2013年4月3日
エイプリルフールは小学生の時に知ってたがいつ知った
んだろう。
俺くらいの歳になるとさすがに小学生の頃の事はよく覚
えていない。忘却の彼方というやつで、まあ、忘れ去っ
たその遥か彼方という事だから思い出せるわけはない。
時々、小学生の頃の事を克明に記憶している同輩に出く
わす。つい、何が悲しくてその頃のことを覚えているの
だろうと思ってしまうのは、きっとこども心にとても悲
しい事があって、そのかなしい記憶を覚えているのでは
ないかと思うからだが、または何か楽しくて忘れがたき
事があり覚えているのかもしれない。
だから、聡明な記憶の持ち主たちに出会うといつもわた
しはその記憶が今にどう繋がっているのだろうかと興味
を持って聞くことにしているが、たいがいはただ覚えて
いるだけという人が多く、心に残る喜びや悲しみや驚き
とは関係ないようである。
それじゃただ覚えてるだけで使われてないじゃんなどと
呟くが、記憶は遥か彼方へ忘却しているわたしがいうの
もナンだからいつも心の中で呟くだけである。
小学校4年生のとき。T先生という若くてきれいな女の
先生が担任になった。3年生の時は自分の着てる服が汚
れていようが靴下に穴があいていようがまったく気にし
なかったが4年生になって急に気にしだした。
当時はどこの家もそうだったが実家は清貧で、遊び盛り
の小坊の服が汚れた破れた靴下に穴があいたといっても、
それがどうしたとあたり前の事で、4年生になって急に
洋服のことを言い出しはじめたから、周りの大人たちは
「せんじも色気付いたんじゃないかア」などと正しく見
破られた。わたしの洋服好きはT先生を好きになったこ
とから始まったのだ。
5年生の担任は音楽のK先生で、そこで不思議な体験を
する。音楽が好きになると同時に急に運動神経が良くな
ったのだ。4年生までは足は遅いし相撲は弱いし野球も
一番へたっぴーで、二人のキャプテンがジャンケンし、
勝った方が先に選手を選ぶと云う方法で順々に選手が2
チームに振り分けられるのだが、わたしは最後にひとり
残り、ジャンケンで負けた方のチームが引き取るという
くらいへたっぴーだったのに、音楽が好きになった5年
生のときはわたしはキャプテンだった。4番でピッチャ
ーだった。
音楽が好きな感覚と運動中枢神経は繋がっているのでは
ないから、きっとたまたま成長期が重なっただけのこと
かと思うが、今でも音楽やスポーツが大好きな自分が1
1歳の時に同時に始まったことを考えるとホントに不思
議な思いがする。
6年生になると親父が小学生新聞を購読してくれた。
6年生のときはエイプリルフールは知っていたから、ひ
ょっとしたら、新学期の4月、自分のための新聞が配達
され、その第一回目の新聞にエイプリルフールの記事が
載っていたのかもしれない。なにやら遠い外国のキリス
ト教的な習慣で、嘘をついてもいいがどれほど良質で笑
いがあるかが大事だというようなことだったと思う。
「僕がやったんじゃないよ」
「嘘つけ!センジ。いいか。アメリカの初代大統領ジョ
ージワシントンは自分が桜の木を切ったと告白したか
ら大頭領に成れたんだぞ」
などと叱られていたから、嘘ついてもいい日の4月1日
は嫌いじゃなかった。
今でもエイプリルフールの記事を新聞で読む。今年の東
京新聞は雪舟の鳥獣戯画にウサギとカエルが玉と棒を持
って敵味方となって遊んでいる墨絵があると紹介して
「野球の起源は日本だった」。
真実の報道を使命とする新聞諸子も思いっきり嘘ついて
いるのをみると、エイプリルフィールは案外、新聞とか
学校の先生とか社会的に正直者であらねばならない人々
にとって年に1度の大娯楽だったのかもしれない。
正直と嘘の2大話では必ずジョージワシントンが登場す
るからこの風習はアメリカフロンティアー時代の保安官
や牧師達の娯楽の名残なのかもしれない。
いやもしかしたら、、保安官ワイアットアープが始めた
事に違いないとここまで書くとエイプリルフールだな。
この日、面白かったのがミニクーパーの新聞広告。
MINI JOHN COOPER WORKS
「ウイングオプション装備の限定車登場」
<運転には普通免許のほかに航空機操縦免許が要となり
ます>
とあり、空力構造の翼をもつ新しいミニだと思って広告
を見てたら、
「ウソみたいな広告を見たときは日付の確認を忘れずに」
とあって、腹の底から笑いが沸いた。