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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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ドライブ
2009年6月29日

梅雨の晴れ間の週末の土曜日。
ドライブに誘うとめずらしくOKというから、かみさん
とひさしぶりに遠出した。一昨年の秋に左足に故障が見
つかり手術をしたが、その後は、足の負担を考えると遠
出はできればさけたいといって出かけることはなかった。
ところが先日のこと。夏用のサンダルを買いたいといっ
た。イタリア製の足に負担がかからない構造をもったサ
ンダルであるらしく、知人から、自分で履いてみたけど
何のストレスもなかったからあなたも夏用のオシャレな
サンダルをと薦められたらしく、買いたいなあ・・とい
っていたから是非とすすめ、新しいサンダルが我が家に
とどいた。どといたがまだ履く機会はないようだった。
めずらしくOKはしたが、そもそもめずらしく誘ったの
はそのサンダル履いて少し遠出をしないかと誘ったので
ある。
ドライブコースは、首都高~東名~御殿場~芦ノ湖~箱
根~厚木小田原~東名~首都高~自宅。首都高の3号線
が混んでいて東名に入るまで時間がかかった。横浜町田
の先で交通事故があったようでひどくはないが渋滞もし
ていた。海老名にたどり着くまでに1時間以上を費やし
たので、海老名でトイレ&遅い昼飯タイム。先日のテレ
ビ番組でギャル曽根が海老名パーキングエリアの売れ筋
飯の大食いをやっていたのを見たらしく、そのメニュー
が美味しそうだったとかみさんがいうから、ギャル曽根
は美味くてもそうでなくても食いまくるんじゃないかァ? 
テレビだもの美味くなくても美味いというのがお約束じ
ゃないかァとわたしはハンバーグランチをかみさんは上
海焼きそばを食ったが味は上海焼きそばの勝ちであった。
海老名にある肉まん世界一の称号をもつ横浜中華街の店
の肉まんを土産に買って、御殿場へ。そういえばいつも
は足への負担を考えてぺったんこの靴を履いていること
が多いから、かみさんと並んで歩くと背が高かった。遠
くからかみさんが歩いている姿をみると、ナンダカ足が
長くなったような感じがした。
江戸時代の幹線道路である東海道は箱根山を越え三島に
抜けていたし、鉄道も丹那トンネルの開削という史上希
なる困難な工事の末に熱海~三島間が開通して、御殿場
は取り残された地域だった。
その後、御殿場は日本に来た外国人が軽井沢を避暑地と
して発見したように、御殿場も避暑地として発見され、
何もなかっただだっ広い御殿場に農場ができ、豚を飼い
牛を飼い牧場ができ人々が住みつき、徐々に開拓された
場所である。その名誉ある第一号の開拓者のアメリカ人
が残したファームに二の岡フーズというハム・ソーセー
ジ屋がある。大きめのボロニアソーセージと焼き豚を買
った。ボロニアソーセージは2ミリにスライスしてもら
ったのと塊を買った。スライスしたソーセージはサンド
イッチ用の薄く切った食パンにのせ、マーガリンを塗り、
辛子を塗り、トーストして食べると、まあ、あなた、美
味しいこと。いくらでも食えます。
塊は、2㎝角に切って燻製機でスモークすると、まあ、
あなた、薫り高く、この時期ビールがすすみます。その
ままのスモーキーフレーバーで辛子をつけて食ってもよ
く、マヨネーズをつけて食ってもよく、おたふくソース
をつけてもよく、醤油も合えばにょくなむをちびっと垂
らしてもよく、まあ、あなた、書いてて腹が鳴ります。
御殿場から乙女峠を越えて芦ノ湖へ。このみちはこども
達がちいさかった頃の夏の思いでの場所であります。
国道1号線で箱根湯本に下るみちはさすがに週末のこと
とて、麓におりるまでのろのろと渋滞していたが、鳥の
声がずーと聞こえていて、おなじ渋滞なら鳥の声を聞き
ながらのほうがいいねとかみさんがいった。
湯本におり小田急湯本駅の近くのパーキングに車を駐車
し、今夜の夕飯用に名物のお稲荷さんを買おうと寿司屋
「ハゲ天」に行くと終っていた。ちかくのソバ屋「初
花」も終っていた。最近、箱根にでかけることが少なく
なって忘れていたが、このあたりの店は、梅干しやでも
干物屋でも蒲鉾屋でも午後7時には終ってしまうのだ。
厚木小田原道路に入る直前に仕舞いかけている店があっ
たので、ちょっとおまちくださいと声をかけ店に入り、
梅干しとシラスを買うことができた。梅干しはかみさん
用。
シラスは、サンドイッチ用の薄く切った食パンにマーガ
リンを塗り、辛子を塗り、シラスをたっぷりのせ、スラ
イスした溶けるチーズをのせてトーストすると、まあ、
あなた、これが美味くていくらでも食べられます。ミル
ク。フルーツジュース。コーヒー。で、ナイスな朝飯で
あります。なんでも、アラ還になっても永遠の体型を保
っている由美かおる女史もこのシラストーストが朝飯な
んだそうだ。こう書いていると腹が鳴ります。帰路の厚
木小田原~東名~首都高はすいすいと走った。久しぶり
のドライブはナンダカデートをした感じ。ナイスな週末
となりました。
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by kasuya_senji | 2009-06-29 17:29 | Comments(0)
マイケル・ジャクソン
2009年6月26日

朝、コーヒーを沸かしテレビをつけると「マイケル・ジ
ャクソン死亡」というニュースが流れていた。今までも
何度かデマのような死亡説が流れたことがあるが、どう
やら今度は本当のようだ。
ロスアンゼルス現地からのヘリコプター中継の画面には、
UCLA病院の前に大勢の人が駆けつけていた。いかに
も野次馬的な人もいれば、LOVE MICHEL と
書いたプラカードを掲げている人もいれば泣いてる人も
いた。各局このニュースを取りあげていたが、デーブ・
スペクターのコメントが一番優秀だった。彼が言ってい
たのはこんなことだった。

「こどもの時から大スターで名声と、金で買える物はな
 んでも手に入れることができた。でも、こどもの時か
 ら友達はいないし、まわりに群がった人々は金に群が
 ってきたんだろう。金でなんでも買える人という者は
 好むと好まざるにかかわらず、そうにしかならないん
 だ。性的幼児虐待などといわれたが、純粋なこころを
 もっているこどもしか愛せなかったのじゃないかな。
 人種差別。名声。金銭感覚のマヒ。人間不信。病気。
 孤独。稀代希なる才能は稀代希なる過酷な人生を歩か
 ざるを得なかったんじゃないだろうか」と。

いつもテレビで見かける度にうざい奴、アメリカの親父
ギャグ野郎とばかり思っていたが、デーブ・スペクター
を初めて認めたのが今朝のコメントだった。
もし、マイケルジャクソンにもう一度生まれ変わったら
マイケル・ジャクソンしますか? と聞くことができた
としたらなんと答えるだろうか。
NO と言うかもしれない。
マイケル・ジャクソンのファンになってマイケルの音楽
をいつまでも楽しんでいたいと言うかもしれない。
と、デーブ・スペクターのコメントを聞いて思った。   
                     アーメン。
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by kasuya_senji | 2009-06-26 15:46 | Comments(1)
レキシントンの幽霊
2009年6月23日

以前、「片足のサーファー」という村上春樹の短編を読
んだときの読後感とおなじものを同氏の「レキシントン
の幽霊」という作品でも感じた。
その感じは一言でいうと、自分にもおなじ経験があった
かもしれないという感じである。
片足のサーファーという作品は、ハワイにいる片足のサ
ーファーの物語りだが、その本を読んだ次の日の夕方、
ロンドンの友人が事務所を訊ねてきて、オークラ・ホテ
ルのバーで軽い食事をした。友人がかって日本に住んで
いたころ小笠原諸島に魅せられ何度も通いすっかり小笠
原通になったという話を聞かせてくれた。ちょうどその
ころわたしも小笠原によく通っていたこともあり、青い
海、ジニーズビーチ、南島、ウミガメ、クジラ、恋人岬
に沈む夕陽、月の夜と話は尽きることなくはずんだが、
食事が終わった帰り際、友人が二見港の奥の住宅地に、
片足のサーファーが住んでいたが彼は今も小笠原にいる
のだろうかとつぶやき、わたしをびっくりさせたことが
あったから、この小編については特につよく記憶に残っ
ている。
レキシントンの幽霊は、主人公がボストンにいたときの
体験談である。この主人公は村上春樹氏である。アメリ
カで村上作品が翻訳され、雑誌に掲載され、それを読ん
だアメリカ人の読者が出版社にこの作家と会えないかと
連絡をしてきた。その人との話である。作家は自分の作
品を読んだ読者と簡単に会うことはしないのだが、読者
がジャズの名盤のコレクターであるということに興味を
持ち、また、おなじマサチューセッツの隣町に住んでい
るという気楽さもあり、読者を訊ね、その後親交を重ね
るのである。あるとき、読者(作品の中ではケーシーと
いう名)から、仕事でロンドンに行くので犬の世話をし
ながら1週間留守番をしてもらえないかとお願いされ、
住み心地の良い邸宅で過ごすことになるが、その初日の
夜中、誰もいないはずの階下のリビングでパーティーを
開いているような音が聞こえ、眠れない夜を過ごすとい
う体験がもとになって書かれた短編である。
二十二歳の頃。小石川の愛知県の学生寮をでて、友人の
Oと立川の米軍ハウスで共同生活をはじめたが、Oは結
成したバンド・ガロがすこし売れかかってきていて忙し
く、引っ越した日は荷物を運び込んですぐ地方へ仕事に
出かけていった。わたしはそれまでの6畳に二人で住ん
でいたせまい学生寮の部屋にくらべ、3LDK、30畳
もあるリビングに大きなキッチン、大きなバスルームと
格段におおきな家にひとり残された。なんとか自分の荷
物を片付け、ベッドを部屋に運び込み、初めての夜は一
人で寝た。あまりに広くてなんだか落ちつかずなかなか
寝られなかったが、それでも引っ越しの疲れもありいつ
しか眠ってしまったようだ。夜中に隣のリビングでドス
ン! と音がして目が覚めた。リビングに誰かいるよう
だった。ドスンとソファーに腰かけ、板の間の床をこつ
こつと靴音をさせ歩く気配も感じた。しばらくすると音
は聞こえなくなってまた眠りに落ちると、今度はキッチ
ンにある勝手口をコンコンとノックする音が聞こえた。
今度こそ誰かがいるんだと起き上がりキッチンの勝手口
をあけると、大きな身体をしたりっぱな黒人の軍人がい
て、
「マーティンと言います。あなたが今度この部屋に越し
 てきた人ですか」
といって消えていった。
わたしは、
「マイネーム イズ センジ・カスヤ」と答えたことは
よく覚えている。なにしろ夢で英語を喋ったのはこれが
はじめてのことだった。
朝、目が覚めると昨日の夜中のことが本当にあったこと
か夢の中のできごとであったのかよくわからなかった。
コーヒーを沸かし、庭の椅子に腰かけ飲んでいるとさっ
そく大家があいさつにやってきて、家賃はいつ集金にき
ますから現金で用意してくださいという話のついでに、
米屋は、魚屋は、八百屋はここにある、酒屋は連絡すれ
ば持ってきてくれるなどと生活の知恵をさずけてくれた。
夕べのことが気になっていたので、
「この部屋には以前誰が住んでいたんですか?」
と聞くと、
「マーティンという将校が住んでいました。マーティン
 はベトナムに行きましたが、戦死したと聞いてます」
と答えた。実は夢の中にその人があらわれ挨拶をしまし
たというと、日本が大好きな人でしたから魂がもどって
きたのでしょう。きっとあなたたちが住むことを気に入
ってくれたのでしょうといって大家は帰っていった。
レキシントンの幽霊達は1回だけしかパーティーをしな
かったが、マーティンは何度も我が家を訪れた。たいが
いはOがいないわたし1人のときで、夜中にだれもいな
いリビングのソファーに座ったりキッチンでなにかやっ
ていた。ただ初日以外は顔を合わせたことはない。音だ
けが聞こえるのである。はじめのうちこそ気味が悪かっ
たが、そのうちに慣れてしまった。しばらくやってこな
いと、あいつはどうしてるのかななどと思うようにもな
った。つき合ってみると(?)マーティンは悪戯すきな
幽霊だとわかった。キッチンで音がした翌朝、ナイフが
なくなっている。どこをさがしてもない。ようやく、廊
下の突き当たりにある靴箱のなかにあるのを見つけたが、
はさみやシャンプーやタオルなど物がなくなるときまっ
て靴箱に隠されていた。Oが叫ぶ。
「カスヤー。昨日買ってきてここにおいてあったギター
 弦知らない?」
「靴箱の中さがしたのかァ」
てな調子だった。
村上春樹は同世代(年は村上氏が先輩)で、或る時代が
若者の心におなじ心象風景をもたらしたんじゃないかと
も思える。2つの作品がおなじ読後感だったというのは、
そういうことなんだろうかと思う。
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by kasuya_senji | 2009-06-23 17:15 | Comments(0)
父の日

2009年6月22日

昨日の日曜日は父の日。
以前、弊社に勤務し、現在は花屋を経営しているT君は、
一年の一番の稼ぎ時は「母の日」ですと言っていたが、
父の日はそこまで華やかではなさそうだ。まあ、デパー
トの父の日商戦で、特別にコーナーがもうけられるとい
ったところだろう。取り揃えられる商品は、ネクタイ、
シャツ、帽子、浴衣、作務衣、ジーンズ、ジャケットな
どなど等々だろうか。
でも、わたしはこども達から何かをもらうというよりは、
やはり、
「おとうさんありがとう。いつまでもやさしいおとうさ
 んでいてください」
とカードが贈られるのが一番嬉しいものであります。幼
稚園や小学校では先生からおとうさんに贈るカードをみ
んなで作りましょうとなるのだが、二十歳を過ぎれば、
カードだけではこどもっぽくて、なんじゃろな・・・
と考えるようで、娘からはフルーツゼリーの詰め合わせ、
息子からはパイ皮で包んだ餡のケーキの詰め合わせを贈
ってもらった。どれもおいしかったのでおいしいおいし
いと食べたが、なんだか、お中元をいただいたような感
触もあったな。父とのつき合いも大人風になったという
ことなんだろうとも思った。
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by kasuya_senji | 2009-06-22 20:42 | Comments(0)
坪庭には殺虫装置
2009年6月16日

京都で「維新の時代の人々」という本を買ったとき、つ
いでに「京都名坪庭」「京都名庭園」という小型の写真
集も買った。
名庭園の方はそのほとんどが寺や神社の庭を紹介してい
るが、名坪庭は寺神社だけでなく個人宅のものも紹介さ
れていた。坪庭と言ってもそれなりに大きな物もあるが、
個人宅の坪庭には、文字通り2坪ばかりのちいさな庭も
ある。
我が家はマンションだから坪庭などないが、仮に坪庭を
作るとしたら・・・どれがいいかなと、あたかも、今か
ら坪庭を作るが如く参考にして見ていたが、ひょんなこ
とが気になった。どの坪庭も障子など開けっぱなしにし
て部屋から観賞するようになっていて、虫とか蟻とか蚊
とかが家に入りこまないんだろうかと思ったのである。
わたしが育った家は岡崎の町の外れにあるちいさな木造
住宅だったが、夏は簾などたらしているが風を通すため
に窓や玄関などは開けっぱなしで、そんなもんだから、
蟻は入り込んでくるわ、蚊は入り込んでくるわ、カナブ
ンなど電灯めがけて飛びこんでくるわ、ゴキブリなど自
在に出入りしていた。蚊取り線香、はえ取り紙は必需品
で、台所にぶらさがったはえ取り紙にははえがべたべた
とくっついていた。ちゃぶ台にははえ除けのための大き
めの丸い網がおかずにかぶさっていた。
ファーブルや手塚治虫とはちがい、虫はこどもの頃から
好きじゃなかった。近所のガキは夏休みになれば近くの
山にでかけ昆虫採取をしたがわたしはでかけたことがな
い。カブトムシや大型のくわがたが虫かごに入ってるの
を見て、うらやましくもあり敬意も表したが自分でつか
まえる気にはならなかった。
写真に写っている坪庭を持つ京都のご家庭は、夏はいか
がな生活をされているんだろう。わたしが少年時代を過
ごしたあの家のような生き物同居生活で暮らしているん
だろうか。伏見稲荷の参道の食堂も表は参拝客、観光客
にむかっておおきく開かれており、中に入れば庭に面し
裏も大きく開かれている。風が抜けて気持ちがよいのだ
が、俺が虫君だったら忍び込みは自在だ。
どーなってんだろうと写真集を見せエサジイに聞くと、
自分の家の近所に中学生や高校生が店の前にたむろして
近所迷惑なコンビニがありますが、10代の青少年少女
にしか聞こえないヘルツの音をだす装置が取りつけられ
てから、たむろしなくなりました。親戚の娘に聞くと、
なんかヘンな音がしていやだといってました。われわれ
おっさんには聞こえないそうですが、ま、そういうこと
で、虫君には気に障るけど人間には気にならない超音波
を出す虫除けの装置が取りつけられているんじゃないで
すか。気に障るどころではなく殺虫装置かもしれません
が。というのが答えだった。
かもしれんが、あの写真の雅趣なたたずまいの陰にそん
なおそろしげな装置が隠されているようには見えなかっ
たなあ。
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by kasuya_senji | 2009-06-16 16:14 | Comments(2)
大阪
2009年6月15日

佐藤正明さんの新聞漫画が毎朝楽しみだと書いたが、ここ
数日その漫画が掲載されていない。毎日見ていたような気
になっていたが、時々に応じて書いておられるようだ。ち
びまる子ちゃんは律儀に毎朝掲載されるが、この漫画では
そうそう笑えない。
ほのぼのとしておもしろいのだがおもしろいと笑えるはち
がう。不機嫌な世の中の不機嫌なニュースが満載されてい
る政治面に「笑える」という1点の光明を見いだしてるに
過ぎないことは自分でも承知してるんだがね。だからとい
って不機嫌な世の中だからとお笑いタレントの草刈り場に
なっているテレビ番組を見て笑うことで光明を見いだす気
びはなれないことは言っておきます。

先週、ホテイツアーのベーシスト・ナスノミツルさんと楽
屋で本の話をした。彼も歴史物・時代物が好きらしく、わ
たしの読んでいる本を見て、
司馬遼太郎かァ・・・
藤沢周平かァ・・・
この人(わたしです)も歴史物・時代物が好きなんだなァ
と話しかけてくれたのである。
リハの合間の短い時間だったけど話が弾んだ。弾んだ調子
に、また、あらためて時代物が読みたくなって、さてなに
をいこうかな。ひさしぶりに池波正太郎などいかがかと池
波物を手にとると、あれま! 時代物ではなかった。時代
物ではなかったどころか、池波物ではなかった。
「鬼平 舌つづみ」とタイトルされていたから、わたしは
てっきり池波さんの食に関するエッセイかと思って買った
本だったが、よく見ると文藝春秋の熱狂的鬼平ファンの編
集者と荒木町の料理人とで書き上げた、「鬼平好み」の絶
品料理を48品紹介した本だった。
どころが、この本がおもしろかったというより、美味そう
だった。小説とはちがい一気に読む本でもなかったので鞄
のなかにいれ、旅に持ち歩き、都度都度とりだしては読ん
だ。
大阪に向かう途中の新幹線の中でとりだし読んだ。鱧の湯
引きが紹介されていた。この本には、鬼平シリーズに登場
し平蔵が好んだ料理を紹介するだけでなく、鬼平が好きだ
ったんだろうと思われる料理も紹介されていて、この鱧料
理もそのひとつ。淡路島、岩屋、明石、瀬戸内海であがる
鱧は7月が旬。冷蔵技術もままならぬ江戸時代のこと。鱧
は江戸ではなく上方で食されていたが、鬼平になる前の若
き平蔵は父の転勤にともない京都にいたことがある。そこ
で淡路島・万両の鱧料理をもとに鬼平好みの湯引きの鱧の
登場となったのだが、あいにく旬にはまだはやい。
さて、今日は何を食おうかな。ライブが終了し、旧知のS
先輩がA放送出版のS社長をともなって楽屋に顔をだして
くれ、何食いましょうか言ってくれたが、鱧は食えない。
あれやこれやと食い物の名をあげるうちに、福島にあるお
でん屋がうまいでっせと話がでた。路地裏にある屋台のよ
うな店だと聞いて早速そこへくりだした。広島のチロリン
村にある中ちゃんの店のようにすこし大きめな屋台に扉を
つけただけの店構えだった。この季節、扉ははずされ葦の
すだれが下がっていた。若者、オッチャン、外人さんなど
がおでんを食べわいのわいのとやっていた。こういう店の
常として生ビールは置いてない。札幌の黒生をグラスに注
いで乾杯し旧友をあたためる。A放送出版のS社長は以前
はA放送局で「ヤンリク」という大阪の看板音楽番組のデ
ィレクターをしていて、わかいころのわたしは大阪に行く
度にSディレクターを訪ねたものだ。その時のレコード会
社の宣伝マンがS先輩で、1980年代当時のそれぞれが
まだ若かったころのエピソード、失敗談に花が咲いた。
その店で「鬼平」は食わなかったし、鬼平好みの料理にも
紹介されていないクジラを食った。
ベーコン。さえずりの煮込み。ちなみにさえずりはクジラ
の舌。タン。歌うクジラがいる事は昔から知られていた。
うまい命名である。
おでんネタは、ゴボ巻き、はんぺん、さつま揚げ、しらた
き、しめじ。黒みがかった出汁をつかう関東炊きのおでん
とちがい関西では澄んだ出汁をつかうが、この店のスープ
は白濁していた。S先輩も、この出汁はめずらしいですわ
と言っていた。始めのうちこそビール飲んで一話。クジラ
つまんで一話とやっていたが、終いにはおでん食う合間に
話をするというくらいになって、その美味さに、堪能した。
20人も腰かければ満席というちいさな店は混んでいた。
1時間ほどすると客はひけたが、おでん鍋もほぼ空になっ
ていた。
S社長とそこで別れ、先輩とホテルで一杯やって今日は終
わりにしましょうとバーへ行き、ひさしぶりにウイスキー
をストレートで飲んだ。その後、部屋に帰った。
翌朝は早く起き、京成電車で淀屋橋から伏見稲荷へ。
残すは6月15、16日の東京公演のみである。
これまでのツアーの成功感謝と最終日の成功を祈願した。
ついでに商売繁盛を祈願した。奥の院へ続く途中にあるお
もかる石を持ち上げるとかなり重かったから、恋の成就は
ママならぬようだった。
参道のみやげ屋で信楽焼の蛙を買って、いなりという定食
屋で昼飯に玉子丼を食って、生姜入り冷やしアメを飲んで
京都駅から東京へもどった。
京都駅構内の書店で本を買った。京都の出版社から坂本龍
馬生誕160年記念で復刻刊行された「維新の時代の人々」
で、読みはじめたが名古屋を過ぎると眠くなって本を閉じ
た。目が覚めると東京駅だった。




 
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by kasuya_senji | 2009-06-15 12:33 | Comments(3)
佐藤正明
2009年6月9日

東京新聞の2面:政治面に掲載されている佐藤正明さんの
漫画。この人の政治風刺漫画はいつも面白い。したがって
毎朝おもしろい漫画を見ている。

先日は1コマ漫画で、宴会場にこどもや大人がいる。1つ
のテーブルには、オバマと李と麻生が苦虫をかみつぶした
ような顔で座っている。もうひとつのテーブルには困った
ような顔をしたプーチンとおばちゃん顔した胡錦涛が座っ
ている。ひとりキムジョンイルだけがこどもで席に座らず
「どーん」「どーん」と言いながらおもちゃのミサイルを
投げて遊んでいて、おばちゃん胡錦涛に「キンちゃん、や
めなさい」と叱られている。という漫画。
しばらく前になるが時は安倍政権時代。北海道の業者の牛
肉偽装事件の直後で、いったいどうなってんの! と消費
者に怒られているへたれ顔した安倍が描かれ、キャプショ
ンは「ギュウミンチ党」。

高校の同級生に同姓同名の佐藤正明君がいて、
さとうまさあきか・・懐かしいなァ・・
まさかあのさとうじゃないよなァ・・・
まさかあのさとうであるわけがないとは知りながら、ヤフ
ーで調べて見ると、
さとう・まさあき イラストレーター・漫画家。
南山大学外国語学部卒。
「中日マンガ大賞」「読売国際漫画大賞・金賞」など受賞。
東京新聞で政治風刺漫画を20年来担当。名古屋市生まれ。
とある。
同級生の佐藤正明君はたしか豊川市の人だった。ルックス
が飛び抜けて良く、背が高くモデルのような男だった。運
動神経抜群で、1年の時は男子4学級でそれぞれ野球チー
ムを組み、対抗戦をやったものだが、佐藤君は走るも良し
打つも良し守るも良しの走攻守そろったチームの中心プレ
ーヤーだった。ちなみにわたしはそのチームのエースピッ
チャー。ピッチャーは3人にて、もうひとりは剛速球投手。
ただしコントロールに難があり、たいがい相手にぶつけて
は試合中に相手方と一騒動が起きた。もう一人は身長18
6㎝の軟投型のカーブピッチャー。2階から投げおろされ
るようなボールがバッターの手元ですとんと落ちる。練習
ではこのピッチャーの投げる球にバットがくるくると空回
りし、バッティング練習にならなかった。しかし、なんと
言っても勝ち星の稼ぎ頭はわたしで、サイドスローから投
げられるボールはバッターの手元でホップし、またある球
はシュートして沈み、完投勝利した試合ではアウトはほと
んど内野フライか内野ゴロというものだった。わたし以外
のピッチャーは先発を外れるとベンチ・ブルペンだったが、
わたしはピッチャーをやらないときも、ショートストップ
で先発した。打順は3番か5番。佐藤君が4番バッターだ
った。佐藤君はスポーツは得意だったが、漫画を描いてい
るということはなかったし、高校時代の成績からいうと名
古屋の名門私立大学:南山大学外国語学部に入学できるよ
うな成績ではなかった。高校時代の成績でいうと、かく言
うわたくしも明治大学に入学できるような成績ではなかっ
たのではあるが、まそれはともかくも、いずれにせよ同一
人物ではなかった。
 
今朝は3コマ漫画(日によって1コマだったり2コマだっ
たりとコマ数は不定)で、
1コマ目は、「世襲問題」と「厚労省分割」が丸で囲まれ
た言葉が空に打ち上がっている。
2コマ目は、それが「パン」「パン」とこわされている。
3コマ目は、麻生首相が銃を片手にどーだと言わんばかり
に得意げな顔をしていて、キャプションに、さすがクレー
はお得意とあり、タイトルは「やめてクレー」。
クレー射撃でオリンピックに出場した麻生首相。打ち上げ
た物を打ち落とすことはお手のもんだろう。
今話題の鳩騒動や都議会議員選挙、衆議院総選挙。
さてこれからの佐藤正明さんの辛口漫画がたのしみな毎日
である。
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by kasuya_senji | 2009-06-09 14:31 | Comments(1)
ぼやきつぶやき
2009年6月8日

数年前。仙台にプロ野球球団がくるようだ。球団主はあ
の今をときめくほりえもん。東北仙台をフランチャイズ
にライブドア球団がプロ野球に参入するらしい。
まあ、これはえらいこっちゃ。日本プロ野球機構も1日
もはやく参入を認めんかい! 仙台にプロ野球がくれば
金田監督時代のロッテ以来のことだ。これで仙台は盛り
あがるぞ! とバーでも飲み屋でも飯屋でも人が寄ると
触るとこの話で持ちきりだった。
そこにあとから楽天がやってきてこの球団をかっさらっ
てしまった。かっさられてからもほりえもんは経済界を
相手に大活躍をしていたから、仙台の皆の衆の気分はち
ょっと複雑だった。でも、楽天が田尾を監督にしたとこ
ろあたりから風向きが和らいだ。全国区のスター選手だ
った若い監督の登場で仙台のエンターテイメント界もま
た盛りあがった。コンサートもオペラも演劇もプロ野球
もチケットを売るから、田尾監督がみずからのりだし、
コンサートイベンターやテレビ局ラジオ局の事業担当者
といかにして観客動員をはかるかという会議が幾度とな
く開かれ、我々のお仲間であるイベンターやマスコミ関
係者も会議を通じて田尾監督のさわやかな人柄にふれ、
だれもがファンになった。
だが、新球団楽天の1年目の戦績は悲惨だった。もとも
と近鉄とオリックスの1軍半と2軍選手で構成された選
手層のうすい新球団がやすやすと勝てるわけがない。新
球団設立後の初のドラフト会議で、地元仙台の高校球界
のスター・ダルビッシュをあきらめても即戦力をと東京
六大学の最多勝投手一場を指名したのもその理由。
だが新球団の1年目の戦績は悲惨だった。戦績は31勝
99敗。日本プロ野球史上初の100敗球団の誕生寸前
だった。シーズンが終了し田尾監督は解任される。
若くて爽やかで地元に人気のあった田尾が去ることに仙
台の友人のだれもが失望した。そこに、阪神退団後プロ
野球界を去り都市対抗野球で監督をしていた野村が就任
する。仙台の若い人々はすこしばかり驚きと失望がいり
まじった表情をしていた。
野村さんじゃ、話もできないね・・・
田尾さんは仙台に住居をかまえたが野村さんはホテル住
まいらしいよ・・・
地元に馴染む気にはないらしいよ・・・
あの調子で負ければ選手をぼろくそにこきおろしちゃ、
まとまるものもまとまらないんじゃないの・・・
この数年仙台で友人と会うたびにこんな会話がくりかえ
された。

ところが、野村監督、就任一年目の成績はかんばしくな
かったが、ドラフトで地元仙台の高校野球のスター田中
将大を引き当てたあたりから風向きがかわってきた。仙
台の地元のファンからの風向きだけではなく、プロ野球
ファンからの風向き、マスコミからの風向きがかわって
きた。戦力になるには、つまりプロ野球で通用するには、
まだまだ時間がかかるんじゃないかと思われていたマー
君は1年目から一気に活躍した。
最近では仙台での会話はこう変わった。
ライブドアじゃなくて楽天でよかったねぇ。
田尾さんは残念だったけど野村でよかったねぇ。
考えてご覧よ。毎日のスポーツニュースで監督のコメン
トが必ず放送されるんだよ。まあ、たった30秒ほどの
時間だけど野村監督が毎日でてきて、
「マー君は神の子やな」とか、
「これで貯金ゼロ。明日から仕切り直し。でも相手が悪
 いなあ。巨人じゃなあ」とか、
「今日はなにもございませんよ」とか、ぼやきやつぶや
きが全国ネットで放送される。これはすごいことだよ。
楽天の試合があって、スポーツニュースで野村監督がで
ないなんて、もう全国のプロ野球ファンがゆるさないも
んなァ。昔は野村は嫌いだったけど今じゃ野村ファンだ
もんなァ。あの人可愛いよなあ。と会話される。
仙台人でなくても、わたしの家の近所の床屋のオヤジも、
昔は大っ嫌いだったけど今はファンですよという。わた
しは楽天はどーでもよかったのだが、野村のぼやきつぶ
やきが楽しみになったことからはじまり、たまたまマー
君のマネージャーをやっているという人と知り合いにな
ったりと、今ではすっかりマー君ファン、野村ファン、
楽天ファンなのであります。ニューヨーク・ヤンキース
よりも、好きかも。
セ・パ交流戦は通常のリーグ戦と違う。通常のリーグ戦
は同リーグ6球団が戦い3球団が勝ち3球団が負け、3
ゲームの差で順位が決まっていくが、交流戦ではセリー
グの巨人が勝ち、残り5試合はパリーグの球団が勝つこ
ともある。こうなると1日の試合で5ゲームの差がでる
ことになる。ペナントレースを戦うにビッグチャンスで
もあり、また、きわめて危険なシリーズでもある。楽天
はこの交流戦で現在4勝12敗。交流戦前までは首位攻
防を争っていたのに、あっという間に4位に転落した。
野村監督の、
貯金ゼロか・・・ま、明日から仕切り直しだ。でも相手
が巨人じゃなあ・・・
のぼやきがその通りになってしまった。でも頑張れ楽天。
なんとか3位以内に入ってプレーオフに勝ち残ってくれ。
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by kasuya_senji | 2009-06-08 18:03 | Comments(0)
孔子様
2009年6月5日

論語。
論語などまったくもってふるーい。あれは江戸時代のこ
どもが寺子屋などで習ったものである。声をそろえて、
しのたまわく・・・
というか、それよりもなにも、孔子様が生きていた時代
は紀元前2世紀ころで、4千年も前のこと。邪馬台国よ
りはるかにふるい古色蒼然としたお伽話のような時代で
あって、そんな古い話がコンピューターでネットワーク
された現代に通用するものかァ? とおもっていたが、
どうやら、そうでもないようだ。

新潮新書の「大人の見識」阿川弘之:著を読むとこんな
ことが書いてあった。
阿川さんの大学生の息子さんが家に友達を連れてきた。
ちょうど阿川さん論語についてエッセイを書いていたと
ころだったので聞いてみた。
「君たち論語の中の好きな言葉ってあるだろう? 嫌い
 な言葉でもいい。なにか言ってみてくれ」
と言ったら、
「論語ねぇ・・」
誰も答えられない。おやおや、今の大学生は江戸時代の
熊公八公より劣るのかと驚きましたと。
そこで、阿川さんは川柳を見てごらんなさいという。
「北辰のやうに番頭大あぐら」
この川柳はわたしも初めて知ったのですが(つまり江戸
時代の熊公八公より劣っているのです)、これは、
「政を為すに徳を以てせば、例えば北辰の其の所に居て、
 衆星の之に向かうが如し」
という論語をふまえているのだそうであります。といわ
れてもナンのことやらわかりませんが、川柳の意味を阿
川さんが説明してくれています。
つまり、北極星がちゃんと定位置にあって他の星がその
まわりをめぐっているように、帳場であぐらをかいて威
張ってる大番頭と、まわりで小忙しく立ち働いている丁
稚小僧。という意味の川柳で、立派な店の店先の風景を
諧謔味をこめて詠んだ句だそうです。
ナルホドねえ・・
続いて、こんな川柳も紹介してくれます。
「抜けた夜着 居ますが如く ふくらませ」
これはなんとなくわかるような気がします。寝てるいる
かのように蒲団はふくらませてあるが、どこかに行って
しまっている様子を詠んだんでしょう。まあ、きっと道
楽息子が寝床を抜けだし女あそびにでも出かけたんでし
ょう。
これも「祭るは居ますが如くす」という論語からきてい
るらしいです。この論語はわたしもわかります。小笠原
に小さな神社があって、しかしいつしかだれも管理する
人が居なくなって、居なくなってからは霊験もなにもな
くなって・・・と聞いたことがあるんです。そこに宿る
神がいると信じて守る人が居てはじめて神社であって、
祭る人がいなけりゃ神社なんてただのふるぼけた建物に
すぎません。祭るは「居ます」が如くする。であります。
まあ、それを女あそびにでかけた道楽息子の「居るふり」
にひっかけるなんて、江戸の川柳がいかに洒落ているの
かとわかっておもしろいものだが、こういう例題を紹介
されると、つまり、意味を抽出し諧謔味をくわえた物が
川柳であるから、論語=しのたまわく=学問=儒教=ふ
るくさい今は価値のないもの、ではなく、人間生活の心
理を抽出したある種の賢者の言葉としてとらえることが
できるのじゃないかと。であれば、おもしろかろうと思
えてきたのである。
しかも論語は短いと阿川さんはいう。
例えば「温故知新」=古きをたずねて新しきを知るは、
たった四文字です。「学而第一」からはじまって「堯曰
第二十」にまで約500の章句のうち、20字以内(原
稿用紙1行以内)に収まっているのが206項目。その
他の300項目が40字以内(原稿用紙2行以内)。現
代の文庫本にしてぺらぺらの本となるのです。つまり、
ほんとうにたいせつなことは二た言三言で言いつくせる
ものだということがよくわかります。ですから、阿川さ
んは、よくわからなくても声を出して読んで覚えてゆけ
ば、今はわからなくても、いつか、意味はあとで段々わ
かってくる。これは将来必ず読んだその人の知的財産に
なるのですと言っていた。
司馬遼太郎も、藤沢周平も、開高健も、ヘミングウエイ
も、エド・マクベインも読み、孔子も読んでみようかな
と思う今日このごろ。ハノイの孔子廟を訪ねたときにこ
れを知っていればまた違ったものになったのだろうと思
うが、それはそれでいい。将来の知的財産になればいい
と阿川さんはいってるのだから。
そろそろ梅雨入り。雨読の6月。
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by kasuya_senji | 2009-06-05 20:01 | Comments(1)
マイスペース シンデレラストーリー

2009年6月3日

 MELODY GARDOT を聴いている。
(メロディー・ガルドー)
聴いているのは「マイ オンリー スリル」というタイ
トルの彼女の第2作目のアルバム。

メロディー・ガルドーは、1985年フィラデルフィァ
生まれで、御年24歳の若き女性シンガー・ソングライ
ター。
母子家庭で育ち、祖母と母の影響で音楽に興味を持つ。
9歳からピアノを習い、16歳で地元のピアノ・バーで
学費稼ぎのアルバイトでプレイをしだす。19歳の時、
交通事故で瀕死の重傷。骨盤が砕け、頭部も負傷。1年
間の寝たきり生活を余儀なくされる。視覚過敏症を患い
永久的な障害者となる。退院間近、医師のすすめで音楽
セラピーを開始。母親からもらったギターを独学で覚え、
曲作りを始める。
(そこで、神の祝福に会う)
或る日「突然自分の中から音楽があふれ出し」、ベッド
サイドのポータブル・マルチトラックに自作自演曲を録
音。それを自分でインディーズで発売。友人がメロディ
ーのマイ・スペースを開設、そこに曲をアップロードし
たところ大反響となり、地元のラジオから流れるように
なり、インディーズアルバムがヒット。ユニバーサル・
ミュージック・クラシックス&ジャズレーベルとレコー
ド契約。あらためてインディーズ盤「朝と夜の間で」が
メジャー発売され、アメリカで大ヒット。<内本順一さ
んのライナーノーツより孫引き>
私が聴いているのは、ユニバーサル契約後のオリジナル
アルバムのメロディーの第2作目の作品で、プロデュー
サーはラリー・クライン。
そこにいる貴方に語りかけているようでもあり、二人で
いた時間を回想しているようでもあり、彼女は微笑んで
いるようもであり、泣いているようでもある。柔らかく
歌いながら、こんなにも切ないと内本氏は評しているが、
いや、まったく、そのとおりである。

昔から女性シンガーが好きで、知らない歌手や新人はジ
ャケ買い。ジャケットにいい女が写っていると即買った。
いい女が写っているので買ったら中味は男だったという
ことも何度もあった。このメロディーのアルバムはめず
らしくジャケ買いではなく、G・H君の推薦だった。

「カスヤさんメロディー・ガルドー知ってます?」
「メロディー・ガルロー?」
「ちがいます。ガルドーです。G A R D T。ガ・
 ル・ドーです。2枚発売されていて、2枚目の方が音
 がいいですよ」

という会話だったから、2枚目を買って聴いたのだが、
後日、G・H君と話すと、メロディー・ガルドーのシン
デレラストーリーは1枚目の処女アルバムにあり、それ
を薦めてくれたようだったが、その時はG・H君とある
アルバムの音質について話していたから、2枚目の方が
音がいいですと云うところだけが強く印象に残ったよう
だった。しかし、このアルバムに写っている彼女メロデ
ィーは、なんの知識もシンデレラストーリーを知らなく
てもジャケ買いに値する。ついでながらG・Hくんは、
ファーストアルバムの原版権はメロディーが個人で持っ
てますから、きっとビッグビジネスになったんでしょう
とクールな意見を云っていた。
しかし、アメリカという国というか国民の音楽好きには
あらためて感心する。日本なんかでは、無名のアマチュ
アがしこしことマイスペースに楽曲をアップしたからと
云って、そこから火が点くなんてなかなか考えられない。
たいがいはレコード会社からメディアへの仕込みがあっ
て、あたかも、誰も知らなかった無名の女性歌手の成功
という出来レースのシンデレラストーリーが作られてい
くことが多い。
でも、だが、しかし。日本にも心からの音楽好き。ヒッ
トチャートに左右されない自分の感性だけを信じている
音楽好きがいるに違いない。その人達がマイスペースで
音楽を捜しているかは知らないけれど、機会あれば、新
人をマイスペースでデビューさせてみたい。
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by kasuya_senji | 2009-06-03 18:08 | Comments(0)

 
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