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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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セイロとチャンミー
2008年9月29日

大阪の上町筋にのぼっていくからほり商店街の坂のとち
ゅうにお好み焼きやがあって、そこで食べたもやしとバ
ラ肉のセイロ蒸しが忘れられなく、セイロを買ってきた。
いぜんはあのセイロ蒸しが食いたければそこにいけばい
いのだと思っていたが、いまはそうして使う時間以外に
使いたい時間があるような気がして、自分でつくること
にした。
2週間前の土曜日。やっとセイロを手に入れた。いわゆ
る家庭内でつかう食器類などは自分で買いにいかないか
ら、セイロがどこで売られているか検討がつきかねた。
わかっているのは横浜中華街のどこかの商店。合羽橋商
店街のどこかだが、わざわざ出かける気になれなくてつ
い近所の大手スーパーの食器売り場を訪ねるのだが、土
鍋が暑いうちは展示販売されていないようにセイロも季
節商品のようで、もうすこし寒くなると置くんですけど
ねえとなかなかみつからなかった。かみさんがあそこな
らあるんじゃないのとアイデアをくれ、出かけたあそこ
にやっとおいてあった。どこよりも安い! が売り文句
のあそこでもセイロ鍋と蓋のセットで9000円もした
のは手作りの竹製品だからしかたないか。

まずは、もやしとバラ肉のセイロ蒸し。
中華鍋に水を張り、セイロを置き、もやしを敷きつめる。
かるく塩こしょうする。バラ肉も1枚1枚はがしかるく
塩こしょう。蓋をかぶせ、中華鍋に火を入れ水を沸騰さ
せる。これだけである。
たれはポン酢。ポン酢も自分の好きずきでつくればいい
のだが、柑橘類の絞り汁に醤油をくわえ、みりん、鰹節、
昆布をくわえた調味料をポン酢というとあるが、分量が
よくわからない。ポン酢で失敗してもやしとバラ肉のセ
イロ蒸しまでオジャンにするのはイカガカ・・・
市販の物を用意した。
季節だなとかぼすポン酢を用意した。
それにニンニク、ショウガ、ゆず胡椒、ラー油、和芥子
などの薬味も用意。
何分間蒸せばいいのかわからないが、まあ、蓋をあけて
中を時々覗きこみ、バラ肉の赤みが真っ白になっていれ
ばよかろうと蒸し時間は適当だったが、まあ、これが美
味かった。バラ肉はお好み焼きやで出すような値の安い
肉こそいいのですと後日Sに教わるのだが、ついよき物
をと鹿児島産の黒豚の最高級品をきばった。もちろん黒
豚グー! であったが、食ってみるともやしバラ肉セイ
ロ蒸しのバラ肉は脇役であって、主役はもやしであった
からS君の助言も当たっているのである。
ちなみに魚は沿岸ものがよろしい。伊豆半島近海で穫れ
る金目鯛などは、その淡白な身に油がのるというもので
ありまして絶品です。
そしてセイロ蒸しはなににでも対応できる。もやしを敷
いて白身の魚をのせれば、もやし白身蒸しになるし、キ
ャベツを敷いておきまりのシュウマイやら餃子を蒸して
もいい。とくにシュウマイはいいね。上記の薬味入りポ
ン酢のバリエーションでもよく、ウスターソース、甘め
のおたふくソース&和芥子もたいへんよろしい。冷えた
ビール結構すすみますし、冷えた白ワインもベーリーグ
ッドでありました。
餃子は好みが分かれるところ。蒸しや茹での中国本場で
は主役になれない焼き餃子のいいところは、あの焼き上
がりの香りであるから、それが好きな人には餃子蒸しは
もの足らないかもしれない。
まあ、いずれにせよ蒸す事でバラ肉のあぶらも落ちるし、
直接湯や火にかけないことで野菜の養分や旨味がこわれ
ることもない。もやしではそう感じられないがカボチャ
の薄切りやタマネギ人参などは野菜がもつ本来の甘さが
とてもよろしいのである。ダイエットを目指す人にも是
非! とおすすめする調理法であります。
ダイエットといえばバナナダイエットが巷間評判で、夕
方になるとスーパーからバナナが消えてしまうらしい。
なんでも森公子さんがバナナダイエットで成功したとテ
レビで紹介していたが、番組のパーソナリティーの加藤
浩次の、
「森さんの5キロ10キロは誤差じゃないですかア・・」
には笑えた。

包丁をつかいこなす玄人はだしの素人料理人のM君を唸
らせてみようとセイロ蒸し&ワインの夕べに招待の電話
をかけると石垣島にいるという。会社の同僚と4泊5日
の旅行らしく、半日かけてのトラッキングにも挑戦した
ようで、足腰がキツクテ・・。いずれにせよ日曜日には
東京に戻りますと言っていたが、戻ってきていない。
先週フィリピン沖で発生した台風15号(チャンミー)
に襲われ石垣島で足止めを食らっているのである。
石垣島出身の東京在住人がおどろくのは台風の早さであ
るらしい。八重山諸島あたりでは偏西風にたちむかって
北上する台風は時速20キロくらいのスピードしかなく、
2日がかり3日がかりで諸島を横切るのである。M君は
土曜日の朝、明日日曜日には東京に戻りますから月曜の
打ち合わせには顔だしますといっていたが、まあ、水曜
日くらいまでは飛行機の離発着はできないだろう。
石垣島の繁華街の波止場付近のホテルにいますが、風速
80メーターを超えました。ものすごい風であります。
僕ら一行は飯を食いに出るのもままなりません! とM
と同行しているY氏はレポートしてきたが、中心気圧9
85ヘクトパスカルではいくらなんでも80キロはない
だろう、おおげさなと思った通り気象情報によれば最大
瞬間風速は35メートルと発表されていたが、海のすぐ
そばに建つホテルにいれば、体感気分風速は80キロで
あったかもしれない。
いつかのこと。沖縄本島の万座ビーチで台風の直撃を受
けたことがある。最大風速が何メーターであったのかお
ぼえてないが、真夜中過ぎまでゴーゴーと恐ろしい風の
音が鳴り響き、風に煽られた雨が時おりバシャ!バシャ!
バシャ! と窓に叩きつけられ、窓が割れるんじゃない
かとも思った。まるで暴雨風地獄のなかに放り投げられ
たような気分になったものだった。
あの時は僕はまだ若い馬鹿者で、
「おい。こんな機会はない。ビーチまででて、砂浜にし
 がみつきながら暴風雨酒を飲もうじゃないか」
というI先輩の提案に、そのくらいの度胸ならあります
ぜとひるむ事なく非常口をこじ開け、オリオンの缶ビー
ル片手に海岸へでてみると、風で立っていることもでき
ず、歩伏前進する顔めがけ速射砲のような砂まじりの雨
にたたきつけられ、あまりの痛さにほうほうの体で逃げ
帰ってきたが、非常口が空いたのでなんらかの警報が管
理室で鳴ったのだろう。ホテルに帰り着く直前に重装備
し手に懐中電灯や救助用の縄を持った警備員が現れ、抱
きかかえられるようにホテルに連れ戻されたが、あとで
温和なホテルの客室係の人から赤鬼のごとく怒られ、一
晩中こってりと油をしぼれらました。良い子はぜったい
にまねをしてはいけません。
さて、石垣島のMご一行は今朝の7時に空港に行きキャ
ンセル待ちを9時間したのち、やっと4時の飛行機が那
覇まで飛ぶ事になった。したがって今日の夕方の会議に
は出席できませんと連絡が入った。会議はともかく無事
に帰ってくるようにとつたえたが、YやMの事だ、きっ
と那覇に着くなり、一番の繁華街・松山のネエちゃん系
の飲み屋に繰り出し、
「いやたいへんな目にあったよ。風速80メーターって
 どんなものか知ってる? なにもかも吹っ飛ぶんだぜ。
 みなとの漁船もいくつかは吹っ飛んだよ。ありゃ恐ろ
 しかったなア」
「いやいや。そんなものじゃない。風速100メーター
 は超えていたんじゃないかア。ホテルがぐらぐら揺れ
 てホテルが吹っ飛ぶかと思った。死ぬかと思ったよ。
 こうして生きているのがホントに不思議なくらいだ。
 でも、いきているからこそ君に会えたんだね。そう思
 えば台風チャンミーもすてたものじゃない。ではもう
 すこしこちらに寄りなさい。乾杯!」
などと今夜はやらかすにちがいない。
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by kasuya_senji | 2008-09-29 14:13 | Comments(0)
忙中閑
2008年9月25日

東大寺の南大門の建築様式「天竺様式」について書かれ
ている雑誌を捜そうと本棚を眺めていた。

南大門の建築様式はそれまでの日本にはない摩訶不思議
な様式で、まるで唐天竺にあるらしい建物のようだと、
「天竺様式」と呼ばれたが、天井を張らず力学構造がむ
きだしになっているような様式は、天竺=インドにあっ
た建築様式かどうかは別にしても、中国人が設計に参加
していた事はどうやら本当らしい。
この様式は、南大門が再建れた鎌倉時代に一瞬登場する
るだけでその後日本には根付かず、いくつかの寺院が残
されているだけだが、そのいずれの建物も南大門再建普
請をした俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が
建てたものである。
数年前のこと。芸術新潮 の東大寺の特集号に南大門のこ
とがくわしく書かれていた。雑誌を買ってその記事を読
んでいるとき友人のTから連絡があった。

「最近はなにかおもしろいことあるかい?」
「東大寺だな。南大門。建築様式。日光月光菩薩。四天
 王像。正倉院。知の宝庫だな。今手元にあるこの雑誌
 の特集号はおもしろいぞ」
「ちょうど本屋に行こうと思っていたところだ。手に入
 れるよ。読んだらまた連絡する」

こんなやりとりをして、その後、Tから一度東大寺南大
門を見に行こうじゃないか、秋の大和路で見る月もよさ
そうだなと旅を約束したたまま、数年後、Tは帰らぬ人
となった。10月18日に東大寺を訪れるが、ROCK
好きだった亡きTと同行二人旅をするつもりでいる。そ
れで、その雑誌を捜していたのである。

ところが毎度の事だが捜そうとすると本や雑誌はするり
と逃げ出したかのように見つからない。雑誌がおいてあ
るコーナーで一冊一冊背表紙を見ながら、
「皇室と日本人」
「大相撲礼賛」
「百周年の満鉄」
「ニッポンの勲章」
これらはランティエだな。角川春樹さんらしく右がかっ
ているな。角川物以外はなにがあるかな。
「白州正子の世界」
「横尾忠則 電脳カーニバル」
「淋派」
「シルクロード夢紀行」
「画狂葛飾北斎」
「こだわりの家作り・積水ハウス刊」 
これは昨年亡くなった親父がのこしたぼろ屋を改築しよ
うと話が出たときに、いかに安く家を作るにはどうすれ
ばいいのかと住宅建築屋をまわったことがあり、その時
参考にと手に入れたもの。結局改築は値が合わず成らな
くて、この雑誌はいつおとずれるかわからない家建築の
ためにただただ書庫で眠っている。
「日本鰻紀行」
というわけの分からない雑誌もある。いつぞや坂東三津
五郎が、鰻がすきで僕は山椒を山ほどかけてたべます。
万歳山椒です。と言っていたことがおもしろく、一時鰻
飯にはまったことがあり、嫌がるかみさんを連れての鰻
屋巡り。ほれほれこの雑誌にこんなことが書いてあるよ。
それにしてもこの鰻は美味くないねえと出かけたときの
指南書である。

しかし。どこを捜しても見あたらなかった。
悪戯好きだったTがかくしてしまったかもしれんなと捜
すにも飽きたころ、雲が晴れ窓から日が射してきた。
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by kasuya_senji | 2008-09-25 15:14 | Comments(0)
9月22日
2008年9月24日

「トライトウー リメンバー」
という歌があって、子供の頃、日本でも放送されていた
アメリカのテレビ音楽番組「アンディー・ウイリアムズ・
ショー」の中で9月になるときまってこの歌が唄われた。
今では聴く事もなくなってしまったが、ビートルズが登
場する前は一番好きな歌手はアンディー・ウイリアムズ
で、彼のハスキーな声でメロディーが美しく悲しいこの
スローナンバーを歌われると自然に心の中がゆったりと
した3拍子=ワルツに揺れた。英語の歌詞の意味などわ
からなかったが子供心にこの歌が大好きだった。それは
僕が9月生まれだということもあったろうと思う。

ひさしぶりにこの歌を思い出し、番組ではアンディー・
ウイリアムズが唄っていたが誰の歌だったんだろうとネ
ットで調べると、「9月の思い出」
<Try to remember>
とあり、
<Au coeur de septembre>
ともある。もともと英語の曲はいちいちフランス語に訳
されて表記するということはないだろうし、Youtu
beからまず流れてくる歌はフランス語で、この歌はフ
ランス曲だったのかと初めて知ることになった。
母の弟(叔父)が学校を卒業すると岡崎の康生町にあっ
た洋画館タカラ劇場につとめたので、僕は小学校4年生
の10歳から高校を卒業する18歳まで毎週タカラ劇場
で映画を観ていたが、当時はハリウッド全盛時代ではな
く、イタリア映画もフランス映画も同じように上映され
ていた。
デニス・ホッパーが、
「ハリウッドは相変わらずドリス・デイとロック・ハド
 ソンがいちゃつく能天気なラブ・コメディーを作り続
 けてやがった。外では革命が起きているってのに!」
と叫んでいた時のことで、外の革命とは、ある映画は黒
沢明の「七人の侍」であり、ある映画はフランソワ・ト
リフォーの「勝手にしやがれ」である。
デニス・ホッパーの叫びを聞いたというわけではないが、
タカラ劇場は日本の片田舎の町で、彼の云う外の革命映
画を上映していたのである。
コメディーもあったが、僕の記憶ではアメリカ映画はお
おくは西部劇だった。インディアンと正義の味方の白人
の保安官の決闘物語で、かならず最後は白人側の勝利に
終わり、悪は負け正義が勝つと主題されていた。
中学生にもなれば、昔むかしの鞍馬天狗や赤同鈴之助の
ような漫画映画のような勧善懲悪物語にはあきあきして
いたから、当時も今も知り合いではないがデニス・ホッ
パーとまったく同じ叫びは僕の心の中にもあって、贔屓
としてはイタリア映画でありフランス映画で、「勝手に
しやがれ」や「気ちがいピエロ」の青年主人公ジャン・
ポールベルモンドは、僕の向かうべき青春であった。
まずフランス語にひかれた。保安官の喋る正義感丸出し
英語よりも、恋や生き方を語るあの甘ったるい感じが妙
に心地よく、したがってシャンソンも大好きだったので
ある。「9月の思い出」という歌が好きだったのはフラ
ンス曲であったからかもしれないと今は思う。 

で、誕生日のことである。
夕方事務所で或る書類をながめているとSさんが顔を出
して、
「ちょっと会議室まできていただけますか」
というからでかけると、電気が消えていて会議テーブル
の上にケーキがのせられローソクの灯がゆらゆらと光っ
ていた。誕生日おめでとうございまーすと祝福され一気
にろうそくを吹き消すと明かりがともり、会議室にスタ
ッフ全員が集合していて、シャンパンがポン! と抜か
れるという粋なハプニングをプレゼントしてもらった。
この日はくしくも麻生太郎氏が自民党総裁に選出された
日で、その麻生総裁の就任挨拶で自分の誕生日が吉田茂
元総理大臣と同じ日だったということを初めて知った。
でも、吉田茂さんが「9月の思い出」という歌を好きだ
ったかどうかは知らない。
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by kasuya_senji | 2008-09-24 17:08 | Comments(2)
笑顔でいこうじゃないか。
2008年9月18日

江戸研究会なるあやしげな会があって、いい歳をこいた
大人達が夜な夜な、ではないが月に一度は集まって研究
をしている。何を研究しているかというと江戸時代の文
化芸術であり、骨董の品定め、手ぬぐいの意匠、能、狂
言、歌舞伎の観賞、そして三線、琴、尺八の芸事などを
しているのである。参加資格は40歳以上で、主題にお
いてその時々の講師役にはその道の専門家をむかえ、わ
いわいとやっている。遊びに徹している分生産性は皆無
である。
骨董の会の時などは、或る骨董商の店に集まり講釈を聴
き、品を手に取りながめすかし、いい仕事をしてますな
などと嘯く。その会の時雨が降った。講師の骨董商から、
「店の入り口のちかくに置いてある甕は2000万ほど
 するものですから、すみませんが傘立てにはしないで
 くれますか」
などといわれ、あわてて傘を取りだしたという。
また、しばらく前にニューヨークのオークションで鎌倉
時代の仏師・運慶の真作といわれる仏像を日本の宗教団
体が競り落としたとニュースになったが、その時の最大
の競りはアンディー・ウヲーホールの縦横10メートル
に及ぶ巨大なシルクスクリーンの作品で数十億の値がつ
いたが、これは韓国の個人資産家が購入した。それがま
だ30代の若造で・・という話もその骨董の会でこぼれ
たらしい。
先日、その江戸研究会の首謀者のひとりが事務所に顔を
だした。
「昨日は尺八の会で、あれはいくらやっても音が出ない
 ものでした。あれはどれほど肺活量がないとできない。
 スースー息がこぼれるだけでウンともスンとも・・・」
といっていた。
「カスヤさんは学校でブラスバンドでトランペットを吹
 いていたといいますから、カスヤさんであればプーと
 はいわせたかもしれませんね」
とも言ってたが、やっぱりダメだろうと思う。
柔道部や体操部の連中は握力自慢であるが吹奏楽部は肺
活量自慢である。でもそれは現役の時のことで、マイル
ス・デビスよりも先にとっととラッパからおさらばして
数十年。しかも成年よりのスモーカー。肺機能なんてと
っくに人の半分になっている。

トランペットの話が出たついでに中学の頃のブラスバン
ドの猛練習の日々を懐かしく思い出しているところに、
「岡崎ジャズストリート2008」の案内が届いた。
案内のリーフレットには、
「2日間、街じゅうがJAZZ」
「300人のミュージシャンが大集合」
と言葉が踊っている。
今年は実行委員会は、世界的に有名なピアニスト小曽根
真さんを2年連続で招聘し、2日間で2万人の来場者を
見込んでいると報じた9月10日の中日新聞の記事も送
られてきた。
ライブ会場は、岡崎城二の丸能楽堂や岡崎市民会館、岡
崎ニューグランドホテル。また、西岸寺、龍海院という
お寺でもやる。康生町を中心にバーやレストランや喫茶
店でもやる。籠田公園の野外ステージでもやれば、シビ
コというショッピングセンターの広場、本町や明大寺町
の商店街でもやる。ほしの眼科でもやると書いてあるが、
どうやらほしの先生はよほどのジャズ好きとみた。
内田先生というお医者さんがいて、この人がジャズ界の
権威で、渡部貞夫や日野皓正という日本を代表するジャ
ズミュージシャンと交流があり、彼らが先生を訪ねきて、
岡崎は或る意味ではジャズのメッカであった。その先生
の意向を継いで、今では岡崎の若者が中心となり、市や
教育委員会、商工会議所がバックアップして、毎年11
月に小さなフェスティバルが開かれるようになり、今で
は2万人が訪れる大イベントに成長したのである。この
日はジャズだけでなく、或るレストランでは名画の上映
会も行こなわれるようで、11月3日の文化の日のプレ
イベントとしてはまことに結構なことである。たしか、
妹の息子(甥っ子)も委員会のメンバーとなり、昨年は
その上映会の映画選びに中心的なやくわりでかかわり合
っていた。2日間ジャズ浸りをするのもいいだろう。今
年は是非遊びに行こうと思う。
このリーフレットを送ってきたのが呉服屋のYで、ナン
ト! 幼稚園の入園式の記念写真が同封されていた。呉
服屋のYは中学の同級であるが、幼稚園の同園でもある。
40人ほどの園児が背の小さい順に男児女児と交互に4
段にならんでいる写真で、小さかったわたしは一番前の
列にちょこんとすわっているが、どういう分けか呉服屋
のYは3段目にいる。あのころはあいつ背が高かったん
だろうか。
しかし、写真を見ても名前が思い出せる人が少ない。
ひときわ背の高いのは憶えている。中学の時ブラスバン
ドで一緒だった天才クラリネットふきの小笠原。
そのとなりにいるのが東温泉という銭湯の子。山本。
この子は喧嘩が強かった。野球がうまかった。だれかに
いじめられるとかならず助けてくれた。
傘屋の斉藤恵もいる。
三河公益社という会社の子。三浦もいる。
今は名古屋大学の教授になった山本もいる。
どこの町内の子か思い出せないが松本君もいる。
いくら思い出しても7人くらいしか思い出せない。
写真の右端に立っているのが大内先生。小柄で可愛らし
い先生だった。まだ、ご存命で中学の仲間がどこかの通
りをシャキシャキと歩いている先生を見かけたと言って
いた。左側に立っているのが園長先生だが、まったく憶
えていない。元気でいらっしゃるのだろうか。
しかし、みんなおすましして写っているが、なにが嬉し
かったんだろうかカスヤ君は笑っている。笑っている分、
一番可愛いらしく写っているのは、たいへんよろしいの
ではないか。ようし、これからは写真に撮られるときは
にっこりと笑顔で行こう。すこしはにかみながらね。
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by kasuya_senji | 2008-09-18 19:12 | Comments(4)
まるでサザエさん・・・
2008年9月11日

昨日、家に帰り着く前に、もうすぐ帰るよとかみさんに
電話すると、娘から仕事が終わったので夕食を一緒に食
べようと連絡があり、これから駅前で待ち合わせだとい
う。一緒にどうかと言われたが、そんなに腹はすいてな
かった。飯よりも本屋に立ち寄ることにした。
今川のことについて知りたかった。今川というのは戦国
期の三河から遠江、駿河を領地にしていた大名家の名前
だが、江戸時代には「教科書」をさす言葉になった。今
川義元は領民への施政もよかったらしく「人はこうであ
るべし」と書き起こし、領内の教育につとめたという。
その本が時代を経て徳川の世に寺子屋の教科書として使
われ、今川といえば「教科書」のことになったという。
徳川時代には女子への教育・しつけ・心構えを教える本
もつくられ、女今川とよばれ、
「今川で茹でた女は灰汁が抜け」 柳多留
などという川柳も残っている。
ここまでは知っていたが、もうすこし「今川」の内容を
知る手立てはないか、戦国時代は子弟に何を教えていた
のかと本屋に寄った。

その駅前の本屋は、その4分の1はコミック売り場。4
分の1は実用書・学習書。4分の1は雑誌・月刊誌。4
分の1は文庫と新刊本が置いてあるが、専門書はほとん
ど置いていない。青森の本屋に行くと片隅に「青森県史」
「斗南藩の歴史」とかの青森県の歴史に関する本が置い
てあったりする。鹿児島の本屋には「島津藩史」「西郷
隆盛」などが置かれているが、東京の下町の駅前の本屋
で地元に関するものであれなんであれ専門書が置かれて
いるのを見るのは、まれである。まれではあるが、一応
念のためと捜してみたがやっぱり見つからなかった。数
年前まで町に2軒ほどあった古書店は、いつのまにかひ
っそりと店を閉めてしまっている。こりゃ、神田に行く
か、今川さんの本家の静岡の書店へでも行かないと無理
かなと本屋を出たところで後から、
「かすやさーん」
と声をかけられた。この町で俺を知っている人なんてい
るのか? しかも女性? とふり返るとかみさんだった。
どうやら娘と駅前のこの本屋で待ち合わせをするらしい。
娘を待つかみさんと別れて家に帰ると倅がいた。居間の
ソファーに寝っ転がってテレビを見ながら携帯でメール
をしていた。俺の顔を見てあわてて飛び起きた。

「おかえり」
「飯は食ったか」
「まだだけど、かあさんがねえちゃんと食事するから帰
 りになんか買ってきてくれるって」
「そうそう。カツオが大人になったぞ。ワカメもだ。ワ
 カメは宮沢りえ」
「知ってるよ」
「え? もうテレビでコマーシャル見たのか? 今日か
 らやるんだってなァ」
「コマーシャル見てないけど、テレビの番組で紹介して
 たから、それを見た」
「なんで4人が集まったか知ってるか?」
「法事でしょう」
「そうなんだ。でなァ。法事ってことは波平さんとか舟
 さんとかが死んじゃったんだなあ。コマーシャルでも
 きつい話だな」
「もっと古い人の法事みたいよ。漫画にはでてないけど
 カツオたちのおじいさんとか、そんな感じ」

<だが、この4人がどう登場するかというと、4人は法
事で久しぶりに再会したという設定であるらしい。法事
ということは、波平さん、または舟かあさん、もしくは
二人とも亡くなっているのである。世相 には無関係の脳
天気一家だとは書いたが、せめて、漫画 のなかだけは、
ご両親はご健在でいらして欲しいとも思った>

と昨日書いたが、よくよく考えてみればチョコレートの
宣伝である。波平さんや舟さんを殺してしまっては世の
反感を買う。買ってもらいたいのは商品である。そんな
わけはないなと、早合点を反省しつつ波平さんや舟さん
の無事に妙に安心した。
しかし。町でかすやさーんと俺に声をかけるかみさんや、
大学3年生の息子との男同士の会話がカツオやワカメの
ことだったりと、我が家も世の世相からかなりかけ離れ
たサザエさん一家といわねばならんなとベランダにでて
一服すると、吹いてくる風はもう秋だった。
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by kasuya_senji | 2008-09-11 14:31 | Comments(1)
磯野家の法事
2008年9月10日

「磯野家の謎」という本があった。
長谷川町子さんはどうみても世間から悪口をいわれるよ
うな人(作品)じゃないと思っているが、この本はサザ
エさん一家についてかなりシニカルに書かれていると知
って、サザエさん=長谷川さんをどうシニカルに見るの
だろうかと買って読んだことがある。
読んでその内容は、サザエさん一家を子供の物語とせず、
大人という観点から物語るというもので、シニカルとい
えばシニカルだが、この視点は本来長谷川さんがサザエ
さん一家に対して持っていたものなんだろうということ
は、はじめからわかっていたことだった。

ところで、謎=疑問には、
いつまでたってもサザエさん一家な年を取らない。
おかしいじゃん。
なぜ? WHY?
というものもあった。
そういわれれば、終戦後ほどなくして連載が始まったこ
の物語の主人公のサザエさんはまだ独身で、お友達と派
手な格好をして町に出かけ、アメリカの兵隊さんに声を
かけられるという4コマもあったが、その後、マスオさ
んやタラちゃんやイクラちゃんの登場はあるものの、こ
の一家は、GHQ、オリンピック、万博、高度成長期、
世界第2位の経済大国への発展、東西冷戦の終焉、バブ
ル&バブルの崩壊、21世紀、テロの時代という現代史
を、年を重ねることなく日本の幸せな家庭内の物語とし
てテレビのなかで生き抜いてきた。
漫画の始祖は「鳥獣人物戯画」の作者の鳥羽僧正覚猷と
いわれるが、その思想・主題は憂う世相への風刺である。
それを考えると、一家内では時に、
「最近はガソリンが高くなってドライブなど気軽に行け
 ないわ」
「昔はコンビニなどなかったから、正月になるとお菓子
 を買えるところなんてなかったんだぞ」
などとの世相系のセリフもはくことははくが、この家族
は基本的には永世独立平和国サザエさん一家で、世界情
勢からまったくフリーであることが、漫画とはいえ極楽
浄土状態で、返って化け物一家のようにも思えてくる。
憂う世相から完全に離れていることで、一家から離れた
世相を風刺しているにかもしれない。 

ところが、年をとったカツオやワカメやタラやイクラが
テレビで見られるという話を聞いた。
チョコレートのCMで、カツオは36歳。ワカメは34
歳。タラは28歳。イクラは26歳に成長している。
少子化で市場全体が伸び悩むなか、今後の成長が期待で
きる20〜30代にアピールするため、同世代になった
カツオやワカメを起用するという。
カツオ役は、俳優の浅野忠信。
ワカメ役は、宮沢りえ。
タラ役は、瑛太。
イクラ役は、小栗旬。
めちゃくちゃカッコイイ一族ではないか。
いや、このCM見てみたい。楽しみが増えたな。今日か
らCMはスタートするらしい。
だが、この4人がどう登場するかというと、4人は法事
で久しぶりに再会したという設定であるらしい。これに
は驚いた。法事ということは、波平さん、または舟かあ
さん、もしくは二人とも亡くなっているのである。世相
には無関係の脳天気一家だとは書いたが、せめて、漫画
のなかだけは、ご両親はご健在でいらして欲しいとも思
った。 
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by kasuya_senji | 2008-09-10 16:42 | Comments(0)
どすこい!
2008年9月9日

ソバ屋で昼飯を食っていると
「北の湖理事長辞任」を報じていた。
相撲部屋で傷害殺人事件あり、大麻取締法で逮捕された
力士あり、その度に、日本相撲協会を代表する北の湖理
事長の自己責任のあり方があまりにも保守的閉鎖的で、
いくら国技・伝統的な相撲の世界といえど、成立の仕方
はあくまでも興業である。世の中=多様化する現代の常
識とかけ離れすぎていると言われ続けた。そのうえ自ら
が経営する部屋の力士に大麻陽性反応がでるに至っては、
優勝回数24回の大横綱・理事長といえど辞任はやむな
しである。

今の若い人たちは北の湖という力士を知っているだろう
か。21歳2ヶ月という最年少横綱の記録をもっている
とんでもなく強い力士だった。10代後半というより中
盤過ぎの、一般で言えば高校生の年齢の力士が、なみい
る百戦錬磨の力士を突貫しながらぶち負かすというそら
恐ろしい馬力を持っていた。その面構えの不貞不貞しい
こと。その言動の小憎らしいこと。若者が持つ溌剌とし
た香りもなければ、偉大な先輩力士を尊敬する言葉もな
く、一世一代の憎まれ役だった。まだ外国人力士の時代
が訪れる前のことで、その憎らしいほどの強さは当時、
子供の好きなもの=「巨人・大鵬・卵焼き」をもじり、
嫌いなもの=「江川・ピーマン・北の湖」とまで言われ
た。そのヒール役ぶりは今の朝青龍以上。貴乃花親方の
お父さんの大人気力士・大関貴ノ花が横綱北の湖を破っ
て優勝を決めた一番は、国技館中の座蒲団が蚊柱のよう
に飛びまくり、その座蒲団の向こうの隙間に土俵が見え
ていたくらいだったもの。
ところが、横綱に与えられる一代年寄りをあたえられ北
の湖部屋を興し協会役員になると、名門出羽一門のひき
もあったのだろう、あれよあれよという出世で、あっと
いう間に理事長になった。そこではじめてこの親方が相
撲協会で支持され信任されていることを知ることになる。
それはとりも直さず、古い相撲界を改革するのは、あの
憎まれ役の突貫小僧以外ないという考えの証であって、
古い体質の相撲協会もヒール役によって改革されるのだ
ろうと思えば、その突貫小僧振りがいかにもたくましく
好ましく思えたものだ。
だが、やはり、地位というものは怖いもので、手に入れ
た瞬間から地位への保守が同時進行するものである。
今では相撲協会の古い体質の本質を理事長という北の湖
が担っていて、何度耳にしたか分からないほど語られた
「協会の改革」は遅遅として進まずでは、辞任やむなし
である。あの若かった北の湖の不貞不貞しさを知ってい
るわたしとしては、今日の記者会見の理事長のあの面構
えは当時を充分思い出させてくれるものだった。
ちなみに北の湖は最年少横綱昇進という記録があるが、
その他に変わった珍(めずらしい)記録もある。
一つは幕下以下の時代に、一場所全敗記録をもっている
横綱は北の湖ただ一人。
二つは十両以下での優勝経験がない横綱も北の湖ただ一
人。
三つは改名の多い角界において、初土俵から引退まで一
度も四股名を変えたことがない力士であること。引退後
も一大年寄り・北の湖である。
相撲界に入ったが若い頃大怪我をし角界を去った者は多
いので、ひとつの四股名しかもたない力士は存在するが、
横綱という地位まで大出世した力士では北の湖ただ一人
である。

わたしは相撲好きの祖父さん(おふくろの父親)の影響
で子供の頃から相撲が好きだった。中学の時、呉服屋の
Yにつれられて、旧ナゴヤ球場でおこなわれた「大相撲
野球大会」を観に行ったことがある。なみいる大の力士
がバットを振っているすがたは軽々として、まるでスリ
コギを振り回しているように見えた。内野ゴロを打って
ぶかぶかのユニフォームすがたでドタドタと一塁まで走
るときは場内に大爆笑がおきた。打ったり投げたりする
ところを見て、はじめて、左利きの力士がいることも知
った。若秩父というあんこ型の力士が左利きで、振り遅
れたファールボールが3塁側内野スタンドに座っていた
呉服屋のYとわたしをめがけ唸りをあげて一直線に飛ん
できて、あやうく大怪我をするところだったのも鮮やか
な記憶として今でも生々しい。世は移り変わったが、そ
して今でも相撲ファンである。
相撲界は特殊な社会である。その特殊性が文化である。
その伝統を守り、さらに近代的な格闘技として発展して
行くことを心から祈る。
北の湖部屋から、北の湖を凌ぐ力士が育ってくれること
を心から祈る。
貴乃花部屋から、貴乃花を超える大横綱が育ってくれる
ことを心から祈る。
九重部屋から、千代の富士を再来するスピード感あふれ
る力士が育ってくれることを心から祈る。
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by kasuya_senji | 2008-09-09 16:36 | Comments(0)
岡崎へ
2008年9月8日

先週の土曜日の9月6日に行われた親父の一周忌の法要
に参列するため、前日の金曜日の5日に岡崎に。
昨年の親父の葬儀が終わって1ヶ月半ほどあとの10月
半ばにかみさんが体調を崩ししばらく入院した。退院後
は静養し、徐々に体力も回復して今では通常の生活をし
ているのだが、まだ、遠出は自信がない・・と旅行はひ
かえていたが、親父の一周忌にはぜひとも参列したいと
言ってくれ、仕事がある娘は東京に残し、かみさんと倅
と3人で岡崎に帰った。車で帰った。

実家近くのNホテルが岡崎での定宿である。
チェックインするとフロアーマネージャーがさっそく顔
を出し、話は岡崎の水害のことになった。マネージャー
の自宅はさいわい難をのがれたようだった。
ホテルの前を流れる菅生川もその河原は広く、芝生が植
えられていて普段は市民の憩いの場であり、犬をつれて
散歩する人の姿がみられたり、時には消防署の防災訓練
の場として使われたり、8月最初の土曜日に開催される
岡崎大花火大会では河原まで桟敷席が作られ花火を楽し
む人々が数万人もあつまるところであるが、あの日ばか
りは、濁流がその河原を覆い尽くすようながれ、あと数
㍍で決壊という大災害寸前までいったそうである。

夕方、実家に家族を連れあいさつに。
実家にはチッチという犬とモグという名の猫がいる。
チッチは人好きのする犬で、誰彼なくキャンキャンと嬉
しそうにまとわりつく。はじめは、おーチッチ、元気だ
ったかと顔をなぜたり頭をよしよししたり抱き上げたり
するが、そのうちうるさいから静にしなさいと最後は叱
られる。
モグはそこは猫であるから犬のようにじゃれつきはしな
い。だからといって遠方よりの家族の訪れを歓迎する気
持ちは充分にあるようで、構われたがらない猫という柄
にもなくチッチの一騒ぎがおさまると、のそのそと近づ
いてきて、ボクはモグといいますとでも言いたげな顔で
人の顔を見上げる。手をさしのべるとクンクンと匂いを
嗅いだりする。舌でぺろぺろと指をなめたりする。
東京の自宅では動物を飼っていない。
娘や息子が小さいころまで、カムイという名の猫を飼っ
ていたが、カムイが死ぬと、
「もうこんな悲しい思いをしたくない」
とかみさんが言って、それ以降、家で動物を飼ってない
から倅には家の中にいる動物がめずらしいとみえる。キ
ャンキャン騒ぎのマルチーズよりも、静で大人しいモグ
が気に入ったようで、モグもわたしがよしよしよしと言
いながら近づいてもただただ逃げる一方であるのに倅は
気に入ったようで、ふたり(?)は和室で座布団を挟んで、
ちょっかいだしたり、その手にかるく飛びかかったりし
て遊んでいた。
「おい。R太君よゥ。あんたは猫アレルギーがあるんだ
 から、あまり近づかない方がいいとおもうよ」
と忠告をくれてやったにもかかわらず一緒に遊んでいて、
自宅を辞してホテルに帰るころには手に発疹がポチポチ
とできていて、かゆーいと痒がっていた。

ホテルのバーテンダーのKちゃんともひさしぶりである。
Kちゃんは妹の家の隣の子で、妹家族とは子供の頃から
の知り合いで、ホテルのバーに遊びに来てくれた妹家族
との御近所話につき合わされていた。この二家族とも水
害には見舞われなかったが、おなじ地面の隣同士なのに
Kちゃんの家では玄関前まで雨の水が溜まったと言い、
妹の家はなんともなかったと言っている。
妹の旦那は建築会社に勤務する建築士で自宅も自分で設
計したそうだから、排水に関しては普通の住宅よりは余
程しっかり設計されているのかもしれない。
「今度Kちゃんが家を建てるときには、彼に頼みなよ」
と売り込んでおいた。

翌日、随念寺にて1周忌の法要。
随念寺は浄土宗のお寺で、浄土真宗の檀家の呉服屋のY
は、お経と説教が長いのが浄土宗の坊さんといってたと
おり、和尚さんの阿弥陀経と説教はそれはそれは長かっ
た。家族親族の者にとっては親父の死は1年前のことで、
誰の心にもまだ親父は生きているようであり、あまりあ
さっぱりさくさくと法要を済まされるよりは、長くて、
ありがたみがあったね、と言うことになる。
阿弥陀経の一部が配られ参列者全員で和尚さんに合わせ
読経する。そこにはこう書かれている。
舎利仏曰く、そこには花が咲き。
舎利仏曰く、そこには光りがあふれ。
舎利仏曰く、そこには歓喜にあふれ。
と、極楽がどういうものであるかと書かれている。
つまり、あなた方の故糟谷鉄夫さんは、そこにいますよ
というのであるから、残された家族親族にとってはこれ
ほどありがたい話はないのであって、呉服屋のYの言う
ように、短ければよいというものではない。ありがたや
ありがたやナムアミダブツ南無阿弥陀仏。

法要がおわり、町の有名な中華屋で食事会を主催。
町に住む親戚も田園地帯に住む親戚も町から遠く山家に
住む親戚もあつまってくれ、親父の思いで話に花が咲い
た。来年の今頃は3回忌の法要ですので、高齢の親戚の
おじさんおばさんも是非お元気で参列いただけるよう祈
念しますと主催者を代表して挨拶をすると、おふくろの
弟から、その前に俺の葬式には全員集合でよろしく、遠
慮しないで包むものはいくら高額でもかまいませんぞー、
とチャチャがはいり、どっと笑い声がおこり食事会は終
わった。

おふくろに元気でねと言葉をかけ実家をでて、熱海に向
かった。東名高速道路は渋滞もなく順調にすすんだが、
沼津から三島に抜ける道が思いのほか込んでいて、丹那
高原をぬけて熱海市内に入るころは陽が落ちてしまった。
定宿で温泉に入り一泊して翌日曜日に東京へもどろうと
したが、倅が明日の朝に用事があるのでどうしても今日
中に帰りたいとのことで、熱海駅でかみさんと倅と別れ
た。定宿に入りかみさんに電話をすると、新幹線を待っ
ていると、熱海でロケでもあったのだろうか、あのスー
パースター錦野さんやキャイーンの二人組、ぐっさんな
どがホームにあらわれて、同じ新幹線の同じ車両に乗り
合わせていると言う。倅はお笑いの人たちが好きでいつ
もテレビで見ている。そんな人たちと一緒だなんて、さ
ぞおもしろかったことだろう。

岡崎で元気なおふくろ。兄弟親戚の人々ともひさしぶり
に会うこともできた。最後にはテレビでお馴染みの人も
登場してくれた。かみさんにも倅にも、一周忌の帰郷の
旅は思い出になる旅になったのではないかと思う。
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by kasuya_senji | 2008-09-08 15:52 | Comments(0)
同行二人
2008年9月3日

10月に東大寺で「東大寺世界遺産登録10周年」を記
念する催しがある。

10月15日 水曜日は、
奉納歌舞伎 松本幸四郎「勧進帳」。

10月18日 土曜日は、
布袋寅泰スペシャルライブ。

10月19日 日曜日は、
大仏賛歌 クラシカルステージ。

東大寺で行われるコンサートはわたしにとり2回目である。
1回目は、1994年に開かれた「AONIYOSHI」。
このコンサートも、イギリスのテレビ製作会社が企画した
ある種の世界遺産コンサートというべきもので、エジプト
のピラミッドで、メキシコのインカ帝国遺跡で、インドの
タージマハール廟で、といくつか企画されたなかの一つだ
った。
「AONIYOSHI」の総合音楽監督がマイケル・ケイメン。
その時の東大寺の布袋のプレイを観たマイケル・ケイメン
が、後に布袋をアトランタ・オリンピックの閉会式のステ
ージに登場させることになる。
話がにわかにミーハー染みてくるが、今まで見たことがあ
る、または会ったことがある世界的な有名人をあげろと言
われれば、一番にあげたいのはアラファト議長である。
ロンドンのチャイナタウンにあるリー・ダイアモンドで食
事をした帰り、コベントガーデンのザンジ・バーに寄ろう
と歩いていると、レスタースクエアーの一角に大勢の人だ
かりができていた。パトカーもいた。テレビの報道カメラ
がずらーと並んでいた。レポーターとおぼしき人々もいた。
それに倍する野次馬が道路を埋め尽くし、ただでさえオペ
ラハウスや劇場が建ち並び夜遅くまで賑やかなこの一角が
騒然とした空気につつまれていた。
或る店から男が出てきた瞬間にカメラのフラッシュがたか
れ、テレビカメラ・ライトがたかれ、その中に眩しく浮か
び上がったのが、あの、アラファト議長だった。お馴染み
の豆絞りのような独特のターバンを頭に巻いていた。
チャイナタウン、レスタースクエアー、コベントガーデン
はロンドンの一大歓楽街である。アラファト議長は、パレ
スティナにいて和平を指向しながらもイスラエルとの仁義
なき戦い(イスラエルもパレスティナも宗教という仁義は
ありますが)に明け暮れる戦場にいるとばかり思っていた
から、この歓楽街で現代世界の歴史上の人物のアラファト
議長を見かけることに強烈な違和感というか、それを通り
越した衝撃をうけたことを覚えている。
つぎは、カリブ海モンセラット島で会ったジョージ・マー
ティン。この時は会ったばかりでなく、二人で酒を飲む栄
誉をいただいた。
その次は「AONIYOSHI」だった。マイケルをはじめとし
て、ジョニー・ミッチェル、ボブ・ディラン、マイケル・
ハッチェンス。このイベントへの出演は、ロンドンにあっ
たIRC2のオフィースに話がもちこまれ、当時ロンドンオ
フィースをわたしと共同で経営していたレニー・ザカタク
が交渉役となり実現させたのだが、そのレニー・ザカタク
は元アランパーソン・プロジェクトのボーカリストであり、
ロック100名盤を選ぶとすれば必ずその中の1枚とされ
る「アイロボット」の時のボーカリストである。そのレニ
ーが東大寺で世界的なミュージシャンに会い、我々が興奮
する以上に興奮していたことを昨日のことのように憶えて
いる。
その思いで深き東大寺でのスペシャルライブである。
当時も東大寺を勉強してでかけ、正面から大仏殿をながめ、
日本の奈良にあるお寺というよりも華厳経の成立したシル
クロードの東の果ての建物という感想をもったものだが、
今回はその華厳経の成立した幻のオアシス都市、ホータン
を調べることで、この華厳経の殿堂東大寺でのコンサート
がより深みを増すのではないかとあれやこれやと読みあさ
ったが、華厳経は宗教教典というよりも哲学思想にちかく、
とてもわたしの手に余るものではなかった。東大寺に入門
して修行して、一から教えてもらわなければどーにもなる
ものではないと分かっていながら、やっぱり聞きかじりの
独学ではどーにもならんことが分かった。一度挑戦し二度
退散し、一歩進んで二歩下がるを繰り返しているうちに、
果てしなく遠ざかってしまった。
音楽仕事が本業である。引退したオヤジよろしく趣味の生
涯学習などしてる場合じゃないと華厳経は一旦停止したが、
まずホータンについて読んだのが司馬遼太郎の「街道を行
く」だったので、街道紀行ついでに井伏鱒二の、定本「七
つの街道」を読み始めると、行間にあの井伏先生の笑顔が
次から次へと表れるようでおもしろく、気がつけば同行二
人は、司馬さんではなく井伏さんで、天城山麓を巡る旅で
は井伏さんと一緒に釣り三昧の日々。ますます華厳経から
遠ざかってしまい、さて、いったいどーしたもんかと自問
しながらも、今は井伏さんと一緒に近江路の旅の真っ最中。
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by kasuya_senji | 2008-09-04 14:14 | Comments(0)
コマネチにジョンレノン
2008年9月2日

驚いたねえ。
驚きました。
ニュース番組のアナウンサーも政治家も町ゆく人々も一
様におどろきましたと繰り返した9月1日の夜。
さぞ下町の居酒屋の政治談義も花開いたことだろう。

「責任もとらず勝手にやめちゃう傍若無人ぶりにはよゥ、
 俺もおどろいたんだがねェ。辞めること自体には、な
 ーんもおどろかなかったよ。だってよゥ。政治身体能
 力というかよゥ、人格的偉大さだとかが無い人間が、
 わっしょいわっしょいとかつがれ、みこしに乗っての
 首相なんだもの。みこしに乗った福ちゃん扇子降っち
 ゃってよゥ。扇子はふってねえか。でもよゥ。安倍先
 生とわたしはちがいますって、健康問題とかなんかで
 自己弁護していたがよゥ、おなじだよ。ほとんどの派
 閥がかついだんだから、いずれにしてもよゥ。わっし
 ょい総理なんだから安倍ちゃんも福ちゃんもおなじよ」
「でもあれじゃないさァ?。福ちゃんときは麻生がふん
 ばったんじゃないさァ。15人しかいない麻生派で1
 33票もあつめたじゃないさ。党内でバトルあったん
 ちゃうか」
「おめえはどこの出なんだァ。さァとかつけるしちゃう
 かとも言ってやがる。まァ、そんなことはどっちでも
 いいけどよゥ。おめえは次はだれがいいんだと思って
 るんだイ。おれはアレがいいと思ってるんだがよゥ」
「あれじゃわからないさ」
「いいからよゥ。おめーは、だれな・ん・だ?」
「わたしはさァ。ばらまき派さ。公共事業がないとご飯
 食えないもの」
「ばらまきって、ばらまく金は国民の税金だろゥ。おめ
 えが工事現場でよっこらっしょって1日仕事して金も
 らって、仕事おわってレギュラーのようにこの席に座
 って、この店でホッピーのんでるってのはよゥ、俯瞰
 してみれば税金で飯食ってるっちゅうことだぜ」
「じゃあその金をうけとるこの店のゲンちゃんも税金で
 飯食ってるっちゅうことかィ。あんたが言うように俯
 瞰でみればだけどよゥ。で、俯瞰ってどーいう意味さ」
「そういう質問にはお答えできませんな。上から見るっ
 ちゅうことは知ってるけどよゥ。くわしくはわからね
 え。字も書けねえしな。ふは大阪府のふみたいな字だ
 けどよゥ、かんはいけません。中学でこんな字は教え
 るかァ。教育もしてねえのにわしら国民に分かれって
 いっても無理っす無理無理。とくにおめーにゃ無理」
「なしてわたしだけ無理さァ。あんたもわたしも立派な
 中卒。義務教育修了者じゃないさ」
「おめーはよゥ。工事現場で力仕事いっぽんやりだけど
 よ。おれはその工事現場のトラックの交通整理係だぜ。
 現場に入るトラックと町ゆく車と歩行者の安全をかん
 がえて、赤や黄色の旗振ってんだぜ。あの旗降りもコ
 ツがあるの知ってるか?」
「赤上げて、黄色下げたら赤下げずっちゅやつにコツな
 んかあるのさァ」
「旗振りゲームじゃねえんだがよう。年寄りは待たせて
 もいいんだけどよゥ黒塗りのベンツなんか来た日にゃ
 待たせたら何怒鳴られるかわかったもんじゃねェから
 ね。そんときは、どーぞどーぞって通行させるんだ。
 けっこう頭使うんだよあれはあれで。知的労働者とい
 ってほしいね。知的労働者今夜も世を憂いてホッピー
 を飲む、だ」
「飲むだはいいさ。あんたの金だもの。ついでにわたし
 にも一杯飲ませてくんなませんか? ありがたい。い
 ただきます。で、あんたがいうアレはだれさ」
「俺か? 俺はスギムラだね」
「????? スギムラってだれさ?」
「タイゾーだよ。あのおっちょこちょいだよ。タケベに
 黙っとれって叱られたあいつだよ。あいつにやらせれ
 ばいい」
「できるわけないっしょ! ゆるくないっしょ! なー
 んもだよ!」 
「でもよゥ。国民が選挙で国会議員にえらんだんだぜ。
 選ばれたヤツの誰でも総理大臣になれる資格もってん
 だぞ。辞めるって福ちゃんから聞いたときによゥ。麻
 生が、誰とは書いてなかったけどきっと麻生だ。その
 麻生がよゥ、人が変わっても民主党のやりかたは変わ
 らんじゃないですか? って言ったって新聞に書いて
 あったぜ。新聞もおめーが駅で拾って読む東スポじゃ
 ねえぜ。あ・さ・ひ新聞だぜ。つまり誰がやっても同
 じだって麻生は言ってるんだ。誰がやっても同じなら
 べつにスギムラでもいいじゃねえかってな思うわけよ。
 選ばれるのは議員だけどよゥ。選ぶのはこっちなんだ
 ぜ。やってくれるかもしれないってヤツを本気で見極
 めて、選ぶのはこっちだぜって俺等がこころして選ば
 ないと、いつまでたってもあれだぜ。疲れたから休み
 ますーって総理大臣勝手に辞めちゃうぜ。こんな国っ
 て聞いたことがねえよ。このままじゃ2流国のままだ。
 国会議員の力量は国民の政治を考える力を正比例する
 のだってバカボンのパパも言ってたぜ。うっぷ。酔い
 がまわったかな」
「あんたいいこと言うさァ。もういっぱいおごってもら
 っていいかい」
「おいおい。普通はほめたらおめーがおごるんだぜ。で
 も今日はほめられたのは2回目だ。現場で監督がよゥ。
 お前の旗の振り方はおおげさだがわかりやすくていい
 って言ってくれたからな」
「わたしも見てたさ。旗ぶんぶん振り回して、にこにこ
 笑って愛想顔して、どーぞどーぞって車とおしてたけ
 ど、あの赤いスポーツカーに乗ってたのは近所でも有
 名なきれいな女子大生じゃなかったのかい? 監督は
 ほめたかもしれないけど、トラックの運ちゃんおこっ
 てたさ。あんたおんなじゃ失敗の連続さ。いくら彼女
 いない暦10年でも余計なこと考えない方がいいさ。
 仕事して、だれにも気兼ねせずきもちよく一杯やるっ
 て生活。おんながいたんじゃ無理っすよ」
「おめー。人におごってもらおうとするやつの意見かァ、
 それが。ったくう。痛いとこつくなあ。まあおめーが
 云う通りかもしれんわ。じゃあ、まあ、云うとおり記
 念ちゅうことで、もういっぱいやるか」
「かんぱーい!。うっぷ!」
「このうっぷ! が飲んじゃってまーすって感じでたい
 へんよろしいな。でもよゥ。おんなと云えば、不感症
 のおんなはよく知ってるぜ。以前、ゲンがつきあって
 たおんなが不感症だったな。おい、ゲンの方を見るん
 じゃねえ。いちどゲンがそのおんなと歩いてるのを見
 かけたことがあったがよゥ。そのおんなにゲン公ヘイ
 コラしちゃってよゥ。ありゃ見ちゃいられなかったぜ」
「わたしの小父さんがデカンショで多汗症だったさ」
「ふるいギャグ言うじゃネエか。今時そんなんじゃ笑え
 ねえよ。今時は、コマネチ! だ。こうだ。両手でV
 をつくって股のあたりから上へぐいっと手をひきあげ
 る。コマネチ! って言いながらな」
「そりゃーあたらしいねェ。うっぷ」

こうして福ちゃんに話題を提供してもらった下町の弥次
喜多は今夜も閉店までうっぷを積み重ねることだろうが、
ゲンの店ではどういうわけかジョンレノンのイマジンが
流れていた。
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by kasuya_senji | 2008-09-02 16:32 | Comments(3)

 
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