exciteブログ ExciteホームExcite Musicトップサイトマップ
プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
リンク
以前の記事
2013年 08月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
最新のコメント
http://vimax..
by obat pembesar penis at 23:53
http://vimax..
by obat pembesar penis at 12:50
Hi I am so e..
by moncler co at 08:41
Can you tell..
by vegan uggs uk at 22:20
Right here i..
by cheap ugg at 05:46
Hello I am s..
by ray ban av at 22:50
Howdy I am s..
by parajumper at 05:08
ピアノ買取センター ~ピ..
by ピアノ買取 at 05:12
販売商品 精力剤分野:..
by 神奇山精丸 at 15:39
媚薬:http://ww..
by 媚薬 販売 at 12:41
最新のトラックバック
ギタリズムは止まらない。..
from POP-ID通信。
the who 武道館
from こういちの日記
the who 武道館
from あややの日記
the who 武道館
from 気になるニュースについてブログ
豚足のための豚足が作る豚..
from ユニオンスクエアの窯 ☆ ニ..
大皿焼けました*
from ユニオンスクエアの窯 ☆ ニ..
拝啓*糟谷様
from ユニオンスクエアの窯 ☆ ニ..
豚足の器のご紹介です*
from ユニオンスクエアの窯 ☆ ニ..
東海道五十三次にハッとし..
from ユニオンスクエアの窯 ☆ ニ..
豚足の器*2作目☆
from ユニオンスクエアの窯 ☆ ニ..
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
<   2009年 05月 ( 11 )   > この月の画像一覧
坂口安吾
2009年5月28日

坂口安吾を読んだ。
坂口安吾は昭和10年代に文壇に登場してきたが、その
後、さっぱり売れず消えかかっていた。坂口安吾が復活
したのは、第2次世界大戦後のことで「堕落論」がベス
トセラーになり、昭和30年代には全集が組まれるなど
一躍時代の寵児になった。
こどもの頃、家に坂口安吾全集があった。
いくつになった?
そうかもう小学校の5年生か。10歳か・・
だったらこれでも読んでみるか? まあ、わからんだろ
うがな。
と親父から坂口安吾を進められたが、こどもが読んでも
わかるものではなかった。それよりも、全集の1巻の扉
の坂口安吾の写真に度肝をぬかれた。
ぼさぼさ頭の坂口安吾がどてらを着て4畳半だか6畳だ
かの和室の炬燵に座り込んで頭をかきかき原稿を書いて
いるというか煮詰まっているという写真で、部屋がもの
すごく汚かった。書き損じの原稿用紙やら下着やら新聞
紙やら煙草の吸い殻やらとありとあやゆるゴミが部屋中
にぶちまけてあって、ゴミの山の中で原稿にむかってい
る写真だった。そんな汚い部屋は見たことがなかった。
その中に鎮座する坂口安吾は文豪ではなく常軌を逸した
狂人にさえ見えた。親父はこんな人の書いたものを読ん
でいるんだとわけもなく大人の世界の恐ろしさを感じた。
以来、坂口安吾を手にとったことがなかった。
品川駅で新幹線を降り改札口に向かうとスターバックス
があり弁当屋があり土産物屋があり本屋がある。
立川ミックから、なんとかという本がおもしろいよと聞
いたがタイトルが思い出せない。すすめられたのに読ま
ず終いでいる。新刊本だとは覚えていた。書店に並んで
いる本をながめれば思いだすかもしれないとながめた。
それらしき本はなかったが、坂口安吾が目にとまった。
親父のことや狂人めいた写真を思いだした。
あれは、俺が10歳のころのことだった。
俺に坂口をすすめた親父はたしか30代だった。
坂口安吾自体も40代の人じゃなかったか。
すでに俺は当時の親父より坂口安吾より年かさである。
こどものころはあの部屋の汚さには驚愕したが、俺の大
学の友人の下宿はもっとすごかった。坂口ショックから
そろそろ抜けだすころかもしれんなと「坂口安吾 戦国
短編集」という文庫を買った。
秀吉の遺言状仕立ての小編は、信長後、日本を制覇した
自分がなぜ朝鮮に攻め入ったかを独白で語った話で、当
時、坂口安吾の編集担当だった半藤一利のあとがきにあ
る坂口安吾の資料の読み込みの凄まじさがギラギラと光
っている作品だった。この小編は終戦後の昭和20年代
後半に書かれたもの。明治期には森鴎外による歴史小説
「阿部一族」など歴史が黒々と描かれた小説もあったが、
終戦後の日本は国破れて山河ありの価値観の大転換の時
代で、人々は今日を生きるに必至で、戦国時代を扱った
小説などどうでもよかった。エロ・グロ・ナンセンスと
ともに「鞍馬天狗」などという勧善懲悪のお気楽小説が
流行った時代である。坂口安吾は戦国時代小説で、この
終戦直後という時代にむき出しで挑みかかって、その後、
「堕落論」を発表し時代の寵児になっていった。
坂口安吾の戦国ものは、切支丹の研究を原点としていて、
「イノチガケ」というタイトルの切支丹の殉教者をあつ
かった小編は凄まじさが大爆発していた。宣教師の日本
上陸から始まり、1700年(元禄十三年)の切支丹の
絶滅までを資料に残っているかぎりの実名を上げ、その
殺されかた、殺された場所が延々と書き綴られている。
いやー。こどもの頃にあの写真で受けたショックがまざ
まざと蘇った。おそるべし坂口安吾。
そして、おそるべし坂口安吾を撮った写真家。
あの写真は坂口安吾という人間の本質を見事にとらえ、
永遠に記録しているのであった。
[PR]
by kasuya_senji | 2009-05-28 15:28 | Comments(0)
いろは歌留多
2009年5月27日

犬も歩けば棒にあたる。
と、いろは歌留多にあるけれど、昨夜は歩く犬でした。
先日、Oから電話が入ったが、携帯を家にわすれていた。
さっきの手紙の御用事なあにと白やぎさん(わたし)か
ら黒やぎさん(O君)に電話をいれると、秋に記念コン
サートをやることになったという。しばらく会っていな
かった。ちょうど仕事も片づいたところだった。話をき
かせろやと古川橋で集合した。
古川橋の店に行くとメニューにザーサイの浅漬けなるも
のがあって、これがなんともいえず美味い。どういうわ
けかは知らないが、去年まで輸入できていたザーサイの
漬け物が今年になって中国から入らなくなったから、生
のザーサイそのものを輸入して茎の肥大部分を日本で浅
漬けにしたものだという。味のしっかり染みこんだ中国
製ザーサイの漬け物は、飯、酒のつまみにも良く、また、
料理にも調味薬として重宝なものだが、この日本風のザ
ーサイの浅漬けは酒の肴にはさっぱりと美味く、まさに
この時期にぴったり。
よって、お客さんに大好評なんですと、そんな話を店長
とやっていると、少し離れたテーブルから、かすやさー
んと声がかかった。某大手音楽出版社のO代表だった。
O代表といっしょにいた人達も旧知の人達で、そのうえ、
わたしの連れの黒やぎさん(O君)とも旧知のなかで、
黒やぎさん(O君)の秋のコンサートのことでひとしき
り盛りあがった。そのコンサートで歌われる予定の歌は、
なんと、O社長の会社の管理楽曲だという。で、さらに
コンサート話が盛りあがった。黒やぎさん(O君)はチ
ケットがご入り用なら早めに連絡をとしっかり営業活動
もしていた。
腸詰め。
春巻き。
空豆とインゲンとイカ。
トマトとたまご。
を食べて、家に帰る前にもう1軒と仙台坂下まで歩き、
行きつけのバーへでかけた。
珍しいことに普段はしずかなバーが客であふれていた。
テーブルはうまっていたのでカウンターへ。
わたしの後のテーブルに首からライカをぶらさげた男が
いた。その男の隣には眼鏡をかけた坊主頭の男がいた。
どこかで見たような顔だなとは思ったが、思いだしきら
なくて、見て見ぬふりをきめこんでいたが、トイレに立
って席に戻ったときに思い出した。
首カメラ君はスペイン村のM巨匠。
坊主頭氏はBOOWYの初代スタイリストOさんだった。
しかし、ここに登場する人はイニシャルOの人が多いね。
それはともかく、M巨匠も坊主O氏も黒やぎ(O君)も
旧知の仲で、まあ、久しぶりにあったこととて話は一気
に盛り上がった。
飯と酒で歩いた犬が行った先々で盛りあがったというだ
けの話のようでもあるが、そうではない。昨日であった
人々は、人生というものを互いにそれぞれが共有してい
る友人達であったのだ。
歌留多のように、歩いた犬がであった棒(友人)によっ
て、数十年の邂逅が一気に解き離れた夜になりました。
あらためて、いろは歌留多はWisdoと知る。
[PR]
by kasuya_senji | 2009-05-27 15:46 | Comments(0)
あめとかみさん
2009年5月25日

埼玉県和光市。最高に盛り上がったギタリズム V コ
ンサートが終了し、会場を出たときに嵐のような雷雨に
見舞われた。駐車場にゆるく高低差があり車のしたに水
が溜まっていてたが暗くてわからなかった。乗りこむと
き足首まで水に浸かった。
和光インターから外環に入る。雨で見通しが悪いなかの
ドライブになった。雨の夜のドライブは快晴の日中のド
ライブに比べ、目から入ってくる道路の情報は3分の1
になる。そのうえ、右と左の視力がちがう乱視で、しか
もザ・ローガンズ。視界が悪くて難儀した。時々稲妻の
閃光が走る。その瞬間、雲の厚さの濃淡が墨絵のように
上空に広がった。
なんだか普段に比べ排気音が大きい気がした。住宅地に
沿って走る高速道路を通過する車の音を遮断するために
高いフェンスがはられている。それに音がはね返ってい
るのだろうと思っていたが、そうではなかった。後部座
席の窓が開いたのだ。家に着き車を停めてやっと気がつ
いた。車の中がびっしょり濡れていた。
家に帰ると倅はいたがかみさんは不在だった。雨の日曜
日の夜の10時過ぎにどこにいってるのだろう。携帯を
鳴らすが留守電にまわる。それよりも夕食をくっていな
い。腹が減っていた。腹は減っていないという息子を残
し近所の寿司屋にゆく。
ビールを飲み、鮭の西京焼きと新潟の岩牡蠣をつまむ。
この店の大将は新潟出身である。神楽坂にある三つ星日
本料理屋石川の大将も新潟人。西麻布にある一つ星日本
料理屋ラ・ボンバンスの大将も新潟人。新潟は雪は深い
が山海の珍味に恵まれ水がきれいで米どころである。酒
どころである。そういう地に生まれ育った人は、なにか
味覚に対して特別な能力を身につけるかもしれんな。関
係ない話だが、この3人に人参が嫌いという共通点があ
るのが笑える。
寿司屋の大将と今日の相撲の千秋楽の日馬富士と白鳳の
優勝決定戦の話をした。大将は寿司屋だがスポーツが大
好きで、各種競技に造詣が深く、野球の試合にしても柔
道にしても水泳にしてもよく知っている。Fー1などは
レギュレーションの変更の情報のみならず、チームメカ
ニックの優劣などもしっているから、いったいどこから
そんな話を仕入れるのか感心してしまう。だからこの寿
司屋では大将とするスポーツ談義が楽しみであるが、他
の客は大将のそんな趣味は知らないと見えて、知ったか
ぶりの、君この時期の赤貝はやはり三河湾に限るね、な
どと寿司ネタをねたに喋っている。
大将と今場所をもって親方を引退する高見山の思いで話、
貴ノ花との大一番の話をしていると、バリバリバリッと
大音量が鳴り雷が落ちた。雷で話が中断したところにか
みさんから電話がかかってきた。娘と待ち合わせ、お好
み焼き屋で食事をしていたという。自転車ででかけ雨も
ひどくなってきたから今から大急ぎで家に帰ると言った。
傘は持っていると言った。
傘などさして自転車に乗れば運転しづらいうえに傘めが
けて雷がおちるかもしれんと心配したが、家に帰ってき
たかみさんは、べつにどーってことなかったわよってな
顔をしていた。俺の顔をみたついでに、ゴミの分別のし
方がちがう、何度言ったらわかるんですか、と小言もく
らわしてくれた。
部屋に戻りると雨はこやみになっていた。ベランダにで
て、時々光る稲妻に浮かび上がる東京の町を眺め、一服
しながら松本清張を読んだ。松本清張の初期の短編集で、
選者は浅田次郎。浅田次郎の小説のおもしろさは多くの
皆さんがご存じのところだが、どういうわけかわたしに
はおもしろくない。だが、この短編の選定はさすがなも
のがあった。小説家の小説の読み方を垣間見たような気
がした。もういちどバリっと光ったところで、雨が降っ
てるときにベランダにでてると濡れちゃうわよーとかみ
さんの声がした。
[PR]
by kasuya_senji | 2009-05-26 15:53 | Comments(1)
だきっしょ
2009年5月22日

え? なんていうんだっけ?
だっきしょ。
だっきしょね。何回聞いても覚えられないなあ・・
これは殻がついたまま煮込んだだっきしょ。
昨日、つまんだのは塩味がついた生のだっきしょ。
鹿児島弁で落花生を「だっきしょ」という。

らっかせい=だっきしょは、
方言・訛りとしても共通日本語とは随分遠い感じがする。
この遠さは、日韓の言葉、
感謝=かむさ(はむにだ)
にっぽん=いるぼん
という同意言葉の違いの距離感に相当しそうである。
ただの戯れ言だが、
◎ハノイ市内=叶姉妹。
◎スパイ大作戦=スパイ大作さん。
◎すしネタ3題。
 ベニスにすし。野獣すしべし。ジェネスシ。
のほうが近いくらいだ。

昨日も書いたが司馬遼太郎の「歴史を紀行する」に海音
寺潮五郎さんが登場する。桜島、この活火山は夕暮れに
なるにつれて色が刻々変わってゆくが、鹿児島のこども
たちは、毎日、目の前の天いっぱいに、こういう変幻き
わまりない色彩世界をみせられていては、自然感覚が豊
潤ならざるをえないにちがいない。そのようなこどもた
ちのあいだから、日本洋画の創世記のひとである黒田清
輝や、またこんにちでいえば海老原喜之助氏、東郷青児
氏などがでた。と司馬さんは書いていて、そのあと、し
かし作家はすくないとして、ただ一人の作家として海音
寺潮五郎をあげている。
かって海音寺氏は司馬さんにこういったと云う。
「わたしなどはね。日本語で書いているんですから」と。
これは無論海音寺氏の冗談であるがと断りつつ、薩摩語
というのは、つまり作家にとっての母体言語である薩摩
語というのは、それほど晦渋で、これと共通日本語との
ひらきは、ポルトガル語とスペイン語ほどの差があるに
違いないと司馬さんは言う。
天文館のバーでウオッカ・ソーダを飲みながら、つまみ
にらっかせいをかじって、これがだきっしょか、司馬さ
んの考察もさにあらんと、さらにウオッカ・ソーダをも
う一杯おかわりをしたのであった。
[PR]
by kasuya_senji | 2009-05-22 15:19 | Comments(2)
鹿児島滞在記
2009年5月21日

今週の初めは鹿児島にいた。
18日はツアーの移動日で夕方からミュージシャン、ス
タッフ全員揃っての食事会。まずは、ツアーの成功は皆
さんの献身的な仕事ぶりのお陰であります、よって感謝
の意を込めてささやかな食事会をおこないたいとプロデ
ューサーのわたしから挨拶をし、布袋から最終公演まで
進化し続けようと挨拶があり始まった。
食事は地元の主催者が選びに選んだ鹿児島黒豚の豚シャ
ブ屋である。美味くないわけがない。
主催者のK社のK氏と隣に並んで焼酎を飲み黒豚を頬張
った。K氏とはかれこれ30年以上のつき合いになる。
年齢はK氏が数年先輩で、面倒見の良い先輩とすこしだ
けわがままなやんちゃな後輩という関係はつき合った当
初から今の今までまったく変わっていない。
数年前のこと。我が家があるマンションのエレベーター
ホールにどこから飛んできたのか大きなハエがブンブン
と羽音を鳴らし、しばらくわたしのまわりを飛んでいた。
わたしは気配を殺しハエを安心させておいて、昔習い覚
えたブルース・リーばりの回し蹴りを一閃。アチョー! 
とお見舞いすると、みごとハエはぶっ飛んでおだぶつと
なったが、ついでにわたしは股関節を痛めてしまった。
痛めた後は、胡座をかくのが苦手になってしまった。3
0分が限度である。その旨K氏に申告すると、K氏もど
うやら腰をやっちまってるようで胡座が大の苦手だとい
う。身体を鍛えホノルルマラソンに参加しているK氏で
さえそうなのかと驚いたが、いずれにせよ畳の座敷でお
こなわれているこの食事会は適当に中座して顔なじみの
バーへ行こうと話はまとまった。
バーへ行くとZから電話が入る。Zも鹿児島に来ていた。
一緒に飲もうということになった。K氏とZがいつころ
からの知り合いなのかはよく知らないが、わたしはZと
も30年来の仲間である。年来の同年代の3人でひまな
バーでバーテンダー相手に、如何に我々が女性にモテる
かという法螺話で酒を飲んだ。でもこの法螺はあまりに
も嘘過ぎていまいち話に現実味がないものになったが、
酒の席はそのくらいでちょうどいいのだろう。相手も嘘
とわかって聞いているのが気楽というものだ。
この日も朝早く起きて、城山を下って天文館を歩いて散
歩をしたわたしは酒の席が午後11時を過ぎるといきな
り眠くなった。ZとK氏の話を夢うつつの中で聞いてい
た。中学や高校の時、授業中に眠くなるときがあったが、
あれとおなじくらい眠くて眠くて眠気が気持ちよくて・・
両名に起こされるようにもう一軒と誘われ、別のバーで
さらに眠くなって、ホテルに帰るタクシーの中でも眠っ
て、ベッドに入って熟睡した。翌朝目が覚めたら快晴の
空の下、桜島が目の前にドーン! と見えた。

この旅には司馬遼太郎の「歴史を紀行する」という一冊
を手にしていた。別冊文藝春秋に連載されていたものが
まとめられ一冊になった本で、高知県、佐賀県、鹿児島
県、京都府、岡山県などの分国を歴史的な視点で解剖し
た内容になっていて、おもしろい。
高知県を読めば、高知出身のH氏が思い浮かび、佐賀県
を読めばM君、鹿児島県は今回のK氏、京都では御池通
り木屋町下るの高瀬川沿いにあるフレンチのHシェフが
思い浮かぶ。
司馬さんは鹿児島県の稿では、冒頭桜島に触れていて、
地球の一部を窯に入れ焼き上げたような恰好でまるで神
の焼き物であると表現していた。言葉というものはこう
使うのかと感心する。また、全国小学生中学生の絵画コ
ンクールで優勝する生徒が鹿児島県の生徒がおおいのは、
朝昼夕と時刻によって表情を変えるあの雄大な桜島を子
供の時から見ているから絵画的要素が形成されるのでは
ないかと書いていたが、これまた見事な推測だろう。
鹿児島にいると不思議と日本を考えると司馬さんは言う。
それは鹿児島が日本の中で唯一中央政権に向かって戦争
をしかけたという歴史からくるものではないかと、奈良
朝時代の隼人の反乱、島津氏の反乱、幕末の明治維新、
西南戦争と例題を上げていた。
しかし、鹿児島はきれいな女性が多い街だなあ。金沢も
きれいな女性が多い街だと言われる。金沢にいる人に言
わせれば「居すぎる」ということらしいが、鹿児島もそ
うかもしれない。ただし、司馬さんはその件については
沈黙している。たまたま、週刊朝日で鳩山民主党の特集
号が組まれていて買って読んだが、司馬さんの最晩年に
家事手伝いとして司馬家に勤めた女性の手記が連載され
ていた。そこには司馬さんがいかにみどり婦人を愛して
いたかと書かれていたから、鹿児島おごじょに対しての
司馬さんの沈黙は金だろう。
城山散歩の途中に西郷の終焉の地がある。そこに土産物
屋があっていろいろな物を売っていた。屋久杉の彫刻な
ども売られていたが、店はまったく流行っていないよう
だった。現代では西郷さんの終焉も遠い世になってしま
っているのだろう。歌舞伎などでは忠臣蔵として元禄時
代の物語が今に伝えられていて、芝高輪の泉岳寺の四十
七士の墓は線香がもうもうと燻っているが、西郷どんの
物語は歌舞伎の主題にはならんとみえるな。土産物屋に
「せごどんの言葉」という子供向けの小冊子があったの
で買ってみた。ちなみに、せごどんとはさいごうどんの
こと。一種の教育書で、こどものころから大きな身体で
かなりやんちゃだったせごどんがいかにして日本を動か
す大きな人物になったかと、くり返し述べられていた。
天文館にある山形屋デパートを通ると、壁に山形屋の歴
史とも云うべき創業時の店内の風景が写真で展示されて
いた。その中に、
「鹿児島で初めて作られたエスカレーター」
という写真があったので、写メして写真家のYにメール
した。文言は、
鹿児島は随分遅れていて、最近になってやっとエスカレ
ーターが登場したようだ。人がわんさと押しかけている
と聞いたので出かけて写真を撮ったので送る。
その返事は、
ほんとかい! いやー。確か鹿児島は人口60万人と記
憶してるがエスカレーターは最近か!
というトボけたものだった。 
[PR]
by kasuya_senji | 2009-05-21 15:47 | Comments(1)
散歩

2009年5月15日

毎朝散歩をしている。
4月末の東京新宿厚生年金会館のホテイツアーの初日の
幕を開け、翌朝のすがすがしい思いの中で2時間ほど歩
いたのがきっかけとなり、10年ほど前にちいさかった
子供達を連れて毎朝散歩した日課が復活した。もちろん
今子供達は大人になり、歩くのはひとりだ。
初日にはなにも腹に入れずなにも飲まずただただゆっく
りと歩いて、それはとても気持ちがよいことだったけど、
空きっ腹に水分も補給しないで2時間も歩くのは返って
身体に悪いんじゃないかと思い、翌日からは、野菜ジュ
ース、コッペパンを軽く腹に入れ、途中で行き倒れるな
よという友人の忠告で、携帯は携帯することにした。
下町を流れる川に沿って河原を歩く。
時にゴミなどが捨ててあったりして人間のマナーの悪さ
に閉口する場所もある。ふしぎなものでゴミがある場所
はゴミが固まっている。誰かがゴミを捨てると、捨てた
い次の誰かがおなじところにゴミを捨てているのだ。誰
も捨てなければいつまでたってもゴミが固まらないわけ
だから、一人一人の注意やマナーの問題があっという間
に社会問題と化する典型的な例題であろう。固まればき
っと区の清掃担当要員が狩り出され片付けに出張るのだ
から、一人一人で整理できることに税金が使われている
ということだ。子供の問題や教育の問題や老人の介護の
問題に、地区に住む住民の住民税は使われるべきだ、税
金の無駄遣いはいわれるが住民が無駄に税金をつかわせ
てる場合も多いんじゃないか。住民諸君のマナーの向上
が正しい税金の使われ方につながるんじゃないか。など
と大人の考えも持ち出しながら歩く。普段の生活習慣の
中では気がつかないいくつかが歩くことで生まれるよう
だ。
河原には小鳥が歩いたり飛び上がっては虫を突いている。
水鳥が流れに浮かびあっという間に水に潜り、しばらく
離れたところにまた浮かび上がりながら漁をしている。
鳥も朝飯の確保に忙しそうだが、天気も良く連中にも気
持ちの良い朝のことだろう。
土砂か砂利を満載したタグボートを小型船がドッドッド
ッドとエンジン音を鳴らし上流に上っていった。河原か
らみていると、それはいかにも重そうで小型船の進み具
合はよほどスピードが遅く見えたが、並行して歩くと小
型船はあっという間に上流へ離れていった。
あのスピードは何ノットだろう。しかし、若い頃先輩に
誘われてヨットクラブメンバーとなり三浦半島の西側の
佐島マリーナから相模湾にヨットをだして遊んだが、い
つまでたっても船のスピードを示すノットには馴染めな
かった。原チャリで安全に気持ちよくスピードを出せば
時速40㎞ほど出る。竹芝桟橋から1000㎞離れた小
笠原二見港には大型客船小笠原丸で約24時間ほどだか
ら、その時速は約40㎞ほどで原チャリで太平洋上を走
行するのとほぼおなじ速度。しかし、はたしてそれは何
ノットだったか。船内に表示してあったと思うが忘れて
しまった。
歩く下町は、深川や本所、森下などの江戸時代からの町
屋ではなく、町屋が終わり田や畑があったところである
から、2階建てのアパートの角をまがると不意にお百姓
家の蔵などが現れる。なにに使っているのかよくわかり
ませんが、古びているとはいえそんじょそこらの地震な
どではびくともしないような堂々とした造りである。
あの蔵貸してくれないかなあと思いつく。
あそこでバーでもやったらさぞおもしろかろう。
おもしろかろうがここあたりじゃ客がこないだろう。
客がこなけりゃ赤字だろう。
赤字ではおもしろくなかろう。
と、思いつきを引っ込めたりしながら家に帰り着くので
ある。
[PR]
by kasuya_senji | 2009-05-15 12:22 | Comments(2)
あ〜あ 時の流れに身をまかせ・・
2009年5月14日

「そういえばよゥ。岡崎堂さんがよゥ。去年の末にたま
 には遊びに来いと誘ってくれてよゥ。忘年会やっただ」
「やっただはヘンな日本語サー。わたしのふるさとも日
 本語みだれちゃってたいへんこまってるサー。ただで
 さえよくわからない方言がおおいのに、みだれちゃっ
 てるからわたしにもわからないサー」
「日本語のみだれをなげいてんじゃねえョ。俺はよゥ。
 パテのこといいてえんだよ」
「パテってなんサ。工事現場でつかうセメントのことな
 らしってるサー。あれにはいろんな種類があってメー
 カーも、アサヒボンド、コニシ、スリーボンド、ペロ
 メタル、ヘンケル、セメダイン、家庭科学、日本ミコ
 ラン、フジワラ科学、その他メーカーといろいろある
 サー」
「その他メーカーっていったいなんなんだよ」
「その他メーカーの世話にもなってるサー。その他メー
 カーのアスファルトピッチは道路や駐車場の舗装面の
 ヒビ、穴に埋めて踏み固めるだけっちゅうやつで簡単
 サー。雨の日でも施工できるサー。よって、雨の日で
 も休みにならないサー。おまんま食えるサー」
「いったいどうしたっちゅうんだよゥおめえは。たまた
 ま舗装道路なおしてる工事現場にはいってるってから
 って専門用語つかうんじゃねえよ」
「ボンドウッドパテSなんかコニシからでてるんだけど、
 水性で速乾性があって塗装もできちゃうサー」
「やかましい! いつまでもいってんじゃねえョ。俺が
 いってるパテは食いもんのことだよ。食うもんなの。
 英語で書けば、P・A・T・E・Y・Aだよ。あれ? 
 これ英語だっけ? フランス語かねえ。イタリア語か
 ねえ。イタリア語だったらローマ字を正直に読めば、
 パテヤになっちまうからイタリア語じゃねェな。そう
 いえば麻布十番にパテが食えるパテ屋ってあるけど、
 ありゃ洒落かい? ま、なんでもいいんだけどよゥ」
「六本木ヒルズの工事の時、麻布十番をあるいていたら
 サー。テリーヌって書いてあったから、わたしはてっ
 きり犬屋かと思ったサー」
「つくってんなおめえ。テリーヌがコリーになるわきゃ
 ねえんじゃねえのォ」
「あれ? テリーっていう犬いなかったっけサー」
「いねえよ! 犬といえばそういえばよゥ。ホテイさん
 がいいともにでた時、ドーベルマン連れて、亀の水槽
 用にめっけた石もって散歩してたって話にタモリが恐
 ろしがっていたけどよゥ、きっとホテイさんサングラ
 スしてたぞ、ありゃ俺がでくわしても怖いかもな。だ
 からといってテリーヌがテリーにもコリーにもならん
 ぜよ」
「なめたらイクぜよサー。極妻サー」
「バカヤロー。なめたらイカンぜよだよ。イクもイカン
 もわかんねんのかおめえは。っとにィ−」
「映画といえばサー。アカデミー会員のYさんが最近な
 に観ても10点満点の9点つけてて、もうこりゃ老齢
 がすすみまくってるんじゃないサーといわれてるサー。
 なにか知ってるサー? ほんとにボケたサァ?」
「いつまでたってもパテの那覇市に、じゃねえ話にもど
 れねえじゃねえかァ。ったくよゥ。でもな。俺も聞い
 たぜ。Yさんの敬老化問題だろ。こまったもんだって
 皆いってたけど、それについてはYさんから岡崎堂さ
 んにメールが入ったからここにメール本文を掲載する」

☆映画の採点方
最近巷間において、私の映画採点における審査基準が、
加齢による耄碌で非常に緩くなっておるとの指摘がある
ようなので、その趣旨について本人がお答えします。
▽9点が多いのは、人生の機微に対する理解力が以前よ
りも深まったこと。
▽映画鑑賞の選択眼が以前よりも深まったこと。
▽9点は、8点以下の作品に競べて特別の領域であり、
したがって9点台のみにさらに細分化させた。
9、1から0,1刻みで10点まで採点する。
そのうちの大半は9,5以下で、9,6以上は年間の
ベスト3に選出されるほどにまれなのであります。
ちなみに、現時点までに観賞した映画本数は50本。
ベスト3は
1 スラムドック・ミリオネア
2 チェイサー
3 シリアの花嫁
向こう1年間で自分の考えが変化するのもまた楽しみで
す。

「だとよ。でもよう。そういうことなら10点満点じゃ
 なくいっそ100点満点でやりゃあいいんじゃねえの
 って思ってしまうんだがよゥ。30年も40年も10
 点満点でやってきたから、まあ、無理というものだべ
 か」
「で、パテとテリーはどうなったんサー」
「テリーじゃねえ。伊藤じゃねえ。テリーヌだよ」
「そうだ! コリー伊藤のほうが可愛いサー」
「まあな。でもあのツラ構えじゃテリーだな」
「で、テリー伊藤は今回の民主党の小沢の辞任をなんて
 いってたサー。テリー伊藤だけじゃなくクロガネヒロ
 シはなんていってたサー」
「とっとと代表戦やるのは小沢の魂胆だといってたぞ確
 か。俺もそう思うよ。民主党も開かれてるっていうん
 ならよゥ。自民党みてえに4人ばかり登場して街頭演
 説して自分の意見をいえばいいじゃねえか。みなさん
 はどう思いますかってな。国会中だから土日しか永田
 町を飛び出せねえっても、土曜日の朝、札幌、午後仙
 台、夕方渋谷だ。翌日曜日は、朝は名古屋、昼は大阪、
 夕方は福岡とやって、テレビのニュースで放送しまく
 ってもらって自民党のニュースを全部潰して、開かれ
 た政党ですよ、僕たちが政権を獲ったらこうしますよ
 ってアッピールすればいいじゃねえかなァ。やらねえ
 から、小沢が鳩山に禅譲したにちがいねえっていわれ
 ちまうんだ。いっくら麻生がコケでも、政府支持率が
 ヘロヘロでも、なーんか民主党政権にリアリティーが
 感じられないのはそんなことじゃねえのかァ」
「だっちゅうのに、自民党もまた与太こいてるサー。鴻
 池が、内閣官房副長官だよ、そいつがオンナ問題でま
 たやっちまったちゅうサー。宿舎にオンナ連れ込んで
 たのに、麻生がどなたが宿泊しても個人の自由であり
 ますなんてかばったから、こんどは議員無料パスつか
 って熱海にオンナと不倫旅行。いっしょに風呂入って、
 いや風呂の話は想像サー、でもきっとこうサー。わた
 しが先に入るから君後から来て背中流しなさいって。
 いやよいやよ恥ずかしいって、でも入ってきちゃうん
 サー」
「おいおい。その辺のことは綺羅光先生のエロ小説にま
 かせなさいよ」
「でね。流すだけじゃなく流しっこもしちゃうんサー」
「やめなさい!って。赤ひげ堂かおめえは」
「そのあとで、蒲団の敷いてある部屋のとなりで食卓囲
 んで君もワインはどうかね? パテもいいものを取り
 寄せておいたからいかがかねってサー」
「なんだよおめえー。パテ知ってんじゃねえか。なに話
 してたんだ延々と俺らはよゥ。でな、岡崎堂さんがよ
 ゥ。パテ買いに行ったら、あれはクリスマス、正月の
 パーティー時期のものですからってどこの売り場にも
 なかったっていってたけど、政治家なら取り寄せたな。
 なんちったて官房副長官だよニッポンの」
「わたしたちも温泉旅行行きたいけどオンナもいないし、
 金もないサー。せめてパテでも食うサー」
「おめえもいいこというじゃねえか。ゲンちゃん! お
 いゲンちゃんったらゲンちゃんよゥ。パテあったらだ
 してくんねえかァ? なに? そんなもんおいてねえ? 
 パテってなんだってかァ? パンティーとちがうかっ
 てかァ? やかましい! そりゃ鴻池だろが」

嗚呼、時の流れと無意味な会話に身をまかせるように今
日も元気で煙草がうまい二人でありました。
[PR]
by kasuya_senji | 2009-05-14 15:38 | Comments(0)
ISOLA
2009年5月13日

ホテイツアーGVの名古屋のコンサートもまたベスト・
オブ・ベストだった。
大学時代からの知り合いのI社の役員のSを招待したが、
コンサートを観てビックラこいていた。

「あんたはいいよなァ。あんな仕事ができるんだから。
 いや製作に苦労はつきものだとは知っているよ。でも
 あんたの顔を見りゃァそれも楽しいって書いてあるぜ。
 俺なんか600人の部下がいるが、本社から数字数字
 数字と追っかけまくられて気が休まるヒマがないよ。
 あんたが思ってるほど給料も高くないしな」

とこぼしていたが、寿司をつまんで、焼酎を酌み交わし、
夜の帳も降りたことだから女性の話でもどうだ、最近は
モテるのか? と話題をかえると、本社からの数字の追
っかけなどはどこへやら、たちまち渋面がにやついた笑
顔に変身した。

「この寿司屋うまい! 気に入った。よーし今度はカス
 ヤなんかじゃなく彼女を連れてくるぞー」

と拳を突き上げていた。おいおい。コンサートに招待し
て食事まで馳走している俺をカスヤとなんかじゃなくは
ないだろうと言っても、いや俺はこの店が気に入ったぞ、
今度はふたりで来るぞーと叫ぶばかりだった。いや、S
は叫ぶばかりではなかった。ベトナムで今井美樹の「プ
ライド」がポピュラーと聞いたからベトナムに行って来
たというと、俺もベトナムには何度も行ったがあそこは
いいところだ。I社はベトナムで60%以上のシェアを
持っているから美樹ちゃんがベトナムでコンサートする
なら応援できるかもしれんぞと言ってくれた。わたしは、
酒飲み話として聞いておくが忘れるなよと答えておいた。

Sと寿司屋でわかれ、友人のKZOのバー・ISOLA
へ。場所は矢場公園のとなりだと聞き、タクシーの運転
手にそう告げるが、途中一方通行がありますからこちら
から行きましょうかそれともあちらから回りましょうか
と言われた。そのあたりの地理に不案内だから答えよう
がなく困ったが、行ってみればすんなり店の前に着いた。
ISOLAは、エド・マクベイン書くところの刑事物語
り「87分署」シリーズの主人公達が務める分署がある
地名のことで、主人のKZOのハードボイルド好きが嵩
じてそう名付けられた。めずらしく混んでいた。KZO
も誰もいない静かなバーが好きというが、それじゃ商売
にならないんだと笑う。
KZOと今回の村上春樹のレイモンド・チャンドラーの
「長いお別れ」と「さらば愛しき人よ」の新訳は、清水
俊二の旧訳とくらべあーじゃらこーじゃらとひとくさり
立ち話をした。チャンドラーの原書では、SALOON 
DOOR(西部劇などにでてくるバーの入り口にある真
ん中でふたつに割れているちいさな扉。バネで止められ
ていて人が出入りする度に自分で元に戻るドアのこと)
と書いてあるが、清水旧訳では二重ドアと訳されていて
よくわからなかったが、村上新訳ではスイングドアとな
っていて、こちらのほうがまだわかりやすいがアメリカ
人やイギリス人にスイングドアと言っても通じないから
困っちゃうながあーじゃらで、こーじゃらは村上新訳、
清水旧訳果たしてどちらが大鹿マロイにシンパシーがあ
ったかで、これはどちらにも分があるなということだっ
た。
ケリーのFとぴあのKとKZOと同年代同士の4人がそ
ろったところで、まあ、立ち話もナンだからとテーブル
に移り、ちょっぴりシニカルな仕事話をした後で、話は
互いの家庭のことになり、互いの女房を自薦他薦で褒め
ちぎって笑いあり涙あり。気がつくと他の客は皆帰って
しまったようで、またいつものように誰もいない静かな
バーになっていた。コルトレーンがかかっていた。
[PR]
by kasuya_senji | 2009-05-13 13:43 | Comments(0)
忌野清志郎
2009年5月12日

清志郎さんの葬儀には参列できなかった。

忌野清志郎との最初の出会いは、そうだな、もう40年
も前になるかな。
渋谷の宮益坂の途中の右手に珈琲屋トップスがあって、
あの当時珈琲専門店というのは珍しく、映画の待ち合わ
せなのでこの店をよく利用していた。店の道向かいの路
地を入った右側の地下に青い城というライブハウスがあ
った。ライブハウスといっても今の下北沢にあるような
ライブハウスのようなものではなく、お茶を飲むテーブ
ルのあるちいさな喫茶店のような店の片隅に15㎝ほど
高く作られた小スペースがあり、そこで誰かが歌を歌う
というところだった。ボーカル以外は生音だったと思う。
そのころ、中学の同級生の大野君がセツモードセミナー
の学生で、和製ミュージカル・ヘアーに出演し、そこで
知り合ったマーク・堀内護とその友人のトミー・日高富
雄と3人でガロというバンドを結成し活動を始めていた。
当時、ガロの面倒を見ていたのは橫井君というマネージ
ャーで、彼は青山学院大学の学生だった。大学に入った
ばかりのわたしには、たかが2年ほどの先輩の橫井君が、
学生でありながら音楽事業をやるなんて、とたいへん大
人に見えたものった。ルックスは当時の先端ファッショ
ンである長い髪に薄手のブラウスにパンタロンジーンズ
という出で立ちだった。
或る日、ガロが青い城でライブをやるので観に来てよと
誘われ青い城へいってみると、客はわたしをふくめ4人
だった。そのころのガロはまだ人気はなく、なにを歌っ
ていたかもあまりよく憶えていないが、対バンの3人組
の曲はいまだに憶えている。
「僕の好きな先生」
それがRCサクセションだった。
高校を卒業したばかりのころじゃなかったか。歌を担当
している清志郎という青年は可愛らしい顔をしていたが、
独特の声には驚いた。RCサクセションの出番になると
10人ばかり客が入ってきたことも憶えている。彼らは
東京のバンドなんだと橫井君は言い訳をするように羨ま
しがっていた。
その後、25年ほど経て、清志郎と直接面識ができたの
はロンドンのメトロポリス・スタジオ。となりのスタジ
オで清志郎がレコーディングしていると聞いたわたしと
布袋はレコーディングの合間に清志郎とお茶を飲み語り
あった。
今のたいがいのレコーディングスタジオはそのスタジオ
毎に応接などのスペースを持っているところが多いが、
アビーロードもメトロポリスもスタジオ毎のそういった
スペースはなかった。どこか空いてる部屋はないかと捜
すとスタジオマネージャーの部屋が空いていた。わたし
たちはそこへ清志郎を招いた。断りもなくかってにマネ
ージャーの部屋に入るなんて! と清志郎はちょっと驚
いていたが、わたしも布袋もマネージャーとはいつしか
友達になっていて、スタジオのスタッフも布袋とセンジ
ならと誰も気にしていなかった。
布袋はレコーディングの曲のことや泉谷バンドのギター
をやっていたころのことを清志郎と話していたと思う。
わたしは青い城の話をした。
どこにでも書いてあることだが、ステージをおりた清志
郎はとても好感の持てる礼儀正しくシャイな人だった。
個人的にはそれくらいの邂逅しかないが、あの時、わた
したちと話していた時の優しそうな笑顔が忘れられない。
                       合掌。
[PR]
by kasuya_senji | 2009-05-12 14:44 | Comments(2)
西国遍路
2009年5月11日

5月4日に東京に戻り、つかの間のゴールデンウイーク
をかみさんと娘と一緒に食事をして過ごし、5日子供の
日の朝には広島へ向かうために東京駅に。

旅は読書場でもある。ベトナムではルネッサンス期を題
材にした「ミケランジェロの暗号」に没頭したが、この
手の洋書本はいくらおもしろくても旅にはまらないこと
もしばしばある。ベトナムでの旅本は例外中の例外だっ
た。仙台からの帰りの新幹線で本を読み終えてしまい、
次に読むべき本がみつからないという読書の谷間のまま
旅に出ることになった。
旅にすんなりはまるのはなんと言っても司馬遼太郎の街
道を行くシリーズか藤沢周平の用心棒シリーズ。この両
シリーズは、書かれている風景がまったくちがうにもか
かわらず、ロンドンでもアムステルダムでもサンフラン
シスコでもカリブ海諸国でもはまった。いわばわたしの
旅の必需品なのだが、あいにく4月にプチ司馬・藤沢ブ
ームが訪れて読みまくってしまっていた。
そこで、はまればもっけもんとスケベ根性をだし「死海
文書」を持参に及んだがだめだった。新幹線が小田原を
通り過ぎる前にギブアップしてしまった。
新聞読んでもまだ着かない。
弁当食ってもまだ着かない。
車内でメールしてもまだ着かない。
車中でやることなにもなしとひさしぶりに時間をもてあ
ます長い旅になった。これなら素直に飛行機で行けば良
かったのかもしれない。
やっと広島駅に到着し、タクシーに乗る前にコンサート
が行われる会場を確認する。ALSOKホールとなって
いた。
ALSOKホール???? どこだっけ???
そこで岡山の友人のZに場所を確認しようと連絡すると、
ちょうど旅から岡山に帰ってきたところで、旅の荷物の
整理と洗濯と部屋の掃除をしているところだという。2
週間前にZが仙台で井上陽水とお茶を飲んだという話を
すこし聞いてから、ALSOKホールはなんじゃらほい
と訊ねると旧郵便貯金会館だと教えてくれた。 
最近はネーミングライツとかで以前親しんでいた名前と
違っている会場が多くなった。ロンドンでも、ロックの
殿堂ハマースミス・オーディオンやタウン&カントリー
という音楽ファンに愛された名前はすでに無く、両会場
ともカナダのビール会社の名がついている。ふしぎなも
ので名が変わると伝統までも無くなってしまうように感
じる。渋谷公会堂はCCレモンホールだし名古屋市民会
館は中京大学ホール。伊藤春夫君(仮称)が有明賢三君
(仮称)に知らないうちに変わってしまったようで実感
もなにもない。ネーミングライツもいいような悪いよう
な・・
ライブが終わって会場をでると雨が降っていた。ホテル
のバーで一杯やってチロリン村の「中ちゃん」に顔をだ
す。この店はカウンターだけの店だが30数年間なにも
変わっていない。煙草は吸えるが灰皿はなく吸い殻を床
に捨てるところまで変わっていない。
アンタが向かいのソープランドに行くためにこの店で時
間待ちをにしよったがね、と中ちゃんがいうから、いや
俺じゃない、人聞きの悪いことはいわんといて、あれは
竹五郎だというと、竹は元気しとるんかいな、松はどな
いしとるんや、梅はどこにいったんや、と昔話に花が咲
いた。屋台に入り口をつけただけのような店だが、店主
の中ちゃんはその昔は或る有名ホテルのコックをしてい
た経歴の持ち主だから、ステーキも焼けば牡蠣も焼く。
アスパラも焼けば煮込みもだす。焼き上がった肉や牡蠣
の皿にクレソンや野菜が山盛りとなってでてくる。料理
は手際よく早い。屋台風なのになぜか洋食的なプレゼン
がミスマッチの魅力で、しかも味付けが昔と一切かわら
ず美味い。いくらかね? と勘定を聞くと、8千円を8
千万円というところも一切かわらない。広島のマニアな
人達に愛されて開店以来なにも変わることなく数十年。
もうこんな店は日本中でここしかないだろう。同行の3
人の女性と1人の男性の4人組の家族には、ソープラン
ド街の外れにあるディープなチロリン村はいかにも似つ
かわしくないように思えたが、皆さん美味しいと喜んで
くれた。中ちゃんが腰が痛いけん、もう年じゃけんな、
いつまでやれるかわからんぞと前屈みになって仕事をし
ていたのがちょっと気になった。

翌日は広島から岡山に移動し、岡山からマリンライナー
号に乗り、瀬戸大橋を渡って香川高松へ。初めて瀬戸内
海を鉄橋で越えた。香川へはなんども行ったことがある。
今はなくなってしまったが20年ほど昔には、あの新宿
にある日本初の高層ホテルで有名な京王プラザホテルの
直営ホテルが高松にあって、コンサートツアー音楽業界
では幽霊ホテルとして有名だった。霊感が鋭くないわた
しはそういわれてもなにも感じなかったしなにもでくわ
さなかったが、霊感が強いN歌手は廊下ですれ違った人
が消えたとか、部屋に入ると知らない人が座っていたと
か話をしてくれた。あまりに気味が悪いんで部屋を変え
てもらったがどこの部屋に変わってもおなじ人が訪ねて
きたとも言っていた。
昔はそのようなホテルが日本中にあった。大阪のTホテ
ル。福岡のIホテル。札幌のPホテル。東京のOホテル。
でるところは決まって昔はここは墓場だったというのが
相場で、昭和40年代50年代の日本国中都市大開発時
代の副産物話に尾がつき鰭がついたものだったのではな
いか。霊感の鈍いわたしもなにかそのような目にあった
ことは1度だけあった。P市のRホテルでめずらしく金
縛りにあったのだ。部屋の電気を消して寝たがトイレの
電気を消し忘れた。夜中に目が覚めるとすこしだけ開い
たトイレのドアから灯りがこぼれていた。電気消さなき
ゃ。でもめんどくさいなと思っていると、こぼれた灯り
が人影で遮られた。あれェ?!! と思った瞬間金縛り
になった。金縛りが解けるとまたしばらくして黒い人影
があらわれ、そのたびに金縛られた。おいおい、俺はS
M趣向の縛られマニアじゃないぜ。金で縛るんじゃない
よと与太口を叩けるようになると黒い人影君はどこかに
消え失せていった。翌朝、ホテルのロビーに集合すると
ツアーご一行様全員が一晩中金縛りにあったと騒いでい
た。そんなこともあったけど、ここ最近はそんな話は聞
いたことがない。幽霊の正体見れば枯れ尾花という。ネ
ットワーク社会では情報により枯れ尾花ははじめっから
枯れ尾花と知れていて幽霊に変身する機会も失われてし
まっているようだな。

楽屋の窓から屋島が見えて、高校の時の修学旅行を思い
出した。愛知県の国鉄岡崎駅から夜行に乗り翌朝山口へ。
山口で秋吉台の鍾乳石を見学し、その夜は広島の宮島に
一泊。厳島神社に詣でて旅館に帰るとおなじ愛知県から
修学旅行で来ていた別の高校の生徒とでくわし、どちら
が売ったわけでもなくいつしか喧嘩騒ぎになった。担任
に怒鳴られ、飯は食わさん! とあやうく夕飯を召し上
げられるとこだった。
翌日、広島から岡山へ。宇高連絡船で高松に来て、屋島
に登ったのだ。今回もそうだったが、あの時も瀬戸内海
は海からの水気が淡々と立ち上り、夕陽に島影がぼんや
りと海に浮かんでいた。平家の没落、祇園精舎の鐘の声
・・という平家物語の舞台に今俺はいるんだなとの思い
が強くしたことを憶えている。
楽屋にいたスタッフに、あれは屋島じゃないかね? 
と聞いたが、誰も知らなかった。いや、俺はね。高校の
時に修学旅行で屋島に来てね、と語ってみたが、本番を
前にして最後の確認をしているスタッフには迷惑だった
かもしれんな。思い出など共有していなければなんの価
値もないのだから。
ライブ後は現地主催者のA氏とホテルのバーで一杯やっ
てから食事にでた。考えてみれば、仙台でも広島でも高
松でもライブが終わるとホテルのバーで飲んでいる。こ
りゃ麻生と一緒かァ。麻生の肩はいっさい持つつもりは
ありませんが、ホテルのバーは安くはないがけっして高
いものではないということはお断りしておきます。だい
たい食事前に軽く一杯飲むとすれば早い時間から開けて
いるホテルのバーくらいしかないのです。それはそれと
して食事にでてみると、連休最後の日と云うことで軒並
み休業していて名にし負う夜の高松の繁華街は火が消え
たような淋しさだった。A氏行きつけのどの店もやって
いなかった。行き場が無くなって、もう帰ろうかといい
ながらグズグズと歩き続け繁華街を抜けると、A氏がい
うところのディープなエリアに踏み込んでいた。そのデ
ィープなエリアにジャマイカンバーが1軒だけ店を開い
ていて道路に灯りがこぼれていた。連絡すると駆けつけ
た舞台監督のE坂やS藤も合流し、カリビアン・バーベ
キューチキンを食べ、ジャマイカビールのレッド・スト
ライプを飲んだ。この食べ物とビールの組み合わせは、
カリブ海のモンセラット島のチャーリーズ・バー以来の
ことだった。翌日高松空港に向かう途中に、浄土宗の開
祖法然を祀る西国札所寺があるのが見えた。四国は空海
との同行二人だけでなく法然との同行二人があることを
知った。平安、鎌倉の時代がまだ息づいていた。
[PR]
by kasuya_senji | 2009-05-11 15:14 | Comments(0)

 
Copyright ©1997-2007 Excite Japan Co.,Ltd. All Rights Reserved.
免責事項
- ヘルプ - エキサイトをスタートページに | BB.excite | Woman.excite | エキサイト ホーム