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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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一言申し上げます
2010年1月28日

ツイッターというつぶやきブログが人気らしい。
若い唄歌いがマイスペースを持っていて、プロフィール
や好きな歌手やらと数少ない情報がアップされているが、
それはそれとしてこのマイスペースに登場している可愛
らしい唄歌いのお嬢さんが今の今、何を思っているかが
よく分からないから、自分の感情や思いを文章にするの
も簡単じゃなかろうし時間もかかるものだから、ジャス
トワンフレーズ、たった一言でいいからなにか書いてみ
なさい、ただし毎日書くんだよ、一言なら毎日書けるん
でしょ、とアドバイスをして、お嬢さんはマイスペース
の中のブログのコーナーで一言ブログを開始したが、ど
うもこれが一言ではすまないらしい。
わたしが提案したのは、
「朝から雨。憂鬱」 
たったこれだけジャストワンフレーズ。いやむしろこれ
だけしか書いちゃいけないのだが、実際には、
「今朝から冷たい雨が降っている。大好きなレインコー
 トがクリーニングから戻ってきてない。このままじゃ
 外に出られない。憂鬱」
と、なにやらつぶやきになっている。ツイッターになっ
ている。
つぶやくのは構わないが、ジャストワンフレーズの狙い
は、一言で表すことによって、このお嬢さんの感情を詩
にできないかなと考えたのである。「マイ フェイバリ
ット シングス」という好きなものについて歌う曲もあ
るじゃないか。よしんば狙い通りにはならなくとも、悪
感情をツイータすることによってぼやきになってしまう
ことはさけられる。野村監督じゃあるまいし若いお嬢さ
んにぼやきは似合わない。第一、詩とは余程かけはなれ
たものになってしまう。
話はかわるようだが、小文、ミニセンテンスになると文
章が主文、副文によって構成されてきて少し複雑になる
し、感情を表現するから感情を文章にすることになるか
ら、うまく書けても散文であり詩にはならない。
若い可愛らしい歌歌いのお嬢さんのブログが詩になった
らいいのにな、と考えながら高速道路を走っていると、
道路上に灰色のおおきな餃子のようなかたちをした石が
落ちているのが見えた。ハンドルを左に切りながら石を
避けて通り過ぎようとしたその瞬間、石が翼を広げ飛び
立ち車の前を間一髪ですれ違って去っていった。石だと
思ったら鳥だった。ハンドルを誤操作するほど慌てはし
なかったが、ビックリした。
お嬢さんへアドバイスしたとおりに書けば、

「石が飛び立つ。仰天」

となるのだろうか。
こちらの方がやっぱり詩的である。
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by kasuya_senji | 2010-01-29 13:44 | Comments(0)
雑記
2010年1月28日

24日の日曜日から
「HOTEI モダンタイムス ロックンロール 
 パーティー」
が始まって、初日の名古屋に行って来た。
名古屋の日曜日の夜は、行く度に顔をだ寿司屋が休
みで、行く度に顔をだすバー:ISOLAが休みで、
行く度に宿泊するホテルのバーは早めに閉まってし
まうし、名古屋コーチンの絶品のミソ鍋屋も早めに
終わってしまうなどろくなことがないから、ライブ
終了後布袋&バンドの皆さんと楽屋でシャンパンで
お疲れさんとやって新幹線に乗って東京に帰ってき
たが、それにしてもライブがカッコよくて、同乗し
たスタッフと新幹線が東京駅に着くまでの間中ズー
とライブの話をしていた。
ギタリズムVの東京厚生年金会館ライブが終わって、
お客さんに混じって会場を出て新宿駅に向かった某
テレビ局の部長が、
「今日のライブで朝まで酒が飲めるな」
と話ながら帰って行ったファンがいましたよと後日
僕に教えてくれたが、名古屋からの帰りの僕はまっ
たく彼らと同じ気分だったんだ。
ただし、今回のパーティーライブはGVとは味が違
う。まあなんともオシャレな気分になれるライヴで、
ライブタイトルのパーティーとの名づけに感心する。

翌朝、マンションの北側の駐車場脇におおきなテデ
ィーベアの縫いぐるみを両手で抱えている2歳児と
思われるちいさなちいさな女の子がひとりでいた。
そばに誰もいない。
「ママはどこにいるの?」
と声をかけるとあっちと言うばかりで、そのあっち
がどっちかわからない。駐車場の北側の道路は通行
量も少なくない。幼児をひとりしておくには危険だ。
おかあさんが来るまでそばで待つことにした。
「おうちはどこ?」
「・・・・・・・」
「ママはどこ?」
「あっち」
そうかさっき聞いたなこれは・・・。
あまり人見知りしないおんなの児でさいわい泣かれ
はしなかった。しばらく二人で立っていた。この件
に関してわたしは親切心のかたまりであり、組み合
わせもジッチャンと可愛い孫というほほえましい図
でありつつ、双方でなついてないから、見る者によ
ってはヘタをするとわたしはかなり不信な男という
図でもある。朝からまずいなあ・・・早く来ないか
な~と待つこと15分。やっと、むこうの角から若
いおかあさんがキョロキョロあたりを見回しながら
姿をあらわした。おんなの児もよちよちとそちらへ
歩き出した。
お姉チャンを幼稚園バスに乗せて送り出したあと、
同じ幼稚園に通うこどもを持つおかあさん同士で立
ち話に夢中になってこどもが離れたのにも気がつか
なかったようだ。信じられない話だが、しかし、自
分のこどもも忘れるくらいの話っていったいなんだ
ろう。
ハイチのことかな。
日本の教育方針のことかな。
いやいやそうではないかもしれん。
きっと誰かの悪口。これがストレス解消には一番い
いらしいそうだが、まあなにはともあれ、おかあさ
んが登場してよかった。

近所で評判のパン屋で朝飯用のバケットを買って家
に戻ると友人から、憧れた女優の死をしらせるメー
ルが入っっていた。
「惜別」 ジーン・シモンズ。
「スパルタカス」で、カーク・ダグラスの女房役を
演じた。中学生の当時もっとも好きだった女優。作
中、湖で沐浴する場面があり、水面の緩やかな揺れ
に光りが反射し股間のあたりが見えそうで見えない。
もどかしい妄想が中学生の頭をいつまでたっても支
配したもんだ。その時、館内の男客の頭が見える角
度を探って一斉に動いた。ような気がする。
映画音楽「スパルタカスのテーマ」も哀切極まる名
曲。
今は無い秋田市大町1丁目にあった秋田ピカデリー
で70㎜上映された。嗚呼、懐かしい。  Bより。

続いて友人Tからきたメールも惜別の辞だった。
スペンサーシリーズの著者、R・B・パーカー氏が
死去。ベストセラー探偵小説のスペンサーシリーズ
で知られる米作家,ロバート.B.パーカー氏が19日、
マサチューセッツ州ケンブリッジの自宅で死去した。
77歳だった。
死因は明らかにされていない。
ボストン大学の英文学博士号を持つパーカー氏は、
1973年に作家デビュー。
1977年にはスペンサーシリーズ4作目の「約束
の地」で、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞のエド
ガー賞最優秀長編賞を受賞した。
パーカー氏は,1980年代に「私立探偵スペンサー」
としてテレビドラマ化された同シリーズを含め60
を超えるミステリー作品を手掛け、その多くが地元
ボストンを舞台に描かれた。       Tより。

今読みかけている本が一段落したら、またスペンサ
ーシリーズに埋没するとするか。
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by kasuya_senji | 2010-01-28 18:43 | Comments(2)
大寒
2010年1月20日

子供の頃の岡崎市のわたしの家のあった中町には銭湯が
ひとつではなくふたつかみっつあって、それぞれが子ど
もの足で10分はかからないほどの近さにあったくらい
銭湯は生活に溶け込んでいた。
中町を東にはずれていくとしだいに田や畑がおおくなり、
そういった所にある農家は自宅に風呂をもっており、中
町の西側は町の中心街になっていて、そういう商店街に
ある家は身上のよい家もおおく内風呂があった。
中町は商店街もあるが外れであり身上のよい家もあれば、
ブルカラーとホワイトカラーが入り交じったように風呂
がない市営住宅に住んでいる人々もおおく、銭湯がいく
つもあったのである。
こどもの頃は親につれられ銭湯に行ったが、中学生にな
れば近所の友達と連れだって銭湯に通った。風呂に浸か
り近所の大人といっぱしの風呂談義もした。
「そうかね。K先生はまだ甲山中学にいるのかねえ。バ
 ス通りの公設市場の角を北に行くとお菓子屋があるね。
 あそこで店番をしたり、店の前を掃除しているおばち
 ゃんは(おばちゃんといっても20代の人であるが、
 中学生からみればオネエチャンは姉やせめて高校生で、
 二十歳をすぎた大人の女性はおばちゃんだった)あの
 おばちゃんは菓子に嫁いだわしの娘だがね、あの子が
 中学の時の担任の先生がK先生だったんだよ。そうか
 お元気でいらっしゃるか。音楽の先生だったからあの
 子は歌が大好きになったんだよ。いまなんて言ってた
 かねえ? その歌を歌って人なんだがね」
「ビートルズです」
「え? ずーとるび?」
「ちがいます。ビートルズです。ジョンとポールとジョ
 ージとリンゴがいるんです」
「所ジョージがいるの? 林檎も? 沢山いていろんな
 ものがあるんだねえ。昔の歌手はそんなにいなかった
 よ。三橋三智也とか春日八郎とかね。ひとりだったよ」
「アメリカ人かね」
「いいえ。イギリス人です」
「じゃあ、何語で歌ってるんだい?」
「英語ですよ」
「アメリカじゃなくても英語を歌うんだ。わしゃイギリ
 ス語だと思っとったよ」
「英語はイギリスが先ですよ」
「そうか。アメリカはイギリスのまねしとるのか」
「まねじゃなくてイギリス人がアメリカにいったんです」
「いろんなこと知っとるなあ中学生になると」
「音楽が好きなら娘さんに聞けばわかるんじゃないです
 かねえ。ビートルズって」 
「わかるかねえ、、、、。それよりも湯がぬるくないか。
 手をパンパンと叩いてみてくれんか。そういえばこの
 間、店の前を掃除しながら、りんごーのはなびらがー
 って歌ってたからなあ。英語の歌じゃなあ、、。そう
 いえば、あんたら英語喋れるンかァ?」
「喋れないですよー。まだ習い始めたばっかりですし」
などと銭湯で会話をしながら大人との距離を縮めていっ
たものだった。
話はかわって現在の今朝、しんぼーさんが、風呂で死ぬ
件数がとても多くなってますから気をつけてくださいと
テレビでやっていた。しんぼーさんというのは大阪よみ
うりテレビのアナウンサーで、数年前から日本テレビに
て東京進出をし、今は全国ネットで名が知れている人す。
で、しんぼーさんがその時に、風呂場での死者の数はア
メリカやイギリスと比べて日本が圧倒的に多いと発言し、
共演者が、えー!そうなんですかァー!。とあたかも日
本人は風呂で死ぬ、欧米人は風呂で死なない的な感想が
スタジオに流れたが、よく考えてみれば風呂に入る機会
と回数は欧米人に比べ日本人の方が圧倒的に多いのだ。
現に、一昔前の岡崎のこどもは銭湯に通って大人と風呂
談義をしたし、わたしのイギリスの友人はシャワー専門
でバスタブに浸かるなんてこどもの頃からしたことない
よ。だってめんどくさいだろう。と言っているのだから、
風呂場での事故数を欧米と比べてもなんの意味もないの
だが、それはそれとして冬場に風呂場で死ぬ人がとても
多いというのはほんとに気になる。
裸になった寒さで血圧が下がり、湯に入った熱さで血圧
が上がり、という短時間での血圧の急上昇急降下によっ
てひきおこされる心筋梗塞や脳梗塞が死因だという。
数日前には浅川マキさんがコンサート会場に行く前に入
った風呂で亡くなられた。享年62の若さである。たし
か心筋梗塞だった。
10前の12月には舞台監督のパンチョ半沢も風呂で死
んだ。リハーサルスタジオへ出かける前の寝起きのひと
風呂で40になったばかりの働き真っ盛りの脳梗塞での
死だった。
伊豆山の寓居での楽しみに起きがけの朝風呂があるが、
医者に言わせれば、たしかに温泉大浴場は家の内風呂と
ちがい暖房が入っていて裸になったときに寒いというこ
とはないでしょうが、それでも身体がまだ十分に目覚め
ていない状態で湯舟にどっぷりと浸かることは避けた方
がいいとの忠告である。
今日は寒さはそれほどでもないが、大寒です。
どうぞみなさん。この寒さを元気に乗り切って暖かい
春を迎えようではありませんか。
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by kasuya_senji | 2010-01-20 14:58 | Comments(2)
友遠方よりきたる
2010年1月15日

ハイチの大地震。凄まじいものだったようで、昨日の東
京新聞の夕刊に1面に掲載された写真では、丘をおおい
つくす住宅のそのほとんどが地滑りにあったように倒壊
し町が壊滅していた。
世界最貧国のひとつであるハイチでは産業が乏しく人々
は仕事を求め都会に集まるが、職にあぶれた人々は町外
れに建てられたバラックのような家々に建て増し建て増
しされた複雑に入り組んだ住居群が丘の上まで続いて貧
民丘街を形成する。掲載された写真はそのひと丘が倒壊
壊滅している写真だが、しかし、そのような丘は首都ポ
ルトーフランスにはいくつもあるのだ。
ハイチ政府の発表によると死者は10万人とされたが、
それは倒れた住宅に住んでいたと思われる人口をそのま
ま当てた数字であると言うくらい、なにもかも推測でし
か状況を把握できていないようだ。
地震の規模に比べて死者の予想数が大きいのは、最貧国
ゆえに建築基準法が耐震構造に則っていないことや貧民
地区ではバラック・オン・バラックと建物はただ積み上
げられているだけにすぎないことが理由としてある。
また、最貧国にありがちに政情は不安定で政府軍・反政
府ゲリラとの間での闘争が常態化していて、それが各国
からの経済支援を困難にし、最貧国の経済は更に悪化に
悪化を重ね、救急体制、医療施設が極度に不足している 
という現実もある。
政情を安定化させる為に国連が事務所を構え100人以
上をスタッフを送り込み平和維持活動の監視下において
いたが、そのスタッフの100人ほどが亡くなったので
はと報じられていた。
そんな暗い気持ちになっていたところへイギリスはロン
ドンから知人が訪ねてきた。知人と言ったが正確には元
IRC2ロンドン事務所のスタッフのVさんである。1
990年代の10年間、世紀末のロンドンでこのオフィ
ースを拠点に我々はイギリス人と日英混成チームをつく
り大活躍をしたのだが、大活躍といってもそのエリアは
アート、ミュージックなどクリエイティブな方面に限ら
れ、金儲けとは一線を画すものであったから、ミュージ
ックシーンやミュージックそのものがビジネスの一形態
として位置づけられてしまった21世紀の今日はそのオ
フィースは役割を終え数年前に解散したのであるが、よ
うするに、そのいちばんおもしろかった時代を一緒に駆
け抜けたスタッフが東京に来たと訪ねてくれたのである。
さて、久しぶりの英会話はどんなもんじゃろう。
錆びついてるんじゃないかなァ、、、
と思っていたが全然問題なかった。すらすらべらべらと
はいかないが、そんなのはロンドンにいた頃からそうだ
ったから相手も先刻ご承知で、ゆっくりゆっくり噛みし
めるようなスピードで会話はすすんだ。もちろん錆びつ
いた部分はあったが、Vさんの今の仕事のパートナーの
Aさんがイギリス人のくせに(くせにとは失礼な言い方
だがこの際は褒め言葉)日本語がぺらぺらで、聞いてみ
れば交換留学生で岐阜の高校に留学し、いったん英国に
帰ってのち、今度は英語の先生として浜松の学校で教え
ていたというキャリアの持ち主で、日本語がお上手なの
は当たり前という人でしたから、錆びた部分はその人が
ピカピカに磨いてくれるようでもあり会話はなにもかも
スムーズにすすみ、大いに笑い大いに懐かしみナイスな
時間を過ごすことができたので、さき程までの暗い気持
ちはいつしかどこかへ飛んでいってしまったようである。
ちなみにVさんもAさんもとてもすてきな美人でありま
す。
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by kasuya_senji | 2010-01-15 18:42 | Comments(1)
忘れがたき言葉
2010年1月13日

数年前に逝去された永平寺第78世住職
「道号法諱 栴崖奕保(せんがいえきほ)  
 禅師号 黙照天心禅師(もくしょうてんしんぜんじ)」
のインタビューが正月にNHKで放送されたのをみた。
この正月が初めての放送ではなく再放送で、番組名は
「NHKアーカイブ:この人に会いたい」。
かって放送されたが今は亡くなってしまった人の忘れが
たき名インタビューを再度放送している番組で、わたし
の好きな番組のひとつである。

禅師は、若い頃には座禅の意味がわからなかったが今は
生活の全てが禅であり、その基本が座禅であるとくり返
しくり返し述べていた。
このくだりは、禅宗の高僧であればいかにもそう述べそ
うであるから、わたしにはなんのことやらよく分からな
いけれどきっとそうなんだろうと括って話を聞いていた
が、最晩年の悟りについて語った話はおもしろいと言う
より、なにやら覚悟めいた言葉だった。

「いつでも死ねるという覚悟が悟りだと思ってましたが、
 間違ってました。どんなことがあっても平気で生きる。
 これが悟りでした」

と、剛速球が飛んできた。ソファーに寝転がってる場合
じゃないぞと起き上がった。わたしのふるくからの友人
もまことに行儀が悪く、ソファーに腰をかけテーブルに
足をのっけたり、寝転がってテレビを見たり新聞を読ん
だりするが、これは! と思う記事や場面にでくわすと
起き上がって姿勢を正すと言っていたが、わたしもこの
時は起き上がっただけでなく姿勢を正した。
死ぬ覚悟よりももっと大事な事があるという。
それは生き続けることであるという。
仏教では、そもそも人間とはあらゆる煩悩であると定義
されるから、全ての煩悩から解放されることが悟りであ
るとすれば、悟りとは人間をやめるということであり、
それ自体が矛盾をはらんでいるのである。禅師のいつで
も死ねる覚悟というのは生と死のぎりぎりの接点上を生
きるということであり、いかにも悟りの境地に思えるが、
そうではなく、生を死と等価値と見ず、あるがままに生
き続ける生の全肯定を、悟りだという。
これほど「生」を肯定した言葉は聞いたことがなかった。
しかし、凄いことを言うもんだなあ、、、
正月早々の寝正月気分で聞く言葉かァ?、、、
いやいや。正月や冥土の旅の一里塚と詠んだ俳人もいる。
年の始まったばかりのここで聞いておかないとまた無為
に1年を過ごすことになるのかもしれんぞとお神籤をみ
れば、ひとつは新聞に載っていた運勢占いで、ひとつは
或る神社から送られてきた神社神籤であるが、どういう
わけかそのふたつとも、わたしの今年は大運機に満ちて
いるとのお告げである。そしてふたつともこの6月にこ
れからの人生を左右するような運命的な出会いを予感さ
せている。いやー。わくわくしまくりでありますが、平
常心平常心と心でつぶやき新年の日々を過ごしておる次
第であります。
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by kasuya_senji | 2010-01-14 13:22 | Comments(1)
神戸の続き
2010年1月8日

年明けて、昨年患ったおめめの検診にでかけた。
目の中を先生が覗きこむようにと瞳孔の開く目薬を点眼
されているから、目を開けていると眩しくてしかたない。
サングラスをし、目をつむって待合室で呼ばれる順番を
まっている。

タカハシマリコさーん
スズキシゲルさーん
マツイヒデキさーん
カトーコーイチさーん
オザワイチローさーん

なにやら知っている人の名前が呼ばれている。歌手から
ギタリストから大リーガーから政治家までいて、世の中
には同姓同名の人がよほど多いと知れると感心している
と、

コイケフミコさーん

と呼ばれた人がいた。この名前はなつかしい。中学の同
級生だ。小池文子で「ブンコ」と呼ばれていた。いやー。
ひさしぶりにブンコの名前をここで聞くことになるとは
と眩しいをがまんして待合室にいる小池さんを目で追う
と、けっこうなおばあちゃんだった。もちろん岡崎の同
級生のブンコが東京の下町の眼科にいようとは思っては
いないが、あんな、おばあちゃんは想定外だった。でも
あれだぞ。俺は人を見てあんなばあちゃんと勝手に言っ
てるが、他人はわたしを見てジイサンと思っとるかもし
れんと席を立ちトイレに入って鏡を見れば、なかなかの
ハンサムボーイじゃないか。しかも若々しいぞ。と眩し
くてよく見えないのをいいことに勝手に思ってみたりし
た。
しかし。名前はまだ呼ばれない。
しかし。目の検査の話はいいが昨年末に書きかけになっ
たままの神戸旅行の続きはいったいどうなったんだろう。
病院に入ってブログがしばらく更新されてなくても、退
院してしばらくぶりにブログが復活しても、読みに来て
いる人の数が減りも増えもしないことに唖然としたり、
気が楽になったりしてみたが、だからといって「この続
きは次回」と書いたままにしておいて、しかも年を越し
てしまってはいかがなものか? すこしだけ書いておき
ます。
旅行2日目にははやくもかみさんと離ればなれになった。
わたしは仕事へ。かみさんは友人宅へ。
かみさんがいなくなってひとりぼっちになったような気
がしたが、気楽になったことも確かだった。
彼女たちは旧居留地界隈を買い物したり100種類もの
お茶が飲めるティーハウスで喫茶したりウインドウショ
ッピングしたりと散策を楽しんだようだ。
こっちは旧居留地のブランドショップ街も元町の商店街
も北野の異人館も六甲のハーブ園にもとんと縁がなく、
会場内でリハーサルだ、打ち合わせだ、本番だ、値段交
渉だとまあ地味な神戸だったが、意外な楽しみにでくわ
すことができた。
宿泊しているホテルの部屋が海側でなく山側で、部屋か
ら六甲の山並みの下に東西に長い神戸市街が見える。朝
起きてホテルで朝食をとり、仕事にでるまでの間に、秋
のはじめのころから読み始め、まだ読み終わっていない
「坂の上の雲」を読んだ。
単行本の4巻の満州平野の大会戦で騎兵旅団を指揮する
秋山好古について書かれたくだりで、源平の戦いの義経
の鵯越えの騎兵戦法が引用されていた。
今の神戸の市街地は六甲の山と瀬戸内海にはさまれてま
ことに狭く東西に長いが12世紀もそうで、ここを舞台
に源平の戦いの火ぶたは切って落とされた。東から攻め
るは源氏。守る平家の戦隊は長く延び、源氏軍と対峙す
る先頭は今の西宮あたりにあり後陣は神戸市の西のはず
れにあった。平家軍は全軍東を向いている。義経は数十
騎を連れただけで夜半ひそかに京を抜けだし丹波に入り、
山越えで六甲の西のはずれの鵯の坂の上に出、そこから
一気に山を下り平家軍の尻尾に殴り込みをかけた。天か
ら騎馬と武者が降ってきたような大騒ぎになった。無理
もなかろう。ちゃんちゃんばらばらと長槍を突き出し白
刃を振りかざし、ビュンビュンと呻りを上げて弓から放
たれた矢が空を飛び落ちてくる中で戦っているのは遙か
先頭集団である。後陣部隊は武装していても戦争状態に
はない。しかも鵯の山の坂といってもほぼ絶壁に近い壁
を騎馬武者が駆け下り殴り込んできたのである。平家軍
は混乱に混乱を極め敗走し、屋島、壇ノ浦と敗走に敗走
を重ね、1192年:源氏によるイイクニツクル鎌倉幕
府が成立するのである。世界史的に見てもこの義経の騎
兵戦法はジンギスハンの騎兵による大遠征と比べてもな
んら遜色はないと作家司馬遼太郎は書くのである。
その義経の下り降りた鵯の絶壁の坂がホテルの窓から見
えるのである。年の為にフロントに電話をして場所を確
かめると、やはり部屋から見える西の絶壁がそうだとい
う。本を読んでいると時にそういう偶然にも似た場面に
出くわすが、今回は偶然にしても出来すぎていた。読書
の楽しみはこういうところにあるのです。ということで
神戸は楽しかった。かみさんも友人と過ごした神戸がス
テキだったようでした。
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by kasuya_senji | 2010-01-08 16:30 | Comments(1)
謹賀新年初詣
謹賀新年。
今年は、伊豆山神社、香取雷神社、富岡八幡宮、成田山
深川不動、日枝神社の五社を詣でた。数行けばいいって
もんでありますよ神社の祈願は。お百度参りというもの
があるくらいですから。たった一度行っただけで神さん
がお願い事をきいてくれるっちゅうわけにはいきません。
友人から聞いた話だが、この人は高校を卒業後シェフを
夢見て京都の老舗ホテルのレストランに就職した。修行
10年を経て師匠に許しを得パリに飛んだ。パリの二つ
星レストランでまた10年の修行を積み、帰国し、自分
のレストランを開いた。屋台に毛が生えたような小さな
店だった。始めの頃こそ客がつかなかったが、その味は
評判となりいつしか客がつき始め、ちいさなレストラン
が手狭になり、こんなにお客さんを待たせてはならんと
いよいよ決心し、銀行から借金をして繁華街にちゃんと
した店をオープンした。皆が祝ってくれた。当初は順調
そうに見えたその事業は、その友人が体調をくずしたこ
とにより陰りを見せ始めた。なあに、そのうち直るやろ。
借金もあるし休んでなんていられへん。とタカをくくっ
て無理に無理を重ねたことでますます体調を崩し、しま
いには厨房に立てなくなってしまった。尿道結石が大爆
発をし全身に走る激痛で仕事もなにもかも手に着かなく
なってしまったのだ。
病院を何度も変わり医者も何人も変わったが回復の兆し
はなかった。さすがに神頼みをした。病気に霊験あらた
かと聞けばどこの神社にも行った。煩いが永くなり店は
閉じたままで、日本一のシェフになるという夢を諦めか
けたとき誰に聞いたか思い出せないそうだが豊国さんが
よろしいと聞き、毎日毎日痛みをこらえ東山の上にある
本殿までの長い階段を上り下りし祈願した。
或る日、お祈りして階段を下りあと2,3段で階段が終
いというところで、いつまでたっても直らない痛みにい
らつくようにジャンプして地面に飛び降り着地した瞬間、
チン◎の先からおおきな石がころっと飛びだし、永の煩
いの尿道結石が 祝!全快したと言う。その後、店は順
調で京にこの店ありと言われるまでになった。
なんべんでも行かなあきまへんで。
どこでも行かなあきまへんで。
1回だけでは聞いてくれまへんで。
友人はわたしにこれだけは守りなはれやと言うのである。

で五社に詣でたのでありました。
いくつも頼むと神さんもこんがらがる。
健康祈願1本で、明るい2010年になりますように。
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by kasuya_senji | 2010-01-06 17:58 | Comments(2)

 
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