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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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岡崎の水害
2008年8月29日

岡崎が冠水した。1時間に150㎜という雨が岡崎を襲
ったのだ。むかし、お天気博士と渾名される男とつき合
いがあった。男は三浦半島に住むサーファーで30代の
ころのつき合いだったが、この男から1時間に100㎜
という雨がどれほど凄い物か聞かされたことがある。
「1時間に100㎜の雨というのは、畳1枚にドラム缶
 1本の水に相当すると考えればええわ。そんなもんが
 5時間も降り続いてみい。(どういうわけか関西弁の
 男であった)。畳1枚分の大水槽ができるデ」
岡崎にはその1,5倍の雨が降ったのだ。市内全域とん
でもないことになってしまった。

昨夜は早めに帰宅し、かみさんと近所の居酒屋で夕飯を
食った。下町のそのまた外れの、東京という大都会の一
等地から遠く離れた場末の居酒屋で、その店にくる人々
は帰宅途中のサラリーマンであり、近所の中古車販売所
の所長でありそのお客であり、近くの専門学校の講師た
ちであり、中学か高校か知らんがいかにも同級生の集ま
りといった風情の学生であり、ときに、厚化粧のオバチ
ャンといかにもそのオバチャンママの風俗店で働いてい
る若い姉ちゃんとおぼしき二人連れが酒飲みつつの人生
相談あり、
「あんたあんな男といつまでもつき合ってちゃダメだよ」
と会話しながら飯を食ったりしているというどこにでも
ある居酒屋で、結構繁盛しているのは、その店の飯がう
まいからである。
つぼ鯛の一夜干し。竹の子のサラダ。やまいもの鉄板焼。
あじフライ。茄子の焼き物。新さんま焼きなどをおかず
にかみさんと分け合って夕食を食った。

夕食を終えて、心は東大寺である。たまたま盆休みに訪
れた熱海の地元のタクシー運転手に頼朝と北条政子の恋
物語を聞いたから、司馬遼太郎の「三浦半島記」を読み
かけていたが、鎌倉幕府は後まわしでいい、それよりは
東大寺だと「奈良散歩」を本棚から取りだして読み始め
ると、二月堂という章で、司馬さん東大寺を散歩するに
はこの二月堂近辺がいいとか、近くにある何百年も前か
らやっている下の茶屋で甘酒を飲んだことや、その店に
いた猫の話やらは書いているが、肝心の二月堂のことに
はほとんど触れていなかった。肩すかしくらったようだ
ったが、まあまあこれが司馬遼太郎の街道を行くシリー
ズのおもしろさだ。司馬さんが書くところは二月堂の解
説書ではないのだと気を入れかえ、次の章に進むと五重
塔。この章も別に五重塔のいわれや縁起は書かれていな
かったが、鴻廬寺という唐代の外国人専用の宿泊施設に、
白馬に乗ってやってきた西方からの仏教伝来師が泊まり、
その後、その伝来師ご一行様専用の宿泊所が新設され、
白馬に乗ってきたから白馬寺と名づけられたが、これが
寺(官立の建物施設)が 仏教関係に使用されるように
なる初めであったということが書かれていた。
これを見ると寺はもともと仏教建物を指す言葉ではなか
ったことがわかる。いよいよおもしろくなって、もう今
日はこれ以外のこと、読書以外のことはしないと決め、
ソファーから場所を寝床に移動し、ねころびながら読み
出すと寝つきの良いわたしはそのまま白川夜船。真夜中
に岡崎を大災害が襲ったことも知らず朝を迎えたのであ
る。

ござるのH氏からの電話で起こされた。
「岡崎の実家は大丈夫だったでしょうか」
という電話だった。
岡崎から何の連絡もないから大丈夫だろうと答え、見舞
いに礼を述べ、テレビをつけると岡崎が水に埋まってい
る。一面水に埋まっているから景色が一変していて、テ
レビに映し出されている所がどこか見分けがつかない。
ただ、実家や親戚が住むあたりは、岡崎の町を二分して
東から西へ流れる菅生川が長い間かかって下流につくり
だした洪積台地の上にあり、水害でも川の氾濫では被害
を受けないところにある。このことは中学の地理の時間
に習った。中学はその台地のなかの高台にあった。
実家に連絡すると被害はないという。
友人の呉服屋のYに電話をすると、彼の家も被害は無し。
ボーカル大野に電話して、オマエンチはいかがだったか
と聞くと、兄弟のどの家も川沿いではなく高台にあるか
ら大丈夫だと言っていた。
それにしても人口30万人ほどの岡崎で14万人に避難
命令がでたというのはあまりにも凄まじい。たまたまわ
たしの生まれ育った地域が町が高台にかかるあたりだっ
たので、親戚友人にも被害がでなかったということだが、
徳川家康の戦勝祈念の神社である伊賀神社の前を流れる
伊賀川が氾濫し、数万世帯が水に浸かった。
また、すこし東に離れたところにある美合町という町で
は、雷が鳴り響く土砂降りに見まわれ竜泉寺川が氾濫し、
町や道や田畑が大きな池と化しているようだった。
上空からの映像はきっとこの地域だと思われる。
死者が極少なかったのが幸いであるが、亡くなられた方
には心よりお悔やみ申し上げたい。また、大きな産業も
ない岡崎という町は税収も大きくなく役所は少ない金額
で市の経営をしている。
被害総額はいったいいくらになるだろうか。
復興には何年かかるのだろうか。
そんなことを考えていると、あの人からこの人からと何
人もの友人から心配の電話が届いた。
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by kasuya_senji | 2008-08-29 16:32 | Comments(5)
まんのう公園
2008年8月28日

ござるのH氏から、思いだしたかのようなチャチャ入れ
が数日続いたものの、またどうやら飽きてしまったよう
で、なんの音沙汰もなく比較的静かな日々が続いたかと
思うと、また、バッテリーが上がってしまった。

エンジン停止時で通常10ボルトの電圧がなければいけ
ないのだがJAFレンジャーが計ってみると、1ボルト。
新しいのに換えて下さいと言われた。
「ついこの間も上がってしまって、その時JAFの人に
 1時間はエンジンを切らずにと言われたのでそうした
 んですけどね」
「それは私でしたよ」
と言われよく見ると同じJAFレンジャーだった。
故障車の住所と車種を聞いて、ああ同じ車だなとすぐわ
かりましたよとの言葉を残し、レンジャーは颯爽と立ち
去って行った。
やすきよの漫才「男の中の男」に、窮地を救い坊や立派
な大人になるんだよと小遣いを握らせて颯爽と立ち去る
男達が登場するが、レンジャーの颯爽振りはまさにその
漫才に出てくる男達のようであった。

駆けてもらったエンジンを唸らせ近所のガソリンスタン
ドに行き、バッテリーの交換をする。スタンドの店主が
音楽好きで、
「サザンの30周年の集大成のラストライブの最後の曲
 が<マンPのGスポット>じゃないでしょう」
と声をかけてきた。
「天才は錯綜するからなあ」
「でも桑田さんはまともな私生活者だと聞いてますよ」
「まともな私生活者であること自体が錯綜かも」
「観ましたか? ラストライブ」
「いや俺はまんのう公園にいた」
「まんのう公園??? どこですか?」

東京の人に満濃池と言ってもまず知らないだろう。
香川県はおだやかな気候であるが、雨に乏しい国である。
1200年前。讃岐の佐伯氏からでた空海が指揮し土木
工事をおこない農作物用の潅漑用水を溜める池をつくっ
たという伝承が残っている。その池が満濃池。現在は徳
島県を西から東へ流れる四国三郎吉野川を池田市で一旦
せき止め、ポンプで水をくみ上げ、そこから県境の山を
越え潅漑用水は香川県に引き込まれ、香川県の田畑をう
るおしているが、それだけでなくいくつかの潅漑用の溜
め池もあり、満濃池も1200年経った今も現役である。
まんのう公園は、その空海の作ったといわれる池の名前
をつけた国定公園である。そこの芝生の大広場で大規模
な野外イベントが催され、布袋が出演した。その晴れ渡
った現場にいた。よって、雨の日産スタジアム<マンP
のGスポット>は聴いていない。
そのイベント名は「モンスター・バッシュ」。
高知の朋友デューク宮垣氏の会社が主催する。
四国香川県の奥にある公園という交通の便のあまりよろ
しくない条件であるにもかかわらず、2日間で5万人の
動員を誇る堂々たる野外ロックイベントである。
10年ほど前からやっているこのイベントに参加するの
は初めてだった。参加して分かったのは、このイベント
はメインとサブのふたつのステージがあり、出演者が交
互に登場するから楽器のセットチェンジの間の待たされ
ている時間がなく、客席が飽きないという仕立てになっ
ていた。
それにこのイベントのおもしろさは、サブステージには
新人や中堅が登場し、メインステージには名のある実力
バンドが出演するのであるが、サブステージでいい演奏
をし、客の心をつかむ=客に支持されると翌年はメイン
ステージに登場できることで、つまり、出演者も主役で
あり、観客もバンドに対して主役であるという点である。
デューク宮垣氏が、ここの客はほんとうにいいお客さん
だよと言っていたが、その理由は客も主役であるという
この点にあるとみた。
昔昔の大昔。40年ほど前に中津川フォークジャンボリ
ーという野外イベントがあって、或る年、落雷かなにか
の原因でPAが飛んで音がでなくなった。サブステージ
で出番を待っていたのが若き吉田拓郎。これ以上待って
も電源が回復しないと見るや拓郎いきなりステージに飛
びだし、マイクを使わず生声でギターをかき鳴らし、
「人間なんてララーララララララララー」
と叫ぶように歌い始めた。何が始まったかとあっけにと
られていた客も、拓郎に続き小室均、加川良、斉藤哲夫
など他の出演者が続々とステージに登場し、生声で「人
間なんて」を歌いだすにいたって、会場中が「人間なん
て」の大合唱となった。終いには上がれるだけの観客が
ステージに上がり、
「人間なんてララーララララララララー」
というだけの詩のこの歌が延々と2時間にわたり大合唱
され、この演奏で吉田拓郎は一気に伝説のシンガーとな
ったという音楽的事件があった。1960年代。シンガ
ーも観客である若者ももの凄いエネルギーを持っていた
時代である。あの中津川の再現などもうあり得ない話だ
が、仮にあるとすれば、この香川のモンスター・バッシ
ュかもしれないなと思った。ちなみにまんのう公園の広
場に設営されたメインステージは「空海」という名であ
った。
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by kasuya_senji | 2008-08-28 17:42 | Comments(2)
スピード社
2008年8月27日

カウンターを挟んでふたりの男がいる。
一人は60代。もう一人は50代。
この男達には共通項がある。
ふたりとも童顔である。
ふたりとも顔の艶がとてもよろしい。
童顔であるのはたまたまの偶然に過ぎないが、顔の艶が
よろしく60代は50代に、50代は40代にしかみえ
ないのは、ふたりともスイマーであることにある。
60代は、毎朝50分間泳ぐ。
50代は、毎朝60分間泳ぐ。
100メートルの競泳世界記録を約1分として、彼等は
その倍の時間=約2分をかけて泳ぐから、60代は25
00メートル。50代は3000メートルを毎朝泳ぐの
である。
毎朝泳ぐから、毎朝泳がないと気分がよろしくないそう
で、いつも行っている市営プールが休みの時は、別のプ
ールへ遠征して泳ぐ。
泳ぎ始めたのはふたりとも随分前のことであるが、始め
る前はふたりとも泳げなかった=かなづちであったこと
も共通している。で、恐る恐る水に入りよちよちとプー
ルを歩き、それからコーチにHOW TO SWIMを
教わった。そのころは、長めのだぶつき気味のいわゆる
サーファーパンツなどを着用してたようだが、だんだん
泳ぎが上手になるにつれ水着も短くなった。自信が腰回
りに表れてくるようで、いまではふたりとも超短い隠す
物だけ隠しているといったTバックのようなブリーフ型
水着である。おもしろいのは、水着が短くなるにつけ、
学校水着のような黒系の色からどんどんカラフルになり、
今では60代がイエロー、50代がピンクの水着を着用
していることも共通している。
ふたりから、カスヤさんも泳ぎなさいよと奨められるが、
それは丁寧にお断りして、代わりと言ってはナンだが、
水着をプレゼントしたいと申し出た。今回のオリンピッ
クで有名になった英国スピード社の水着である。
ところが、北島選手と同じ水着とはさすがに恐れ入った
ようで、尻込みしながら断られてしまった。50代60
代の男が、Tバックのような物を隠しただけのカラフル
水着をきているというのに・・・、ヘンなの。
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by kasuya_senji | 2008-08-27 17:07 | Comments(1)
野球の夢
2008年8月26日

野球をやっている夢を見た。
きっと昨夜、西麻布の焼鳥屋でSM君とビール飲み、ぼ
んじりやねぎまやつくねやレバーや鳥わさなど食いなが
ら、星野ジャパンをさんざんこき下ろしたから,帰宅して
もその余韻がのこっていて、その余韻のままに寝た。
であれば俺が出場しちゃうぞ! とばかりに夢を見たの
ではないか。
初回の攻撃は1番2番があっというまにたおれ、俺が3
番バッターで、いよいよ俺がバッターボックスに入った
が、そのバッターボックスはバッティングセンターのよ
うにまわりがネットで囲まれている鳥かごで、なんだか
ハンマー投げの選手になったようであった。しかもやや
こしいことにピッチャーの後方から光りが射していて眩
しくてしかたない。これじゃ1番2番のバッターが赤子
の手をひねるようにやられたわけだ。敵もいろいろ工夫
してるなァと妙に感心していると第一球目が投げられた。
ボールがよく見えないがこのあたりだ! とばかりにバ
ットを振りきるとカキーン! という手応えがあって、
夢なのに確かにボールをひっぱたいた手応えがあってボ
ールはピッチャーに向かって一直線。ボールはピッチャ
ーの頭上をこえ、飛びついたショートストップの差し出
したグラブの上をこえ、その勢いのままセンターの頭上
をこえ外野をてんてんと転がった。ライナー性の大飛球
である。俺は余裕で滑り込むこともなく3塁まで走った
ね。夢だから3塁まで走ってもはーはーゼイゼイするこ
ともなくスタンディングトリプルであった。
いよいよ我がチームの4番バッターの登場であるが、た
しか4番は照明家のSSKさんのはずだったのに、バッ
ターボックスに立ったのは、コリアチームの4番バッタ
ー、イ・スンヨプで、ありゃりゃりゃりゃ・・・
俺はどのチームで野球やってんだ。ジャパンのはずだぜ
と相手ピッチャーを見ると上原。審判にタイム! と声
をかけゲームを止めたはずなのに、上原の投げた球をイ・
スンヨプがホームランかっ飛ばしてコリアチームがサヨ
ナラ勝ちをしてしまった。始まったばかりなのになんで
サヨナラ勝ちなの? と頭をかしげているところで目が
覚めたが、起きてみると枕から頭が半分ずれて首がかし
いだ状態だった。夢でも勝てないジャパンであった・・
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by kasuya_senji | 2008-08-26 17:32 | Comments(1)
あーあわただしい。
2008年8月22日

盆休みを終え東京に戻ると、ここ数日なにかとあわただ
しい日が続いた。秋9月からの仕事の件。冬場に予定さ
れている仕事の件。来年の企画の件。この来年の企画に
はいくつか種類があって、それぞれ会って打ち合わす人
が別々だから、日程調整等も隙間を縫うようでありなに
かとあわただしい。

その中の一つは、或る意味では音楽史でありビジネス実
践史でありアート史であり若者論であるから、三田にあ
るK大学の教授に、来年から特別講座を組んだら面白い
ことになるかもしれないよと、暑中見舞いついでに書き
送ると、
「面白いかも知れませんねえ。自分が大学院で持ってい
 る特別講義でこの秋に実験的にやって学生の反応を見
 てみませんか」
と返事が来た。
この教授には、今年の春から特別講義を持ってみません
かと請われたことがある。音楽文化史というジャンルの
講座で、研究者としての教授陣はいますが実践をやって
きた者がいません。音楽ビジネスの実践という角度から
講義をしてもらえば特別講座により深みがでるんじゃな
いかと思うのですが、と言われたのであるが、その時は、
いや僕は教壇に立つ柄ではありませんよ、試験を免除し
てもらって学生として先生方の授業を聴きたいのですよ、
となりに座った女子大生とも知り合えるし、ハハハハハ、
とお断わりしたのだが、教授が今回の企画を面白いとノ
っていただいているとすれば、心配事は一つである。教
授はこの企画をわたしが講義すると考えているのではな
いかということである。 
今回の企画は、自分は企画立案者であるがあくまでもプ
ロデューサーであって実践するのは専門家達である。そ
の専門家達の語る音楽文化アートビジネス若者論が面白
いのである。わたしの出る幕ではない。では、さて、わ
たしは出ないとしても、仮にその特別講義はどう組むか。
誰が講義するか。資料は何が必要か。と慣れないことも
あってなにかとあわただしい。

その間に、オリンピックも観なければならない。別にオ
リンピックなど観なくてもそれはそれでどーと言うこと
はないけれど、オリンピックなんか観ません! と強く
人に主張することなどなにもありゃしないのだから、あ
わただしい合間をぬってテレビ観戦する。それにしても、

「最強メンバーで臨んだにもかかわらず、銀メダルにも
 届かなかった結果は屈辱的とも言える。国民的な期待
 も高かっただけに、そのショックは日本球界に重くの
 し掛かりそうだ。(北京時事)(2008/08/22-14:51)」

と言われるように、星野ジャパンは弱かった。
ソフトボール女子日本代表チームなど観ると、気力で金
メダルを取った! その信念たるや凄い! と思ったが、
星野ジャパンの戦い振りを観れば、気力や信念だけじゃ
どーにもならんよと思わざるをえなかった。断っておき
ますが負けたから言ってるのではありません。仮に金メ
ダルを取ったとしても、わたしは星野ジャパンでよく取
れたなという感想しか持たなかっただろう。もともとワ
ールドベースボールクラッシックの再現など期待してな
かったんだから。なぜかといえば、北京時事はああは言
ってるが、ほんとうにあのチームが最強メンバーだった
のかねえ。 少なくとも故障持ちの選手が何人かいたし、
外野手も内野手も打撃と守備と走塁と強肩のエキスパー
トの集団ではなかった気がするんだがどうだろう。
星野ジャパンが大リーグの1チームだと仮定すると、コ
リアチームの方が断然強いんじゃないだろうかと思うん
だがねえ。それはそれでオツカレサンデシタと言う言葉
を星野ジャパンには送っておこう。選手諸君は帰国して
何を言われても気にすることはないよ。それぞれのチー
ムに戻って、おおいに借りを返してください。

明日のスケデュールを見ると休みである。休みであるの
に、何かやり残したようなものがあって、それをやらな
くちゃいけないようであって、あーなにかと気ぜわしい。
あわただしい。
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by kasuya_senji | 2008-08-22 18:47 | Comments(2)
スタンプラリー
2008年8月18日

1週間留守にして東京に戻ってくると涼しかった。
盆が終わり夏の甲子園が終わり夏が終わってしまったか
のようだ。この夏を忘れないようにこの1週間の精霊を
訪ねた旅を書き残しておこう。

8月13日:伊豆山神社。
12世紀。京での源平の闘いに敗れた源頼朝は、平氏方
の武将北条氏の領地伊豆の韮山へ流された。そこで北条
氏の娘政子と恋仲になり、或る夜、手に手を取って韮山
を抜けだし、相模湾に出て、小舟に乗り伊豆山海岸にた
どり着き、伊豆山神社に駆け落ちした。いい国作る鎌倉
幕府(1192年)の成立十数年前のことで頼朝はしば
らくこの伊豆山神社で政子とともに過ごした。伊豆山神
社は、奈良時代末期やはり伊豆大島に流され、流地で修
験をかさねた役の小角が毎夜毎夜空を飛び大島からこの
伊豆山神社に飛来したという伝承があるが、なにかと日
本史上の流罪人と縁の深いところである。
境内の片隅に、ここで頼朝と政子が口づけをしたと言わ
れるベンチのような石があり、その伝承で伊豆山神社は
縁結びの神として今は知られている。その後政子が懐妊
したことで北条氏の後盾を得た頼朝は一旦千葉に逃れる
が挙兵をし、武蔵、三浦、鎌倉と兵をすすめ、壇ノ浦で
の平氏との最終戦に勝利し1192年に征夷大将軍とな
り鎌倉幕府を建てる事になるのだから、この伊豆山神社
は歴史上の神社と言っていい。地元の物知りのタクシー
の運転手さんから、韮山に流された頼朝は政子と出来上
がる前に伊東氏の娘とも出来上がったようで、この娘は
捨てられた事を恨み韮山に登り自害したと聞いた。まあ
あちこちで女に手を出したらしいですよとも聞いた。
頼朝は、清和天皇の後胤の子孫で京都で生まれ京都で育
った男だから、伊豆の山や海辺の鄙に住む豪族の娘共に
は抜群の知名度を持っていたのだろう。今では、京都の
神護寺にある肖像画は頼朝ではなく別人だという説があ
るが、残されたその肖像画の頼朝は端正な美男子であり、
まあ、もてたことだったろう。
伊豆山神社の境内から快晴の相模湾をながめると青い海
に初島が浮かび、遠く大島も霞んでいた。空にはまっ白
な入道雲。この景色はなぜか懐かしげで、子供の頃に見
た夏休みの風景に見える。でも、なぜ夏の風景はそうい
う思い出を連れてくるのだろう。永遠なるものは人の記
憶であるとフビライ汗は言ったが、その言葉を思い出し
ながら蝉時雨の中、階段に腰かけ海を見ていた。

8月14日:岡崎。父の初盆、先祖代々の盆供養。
15年ほど前に買った1週間くらいの旅用のカバンに荷
物を詰め家を出たが重くてしょうがない。柄をひっぱっ
てゴロゴロと転がしながら歩くがどうにも重いし、その
音がゴロゴロではなくゴトゴトと音がする。ひっくり返
してみると、片方のコロが半分ほど欠けていた。ひぱっ
て歩くのじゃなく半分引きずって歩いていたのだからこ
りゃ重いわけだ。岡崎に着くと呉服屋のYに電話してカ
バンを買いにつき合ってもらった。
午後6時から始まる盆供養が7時を過ぎても始まらない。
随念寺のお坊さんの到着が遅れているのだ。実家には孫
やひ孫が訪れわいわいと賑やかである。うちの祖父さん
=親父は子供達や孫達に人気があったんだなーとあらた
めて思う。そこにいくと俺は、せいぜい長生きしていじ
わるジイサンかなと思っているところに住職あらわれて、
お盆の忙しいところごくろうさまでございますとの挨拶
もそこそこに南無阿弥陀仏の念仏を済ませると忙しそう
に次の檀家へ出かけていった。おいそがしいところごく
ろうさまなのは、盆の供養に集まった我々糟谷家の皆で
はなく住職その人であるとみた。

8月15日:比叡山延暦寺。
比叡山延暦寺の東塔、北谷に最澄が開いた根本中堂を拝
したくて叡山へのぼる。まずは根本中堂の向かいの小山
に建つ文殊菩薩を奉った文殊楼へ拝観する。文殊菩薩は
二階に安置されている。その階段の急なこと。階段では
なくまるで梯子である。自慢ではないが高所恐怖症であ
るわたしは恐る恐るびびりながら下りるときに余計な緊
張をしたのだろう。左足の裏側の筋肉を痛めてしまった。
ピッと痛みが走ったくらいの軽症ではあるが、野口みず
き状態になってしまった。野口君は痛い足を軽く引きず
りながら文殊楼で御朱印をいただき、いよいよ根本中堂
に拝観。中堂の中にいた坊さんに開山いらい続く不滅の
灯明の話を聞いた。
この最澄が建立した天台宗総本山延暦寺の根本中堂の仏
様はお釈迦様ではなく薬師如来である。平城京当時の奈
良の仏教は原始仏教の匂いを強く持っていて、悟りを開
けるのは天才釈迦がそうであったように万人に一人いる
かどうかと説く。最澄は、仏教はそういう一人乗りの舟
(小乗)ではなく大勢の人々が救われる大きな舟(大乗)
であると強く信じ、法華経を極めるために遣唐使として
唐へ渡り天台山で修行し膨大な教典と資料を持ち帰る。
その後叡山から、大乗止観を持つ栄西、道元、法然、親
鸞、日蓮らの名僧があらわれ、日本の仏教史を彩ってい
くことになるのはあらためていうまでもないが、最澄が
叡山に登り今の根本中堂の場所に初めて寺らしきものを
建て、これを比叡山寺と名づけたのは、まだ京に都がで
きる前の最澄22歳のときのことで、そのころから最澄
は衆人の救済という大乗止観をもっていたのは確かだろ
うから、釈迦如来ではなく医として衆人を救済をする薬
師如来を本尊にしたのかもしれないと勝手に想像もした。
根本中堂の御朱印は「毉王殿:比叡山根本中堂」。

8月16日。
糟谷家の先祖代々の人々が眠る浄土宗総本山知恩院に参
拝する。
御朱印は「法然上人:知恩院」。
その後、岡崎の呉服屋のYと京都駅で待ち合わせ、市内
の寺を巡る。
まずは、寺町にある廬山寺。最澄の弟子の元三大師によ
って建立されたこの寺には、どういう分けか法然の著作
書「選択本念仏集」の原本が残されている寺だが、戦後
の調査により、この寺のある場所が平安時代の紫式部邸
跡地とわかり、いまでは紫式部の寺として有名である。
この寺の中庭は枯山水の庭でこの庭がまことによろしか
った。ちょうどいまは桔梗の季節で枯山水の中の浮かぶ
島々に紫の桔梗が涼しげに咲いていて、いつまでも廊下
にすわり眺めていたかったけれど、今日は御朱印のスタ
ンプラリーの日と決めている。次に向かう。
廬山寺の御朱印は「元三大師廬山寺」と「紫式部邸址廬
山寺」。ちなみに元三大師の名は良源で、元日の三日目
に亡くなったから元三大師と諡されたと観光タクシーの
運転手さんから聞いた。
次も同じ寺町にある蓬台山総見院阿弥陀寺。
この寺には織田信長の墓がある。信長の墓は一般的には
豊臣秀吉によって大徳寺境内に建てられた墓が有名だが、
ここには信長が納骨されていない。当時の総見院の和尚
(名は忘れてしまった)が頑として遺骨を渡さなかった
といわれ、現代も信長と死を共にした森蘭丸の森家の遺
族により信長公の墓は守られておりますと住職は言って
いた。ここでは御朱印を申し込むと、冷たい麦茶と京都
の和菓子がだされた。 暑い京都の盆の寺巡り。冷たい
麦茶はのどを潤したが、半透明に薄く焼かれた砂糖にく
るまれたゼリーのなかに小豆がひとつふたつと入ってい
る小さな京の和菓子がシャクシャクとなんともうまかっ
た。菓子を包んだ紙に「鴨川」と名が書かれていたので、
これを土産にしようと捜したがどこの店にも置いてなか
った。
御朱印は「信長公本病:蓬台山総見院阿弥陀寺」。
スタンプラリーは続く。
龍安寺。石庭で有名なこの寺はあたりまえのことだが檀
家衆をもつ。本堂脇の、と打ち込むと本土浮気のと変換
されいちいちめんどくさいが、それはさておき、枯山水
の名庭を観ていると本堂では臨済宗の盆供養が行われて
いて、坊さんが10人も勢揃いしてしきりに声を上げ読
経していた。以前龍安寺を訪れたことがあるYは、ひっ
そりと静まりかえった石庭の印象が強く、庭を観るどこ
ろか本堂の中を珍しげに観ていた。
「おまえのところは浄土真宗じゃないか。禅宗の盆供養
 がそんなに珍しいのか?」
「いやそうじゃなくてさ。以前来たときに、そのあれと
 来たときに、誰だったっけかなあ、あいつだよ、あれ?
 あいつはカスヤ知らなかったっけかァ? そうだねえ、
 あいつは大阪の店にいたときの同期だから知らないだ
 ろうねェ、あいつは音楽好きでねェ、よく大阪フェス
 ティバルホールへコンサートを一緒に観に行ったもん
 だよ」
「そんなこと聞いてないんですけど・・・・」
ちなみに石庭は、禅寺でありながら堂内に座禅場を持た
ない龍安寺の縁側を利用したいわば露天座禅場で、庭に
は15個の石(15=十五夜の月=円=完全型)が配置
されているが、どこに座っても一つ欠けて14個しか見
えない。不足=不完を戒めとして修行に励む禅の精神を
表していると言われている。深閑とした静寂の中で組む
座禅であるから、脇の本堂でどんどんガシャガシャと音
をだし大声で読経されてはYでなくとも心が乱れるのは
しかたない龍安寺であった。ちなみに境内の湯豆腐の店
は良し。
御朱印は「石庭:龍安寺」。
その後、渡来系カモ族の守り神である上賀茂神社、下賀
茂神社と巡り、スタンプラリーは終了した。
上賀茂御朱印「賀茂別雷神社」。
下賀茂御朱印「賀茂御祖神社」。
夜は大文字の送り火。
盆に極楽浄土から帰世した親父の御霊が大の火の点火を
合図に、妙法の読経に送られ、天の舟に乗り、左大の火
に送られ、鳥居をくぐりまた浄土へ帰って行った。

わたしが巡った精霊は、源頼朝、最澄、元山和尚、紫式
部、信長、森蘭丸、糟谷家のご先祖であった。
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by kasuya_senji | 2008-08-19 16:53 | Comments(0)
応援マナーを身につけよう
2008年8月8日

広尾のソバ屋で夕飯。
このソバ屋は西麻布にある料亭が出したソバ屋で、その
本店で日本料理からソバ打ちまで修行した料理人が台所
に入っていて、料亭よりはちょいと気軽に料理もソバも
楽しめる店で、ソバ好きにも酒好きにも愛されている店
である。今は夏の鱧。寒くなれば冬の河豚が美味い。

で、鱧をつつきながらそこでの会話。
「北京オリンピックの野球の準決勝のチケットが手に入
 りそうだと連絡がありました」
「いったい誰が手に入れるんだね」
「野田岩君です。どうやら直前になって余ったチケット
 が代理店に回ってきたようです」
「日本の大手旅行代理店の人気競技観戦ツアーも半分ほ
 ど売れ残っているらしいからなあ」
「らしいじゃなく完全に売れ残ってます。ネットで見て
 も売れてないですよ。100万円のツアーを売り出し
 たんですよ。誰がいくんですかそんな高額で。だから
 ここにきて半額にしています。それでも売れない。あ
 いた口が塞がらないですよ」
「ここにきて、景気が踊り場じゃなく下降気味だと麻生
 がさっそくアナウンスしてるくらいだから、ほんと景
 気動向は読みにくいものだなあ。でも、5年後はどう
 なってるか誰にもわからんが、今回のざまじゃ実績に
 ならないから次のロンドンオリンピックのチケットの
 日本への割り当ては削られるだろうな」
「だから、旅行代理店は関係各社にそーとばらまいてる
 らしいす」
「野田岩君にもその筋かい?」
「違うでしょう。彼のとこは代理店といっても旅行じゃ
 ないですから、きっとスポンサー筋からでしょう」
「北京の矢野君が野球が観たいけどチケットが手に入ら
 なくて、テレビ観戦しますといってたから、矢野君も
 誘ってやれるかい?」
「そう思って話しました。よかったら矢野君にわたしに
 連絡くれるよう伝えてください」
「準決勝か。俺も観たいなあ」
「来ますか。用意させますよ」
「いや無理だ。親父の初盆やらなんやかやでそうそう東
 京を離れられないよ。でも準決勝と言っても星野ジャ
 パンが観られるとは限らんな?」
「運次第でしょうね。準決勝は2試合あります。手に入
 チッケトも第1試合なのか第2試合なのか。果たして
 ジャパンが勝ち残ってくるのかこないのか。まあ運で
 す」
「強敵はアメリカだなあ。監督は昔巨人にいたデーブ・
 ジョンソンだが、この選手巨人では引退した長嶋の代
 役って期待されて本職ではない3塁守らされて見事に
 期待はずれ。まあ、翌年に本来の2塁手になってそれ
 なりの活躍はしたが、選手としては強烈な印象がない。
 ところがどうだ、大リーグにもどって引退すると監督
 になり、2度もチームをワールドシリーズに連れて行
 ったという凄腕監督だ。北京に連れてくる選手はマイ
 ナー・リーグの若いやつとはいえ、かなり強敵だな」
「でも日本では星野をさっぱり打てず三振ばかりしてい
 たというじゃありませんか。星野はその調子でやって
 もらいたいですね」
「そう、その調子で頼みたいよ。頼むぜ! 星野って」
「ところでロンドンは野球はないんですよね。なんでで
 すかねえ」
「野球やソフトボールまで競技が広がったのはサマラン
 チの時代だよ。彼はもともと商人で、アマチュアリズ
 ムのオリンピックがモスクワ、ロスアンゼルスとボイ
 コット騒ぎの時のIOC会長。ボイコットを避けるた
 めには政治的な力を持たねばならんと、かなり政治の
 介入を受け入れた。いやむしろ政治に介入した。北京
 オリンピックなどはその象徴だよ。ついでにビジネス
 マンとしてスポンサーも受け入れた。ついでにスポン
 サーからの要望のプロの参加を受け入れた。オリンピ
 ックが政治ショウになりど派手な演出で祭典として巨
 大な集金マシンと化したのは、サラマンチの功罪だな。
 野球もソフトボールもオリンピック最大のスポンサー
 であるアメリカの競技だというのも象徴だな。
 ところが、現在のIOCの会長のロゲはオリンピック
 の肥大化を引き継ぐつもりはない。いかに政治の介入
 から距離をおくか。いかにコンパクトに大会を運営す
 るかを目指しているから、参加200余国で馴染みの
 ない競技、野球&ソフトボールは、ロンドンでは採用
 されないっちゅうわけさ」
「政治の影響を避けるために政治に介入したんですね。
 近代オリンピック。はらんでますね矛盾を」
「サラマンチよりロゲを指示したいな」
「そういえば、北京で日本のアマチュアチームと中国代
 表の親善試合があって観に行ったんですよ。笑っちゃ
 ったのが、中国の観客が野球の応援の仕方を知らない
 んで、ついでに応援の練習もしてましてね。ウエーブ
 もやるんですけどばらばらでどうにもかっこつかなか
 ったですよ。それと7回の裏の攻撃の前にYMCAか
 けながらグランド整備するんですよ。ヤンキースタジ
 アムの名物ですよねあれは。それと、7回の裏の攻撃
 の前セブンイニングストレッチもやるんですよ。あの
 大リーグでお馴染みの。あれは敵も味方もなく観客が
 立ち上がって全員で歌うんですよねえ。僕らは野球大
 好きだーって。ところが訓練している中国人だれもこ
 の歌を知らない。しかも英語。ただ係員にいわれて所
 在なく立ってるだけ。まあ、応援マナーを身につけよ
 うってことでしょうが、なにもかもかっこだけ真似し
 て間に合わせようってのがバレバレ。大笑いしました
 よ」
「ハハハハハハハハハ・・・。その話きいてると見てみ
 たいなと思うけど、ま、話聞いてるだけで笑えたから
 行かなくてもいいかな。野田岩君と矢野君と君で大ウ
 エーブやっといてくれ。頑張れ! 星野ジャパンって」
「ジャパンが観られるかどうかはわかりませんよ」
「その時は客席観てるだけでいいよ」

てな、話題はついオリンピックという食事会でした。
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by kasuya_senji | 2008-08-08 19:04 | Comments(3)
SF
2008年8月6日

今日は広島に原爆が投下された日。
子供の頃は、毎年新聞の1面のトップニュースはこの記
事だったが、最近は様子が違ってきているようだ。63
年も経つと人々の記憶の中から、あの忌まわしい出来事
も薄れていくのだろうか。たいがいの新聞は時節がらか
オリンピック関連のニュースが取り扱われていた。

子供の頃にはよくあった物だが今はあまり見かけなくな
った物に、サイエンス・フィクション=SFがある。
まったく見かけないわけじゃないけど、映画も小説もあ
まり見かけなくなってきていることは事実だ。
なぜ、SFを最近みかけないのだろうかと友人と話した。
いろいろな意見があったが、要約するとこういうことじ
ゃないかという話に落ち着いた。
<僕らが子供の頃に見たSFに描かれた未来に到達して
 みればそうではなかった>
ということだ。
空を越えて星の彼方まで行くぞー!とジェットのかぎり
飛び続けた科学の子・鉄腕アトムが生きた時代は20世
紀末で、すでに21世紀に住む我々は、アトムが飛んだ
時代が来なかったことを知っている。
数百万年前、猿人が闘いの武器としての棍棒を放り投げ
ると、くるくると棍棒はまわりながら暗黒の空間に浮か
ぶ宇宙ステーションになった。このシーンだけで人間の
進化を一瞬にして表したスタンリー・キューブリックの
2001年宇宙の旅は、巨大コンピューターに支配され
る2001年の未来を描いたが、2008年の今日はそ
うなっていない。
リドリースコットが2019年のロスアンジェルスを描
いたブレード・ランナーは、核による第3次世界大戦の
あとの物語だが、この物語にはCO2の排出による地球
温暖化という環境条件がまったく入っていない。
スターウォーズは遙か昔の遙か彼方の銀河の物語である
ので現在の地球が置かれている状況環境と比べるという
ことはできないが、それでも高度に文明が発達した科学
技術を持っている人、生き物たちが宇宙の覇権を善悪の
思想で争うなどあり得ないと僕らは知っている。
もちろん、それらの物語もなにかしらの現在を示唆して
いるのだろうと思うが、今や高度な技術文明社会に生き
る人々にとって、SFはファンタジックでもなくロマン
ティックでもなく、かって夢を見期待した分よけいに役
立たずであり、クリエイティブの主流から外れているの
である。外れているから見かけないのである。

でも、そうだろうか。
これは検証をしていないから不用意な話だとことわって
書くが、或る科学者がゴビ砂漠を全部ソーラーパネルで
埋め尽くすと現在地球上で使われているすべての電力が
まかなえる、と言っている。地球儀で見れば巨大なゴビ
砂漠も豆粒ほどの大きさでしかない。この話を聞いたと
き、
ウソー! なんでやらないの? やればいいじゃん!
と思った。
こうも思った。
化石燃料を使うのではなく電気の時代だ。言いかえれば
モータリゼイションの時代ではなくレイルロードの時代
だ。電気は火力発電ではなく原子力発電でもなく、地球
の自然環境から得られる風や水や太陽の光を使えば大気
汚染はいっさいない。そうなれば、上海からヨーロッパ
までユーラシア大陸に網の目のように横断鉄道を走らせ
人々の移動と流通をになうことができる。サハラに作れ
ばさらに現在の使用電力を2倍3倍と遥かに超えるエネ
ルギーを確保することができる。アフリカ横断縦断鉄道
も可能である。アメリカ大陸縦断鉄道もありだ。オース
トラリアなんか砂漠だらけじゃないか。オリンピックじ
ゃないけれど、ヨーロッパ・アジア・南北アメリカ・ア
フリカの5つの大陸を太陽電気で流通のネットワークを
実現することができる。勿論道路も作れ。電気自動車が
世界中を走りまくるんだ。電気飛行機も今の技術があれ
ば、遅かれ早かれできる。不毛の砂漠が地球を救うので
ある。
いやーこの発想は無かった。これで地球は救われたかな。
だけどこうも思った。
できないだろう。ゴビ砂漠にソーラー発電所を建設し世
界中に電気を供給するのはどこなんだ、誰なんだ。ゴビ
砂漠があるのは中国だろう。であれば世界の生命維持装
置を中国がにぎることになる。言いかえれば世界の覇権
を中国がにぎるのである。
世界の警察を自負し、核の保有に関して指導権をにぎり、
NTP未加入国の北朝鮮やインドやパキスタンを特例を
もって核保有国と認めながら、NTP加入国のイランへ
はまた別の規制をかけるという核にたいしてダブルスタ
ンダードをとり続けるアメリカはそれで良しとするの?
世界帝国を築き上げようとしている天然ガス埋蔵量世界
一のロシアはそれでいいの?
イランは? EUは? 日本は? 北朝鮮は?
国の管理じゃなく国連管理なら可能か?
百年やってもまとまらないだろう気がする。
じゃあ、ゴビはやめてサハラにしたときはアフリカ諸国
は統一見解がもてるのか? 政治的に成熟していないア
フリカ諸国が世界経済のバランスがとれるものだろうか?
こう思うと、わたしは技術で地球を救えるとわかってい
るのに、ただただ破滅にむかっているのが現在の地球で
あるように思える。

政治によって救えるという妄想は捨てるべきである。
せめて科学技術に裏付けされた明るい未来はSFによっ
てでしか示唆できないのではないかと思うのである。
あたらしいSFが描く未来を自分たちの実現可能な未来
として、その実現に立ち向かうのは、まさに、地球に住
むすべての人々ではないだろうか。
こんな話SFでしか書けない。
今こそSFの時代だと思うのである。
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by kasuya_senji | 2008-08-07 17:14 | Comments(0)
小旅行
2008年8月6日

8月4日の月曜日。岡崎市にある浄土寺・随念寺で先年
の9月に亡くなった親父の初盆の法要がおこなわれた。
参加したのはおふくろ、わたし、2人の妹の4人で親父
の糟谷家のひとびと。

東海道が東から岡崎城下に入ると、防衛上の理由から伝
馬町の中程から道は一旦南へ、次を西へ、次を北へ、西
へ、南へと曲がりに曲がり岡崎宿二十七曲がりと呼ばれ
た。そして道は岡崎城門前をかすめるようにしてまた北
へ西へ南へをくりかえし矢作橋を越え城下を西に抜けて
いくのだが、その二十七曲がりが始める直前の高台に建
つ徳川時代初期に建立された寺が随念寺である。
東海道を上って来る人々はその徳川家ご威光の寺を右に
見て、やっと岡崎の宿にたどり着いたのを感じたものだ
ったといわれた。
ところが、明治期になると廃仏毀釈の法でこの由緒ある
寺も寂れた。太平洋戦争当時はともかくも終戦後は荒廃
がすざまじかったといわれる。戦後、今の住職が別の寺
から来て随念寺の住職となり、ひろい境内と立派な伽藍
をもつ古い寺を管理し再興したのである。
住職が来た当時は伽藍も痛みきっていて屋根も傾き雨漏
りもひどく、裏山は荒れに荒れ、大工も寺男も雇う財力
など無く、女房とふたりだけでそりゃたいへんな苦労を
したものですと和尚さんは言っていた。今は本堂脇の建
物にある能舞台も再興され、また本堂裏手の茶室も再建
され、いかにも徳川家御用達の三つ葉葵のご紋をいだく
浄土寺という威厳を保っている。
さて、朝11時から本堂で初盆の供養がはじまった。
はじまってしばらくするとサイレンを鳴らし境内に救急
車が飛び込んできた。5人のお坊さんの、ありがたいナ
ンマイダブナンマイダブの読経もパコー、パコー、パコ
ーというサイレンでかき消されそうなけたたましい勢い
だった。いったいなにがあったんだとおふくろも妹たち
もわたしも座ったままであったが、首を伸ばし、本堂の
窓から見える救急車を目で追った。救急隊員があわただ
しく境内を駆け巡り誰かが担架に乗せら救急車はまた、
パコー、パコー、パコーとけたたましいサイレンを鳴ら
し遠ざかっていった。遠ざかる時はドプラー現象であっ
という間にサイレンは小さくなり境内は元の静けさをと
りもどしたが、気がつくといつの間にか親父の初盆の供
養の読経は終わっていた。
読響が済んで卒塔婆を受けとり本堂脇の建物の控え室に
もどると、やはり初盆の供養でいらしていたどこかの家
のおばあちゃんが、この暑さで熱中症で倒れたと聞いた。
14日の盆の中日に家に来ていただける住職と簡単な打
ち合わせを済ませ、おふくろ・妹達とわかれ岡崎の実家
をあとにし熱海に向かった。

熱海ではひろい大浴場をひとり占めで温泉にゆっくりと
つかることができた。いやー極楽極楽とつぶやいたあと、
そういえば、極楽といえば浄土にいる親父への何無阿弥
陀仏の読経が中途はんぱになっちゃったなー、親父が生
きてたらきっと叱られるなと、湯の中で、ナンマンダブ
ナンマンダブと唱えた。どっぷりと口のあたりまで湯に
つかっていたから、ナンマンダブと唱えるとボコボコと
泡がたった。
温泉を出、部屋に戻ると布袋のツアーマネージャーのS
から、当日大阪で行われたビートクレイジースペシャル
ライブもお客さんにたいへん喜んでいただけましたと連
絡があり、明日名古屋でお待ちしていますとのことだっ
た。
Sからの報告を受け、ベランダに出て遠くに霞む熱海の
町を見下ろしながらちめたーいビールを飲んでいると舞
台監督のエサ爺こと江坂から、ご注文の皿、月に兎が完
成しましたと電話が入った。
「ずいぶんかかったねー」
「はい。ずいぶんかかりましたです」
月に兎という構図の皿は江戸時代によく焼かれた皿で、
大名が求めた伊万里焼き柿右衛門作品とか、九谷焼の大
皿という芸術的名品ではなく、裏長屋に暮らす八っつぁ
ん熊さんの家で使っていたいわば生活道具で、大事には
使われたんだろうが家宝のように代々伝わるものではな
く、しかも江戸中期ころには流行も変わってしまいこの
月に兎という構図の皿も焼かれなくなり、それゆえ現代
に残っていない。
だからね。この皿を陶匠・江坂(焼き物作りは彼の趣味)
の手で現代に蘇らせてよと頼んだのが、3年も前のこと
だったから、まあずいぶんと時間がかかったものだ。
出来上がりが拙ければ届けませんよとエサ爺は言ってた
けど、出来映えはたいへんチャーミングで作陶した本人
も気に入ったのだろう。届けられた皿には名料理人・名
陶匠北王路魯山人をもじって、北千住江山人と銘がふっ
てあった。

翌日、熱海駅に行くと駅が人でごった返していた。
昨夜熱海にいるわたしを訪ねてきた地元の不動産屋の向
日葵君が、
「いや夏休みに入りおかげさまで熱海には人が押しよせ
 てきていまして景気がよろしいんです。景気がよろし
 いと申しましてもですね、訪れる人々は不動産を買い
 求めにくるのではございません。海へ温泉へと繰りだ
 してきているんでして、わたし共の商売のお客さんで
 はないですから店は閑散としていますです。それでも
 ここに来た方々が熱海を気に入っていただければ将来、
 セカンドライフは熱海がいいんじゃないか、熱海に別
 荘などあったらいいんじゃないとなればわたし共の出
 番でございます。ありがたいことでございます」
と言うのを聞いたから、熱海駅に人がごった返している
もの向日葵君にも悪くないなと思ったが違っていた。
伊豆半島の下田が局地的なゲリラ土砂降りで伊豆急が熱
海から先が不通になり、海へ温泉へと伊豆半島をめざし
てやってきた人たちが、立ち往生する人、みどりの窓口
へ殺到する人と大混雑をしているのだった。
せっかくの休みがこれで台無しだ−。
おかーさんわたしこんなとこいやだー。
となれば、向日葵君のひそかな野望も実になり得ないの
じゃないかと心配した。
みどりの窓口で並ぶのも時間がかかりそうだったので入
場券を買って新幹線のホームへあがるとちょうどこだま
号が滑り込んできた。タイミングよろしい。名古屋へ向
かう。

エルで行われたビートクレージーライブを観て、ライブ
終了後スタッフ一同を連れて伏見の香蘭園にでかけ夕食
会を主催する。名物の老酒(朝鮮人参が溶け込んでいる)、
餃子、もやし炒め、ニラ炒め、豚肉の天ぷら、チャーハ
ン、焼きそばなど食ったがどれを食っても美味い。
中国から来ている店員の姐さんのカタコトの日本語もい
い味をだしている。70をとうに過ぎたおかみさんのど
派手な化粧もいい味をだしている。おかみさん髪みどり
に染めてますーと始めのうちこそ驚いていたスタッフも
酒の美味さ、飯の美味さはに満足してくれたようだった。
帰るときおかみさんからKさんのご紹介でしょうかァと
聞かれたから、いやそうじゃないよ、何度も来てますよ
と言うのもナンだったので、そうですよKさんの紹介で
きましたよと答えると、Kさんによろしくと言われた。
ホテルに戻ると、Kさんから、今日は飯に参加できなく
すいませんでしたと電話が入った。
参加できなかったのはそちらも仕事だったんだから気に
しなくていいよ。それよりも彼女がよろしくと言ってた
ぜ、と言うと、
彼女???? 誰のことですかァ・・・
と不審そうな声が電話の向こうから聞こえた。
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by kasuya_senji | 2008-08-06 15:26 | Comments(0)
見果てぬ夢近代オリンピック
2008年8月1日

2006年の8月13日から書き出した岡崎堂ブログも今
月で丸3年を迎える。

「書いてみてくださいよとそこまで言われれば書く気にも
 なるけどね。言っておくけど三日坊主だよ。よし! 今
 年は日記をつけるぞ! と初詣で願かけても続いた試し
 がないんだ。誰かが言ってたぞ。水上勉だったかなあ、
 三島由紀夫だったかなあ、三島じゃないか、とにかく有
 名な小説家の誰かだ。あっ! 思い出した。開高健だ。
 開高先生ゆうてたぞ。だいたい日記なんて言うものはど
 こかに自分に都合よく嘘を書くものだから日記なんて書
 くものじゃないって。で、書き出すとやっぱり都合良い
 嘘書いちゃって、自分で嫌になって三日坊主でしまいな
 んだ。開設そうそう閉店なんとこともあり得るよ。それ
 でもいいの?」
「それでもいいです。日記じゃなければいいじゃないです
 か。その時思いついたことを書いていただければよろし
 いんでございますよ」
「・・・・・・・」

と始まったものの続くわけがないと思っていたのにまだ続
いている。思い出せば2年目に入った去年の8月に、いつ
までもこんなことやっててもしかたない。今年からはある
主題をもって書くべしと主題を40程数え上げ、それにそ
ってあらためて書きだしたものの、その40の主題が終わ
ってしまえば元の木阿弥。エキサイトの担当者の言ったと
おりのその時に思いついたことをダラダラと書いている。
こう書いてるわたしもダレ切っているのだから締まるわけ
がない。
しかし、世の変遷というものは、知らず知らずのうちにゆ
っくりとやってきて、気がつけばいつの間にか変わってい
るというようなものであったが、最近は変遷が早い。あっ
という間にやってくる。数年前にナスダックに上場した新
規事業会社が数十億にものぼる自己資金を市場から得、ま
あなんとうらやましいやっちゃなと思ったものだが、あっ
という間に消えてしまっていると言う有様で、IT時代は
なにもかも油断の隙もあったものではない。現に私にブロ
グをそそのかしたエキサイトの担当者は今はもういない。

北京にいる矢野浩二君からメールが来た。せめて野球は見
たいけどチケットが手に入りません。家でゆっくりオリン
ピックをテレビ観戦します。と書いてあった。
そうだオリンピックだ。来週の今日からオリンピックが
始まるんだと自分の中のオリンピック気分を盛り上げよう
と、市川崑総監督作品の「東京オリンピック」をDVDで
見た。
すべとの映像はフィルムで撮影された。
しかし、フィルムでよくあれだけ撮ったものだ。ご存じの
ようにフィルムはテレビカメラと違い電源さえ入っていれ
ばいつまでも撮り続けられるというものではない。フィル
ムのフィート(長さ)だけしか撮れない。一本のフィルム
で15分程ではなかったか。100メーター走や柔道など
一本のフィルムに収まるが、マラソンなどは2時間以上も
時間がかかる。カメラを乗せた車を走らせながら、フィル
ムを入れ替えながら、42,195キロのポイントポイン
トにカメラを配置しながら撮る、入れ替えるを繰り返すの
である。いったい全体、開幕式から全ての競技、そして閉
会式までどれだけのフィルムが必要だったんだろう。それ
からの現像・編集作業を考えると気が遠くなるような時間
との闘いである。
そして、この「東京オリンピック」は、あらゆるシーンが
国を超えた人間と人間の闘いであり、勝者も敗者も美しい。
近代オリンピックの「参加することに意義がある」という
精神が光り輝いていた。人間の祭典・オリンピックを真っ
正面から捉えた素晴らしい作品であった。
最近の風潮の、金でなきゃ意味が無い的な、金金金金金の
大合唱がいったい何の意味を持つのだろうか。
この映画のラストシーン。真っ暗な夜空を焦がしていた聖
火がすこしずつ弱くなり最後にフッと消えた瞬間。画面に
書かれた文字はこう語っていた。


聖火は太陽へ帰った
人類は4年ごとに夢を見る
この作られた平和を
夢で終わらせていいのであうろか


ちなみに。
近代オリンピックの歴史はこうである。
第 1回 1896年 アテネ/ギリシャ
第 2回 1900年 パリ/フランス
第 3回 1904年 セントルイス/アメリカ
第 4回 1908年 ロンドン/イギリス
第 5回 1912年 ストックホルム/スウェーデン
第 6回 1916年 ベルリン/ドイツ→中止
第 7回 1920年 アントワープ/ベルギー
第 8回 1924年 パリ/フランス
第 9回 1928年 アムステルダム/オランダ
第10回 1932年 ロサンゼルス/アメリカ
第11回 1936年 ベルリン/ドイツ
第12回 1940年 東京/日本→返上
           ヘルシンキ/フィンランド→中止
第13回 1944年 ロンドン/イギリス→中止
第14回 1948年 ロンドン/イギリス
第15回 1952年 ヘルシンキ/フィンランド
第16回 1956年 メルボルン/オーストラリア
第17回 1960年 ローマ/イタリア
第18回 1964年 東京/日本
第19回 1968年 メキシコシティー/メキシコ
第20回 1972年 ミュンヘン/西ドイツ
第21回 1976年 モントリオール/カナダ
第22回 1980年 モスクワ/旧ソ連
第23回 1984年 ロサンゼルス/アメリカ
第24回 1988年 ソウル/韓国
第25回 1992年 バルセロナ/スペイン
第26回 1996年 アトランタ/アメリカ
第27回 2000年 シドニー/オーストラリア
第28回 2004年 アテネ/ギリシャ
第29回 2008年 北京/中国
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by kasuya_senji | 2008-08-01 15:49 | Comments(2)

 
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