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プロフィール
糟谷銑司(かすやせんじ)
愛知県岡崎市出身

長渕剛、BOOWYのマネージメントを経て、(株)アイアールシートゥコーポレーションを設立。
布袋寅泰、今井美樹らが所属。
平成15年7月から平成19年6月まで社団法人音楽制作者連盟理事長に就任。
文筆活動は、出身地の岡崎に由来して「糟谷岡崎堂」で行う。
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2泊3日の小旅行
2007年11月19日

3連休中の11月25日。26日と東京を離れた。
24日の土曜日は、石川厚生年金会館でおこなわれた
HOTEIのファンキー・パンキーツアーに参加。
午前中の便で小松に着くと旧友のKがにこにこと笑顔で
出迎えてくれた。
「めずらしいなあ・・。たいがいこの季節は飛行機は遅
 れることが多いが、予定より早く着いたんだな。天気
 も上々だし。暖かい日だ。数日前は冬が来たかと思う
 くらい寒かったんだ」
「昨日、野々市の寿司屋に顔だすよと電話すると、随分
 寒くなってますから十分暖かい格好でいらしてくださ
 いと言ってたから、ほら、手袋まで持ってきたが、ま
 ったくいらんね」
「その野々市の寿司屋だがネットで調べると俺の家のす
 ぐ近くだったよ。今日は俺がご馳走するよ」
「すまんな。前回もたしか君に奢ってもらったんだと思
 うけど・・。順番でいえば本来はこちらの番だが」
「いや。お前は俺の親父の葬式にわざわざ東京から来て
 くれたが、お前の親父の葬式には仕事の都合もあって
 俺は岡崎まで行けなかった。お前の親父には生前会っ
 ている。その供養だと思って奢らせてくれ」
野々市のその寿司屋は、私が行ったことのあるどの寿司
屋よりも美味い寿司屋で、東京にあったら今の話題の
「ミシュランガイド東京」で間違いなく☆がつく寿司屋
だろう。行ったことがある寿司屋で☆☆☆に輝いたのは
「すきや橋 次郎」。☆が「久兵衛」。この☆の2つの
差がどこにあるのかは、2店とも連れて行ってもらった
時にわたしはまだ若く、あまりの有名店ということで勝
手にこちらが舞い上がっていて、情けない話だが2店の
ちがいは分からなかった。ただ言えることは2店ともた
しかに美味い寿司屋であったことと高い店であったこと
である。
だが、仮にこの野々市の寿司屋「太平鮨」が東京にあり、
☆がひとつもつかなかったら私はこの「ミシュランガイ
ド東京」を信用することはできないと断言できる。
「いい仕事してますねー」という有名な言葉でお馴染み
のなんでも鑑定団の骨董商の親父であれば、一口食った
瞬間にこの言葉を吐くであろう。
季節の鯖、鰤、蟹、香箱などに舌鼓を打ちつほどに、ひ
ょっとしたら俺は布袋さんのライブに金沢に来たのでは
なく、この鮨を食いに金沢に来たのではないだろうかと
勘違いもした。
連休を利用して東京から金沢に訪れた4人の家族連れの
お客さんも店に顔を出した。
「温泉はまあ、一家で出かける口実で、今回の旅の主題
 はこの店の鮨ですよ」
とカウンターの隣にすわったその客が言うのを聞いて、
さもあらんと思っていたところ、太平鮨のオヤジさんか
ら、なんと私と彼は同じ人からこの店を紹介されたと聞
かされ驚いた。その人の名はミック立川。いやァ世間は
狭いものですねーと名刺交換をしたが、名刺を見ると、
なんと我が社の契約している会計事務所の人で、狭いど
ころかご近所の方であったのだ。

ファンキー・パンキー・ライブは日々進化していて、名
古屋でまた新たな局面をむかえたのだが、金沢ではます
ます進化していた。ライブの途中で思いつくことがあり、
舞台監督の髭坂と、
「この方法を採用すれば布袋の意図がより明確になり、
 またひとつ進化するのでは」
とアイデアをだした。
アンコールが終わり楽屋でシャンパンで乾杯。食事に行
くファンキー・パンキーバンドと会場で別れ、遅い夕食
を片町の路地奥の小さなおでん屋でとったが、おばあさ
ん(大女将)とおかあさん(女将)と娘さんの3人の美
人がやっている店で、この店がまた旅情をかきたててく
れたなあ。金沢に来ることも多いというミック立川に是
非紹介しよう。

翌、25日の日曜日は午前中に岡崎にもどる用事があっ
た。朝6時過ぎの特急しらさぎに乗ったが、まだ夜は明
けてなく西の空にはポッカリと大きな月がかかっていた。
月は沈み行く月ではなく、まだ中空にしっかりと留まり、
夜明け前の金沢を照らしていた。富山から西に向かって
来た列車は、金沢駅あたりで北から南に向かうことにな
るが、どうもまだ列車は日本海に沿って西に向かってい
るような感じがして、進行方向右側の窓の外に浮かぶ月
は北の空にかかっているように思えた。そう思えたから、
あの月は北朝鮮に沈んでいくのかと一瞬思ってしまった。
小松を過ぎ鯖江を過ぎた辺りで茜がかった空から朝日が
顔を出し日の出をむかえた。ちょうど鯖江駅前広場に
「ひので病院」と看板の出た7階建ての小汚い建物があ
ったが、そのときばかりは、その通り! と病院名に納
得してしまった。
日が昇ると暖められたあたり一面の田畑から水蒸気が立
ちはじめ、遠くの村や山端は霧に霞みだし、藤沢周平さ
ん書くところの「霧の朝」という情景になった。モノク
ロームのなかに薄く彩色されたような美しい風景だった。
いったいに北陸地方の農村風景は本当にきれいである。
広く大きく広がった田畑のところどころにこんもりとし
た大きな木が林をなしていて、そこは大きな農家、小さ
な集落、時にその林の中は神社や大きな急勾配の屋根を
持つ浄土真宗の寺だったりする。高度成長の近代化の始
まる前の日本の農村の人の営みの原風景が広がっている
のだ。そして列車が山合いにさしかかると、薄暗い山裾
に鮮やかないくつのも橙色が点在していて、それは柿の
実であった。
しかし藤沢さんと言えば、NHKの藤沢周平ドラマ「風
の果て」はたいへん評判がいいと言われるが、ありゃダ
メだね。佐藤浩市の主人公がイマイチである。いや彼の
役者としての資質を言っているのではない。50代とい
う主人公:家老桑山又左衛門を演じるには佐藤浩市はま
だ実年齢が若すぎるのである。だから結局老け役を演じ
なければならなく、その老けぶりがリアリティーを削い
でいるのである。あの役は、壮年期の三国連太郎でしょ
う。佐藤浩市、未だ親父を越えられずというところか。
陽が高くなる頃米原に到着。もうこの辺りからは美しい
風景も何もありゃしない。米原で新幹線に乗り換え名古
屋へ。名古屋で名鉄線河和行き特急に乗り知多半田駅で
おふくろと待ち合わせ、N施術院で治療をしてもらった
が、矯正した骨盤&背骨・首の骨はまともに真っ直ぐに
なっていると診断された。そう言われると急に身体が軽
くなったような気がするから不思議だが、安心もした。
おふくろも矯正した骨は正常になっているようで、実家
へ帰る車の中ではふたりとも気分は良く、亡くなった親
父のインテリ好きぶりの性格の功罪をイエスであるかノ
ーであるかと話し込んだ。ふたりとも全体としてはイエ
スであるが、その性格ゆえの視野の狭さ(インテリ以外
は認めんぞという頑固さ)に、私はノーでもあったと言
い、それがあの人の素敵なところだったとおふくろはイ
エスと言った。

実家でヨークシャーテリアのチッチと光にみゃーみゃー
と反応する子猫のモグとひと遊びした後、東京へ帰ろう
としたが、3連休の最終日で新幹線の指定席がのぞみも
ひかりもこだまも最終便まで1席もないとわかり、帰る
ことは諦め岡崎で一泊した。
呉服屋のYが日曜日の夜だというのに仕事だというので、
おなじく中学の同級生のSを呼び出し、花崗町の古都寿
司で飯を食った。どういうわけかSと牛の話に終始しな
がら鮨を食った。
ホテルにもどり大浴場にゆっくりつかり早めに寝たが、
お湯で身体があたたまり快眠だったが、見知らぬ変な女
があれやこれやと言っている妙な夢を見た。やけに言葉
遣いが丁寧な女だったな。

この旅は、旧友との再会、鮨とライブとおでんと北陸の
風景を楽しみ、おふくろと一緒に背骨の矯正をし、チッ
チとモグと遊び、牛の話をしたいい旅になった。
# by kasuya_senji | 2007-11-26 18:10 | Comments(0)
ま、わたしが歌うことはないけどね。
2007年11月22日

どちらでもいいのだが、今日はいい夫婦の日(11=
いい。22=ふうふ)らしい。いい夫婦の日というもの
がどちらでもいいと言っているのではない。このゴロ合
わせで「ナントカの日」と決めることが、どーでもいい
ような無邪気な手法だと言ってるのである。こんなゴロ
合わせで決めていいのは、
「6月4日の虫(む=6,し=4)歯予防デー」
くらいなものであろう。これは小学生にとって、とって
も分かりやすい無邪気さがある上に大きな意味がある。
小学生となればすでに乳歯から永久歯に生え替わる時期
で、12才=6年生には全部生えそろっているのだから、
虫歯予防デーと呼びかけて、これからの数10年間とい
うかほぼ一生の間、60になっても70になっても丈夫
な歯を持つことが出来るための習慣=歯磨きを身につけ
させる事はおおいに意味があるのである。
意味があると言えば、結婚記念日でもなければ「夫婦」
を特に意識しないであろう夫婦者に、僕たちは私たちは
夫婦なんだぞと思わせることが可能かもと考えれば、夫
婦の日というのがあっても無意味では無いだろうとも思
えるが、それが子供じみたゴロ合わせで設定されている
ことに人生感などとはほど遠い馬鹿さ加減を感じてしま
うのは俺だけだろうか。

それはそれとして、この「いい夫婦の日」に歌ってみた
い歌はナンデスカというアンケートがあって、学生時代
に吹き荒れた学生運動家世代(団塊の世代)では「神田
川」が選ばれていた。30代40代の夫婦ではドリカム
の「未来予想図」が圧倒的で、20代夫婦ではコブクロ
の「永遠にともに」という歌だった。
このアンケートで私が驚いたのは、20代30代40代
50代60代の夫婦を合わせた総合チャート(チャート
とは言わないんだろうが)では、なんと、なななんと!
美空ひばりの「川の流れのように」だったことである。
この歌は美空ひばりの最後のヒット曲で、この歌があっ
て美空ひばりの永遠性が成立していると考えていた僕は、
なんだか持論が証明されたような感じがして、このアン
ケート結果は、夫婦の日はどちらでもいいとして、おお
いに満足したのである。

「あ〜あ。かわのながれのよーに・・」

ま、わたしが歌うことはないけどね。
# by kasuya_senji | 2007-11-22 17:16 | Comments(0)
岡島の偉業の不思議
2007年11月21日

プロ野獣セ・パ両リーグは今季の表彰選手を発表した。
セリーグのMVPは巨人の小笠原選手。昨年の日本ハム
でのMVPに続く2年連続の受賞となった。セ・パ両リ
ーグでのMVP受賞選手は、江夏豊(広島・日本ハム)
以来2人目である。
パ・リーグのMVPは21才の若きエース、日本ハムの
ダルビッシュ選手が受賞。高校卒業以来3年目での受賞。
新人王はセ・リーグが阪神の上園投手。
パ・リーグは楽天のマー君こと田中投手。
上園投手は武蔵大卒だが、田中投手は駒大苫小牧高校を
今年卒業したばかりで、高卒1年目での受賞は、清原、
松坂以来のことである。
これで、オリンピック予選の星野ジャパンの闘いを残す
ものの一応今年の日本のプロ野球は終了した。

わたしの行き付けの床屋の店主は野球好きである。
椅子に座って髪を整えてもらう間は、たいがい野球談義
となる。この床屋のオヤジ(といってもまだ若いのであ
るが)野球のことをよく知っていて、新聞やテレビで報
道される以外のこともよく知っている。
だれだれとだれだれが銀座のクラブでよく一緒に飲んで
いるとか、ジャイアンツのだれだれは足立区のディーラ
ーで車を買ったとか、車種はなんであるとか、嫁さんが
どこの人だとか、どこで仕入れてくるか知らないがとに
かくいろいろなことを知っていて、江戸時代の昔、床屋
が暇人の時間つぶしの場所で、ゆえに町内の情報が集中
する場所であったころの伝統を守っているようである。
このオヤジの今年の預言が、レッドソックスに行った松
坂の大活躍でなく岡島の活躍であった。理由は、岡島が
投げる瞬間打者の顔やキャッチャーのミットを見ないで
下を向いて投げるクセにあった。
「あの投げ方されちゃバッターは怖いですよ。だって見
 てないんだもの、どこに飛んでくるか一瞬わからない
 でしょうあれじゃ。とりあえず今年は通用するかもし
 れませんよ」
そのとおりになった。岡島はMVPという派手なという
か重要な賞は受賞していないが、それよりも凄いことに
なった。岡島は、セ・リーグ(巨人)で日本一になり、
パ・リーグ(日本ハム)で日本一になり、大リーグで世
界一になった初めての日本人選手である。いや、はじめ
てといったが、今後も含め2度と出ない唯一の選手であ
ろう。
日本人で世界一を経験した選手は、井口(タイガース)
田口(カージナルス)松坂(レッド・ソックス)と岡島
を含め4人いるが、他の3人は、セなりパなりで優勝の
経験を持つが、日本での両リーグでの優勝経験はない。
ヤンキースが来年悲願のワールドチャンピオンになった
としても、松井秀はパ・リーグの経験はない。ドジャー
スがチャンピオンになっても斉藤は日本では横浜でしか
プレーしていない。ダルビッシュが日本国内でセ・リー
グにトレードされる可能性はないし、田中マー君も楽天
は離さないだろう。彼等はFA権を獲得して大リーグ挑
戦という可能性を追求することになるだろうから、それ
を考えると、セ・パ日本一&ワールドシリーズチャンピ
オン選手というのは、限られた環境の中での極限られた
幸運に見舞われなければあり得ない記録である。もちろ
ん、こんな記録は日本でもアメリカでも公式記録にはな
らないのであるが、いちばんカッコイイ
「記録よりも記憶に残る選手」
という称号が岡島に与えられるべきであろうと思う。
しかし、この話題をどこの新聞もテレビも評論家も取り
あげないのが不思議であると床屋のオヤジと話し込んだ。
# by kasuya_senji | 2007-11-21 18:31 | Comments(3)
ダイアモンド婚
2007年11月20日

第2次世界大戦が終了して間もない1947年の11月
20日。ロンドンのウエストミンスター寺院でエリザベ
ス王女とフィリップ公の結婚式がとりおこなわれた。以
来60年。今年2007年11月20日に、この二人は
ダイアモンド婚を向かえ、世界中から祝福を受けた。

第2次世界大戦が終了して間もない1947年の11月
20日。一部の市街地を残して焼け野原になった愛知県
岡崎市の片隅で、糟谷鉄夫と平井美与の結婚式がとりお
こなわれた。鉄夫も美与も23才の若さだった。今年2
007年11月20日に、この二人はダイアモンド婚を
向かえるところであったが、鉄夫は今年の9月9日にこ
の世を去った。60回目の結婚記念日をおふくろはひと
りでむかえることになった。

20日の朝。岡崎のおふくろに
「ひとりぼっちのダイアモンド婚へ」
と薔薇の花束をとどけた。
# by kasuya_senji | 2007-11-21 17:14 | Comments(0)
ジジ臭い朝
2007年11月19日

ホテルの部屋に帰ろうとエレベーターに乗ると7階から
布袋が乗り込んできた。スパイクマンとタケチャンマン
と一緒だった。室内プールで泳いできたのだそうだ。3
人とも泳ぎの後だけに見るからに若々しく顔が艶々して
いる。
「朝からプールで泳ぎ? まるで青春だね」
「ツアーに出れば朝のトレーニングは恒例です。カスヤ
 さんはどこへ?」
「いや俺はジジ臭い。サンデーフォークの故井上の墓参
 りに行った帰りだ」

8年前の11月22日の月曜日の朝。会社に出社すると
電話がかかってきた。
「サンデーのMです。悲しいお知らせがあります。今朝
 社長が亡くなりました」
「社長って、井上だろゥ。井上が死ぬわけがない。今は
 万博の招致運動でヨーロッパに行ってるはずだ。それ
 ともサンデーには登記上の社長がいるのか、井上の親
 父とか」
「いや。井上本人です」
「・・・・・・・・・」
「先ほど亡くなったばかりでこちらはばたばたしていま
 す。専務のKからお知らせせよと言付かり連絡しまし
 た。遺体は間もなく家にもどると思います。くわしい
 ことは後ほどKからあらためて連絡が入ると思います」
電話の向こうでMの嗚咽が聞こえている。井上が亡くな
ったという信じられない連絡が、事実であったのだった。
電話を切って、すべての用件をキャンセルするようGさ
ん(爺さんではない)に指示すると、東京駅から名古屋
に向かう新幹線に飛び乗った。

夕方近くまで井上家に滞在し、弔問に訪れた人々と声を
交わすが、だれもかれも今起こっていることを事実とし
て受け止めるには衝撃が強すぎていた。
陽が落ち辺りが暗くなった頃、井上家をおいとまして同
行のK氏とホテルに戻るが、ホテルに帰って何をすると
いうのだ。とても、夕刊など読んで夕食をとりテレビで
も見て寝る気になんかなれない。K氏(名古屋在住)に、
「これからどうするの?」
と聞くと、K氏も何をしたらいいか分からんという。今
夜は寝られそうもないと言うから、
「井上のボトルを全部飲もう」
と、かって井上に連れて行ってもらった飲み屋・クラブ・
バーを軒並み訪れた。
「あらー。カスヤさんお久しぶり。あら今日は井上社長
 とご一緒じゃないんですか?」
「いや井上さんはいない。しばらく彼は来ないと思うか
 ら俺が井上さんに成り代わってボトルをあけちまおう
 と思ってやってきたよ。井上さんのボトルを出してく
 れないか」
井上の死はその翌日か翌々日の中日新聞の死亡欄に記事
として出ることになるが、この時点では街の人々はまだ
誰も知らなかった。
レミーマルタン・カナディアンクラブ・VSOPなどグ
ラスに注がれるとぐっと一気飲みして、全てのボトルを
飲み干したが、いくら飲んでも酔わなかった。酔えなか
った。たださすがに6本も空け終わるとフラフラになっ
て、気絶するように寝た。

井上の墓の前で、同行してくれたサンデーフォークのS
さんとそんな思い出話をし、ホテルに戻ったところで布
袋とエレベーターで鉢合わせ、プールで一泳ぎしたと聞
いたから、つい自分の行動をジジ臭いと言ってしまった
のだが、俺の中で井上はまだ40代の若さのまま、永遠
に静止しているのである。
# by kasuya_senji | 2007-11-21 16:28 | Comments(0)

 
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