額の後の紐が古くなって切れてしまい壁に掛けられなくな
ったからだが、そのまま直すことなく机の隅の壁に立てか
けられたままになっていたのだ。机の上の書類やら本を整
理したときふと目に入ったので、あらためて読んでみた。
そして整理は途中で、その衝撃のニュースを聴いたあの日
あの頃を思い出していた。
額のガラスを拭いて、隅にすこし溜まっている埃をクロス
で拭いてきれいにしたが、紐が切れたままになっているの
が気になって自分で修理した。
あらためて額の後ろを見ると、壁に掛けるための紐を通す
穴がとても小さい。いわゆる普通の強い紐では穴に通らな
い。針金はないかと捜すが、事務所に針金など置いてなか
った。
社長室のGさん(爺さんではない)にナニカないかと聞く
と、Gさんは花を活ける人なので生け花用のほそーい針金
をだしてくれた。細いのはいいがあまりに細いのでこれで
は額の重さに耐えられないだろから、ある長さの針金を縒
って、額の重さに耐えられるように強くして後ろに通した
が、その針金を縒る作業をしているときに、あることを思
い出した。

こどもの頃。おばあさんが家で線香花火を作っていた。
座布団に座り、前にちいさな台を置き、台の上には箱に入
れられた火薬と火薬を巻く紙、手を湿らすおしぼり、火薬
を掬いとる耳かきとような竹でできた道具置かれ、せっせ
と線香花火を縒っていた。小さかったからナンデうちのお
ばあさんがそんなことをしているのかわからなかったが、
今考えれば、おばあさんは両親に面倒をかけないよう、自
分の小遣いくらいは自分で稼ぐよう内職(アルバイト)を
していたんだと思う。
月に2回ほど花火屋のおじさんが訪れ、できあがった線香
花火を引き取りにきたが、
「すこし巻きがきつすぎやしないかね。おばあさんの線香
 花火は見た目が細くてねえ。すこし太い方がいかにも火
 花がでそうでいいんだがねえ」
「きつく巻かないと火薬ばかり使うことになるんだよ。き
 ょうび火薬代もばかにならないよ。それにきつめの方が
 最後のぱちぱちとでる火玉が長持ちするんだよ」
などと話していたのを思い出す。
商売道具だから、そのちいさな台に乗せられた物をさわる
としかられたが、機嫌のいいときなど、お前もやってみる
かいと作らせてくれたが、紙に火薬をのせいざ縒ろうとし
ても火薬はこぼれるばかりで何度やっても上手くいかなか
った。
「下手だねえ。こうするんだよ」
と笑いながら手本を見せてくれたが、手さばきの良さに感
心するばかりだった。
しかし、あの線香花火はどこで売られていたんだろう。
そのころ我が家は駄菓子屋をやっていて、線香花火などは
きっと町の駄菓子屋で子供に売られていたんだろうと思う
が、うちでは売られてなかった。
もしうちの店で売ったら、売り上げに加えられて家計の足
しになるだけで、おばあさんのふところに小遣いが入るこ
とはないだろうから、おばあさんはそれを知っていて、ど
こかの花火やさんに売っていたんだと思う。
おばあさんに連れられて、おばあさんの知り合いのおばあ
さんがやっている寿司屋でいなり寿司をご馳走してくれた
ことがあったが、あれも線香花火を縒って稼いだお金だっ
たんだろう。

普段は20数年前に亡くなってしまったおばあさんを思い
出すことは希だが(そういえばおばあさんの命日もはっき
り憶えてないぞ)、ヨーコ・オノの感謝状の入った額の紐
を針金を縒って直した後、おばあさんのことを思い出しな
がらイマジンを聴いた。
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by kasuya_senji | 2008-04-10 17:24 | Comments(0)
物持ちのよい仲間達
2008年4月9日

先週末。岡崎の中学からの友人、ボーカルことOと呉服屋
のYと熱海の温泉に行った。3人とも到着時間はばらばら
で温泉場で待ち合わせ。早速、3人で温泉に。
Yと私は大風呂につかり、Oはバブル風呂につかる。
Oは、おーい気持ちいいぞー。バブル風呂に入らないかー。
とYを誘った。誘われると断れないYは、ヨイッショっと
自分にかけ声かけて大風呂からはい上がり、となりのバブ
ル風呂に入ろうとして足を滑らせ、アッーーと声をだしな
がらバブル風呂のとなりのサウナ風呂用の水風呂に頭から
ドップーン。ウワァァァーァァと身震いしながら水風呂か
ら這いでて、大浴場に飛び込むように入ったが、落ちたと
ころが水風呂でよかった。滑って石の床などに頭でもぶつ
けたらオオゴトになっていたかもしれんて。

部屋に戻りビールで乾杯!
えびせんをつまみビールを飲み。
おかきをつまみビールを飲み。
柿の種をつまみビールを飲み。
リッツをつまみビールを飲み。
ハモンセラーノをつまみビールを飲んだ。

Yが温泉宿に持参した岡崎土産(?)は古いレコードとコ
ンサートのパンフレットで、その中には、
初来日したレッド・ツェッペリンのパンフレットがあった。
ビーチボーイズのパンフレットがあった。
ウヲーカー・ブラザーズのパンフレットがあった。
日本版ミュージカル・ヘアーのパンフレットもあった。
そこにはOが写っていた。

ガロを結成する前のことで、Oは名古屋の工業高校のデザ
イン課を卒業すると、四谷三丁目にあったセツモードセミ
ナーに入学し、デザインの勉強はそっちのけで、歌とバイ
トの日々を過ごしていた。そのころ(Oが二十歳の頃)ミ
ュージカル・ヘアー日本版が開演されることになり、その
オーディションにOは応募し合格し出演した。そのミュー
ジカル・ヘアーの共演者に堀内護(マーク)がいて、意気
投合してガロが結成されるというわけである

Oは物持ちがいい。
私が二十歳の頃ツーリストでバイトをしていて、ハワイ旅
行の添乗員の仕事をしてもらうからパスポートを取れとバ
イト先で言われパスポート用に写真を数枚撮ったが、その
写真の残りの1枚をOが持っていた。
ナンデ? 君が俺の二十歳の頃の写真を持ってるの?
お前が持ってろって俺んちに置いていったじゃないか。
こうして我が二十歳のころの紅顔の青年時代の写真は30
年ぶりに私の手元に返ってきたのである。数年前のことで
ある。というように、とにかく物持ちがいいのがOだが、
どーいうわけかこのヘアーのパンフレットは持っていない
という。Yはレコードやパンフレットは私への土産だと言
ったが、もともとはYの物である。Yの了解を得て、30
数年ぶりにOの手元にもどった。Oが私の二十歳の頃の写
真を持っていて、YがOの二十歳のころの写真を持ってい
たのである。

いや。持つべきものは友達だね。では、ビールは飽きたか
ら焼酎で乾杯といこうと、O提供の「武士の門」という芋
焼酎で乾杯。

干しぶどうをつまみに焼酎を飲んだ。
チーズをつまみに焼酎を飲んだ。
リッツをつまみ焼酎を飲んだ。

温泉で良き仲間と美味い酒に酔いしれて、朝までぐっすり
寝た。
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by kasuya_senji | 2008-04-09 17:43 | Comments(0)
神楽坂の桜
2008年4月8日

パスタとスパゲッティーの違いの分かるイタリアレスト
ランHのお味は如何にと思っているが、なかなか出かけ
る機会がない。そこで、そのレストランと同じ町内で店
を開いている寿司屋に顔をだしたときにイタリアレスト
ランHには行ったことがあるかいと大将に訊いてみた。
その大将は食通で、仕事が早く終わると厨房の賄いでは
なく夫婦で美味いと評判の店に夜食を食いにでかけるこ
とが多いと聞いているから行ったことがあるかもしれな
い。

「ないです。ちょうどうちの店と休みが同じ日で、あの
 店も遅くまではやっていないですから機会がないんで
 す。味のことをお訊ねでしたら私は食べたことがない
 のですが、その店のHさんの1番弟子が隣で店をまか
 されていて、そこは遅くまでやっていますからよく行
 きますが、そりゃー美味いものですよ。レストランH
 はコース専門ですが、1番弟子さんの店はアラカルト
 でたのめますし、値段もわたしら夫婦が行って食べら
 れるくらいリーズナブルです。そこも評判の美味さで
 すよ。なんて言うんですかねえイタリアンなのにどこ
 か和のテイストが入っていて、あれはイタリアンとい
 うより創作料理といっていいんじゃないですか。です
 から本店のレストランHはどれほど美味いかってかみ
 さんと話すんですがねえ」

こんな話を聞いて数日後、神楽坂の日本料理屋Iが同じ
神楽坂ではあるが場所を動いて新装開店したというので
顔をだした。ひょっこり顔をだしたわけではない。この
Iはミシュランで星☆☆ふたつと格付けされ、元から予
約が取りにくかったのがミシュラン以降ますます取れな
くなって、やっと席が取れたのででかけたのである。
以前はオーナーシェフのIさんがカウンターに陣取り、
客と話しながら我々は食事をしたのだが、新しい店では
Iさんは調理場にいるようで見たことがない若い料理人
がカウンター向こうにいて接客していた。Iはミシュラ
ン以降で店を新装したから、よくある話で、以前の小さ
な店の方が味はよかったねと言われかねない。それもあ
ってシェフのIさんは調理場につきっきりで料理をつく
っているのだろう。そのせいか、ますます腕が冴えてい
るようで、感心するほど料理を堪能したが、食い終わっ
て店をでるとき、オーナーシェフのIさんが顔をだし、
こんなことを言った。

「今日カウンターに立っていた者が、今度独立をします。
 店の名はIの2号店とも云えませんから彼の名前でや
 ります。まだ若いですがとことん仕込みましたし腕は
 まちがいありません。Iはコース料理だけですが、彼
 の店はIでだしている料理がベースになりますが、ア
 ラカルトで楽しんでいただけるようになります。お値
 段もリーズナブルな設定をさせました。わたくしがI
 を開店した直後からカスヤさんは来ていただいていま
 す。腕に自信があるといっても自分で店をやることは
 やはり不安がありました。はじめから来ていただいて
 いるお客さんがいるということがどれだけ励みになっ
 たかわかりません。是非Iともども彼の店もご贔屓に」

1番弟子がコース料理屋で仕込まれた腕をふるってアラ
カルトでリーズナブルの値段の店をやるという話は、
あれ!??? どこかで聞いたことがあるぞ。
寿司屋で聞いたイタリアレストランHと同じじゃないか。
そうか、料理人はこうやって受け継いだ料理の真髄を継
承していくんだなと思った。
またあたらしい門出が神楽坂にもあるのだ。いや、春ら
しい話でいいじゃないかと船出する若者に幸あれと祈り
つつ、散りゆく桜の下、神楽坂をゆっくりと下りおりた。




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by kasuya_senji | 2008-04-08 19:24 | Comments(0)
パスタとスパゲッティー
2008年4月7日

最近知り合った人(不動産業)から、東京の有名なイタ
リアレストランのオーナーの話を聞いた。その人は休日
は毎週ご夫婦で別荘で過ごすのが恒例だが、最近犬を飼
いだした。当然別荘には目に入れても痛くない愛犬をつ
れてでかけるのだがあいにくその別荘(マンション)は
ペット禁止だった。別荘のある場所はとても気に入って
いるので、おなじエリアのペット可の別荘を捜してもら
いたいと申しこみがあり、その人とは物件をお世話しま
したというご縁ですが、カスヤさん、聞いてみればその
レストランはあなたの会社の近くだということです。そ
の有名店に行かれたことはありますかと聞かれたのであ
る。だが、その店の名前は知っていたが行ったことはな
かった。

安くて美味いが私にとってイタリアレストランだった。
イタリア旅行で1番長かったのと回数が多かったのがカ
プリ島で、当たり前のようにイタリア飯を毎日食った。
カプリ島はナポリ沖の地中海に浮かぶ小さな島だが、2
千年ほど前のシーザーの時代、ということはクレオパト
ラの時代からローマ帝国の皇帝の別荘地として知られ、
今でも裕福なというかド金持ち達の別荘地またはバカン
スを過ごす遊興地として知られている。カプリ島はひょ
っこりひょうたん島のような形をしている島で、カプリ
とアナカプリのふたつの町をつなぐバスが走っているが、
それ以外は原則的に車の日常使用は許されていない小さ
な島である。
車が通らないから町の商店はまるで路地裏のような狭い
道に軒を連ねるように店がならんでいて、ルイビトンの
隣がグッチでその隣がカッシーナでその向かいがカルテ
ィエでその隣がエルメスでプラダでティファニーでアル
マーニでバカラでと店が並んでいて、シャンゼリーゼや
ボンド・ストリートや五番街や銀座の路地裏版である。
日常の買い物をそういった店でする人々が住み訪れるの
がカプリ島である。もちろん路地の角には八百屋があり
魚屋があり花屋があり観光みやげ屋もあり電気屋もあり
レストランもある。
町のレストランのすべてにでかけて行ったわけではない
が、それでも何週間もいるといくつかのレストランで顔
なじみになった。そのどの店も美味いのだった。そして、
そんな土地柄だというのにどの店も安かった。イタリア
ではイタリア飯を毎日食うものだからレストランといえ
ど大衆的であり家庭的なものであると知った。ベニスで
1番値段が高い店にも行ったがシャンパンやキャビアの
大判振る舞いさえしなければ、高いといってもせいぜい
ひとり1万円程度だった。この時は10人で行ったが当
方主催の食事会で予算は15万円を見積もった。カード
では支払えない、いつもニコニコ現金払いですと聞いて
銀行で15万円をリラに両替すると150万リラになっ
た。それを1万リラで150枚くれればいいのだが、ヨ
ーロッパの銀行の窓口では現金を大量に用意していない
から、10リラ(1円です)札や100リラ札や100
0リラ札かき集めて150万リラにしてくれて札束が山
ほどになって、山ほどの現金を入れるカバンを買って詰
め込み、取られてなるものかと後生大事にカバンを抱え
ながらレストランに行ったという笑えない土産話もある。


話が長くなったが、訊ねられた東京の有名店は随分前か
ら知っていたが、素晴らしく美味い! が値段も素晴ら
しい! とも聞いていたので、ヨーロッパ中から金持ち
が集まるカプリ島では食事は安くて美味いものであると
いうカプリ帰りの私としては行ったことがなかったので
ある。もちろん今ではイタリアンの全てが大衆的であり
家庭的であるとは思っていない。日本料理も毎日家庭で
食べる和食と天才の手にかかった料理とは天と地ほどの
差があると知っているし、天を食うたびに料理人という
素晴らしきクリエーターにも出会ってきた。不動産屋の
話によれば、そのイタリアンレストランは、それはそれ
は極上でありまして、そこで食べるパスタと家で食べる
スパゲッティーがおなじ食べ物とは到底思えないもので
ございますと言うから、不惑の違いがわかる男(?)と
しては、パスタとスパゲッティーの違いを確かめに行こ
うと思っている。
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by kasuya_senji | 2008-04-08 13:02 | Comments(0)

 
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