2007年11月19日
3連休中の11月25日。26日と東京を離れた。
24日の土曜日は、石川厚生年金会館でおこなわれた
HOTEIのファンキー・パンキーツアーに参加。
午前中の便で小松に着くと旧友のKがにこにこと笑顔で
出迎えてくれた。
「めずらしいなあ・・。たいがいこの季節は飛行機は遅
れることが多いが、予定より早く着いたんだな。天気
も上々だし。暖かい日だ。数日前は冬が来たかと思う
くらい寒かったんだ」
「昨日、野々市の寿司屋に顔だすよと電話すると、随分
寒くなってますから十分暖かい格好でいらしてくださ
いと言ってたから、ほら、手袋まで持ってきたが、ま
ったくいらんね」
「その野々市の寿司屋だがネットで調べると俺の家のす
ぐ近くだったよ。今日は俺がご馳走するよ」
「すまんな。前回もたしか君に奢ってもらったんだと思
うけど・・。順番でいえば本来はこちらの番だが」
「いや。お前は俺の親父の葬式にわざわざ東京から来て
くれたが、お前の親父の葬式には仕事の都合もあって
俺は岡崎まで行けなかった。お前の親父には生前会っ
ている。その供養だと思って奢らせてくれ」
野々市のその寿司屋は、私が行ったことのあるどの寿司
屋よりも美味い寿司屋で、東京にあったら今の話題の
「ミシュランガイド東京」で間違いなく☆がつく寿司屋
だろう。行ったことがある寿司屋で☆☆☆に輝いたのは
「すきや橋 次郎」。☆が「久兵衛」。この☆の2つの
差がどこにあるのかは、2店とも連れて行ってもらった
時にわたしはまだ若く、あまりの有名店ということで勝
手にこちらが舞い上がっていて、情けない話だが2店の
ちがいは分からなかった。ただ言えることは2店ともた
しかに美味い寿司屋であったことと高い店であったこと
である。
だが、仮にこの野々市の寿司屋「太平鮨」が東京にあり、
☆がひとつもつかなかったら私はこの「ミシュランガイ
ド東京」を信用することはできないと断言できる。
「いい仕事してますねー」という有名な言葉でお馴染み
のなんでも鑑定団の骨董商の親父であれば、一口食った
瞬間にこの言葉を吐くであろう。
季節の鯖、鰤、蟹、香箱などに舌鼓を打ちつほどに、ひ
ょっとしたら俺は布袋さんのライブに金沢に来たのでは
なく、この鮨を食いに金沢に来たのではないだろうかと
勘違いもした。
連休を利用して東京から金沢に訪れた4人の家族連れの
お客さんも店に顔を出した。
「温泉はまあ、一家で出かける口実で、今回の旅の主題
はこの店の鮨ですよ」
とカウンターの隣にすわったその客が言うのを聞いて、
さもあらんと思っていたところ、太平鮨のオヤジさんか
ら、なんと私と彼は同じ人からこの店を紹介されたと聞
かされ驚いた。その人の名はミック立川。いやァ世間は
狭いものですねーと名刺交換をしたが、名刺を見ると、
なんと我が社の契約している会計事務所の人で、狭いど
ころかご近所の方であったのだ。
ファンキー・パンキー・ライブは日々進化していて、名
古屋でまた新たな局面をむかえたのだが、金沢ではます
ます進化していた。ライブの途中で思いつくことがあり、
舞台監督の髭坂と、
「この方法を採用すれば布袋の意図がより明確になり、
またひとつ進化するのでは」
とアイデアをだした。
アンコールが終わり楽屋でシャンパンで乾杯。食事に行
くファンキー・パンキーバンドと会場で別れ、遅い夕食
を片町の路地奥の小さなおでん屋でとったが、おばあさ
ん(大女将)とおかあさん(女将)と娘さんの3人の美
人がやっている店で、この店がまた旅情をかきたててく
れたなあ。金沢に来ることも多いというミック立川に是
非紹介しよう。
翌、25日の日曜日は午前中に岡崎にもどる用事があっ
た。朝6時過ぎの特急しらさぎに乗ったが、まだ夜は明
けてなく西の空にはポッカリと大きな月がかかっていた。
月は沈み行く月ではなく、まだ中空にしっかりと留まり、
夜明け前の金沢を照らしていた。富山から西に向かって
来た列車は、金沢駅あたりで北から南に向かうことにな
るが、どうもまだ列車は日本海に沿って西に向かってい
るような感じがして、進行方向右側の窓の外に浮かぶ月
は北の空にかかっているように思えた。そう思えたから、
あの月は北朝鮮に沈んでいくのかと一瞬思ってしまった。
小松を過ぎ鯖江を過ぎた辺りで茜がかった空から朝日が
顔を出し日の出をむかえた。ちょうど鯖江駅前広場に
「ひので病院」と看板の出た7階建ての小汚い建物があ
ったが、そのときばかりは、その通り! と病院名に納
得してしまった。
日が昇ると暖められたあたり一面の田畑から水蒸気が立
ちはじめ、遠くの村や山端は霧に霞みだし、藤沢周平さ
ん書くところの「霧の朝」という情景になった。モノク
ロームのなかに薄く彩色されたような美しい風景だった。
いったいに北陸地方の農村風景は本当にきれいである。
広く大きく広がった田畑のところどころにこんもりとし
た大きな木が林をなしていて、そこは大きな農家、小さ
な集落、時にその林の中は神社や大きな急勾配の屋根を
持つ浄土真宗の寺だったりする。高度成長の近代化の始
まる前の日本の農村の人の営みの原風景が広がっている
のだ。そして列車が山合いにさしかかると、薄暗い山裾
に鮮やかないくつのも橙色が点在していて、それは柿の
実であった。
しかし藤沢さんと言えば、NHKの藤沢周平ドラマ「風
の果て」はたいへん評判がいいと言われるが、ありゃダ
メだね。佐藤浩市の主人公がイマイチである。いや彼の
役者としての資質を言っているのではない。50代とい
う主人公:家老桑山又左衛門を演じるには佐藤浩市はま
だ実年齢が若すぎるのである。だから結局老け役を演じ
なければならなく、その老けぶりがリアリティーを削い
でいるのである。あの役は、壮年期の三国連太郎でしょ
う。佐藤浩市、未だ親父を越えられずというところか。
陽が高くなる頃米原に到着。もうこの辺りからは美しい
風景も何もありゃしない。米原で新幹線に乗り換え名古
屋へ。名古屋で名鉄線河和行き特急に乗り知多半田駅で
おふくろと待ち合わせ、N施術院で治療をしてもらった
が、矯正した骨盤&背骨・首の骨はまともに真っ直ぐに
なっていると診断された。そう言われると急に身体が軽
くなったような気がするから不思議だが、安心もした。
おふくろも矯正した骨は正常になっているようで、実家
へ帰る車の中ではふたりとも気分は良く、亡くなった親
父のインテリ好きぶりの性格の功罪をイエスであるかノ
ーであるかと話し込んだ。ふたりとも全体としてはイエ
スであるが、その性格ゆえの視野の狭さ(インテリ以外
は認めんぞという頑固さ)に、私はノーでもあったと言
い、それがあの人の素敵なところだったとおふくろはイ
エスと言った。
実家でヨークシャーテリアのチッチと光にみゃーみゃー
と反応する子猫のモグとひと遊びした後、東京へ帰ろう
としたが、3連休の最終日で新幹線の指定席がのぞみも
ひかりもこだまも最終便まで1席もないとわかり、帰る
ことは諦め岡崎で一泊した。
呉服屋のYが日曜日の夜だというのに仕事だというので、
おなじく中学の同級生のSを呼び出し、花崗町の古都寿
司で飯を食った。どういうわけかSと牛の話に終始しな
がら鮨を食った。
ホテルにもどり大浴場にゆっくりつかり早めに寝たが、
お湯で身体があたたまり快眠だったが、見知らぬ変な女
があれやこれやと言っている妙な夢を見た。やけに言葉
遣いが丁寧な女だったな。
この旅は、旧友との再会、鮨とライブとおでんと北陸の
風景を楽しみ、おふくろと一緒に背骨の矯正をし、チッ
チとモグと遊び、牛の話をしたいい旅になった。