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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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大募金
2008年5月29日

コットンのニット帽を被ってコットンの半ズボンにコッ
トンのポロシャツを着て、コットンのサマーセーターを
肩にはおって玄関を出ると、となりのご夫婦とばったり。

「若いですねー。この天気にその格好ですかァ・・・」

と言われて、シマッタ! と気がついた。
外はかなり涼しいのだった。涼しいを通り越して寒かっ
た。

「事務所についたら暖房いれますから大丈夫です」
「ハハハハハ・・ホホホホホ・・・」

と軽い笑いを振りまいて、というか軽く笑われて1日が
始まった。
この寒いのに若造のようなカッコウしているからといっ
て身も心も調子こいているわけではなかった。昨日の夕
刊を見てけっこう頭に来ていたのである。俺が頭にくる
のは筋違いであることは自分でも知っているが、まあ、
やるせないを通り越して、気が滅入るを通り越して、湧
き上がった気持ちを何処へ向けたらいいのか、自分自身
をどうしたらいいかわからないような悲しみさえ感じて
いたのだ。ただしこの気分は複雑で微妙である。

わたしがまだ若かった頃、ロンドンのパブでこんな事を
聞いた。聞かしてくれた相手はイギリス人。

「ハンディーキャップと言う言葉を知ってるかい?
 そうだね、なんらかの障害を持つ状態を指す言葉で、
 障害者はハンディーキャッパーという。
 この言葉の語源は、飲み会から来ているんだ。むかし
 むかしのイギリスでは村の若者がパブに集まって飲み、
 地域に住み暮らす者同士の友好をはかっていたんだ。
 皆で金を出し合って、集まった合計金額で飲み会が始
 まるんだがね。
 でも同じ村と言っても裕福な子弟もいれば貧乏な家の
 子もいるから金の集め方はこうだった。誰かが帽子を
 脱いでテーブルの下を回す。持っている者は10ポン
 ドを帽子に手を突っ込んで入れたことだろう。持って
 いない者は10シリングしか入れることができなかっ
 たのかもしれない。だが帽子はテーブルの下だから、
 誰がいくら入れたかは誰にもわからない。
 つまりこれは、持っていない者に劣等感を感じさせな
 いという方法なんだ。
 この精神がハンディーキャパーに対する心なんだ。
 帽子に手を突っ込む=ハンド イン キャップ。
 この言葉は英語を理解する上で、そしてあなたの
 人生の上でとても大事な言葉だからよく覚えてお
 くように」

昨日の新聞報道によると四川大地震で中国国民の心が一
つになり、募金が行われ、集まったその金額は中国政府
の災害対策資金をはるかに超える膨大な額になったと報
じていた。素晴らしいことである。中国を、祖国を愛す
る心=愛国心は日本人よりもはるかに強い思いなんだろ
う。すばらしいことじゃないかと感動を覚えたが、その
次がいけなかった。
どこで調べたのか。誰がいくら出したのか誰はいくらか
しか出さなかったかとの寄付金の大小の値踏みがネット
上で氾濫しているという。
ジャッキー・チェンは1億5千万円を出したのに、アメ
リカ・バスケット・ボール界のスーパースターのヤオ・
ミンは年収35億円も稼いでいるのに5百万円しか出さ
なかった。なんてケチな奴なんだ。とか言う。
貧しい自分もこれだけ出しているのにィ・・・・
という気持ちはわからんでもないが、愛国心もこう表現
されると、贔屓の引き倒しの倒錯した感情の在り方でし
かなくなる。しかもネットという至便性をいかに有効に
使い人間社会に役立てるかという方法ではなく、匿名
性を利用した悪意さえ感じる。

だから中国人は云々という人が多いが、僕はけっしてそ
うは思っていない。森永博志の本に登場する人物のよう
に、僕の回りにいる多くの中国人はけっしてそんな人間
ではないのだ。あまりに多種多様に人が多すぎる中国と
面とぶつかってしまったようなショックを感じた。
ハンド イン キャップ。
僕はロンドンの片隅のパブでの一夜を邂逅しながら、今
回の新聞報道にどこにも行き場のない自分を感じ続けて
いたのです。
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by kasuya_senji | 2008-05-29 17:16 | Comments(3)
森永博志著「初めての中国人」
2008年5月28日

友人のマッケンジー森永博志から、著者謹呈ということ
で彼の最新本が贈られてきた。
「初めての中国人」という本である。
昨年の布袋の「ファンキー・パンキー・ツアー」の東京
厚生年金会館にマッケンジーは顔をだしてくれた。
「すごいねこのステージ。40年前のウッドストックに
 このバンドが出ていたらけっこう歴史に残ったかもね」
と楽屋で話した。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、
ウッドストック世代の僕らはいつもこんな風な会話をす
る。音楽と映画と旅と本は僕らの人生である。僕らが起
こす何かはいつもそのどれかに比されて話されるのであ
る。
その時、来年(今年 )北京で或るプロジェクトを立ち上
げる計画があって参加してるんだと彼に話したことを忘
れずにおぼえていてくれて贈ってくれたのだろう。
1980年代から中国に通い続けた中国通マッケンジー
森永博志の集大成のような本である。集大成といっても
お固い学術的なものではなく、森永の書く本はいつも並
はずれた上昇志向と感性を持つ人間がとりあげられるし、
彼の語る背景は音楽であり文学であり映画であり旅であ
り歴史であるからおもしろくてわかりやすい上に活字が
大きい=読みやすい=たいへんありがたいというのがこ
の本である。

内モンゴルに住み暮らす男。この男が馬好きなのだが途
方もない馬好きで、馬好きが嵩じてポロクラブを作った
男の話がある。そこでリドリー・スコットの不朽の名作
「ブレード・ランナー」の1シーンが語られる。ファイ
ナルカット版(リドリー・スコット編集版)では使われ
なかったエンディングのシーンで、空飛ぶ小型自動車に
乗って主人公が未知なる世界へと愛の逃避行をするラス
トシーンである。森永博志は万里の長城を越えモンゴル
の大平原に車を走らす風景をそのシーンで語るのである。
それを読んで、そのシーンをあらためて観ようと「ブレ
ード・ランナー特別DVDセット」からオリジナルカッ
ト版を取りだし、映画を初めから終りまで観た。見終わ
るとまた本に戻った。
本に戻ると今度は司馬遼太郎の「草原の記」が引用され、
チンギス・ハーンの後継者でありカロコルムという世界
帝国の首都を造ったのオゴダイ・ハーンの有名な言葉、
「永遠なるものは人間の記憶である」
という言葉が出てきた。もうこの時点で僕は森永博志の
文章に酔っぱらった状態になっているから、酔っぱらい
がビールの次ぎにワインを飲み、ワインの次ぎにウイス
キーを平気で飲むように、本を手元に置くと「草原の記」
を本棚から探し出して、くだんの文章が書いてあるペー
ジを探すがなかなか見つからない。しばらく草原の記と
格闘するがそれが書かれたページがいよいよ見つからな
いので、方向を転換し「街道を行く」シリーズのモンゴ
ル紀行を引っぱりだして、オゴダイ・ハーンの記述をめ
ざしてページをめくるが別のエピソードがおもしろくな
って読むうちにいつしか陽は落ち1日は終わってしまっ
た。気がつくと内モンゴルの馬好きの男の章は半分も読
み終えていなかった。

こんなふうに僕は本を読むから、一冊の本を読むには手
が掛かるのである。僕はこういう本の読み方が好きで、
つまり読んでいる本から幾つ刺激を受けるかという読み
方が好きで、ただストーリーがおもしろいというだけの本
は僕にはつまらないのだ。
この内モンゴル男の話は、たまたまブレード・ランナー
も草原の記も手元にあったからいいものの、自分が持っ
ていない本や映画の話がでてくると、本は読みかけにし
たまま青山ブックセンターに走ったりタワーレコードに
走ったりするものだから、1冊の本はなかなか読み終わ
らないのだけれど、読み終えると別の2冊も読み終え、
観逃していた映画の2本も見終えてしまうのだ。
こんな調子だから、気がつくと3カ所にある本棚はいっ
ぱいになり、並べきれない本が机や枕元に高く積まれる
ということになるのである。かみさんの小言が飛ぶので
ある。
司馬遼太郎や植草甚一や開高健の本はいつも刺激に満ち
ているという上質さをもっているが、森永博志の本も彼
等と並ぶ上質さなのである

しかし、この内モンゴル男の話の次の章は画家・漫画家・
エッセイストであった故渡辺和博と出かけた旅の話だか
ら、今のうちに渡辺画伯の「金魂巻」を読んでおこうと
思っている。






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by kasuya_senji | 2008-05-28 18:46 | Comments(1)
新聞のUSO
2008年5月27日

週末は雨だった。
週があけると日射しは真夏のようになった。
土曜日の午後。降り出した雨の中でベランダにある坪庭
の草むしりをして靴が泥だらけになり、ベランダに泥の
靴跡が点々とついたが、日曜日の朝はひどい雨で、これ
できれいに洗い流されるだろうと思った。だが晴れてみ
れば泥は流れず、足跡がHANGTENのマークのように
残った。裸足になりホースから水を飛ばして、
「ポパイ ザ セーラーマン」
と歌いながらモップで洗い流したが、ベランダの陽のあ
たっているところが真夏の砂浜のように熱かった。歌が
「ポパイ ザ セーラー ワァチッチッチマンー」
となってしまった。(USO)
そういえばポパイって水兵さんだったってこと知ってた?
1−セーラー(水兵)服を着ていること。
2−二の腕に錨の入れ墨がはいっていること。
3−水兵帽をかぶっていること。
この3つで水兵さんだとわかります。

ベランダを掃除してモップを洗い部屋に戻ると、
ALL THAT JAZZが流れていた。
随分昔のミュージカルの主題歌だが、わたしはこの歌が
好きだ。で、いったい誰が歌っているんだろう。友人に
訊くと、キャサリン・セタ・ジョーンズという女優だと
いう。歌手ではなく女優であった。
「じゃあ、キャサリン・ウタ・ジョーンズだね」
と応えると、
「ウマイ! 座布団一枚!!」
と!マークをふたつくれた。
「じゃあ、座布団って英語でなんて言うか知ってる?」
と聞くと、
「クッションじゃないかな・・」
と言うから、
「ちがうんだなこれが。ザ フトンって言うんだ」
と応えたが、これは座布団も!マークももらえなかった。

グルーブ・アルマダのHANDS OFF TIMEを
聴きながら新聞を読むと、パンダが腹ばいになって寝て
いる写真が掲載されていて「人気者ぐったり」と書いて
あった。
記事の内容は、四川大地震のあった中国西南地方最大の
動物園の成都動物園の人気者のパンダが大きな余震があ
ったせいかぐったり気味であると言うことだったが、こ
れはホントのことなんだろうか。
パンダは野獣で、ある種獰猛な一面をもつ動物だが、い
そがしくせかせかと動き回るのは笹の葉を食べるときだ
けである。それも朝の数時間で、あとは1日中寝ている。
北京のリッツ・カールトン・ホテルで飲茶して、小龍包
で腹ごしらえして、午後、北京動物園のパンダを観に行
ったことがあるが、数頭いるパンダはどれも皆眠りこけ
ていた。
この新聞に掲載された写真のように腹ばいになって後ろ
向き=ケツをこちらに向けて寝ている奴もいれば、仰向
けになって手枕して足を組んで寝ている(それは無いが)
ような格好で寝ている奴もいた。ガラスを叩かないでと
貼り紙がされていたが、そんなことはお構いなしとばか
りにドンドンドンと檻のガラスを叩たき、目を覚まさせ
ようとする子供がいたが、パンダはまったく反応しなか
った。ただ午後の惰眠をむさぼるばかりであった。
北京のD社のSさんに言わせると、起きているパンダを
見たいなら朝の開園直後に行きなさい。寝ているパンダ
を見たいなら(見たくないが)午後に動物園に行きなさ
い。のである。
だから、この新聞に掲載された怠惰に寝そべるパンダは
地震の余震でぐったりしているのカモシレナイが、そう
ではなく、ただ午後に写真が撮られたのだろうと思うよ。

この新聞はよく嘘をつく。この新聞ではわからないから
この際実名を上げておこう。東京新聞である。毎年1回
は必ず嘘をつくのである。しかも大嘘をつくのである。
或る年は、サッカーが11人制から9人制に変わるとい
う記事を載せていた。読んでみると、サッカーのゲーム
で一番おもしろくないことは、点が(スコア)なかなか
入らないことであって、それが観客のストレスになって
いるから、FIFAはサッカーを、より多くの点が入る
ゲーム=観客が熱狂するゲームに変えようと今後9人制
の導入を真剣に図っているという記事だった。人間の集
団による闘争=戦争のゲーム化がサッカーだとすれば、
FIFAもこれまた獰猛なことを考えるものだなあ。
なるほどねえ・・・、
点の取り合いねえ・・・、
イタリアサッカーのカテナチオ(鍵をかける=堅守)も
美しいが、ボクシングの殴り合いのようなゲームもまた
おもしろかろうと納得したところで、最後にエイプリル・
フールと注がふってあった。
4月1日の大嘘は東京新聞の朝刊のお得い芸である。
また或る年は、金さん銀さんは実は三つ子で、銅さんと
いう妹がいたが、小さいころもらわれていって今は台湾
で、やはり百歳を超えた今も健在であるという記事が載
っていた。かみさんに、金さん銀さんに銅さんという妹
がいるんだって。台湾にいるんだって。と聞かされたと
きは、まさかァーとは思ったが一瞬本当だと思ったから、
エイプリル・フールとは分かっていても信用した自分が
おかしくて笑えた。

でも、4月1日ではない5月26日の成都動物園のぐっ
たりパンダ君は、地震の余波で疲れていたのではなく、
ただ昼寝したいたのだと思う。
新聞を読み終えるとベランダにはさらに陽が射し、CD
プレイヤーからは、イアン・ブローディーのALL I
WANTが流れていた。
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by kasuya_senji | 2008-05-27 15:07 | Comments(0)
愛したものは・・・
2008年5月17日

下町の太陽は空に輝く・・・
と倍賞千恵子の歌声にのって、夕暮れなずむ東京を総武線
が隅田川に架かる鉄橋を両国へと向かう。電車が渡る先は
ちいさな工場が立ち並ぶ下町。松竹映画・山田洋次監督作
品「下町の太陽」の冒頭シーンである。
この映画がどんな物語か細かいことは忘れてしまったが、
この冒頭シーンだけは忘れずに残っていて、東京下町とい
うと川と橋がいつも連想されるのである。

この下町を愛した男が死んだ。男は愛知県出身で高校を卒
業後パリへと旅立ち、数年間をパリで過ごした。日本にも
どりジャズクラブを経営し、その後、わたしと時をおなじ
くして音楽業界にはいり、業界にこの人有りといわれるお
おきな活躍をし、五十数年余の人生を終えた。
パリ帰りならではのオシャレでシックでグルメな奴で、出
会ったときは互いにまだ二十歳を過ぎたばかりのころだっ
たが、なんとも大人の男に見えたものだった。
そいつが下町好きで、両国駅の近くにある日本で最初のチ
ャン小料理屋「川崎」は彼に教えられた。鰻屋も河豚屋も
野鳥料理屋もさくら鍋屋もしし鍋屋も彼に教えられた。
鶯谷の警察署の裏にある「コロ」も彼に連れて行ってもら
った。
コロは昭和30年初期のころ開店した、マスターと奥さん
のふたりでやっていたバーで、僕が彼に連れられ通い出し
たのが30年ほど前のことで、開店25年たったころだっ
たと思うが、値段は開店当時の昭和30年初期当時とさほ
どかわっていないと思われる値段で酒を売っていた。たし
かウイスキーの水割りが200円か300円だった。ただ
し、そのウイスキーはトリスと角瓶の2種類のみ。一度聞
いたことがあったが酒の種類は開店当時とほとんど同じで、
今時はめずらしいハイボールやジンフィーズなどがカクテ
ルで、言えば作ってくれたが、ウヲッカトニックなどはメ
ニューにはなかった。もちろんギムレットもダイキリもな
かった。さすが値段は一度だけ上げましたと言っていたよ
うな気がするが、それでも300円だった。
この店で飲むときはいつもトリスか角瓶を水割りで飲んだ。
バランタインの17年とかジャックダニエルとかはありま
せんかねえ、モルトウイスキーのグレンフェディックはな
いの? えー置いてないのォ。などと趣味の悪い会話は俺
も彼もしなかった。この2種類のウイスキーしか置いてな
いバーで飲むことを楽しんだ。
ある時、11時になって閉店となり勘定をして店をでたと
ころ急な雨がドシャ振ってきた。ぼたぼたと音を立て地面
に落ちた雨がはね返っていた。あいにく店には傘は一本し
かなかった。表通りの1本裏通りのこととて、通りかかる
タクシーもいない。結局30分ほどたってやっと1台のタ
クシーを拾うことができたが、その間、奥さんが傘をさし
かけて拾えるまでずーとつき合ってくれた。
「いい店はいつか無くなる・・・」
と彼は予言のように言っていたけれど、数年後、奥さんが
病気で亡くなり、コロはひっそりと店を閉じた。

彼との思いではたくさんあるけれど、エピーソードとして
はこの店のことが一番印象深い。
愛したものはみんな消えてく・・・
コロがなくなったことと彼が亡くなったことが同じことの
ように感じられてならない。
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by kasuya_senji | 2008-05-20 18:54 | Comments(1)
父の日
2008年5月15日

昨日、人間ドックに入って、頭からケツまでいろいろ調
べてもらって、

「いかんですなあ・・・。若い頃のツケがまわってきて
 ますよ。どうせ自堕落な不摂生な生活をしていたんで
 しょう。成人病という成人病が全部でてきていますよ」
「そうですか。おれもやっと成人という大人になったっ
 ちゅうわけですな」
「バカなこと言っててはいけませんぞ」

的な会話を期待(?)したが、期待に相反して健康不良
児ではあっても、それは年齢に応じた不優良であって、
今のところ特別に治療したり通院したり加療するところ
はないと言われ、安心したような気が抜けた(?)よう
な気分で戻る途中で布袋とばったり鉢合わせた。

「あれ!? なんだか気が抜けたような顔してますねえ」
「いや、人間ドックに行って来たんだけど、しかじかか
 くかくうんぬんでねえ・・あれだけ調べ上げたのにな
 にもでてこなかったんだよ・・・」
と言うと、
「バカなこと言ってちゃいけません。なによりじゃない
 ですか」
と窘めながら喜んでくれた。

M社のN氏が大阪より東京に来ていますと電話をくれた
ので早速事務所に来てもらった。彼はM社の上海事務所
の陰の代表をしていて(M社が上海で設立された数年前
は、日本人は中国現地法人の代表者になれなかったから
陰の代表である)中国情報をよく知っているから当然の
ことに地震話になるかと思いきや、今年の中国国内での
コンサート情報をたくさんくれた。
彼は今、天安門広場の東の3環路のそのまた東の4環路
のその東に広がる新開発地区に、リハーサルスタジオを
作るプロジェクトに参加しているようで、将来布袋さん
や今井美樹さんが北京でコンサートをやるようになった
ら、是非そのスタジオをつかってくださいと営業も忘れ
なかった。

広尾のK額縁店から品物ができあがりましたと連絡が入
ったので、Gさん(婆さんではない)に取りに行っても
らった。できあがった額には60年前のおふくろの写真
が入っている。写っているのはおふくろ一人ではない。
60年ほど前は隆盛だった紡織事業への免許を交付する
西三河紡織なになに協会へ勤めていたころの社員旅行の
熱海のお宮の松の前での集合写真で、おふくろ22歳の
若き頃のこと。前にも書いたが、あらためて見ると松
の東側は海岸である。
もうひとつの額には親父が写っている。これも集合写真。
こちらには妙な人々が写っている。日本髪を結った芸者
風の女性もいれば、舞子風の若い女性もいる。Wという
文字の入った早稲田大学の帽子をかぶった学生君もいれ
ば、大宮デン介のように鼻の頭を黒くぬった道化師もい
れば、トランクスだけの裸のボクサーもふたりいる。
ボクサーのひとりはご丁寧にも片眼のまわりにまるく黒
くアザをつけている。いかにも農民のような人もいる。
この人は着物を着ているからなんだか明治時代のお百姓
さんのようである。商人のように前掛けをかけている人
もいる。ただひとりだけ背広姿の若い青年が写っていて、
これが我が親父の若い頃で、役どころは「会社員」だと
いうから、当時は会社員はエリートという設定だったん
だろう。
これは、親父が結婚する前の20代前半のころに入って
いたドサ回り喜劇一座の集合写真ではないか・・・と長
い間思っていたが、そうではなく、俺たち兄弟が生まれ
て間もない頃に、岡崎市の職員で公演した素人喜劇一座
の集合写真だった。

NK氏に申し込んだところ、気前よくアクリル押し花作
品を1点擱くってくれたが、やはり自宅玄関にはアート
すぎてしっくり来なかったので、NK氏にはそう伝え、
玄関には、この
「お宮の松写真」「素人喜劇一座」
の写真を額装して並べて飾ることにした。
そうだ! この額をもうひとセット作って実家に贈って
やろう。先年親父を亡くして淋しがっているおふくろも
喜ぶんじゃないかな。母に日はカーネーションを送った
から、来月の父の日に贈ってやろうと思っている。




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by kasuya_senji | 2008-05-15 15:36 | Comments(2)
四川大地震
2008年5月14日

その建物は現在建築中で、建物そのものはできあがった
が内装はこれからだった。内装工事にエスカレーターを
つかうことなどありえないとばかりに、工事服務員は皆
設置はされたが動いていないエスカレーターを上り下り
しながら、大工が木材を運び入れたり左官屋がバケツで
塗料を運び入れていた。
どうぞこちらからと案内人に誘導され工事中の建物に入
った我々も停止しているエスカレーターで5階まであが
った。しかし、動かなくてもスーと階上まで上がれるの
がエスカレーターだから、気分としては階段を上がるよ
り疲れた。おまけに、その建物の5階6階部分の設計図
面をカバンにいれていたので、それが重くて5階まで上
がるうちに息が切れてきて、なんだかフラフラと目眩が
したが、それがマグニチュード7,8級の四川省の大地
震が発生した瞬間だった。
その工事中のビルの地震発生時のアナウンスは、
「ビルが不思議な揺れ方をしています。館内にいる工事
 人は直ちに館外に非難してください」
と地震の発生を予定していない北京ならではのアナウン
スというものだったが、あいにくわたしには中国語は理
解できなかった。2度3度と余震があったようだが、や
れやれたかが5階を荷物もって上がっただけでこんなに
フラつくかと自分の体力の無さをナサケながっているの
みで地震だとは思っても見なかった。視察が終わり外へ
出ると、建物前の広場に人がウジャウジャいて、誰も皆
携帯で誰かと電話をしていた。なにをやってんだろーこ
の人達はと思った瞬間に携帯が鳴って初めて地震があっ
たことを知った。この時点では、誰も北京で地震が起き
たと思っていた。
四川省を震源地とする超ド級の大地震で死者は8000
人を超えるか、震源地は壊滅状態である、とは夜になっ
てはじめてインターネットで知ったが、14のチャンネ
ルを持つ中国電視台CCTV(NHK)は、この日の夜
になっても地震のニュースを流していなかった。
翌日の12日の朝。北京のロシア人街の土産ですと怪人
Tからもらったキャビアを大さじ一杯お粥にぶち込んで
塩味のきいた「キャビア粥」を食っていると、やっとC
CTVで被災地の映像を流し出した。
朝飯を食い終わって、リッツ・カールトン・ホテルの会
議室に、

怪人(日本族)日本語&関西弁。
お銀(朝鮮族)、中国語&朝鮮語&日本語&関西弁。
ティエン(漢族)、中国語&日本語。
バオ(モンゴル族)、モンゴル語&中国語&日本語。
川口(日本族)、日本語&オーストラリア英語。
岡崎堂(日本族)、日本語&三河弁&アヤシゲナ英語。

の6人が集合した。バオ君に被害状況はいったいどのく
らいの規模になっていると報道してるんだと聞くと、今
CCTVで流れているニュースは軍隊がどうした、政府
はどう対応したとかのニュースで、怪我人は、死者は、
生き埋めは何人だとかの報道はされていませんと応えた。
文化と言葉の異なる14億の人民を統制する国の報道管
制の在り方とまともに相対した北京滞在だった。

日本に帰ってみれば、成田空港で中国からの帰国便の客
に、
「すいませーん○○テレビの者です。どなたか四川から
 帰った方はいませんかー? ビデオなどの映像をお持
 ちでしたらお貸し願えませんかー」と呼びかけていた。
家に帰って、この○○テレビの夜の報道番組を見ると、
四川省震源地の映像を流し、北京にいるよりはるかに悲
惨な状況であると知ることができた。ただ、ついでと言
ってはナンだが、この一大事に聖火リレーをやってる場
合じゃないと見当違いな感情論を××大学国際学部教授
なるおっさんがこの番組に登場し口から泡吹いて語って
いたが、その面は馬鹿面だったことは言っておこう。
なにも語れないのも地獄だろうが、なんでも語ってもい
いというのもけっして天国ではないのかもしれない。

成田に戻ると携帯に大学の同級生の「日本最大の凌辱エ
ロ作家」の綺羅光せんせいから留守電が入っていたから、
電話をかけひさしぶりに話した。なんの話かと思えば、
お前がブログに書いていた熱海の店に行ったが、お前が
言うほどおもしろくなかったというものだったから、ま
さか俺の書くことをいちいち信用してるんじゃないだろ
うなと言ってやると、ハハハハハハハハと電話の向こう
で大笑いした。
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by kasuya_senji | 2008-05-14 18:44 | Comments(0)
アクリルアートとざらめ煎餅とジョス・ストーン
2008年5月8日

布袋のブログを読んでいた。ゴールデンウイークは布袋
はニューヨークに滞在していたから、ブログはニューヨ
ーク・レポート風になっていて、その中に、写真を紙に
プリントしたものではなくアクリル板にプリントした作
品が紹介されていた。彼は、
「改装する自宅スタジオに飾りたいと悩む・・」
とコメントしていた。
そのアクリル板の作品を見て、家にはスタジオはないが、
玄関を入ったところにある壁に何を飾ってもしっくりこ
なく、ただたんに白い壁紙が貼られた空間のままになっ
ていて、ひょっとしたらこの空間を埋めるのはこれかも
しれないな、俺も欲しい、と思ったが思っただけでは手
に入らない。だからといってニューヨークは遠い。この
遠さは、出かけていって、気に入ったものが手に入った
としても、飾ってみたらやはりしっくりこなかった場合
の落胆差に正比例する。
スタジオのようなクリエイティブな空間であれば間違い
なくマッチするだろうが、自宅の玄関はクリエイティブ
な空間ではない。欲しいけど出かけていくには危険だろ
うなと思った瞬間に、そうだ! と或ることが閃いた。
アートディレクターのK・N氏がいつのころからかアク
リルに凝っていて、アクリル板をつかった作品を数々作
っていたのを見たことがある。その当時は芸術運動とい
うよりもK・N氏の独創的な物であくまでも個人の嗜好
でやっているにすぎなかったが、いつの間にか評価され
るようになり、確かなことはわすれたが或る小劇場のエ
ントランス・ホールの壁にその作品群が埋め込まれアク
リルのアートウヲールになっていると聞いたことがある。
K・N氏のアクリルアートは写真ではなく花である。
布袋のブログに掲載されていたアクリルアートは、ニュ
ーヨークを歩く人々がシルエットになって浮かび上がる
というものや、摩天楼を光りの発光源として捉え処理さ
れているもので、いかにもアート感が強い作品だが、そ
のアート感が我が家の玄関にはそぐわない気がする。で
も花であれば、アート作品でありながら飾り物のデコレ
ーションとして玄関にも馴染むものではないか。
さっそくK・N氏に電話を入れ手にいれよう。
そうだ。そういえば昨夜馴染みの店に顔を出したところ、
東急文化村のT社長がいて、文化村のビジュアルを手が
けているK・N氏の話になったんだ。これもナニカの縁
というものだ。さっそく電話をいれよう。
電話を入れるが、行儀が悪いことにこれを書きながら某
駅前で買ったザラメつきの煎餅をかじっている。これが
固い。バリバリボリボリと口の中でくだいて食うが醤油
味に甘みが加わり意外に美味い。やめられないとまらな
いので、残りのあと2枚を食ってから電話を入れよう。
ちょうど聴いているジョス・ストーンもあと2曲で終わ
る。聴き終わってから電話を入れよう。
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by kasuya_senji | 2008-05-08 13:56 | Comments(5)
大型連休の髭
2008年5月7日

大型連休が終わりました。みなさんはお疲れのことと思
いますが、いかがでしたか。わたしは今年は暦通りの休
みがとれて、みなさんとおなじく大型な連休でした。
で、大型だからなにかしたというと別になにもしなくて、
まあ、ゆっくりと仕事をわすれ家族をわすれ(わすれて
はイケマセンが)自分をわすれ、ただ、時の過ぎゆくま
まに自在にすごしました。つまりなにもやってないので
すが、おかげで疲れはまったくありません。

この自分をわすれ自在にすごすと云うのが極意でありま
して、仕事や家族や自分そのものを心の片隅において休
みをすごそうなどという考えが、疲れを生むのです。
自分から離れようたって離れられるものではありません。
お釈迦様でもこの境地に至るには随分と長い時間がかか
ったと聞いております。そんな歴史上の天才のみにでき
得たこととおなじことができた人は、風聞によれば空海
や最澄と云う人であって、あまつさえ最澄でさえ随分と
悩みながら亡くなったとも聞いておりますから、わたし
のような凡人は、自己を離れようとする努力など全くの
無駄で、ただただ、わすれるのみであります。最近とい
うか元よりわすれっぽい性質でありますから、これにし
かるべきでありましょう。

わすれ物はといえば、サングラスがみあたりません。家
にもなく、車にもなく、どこにもありません。連休前に
は家にひとつ、車にひとつ確かにあったのですが、自分
をわすれるついでといってはナンですが、どこかにわす
れてきてしまいました。では、どこにわすれたのだろう
かと連休中の足跡をたどりますが、足跡さえわすれてし
まっていますので思い出しようがありません。
でも、これは過去に何度もあったことなのですが、新し
い物が手にはいるときは、必ずナニカが紛失するもので
すので、気に入っていたサングラスがないことはいささ
か眩しいが、また手に入れればいいことで、それよりも
新しいものやこととの出会いに、今は心が奮えます。

長い間一緒にいると夫婦は似てくるようでして、連休最
後の日の昨日の寿司屋での会話は以下のようなものであ
りました。

「もう、おなかいっぱい?」
「そうだなあ・・イイカンジだけどまだひとつたりない
 なァ。なんだろう。最後にたのむ物は・・。え? あ
 んたはどーなんだ?」
「わたしもちょうどいいのひとつ手前。なににしようか
 な。納豆巻きもいいけど、きっとキュウリの方がさっ
 ぱりするわね。カッパ巻きおねがいします。ええ。切
 ってください」
「おれは特にさっぱりしなくてもいいからネギトロだな。
 ええ。おれも切ってください」
「あれ? 髭いつからのばしてんの?」
「ええー! いつからって、もう2年になるぜ。たのむ
 よ。毎日俺の顔見てんじゃないのォ?」
「えー。ゼンゼン気がつかなかった。うそー。2年も前
 からァ?
「カスヤさんが引っ越ししてきたのはいつでしたかねえ。
 たしか2年ほど前になると思いますが。それまではこ
 の店には顔出されてないですから、わたしはカスヤさ
 んと2年のおつきあいになりますが、最初から髭はや
 されていましたよ」
「でしょう? ほら、大将も言ってるよ2年前からだっ
 て」
「おかしいわねえ。なんで気がつかなかったんだろう」

まあ、このように一番身近な存在同士がこのようなつき
合いができれば平和というものでありましょう。一緒に
住み暮らしているからといって、細かいことに目くじら
を立てていては休まる気も休まりません。互いの存在に
感謝しつつも細かいことはわすれる。これでいいのであ
ります。
しかし。髭を伸ばしはじめるとすぐ、
汚い・・とか似合わない・・
と言われるのだが、今回は言わないね。おれも髭が似合
う年になったか、いい傾向だなと思っていたがそうでは
なかった。気がつかれなかったんだ。うん。この存在感
の無さがまるで空気のようでいいじゃないか。自己をわ
すれて過ごした連休の最後に、かみさんにもわすれられ
ていたなんて妙に人生が符合してるぞ。夫婦はこうでな
くちゃとナイスな大型連休でありました。



   
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by kasuya_senji | 2008-05-07 14:12 | Comments(0)

 
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