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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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「忠臣蔵」東映映画
2010年11月26日

赤穂浪士の討ち入りの日が近づいている。
主人公の世過ぎの用心棒稼業が赤穂浪士の討ち入りと絡
み合い、まるで忠臣蔵外伝とも云える藤沢周平の「用心
棒 日月抄」を読んでいた。なんども読んだ本だが、討
ち入りの12月14日が近づくこの時期には例年必ず読
んでいる。読む度に新しい発見がある。
今回は、町なかで密偵おりんが人をつけていることに気
づき、様子の良い腰回りの後ろ姿を眺めながら後をつけ
るが路地奥の突き当たりまかれる。きつねにつままれた
ように行き場もなくたち止まっていると、奥の家の中か
ら旦那ここですよとおりんの手が招く。言われるがまま
に上がり込み、色男然としながらおりんの酌で酒を飲ん
でいる。
という一連の描写が、まるでフィルムを見ているように
流れてゆくことだった。主語述語形容詞で構成された文
章の積み重ねがまるでひとつの長文のように行動を描写
している。こうしてわたしは藤沢作品を読む度に映画化
を夢み、監督になり、プロデューサーになり、時に脚本
家になったりする。分をわきまえているから役者になる
ことはない。
そんな今日この頃(これを変換するといつも今日子の頃)
友人から映画;忠臣蔵を見たと便りがきた。
その文章があまりに見事なので今回はそれを掲載したい。
(友人には掲載了解をとりつけた)

「忠臣蔵」東映映画
1958年製作。この年私は11歳である。秋田県潟西
村の木造2階建の宮沢劇場で見て以来、半世紀ぶりの再
見になる。公開中の池袋新文芸座は 60代から80代の
年寄りで満席だ。50年を6回過ごせばほぼこの物語の
事件のあった時代にさかのぼる。63年も生きていると
300年前の時代背景や風俗を想像するのに多少の助け
になるというものだ。
映画は中村錦之助の浅野内匠頭が進藤英太郎の吉良上野
介に度重なるいじめに遭う場面から始まる。この進藤英
太郎という悪役俳優が子供心に、はらわたが煮え繰り返
るほど憎らしかったものだ。懐かい。
松の廊下の場面では、この夏、皇居東御苑内の江戸城松
の廊下跡や大奥跡、天守閣跡などを見て廻ったこともあ
り、その敷地の広さや廊下の長さ、幅などが実感として
理解できる。大石主税役の俳優は、はて誰だったかなと
しばし思い悩んだが北大路欣也ではないか。いやぁ若い!
まだ15か16歳だろうか?そして凛しい。所作が軽や
かでまるで体重がないみたいだ。
そして、主役の大石内蔵助は、もちろん我らが片岡千恵
蔵である。この人は私が生まれてから初めて好きになっ
た家族以外の他人である。私は小学校 5年のとき高熱を
出して寝込んだ時にうなされて「野郎ども表へでろッ!」
と叫んだそうだが、これは千恵蔵主演の同名映画のタイ
トルである。そのくらい夢中であった。千恵蔵の魅力は
本作で52年ぶりに見ても変わりはなかった。その演技
と存在感は重厚で見応えがあり、時代劇の異空間に瞬時
にして引き込まれる。そして堀部安部衛の大友柳太郎。
この人はスクリーンの中で常に走り回っていて、それだ
けでは足りずに馬に乗ってまで走る走る。とにかく忙し
ない。
当時の東映には存在感のある悪役が数多く存在したが、
吉良の家来を演じている吉田義夫、この人もほんとうに
憎らしかった。それから、山形勲、本作では善人役だが
本来は悪役として貴重な存在だ。悪役ではないが、性格
俳優として欠かせない加藤嘉が幕府の役人役でまだ若く、
彼本来の持ち味である加藤嘉の顔になり切っていないの
が何だかおかしい。
また、赤穂浪士の米屋に扮装した大川橋蔵、この人は何
といっても声がすばらしい。聴いていてうっとりとする。
普通に話してもマイクを通したように響き通って、一言
一句がはっきりと聞き取れいかにも江戸っ子らしいキリ
ッとした歯切れのよい低音だ。日本映画が停滞したあと
のテレビで長寿番組となった橋蔵演じる「銭形平次」の
江戸弁は日本の演劇史上他に適うものはいないと言われ
る。これも私の好きなTVドラマで、テリー・サバラス
主演「刑事コジャック」の日本語吹き替えは橋蔵の江戸
弁がモデルだ。ニューヨーク市警のコジャック刑事が江
戸弁を喋っていても、あまりにもピッタリで違和感なく
見ていたものだ。誰が思いついたか実にいいアイディア
であった。
他に顔が私に似ていると言われる月形龍之介、それから
市川右太衛門、大河内伝次郎、東千代之介、美空ひばり、
堺俊二その他、なじみの顔だが名前の知らない俳優、人、
人。東映時代劇のオールスター超大作で数多くの俳優が
出演している、そのすべてが今はもうこの世にいない。
(北大路欣也はまだ存命だな)なんという無常感。まる
であの世に行ってしばしの間彼らと共に過ごしてきたよ
うな、一抹の寂しさと懐かしさに浸った満足の3時間3
0分であった。

長尺で2時間後、15分の休憩が入る。その時、年寄り
だらけの客席はすぐに空になった。皆トイレが近くて我
慢しきれずにあっという間に行列が出来てロビーは大混
雑だ。しかもトイレは近いが小便の切れが悪く、一人一
人の所用時間が長い。その上、老体ため歩く動作がのろ
いのでいっそう時間がかかるのだ。実に身につまされる
光景だ。普通は休憩時間になって行列が出来るのは自販
機の前だが、後編に備えて飲み物を買う人は誰もいない。
自分もその仲間だと思うと、いつまでも若いつもりでい
るのはやめて、大概に自覚をせねばと思わせる晩秋のイ
ベントであった。             橅墨庵。

便りの最後で橅墨庵(ぼすみあん)氏は、
「文章を綴るときの語彙がすぐに思い浮かばないのはメ
 ニューのない寿司屋に似て、自分が食いたいものが浮
 かんでこなく誰かが頼むと「あッ、オレも」みたいな。
 知っているけど思い出せない、読めるけど書けない。
 だな」
と書き送ってきたが、パソコンを所有していない氏の先
ほどの文章は携帯メールで書かれたもので、視界に入る
文字はせいぜい数十という状態でよくあれだけの情景や
叙情を長いセンテンスに載せて書けるものだと感心する。
氏は自分が考えたことや感じたことを人に理解できるよ
うに文章で書ける能力を持った人が羨ましくて羨ましく
て、、、といつも口癖のように自戒しつつ溢すが、どう
してどうして素晴らしい文章である。あとは書き続ける
根気、興味だけである。
伊豆山に生息するHAY・SHYは金融トレーダーとし
て世界中を飛び回り金儲けにいそしんできた。財を成し
金儲けにも飽きたとみえ、最近は部屋に籠もって小説を
書き始めついに400頁にもおよぶ大作を書き上げ、満
を持して懸賞に応募したが出版社からは何の返事もなく、
落ち込んでまた部屋に閉じ籠もってしまった。
わたしはHAY氏に、
「司馬遼太郎をみよ!40代のほぼ10年を使って坂の
 上の雲を書き上げたんだぞ。たかが、しろうとの40
 0頁が箸にも棒にもかからなかったとて、それがどう
 したというのだ。量は質に転嫁するというが逆に言え
 ば質に転嫁するするのは量だけである。書いて書いて
 書きまくれ! それがアンタの生きる道」
と叱咤激励するが、当のご本人はどうもあれだけの力作
傑作を簡単に無視した出版社の扱いの悪さにプライドが
ゆるさないらしく(小説家ならともかくなりたい人に必
ず小説家になるということ以外にどんなプライドがある
のかわたしにはわからないが)伊豆山中の天の岩戸に閉
じこもってしまったのである。それ故、小説家への道も
途絶えてしまっているかのようである。その二の舞は踏
まぬよう橅墨庵氏には書き続けていただきたいものだ。
そうだ! 週の半分はこの岡崎堂ブログにエントリーし
てもらう事にしたらどうだろう。昔から橅墨庵氏の写真
(氏は写真家でもある)と岡崎堂の小文で、旅のお伴に
この1冊という本をだそうよ、自費出版でいいじゃない
かと話してたんだ。5年もブログをやっていてそろそろ
飽きも感じてきたところだ。これはいいアイデアである。
来年はこの手でいって、うまくすれば自費本もありかと
思いつつ年末に突入する。



      
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by kasuya_senji | 2010-11-26 12:06 | Comments(0)
真夜中の泉谷
2010年11月15日

猫好きの友人が目を覚まして書く日記に神田共立講堂の
様子が書かれていた。それによると(以下原文引用)
 30年ぶりに訪れた神田共立講堂
   神保町の駅から裏道を散策しながら
    講堂の表に着いた時
     感慨がこみ上げるのを止められなかった

 よくも当時の姿をそのまま残しながら
  保管していてくれたものだ
   だいたいが取り壊して新進の建築家に
    今の時代にあったものに....などとなる
     確かに楽屋は綺麗になり
      トイレなども快適になっていた

 ただ客席はそのままなのだ
  ステージから見上げる客席のスロープ
   座席の並び方や明かりの届きかた
    そして音の響き方...
     すべてそのままだ
      嬉しかったね...

 72年の玄関下に立つ僕の写真
  確か...あれは共立講堂だったはずと
   探し出してみた
    38年前...
     自分だけが変わっていた...だね

これを読む限り楽屋などのリニューアルはあるものの、
外観、客席は34年前当時とほぼ変わらないままのよう
で、なつかしく嗚呼あまりになつかしいと猫好きの魂は
泣いているようだ。
1975年の春の神田共立講堂のかぐや姫の解散コンサ
ートは、わたしはただひたすら海外勤務を夢見て大学7
年生でありつつノースウエストオリエント航空関係会社
臨時雇い員として機内で売る免税品の補充・供給仕事に
従事し羽田の保税倉庫と発着する飛行機の間を車にウイ
スキーや香水などを積み込み空港内を端から端へと走り
回る生活が毎日続いていた時代のことで、音楽業界には
無縁。このコンサートは見ていない。
初めて神田共立講堂で観たライブは泉谷しげるだった。
圧倒的な迫力で歌いまくるその姿は、今では禁止用語に
なってしまったがいわゆる「気ちがいに刃物」という凄
まじさで、あの当時のことだ、泉谷のエネギーに興奮し
まくった観客は雪崩をうったようにステージに駆け寄り、
舞台前では警備員と客が押しつ押されつの大混乱状態の
中で泉谷しげるの
「空を超えてららら星の彼方ー」と鉄腕アトの主題歌で
アンコールが始まったことを鮮明に覚えている。
その泉谷しげるさんが10月半ばの或る日事務所に訪ね
て来て、11月6日に開催された
「泉谷しげるの日本を救え”宮崎編”」
の打ち合わせが今井美樹との間で行われた。今井と泉谷
さんは初顔合わせだった。その日は偶然にも布袋がスタ
ッフとの打ち合わせで事務所にきていて、布袋と泉谷さ
んの懐かしき再会もあった。ご存じの方も多いと思われ
るが、二十歳そこそこでBOOWYの活動を始めた布袋
がバンドが売れる前、泉谷さんに認められ声をかけられ
泉谷バンドに参加してギターを弾いていたときがあるの
だ。
11月6日宮崎臨海公園サンマリーナ多目的広場で行わ
れた日本を救えコンサート出演者は
泉谷しげる
TERU
松山千春
今井美樹
泉谷バンドのみなさん。
ライブ終演後に行われる1万発の大花火大会も当日の見
物で、口蹄疫後の宮崎を救え! とアジテートされた宮
崎県および県外から2万人以上のお客さんが集った。
コンサートは泉谷しげるの肺がんに病み今は自由に歌う
事がなくなった旧友吉田拓郎に捧げた「イメージの唄」
で始まった。わたしはそれをステージ袖で聴いていて、
34年前の神田共立講堂の泉谷しげるをまざまざと思い
だしていた。無論60の還暦を超えた今の泉谷はあの当
時のギトギトの脂っ濃さはさっぱりと抜け落ち、それだ
けに、唄うメッセージはさわやかな迫力に満ちあふれ、
亡き清志郎の「雨上がりの夜空に」の熱唱は涙無しには
聴けなかった
泉谷、かっこよく年を重ねたな、、、
やはり伝える何かがあるということがその人の人生なん
だなと心からそう思ったライブだった。

で「王様達の夜」の2枚組のLPを捜しているところです。
ターンテーブルを買ったので、キース・ジャレットのLP
「ライブ イン ケルン」
を手に入れを聴いてるが、アナログ盤は音がやわらかく、
夜が更ければさらに音はやわらかく、深夜の心に染み渡り
ます。アナログLPは深夜に聴くことができることを再発
見したのです。
ですから、今週末はわたし一人のためにライブをやっても
らおうと泉谷しげるライブアルバム「王様達の夜」を捜し
ているのです。

追申
そうそう、白鵬負けましたね。相撲には関心がないかみさ
んから、負けちゃったよ、とメールが入りました。
でも、63連勝は偉大です。
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by kasuya_senji | 2010-11-16 15:03 | Comments(2)
神田か羽田か
2010年11月11日

安住が胸くそ悪くチャンネルを換えた巨人ファンの皆様
こんばんわとやってから2週間が経ってしまった。
この間、神田共立講堂でのライブを見のがしてしまった。
神田共立講堂は共立中高大学園の講堂だが、1970年
代半ばまでは都内にコンサートなどを行える会場が少な
かったこともあり、特に学園側が文化芸術に寄与すると
認めたものにかぎり学園行事のない日には外部に劇場と
して貸し出されていた。1969年ニューヨーク郊外で
行われた愛と平和の3日間ウッド・ストックフェスティ
バルに全米、いや世界中の若者が刺激され、以降音楽ブ
ームが沸き起こり、日本も例外でなく、ロックフェスが
日比谷野外音楽堂で開催されるようになり、フォークソ
ング・ニューミュージックでは岡林信康、加川良、吉田
拓郎、かぐや姫、泉谷しげる、ユーミン、五つの赤い風
船、ガロなど青春のスターが誕生し、続々と神田共立講
堂でコンサートを開いたものだから、その講堂の名は一
躍音楽ファンに知れ渡り、日比谷公会堂や渋谷公会堂と
同様に神田にある公立の講堂で、私立共立学園の講堂で
あることさえ知らない者もいたくらいであった。かく言
うわたしもこの業界に入り始めて学校の施設であること
を知ったのでありました。
1975年にはかぐや姫の、1976年の春にはガロの
解散コンサートが開催されたが、消防法の改訂により外
部への貸し出しが禁止され、神田共立講堂は静かなる学
校の施設に戻り、34年の月日が流れた。
10月の末に元ガロの大野君から神田共立講堂で行われ
るライブに出るんだと聞いたときは、本当にビックリし
た。34年前の恋人が
「あらこんばんは」
といきなり登場したように吃驚した。
聞いてみると消防法基準に基づいた適正な会場として認
可されたが外部に貸し出すについては依然禁止であるが、
今回は千代田区神田の地域活性イベントの一環として例
外的に音楽会に貸し出されたと言うではないか。
34年前の恋人があらこんばんわと顔を出すなら34年
前の紅顔の美青年だった自分(?)に会えるかもしれな
い。神田共立講堂見学行くぞ! と回春機嫌で大野君に
は必ず行くからなと返事して心待ちにしていたその当日、
嫁いだ娘からお父さんにお願いがありますとメールが入
った。
「北海道に行くことになりました。羽田空港まで連れて
 行ってもらえませんか?」
というのである。
羽田までエ?
自分で行かんかい!
幸い自宅近くのバス停からは羽田行きの高速バスが発車
している。
それに乗ったらいいやんけ!
と思ったが、まてよ。いや待てよ。確か俺は35年前、
ノースウエストオリエント航空が会社更生法で倒産し、
アメリカンエアラインに吸収合併されるというあおりを
食って、ノースウエスト日本事務所所属下部事務所から
ポイと捨てられるように追い出されというよりもここに
いては先が知れてるかもしれんと自分からおん出て、大
野君の紹介でころり転がるようにこの音楽業界に入って
きたんだった。
何?
羽田が国際化される?
すでに外国路線が発着している?
じゃあ、なんだ。神田共立が34年前の恋人だとしたら
羽田国際線は35年前の俺の彼女じゃないか?
と、恋人だ彼女だとの思いは締まったままかみさんに早
く支度しろと急がせ、ついでのように娘を連れて羽田に
行き、ひょっとしたらもう一つの人生があったかもしれ
なかった現場に35年ぶりに舞い戻ってみると、開港記
念観光客でくそ混みしている空港ターミナルで2時間も
並んで回転寿司食って、何がおもしろいのかなつかしい
のかわからいままに一日が過ぎた。大野君から、
「糟谷はなぜ来ないんだー。こんな時に。なにやってん
 だーと皆言ってたぞ」
とお叱りの電話をもらってしまった10月末の日曜日だ
った。

追申
ちなみに今日はK君の誕生日。11/11とは忘れたと
は言わせないわかりやすさがある日でございます。
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by kasuya_senji | 2010-11-11 17:16 | Comments(4)

 
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