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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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昭和天皇の愛した珈琲
2010年8月30日

麻布十番を散歩していたところに電話がかかった。

「あーもしもし。コーヒー豆屋はどこにありますか?」

電話をかけたのはわたし。散歩してたのは知人。
麻布十番の公園の近くにコーヒー豆屋があると知人から
聞いたが見つからず何処にありますか? と電話をかけ
たのです。

「ちょうどコーヒー豆屋の前を歩いてますよ。いい香り
 が店の外まで漂ってきてます。何時までやってるのか
 な。夕方7時ころまで店は開いているようですよ」

と教えてくれたので早速駆けつけると、店主はまだ若く
40歳くらいであろうか。
最近流行の脱サラ組かな?
脱サラだとしたらなんでまたよりによってコーヒー豆屋
なんかはじめたんだろう?

「この店はいつごろからあったのでしょうか?」
「昭和の初め頃からですか。祖父が始めてオヤジが継い
 でわたしで3代目です」

というから脱サラなんかじゃなかったんだ。3代に渡っ
てのノウハウがしっかり受け継がれているのだった。
最近になってやっとコーヒー豆に興味を持ったに過ぎな
いのだから、麻布十番にこんなちゃんとした店があるこ
とを知らなかったのは無理もないのであるが、実は自分
で焙煎してコーヒーを煎れているのですと店主に言うと、
たちまち店主は笑顔になり、あれやこれやとコーヒーに
ついて教えてくれた。
店の中に見たことがない豆があった。台湾の鹿谷農園で
栽培されている「鹿谷」という名のコーヒー豆で、非常
に希種らしくブルーマウンテンよりも高価だったが、昭
和天皇がこよなく愛したコーヒーだと聞いて、100㌘
購入し、店で焙煎してもらった。

「ご自分で煎らないんですか?」
「いえいえ。昭和天皇のコーヒーを煎る実験には使いた
 くありませんから。まずはその味をしっかり舌で覚え
 ます。飲んで覚えたら次回は生豆を買いに来て、自分
 で焙煎します」

10杯ほどですから、1週間で飲んで下さいと言われ店
を後にした。毎朝鹿谷コーヒーを飲んでいる。しっかり
焙煎しているので深い濃いめの味だが、さらっとした飲
み口と香りの高さが、いや、たまりませんです。とても
おいしいコーヒーであります。まさか、恐れ多くも昭和
天皇と同じコーヒーが飲めるなんて夢にも思わなかった。
焙煎してみるもんですね。
台湾の鹿谷珈琲は、
岡﨑のダンケのママさんも知らないだろうな。
西荻のハンザのMさんも知らないだろうな。
中目黒のNさんも知らないかもしれない。
日頃のおつき合いに感謝を込めて謹呈するとしよう。
残暑見舞いにちょうどいいざんしょ。
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by kasuya_senji | 2010-08-30 20:04 | Comments(0)
タブー
2010年8月25日

週間誌はめったに読まないが、先日名古屋から帰るとき
手元に本がなかったので、キオスクで週刊現代を買った。
決め手は、

菅「小沢は死んだ」
鳩山由紀夫「菅か小沢か」オフレコで語る。

だったが、この2つの記事はつまらなかったなあ。
では、買って損をしたかというと、そうでもなかった。
大橋巨泉「今週の遺言」が面白かったのである。
第89回
「人の死に同性愛者はふさわしくないのか?
 日本にはタブーが多すぎる」
という89回目の遺言で、要は今野雄二さんが亡くなっ
て乞われて追悼のコメントを出したら、同性愛者という
言葉が死者にふさわしくないという理由で放送されなか
ったという事がきっかけとなり、日本に於ける主にテレ
ビ放送の「タブー」についての遺言なのである。
巨泉さんの文章を引用すると、
「それにしても日本国にはまだタブーが多すぎる。皇室
 問題を筆頭に、在日外国人、部落問題など半世紀前と
 ほとんど変わっていない。(中略)。大相撲の問題な
 どその典型で、司法も生ぬるいがメディアもだらしが
 ない」と言い放ち、その後の文章が面白かった。曰く。
「北野武はすでにタブーのひとつか。日本では見ないが、
 アウトレイジ(北野監督映画)なんて、こちら(カナ
 ダ)ではボロクソの駄作扱いだぜ」
北野映画件に関しては思いあたる節も大いにあったので、
この一刀両断ぶりがクソ暑い夏に吹いた一幅の涼風であ
りました。たまの週刊誌もおもしろい。
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by kasuya_senji | 2010-08-25 17:21 | Comments(0)
焙煎
2010年8月24日

煙草をやめて持て余すことになった時間を珈琲に使いだ
して半年以上が経つ。昔から珈琲は好きで、宮益坂にあ
った珈琲専門店BUNは渋谷で人と待ち合わせる時の店
で、店のオリジナル、タラコのトースト・コッドロート
ーストは絶品でした。英国へ行くことになって、英国名
物のフィッシュ&チップスに使われる白身のフィッシュ
はタラで、英語でタラはコッドローと云うんだとイギリ
ス人に教えられたとき、それは知ってると答えたが、そ
もそもは、BUNのトーストで知ったものでした。
この店は道玄坂にもあり、百軒町や恋文横町へ出かける
ときはこちらのBUNだった。と思ったが記憶が違って
いた。彼女と待ち合わせるときは宮益坂で大学の同級生
など男との待ち合わせは道玄坂だった。きっと連中と出
かけた麻雀荘や飲み屋やレコード店が道玄坂の方が多か
ったからだと思う。そのうえ、道玄坂近くには丸山町の
連れ込みホテル街があり、彼女に、
「そんな下心はありません」
と証明するには近寄らない方がよかったのである。した
がって彼女とそういった出来事に向かうことはなかった
がそれが良かったのかそうでなかったのか、今となれば
惜しくもあり、どちらでも良しでもある。
学生街の喫茶店という歌が大ヒットしていた時代のこと
で、学生や会社員の男達は誰でもいきつけの喫茶店のひ
とつやふたつは持っているもので、またそれが世の大人
の男というものでもあった。それは学生街にある名曲喫
茶だったり、盛り場にあるジャズ喫茶だったり、軽井沢
にある珈琲専門店茜屋だったり、原宿のレオンだったり、
熱海の渚だったり、通天閣の路地の角のオバチャンがや
っているモーニングにゆで卵が2ついてくるマリリンだ
ったり、岡﨑の阿蘭若だったりと人それぞれだったが、
とにかく、男が高校を卒業し親離れして一人の男子とし
て世に出れば、珈琲で人と出会う場所を決めることにな
っているようで、それから、酒で人と出会う自分の場所
を決めてゆくという順番みたいなものがあった。
珈琲屋には、コーヒーが収穫できるコーヒーベルトとい
われる赤道を挟んだ緯度南北20度の地帯の人文地理に
くわしいマスターがいて、
「栗鼠の糞という珈琲を知ってるかい?」
とスマトラ島の山奥の珈琲畑とその所有者のオランダ国
の女王と東インド会社との関係を蘊蓄してくれ、その話
は高校で習う世界史の授業より遥かに人間の歴史だった
り、
「やっぱりミンガスだな」
と、モダンジャズの歴史で一番重要な役割を果たしたプ
レイヤーはチャーリー・ミンガスで、その「直立猿人」
はなんと言っても最高峰でもし無人島に1枚だけ持って
行けるアルバムを選べといわれればこれしかない! と
いつも言っていたとおり、どんな理由があったか知らな
いが失踪するように新宿から姿を消したその後にそのレ
コードだけなくなっていたジャズ喫茶のマスターや、
「あんた。女にはだまされちゃいけないよ。こわいから
 気をつけるんだよ」
と誰であれ店に入ってきた若い男にはいつもそう声をか
けていたママがいた浅草の喫茶店などがあった。
女の怖さを知ることになるのはそれから何年も後のこと
だったし、直立猿人がそれほど素晴らしいアルバムであ
ると心から知るようになるのはほんの数年前のことだし、
中南米・東南アジア・アフリカの歴史を理解できるよう
になったのもやはり最近のことで、長い間かかって知る
人生のたいせつな物を教えてくれた親切な人々がいた時
代に生きたことをいまさらながら良かったと思う。
今の日本はどんな国でしょうか? と問われれば、
そういう親切な人々がいなくなってしまった国ですと答
えるのだが、それはそれとして、珈琲のことであります。
若い頃から珈琲が好きでしたといっても、キリマンジャ
ロもブルーマウンテンもモカもマンダリンもどう違うか
わからない。それはポルシェとフェラーリほど違うのか、
コスモ石油とゼネラル石油のハイオクの違いという近似
値のものなのかもわからない。右も左もわからないから
と数種類の豆を挽いてもらって毎日飲み分けていた。
無くなればいちいちまた買いに行くというのも面倒だと
それぞれ200㌘ずつ挽いてもらって飲んでいた。とこ
ろが、密閉容器に入れ冷蔵庫で保管しても3週間もする
ととたんに香りが無くなった。どんなに厳重に保管して
も挽いた後は長く保たないのである。それではと焙煎し
た珈琲豆を買ってきて自分で挽いて飲むようにすると、
あんた、まあ、これが香り高く美味いじゃありませんか。
で、ブルーマウンテン(岡﨑の呉服屋のYは、えーとあ
の高い山で獲れたやつと注文してダンケ=岡﨑に古くか
らある珈琲専門店のママに笑われてた)とハワイアンコ
ナを買ってきて、やはり冷暗所で保管して取りだしては
挽いて飲んでいたら、次に、珈琲は焙煎したら3日以内
に挽いて飲まなければイケマセンという人が現れた。
スピーカーの事で聞くことがあって元IRC2スタジオ
のマネージャーに電話した際マネージャーに珈琲のこと
を聞いてみると、この人は新潟の出身の人で、新米も精
米しては保ちません、実家から送ってくる米は食べる分
だけ精米しますと言ってたから、やはり、飲む分だけ焙
煎して、それを挽いて飲むのが筋だろうと納得した。筋
はそれで通るのだが、生豆と焙煎機はどこで手に入れれ
ばいいのだろう。
名古屋に出かけたとき、俳句会系仲間であるの尾張堂さ
んに相談してみると、
「いつも行くクリーニング屋の隣に珈琲豆の卸屋があり
 ましたなァ。クリーニング屋に珈琲屋の電話番号聞い
 てみましょう」
と電話をかけてくれた。クリーニング屋のオヤジは、
「隣に電話かけたことがありませんので番号は知りませ
 んのでちょいと聞いてきますわ」
と隣に一走りしてくれた。
その珈琲問屋ダイア珈琲店で焙煎機と生の豆が手に入り、
ご主人から焙煎方法も伝授してもらうことができたのだ
から、先ほど親切な人々が日本中からいなくなったと書
いたが訂正します。名古屋にはそういう人々がおりまし
たです。
今朝はMGの馴らし運転をし、ブルーマウンテンを18
分ほど煎って、冷まし(これがミソであります)、ミル
でガリガリと手挽き、究極の一杯を飲んで、会社に来た。
挽き立ての珈琲からは豆を煎った独特のいい香りがする。
暑い夏は続いているが、珈琲は格段と美味くなった。
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by kasuya_senji | 2010-08-24 18:43 | Comments(0)
美人姉妹
2010年8月19日

昨年のお盆は京都の大文字の送り火、翌日は奈良散歩と
暑いなかでも古都三昧だったが、今年は布袋のライブが
15日に東京であったから、14日にご先祖様のお盆の
供養をすませるために岡﨑へ行き帰りしただけでどこに
もでかけなかった。
毎日35度を超える暑い日が続いて、クーラーの入って
ない部屋に住んでいる僕は毎朝目覚めると汗をびっしょ
りかいているが、それでも冷たい風に中っていると風邪
をひいたように全身ぐったりしてしまうから、暑いから
汗をかいて寝ている方が健康的なのです。
連日の暑さで、テレビでは毎日年寄りが熱中症で病院に
担ぎこまれたとニュースになっている。担ぎこまれた年
寄りは一応に赤い顔をしているが、これは発汗作用が壊
れてしまい熱が身体の中にたまってしまった熱中症の典
型的な症状で、その体温は39度を超えている人もいる
のだから、ひとり暮らしのお年寄りが熱中症で亡くなる
可能性は大いにあるんだなと知る。僕のあたらしい車は
50年前のMGで、このころの英国車はオーバーヒート
にとても弱い。もともと英国の夏が涼しいのを通り越し
て雨など降れば革ジャンがなければ過ごせないほど寒い
という気候だから、エンジンの熱対策などに神経が行き
届いてなくても当たり前なのだが、こう暑い日が続き、
毎晩のニュースで熱中症で病院に担ぎ込まれる年寄りの
話が出ると、暑さに弱いMGを思いだしてしまうのであ
る。そこにゆくと、子どもはびくともしないのだから頼
もしい限りである。やはり、未来は子ども達のその逞し
さ頼もしさに託されるのであろう。
時に吹いてくる風にゆられながら畳に寝ころびそんなこ
とを考えていると、大阪に住んでいる妹から孫が産まれ
たとメールが入った。
長女はあやねちゃん。産まれたのはまた女の子でゆずき
ちゃんという名前らしい。かみさんは妹からメールで写
真も送られてきたようで、
「ゆずきちゃん、あやねちゃんにそっくり!!」
と言っていたが、あやねにそっくりならたいへんよろし
い。というのは、あやねはこんな可愛らしい子がいるの
か! と思うくらい可愛いのであるから、あやねゆずき
の美人姉妹の成長が楽しみである。
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by kasuya_senji | 2010-08-19 15:04 | Comments(0)
カトー&イトー
2010年8月12日

どなたかご指摘かと思いますが、
グリーン・ホーネットの運転手カトー役こそが、
あのブルース・リーの映像デビューであります。
昨年、中古VHSを借りて観ましたが、
いやすさまじいアクションでありました。
映画版リメークが立ち消えになっていますが、
確かカトー役はジェット・リーだったと思います。
とN君からメールが来た。
いやいや。人(自分)の記憶がどれだけアテにな
らないものか。見事に証明されました。
ありがとうN君。

では、ブルーハワイのイトー役は誰だったんだろう。
日本人役者、日系人とはかぎらなくどこかの東洋人かも
しれないが、きっとまたN君が中古のVHSを借りて確
かめてくれるに違いない。盆明けが楽しみだな。
ちなみに、早川雪舟、、、じゃないよね、、、???
いや、余計な事言ってすんません。

僕は明日からは盆で岡﨑へ帰ります。
でも、15日には布袋のライブがあるので帰京します。
来週にもう一度連絡します。
では。よい盆を。
BON VOYAGE なんちゃって。
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by kasuya_senji | 2010-08-12 16:27 | Comments(1)
海水浴
2010年8月9日

フジロックを終えて、しばらくロキシーミュージックの
音楽にハマっていたが、蝉がミンミンと鳴くようになっ
て、いかにもキンチョー蚊取り線香・日本の夏!という
気分が高まってきて、夏休みは?と聞かれ、反射的に
「海水浴」と答えた。行くなら遠くなく水のきれいな伊
豆半島の海水浴場がいいだろう。
以前、H邸を訪ねた帰り、伊豆多賀駅から熱海まで伊豆
急の普通電車に乗ったことがある。たった2駅だったが、
その駅の佇まいやのんびりと走るその速度や雰囲気がな
んだかとても懐かしい感じがした。その懐かしさは、子
供の頃に連れられて海水浴に行った時に乗った電車のよ
うで、若かった父や母の笑顔が眩しかったあの遠い夏の
日の思い出の懐かしさだった。僕の思いでの少年時代は
いつも夏だ。

青い水平線。
白い入道雲。
遠く浅く長い砂浜。
どこまでも続く松林。
海の家。
かき氷。
ラーメン。
浮き輪。

こんな言葉が合う海水浴場はないか? と伊豆多賀の住
人に訊ねると、
湯河原はそれに合致するが、海の家が自動車専用道路の
下にもぐり込むように作られているから、たまに浜に上
がるサーファーには問題ないが、糟谷さんはきっと海の
家の葦の茣蓙に居坐って気が向けば海にも入るかもしれ
んといった風な海水浴だろうから、天井が低い湯河原の
海の家は気に入らんだろう。
今井浜まで足をのばせば白い砂浜青い海。伊豆急今井浜
駅を降りればそこが砂浜と交通条件はベストであるが東
京の大手の資本が入ったリゾートホテルが建てられてい
て、あたかもそのホテルのプライベートビーチのような
風も呈しているから、どこまでも続く松林や海の家とい
う昭和の海水浴場ロマンは今井浜には欠けるかもしれん
なあ。
長浜は熱海の南隣の浜で、白い砂は整備され海の家では
ないが海水浴会館もあり、なんだか子ども連れの若い家
族の海水浴のためのテーマパークのようなきれいな浜で
あるが、糟谷さんは、ほらあれだよ、まあ、なんという
か海の家そのものが昭和なレトロな海水浴場に行きたい
と言うことだから、そうだな、宇佐見あたりがそれにあ
たるかな。宇佐見には知り合いが海の家をやってるから、
なにかと便宜を計ってもらうよう頼める。そこがいいか
な。

などと何人かで検討してくれたようで、意見がまとまり
ましたとわざわざ電話をもらって、結果、宇佐見へ行こ
う! と決定し、8月7日快晴の土曜日の朝9時の熱海
発の伊豆急普通電車に乗り伊豆半島の宇佐見へ海水浴に
でかけました。
<電車でゴー!宣言。熱海駅プラットホーム>
e0074827_1773075.jpg

<懐かしき海の家>
e0074827_178423.jpg

<座敷からみた浜辺>
e0074827_1783090.jpg

日中のほとんど海の家の茣蓙に寝ころんで、本を読んだ
りヘッドフォンで音楽を聴いたり、同行者と、
「あんなきれいな体つきをした若い女性はおれ達の青春
 時代には日本にはいなかったよなあ。スクリーンで見
 る外国人女優の水着姿にあれだけ憧れたものだったよ
 なあ。しかし、日本人の体型も随分進化したもんだ。
 ところが、おれ達は退化したかもしれんなあ」
と語り合うとみせて海にどっぶーんと飛び込んだりしな
がら5時間ほど海の家で遊んだ。夏休みをした。
海の家の人には随分心安くしてもらって気持ちよかった。
着替えて、海の家の人にお礼を言い、海岸から歩いて駅
に向かう途中にあるそば屋で天ぷら蕎麦を食うと、細く
切ってある蕎麦がなんとも上品な味がした。
宇佐美駅から普通電車に乗り熱海駅のひとつ手前の木宮
駅で降りて、タクシーに乗り、中央町の旧赤線地帯にあ
るジャズ喫茶「ゆしま」でマイルス・デビスを聴く。珈
琲を飲み、行子ママと記念写真を撮って、伊豆山に帰っ
て温泉に入った。塩気を洗い流してほんとにさっぱりし
た。マッサージ機で腰と足を中心にモミモミ、、、。
部屋に戻り、エルビス・プレスリーの「ブルーハワイ」
のサウンドトラックを聴いていると、ITO=イトウと
いう人がでてくる歌があった。歌に登場する伊藤さんは、
きっとハワイに移住した日系人シェフの誰かががモデル
になってるのだろうが、イト イズ ファースター と
歌われるからプレスリーの家で雇われている何でも早く
作るコックさんなんだろう。たしか映画の伊藤さんはテ
レビドラマ「グリーンホーネット」に出ていた日系人の
役者が演じていたような記憶があるんだが、人の記憶ほ
どアテにならぬものはないのでまったくアテにはできま
せん。
ちなみにグリーン・ホーネットに出演したその日系人は
小柄で何かとカラテの格好のまねをするという剽軽な漫
画的な役柄でしたが、それはともかく、ブルース・リー
の登場によってカラテの動きが東洋人の剽軽さを表す演
技から、最高にカッコイイ格闘技に変わったのは革命的
でした。
映画ではプレスリーが住んでいる家はハナウマベイにあ
って、後年ハワイを訪れたときに真っ先にそこへでかけ
て行ったところ、そこはとても美しいがただの浜辺で、
ここに家があるとすれば海の家じゃないかァ?と思った
ものだった。
山の上から初島や遠く伊豆大島を眺めていると、空を赤
く染めた陽はいつの間にか落ちたようで熱海の街に灯り
がともった。お抱え運転手のH嬢に迎えにきてもらい街
におりて、フキヨ亭にて新子をつまみ、フラに立ちより
ローソクの光りの中でトニックウオーターライムを冷た
く飲み、海水浴の1日は終わった。
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by kasuya_senji | 2010-08-09 17:04 | Comments(0)
ニューヨークからの返信
2010年8月5日

ニューヨークから返信が来た。

糟谷さんへ

フジロック、おつかれさまでした!と言うより、
ありがとうございました!!

お気遣い頂いた帰りのフライトは信じられないくらい良
く寝れました。寝過ぎたせいで、到着後、深夜2時に眼
を醒ましてしまう始末。治すまで数日日はかかりそうで
す。
それからやっぱり糟谷さんはフライト・アテンダンスに
なってなくて正解だと想います。だってコークやスプラ
イトを頼んだら、見えないところでウォッカを入れられ
そうですもんっ!!

当日はロック・フェス特有のバタバタで、布袋さんがス
テージに出て、Guitarの音が鳴るまで正直生きた
心地がしませんでした(笑)。
その後は時間軸が完璧に狂い、"Speedy Wond
er”な中、眼の前の光景をファインダーが悲鳴を上げる
くらいなスピードで瞼の後ろに焼き付けていました。
もし時計の針を戻せるなら、ステージ最前列で見てみた
い気もします。いやっ、でもそれはやめておきます。
なぜなら、客席からでは"Roxy Music" と布袋
さんが、お互いの呼吸がまだ上がってる中、抱き合いな
がら讃え合うシーンは見れませんでしたから。

布袋さんはいつも、人生には花々にあるような香りがあ
って、そして節目節目で物語りがある、と言葉こそしな
いけど、気付かせてくれます。
そんな1ページをめくった今回、妄想の中での夢ではな
い、現実の中の夢、を再認識させてくれました。
そして思ったのは、やっぱり掴みに行くべきだと。
次のページはまだ真っ白いです!
次、何しまっしょっか?

ユタカより
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by kasuya_senji | 2010-08-05 13:43 | Comments(1)
永遠のフジロック
2010年8月3日

レンジーで事務所を出発したものの関越の月夜野を降り
てからどう走ればいいのかわからなかった。同乗のGさ
んの携帯ナビを頼りに一路首都高から美女木ジャンクシ
ョン、和光、大泉、関越月夜野、国道17号、三国峠を
越え夕方前には苗場プリンスホテルに到着した。
以前なら、チェックイン前に速攻でバーラウンジに行き、
冷たい生ビール一気飲み! となるところだが今は酒は
飲まないからキリンフリーで「苗場到着!」と乾杯した
が不味かった。
夏の苗場はオフシーズンで、シーズンオフに登場したフ
ジロックフェスティバルは今や夏最大の祭りである。普
段なら閑散としているだろうゲレンデに、若者が、音楽
好きが日本全国から海外から集合し、夏特区とも言うべ
き一大音楽村を出現させていた。
レストランで夕食をとっていると隣のテーブルには小坂
忠さんがいた。小坂さんは今は牧師さんでありまして、
この度も土曜日の午後のアバロンステージに出演した後、
教会へ帰り、日曜日はミサをするのだそうです。小坂さ
んバンドのギターは鈴木茂。まあ、涙無くしては観られ
ません。
「機関車」という歌は35年前に日比谷野音でのロック
フェスに登場した小坂忠から直に聴いて以来の生歌だっ
た。小坂忠に泣くべきか。聴いていた若き自分と今の自
分との邂逅に泣くべきか。双方に泣くべきなんだろう。
アバロンステージはホテルからはかなり遠くて、雨が降
った後のぬかるんだごつごつの山道を歩くのは、正直つ
らかった。
金曜日の昨夜、グリーンステージにミューズを観に行っ
たGさん(爺さんではない)は、戻ってきたら黒のコン
バースが泥で真っ茶色になったと言っていたから、J嬢
と僕は売店で長靴を買ったのです。それを履いて出かけ
たので水たまり、泥たまりはOKだったが、ゴツゴツし
た山道は歩きにくくて、、、どうも、、、洒落になりま
せんな日頃の運動不足は。
ホワイトステージでは若いジンガイバンドがぶっ飛び音
楽をビュンビュンぶっ飛ばしていた。かなりカッコヨカ
ッタが、そうは言ってもこの僕は、最近は、適当にデカ
イ音で音楽を聴くのはあいかわらず大好きだが、ドデカ
イ音でビュンビュンぶっ飛ばされるのは、もう、たいが
い飽きてへきへきしてるから、早々にホワイトステージ
を退散した。
夕方、布袋が到着したと知らせを受け、その後、食堂で
一緒に軽く食事をとった。食堂にはトライセラートップ
スのメンバーがいて、布袋に和田君を紹介してもらった。
トライセラーは土曜日の朝11時からレッドステージで
の演奏だったが、僕は朝、長靴を買いに出てちょうどレ
ッドステージを横切ったので運良くトライセラーのライ
ブを観ることができた。和田君も長靴を履いていて二人
その話で盛りあがった。ちなみに和田君は1万円。僕は
1700円のゴム長靴。しかし長靴は汚れがあるとイイ
感じで、おろしたての新品風はなんともさまにならない
ことを知ったのは収穫(?)だった。
ロキシーのコピーバンドをやっていた高校時時の話。
アンディー・マッケイ家族と出かけた京都小旅行の話。
布袋から聞かせてもらううちに、いよいよ陽が落ちて、
ロキシーミュージックの出番が近づいてきた。
準備しなければ。布袋は楽屋に戻った。
出番前になって行き成り土砂降りになった。
不思議なことに土砂降りの雨を見ていて、フジロック
の主催者:スマッシュのボス:日高さんが、
「ヨーロッパでやっているような夏のロックフェスを
 いつか絶対日本で開催するんだ」
とロンドンで熱っぽく布袋や僕に話してくれたあの日
の事を思いだした。
ロキシーのライブが始まった。
布袋が下手ステージ袖にスタンバイしている。
今井美樹ちゃんが布袋の斜め後ろに寄り添うようにして
立っている。
ギタークルーの内田! 問題ないか? と声をかける。
親指を立て、ぐっと前につきだしてくれた。
ロキシーのスタッフとの間に入って全てを準備してくれ
たかわなユタカがニコッと笑ってこちらを見てくれてい
る。
自分が登場するわけではないのになんだかナーバスにな
っている。なっているくせに、いつの間にか、英国から
来たロキシーのスタッフをかき分け、下手袖の一番前に
立っていた。
ジョンレノンの追悼曲「ジェラスガイ」のエンディング
のブライアンフェリーの口笛が悲しく切ない。その後、
「バージンプレイン」
「恋はドラッグ」
と続き、その次の曲:「エディション オブ ユー」で
いよいよ布袋が登場した。
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「レッツ スティック トゥギャザー」
「ドゥー ザ ストランド」
の3曲をスペシャルギタリストとしてオンステージした
が、僕には永遠に続く長い長い時間だったように思えて
仕方がない。
翌日、ニューヨークに戻るかわなゆたかにありがとうの
メールを入れた。


ユタカへ

帰りのフライトはいかがでしたか?
ひょっとしたらフライトアテンダントになっていたかも
しれない僕としては、機中で快適に過ごせたかどうか、
つい、気になるところであります。

フジロックでは布袋は大活躍をしてくれました。
自分もまさか関係者として、ステージ袖でロキシーミュ
ージックを観る日がこようとは夢にも思っていませんで
した。
人生って面白いですね。
夢って、いつか、叶うものですね。
そのステージを完成させてくれたユタカに感謝です。
ありがとう。

糟谷
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by kasuya_senji | 2010-08-03 17:27 | Comments(1)
いざフジロックへ
2010年8月2日

MGA・フィックス(F)ヘッド(H)クーペ(C)が
納車された。1961年製。1600cc。
どこもレストアされることなくオリジナルのママを保っ
た現役の車である。エンジン音もいさましく、ドッドッ
ドッドッドッドといかにもスポーツカーの音がする。
色は黒。赤のレザーシート。

この車を見つけたのは数ヶ月前。
子供の頃から車とりわけスポーツカーに憧れた。とにか
く一番の憧れはカルマンギアーで、フォルックスワーゲ
ンをベースにカルマン社がスポーツカーに仕立てたもの。
流線型の素敵なスポーツカーだった。車に乗りはじめて
から30年経つが、そういえば若い頃憧れた旧車に乗っ
たことがない。昨年手に入れたBMWのNEW3シリー
ズは何もかも良くできていて素晴らしいのだが、
ナンダカ、面白味がなくて、、、
そうだ。もしアラ還の今を逃して、アラ還を5年も10
年も過ぎてからやっぱり憧れたあの車に乗りたいと思っ
ても遅いだろう。憧れのあの車立ちはどれのこれもマニ
ュアル車で運転するときは手足をしょっちゅう動かして
なきゃならんし、ワーハンドルではないのでうんとでは
ないがそれなりに力はいるのだ。加齢を重ねては面倒に
なる。乗りたいなと思う今が最後のチャンスかもしれな
いとカルマンギアをネットで検索して、これと思う車に
目をつけて車の修理歴40年という専門家のO氏にいか
がか? と問い合わせると、
「やめとけ」という返事だった。
別のを捜しだしてこれならどうじゃ!と問い合わせると、
「やめとけ」という返事だった。
そんなことを2度3度くり返しているうちにカルマンギ
アはたしかにカッコはいいがやはりワーゲンだからスポ
ーツカーとしてのパーフォーマンスはとても望めない。
その望めない車に手がかかり、その手を入れるO氏が
「やめとけ」
というならばやめたほうがいいとカルマンを切り上げた
ところに登場したのがMGA・F・H・Cだった。
持ち主のKさんは旧車のコレクターで、長い間何台も旧
車を乗ってきたが、そろそろ絞って整理する時期がきた
と判断され、それではじめてこの車が市場に出てきたの
である。出て、いきなり出会ったのである。これもなに
かの縁だと思いO氏に実見を依頼すると、
「買いなさい! 今手に入れないと2度と出てきません
 よ! あとのメンテナンスはわたしが責任もって引き
 うけまっせ」
と興奮して電話がかかってきたので、そそくさと200
9年のエンジン・オブ・ジ・イヤーを受賞した名誉ある
BMWの嫁入り先を捜し、話をつけ、やっと納車の運び
となったのである。
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昔の車だから、ハンドルにはハンドルしかついてない。
ウインカーやワイパーやクラクションなど普通ハンドル
部にセットされている装置は全部ダッシュボード上に並
んでいる。
昔の車だから、イグニッションキーとセルが別にあるの
で、スイッチONしたらばアクセルを軽く踏み踏みセル
を引っぱると、エンジンがかかる。
昔の車だから、駆動のためのギアのロウ(1速)がシン
クロしていないから、2速に入れてから1速に入れクラ
ッチを繋ぎ車を駆動させる。
昔の車だから、エアコンはついてない。
エンジン部は前部にあるからエンジンで温まった熱気は
運転席に流れ込むから寒い冬にはストーブを抱いて走っ
ているようでとてもナイスであるが、どうも、このくそ
暑い日本の夏のドライブはちょっといかがか。
昔の車だから、シートベルトが義務づけられる以前の車
であるから特例として義務づけられていない。
トランクはあるものの小さく、中にスペアタイアが収ま
っているから荷物はキャリーパイプに括りつけて旅行を
する。
昔の車だから、ストライプのダークスーツにボルサリー
ノ姿がよく似合う。同乗者も同じくキメてもらおう。
この車で、苗場でおこなわれたフジロックフェスティバ
ルに行こうかと思ったが、初乗りの長距離はいかがかと
思い留まり、レンジローバーにて
「いざ行かん。フジロックへ!」
と一路苗場をめざし出発した。
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by kasuya_senji | 2010-08-03 15:37 | Comments(1)

 
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